日本キリスト教団六ツ川教会 ローズンゲン釈義黙想(2024/7/8)

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  • เผยแพร่เมื่อ 6 ก.ค. 2024
  • 2024年7月8日(月)
    【旧約聖書】
    あなたがたの目は主の行われた大いなる業をことごとく見た。申11:7(協)
    【新約聖書】
    私たちの主イエス・キリストの力と来臨をあなたがたに知らせるのに、巧みな作り話に従ったのではありません。この私たちが、あの方の威光の目撃者だからです。IIペト1:16(協)
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    「ローズンゲン釈義黙想」は、日本キリスト教団六ツ川教会の会員向けのメッセージです。
    日々、御言葉を聞くことができるように毎朝5時に更新します。
    「公開」設定にしていますので、六ツ川教会の教会員でない方も、ご関心のある方はどうぞ自由にご活用ください。
    釈義黙想の後に、呼吸と沈黙の時間があります。
    ヨガのトレーニングから学んだ呼吸法のごく基本的な方法を取り入れています。
    御言葉を聞き、呼吸と姿勢を整えて、良い一日の始まりとなりますように。
    どうぞ今日も笑顔でお過ごしください。
    使用しているテキストは『日々の聖句 Losungen2024』(ベテスダ奉仕女母の家出版部、2023年)です。全国のキリスト教書店でお求めいただくことができます。税込み1,400円です。
    *ローズンゲンで指定された場所以外は、聖書協会共同訳聖書のテキストを用いています。
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     キリスト教のことを勉強するとき、私は外国語にあまり強くないので、多くの翻訳書に助けられています。本来ならば英語やドイツ語を習得しなければ読むことのできない書籍を、訳者の方が日本語に翻訳してくれているおかげで、私は苦労なく多くの学びを得ることができています。本当に感謝なことです。そもそも、聖書も、ギリシア語やヘブライ語に習熟しなければ読めないものですが、日本語に訳されているお陰で、私たちは御言葉を母国語で聞くことのできる幸いを得ています。
     翻訳家の柴田元幸(しばた・もとゆき)さんは、小説家高橋源一郎さんとの共著『小説の読み方、書き方、訳し方』のなかで、ご自身の翻訳作業のイメージをこのように語っています。「壁の向こうの庭で何か面白いことが起きていて、一人が登って下の子どもたちに向かって壁の向こうで何が起きているかを報告する」という表現をされています。壁の向こう側では、こんな楽しみがある、あんな遊びがある、それを、壁をよじ登れない下の子どもたちに伝えて、喜んでもらう。壁の向こう側に行けずとも、壁越しにでもそれに触れてみる。一人、壁をよじ登って、壁の向こう側に見えた景色を、下にいる子どもたちに伝える、それが翻訳という仕事というのは、とてもイメージしやすい表現だと思います。
     本日与えられた申命記にこのように書かれていました。「あなたがたの目は主の行われた大いなる業をことごとく見た。」イスラエルの民は、エジプトで奴隷生活を送っていましたが、そこから脱出し、そして荒れ野でも神さまが道を示し、食料も与えてくださった、とてもありえないような業を経験したのです。神さまは私たちを見捨てることなく救ってくださる。このときのイスラエルの民は、それを実際に経験し、目で見たのです。そのことを、彼らは子孫に伝えていこうとするのです。出エジプトを実際に経験していない子孫にとっては、神さまの救いの業は、壁の外で起こったことになるからです。
     そしてペトロの手紙IIに書かれているように、「私たちの主イエス・キリストの力と来臨をあなたがたに知らせるのに、巧みな作り話に従ったのではありません。この私たちが、あの方の威光の目撃者だからです。」使徒ペトロは、まさに自分で壁によじ登り、壁の外で起こっていること、その風景を、壁に登れない私たちに伝えてくれているのです。神さまは再び来られて、私たちは永遠に生きる者となる、そのように壁の上から外の景色を見、そして壁の下にいる私たちにその外の景色を伝えてくれているのです。それに対して、私たちは壁の下から、「そんな景色が見えるはずがない」と文句をいうのでしょうか。そうではないはずです。「そんなんだ」と、希望と喜びをもって、壁の上から語ってくれるペトロに感謝するはずです。
     これまで、多くの預言者たち、使徒たちが、私たちの住むこの地上世界の外の世界について、伝えてくれています。それはこの地の概念に翻訳しなければならないような世界なのでしょう。ですから預言者、使徒によって伝え方は様々です。聖書の翻訳ひとつをとっても、様々な訳があるように、預言者、使徒たちの語り方も様々なのです。しかし、それらが共通することは、壁の外で起こっていることが作り話ではなく真実であること、そして神さまが私たちを救ってくださるということ、それを彼らは命を懸けて私たちに伝えてくれているのです。
    日本キリスト教団六ツ川教会牧師  桐藤 薫

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