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今回の特集で名前を挙げた人物たちの偉人伝は今後、順次アップしていく予定です。慶喜公の生涯ダイジェストのピックアップ項目は、簡潔にするため、詳しい出来事は省いております。どうぞよろしくお願いいたします。慶喜公享年77歳と表示されていますが享年76歳です。
青天を衝けどうかなとおもったのですが面白くてはまってしまいました。明治維新のころはあまり好きじゃなかったけど先の西郷ドンからの流れで面白いです。円四郎が殺られた時うるっときました
歴史の新しい学び方価値観を教えてくれてありがとうございます♪もしも、自分が為政者だったら?もっと沢山のことを学び妄想し語り合いたいと思いました。私が徳川慶喜公だったら、大政奉還出来なかったかもしれません。未来を見越す力!大事ですね!起こることに偶然はない!ワクワク様です。輝光🌟
今のように、情報網が発達していたり、移動手段がある、時代と違って日本国中を掌握して、治めて、祭り政をするのは、本当に大変だったと思いマス。
歴史はどうしても勝った側から語られがちなので、慶喜の行動があまり理解できなかったのですが、なるほど、そういう背景があったのか!と腑に落ちました。それにしても大正時代まで生きておられたとは…私の祖母は大正3年生まれで104歳まで生きました。歴史はずっと昔の事として今の自分と切り離して考えていましたが、何世代か前の自分のご先祖様は必ずその時代を生きていた訳で、そんな当たり前の事をしみじみと感じさせられました。
コメントありがとうございます。おっしゃる通りで、歴史は勝利者の目線で語られます。これは世界的に共通ですね^^;;。戦後の日本も同じですが(汗)。大正生まれで104歳までですか!それはすごいことです。まさに第二期となる時代変化(大正ロマン)に生きたんですね。明治幕末は今の僕らからそんなに遠い時代でもなく、曽祖父、高祖父などが生きた時代ですね。先祖が生きていたと思うと、身近に感じます(^^)ちなみに、幕末から昭和まで生き抜き、事実上、最後の大名という人がおります。1848年生まれ(嘉永元年)、そして1941年(昭和16年)まで生きた大名、林忠孝(はやしただたか)です。昭和というと、僕は昭和生まれですから、さらに身近に感じました。この人物もいずれ特集したいと思います。歴史は現代に繋がる先人たち物語ですね。
@@niikurajuku 昭和16年は真珠湾攻撃がありましたよね?幕末から真珠湾攻撃まで、文字通り激動の時代を生きた大名なんですね。しかし私達もすでに昭和、平成、令和を生きてるから、令和生まれから見たらずいぶん昔の人なんでしょうね、きっと。(TETSUROさんはまだお若いのに一緒にしてすみません!)
そうですね昭和16年12月7日、大東亜戦争による真珠湾攻撃とマレー半島上陸作戦がありました。幕末からそこまで生きていたというもの凄いことです。おっしゃる通り、令和という年号でみると、昭和生まれって古い時代に感じますね^^;;昭和初期、中期の世代が戦後日本を支え、GDP世界一にもなりました。それが最近では学力も下降の一方。昭和後期生まれの僕らがもう一度頑張っていこうと思います。今後もよろしくお願いします^^
草彅剛さんの慶喜が大好きなので気になって観てみたらめちゃくちゃわかりやすくて面白かったです。ありがとうございます!
コメントを頂きありがとうございます。お役に立てて何よりです。こちらこそ、動画をご覧頂きありがとうございます^^
いや〜面白かったですやはり歴史は面白!晴天をつけの草彅剛さん演じる徳川慶喜益々見応えがあります
凄く分かりやすい。夜寝る前、最後の将軍の小説を読んではいるのですが、難しくて10ページくらいしか進めませんでしたが、今晩からは楽しみです。説明がうまいし聞きやすい。ありがとうございました。また何回も見ます。
コメントありがとうございます。小説も読まれているとは勉強熱心ですね!!素晴らしいと思います(^^)。確かに、小説では読めない言葉、意味がよくわからない言葉がでてきますよね。この動画が補助として役に立てば嬉しい限りです。慶喜公、そして青天を衝けも含め、歴史など一緒に楽しみましょう!!(^^)
山岡荘八の徳川慶喜、いろいろな資料を基に書かれた素晴らしい6巻です、こちらも読んでみてください荘八は、徳川草創期の徳川家康を描き、最後の将軍徳川慶喜を描いた、素晴らしい作品です私はもう6回も読みました、最後に明治天皇から招かれ、公爵となり、子供達も爵位を授かり、皇室へ嫁ぐなど、慶喜の日本国維持に尽くした苦労の果てに、水戸勤王精神が評価され報われた生涯でした。
僕が徳川慶喜公と武田勝頼公が一番大好き💓♥️❤️です。🎵
無血開城を成した最後の将軍徳川慶喜公が当時どのような局面の中にいたか分かりました。その生涯がダイジェストで知ることが出来しかも大いに楽しみました。趣味に没頭した理由は先生の推測のほかに、余生を楽しみ命を長らえる為であったことも含まれるように思います。先生の解説が私たち聴く者の心の壺にはまるので楽しく学んでいます。有難うございます。楽しみにしております。
コメントありがとうございます。慶喜公は、最も困難である状況で将軍職を継ぎましたね。たくさんの苦悩があったと思います。おっしゃる通り、趣味に没頭したからこそ、長生きしたのでしょうね!!これも大事な教訓ですね。いつもありがとうございます(^^)
本を読むだけでは分かりにくかった部分が解説して貰って納得しました❗メチャメチャ分かりやすいです😃しかもサクサク進むので 退屈しません👍 つよぽんファンで慶喜を知るために動画見せてもらいました 慶喜の人生裏話とかもっと聞きたいです🎶 関わる他の人物にも興味持てました 有難うございます😃💕
コメントありがとうございます(^^)長い動画をしっかり見て頂き感謝します。慶喜公の隠居後の話はいろいろありますね!とにかく、好奇心旺盛な人物でした。慶喜公に関しては第2弾の動画もアップしていますので、お時間のある時にご覧ください(^^)徳川慶喜:第2弾「大阪城からの撤退」th-cam.com/video/FAA_NMvYoF0/w-d-xo.html
とっても分かりやすかったです。ありがとうございました。
慶喜素敵🥰綺麗です🤩2月14日が、待ち遠しいです😀毎週!1年間見れるね😍💞🐾
コメントありがとうございます。そうですね!!今から楽しみです^^
Yoshinobu, lovely! 💞
狙って行った公武合体では皇族の血筋を徳川宗家に残せなかったのに、やむを得ず将軍になった慶喜は皇族の息子だったというところに時代の皮肉を感じます・・・。
勉強になりました。
2:53大河ドラマ徳川慶喜(1998年)であったかもしれませんが、慶喜公にとってはすさまじい、重圧感だったと思います。並の人間では絶対にこの重圧はおかしくなると思いますよ。
コメントありがとうございます。そうですよね、半端じゃない重圧だったと想像できます。慶喜公を研究すればするほど、聡明な人物であるという事実が見えてきます。
@@niikurajuku さん ですよね?俺は、その小6で見た、大河ドラマ徳川慶喜を見て、慶喜公はヘタレじゃないというイメージがついていたもので。逆に、この動画見ている感じでは、意外と薩摩藩の方、えげつない感じに見えるような。
そうですね、薩摩藩内でも倒幕派と倒幕反対派で意見は分かれていましたが、西郷隆盛はあくまでも倒幕にこだわりましたね。8月18日の政変、禁門の変、薩長同盟など薩摩藩の影の実態を知るとなかなかドラマとは違う史実が見えます。暗殺も多数あり、すべて歴史から消し去っています。ここあたりはいずれメンバーシップなどで解説したいと思います(^^)
何かの本で慶喜公は、フランス🇫🇷の本を沢山読んでいたそうです。そんな慶喜公は、時代の流れには勝てない事を知てたのかも?
面白かったです!評価するのでなく自分ならどうするか考えながら学ぶとより楽しめる気がします。チャンネル登録しました!
チャンネル登録ありがとうございます。すごく励みになります。歴史は自分事に置き換えて考えることで、先人たちの知恵を活かすことになります。これを論語では「故きを温ねて新しきを知る、以て師となるべし」つまり「温故知新」ですね(^^)チャンネル登録ありがとうございます。今後も頑張ります。
はじめましてとってもわかりやすく、理解しやすいです幕末、戦国興味があります登録しました今後も拝聴します
コメントありがとうございます。今後も偉人伝シリーズは製作していきます(^^)「偉人伝再生リスト」th-cam.com/play/PLboXjiFekB6yDpK3pe7x_nfJmXEJXwem4.html
徳川慶喜~この人は昔ほどでは無いけれど好きにはなれませんが、、、明治になってから新選組永倉新八や松本良順らにより近藤、土方の碑が板橋に建てられる時 キゴウ(漢字が見つかりませんので)を慶喜に頼みに行った時のエピソード~その時慶喜公は、近藤、土方と呟きハラハラと涙を流し何度も催促するもただ涙を長すぎのみだったそうです~幕臣でもない彼らが最後まで徳川に殉じてくれたことに対する想いだったのか~と書き残したとか、、、それを知ったとき彼なりに色々な思いに葛藤しながらつましく生きて来られたのかと私なりにじーんときました、大変新しいものが好きで頭の良い人でしたから平和な世なら名君として歴史に名を残したんでしょうね、結局キゴウは松平容保公に書いて頂いたそうです🤗
とてもわかり易く自分だったら?との考えは深くその時代を考えさせられます😟これからも学ばせてください。有難うございます😀
ありがとうございます(^^)
動画面白かったです。源慶喜とはどういうことですか?
コメントを頂きありがとうございます。源慶喜について、解説すると動画一本つくれるほどなので、簡潔に。徳川家康は征夷大将軍として江戸に幕府をひらくときに、鎌倉幕府の源頼朝の流れを汲む源氏を名乗りました。ですので、徳川は源氏です。(確証たる証拠は存在しませんが)戦国時代などは言ったもん勝ちという風潮です。徳川だから、源慶喜、ということです。ちなみに、織田信長は「平家」の血筋としています(これも証拠無し)
そう言えば、平成10年の大河ドラマが慶喜。シブがき隊の本木雅弘さんが演じた。明治時代になりカメラマンになったと。大河ドラマの最終日みたことあるんだ。
良い部下に恵まれなかったのか作れなかったのか。西郷の悪計に嵌った。西郷は二重人格。
草薙さんの慶喜公、写真の本物とかなり似てる。いや、草薙さんの方が貫禄があります。
小栗上野介忠順~この方は優秀過ぎて薩長にとって恐ろしい人物だったから亡きものにしたのです、実際彼が箱根山の険しさを利用し対薩長にたいし上申した戦術は素晴らしく後にこれを聴いた大村益二郎は胆を冷やしたとか~勝者はより大きく敗者はより小さく評価されます、それを加味しないと本当のことは見えて来ないと思います🤔
ちなみに源氏長者と征夷大将軍の両地位は関白と摂政を越えて江戸幕府の皇帝を意味するのでありますから~
個人的に、徳川慶喜という人物のイメージは「自分の実力に絶対の自信を持っており、他人を信用してない人」です。特に薩摩藩がまだ幕府寄りだった頃に、もっと協調できていれば、また違う未来があったのでは。あと、彼の一番のしくじりは大坂城からの突然の撤退とは思うのですがせめて「我々が戦っているのは未だ徳川に難癖付けてくる薩長であり、決して朝廷ではない!話が違う! こんな無駄な戦いやってられるか!江戸に帰るぞ!」ぐらいのアピールを味方軍や朝廷側にしておいてもよかったのではと思います。「語らない」「説明しない」というのは、人によって都合の良い様に解釈されてしまいますからね。最後に、個人的に考える慶喜の歴史のIF・もし14代将軍になっていたら・もし大坂から撤退しなかったら・もし明治政府に参加していたら(首相はもちろんですが、個人的には外務大臣向きの人と思います)
少なくとも大東亜戦争後に『自分のことはどうでも良いから国民を助けてほしい』とマッカーサーに言った昭和天皇のような方ではなかったと思います。もし言っていたならその事実を知りたいですし、そのぐらいのことは言える人であって欲しかったです。
将軍の上洛は家康以来ではなく、三代家光以来ですよ。
家茂のことですね~
草彅剛さんが主役でイイぢゃん。スゴい楽しみな大河ドラマになったのになあ〜♨今年の大河はたぶん観ない。もしくは最初だけ観るかも。北条早雲をやってほしい。もしくは二宮和也さんで石田三成様。たぶん過去最高に盛り上がるしNHKは今から3年かけて石田三成様を徹底的に調べて傑作を作ってほしい。ヂャなきゃ受信料払わん!
ディーン様の五代さまに早く会いたいです。
徳川の後衛である東北の松平殿にこんなキレイな女性が居ます?!とかキレイな女性を勧めるのは考えであって、御侍でも幕府の政府を覆さない革命をし無いと言う保証でも在って。幕府の御侍の政府にも天皇の政府にもこんなにキレイな女性が居ます!?とか言ってキレイな女性を勧めるのは政府を覆さないと言う日本王の弥生時代からの帥升王からの革命をし無い政府であってとも。革命をし無い政府の概念があるから、昔から綺麗な女性を政府に捧げて革命はしませんよ、家族ですから裏切りは出来ませんよ!!と言う保証でも在ってとか。そう言う保証からキレイな女性を政府に捧げる。革命はし無い、政府転覆もし無い、そう言う保証でも在ってとか。井伊直弼の安政の大獄は醜かったとか??公武合体もあったが将軍が京都に行くのは水戸藩の尊(天皇)王思想の水戸学でも在って「大政奉還」の後も鳥羽伏見の戊辰戦争でも錦の天皇の御旗で最終的に長州藩の天皇担ぎの新政府軍が王政復古が出て、江戸城無血開城でも在って、議会政治の道が明治天皇によって開かれて行くことに成る……それ位です、その位です。
英邁な人物、才能はわかりますが、代々血筋で後継してきた徳川家が、なぜ、才覚で将軍に推挙しようとしたのか、いまいちわかりません
説明すると長くなるので超絶簡潔に^^14代将軍継嗣問題では、南紀派と一橋派で争いましたよね。南紀派は井伊直弼ら、一橋派は松平春嶽ら。ここで、問題だったのは、黒船来航などがあり、異国の脅威が日本に迫っている。しかし、現在の幕政は「参勤交代」などで各藩の大名たちは膨大な費用を毎年出費している。(宿泊費だけでも現在でいえば2億円ほど)そこで、こんな馬鹿馬鹿しい制度をやっていては戦うための軍費などあるわけがない、船も武器も買えない。事実、幕末には多くの藩が財政難を抱えているという状況。一橋派は松平春嶽をはじめとして、幕政改革派です。参勤交代の緩和を含めた政治改革、つまり幕政の根本を変えなければならない。という派閥。南紀派は、東昭大権現家康公が定めたこの法律を絶対に変えてはならない。幕政をそのままに状況を打破する。将軍の権威を下に各藩大名があるべき。というもの。幕政の改革派(一橋派・松平春嶽)対幕政の維持派(南紀派・井伊直弼)こんな解説です。ここは、松平春嶽、徳川斉昭、島津斉彬、池田慶徳など大名が関わりますので文章で説明すると一冊の単行本レベルになります(^^;;僕も幕末歴史は多くの文献を読み、現地で取材しています。それをなるべくわかりやすく解説しています(^^;;動画ですべては解説できないのですが、見ていただく方に少しでもわかるように今後も努力します。コメントありがとうございます。
ありがとうございました^^@@niikurajuku
徳川慶喜はほんと評価が別れるよね、モックンのやつはあんまり面白くなかったから、草薙くんはどうかな?
賢かったのかも知れないが徳は無かったな鳥羽伏見の戦いで逃げ帰りあれは周りの部下がやった事だと言い訳したのは議会に集まれと演説しておいて後でそんな事言ってないと言い訳したトランプ並みにダサかった
今回の特集で名前を挙げた人物たちの偉人伝は今後、順次アップしていく予定です。慶喜公の生涯ダイジェストのピックアップ項目は、簡潔にするため、詳しい出来事は省いております。どうぞよろしくお願いいたします。慶喜公享年77歳と表示されていますが享年76歳です。
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明治維新のころはあまり好きじゃなかったけど先の西郷ドンからの流れで面白いです。円四郎が殺られた時うるっときました
歴史の新しい学び方価値観を教えてくれてありがとうございます♪もしも、自分が為政者だったら?
もっと沢山のことを学び妄想し語り合いたいと思いました。
私が徳川慶喜公だったら、
大政奉還出来なかったかもしれません。
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起こることに偶然はない!
ワクワク様です。
輝光🌟
今のように、情報網が発達していたり、移動手段がある、時代と違って日本国中を掌握して、治めて、祭り政をするのは、本当に大変だったと思いマス。
歴史はどうしても勝った側から語られがちなので、慶喜の行動があまり理解できなかったのですが、なるほど、そういう背景があったのか!と腑に落ちました。
それにしても大正時代まで生きておられたとは…私の祖母は大正3年生まれで104歳まで生きました。
歴史はずっと昔の事として今の自分と切り離して考えていましたが、何世代か前の自分のご先祖様は必ずその時代を生きていた訳で、そんな当たり前の事をしみじみと感じさせられました。
コメントありがとうございます。おっしゃる通りで、歴史は勝利者の目線で語られます。これは世界的に共通ですね^^;;。戦後の日本も同じですが(汗)。
大正生まれで104歳までですか!それはすごいことです。まさに第二期となる時代変化(大正ロマン)に生きたんですね。明治幕末は今の僕らからそんなに遠い時代でもなく、曽祖父、高祖父などが生きた時代ですね。先祖が生きていたと思うと、身近に感じます(^^)
ちなみに、幕末から昭和まで生き抜き、事実上、最後の大名という人がおります。1848年生まれ(嘉永元年)、そして1941年(昭和16年)まで生きた大名、林忠孝(はやしただたか)です。
昭和というと、僕は昭和生まれですから、さらに身近に感じました。
この人物もいずれ特集したいと思います。
歴史は現代に繋がる先人たち物語ですね。
@@niikurajuku
昭和16年は真珠湾攻撃がありましたよね?
幕末から真珠湾攻撃まで、文字通り激動の時代を生きた大名なんですね。
しかし私達もすでに昭和、平成、令和を生きてるから、令和生まれから見たらずいぶん昔の人なんでしょうね、きっと。
(TETSUROさんはまだお若いのに一緒にしてすみません!)
そうですね昭和16年12月7日、大東亜戦争による真珠湾攻撃とマレー半島上陸作戦がありました。幕末からそこまで生きていたというもの凄いことです。
おっしゃる通り、令和という年号でみると、昭和生まれって古い時代に感じますね^^;;
昭和初期、中期の世代が戦後日本を支え、GDP世界一にもなりました。それが最近では学力も下降の一方。昭和後期生まれの僕らがもう一度頑張っていこうと思います。今後もよろしくお願いします^^
草彅剛さんの慶喜が大好きなので気になって観てみたらめちゃくちゃわかりやすくて面白かったです。ありがとうございます!
コメントを頂きありがとうございます。お役に立てて何よりです。
こちらこそ、動画をご覧頂きありがとうございます^^
いや〜面白かったです
やはり歴史は面白!
晴天をつけの草彅剛さん演じる徳川慶喜益々見応えがあります
凄く分かりやすい。夜寝る前、最後の将軍の小説を読んではいるのですが、
難しくて10ページくらいしか進めませんでしたが、今晩からは楽しみです。
説明がうまいし聞きやすい。ありがとうございました。
また何回も見ます。
コメントありがとうございます。小説も読まれているとは勉強熱心ですね!!素晴らしいと思います(^^)。確かに、小説では読めない言葉、意味がよくわからない言葉がでてきますよね。この動画が補助として役に立てば嬉しい限りです。慶喜公、そして青天を衝けも含め、歴史など一緒に楽しみましょう!!(^^)
山岡荘八の徳川慶喜、いろいろな資料を基に書かれた素晴らしい6巻です、こちらも読んでみてください
荘八は、徳川草創期の徳川家康を描き、最後の将軍徳川慶喜を描いた、素晴らしい作品です
私はもう6回も読みました、最後に明治天皇から招かれ、公爵となり、子供達も爵位を授かり、皇室へ嫁ぐなど、慶喜の日本国維持に尽くした苦労の果てに、水戸勤王精神が評価され報われた生涯でした。
僕が徳川慶喜公と武田勝頼公が一番大好き💓♥️❤️です。🎵
無血開城を成した最後の将軍徳川慶喜公が当時どのような局面の中にいたか分かりました。その生涯がダイジェストで知ることが出来しかも大いに楽しみました。趣味に没頭した理由は先生の推測のほかに、余生を楽しみ命を長らえる為であったことも含まれるように思います。
先生の解説が私たち聴く者の心の壺にはまるので楽しく学んでいます。
有難うございます。楽しみにしております。
コメントありがとうございます。慶喜公は、最も困難である状況で将軍職を継ぎましたね。たくさんの苦悩があったと思います。
おっしゃる通り、趣味に没頭したからこそ、長生きしたのでしょうね!!これも大事な教訓ですね。いつもありがとうございます(^^)
本を読むだけでは分かりにくかった部分が解説して貰って納得しました❗メチャメチャ分かりやすいです😃しかもサクサク進むので 退屈しません👍 つよぽんファンで慶喜を知るために動画見せてもらいました 慶喜の人生裏話とかもっと聞きたいです🎶 関わる他の人物にも興味持てました 有難うございます😃💕
コメントありがとうございます(^^)
長い動画をしっかり見て頂き感謝します。
慶喜公の隠居後の話はいろいろありますね!とにかく、好奇心旺盛な人物でした。慶喜公に関しては第2弾の動画もアップしていますので、お時間のある時にご覧ください(^^)
徳川慶喜:第2弾「大阪城からの撤退」
th-cam.com/video/FAA_NMvYoF0/w-d-xo.html
とっても分かりやすかったです。ありがとうございました。
慶喜素敵🥰綺麗です🤩2月14日が、待ち遠しいです😀毎週!1年間見れるね😍💞🐾
コメントありがとうございます。そうですね!!今から楽しみです^^
Yoshinobu, lovely! 💞
狙って行った公武合体では皇族の血筋を徳川宗家に残せなかったのに、やむを得ず将軍になった慶喜は皇族の息子だったというところに時代の皮肉を感じます・・・。
勉強になりました。
2:53大河ドラマ徳川慶喜(1998年)であったかもしれませんが、慶喜公にとってはすさまじい、重圧感だったと思います。並の人間では絶対にこの重圧はおかしくなると思いますよ。
コメントありがとうございます。そうですよね、半端じゃない重圧だったと想像できます。慶喜公を研究すればするほど、聡明な人物であるという事実が見えてきます。
@@niikurajuku さん ですよね?俺は、その小6で見た、大河ドラマ徳川慶喜を見て、慶喜公はヘタレじゃないというイメージがついていたもので。
逆に、この動画見ている感じでは、意外と薩摩藩の方、えげつない感じに見えるような。
そうですね、薩摩藩内でも倒幕派と倒幕反対派で意見は分かれていましたが、西郷隆盛はあくまでも倒幕にこだわりましたね。8月18日の政変、禁門の変、薩長同盟など薩摩藩の影の実態を知るとなかなかドラマとは違う史実が見えます。暗殺も多数あり、すべて歴史から消し去っています。ここあたりはいずれメンバーシップなどで解説したいと思います(^^)
何かの本で慶喜公は、フランス🇫🇷の本を沢山読んでいたそうです。そんな慶喜公は、時代の流れには勝てない事を知てたのかも?
面白かったです!評価するのでなく自分ならどうするか考えながら学ぶとより楽しめる気がします。チャンネル登録しました!
チャンネル登録ありがとうございます。
すごく励みになります。
歴史は自分事に置き換えて考えることで、先人たちの知恵を活かすことになります。これを論語では「故きを温ねて新しきを知る、以て師となるべし」つまり「温故知新」ですね(^^)
チャンネル登録ありがとうございます。
今後も頑張ります。
はじめまして
とってもわかりやすく、理解しやすいです
幕末、戦国
興味があります
登録しました
今後も拝聴します
コメントありがとうございます。
今後も偉人伝シリーズは製作していきます(^^)
「偉人伝再生リスト」
th-cam.com/play/PLboXjiFekB6yDpK3pe7x_nfJmXEJXwem4.html
徳川慶喜~この人は昔ほどでは無いけれど好きにはなれませんが、、、明治になってから新選組永倉新八や松本良順らにより近藤、土方の碑が板橋に建てられる時 キゴウ(漢字が見つかりませんので)を慶喜に頼みに行った時のエピソード~その時慶喜公は、近藤、土方と呟きハラハラと涙を流し何度も催促するもただ涙を長すぎのみだったそうです~幕臣でもない彼らが最後まで徳川に殉じてくれたことに対する想いだったのか~と書き残したとか、、、それを知ったとき彼なりに色々な思いに葛藤しながらつましく生きて来られたのかと私なりにじーんときました、大変新しいものが好きで頭の良い人でしたから平和な世なら名君として歴史に名を残したんでしょうね、結局キゴウは松平容保公に書いて頂いたそうです🤗
とてもわかり易く自分だったら?との考えは深くその時代を考えさせられます😟
これからも学ばせてください。有難うございます😀
ありがとうございます(^^)
動画面白かったです。源慶喜とはどういうことですか?
コメントを頂きありがとうございます。
源慶喜について、解説すると動画一本つくれるほどなので、簡潔に。
徳川家康は征夷大将軍として江戸に幕府をひらくときに、鎌倉幕府の源頼朝の流れを汲む源氏を名乗りました。ですので、徳川は源氏です。(確証たる証拠は存在しませんが)戦国時代などは言ったもん勝ちという風潮です。
徳川だから、源慶喜、ということです。
ちなみに、織田信長は「平家」の血筋としています(これも証拠無し)
そう言えば、平成10年の大河ドラマが慶喜。シブがき隊の本木雅弘さんが演じた。明治時代になりカメラマンになったと。大河ドラマの最終日みたことあるんだ。
良い部下に恵まれなかったのか作れなかったのか。
西郷の悪計に嵌った。
西郷は二重人格。
草薙さんの慶喜公、写真の本物とかなり似てる。
いや、草薙さんの方が貫禄があります。
小栗上野介忠順~この方は優秀過ぎて薩長にとって恐ろしい人物だったから亡きものにしたのです、実際彼が箱根山の険しさを利用し対薩長にたいし上申した戦術は素晴らしく後にこれを聴いた大村益二郎は胆を冷やしたとか~勝者はより大きく敗者はより小さく評価されます、それを加味しないと本当のことは見えて来ないと思います🤔
ちなみに源氏長者と征夷大将軍の両地位は関白と摂政を越えて江戸幕府の皇帝を意味するのでありますから~
個人的に、徳川慶喜という人物のイメージは
「自分の実力に絶対の自信を持っており、他人を信用してない人」です。
特に薩摩藩がまだ幕府寄りだった頃に、もっと協調できていれば、また違う未来があったのでは。
あと、彼の一番のしくじりは大坂城からの突然の撤退とは思うのですが
せめて
「我々が戦っているのは未だ徳川に難癖付けてくる薩長であり、決して朝廷ではない!話が違う!
こんな無駄な戦いやってられるか!江戸に帰るぞ!」
ぐらいのアピールを味方軍や朝廷側にしておいてもよかったのではと思います。
「語らない」「説明しない」というのは、人によって都合の良い様に解釈されてしまいますからね。
最後に、個人的に考える慶喜の歴史のIF
・もし14代将軍になっていたら
・もし大坂から撤退しなかったら
・もし明治政府に参加していたら(首相はもちろんですが、個人的には外務大臣向きの人と思います)
少なくとも大東亜戦争後に『自分のことはどうでも良いから国民を助けてほしい』とマッカーサーに言った昭和天皇のような方ではなかったと思います。
もし言っていたならその事実を知りたいですし、そのぐらいのことは言える人であって欲しかったです。
将軍の上洛は家康以来ではなく、三代家光以来ですよ。
家茂のことですね~
草彅剛さんが主役でイイぢゃん。スゴい楽しみな大河ドラマになったのになあ〜♨
今年の大河はたぶん観ない。
もしくは最初だけ観るかも。
北条早雲をやってほしい。
もしくは二宮和也さんで石田三成様。
たぶん過去最高に盛り上がるし
NHKは今から3年かけて石田三成様を徹底的に調べて傑作を作ってほしい。ヂャなきゃ受信料払わん!
ディーン様の五代さまに早く会いたいです。
徳川の後衛である東北の松平殿にこんなキレイな女性が居ます?!とかキレイな女性を勧めるのは考えであって、御侍でも幕府の政府を覆さない革命をし無いと言う保証でも在って。幕府の御侍の政府にも天皇の政府にもこんなにキレイな女性が居ます!?とか言ってキレイな女性を勧めるのは政府を覆さないと言う日本王の弥生時代からの帥升王からの革命をし無い政府であってとも。革命をし無い政府の概念があるから、昔から綺麗な女性を政府に捧げて革命はしませんよ、家族ですから裏切りは出来ませんよ!!と言う保証でも在ってとか。そう言う保証からキレイな女性を政府に捧げる。革命はし無い、政府転覆もし無い、そう言う保証でも在ってとか。井伊直弼の安政の大獄は醜かったとか??公武合体もあったが将軍が京都に行くのは水戸藩の尊(天皇)王思想の水戸学でも在って「大政奉還」の後も鳥羽伏見の戊辰戦争でも錦の天皇の御旗で最終的に長州藩の天皇担ぎの新政府軍が王政復古が出て、江戸城無血開城でも在って、議会政治の道が明治天皇によって開かれて行くことに成る……それ位です、その位です。
英邁な人物、才能はわかりますが、代々血筋で後継してきた徳川家が、なぜ、才覚で将軍に推挙しようとしたのか、いまいちわかりません
説明すると長くなるので超絶簡潔に^^
14代将軍継嗣問題では、南紀派と一橋派で争いましたよね。
南紀派は井伊直弼ら、一橋派は松平春嶽ら。
ここで、問題だったのは、黒船来航などがあり、異国の脅威が日本に迫っている。
しかし、現在の幕政は「参勤交代」などで各藩の大名たちは膨大な費用を毎年出費している。(宿泊費だけでも現在でいえば2億円ほど)
そこで、こんな馬鹿馬鹿しい制度をやっていては戦うための軍費などあるわけがない、船も武器も買えない。
事実、幕末には多くの藩が財政難を抱えているという状況。
一橋派は松平春嶽をはじめとして、幕政改革派です。参勤交代の緩和を含めた政治改革、つまり幕政の根本を変えなければならない。という派閥。
南紀派は、東昭大権現家康公が定めたこの法律を絶対に変えてはならない。幕政をそのままに状況を打破する。将軍の権威を下に各藩大名があるべき。というもの。
幕政の改革派(一橋派・松平春嶽)
対
幕政の維持派(南紀派・井伊直弼)
こんな解説です。
ここは、松平春嶽、徳川斉昭、島津斉彬、池田慶徳など大名が関わりますので文章で説明すると一冊の単行本レベルになります(^^;;
僕も幕末歴史は多くの文献を読み、現地で取材しています。それをなるべくわかりやすく解説しています(^^;;
動画ですべては解説できないのですが、見ていただく方に少しでもわかるように今後も努力します。
コメントありがとうございます。
ありがとうございました^^@@niikurajuku
徳川慶喜はほんと評価が別れるよね、
モックンのやつはあんまり面白くなかったから、
草薙くんはどうかな?
賢かったのかも知れないが徳は無かったな
鳥羽伏見の戦いで逃げ帰りあれは周りの部下がやった事だと言い訳したのは議会に集まれと演説しておいて後でそんな事言ってないと言い訳したトランプ並みにダサかった