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葛木御歳神社の宮司です。葛木御歳神社を素敵な映像でご紹介頂きありがとうございます。
とんでもございません映像はさておき無責任で勝手な考察にお気を悪くされて無いでしょうか?宮司様のTH-camも拝見させて頂き勉強させて頂いておりましたのでもしも目に触れられたにしても許容の範囲であろうと滲み出る素敵な人間性から勝手にその様に思ってはおりましたが一抹の心配もありましたので、コメント頂けてホッとしました宮司様は歴史ある大変な神社の運営を頑張っておられるご様子も拝見させて頂き、多少私の角度はズレているかも知れませんがまさに陰ながらですが応援させていただいておりますので、これからも頑張って下さいコメント頂きありがとうございました
宮司さんお久しぶりで〰す。 最近めちゃくちゃ暑いのでリアルさんも宮司さんも身体に気お付けて下さいね〰
@@kanji-kun1280さん、ご丁寧なお返事、恐縮です。TH-camは、皆が自由に喋れるのが良いですよね❣️色々な切り口を楽しませて頂いています。これからもよろしくお願いいたします😊✋️
@@石井健次-h1nさん、ありがとうございます❤暑すぎですよね〜❗️また頑張って古事記を語りますので、よろしくお願いいたします。
@@石井健次-h1nさんいつもながら楽しくフレンドリーで良い性格ですねいろいろありがとうございます暑さもここまで来ると逆に気合が入りますね山中鹿之介の気分で「三日月よ我に七難八苦を与えたまえ」暑さバージョンなら「お日様よ☀️・・・・・」でしょうか?
お疲れ様です〜 正月の神様大年さんの名を譲ってもらった大年ファンの五十猛君、良く出雲の口伝を見返してみたら五十猛君は、ホヤさんとの間にムラクモ君、そして五十猛君は出雲の大屋姫???でしたっけ??? でッ、高倉下さんでした〜。忘れちまっていました〜😂 ただホヤさんは何処に〰???ですね。この系列に武内宿禰や仁徳大王って続きますね。武内宿禰は富家から姫様貰って臣を使うことが許されて、この辺から物部から出雲の関係者になったようですね。 何だか今日は記紀を元に考察している方々が来られているようで、対応が大変だと思いますが、この回でもリアルさんが言ってるように出雲の旧家の伝承だと言うことはどっかに飛んじゃってるようです〰 最も俺は出雲の旧家の伝承が最も大事だと考えているんで問題ないですけどね~ 因みにコメ欄のウカノミタマって豊国の姫さんでこの人宗像家でしょうね。って事なんで、宗像家は出雲の六代目の大己貴神からの分家で月信仰、このウカノミタマを伊勢に持って行きサルタ彦とくっつけてしまった、まるで物部の祖先をトップにしたかった様に、結局出雲ナンですよね~
御歳神の性格から同一神と考えられる候補をAIで調べると大年(大歳)、ウカノミタマ、大宜都比売命、神大市比売(大歳御祖命)、高照姫、豊受神、歳徳神などたくさん候補が上がりますが、本質が穀物神で女神だろうと感じられます。出雲から伊勢神宮外宮や伏見稲荷神へと強くつながる感じです。
歳とは最初は稲の実りのサイクルの事だったらしくそこから一年のサイクルを歳と呼ぶ様になったと言われてもいますので歳🟰稲と解釈される様ですので、全てが稲作、五穀、水、土、太陽、月、星、につながる様です更に、社稷神は全てのご先祖の霊をお祀りする事で、国家としてお祀りする神様となる様ですなかなか奥が深くて面白いですねコメントありがとうございました
金剛山が出雲の旧家伝承では高天原って事なんですよね。読みがタカアマハラが正解らしいです〜知らんかった~😂御歳神社の宮司さんが今日の動画で古事記でそう書かれているって言ってました〜
「が」が入るかどうかって事ですよね、原文は漢文でしょうから「が」は書きようが無かった、と言う事ですかね?「ふ〜〜〜〜ん」でいいんじゃないですか•••
@@kanji-kun1280 そんな感じだと思います。どっちでも大丈夫なんだと思う。
藤原氏の春日大社での富家の縁筋と言う点は富家口伝系譜では天村雲の子の嫡子、天御影(海部氏祖)次男が神八井耳を祖とするのが中臣(藤原)鎌足(藤原氏祖)として居るからでしょうね。末子の沼川耳の子が彦八井耳(多氏祖=意富氏祖)なので皇統系譜の神武皇子の多氏祖の神八井耳は、彦八井耳の方だと解ります。八井耳ネームの語源は出雲族富家と神門家の祖の菅之八耳から来て居ますからね。饒速日と香語山の妻は神門家系出雲族の姫で天村雲と沼川耳は富家出雲族の姫ですからね。
そのような事だったように思いますスッキリ纏めて頂きありがとうございますついでに漢字変換の正確さにも脱帽です私も勉強させて頂きますありがとうございました
00simaya40様御歳神社の本殿が春日大社の第一殿を移築されたものだそうです。お話のように藤原氏や出雲西王家郷戸家との関係も深いと思われ、春日大社の春日若宮おん祭りの時にも祭られている海(天)村雲も実際は強くお祭りされておられる背景があるように想像してしまいます。
阿須伎神社の弥山の社(奥宮でしょうか?)も三歳社ですね。出雲大社の三歳社は高比売命で下照姫という説が強いですが、事代主神、御歳神となれば高照姫ですよね。御歳神はかなり重要でいろいろな神様が集合していっている気がします。色々な視点で楽しかったです。
そうなんですよねあるんですよね、途中に小さいお社が三歳社の様ですね私は弥山に登った事がないので何とも言えませんがどうも葛城の御歳神社さんと高鴨神社さんとここの阿須伎神社さんそして三歳社、相当混同してと言うか融合して繋がっている様ですね面白いです因みに今週末はその、阿須伎神社を中心にタイトルは出雲に戻ってきた味鋤高彦根、で行こうかと思って編集中ですまたよろしくお願いしますコメントありがとうございました
御歳神社が葛城にあるのは、西出雲王家味鋤高彦が建てた高天彦神社と、おそらく大歳彦五十猛の息子村雲が埋葬された場所と思われる白雲岳(奈良県御所市高天)を遥拝した場所なのでしょう。
私もその様な事だろうと思いますあの場所は全てが見渡せる、見渡せると言う事は我らの統治地だと認識していた王宮殿の様な山、聖地でもあっただろうと思いますあの後ろの山そのうち登ってみたいと思っていますコメントありがとうございました
大体そのような事だろうと私も思ってます高天彦神社が味鋤高彦によって建てられたかは、私の考察とは少し違う感じですけどあの場所、素晴らしい所だと思いますコメントありがとうございました
@@kanji-kun1280 様、お話の様に、高天彦神社は、どの本にも味鋤高彦が建てたとは、書かれていないと思います。自分の勝手な妄想なのです。ウィキだと、御祭神は、高皇産霊神(たかみむすびのかみ) - 主神。市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)菅原道真公出雲の口伝に照らしてみると、徐福饒速日のお母さん(高皇産霊神・栲幡千千姫)、奥さん(市杵嶋姫)、孫娘の親戚(孫村雲の后蹈鞴五十鈴姫の父事代主の子孫)なので、徐福の子孫か、出雲東王家の方が建てたのでしょうけど、創建は不詳。金剛山東麓に鎮座し、元々は社殿後背の白雲岳(白雲峰、標高985メートル)を神体山に祀った神社とされる。『新抄格勅符抄』大同元年(806年)牒には「高天彦神 四戸大和国 宝亀十年奉充」として、宝亀10年(779年)に大和国内から充てられた神戸の存在が記されている。と書かれていることから、神戸=神門(西出雲王家神門臣家)の人の可能性もあると妄想しています。イメージ的には、出雲からヤマトに出て来た西出雲王家神門臣家の味鋤高彦がその後物部から出雲側についた徐福の子孫達と協力して大和から四国方面に旅立ったと思っているので、その情景にぴったりなのでは。。という妄想でしたW。
妄想も想像力の賜物ですので、妄想大賛成ですで、どうでしょうか私もその辺り、味鋤高彦の母のタギツ姫、後に饒速日を名乗った徐福の妻になる市杵島姫、突然現れる宗像三姫、その辺りが腑に落ちない所です要するに三姫の母が出て来ないのが何故だろうか?みたいな所です味鋤高彦は息子のタギツ彦が葛城に入ってお父さんを高鴨神社にお祀りすると言う事は既にお父さん(味鋤高彦)は死んでいたのではないでしょうか?どうでしょうか?勿論その時代に神社としての認識も概念も建物も無かったでしょうからどう言う感じでお祀りしたのかはよくわからないですけどいずれにしても、謎だらけで妄想ファイトが湧きますよね頑張りましょう
宗像家のルーツについては、「出雲王国とヤマト政権」の系図表あり。米子宗形社は、北九州宗像三女の内の長女・田心姫と次女・タギツ姫が各々出雲王に嫁ついだ後、最終的に二人が移住したところ。古墳時代に入って宗像から小集団の人々が移住してきて宗像三女神を祀る社を創建したと伝わる。
なるほど、ありましたねアタカタスですね、オミズヌの息子、彼が北九州に行き宗像家を興した、とありますねただ、三姫がアタカタスの娘と受け取れるように書いてはありますが三姫の母が出て来ませんよね、母系家族制であり家の先祖神の祭祀は母から娘に受け継がれる筈なのに、この辺りやや不透明ですよね又、大国主亡き後タギツ姫はアダカヤに住んで没後アダカヤ神社が建てられたとなっていながら、タギツ姫は伯耆国に住みそこに宗形神社が建てられ三姫が祀られている、とも書かれていますよねこの辺もやや交錯しているのかのように見えます検証の余地ありそうですねあと、現実問題として三姫は実際に現在の宗像大社の沖津宮と中津宮に住んでいたとは思えないですよねどうなんでしょうか?
出雲も縄文の文化とか国とは、農耕の重要性知ってて太陽の春、夏、秋と農耕に重要な事知った人々が暮らして神々に磐座など感謝したと思う
でしょうね、やはり春と秋の2回の正月、この歴史は全ての考察において結構重要だと最近思いますね
先生でも、いろいろ出かけて取材しお知らせご苦労様です。道中の安全とか、あると思います。また、坂道転んだりしないようにして下さいね。また新しい神社解説お願いいたします。
年…稲、穀物の実りを意味してもいます。おそらくその語義が忘れられ時間を表すものとされたのでしょう。
歳が実りを意味していた事は聞いた事があります時代と共に変遷していった典型のようなパターンでしょうねコメントありがとうございました
神社で買ってくる神棚に貼る紙には、歳之神と書いてあるのですが、いったい誰なのでしょう?
やはり歳神様、御を付ければ御歳神様、病院で言えば総合病院のような感じなのではないでしょうか?正直、よくわかりませんがです
出雲の口伝だと歳之神とはお正月の歳神さまで、高照姫を祀る葛城御歳神社の社の名は、正月祭りの神・歳神に由来するようです。高照姫の御魂は出雲に里帰りして、動画のように出雲大社の裏の大穴持御子神社に祀られており、その社の通称は三歳社と言い、歳神さんとして正月三日に参拝客で賑わい、参拝客は、福を招くという福柴を受けて帰り、それを家に飾るそうです。大年彦となる前の五十猛は、八千矛王大国主を殺害した火明がシナにさったあと、出雲の五十猛神社の地に住んでおり、八千矛王の息子味鋤高彦の娘大屋姫が実家に戻った高照姫から五十猛の世話を頼まれて、石見国に住み、大きな屋敷を建てて五十猛を引き取り育てた。大屋姫は五十猛にサイノカミ信仰を教え、サイノカミは「正月祭りの神・大年神」でもあったから、五十猛は「大歳神」の信者になり、成長すると、大屋の東に屋敷を建てて移り住み、大年彦と名乗った。そこで住む秦族達もサイノカミの教えに従うようになった。のちにそこには、大年神社が建てられた。秦族達は出雲の人達から嫌われて、そこに住みづらくなったらしく、大年彦は大屋姫と海童たちを連れて船で丹波国に移住し、出雲王家の親族日臣(大伴氏の祖も従ったと言われる。大年彦は出雲や周辺の国々に住む大部分の秦氏丹波国に集め指導者となり香語山と名を改めた。大屋姫はのちに香語山の妃となり、移住先で徐福火明の持ってきた樹木の種を香語山と共に植え、息子の高倉下も、のちに移住先の紀伊国に木を多く植えたので、その地はのちに木の国(紀伊国)と呼ばれた。長くてすみません。歳之神は出雲のサイノカミと同じ神様のようです。
@@nihontaro9様皆さんそうですが、漢字の変換技が凄すぎてただただ脱帽です神様の名前なんか良く覚えてるしスラスラ打てる事私には絶対無理ですので尊敬します
@@kanji-kun1280 様、単なるコピペですよ~。名付親じゃないんですから、長い神さまのお名前なんていちいち覚えてなんていられません♪。でも、日本の神様の長~いお名前って、たぶん、ご先祖様のお名前だろうと思っています。そうすると、自分もそうですが、名前の漢字を間違えられると、いや、そうじゃない。と思ってしまうので、そこのところは、気をつけたいと思っています。でも、寄る年波で、名前がとっさに、出て来ないんですよね~W。
塞の神では?
高照姫は徐福が父・八千矛王を餓死させた事に腹を立て里帰りしたが、宗像ではありません。宗像が里なのは、高照姫の母・タギツ姫です。社稷神はシナ渡来の農業神で、春秋祭日に祀る社日大神という。ウカノミタマ神(稲荷)は農業の中でも、五コク神です。寺にも稲荷社がありますが、本尊がダキニ天です。出雲族は大年神信仰が最初であったが後年になるとシナ渡来神も祀るようになった。
宗像に関しては私も現在謎です、米子の宗形神社の辺りが元々だとも、そこから現在の宗像に三姫を祀った、もちろん出雲族がですが、との説もありますだとしたら、東出雲王家の統括内の事なのかと、私が読んでいる4冊の口伝の本ではまだ探せていないので現在探索中です何か情報が有れば教えて下さいよろしくお願いします
天村雲を祀る唯一の式内社は出雲にもヤマトにもありません。阿波にあります。
私の神社の動画で一言も口にしていない言葉が「ご利益」と「式内社」ですそれらに拘る方には大変申し訳ないですが、私的にはこの二つの言葉に意味も価値も持っていません私の神社に対する眼は元々の元ですけど、その話には時間がかかりますので省略しますが現場です、現場の空気感こそが私は好きなんですので後に被さった物は私には邪魔なだけですかと言って私と違う考えの方を馬鹿にも否定もしませんむしろ尊重しますので、ただ頑張って頂きたいと思いますコメントありがとうございました
天押雲命、別名天村雲命神祇→天津神神格→水、農業父親→天児屋命子供→天種子命関連神社→春日大社{境内若宮}、春日若宮神社、春日神社香取神宮{境内又見神社}、高千穂神社{境内比波里天神}、宗像神社{境内春日若宮}、國懸神宮{境内末社}、伊笠神社、大村神社、など式内社多数関東→1社近畿→20社{内奈良に4社}北陸→1社中部→1社四国→2社{徳島2社}九州→3社関連氏族→中臣氏、藤原氏、卜部氏、等
葛木御歳神社の宮司です。葛木御歳神社を素敵な映像でご紹介頂きありがとうございます。
とんでもございません
映像はさておき無責任で勝手な考察にお気を悪くされて無いでしょうか?
宮司様のTH-camも拝見させて頂き勉強させて頂いておりましたので
もしも目に触れられたにしても許容の範囲であろうと
滲み出る素敵な人間性から勝手にその様に思ってはおりましたが
一抹の心配もありましたので、コメント頂けてホッとしました
宮司様は歴史ある大変な神社の運営を頑張っておられるご様子も
拝見させて頂き、多少私の角度はズレているかも知れませんが
まさに陰ながらですが応援させていただいております
ので、これからも頑張って下さい
コメント頂きありがとうございました
宮司さんお久しぶりで〰す。 最近めちゃくちゃ暑いのでリアルさんも宮司さんも身体に気お付けて下さいね〰
@@kanji-kun1280さん、ご丁寧なお返事、恐縮です。
TH-camは、皆が自由に喋れるのが良いですよね❣️
色々な切り口を楽しませて頂いています。
これからもよろしくお願いいたします😊✋️
@@石井健次-h1nさん、ありがとうございます❤
暑すぎですよね〜❗️
また頑張って古事記を語りますので、よろしくお願いいたします。
@@石井健次-h1nさん
いつもながら楽しくフレンドリーで良い性格ですね
いろいろありがとうございます
暑さもここまで来ると逆に気合が入りますね
山中鹿之介の気分で
「三日月よ我に七難八苦を与えたまえ」
暑さバージョンなら「お日様よ☀️・・・・・」
でしょうか?
お疲れ様です〜 正月の神様大年さんの名を譲ってもらった大年ファンの五十猛君、良く出雲の口伝を見返してみたら五十猛君は、ホヤさんとの間にムラクモ君、そして五十猛君は出雲の大屋姫???でしたっけ??? でッ、高倉下さんでした〜。忘れちまっていました〜😂 ただホヤさんは何処に〰???ですね。この系列に武内宿禰や仁徳大王って続きますね。武内宿禰は富家から姫様貰って臣を使うことが許されて、この辺から物部から出雲の関係者になったようですね。
何だか今日は記紀を元に考察している方々が来られているようで、対応が大変だと思いますが、この回でもリアルさんが言ってるように出雲の旧家の伝承だと言うことはどっかに飛んじゃってるようです〰 最も俺は出雲の旧家の伝承が最も大事だと考えているんで問題ないですけどね~ 因みにコメ欄のウカノミタマって豊国の姫さんでこの人宗像家でしょうね。って事なんで、宗像家は出雲の六代目の大己貴神からの分家で月信仰、このウカノミタマを伊勢に持って行きサルタ彦とくっつけてしまった、まるで物部の祖先をトップにしたかった様に、結局出雲ナンですよね~
御歳神の性格から同一神と考えられる候補をAIで調べると大年(大歳)、ウカノミタマ、大宜都比売命、神大市比売(大歳御祖命)、高照姫、豊受神、歳徳神などたくさん候補が上がりますが、本質が穀物神で女神だろうと感じられます。出雲から伊勢神宮外宮や伏見稲荷神へと強くつながる感じです。
歳とは最初は稲の実りのサイクルの事だったらしく
そこから一年のサイクルを歳と呼ぶ様になったと言われてもいますので
歳🟰稲と解釈される様です
ので、全てが稲作、五穀、水、土、太陽、月、星、につながる様です
更に、社稷神は全てのご先祖の霊をお祀りする事で、国家としてお祀りする神様
となる様です
なかなか奥が深くて面白いですね
コメントありがとうございました
金剛山が出雲の旧家伝承では高天原って事なんですよね。読みがタカアマハラが正解らしいです〜知らんかった~😂御歳神社の宮司さんが今日の動画で古事記でそう書かれているって言ってました〜
「が」が入るかどうかって事ですよね、原文は漢文でしょうから
「が」は書きようが無かった、と言う事ですかね?
「ふ〜〜〜〜ん」でいいんじゃないですか•••
@@kanji-kun1280 そんな感じだと思います。どっちでも大丈夫なんだと思う。
藤原氏の春日大社での富家の縁筋と言う点は
富家口伝系譜では
天村雲の子の嫡子、天御影(海部氏祖)
次男が神八井耳を祖とするのが中臣(藤原)鎌足(藤原氏祖)として居るからでしょうね。
末子の沼川耳の子が彦八井耳(多氏祖=意富氏祖)なので
皇統系譜の神武皇子の多氏祖の神八井耳は、彦八井耳の方だと解ります。
八井耳ネームの語源は出雲族富家と神門家の祖の菅之八耳から来て居ますからね。
饒速日と香語山の妻は神門家系出雲族の姫で天村雲と沼川耳は富家出雲族の姫ですからね。
そのような事だったように思います
スッキリ纏めて頂きありがとうございます
ついでに漢字変換の正確さにも脱帽です
私も勉強させて頂きます
ありがとうございました
00simaya40様
御歳神社の本殿が春日大社の第一殿を移築されたものだそうです。お話のように藤原氏や出雲西王家郷戸家との関係も深いと思われ、春日大社の春日若宮おん祭りの時にも祭られている海(天)村雲も実際は強くお祭りされておられる背景があるように想像してしまいます。
阿須伎神社の弥山の社(奥宮でしょうか?)も三歳社ですね。
出雲大社の三歳社は高比売命で下照姫という説が強いですが、
事代主神、御歳神となれば高照姫ですよね。
御歳神はかなり重要でいろいろな神様が集合していっている気がします。
色々な視点で楽しかったです。
そうなんですよね
あるんですよね、途中に小さいお社が
三歳社の様ですね
私は弥山に登った事がないので何とも言えませんが
どうも葛城の御歳神社さんと高鴨神社さんとここの阿須伎神社さん
そして三歳社、相当混同してと言うか融合して繋がっている様ですね
面白いです
因みに今週末はその、阿須伎神社を中心にタイトルは
出雲に戻ってきた味鋤高彦根、で行こうかと思って
編集中です
またよろしくお願いします
コメントありがとうございました
御歳神社が葛城にあるのは、西出雲王家味鋤高彦が建てた高天彦神社と、おそらく大歳彦五十猛の息子村雲が埋葬された場所と思われる白雲岳(奈良県御所市高天)を遥拝した場所なのでしょう。
私もその様な事だろうと思います
あの場所は全てが見渡せる、見渡せると言う事は我らの統治地だと
認識していた
王宮殿の様な山、聖地でもあっただろうと思います
あの後ろの山そのうち登ってみたいと思っています
コメントありがとうございました
大体そのような事だろうと私も思ってます
高天彦神社が味鋤高彦によって建てられたかは、私の考察とは少し違う感じですけど
あの場所、素晴らしい所だと思います
コメントありがとうございました
@@kanji-kun1280 様、
お話の様に、高天彦神社は、どの本にも味鋤高彦が建てたとは、書かれていないと思います。自分の勝手な妄想なのです。
ウィキだと、御祭神は、高皇産霊神(たかみむすびのかみ) - 主神。
市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)
菅原道真公
出雲の口伝に照らしてみると、徐福饒速日のお母さん(高皇産霊神・栲幡千千姫)、奥さん(市杵嶋姫)、孫娘の親戚(孫村雲の后蹈鞴五十鈴姫の父事代主の子孫)なので、徐福の子孫か、出雲東王家の方が建てたのでしょうけど、
創建は不詳。金剛山東麓に鎮座し、元々は社殿後背の白雲岳(白雲峰、標高985メートル)を神体山に祀った神社とされる。
『新抄格勅符抄』大同元年(806年)牒には「高天彦神 四戸大和国 宝亀十年奉充」として、宝亀10年(779年)に大和国内から充てられた神戸の存在が記されている。と書かれていることから、
神戸=神門(西出雲王家神門臣家)の人の可能性もあると妄想しています。イメージ的には、出雲からヤマトに出て来た西出雲王家神門臣家の味鋤高彦がその後物部から出雲側についた徐福の子孫達と協力して大和から四国方面に旅立ったと思っているので、
その情景にぴったりなのでは。。という妄想でしたW。
妄想も想像力の賜物ですので、妄想大賛成です
で、どうでしょうか私もその辺り、味鋤高彦の母のタギツ姫、後に饒速日を名乗った徐福の妻になる
市杵島姫、突然現れる宗像三姫、その辺りが腑に落ちない所です
要するに三姫の母が出て来ないのが何故だろうか?
みたいな所です
味鋤高彦は息子のタギツ彦が葛城に入ってお父さんを高鴨神社にお祀りすると言う事は
既にお父さん(味鋤高彦)は死んでいたのではないでしょうか?
どうでしょうか?
勿論その時代に神社としての認識も概念も建物も無かったでしょうから
どう言う感じでお祀りしたのかはよくわからないですけど
いずれにしても、謎だらけで妄想ファイトが湧きますよね
頑張りましょう
宗像家のルーツについては、「出雲王国とヤマト政権」の系図表あり。米子宗形社は、北九州宗像三女の内の長女・田心姫と次女・タギツ姫が各々出雲王に嫁ついだ後、最終的に二人が移住したところ。古墳時代に入って宗像から小集団の人々が移住してきて宗像三女神を祀る社を創建したと伝わる。
なるほど、ありましたね
アタカタスですね、オミズヌの息子、彼が北九州に行き
宗像家を興した、とありますね
ただ、三姫がアタカタスの娘と受け取れるように書いてはありますが
三姫の母が出て来ませんよね、母系家族制であり家の先祖神の祭祀は
母から娘に受け継がれる筈なのに、この辺りやや不透明ですよね
又、大国主亡き後タギツ姫はアダカヤに住んで没後アダカヤ神社が建てられた
となっていながら、タギツ姫は伯耆国に住みそこに宗形神社が建てられ
三姫が祀られている、とも書かれていますよね
この辺もやや交錯しているのかのように見えます
検証の余地ありそうですね
あと、現実問題として三姫は実際に現在の宗像大社の沖津宮と中津宮に
住んでいたとは思えないですよね
どうなんでしょうか?
出雲も縄文の文化とか国とは、農耕の重要性知ってて太陽の春、夏、秋と農耕に重要な事知った人々が暮らして神々に磐座など感謝したと思う
でしょうね、やはり春と秋の2回の正月、この歴史は全ての考察において結構
重要だと最近思いますね
先生でも、いろいろ出かけて取材しお知らせご苦労様です。道中の安全とか、あると思います。また、坂道転んだりしないようにして下さいね。また新しい神社解説お願いいたします。
年…稲、穀物の実りを意味してもいます。
おそらくその語義が忘れられ時間を表すものとされたのでしょう。
歳が実りを意味していた事は聞いた事があります
時代と共に変遷していった典型のようなパターンでしょうね
コメントありがとうございました
神社で買ってくる神棚に貼る紙には、歳之神と書いてあるのですが、いったい誰なのでしょう?
やはり歳神様、御を付ければ御歳神様、病院で言えば総合病院
のような感じなのではないでしょうか?
正直、よくわかりませんがです
出雲の口伝だと歳之神とはお正月の歳神さまで、高照姫を祀る葛城御歳神社の社の名は、正月祭りの神・歳神に由来するようです。高照姫の御魂は出雲に里帰りして、動画のように出雲大社の裏の大穴持御子神社に祀られており、その社の通称は三歳社と言い、歳神さんとして正月三日に参拝客で賑わい、参拝客は、福を招くという福柴を受けて帰り、それを家に飾るそうです。大年彦となる前の五十猛は、八千矛王大国主を殺害した火明がシナにさったあと、出雲の五十猛神社の地に住んでおり、八千矛王の息子味鋤高彦の娘大屋姫が実家に戻った高照姫から五十猛の世話を頼まれて、石見国に住み、大きな屋敷を建てて五十猛を引き取り育てた。大屋姫は五十猛にサイノカミ信仰を教え、サイノカミは「正月祭りの神・大年神」でもあったから、五十猛は「大歳神」の信者になり、成長すると、大屋の東に屋敷を建てて移り住み、大年彦と名乗った。そこで住む秦族達もサイノカミの教えに従うようになった。のちにそこには、大年神社が建てられた。秦族達は出雲の人達から嫌われて、そこに住みづらくなったらしく、大年彦は大屋姫と海童たちを連れて船で丹波国に移住し、出雲王家の親族日臣(大伴氏の祖も従ったと言われる。大年彦は出雲や周辺の国々に住む大部分の秦氏丹波国に集め指導者となり香語山と名を改めた。大屋姫はのちに香語山の妃となり、移住先で徐福火明の持ってきた樹木の種を香語山と共に植え、息子の高倉下も、のちに移住先の紀伊国に木を多く植えたので、その地はのちに木の国(紀伊国)と呼ばれた。長くてすみません。歳之神は出雲のサイノカミと同じ神様のようです。
@@nihontaro9様
皆さんそうですが、漢字の変換技が凄すぎてただただ脱帽です
神様の名前なんか良く覚えてるしスラスラ打てる事
私には絶対無理ですので尊敬します
@@kanji-kun1280 様、
単なるコピペですよ~。名付親じゃないんですから、長い神さまのお名前なんていちいち覚えてなんていられません♪。
でも、日本の神様の長~いお名前って、たぶん、ご先祖様のお名前だろうと思っています。
そうすると、自分もそうですが、名前の漢字を間違えられると、いや、そうじゃない。と思ってしまうので、
そこのところは、気をつけたいと思っています。
でも、寄る年波で、名前がとっさに、出て来ないんですよね~W。
塞の神では?
高照姫は徐福が父・八千矛王を餓死させた事に腹を立て里帰りしたが、宗像ではありません。宗像が里なのは、高照姫の母・タギツ姫です。社稷神はシナ渡来の農業神で、春秋祭日に祀る社日大神という。ウカノミタマ神(稲荷)は農業の中でも、五コク神です。寺にも稲荷社がありますが、本尊がダキニ天です。出雲族は大年神信仰が最初であったが後年になるとシナ渡来神も祀るようになった。
宗像に関しては私も現在謎です、米子の宗形神社の辺りが元々だとも、
そこから現在の宗像に三姫を祀った、もちろん出雲族がですが、
との説もあります
だとしたら、東出雲王家の統括内の事なのかと、
私が読んでいる4冊の口伝の本ではまだ探せていないので
現在探索中です
何か情報が有れば教えて下さい
よろしくお願いします
天村雲を祀る唯一の式内社は出雲にもヤマトにもありません。阿波にあります。
私の神社の動画で一言も口にしていない言葉が「ご利益」と「式内社」です
それらに拘る方には大変申し訳ないですが、私的にはこの二つの言葉に意味も価値も
持っていません
私の神社に対する眼は元々の元ですけど、その話には時間がかかりますので省略しますが
現場です、現場の空気感こそが私は好きなんです
ので後に被さった物は私には邪魔なだけです
かと言って私と違う考えの方を馬鹿にも否定もしません
むしろ尊重しますので、ただ頑張って頂きたいと思います
コメントありがとうございました
天押雲命、別名天村雲命
神祇→天津神
神格→水、農業
父親→天児屋命
子供→天種子命
関連神社→春日大社{境内若宮}、春日若宮神社、春日神社
香取神宮{境内又見神社}、高千穂神社{境内比波里天神}、宗像神社{境内春日若宮}、國懸神宮{境内末社}、
伊笠神社、大村神社、など式内社多数
関東→1社
近畿→20社{内奈良に4社}
北陸→1社
中部→1社
四国→2社{徳島2社}
九州→3社
関連氏族→中臣氏、藤原氏、卜部氏、等