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学生の時こんなおしゃべりの上手な先生に日本史、、だけじゃなく、いろんな事を教えてもらいたかった。
コメントありがとうございます。高校のときの世界史の先生はむちゃ面白い人で、それで歴史への興味が広がりました。出会いって大事ですよね💖
素晴らしい解説、詳細な逸話。非常に感心し拝聴しています。「青天を衝け」もいよいよ明治時代ですね。オリンピックも無事終わった事だし、皆さんもコロナに負けないで今年を乗り切りましょう。お話楽しみにしています。
確かに尊王思想の水戸藩出身なら敵方に錦の御旗が上がったのは衝撃的でしたでしょうね。もしも徹底抗戦していたら戊辰戦争は外国から双方が莫大な借款して長く続いたかもしれない。指揮官の敵前逃亡は誉められないが結果的に日本が欧米列強の植民地にはされなかったので私的には不問です。
慶喜の行動は賛否両論あるようですが、各々判断にお任せします。ただ、他の番組で知ったのですが、逃亡の動機は誰にも話してなかったようです。慶喜の逃亡は大勢の批判をわかりきってのことだったのでしょう。
今回のお話でなんとなくわかりました。大阪逃亡はヒドイと思ってましたが、慶喜にも考えがあったんですね。
永井さんすごいあと自軍の兵を見捨てる割には仲間にウナギをふるまったり…一貫してないように見えるけどなんとなく慶喜はいいカッコしいだったのかなと思っちゃいました😅できる範囲のことには気を配れるけど、「あ、これダメかも」と思うと全て投げ出して逃げちゃう感じ笑 でもそういう人だったから戦より大政奉還とか、謹慎生活とかに耐えられたんだろうとも思うから、やはり時代に必要とされた人だったと思います!
楽しい!ハマってます。つよぽんファンこうじて慶喜ファンに単純ですがトンデモさんのTH-camが本を読まないわたしには最高です。
コメントありがとうございます。ウエルカム慶喜ファン💖
徳川慶喜は皇室の尊厳を説く「水戸学」を学んでいたので、「朝敵」になるのを極度に恐れていたのかなと思います。それにしても偽の「錦の御旗」を考えた岩倉具視は本当に頭が良いと思います。しかし、事を成すためには手段を選ばない西郷隆盛や岩倉具視の「結果が良ければすべて良し」については私は何となく納得できません。
先生の慶喜君て、生徒を呼ぶように話すの好きですよ!
コメントありがとうございます。ちょっと失礼だとは思うんですが、口癖でついwww
久しぶりに解説聴きました
全面戦争になったら、国力が疲弊したところで、英仏がやってきて植民地にされてしまうというところまで、慶喜公は想像していたかも知れません。かといって、逃げ帰っても良いとは言えませんがね。
あら、素晴らしいお話を発見登録しました(^O^)
ありがとうございます。
Again an beautiful pucture of Yoshinobu! Love all about him but i must use translate. Thank you ! 😍
徳川慶喜公は、フランスのナポレオン三世から、フランス公使ロッシェを通じて、フランス製の軍帽と軍服を貰ったそうです。徳川慶喜公と弟の昭武と渋沢栄一は、それ位フランス好きでした。
先生、お肌キレイ❗つやつや☺️羨ましい😆
水戸徳川家の出身と言うよりも,母方の実家が有栖川宮と言う皇族である事がポイントだと思います.
最近こちらのチャンネルのファンになって、好きな幕末関係のお話を聞いています。きりゅうさんの口から語られると、腑に落ちなかった慶喜の行動も何だかしょうがないな、という気になってきます。それにしても、幕府目線から見ると大政奉還後の薩摩腹立つ~。西郷さんも大久保さんも嫌いではないんですけど^^;
王政復古の大号令後、慶喜は春嶽や容堂と組んで巻き返しを狙ってました。年明けの復帰が内定して、大久保利通が「今までの計画が全部無駄になった」とメゲるぐらいうまく行ってました。だから元々戦う気がなかったのでしょう。
うちの父は慶喜大嫌いでした。自分だけ助かろうと、逃げ隠れがうまい奴だと嫌ってましたね。実際何を考えていたのかは誰にもわからないけど。ワタシもあまり好きではないですね。
大坂城からバックレた将軍
日本テレビで、昭和61年❨1986年❩、昭和62年❨1987年❩、昭和63年❨1988年❩、三年連続で二夜連続型の幕末時代劇を紅白歌合戦の裏番組として、全て里見浩太朗さんが主役でやったことがありました。この徳川慶喜公が、夜逃げするシーンを昭和61年の「あゝ、白虎隊」だったか、克明な再現ドラマで見ました。その時は私は大学生だったが、山川の教科書よりリアルで、本当にに無責任な最高責任者だと思いましたね。慶喜公がよく夜逃げして全く無抵抗で恭順したから日本の内乱が長引かずに、アメリカ、イギリス、フランスの植民地にならずに済んだと言うのは違うと思いますね。私は慶喜公を誉めるとすれば、フランスの外交顧問のロッシュの口車に乗らずに、フランスから無償で最新式のライフルとアームストロング砲をもらって薩摩、長州、土佐の連合軍と徳川、会津、桑名とフランス軍の連合軍が戦って勝利すれば、蝦夷地❨北海道❩を100年間フランスの租借地とする契約書にサインしなかったことだと思いますね。この話に慶喜公が乗って入れば、最悪の場合は、日本はフランスは日本の植民地になっていたと思います。この歴史の先生の話は非常に面白いですが、一つ大事なことが抜けていると思います。上記の里見浩太朗さん主演のドラマで、江戸城に逃げ帰った徳川慶喜公に対して、勘定奉行の小栗上野介忠順が、箱根の関所と伊豆半島の地形をうまく利用して、敵軍を箱根の関所で、大砲とライフルで足止めしておいて、徳川家自慢のオランダから購入した最新式の軍艦を丑三つ時の夜陰に伊豆半島を回って早朝から間髪入れない艦砲射撃する案を巡って、江戸城で小栗と慶喜が取っ組み合いの喧嘩になったが、結局は小栗氏は慶喜公に勘定奉行を罷免されて謹慎処分となり、江戸城無血開城後に薩長に作戦の存在がばれて、小栗上野介忠順は切腹させられいます。その後、勝海舟先輩の言うことを聞かず、榎本武揚氏は、誰もが知っての通り軍艦7隻を使って箱館の五稜郭で籠城作戦をとったが破れて、黒田清隆氏が大久保利通、西郷隆盛、岩倉具視らに懇願してエリートの榎本武揚氏は、箱館戦争の後に伝馬町の牢獄に一年投獄されるが、後に黒田清隆氏の後ろ楯もあって数々の大臣に抜てきされて出世したが、ほとんどの幕臣は辛酸をなめ尽くした。たぶん、明治時代は徳川慶喜のような自分の命の安全を第一主義に考える人間が、徳川家のトップだったことが、幕臣にして見れば、たまらなく悔しかっただろうし、恨んだと思いますね。
なんやかや大政奉還、王政復古の大号令で日本は国家一丸となって近代に突き進めたので慶喜公のカッコ悪い所業は日本史に必要なことだったかと
慶喜には、覚悟がなかっただけですね。覚悟が有れば違う歴史に成っていたはず。今の政治も違うからね。😅
徳川が代継がす時に絶対に読ます文に「天皇陛下は視える人、だから裏切るなその子供である貴族も何を持ってるか解らないから裏切り行為はするな」てある徳川も貴族血入ってるしその数学の能力、時間の能力(この頃は懐中時計が出てた)で江戸造る時に活かした
私も、この慶喜の行動は納得できません。平和主義と言っても将軍、指揮を執って戦ってほしかった!そして頃合を見て、全軍を江戸に退却させて欲しかった!やはり、子供の頃から叩き込まれた尊王の思想が、公家の血が彼を狂わせたのでしょうか?それにしても、偽錦の御旗を作らせた岩倉の悪知恵は、悔しいが見事😠
無駄な大戦闘と大犠牲を発生前に芽摘むためには、トップがこっそりいなくなるのが良い手でしょう。慶喜は、頭も心も優秀ですよ(誰がスカウトした人か)。諸侯が学んでいたら、そのあとのローカルな戦闘の数々もかなり防げたでしょう。白虎隊なんか、かわいそすぎるわ。
「この一大事に鰻食ってんじゃねえ!」とは思われなかったんでしょうか?wいや、良いんですけどね別に、私もその場にいたら鰻食べちゃいますけどね笑笑
めんどくさって感じなんだろな
「薩長軍から錦の御旗が上がった、こりゃダメだ逃げよう!」神君家康公の再来と言われても幼少の頃より苦労してきた家康と違って所詮は苦労知らずのお坊ちゃんの慶喜公、ここらへんが限界だったんですね。
ば👴売店でく👴偶然にま👴松茸をつ👴つまみ食い
君呼ばわり チョットいただけないなぁ🫤
学生の時こんなおしゃべりの上手な先生に日本史、、だけじゃなく、いろんな事を教えてもらいたかった。
コメントありがとうございます。高校のときの世界史の先生はむちゃ面白い人で、それで歴史への興味が広がりました。出会いって大事ですよね💖
素晴らしい解説、詳細な逸話。非常に感心し拝聴しています。「青天を衝け」もいよいよ明治時代ですね。オリンピックも無事終わった事だし、皆さんもコロナに負けないで今年を乗り切りましょう。お話楽しみにしています。
確かに尊王思想の水戸藩出身なら敵方に錦の御旗が上がったのは衝撃的でしたでしょうね。もしも徹底抗戦していたら戊辰戦争は外国から双方が莫大な借款して長く続いたかもしれない。指揮官の敵前逃亡は誉められないが結果的に日本が欧米列強の植民地にはされなかったので私的には不問です。
慶喜の行動は賛否両論あるようですが、各々判断にお任せします。ただ、他の番組で知ったのですが、逃亡の動機は誰にも話してなかったようです。慶喜の逃亡は大勢の批判をわかりきってのことだったのでしょう。
今回のお話でなんとなくわかりました。
大阪逃亡はヒドイと思ってましたが、慶喜にも考えがあったんですね。
永井さんすごい
あと自軍の兵を見捨てる割には仲間にウナギをふるまったり…一貫してないように見えるけどなんとなく慶喜はいいカッコしいだったのかなと思っちゃいました😅できる範囲のことには気を配れるけど、「あ、これダメかも」と思うと全て投げ出して逃げちゃう感じ笑
でもそういう人だったから戦より大政奉還とか、謹慎生活とかに耐えられたんだろうとも思うから、やはり時代に必要とされた人だったと思います!
楽しい!ハマってます。
つよぽんファンこうじて
慶喜ファンに単純ですが
トンデモさんのTH-camが
本を読まないわたしには
最高です。
コメントありがとうございます。ウエルカム慶喜ファン💖
徳川慶喜は皇室の尊厳を説く「水戸学」を学んでいたので、「朝敵」になるのを極度に恐れていたのかなと思います。それにしても偽の「錦の御旗」を考えた岩倉具視は本当に頭が良いと思います。しかし、事を成すためには手段を選ばない西郷隆盛や岩倉具視の「結果が良ければすべて良し」については私は何となく納得できません。
先生の慶喜君て、生徒を呼ぶように話すの好きですよ!
コメントありがとうございます。ちょっと失礼だとは思うんですが、口癖でついwww
久しぶりに解説聴きました
全面戦争になったら、国力が疲弊したところで、
英仏がやってきて植民地にされてしまうというところまで、
慶喜公は想像していたかも知れません。
かといって、逃げ帰っても良いとは言えませんがね。
あら、素晴らしいお話を発見
登録しました(^O^)
ありがとうございます。
Again an beautiful pucture of Yoshinobu! Love all about him but i must use translate. Thank you ! 😍
徳川慶喜公は、フランスのナポレオン三世から、フランス公使ロッシェを通じて、フランス製の軍帽と軍服を貰ったそうです。徳川慶喜公と弟の昭武と渋沢栄一は、それ位フランス好きでした。
先生、お肌キレイ❗つやつや☺️
羨ましい😆
水戸徳川家の出身と言うよりも,母方の実家が有栖川宮と言う皇族である事がポイントだと思います.
最近こちらのチャンネルのファンになって、好きな幕末関係のお話を聞いています。きりゅうさんの口から語られると、腑に落ちなかった慶喜の行動も何だかしょうがないな、という気になってきます。それにしても、幕府目線から見ると大政奉還後の薩摩腹立つ~。西郷さんも大久保さんも嫌いではないんですけど^^;
王政復古の大号令後、慶喜は春嶽や容堂と組んで巻き返しを狙ってました。年明けの復帰が内定して、大久保利通が「今までの計画が全部無駄になった」とメゲるぐらいうまく行ってました。だから元々戦う気がなかったのでしょう。
うちの父は慶喜大嫌いでした。
自分だけ助かろうと、逃げ隠れがうまい奴だと嫌ってましたね。
実際何を考えていたのかは誰にもわからないけど。
ワタシもあまり好きではないですね。
大坂城からバックレた将軍
日本テレビで、昭和61年❨1986年❩、昭和62年❨1987年❩、昭和63年❨1988年❩、三年連続で二夜連続型の幕末時代劇を紅白歌合戦の裏番組として、全て里見浩太朗さんが主役でやったことがありました。
この徳川慶喜公が、夜逃げするシーンを昭和61年の「あゝ、白虎隊」だったか、克明な再現ドラマで見ました。その時は私は大学生だったが、山川の教科書よりリアルで、本当にに無責任な最高責任者だと思いましたね。
慶喜公がよく夜逃げして全く無抵抗で恭順したから日本の内乱が長引かずに、アメリカ、イギリス、フランスの植民地にならずに済んだと言うのは違うと思いますね。私は慶喜公を誉めるとすれば、フランスの外交顧問のロッシュの口車に乗らずに、フランスから無償で最新式のライフルとアームストロング砲をもらって薩摩、長州、土佐の連合軍と徳川、会津、桑名とフランス軍の連合軍が戦って勝利すれば、蝦夷地❨北海道❩を100年間フランスの租借地とする契約書にサインしなかったことだと思いますね。この話に慶喜公が乗って入れば、最悪の場合は、日本はフランスは日本の植民地になっていたと思います。
この歴史の先生の話は非常に面白いですが、一つ大事なことが抜けていると思います。上記の里見浩太朗さん主演のドラマで、江戸城に逃げ帰った徳川慶喜公に対して、勘定奉行の小栗上野介忠順が、箱根の関所と伊豆半島の地形をうまく利用して、敵軍を箱根の関所で、大砲とライフルで足止めしておいて、徳川家自慢のオランダから購入した最新式の軍艦を丑三つ時の夜陰に伊豆半島を回って早朝から間髪入れない艦砲射撃する案を巡って、江戸城で小栗と慶喜が取っ組み合いの喧嘩になったが、結局は小栗氏は慶喜公に勘定奉行を罷免されて謹慎処分となり、江戸城無血開城後に薩長に作戦の存在がばれて、小栗上野介忠順は切腹させられいます。
その後、勝海舟先輩の言うことを聞かず、榎本武揚氏は、誰もが知っての通り軍艦7隻を使って箱館の五稜郭で籠城作戦をとったが破れて、黒田清隆氏が大久保利通、西郷隆盛、岩倉具視らに懇願してエリートの榎本武揚氏は、箱館戦争の後に伝馬町の牢獄に一年投獄されるが、後に黒田清隆氏の後ろ楯もあって数々の大臣に抜てきされて出世したが、ほとんどの幕臣は辛酸をなめ尽くした。たぶん、明治時代は徳川慶喜のような自分の命の安全を第一主義に考える人間が、徳川家のトップだったことが、幕臣にして見れば、たまらなく悔しかっただろうし、恨んだと思いますね。
なんやかや大政奉還、王政復古の大号令で日本は国家一丸となって近代に突き進めたので慶喜公のカッコ悪い所業は日本史に必要なことだったかと
慶喜には、覚悟がなかっただけですね。覚悟が有れば違う歴史に成っていたはず。今の政治も違うからね。😅
徳川が代継がす時に絶対に読ます文に
「天皇陛下は視える人、だから裏切るな
その子供である貴族も何を持ってるか解らないから裏切り行為はするな」てある
徳川も貴族血入ってるし
その数学の能力、時間の能力(この頃は懐中時計が出てた)で
江戸造る時に活かした
私も、この慶喜の行動は納得できません。
平和主義と言っても将軍、指揮を執って戦ってほしかった!そして頃合を見て、全軍を江戸に退却させて欲しかった!
やはり、子供の頃から叩き込まれた尊王の思想が、公家の血が彼を狂わせたのでしょうか?
それにしても、偽錦の御旗を作らせた岩倉の悪知恵は、悔しいが見事😠
無駄な大戦闘と大犠牲を発生前に芽摘むためには、トップがこっそりいなくなるのが良い手でしょう。慶喜は、頭も心も優秀ですよ(誰がスカウトした人か)。諸侯が学んでいたら、そのあとのローカルな戦闘の数々もかなり防げたでしょう。白虎隊なんか、かわいそすぎるわ。
「この一大事に鰻食ってんじゃねえ!」とは思われなかったんでしょうか?w
いや、良いんですけどね別に、私もその場にいたら鰻食べちゃいますけどね笑笑
めんどくさって感じなんだろな
「薩長軍から錦の御旗が上がった、こりゃダメだ逃げよう!」
神君家康公の再来と言われても幼少の頃より苦労してきた家康と違って所詮は苦労知らずのお坊ちゃんの慶喜公、ここらへんが限界だったんですね。
ば👴売店で
く👴偶然に
ま👴松茸を
つ👴つまみ食い
君呼ばわり チョットいただけないなぁ🫤