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最初に学生時代に 聞いた頃から? でした。 "毎年 耕して作物を収穫してる 耕作地から 古代の遺物が 発見される?!" 常識的に考えられない😅。 もし「古い手付かずの 地層を発掘していて 発見されたなら」 本物の可能性が…有るかも!?」シレマセンね。
貴重な歴史の真実を見極めるための重要な田中先生の発信に感謝します。日本が貶められているのにも関わらず金印を信じ卑弥呼を信じる。愚かな歴史学者。田中先生の発信で覚醒することを願うばかりです。
@@Desla.T 私は本当にそう思います。
事実はわかりませんが、偽物と言うからには理屈ではなく、科学的検証結果も必要ですね。
ご高名な先生で恐縮ですが、金印の論調に関しては、私はどちらかというと古田武彦先生よりの考え方のものです。「滇王之印」・「廣陵王璽」は、先生の友人「金石学」の研究者・鈴木勉氏の調査では、『志賀島の金印は「浚い彫り」という中国伝統の彫りなのに、中国のこの二つは「線彫り」と、別の技法が使われていることが判明したので志賀島のほうが偽モノ』だったのですが、2005年、九州国立博物館がこの2つの中国の金印を蛍光X線分析をしたが、中国側は分析結果の公開を拒否。このことより研究者の間では金の比率が異なることかがわかったから隠していると囁かれたのです。そう、中国の2つの金印が偽物で、日本の金印はニセモノと断定できないと言うことになります。 古田説では、福岡県糸島・平原遺跡そばの神社の神宝(細石神社)を南冥の学生が盗み出し豪商・米屋に売りさばこうとしたことから始まる那珂郡役所奉行・津田源次郎の3人を巻き込んでつくった犯罪説。にんべんがないのに倭(ワ)と読むのが普通なら「イト」と読んでもOKでは…。今後の展開が楽しみです。ありがとうございました。
中国側が蛍光X線分析の結果を公表しないのが大いに気になります。
漢の時代は、「奴」の字は「な」とか「ぬ」と発音し、「ど」とか「と」とは読まないそうです。人偏がないのは倭人は「人にあらず」と言いたいのでは。
それらのことは漢字の解釈学のネックとしてよく知っています。私見として言いました。聞き流してください。
@@kotakamituna5636奴には奴隷とか連中という意味が有るから人間扱いしないなら奴も使わないでしょう
教えてください。全くの素人です。読みは、漢奴国王に委ねるとはならないのでしょうか? 奴を「と」としたり、委を「わ」と読むのが不思議に思うのですが。
これは科学鑑定できるんじゃないですか? 金にレーザー当てれば同位体比や混合物比で鋳造地や製造技術がわかるでしょうし木製のものにニカワでくっつけてあれば炭素の同位体比でその木の生きてた時代がわかるでしょう
数年前にこちらの動画を真剣に作りましたのでご参考になれば幸いです。th-cam.com/video/EIjeQOD8B90/w-d-xo.html要約すれば、印章学の観点から、唐代以前の印章は印泥(朱肉)につけて紙に捺すのではなく、封泥(粘土)に捺すために作られていましたこと、また、文字学の観点から、「奴」の「又」の作り方が、《説文解字》の小篆にあるようではなく、実際には点が一つ多い形であるなど、金印が世に出たときに知りえない事実が、金印が偽作されたとしたら、現物の金印にあることは、どうして知りえたかというテーゼを提示いたしました。その他にも数点の要点を提案いたしました。
大海から5センチ角?の金印が偶然見つかるのは0.00何パーセントの偶然なのでしょうか?
台北の美術品は東京博物館で見ましたが、感動は無かったですけど、箱物の内部をどのような技術で彫刻、彫り込んだのか??
発見の経緯が不自然だとは思ってました。中国の常識では「玉」の方が格上というのも納得しました。国宝になった経緯が問題ですね。
中国的天子可以用顶级的玉石来做印,倭寇的王不配,所以给金印很合理。
素材とか形式とか「レプリカ」ならぎりぎり理解でしますが、どうやったら偽造できるかがちょっと???
何故江戸時代に当時の清国にも日本にも情報のない封泥印を作ったのを教えてください。
レプリカなら尚更、つまみ部分はきちんとなんらかの動物に出来てなきゃおかしいと思うが...そこの解釈はどうなんですか?
ニセモノ、危険な学者を我々庶民は選別できないのがきついです。時間もありません。
この方は論理的考えができないようです。まず江戸時代に偽物を作ろうと思えば、寸法やデザインなどを指示役から聞く必要があります。中国の金印が雲南省で発見されたのが1956年と聞いています。そして日本の金印が国(通産省)により鑑定されたのも昭和です。両方の金印は寸法・つまみのデザイン(蛇)・金の含有率も全く同じです。近代にならないと金の含有率など分かりません。どうやって同じ物を作れるのでしょうか? しかも当時では難しい含有率95(23金)です。作る意味が全く有りません。 おそらく畿内説者の妨害行為か売名行為と思われます。少しは調べて話しましょう。
ただ、その当時の人物にそれだけの「金」を手に入れるルートがあり、加工させれるだけの財力があり、それを捏造するメリットがある人物がいたのかってはなしだとおもいます。その議論を飛ばして「捏造」だというのはむりがあるかなと。今と違って、江戸時代に小さいとはいえ、金を手に入れるルートがないんです。
この金印が見事な「封泥印」としての特徴と機能を持つことは専門家も認める事実。「封泥印」は戦国時代から始まり、秦漢時代に最も流行した。 魏晋南北朝時代から紙が普及すると使用は廃された。その後本家中国でも「封泥印」は忘れられていたが、清代の1822年に四川で初めて「封泥」が発見され、呉栄光がこの「封泥」のことを書物に初めて収録し、公開されたのは1842年。この金印発見は1784年。彫り方云々というより、この金印の彫りこそが「封泥印」としてふさわしいもので、1822年以前に発見された古代印章で、「封泥印」の特徴を持たない印章こそ偽物であろう。
金印偽物説は江戸時代からある。ただ、偽造が中国で行われたという意見には、なるほどなと思った。この金印はほぼ純金で、当時の元文小判は金65%。なので小判を溶かして材料にすると、精錬作業が必要となり、福岡の城下でそんなことやると怪しまれそうな気がしていた。輸入品という解釈はその問題を解決できる。
卑弥呼と いう方は本当は天皇にお仕えする女官だった方らしいとお聴きしましたが
その時代に天皇という称号があったのでしょうか?
私も偽造だと思っています。
本物とも偽物ともわからない...現時点では偽物である可能性が高い個人的に邪馬台国でしたっけ?卑弥呼とやらの墓が見つかったら本物認定します。
偽造するにも本物見ないとね〜、、この夜郎じゃなかった滇だった。
純度95%の金ってくすむの?
汚れるのではないですか。布で拭けば簡単に輝くでしょう。
金印のモデルが幻想生物の可能性は無いでしょうか?
Koこんにちは。
失礼ながら😂ですねぇ‼️
発見場所が嘘くさい。正倉院じゃないわけですね。
残された文字からではなく絵から探る古代以前の実態。衝撃的です。
お里が知れるな。
学者って皆同じだね 自分だけが正しい 私に言わせれば・・・・
志賀島で発見された金印は偽物ではありません。 この金印の持ち主は、第3代安寧天皇の皇子の常根津日子命です。 この金印には明瞭に常根津日子命と刻印されています。 常根津日子命は糸島の一貴山銚子塚古墳に葬られました。
農民が発見することがおかしいことですか?天草四郎の金の十字架を発見したのも農民です。
偽物の理由に説得力がなかった。
福岡博物館は身もふたもないな。
では、57年に光武帝から賜った「本物の金印」は今どこに? 「これが本物である」と言う「現物」を持ってきてください。最初から贋作であるとの結論ありきの論説!文部科学省への挑戦なら堂々と抗議に行かれてはいかがでしょうか?
農民が岩の下に光り輝く金印を発見したと言うこと自体誰が考えてもおかしい。そもそも、当時の者がわざわざ大事な金印「のみ」を岩の下になぜ置いたのか? 当然の疑問に何も答えることも出来ず、言い張る姿は詐欺師よりもタチが悪い。
最初に学生時代に 聞いた頃から? でした。 "毎年 耕して作物を収穫してる 耕作地から 古代の遺物が 発見される?!" 常識的に考えられない😅。 もし「古い手付かずの 地層を発掘していて 発見されたなら」 本物の可能性が…有るかも!?」シレマセンね。
貴重な歴史の真実を見極めるための重要な田中先生の発信に感謝します。日本が貶められているのにも関わらず金印を信じ卑弥呼を信じる。愚かな歴史学者。田中先生の発信で覚醒することを願うばかりです。
@@Desla.T 私は本当にそう思います。
事実はわかりませんが、偽物と言うからには理屈ではなく、科学的検証結果も必要ですね。
ご高名な先生で恐縮ですが、金印の論調に関しては、私はどちらかというと古田武彦先生よりの考え方のものです。「滇王之印」・「廣陵王璽」は、先生の友人「金石学」の研究者・鈴木勉氏の調査では、『志賀島の金印は「浚い彫り」という中国伝統の彫りなのに、中国のこの二つは「線彫り」と、別の技法が使われていることが判明したので志賀島のほうが偽モノ』だったのですが、2005年、九州国立博物館がこの2つの中国の金印を蛍光X線分析をしたが、中国側は分析結果の公開を拒否。このことより研究者の間では金の比率が異なることかがわかったから隠していると囁かれたのです。そう、中国の2つの金印が偽物で、日本の金印はニセモノと断定できないと言うことになります。 古田説では、福岡県糸島・平原遺跡そばの神社の神宝(細石神社)を南冥の学生が盗み出し豪商・米屋に売りさばこうとしたことから始まる那珂郡役所奉行・津田源次郎の3人を巻き込んでつくった犯罪説。にんべんがないのに倭(ワ)と読むのが普通なら「イト」と読んでもOKでは…。今後の展開が楽しみです。ありがとうございました。
中国側が蛍光X線分析の結果を公表しないのが大いに気になります。
漢の時代は、「奴」の字は「な」とか「ぬ」と発音し、「ど」とか「と」とは読まないそうです。人偏がないのは倭人は「人にあらず」と言いたいのでは。
それらのことは漢字の解釈学のネックとしてよく知っています。私見として言いました。聞き流してください。
@@kotakamituna5636
奴には奴隷とか連中という意味が有るから人間扱いしないなら奴も使わないでしょう
教えてください。全くの素人です。読みは、漢奴国王に委ねるとはならないのでしょうか? 奴を「と」としたり、委を「わ」と読むのが不思議に思うのですが。
これは科学鑑定できるんじゃないですか?
金にレーザー当てれば同位体比や混合物比で鋳造地や製造技術がわかるでしょうし
木製のものにニカワでくっつけてあれば炭素の同位体比でその木の生きてた時代が
わかるでしょう
数年前にこちらの動画を真剣に作りましたのでご参考になれば幸いです。th-cam.com/video/EIjeQOD8B90/w-d-xo.html
要約すれば、印章学の観点から、唐代以前の印章は印泥(朱肉)につけて紙に捺すのではなく、封泥(粘土)に捺すために作られていましたこと、また、文字学の観点から、「奴」の「又」の作り方が、《説文解字》の小篆にあるようではなく、実際には点が一つ多い形であるなど、金印が世に出たときに知りえない事実が、金印が偽作されたとしたら、現物の金印にあることは、どうして知りえたかというテーゼを提示いたしました。その他にも数点の要点を提案いたしました。
大海から5センチ角?の金印が偶然見つかるのは0.00何パーセントの偶然なのでしょうか?
台北の美術品は東京博物館で見ましたが、感動は無かったですけど、箱物の内部をどのような技術で彫刻、彫り込んだのか??
発見の経緯が不自然だとは思ってました。中国の常識では「玉」の方が格上というのも納得しました。国宝になった経緯が問題ですね。
中国的天子可以用顶级的玉石来做印,倭寇的王不配,所以给金印很合理。
素材とか形式とか「レプリカ」ならぎりぎり理解でしますが、どうやったら偽造できるかがちょっと???
何故江戸時代に当時の清国にも日本にも情報のない封泥印を作ったのを教えてください。
レプリカなら尚更、つまみ部分はきちんとなんらかの動物に出来てなきゃおかしいと思うが...
そこの解釈はどうなんですか?
ニセモノ、危険な学者を我々庶民は選別できないのがきついです。時間もありません。
この方は論理的考えができないようです。まず江戸時代に偽物を作ろうと思えば、寸法やデザインなどを指示役から聞く必要があります。中国の金印が雲南省で発見されたのが
1956年と聞いています。そして日本の金印が国(通産省)により鑑定されたのも昭和です。両方の金印は寸法・つまみのデザイン(蛇)・金の含有率も全く同じです。
近代にならないと金の含有率など分かりません。どうやって同じ物を作れるのでしょうか? しかも当時では難しい含有率95(23金)です。作る意味が全く有りません。
おそらく畿内説者の妨害行為か売名行為と思われます。少しは調べて話しましょう。
ただ、その当時の人物にそれだけの「金」を手に入れるルートがあり、加工させれるだけの財力があり、それを捏造するメリットがある人物がいたのかってはなしだとおもいます。その議論を飛ばして「捏造」だというのはむりがあるかなと。今と違って、江戸時代に小さいとはいえ、金を手に入れるルートがないんです。
この金印が見事な「封泥印」としての特徴と機能を持つことは専門家も認める事実。
「封泥印」は戦国時代から始まり、秦漢時代に最も流行した。
魏晋南北朝時代から紙が普及すると使用は廃された。
その後本家中国でも「封泥印」は忘れられていたが、
清代の1822年に四川で初めて「封泥」が発見され、呉栄光がこの
「封泥」のことを書物に初めて収録し、公開されたのは1842年。
この金印発見は1784年。
彫り方云々というより、この金印の彫りこそが「封泥印」としてふさわしいもので、
1822年以前に発見された古代印章で、「封泥印」の特徴を持たない印章こそ
偽物であろう。
金印偽物説は江戸時代からある。ただ、偽造が中国で行われたという意見には、なるほどなと思った。
この金印はほぼ純金で、当時の元文小判は金65%。なので小判を溶かして材料にすると、精錬作業が必要となり、福岡の城下でそんなことやると怪しまれそうな気がしていた。輸入品という解釈はその問題を解決できる。
卑弥呼と いう方は本当は天皇にお仕えする女官だった方らしいとお聴きしましたが
その時代に天皇という称号があったのでしょうか?
私も偽造だと思っています。
本物とも偽物ともわからない...現時点では偽物である可能性が高い
個人的に邪馬台国でしたっけ?卑弥呼とやらの墓が見つかったら本物認定します。
偽造するにも本物見ないとね〜、、この夜郎じゃなかった滇だった。
純度95%の金ってくすむの?
汚れるのではないですか。布で拭けば簡単に輝くでしょう。
金印のモデルが幻想生物の可能性は無いでしょうか?
Koこんにちは。
失礼ながら😂ですねぇ‼️
発見場所が嘘くさい。正倉院じゃないわけですね。
残された文字からではなく絵から探る古代以前の実態。衝撃的です。
お里が知れるな。
学者って皆同じだね 自分だけが正しい 私に言わせれば・・・・
志賀島で発見された金印は偽物ではありません。
この金印の持ち主は、第3代安寧天皇の皇子の常根津日子命です。
この金印には明瞭に常根津日子命と刻印されています。
常根津日子命は糸島の一貴山銚子塚古墳に葬られました。
農民が発見することがおかしいことですか?天草四郎の金の十字架を発見したのも農民です。
偽物の理由に説得力がなかった。
福岡博物館は身もふたもないな。
では、57年に光武帝から賜った「本物の金印」は今どこに? 「これが本物である」と言う「現物」を持ってきてください。
最初から贋作であるとの結論ありきの論説!文部科学省への挑戦なら堂々と抗議に行かれてはいかがでしょうか?
農民が岩の下に光り輝く金印を発見したと言うこと自体誰が考えてもおかしい。そもそも、当時の者がわざわざ大事な金印「のみ」を岩の下になぜ置いたのか? 当然の疑問に何も答えることも出来ず、言い張る姿は詐欺師よりもタチが悪い。