花は咲く / 牛来美佳・渡邉貴紀 - 3.11 東日本大震災10年企画

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  • เผยแพร่เมื่อ 7 ก.ย. 2024
  • #歌 #芸術のチカラ  
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     新型コロナウイルスの感染拡大など、厳しい社会状況の中だからこそ、豊かな芸術に触れて、明日への希望を感じられるひとときを。
    「SEIKYO STUDIO」では、さまざまなアーティストの動画を配信していきます。
     今回は、東日本大震災10年の特別企画として、福島県浪江町出身のシンガーソングライター・牛来美佳さんと、福島県大熊町出身のピアニスト・渡邉貴紀さんによる、「花は咲く」。
    本紙に掲載された、被災地に生きる人々の写真とともに、希望の歌声をお届けします。
     *
     シンガー・ソングライターの牛来美佳さんは浪江町の出身。発災の3日後、避難先で書いた歌がある。
     「浪江町で生まれ育った。」
     故郷への思いを曲名に込め、震災の翌年、同名のアルバムをリリースした。
      
     ――幼い頃から歌が好きだったが、現実が夢を遠ざけた。若くして母となり、娘と二人で生きるのに精いっぱいの毎日。
     10年前の「3・11」も、協力会社の社員として、第一原発内で働いていた。
      
     原発事故が、家も仕事も故郷も全てを奪った。娘を抱え、群馬県内での避難生活。不安の中で、ふと動いたペン先から歌が生まれた。
      
     復興支援ライブを重ね、歌い続けてきた。いつかまた浪江の空を、みんなで見上げることを信じて――。
     群馬県太田市に移住してからも、復興支援ライブを重ねてきた。いつかまた浪江の空を、みんなで見上げる日が来ることを信じて。
     今も帰還困難区域が多く残る大熊町。
     この町で育った渡邉貴紀さんは、ずっとピアニストの夢を追っていた。音大を卒業し、いよいよプロに。震災が起きたのは、初リサイタルの2週間前だった。
     当然、リサイタルは中止に。避難生活ではピアノに触れることすらできず、夢は「あっけなく終わった」。
      
     その後、いわき市内で高校の音楽講師に。吹奏楽部の顧問に就くと、生徒たちの音楽に懸ける思いに背中を押された。
     1日練習を休むだけで、ピアニストの指は動かなくなる。教師を辞め、3年のブランクを埋めるため、ひたすら練習に打ち込んだ。
      
     震災から4年後の2015年3月、復活のリサイタルを。「震災でできなくなったことを一つ一つ実現していく、それが自分にとっての復興だった」
      
     * 
      
     これまで牛来さんは「花は咲く」の美しい歌詞が、故郷の現実とかけ離れているように感じ、歌えずにいた。「10年たって、ようやくこの歌詞に心が寄り添える自分になれた」
      
     どんなに傷つき、報われない日々が続いても、春は必ず来る。冬がどんなに厳しくても、春には必ず花が咲く。
     この10年に思いをはせ、二人のアーティストが奏でる「花は咲く」を聴いてほしい。
    【牛来美佳】
    ごらい・みか 福島県・浪江町出身
    震災後、避難生活を続けながら、復興支援ライブを行ってきた。
    故郷を思い制作した「いつかまた浪江の空を」など歌う。
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    【渡邉 貴紀】
    わたなべ・たかのり 福島県・大熊町出身
    震災後、一時はピアニストの夢を封印せざるをえなかった。
    2015年に悲願のリサイタルを開催後、各地で精力的に演奏。
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