日本キリスト教団六ツ川教会 ローズンゲン釈義黙想(2024/6/27)

แชร์
ฝัง
  • เผยแพร่เมื่อ 25 มิ.ย. 2024
  • 2024年6月27日(木)
    【旧約聖書】
    角笛のように、あなたの声を上げよ。私の民にその背きの罪を告げよ。イザ58:1(協)
    【新約聖書】
    イエスは「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。マタ4:17(協)
    ---------------------------------------
    「ローズンゲン釈義黙想」は、日本キリスト教団六ツ川教会の会員向けのメッセージです。
    日々、御言葉を聞くことができるように毎朝5時に更新します。
    「公開」設定にしていますので、六ツ川教会の教会員でない方も、ご関心のある方はどうぞ自由にご活用ください。
    釈義黙想の後に、呼吸と沈黙の時間があります。
    ヨガのトレーニングから学んだ呼吸法のごく基本的な方法を取り入れています。
    御言葉を聞き、呼吸と姿勢を整えて、良い一日の始まりとなりますように。
    どうぞ今日も笑顔でお過ごしください。
    使用しているテキストは『日々の聖句 Losungen2024』(ベテスダ奉仕女母の家出版部、2023年)です。全国のキリスト教書店でお求めいただくことができます。税込み1,400円です。
    *ローズンゲンで指定された場所以外は、聖書協会共同訳聖書のテキストを用いています。
    ----------------------------------------
                     
     アンパンマンの作者として知られる漫画家のやなせたかしさんは、日中戦争に従軍した経歴を持っておられます。暗号解読や紙芝居を作って地元民に向けて宣伝工作を行う部署にいて、従軍中は戦闘のない地域で活動しており、職種も戦闘を担当するものではありませんでした。それでも、その戦中の軍隊生活と戦後の社会を生きた経験から、このように語っています。「正義はある日突然逆転する。正義は信じがたい」、このことを骨身で悟ったと言います。これは戦前戦後の価値観の逆転のことを言っているのでしょう。「正義のために戦うのだから生命をすてるのも仕方がない」と考えるのではなく、また命を捧げることのできる別の正義を謳うのでもない。そんな大袈裟な正義ではなく、お腹のすいた人がいれば、そっとパンを差し出すこと。そこからあの名作、アンパンマンが生まれました。
     人間の語る大袈裟な正義は、ある日突然逆転します。私に洗礼を授けてくださった先生は、戦前の小学校で「そんなことで天皇陛下のために死ねるか」と竹刀で児童を叩いていた教師が、8月15日以降は「俺はもともと民主主義者だった」と平然として言ったそうです。その姿を見て呆れ果てたと、先生はおっしゃっていました。人間の語る正義というのは、その程度のものなのかもしれません。
     イエスは「悔い改めよ、天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められました。「悔い改める」というのは、立ち返ることであり、これまでの視点を変えること、これまでの考え方を改めることです。人間を中心に据える視点、自分を中心に据える視点から、神さまを中心にする視点に置き換えることです。やなせさんのおっしゃる通り、人間の掲げる正義というのは、ある日突然、簡単に変わります。変わらない正義というのは、人間の世界にはないのです。神の国にのみ変わらない正義があるのです。その神の国がイエスにおいて近づいた。それは私たちが神さまの前においてはすべて罪人であって、その罪をイエスが背負ってくださるということなのです。私たちはどうしても神さまに背いてしまう人間ですから、大袈裟に正義を語る資格はないのです。
     
     むしろ、神さまが預言者イザヤに語るように、「角笛のように、あなたの声を上げよ。私の民にその背きの罪を告げよ」、私たちが神さまに背いている、その罪に気づくことの方が大切なのです。そのことに気づくことができれば、大袈裟な正義を語るのではなく、今日の食事にも事欠く人々に一切れのパンを差し出す愛の業に生きることができるのです。それ小さな愛の業こそ、神さまの変わらない正義に続いているのです。
    日本キリスト教団六ツ川教会牧師  桐藤 薫

ความคิดเห็น •