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すごくいい動画でした感動しましたありがとう
動画待ってました!
お待たせいたしました。スーパーサンクスもありがとうございます。
100年も前時代、現在と違って登山装備も未発達な中、日本の登山のために登頂をしてくれた人達に不備があっただの今を生きている我々が口にするのは間違っていると思いますこうした過去の人々の血と汗、そして犠牲が今の登山家の命を守っているのです槇有恒さんにとって板倉勝宣さんの別れは辛かったと思いますがそれでも歩みを止めず進み続けた事で日本の登山は大きく進歩しました今の装備が充実した登山家を空から見て「あの頃にあの装備があればな」と笑いながら板倉勝宣さんと槇有恒さんは見守ってくれていると信じています
コメントありがとうございます。スーパーサンクスもありがとうございます。先人の犠牲があったからこそ、経験が蓄積されて装備も進化したのだと思います。
魔の山アイガー東稜を初登頂した槇有恒さんにこんな壮絶な事があったとは。
むしろ何で2人生きてるんだというレベルだ
約20分があっという間の素晴らしい動画でした。11:27あたりの今生の別れの覚悟の「さようなら」が何とも哀しい😢槇有恒さんは、体力、人格共に素晴らしい登山家であったとお見受けしました。
人をまとめることができる、人格者であったようですね。
「さようなら」した後、救援を求めて先行した三田氏が彷徨い幻覚を見ながら書いた遺書の「(自分は)死する。二人を助けよ」って一文が、また泣かせる。
動画ありがとうございます。槇有恒の動画みたかったので嬉しいです。
ありがとうございます。植村・森田・長谷川に比べたらマイナーですが、登山界発展に尽力された方でした。
板倉勝宣は名前からもしや、と思ったらやはり大名の息子でした。資金力のあるパーティーでも存在しない山道具は揃えようがありませんね。時代が下れば加藤文太郎や松濤明は、ストーブやヘッデンは使っていたと記憶します。その2人が遭難死した後も活動を続けて、ついにマナスル初登頂を指揮した、というのは日本登山史の生き証人、という感じがします。感無量だったでしょうね。
日本の山岳界を見守り続けた人でした。
板倉さんの最後がまさに凍傷の末期で悲しすぎる・・・
名を馳せた登山家だったのに残念です
現代の装備でも遭難して亡くなる人がいるのに、この時代の脆弱な装備で雪山登山って自殺行為としか思えない。
よく行ったと思います
いつも投稿ありがとうございます。先人たちの尊い犠牲によって多くの知識が今に残っているのですね。
槇有恒さんの生きた期間の年が、1984ー1989になってます。
明治・大正・昭和を生き平成元年に亡くなった日本山岳会のパイオニアやな。
申し訳ございません。1894年の間違いです。
今回もいい動画でした! ありがとうございます
ありがとうございます。
テントすらない雪山で二晩を生き延びた槇・三田両氏のタフネスが凄い。マナスルの栄光へと続く登山界の道は命懸けの手探りで切り開かれた。
粗悪な装備で2日間ビバークしたのは凄いですね。
てっきり雪山って、ある程度の装備が登場してチャレンジが始まったのかと。何もかもが無い時代、こんな過酷なことに挑んでいたことに、頭が下がる。でも友と別れる時の話は辛い。いい動画をありがとうございます。投稿お疲れ様でした
コメントありがとうございます。しかも冬の立山ですからね、今でも困難なルートです。
あの頑固おやじの小西さんが・・・どんだけ人格者なんだ
さようならから板倉さんが亡くなるまでが悲しすぎます…それにしても100年も前から冬山登山が行われていたことに驚きです
よく粗末な道具で冬の北アルプスに登ったものだと感心します。
今とは比べ物にならないほど厳しい装備や環境、山関係の知識や情報も少ない時代の中で困難な登山を成し遂げ、95歳の寿命まで生き抜いたなんてすごい人だ
コメントありがとうございます。今の装備と技術で臨むのとは全然難易度が違うと思います。
加藤文太郎について知りたいです。
動画をあげているので、是非ご視聴ください
松尾峠も歩いたことあるけど、遮るものがない所だからあの辺冬だと相当ヤバイ。まあ、立山温泉はもう無いので足跡はたどれないなー
松尾峠なんてマニアックなところ歩くなんてかなり登られている方とお見受けします
お前の動画を待ってたんだ!
ありがとうございます。お待たせしました。
お待ちしてました!!
槙さんの写真はアイガーのミッテルレギ小屋にも飾ってあるものですね、セピアの加減が時代を感じさせて美しいな。
小屋にも飾ってあるのですか、知らなかったです。
おーい! 貴兄の胸のすくような冒険譚が大好きなんだぜーーーー\(^。^)/ 新作まだかーーーーー‼
山行読んでみたい。
是非お読みください
技術の革新には常に何かしらの犠牲が付き物なのだなぁ。これは登山に限らずあらゆる分野で見られる事ではあるけれど。
先人の失敗がないと進歩はないですね。
槇さんは寿命を全うされたのですね😊良かった🎶山で亡くなった登山家が多すぎます😢もしかしたら板倉さんを失った分山では死なないと思われたのかも😔
コメントありがとうございます。このチャンネルで寿命を全うした登山家は少ないですね。
ノビレとかお願いします。
リクエストありがとうございます。検討します。
山シロウトの私にもわかり易い ゆっくりアドベンチャー先輩 の動画は、語りの原稿が秀逸で速度やマ(間)も適切、BGMや効果音がグッと盛り上げる、画像も位置関係とかとてもわかり易い、などなど…、 放送局関係の人なのかしらね??? いつも感動をありがとうございます! これからもたくさんの更新をどうかよろしくお願いします! (^。^)ノ
アムンセンやスコットの動画でも感じたのですが、寒冷地に住む生き物の毛皮を利用しないケースが多いですね(アムンセンはエスキモーに倣ってそうした毛皮を着用)確かに羊毛は入手しやすく防寒的にも優秀ですが、こうした登山などでも有用だったのでしょうか?と疑問はあります。費用や登山知識はあっても、やはり入手しやすいものやその時点での最高級品(スコットなどがこれに該当?)を利用したくなるものなのでしょうか。山岳遭難、極地探検で同じような選択をした例があることから、やはり国を問わず、そうした傾向があるのかもしれないですね・・・(エスキモーなどの地元民の知恵を借りること自体が憚られるような思考もあったのかもしれませんが)
コメントありがとうございます。やはりヨーロッパの知識を取り入れると羊毛となったのかもしれません。
日本で毛皮を用意するならアイヌの知恵を借りるのが最善かなぁ
昔のことやから「土人に教えなんか請えるか」ていう蔑視もあったかもしれん
@@影森治-e1h 多分史実ではないと思うのですが、小説か何かで、蝦夷地探索の先駆者であった最上徳内が薦めた毛皮を後発の探検家たちが用意していなかったことで気分を害したような一幕があったような気がしますね・・・なんにしても「その土地の知恵」は重視しなければならないという教訓的なものは、昔から今に至るまで存在する気がします。
@@yukkuri_adventure 今は科学的な見地から研究されつくした末に、最高の登山用具が開発されてる感じですが、いつの世も権威や高級品に惑わされる展開が多いのかもですね。先人の知恵というのは侮れないものがあるのですが、やはり高度な文化圏にいると自負している人にとっては受け入れにくいものがあるのかもですね・・・
登山装備が未発達な100年前は、冬山登山は無謀だったのでは?😰
挑戦してみないと無謀であることも分からなかったと思います。
@@yukkuri_adventure 様なるほど、やってみないと確かに、どんなリスクあるかわかりませんね。
どうでもよいが、立山”黒部”アルペンルートだなw
失礼しました。
すごくいい動画でした
感動しました
ありがとう
動画待ってました!
お待たせいたしました。
スーパーサンクスもありがとうございます。
100年も前時代、現在と違って登山装備も未発達な中、日本の登山のために登頂をしてくれた人達に不備があっただの今を生きている我々が口にするのは
間違っていると思います
こうした過去の人々の血と汗、そして犠牲が今の登山家の命を守っているのです
槇有恒さんにとって板倉勝宣さんの別れは辛かったと思いますがそれでも歩みを止めず進み続けた事で日本の登山は大きく進歩しました
今の装備が充実した登山家を空から見て「あの頃にあの装備があればな」と笑いながら板倉勝宣さんと槇有恒さんは見守ってくれていると信じています
コメントありがとうございます。スーパーサンクスもありがとうございます。
先人の犠牲があったからこそ、経験が蓄積されて装備も進化したのだと思います。
魔の山アイガー東稜を初登頂した槇有恒さんにこんな壮絶な事があったとは。
むしろ何で2人生きてるんだというレベルだ
約20分があっという間の素晴らしい動画でした。
11:27あたりの今生の別れの覚悟の「さようなら」が何とも哀しい😢
槇有恒さんは、体力、人格共に素晴らしい登山家であったとお見受けしました。
人をまとめることができる、人格者であったようですね。
「さようなら」した後、救援を求めて先行した三田氏が彷徨い幻覚を見ながら書いた遺書の「(自分は)死する。二人を助けよ」って一文が、また泣かせる。
動画ありがとうございます。槇有恒の動画みたかったので嬉しいです。
ありがとうございます。
植村・森田・長谷川に比べたらマイナーですが、登山界発展に尽力された方でした。
板倉勝宣は名前からもしや、と思ったらやはり大名の息子でした。資金力のあるパーティーでも存在しない山道具は揃えようがありませんね。
時代が下れば加藤文太郎や松濤明は、ストーブやヘッデンは使っていたと記憶します。その2人が遭難死した後も活動を続けて、ついにマナスル初登頂を指揮した、というのは日本登山史の生き証人、という感じがします。感無量だったでしょうね。
日本の山岳界を見守り続けた人でした。
板倉さんの最後がまさに凍傷の末期で悲しすぎる・・・
名を馳せた登山家だったのに残念です
現代の装備でも遭難して亡くなる人がいるのに、この時代の脆弱な装備で雪山登山って自殺行為としか思えない。
よく行ったと思います
いつも投稿ありがとうございます。
先人たちの尊い犠牲によって多くの知識が今に残っているのですね。
槇有恒さんの生きた期間の年が、
1984ー1989になってます。
明治・大正・昭和を生き平成元年に亡くなった日本山岳会のパイオニアやな。
申し訳ございません。1894年の間違いです。
今回もいい動画でした! ありがとうございます
ありがとうございます。
テントすらない雪山で二晩を生き延びた槇・三田両氏のタフネスが凄い。
マナスルの栄光へと続く登山界の道は命懸けの手探りで切り開かれた。
粗悪な装備で2日間ビバークしたのは凄いですね。
てっきり雪山って、ある程度の装備が登場してチャレンジが始まったのかと。何もかもが無い時代、こんな過酷なことに挑んでいたことに、頭が下がる。でも友と別れる時の話は辛い。いい動画をありがとうございます。投稿お疲れ様でした
コメントありがとうございます。
しかも冬の立山ですからね、今でも困難なルートです。
あの頑固おやじの小西さんが・・・
どんだけ人格者なんだ
さようならから板倉さんが亡くなるまでが悲しすぎます…
それにしても100年も前から冬山登山が行われていたことに驚きです
よく粗末な道具で冬の北アルプスに登ったものだと感心します。
今とは比べ物にならないほど厳しい装備や環境、山関係の知識や情報も少ない時代の中で困難な登山を成し遂げ、95歳の寿命まで生き抜いたなんてすごい人だ
コメントありがとうございます。
今の装備と技術で臨むのとは全然難易度が違うと思います。
加藤文太郎について知りたいです。
動画をあげているので、是非ご視聴ください
松尾峠も歩いたことあるけど、遮るものがない所だからあの辺冬だと相当ヤバイ。まあ、立山温泉はもう無いので足跡はたどれないなー
松尾峠なんてマニアックなところ歩くなんてかなり登られている方とお見受けします
お前の動画を待ってたんだ!
ありがとうございます。
お待たせしました。
お待ちしてました!!
槙さんの写真はアイガーのミッテルレギ小屋にも飾ってあるものですね、セピアの加減が時代を感じさせて美しいな。
小屋にも飾ってあるのですか、知らなかったです。
おーい! 貴兄の胸のすくような冒険譚が大好きなんだぜーーーー\(^。^)/ 新作まだかーーーーー‼
山行読んでみたい。
是非お読みください
技術の革新には常に何かしらの犠牲が付き物なのだなぁ。これは登山に限らずあらゆる分野で見られる事ではあるけれど。
先人の失敗がないと進歩はないですね。
槇さんは寿命を全うされたのですね😊良かった🎶山で亡くなった登山家が多すぎます😢もしかしたら板倉さんを失った分山では死なないと思われたのかも😔
コメントありがとうございます。
このチャンネルで寿命を全うした登山家は少ないですね。
ノビレとかお願いします。
リクエストありがとうございます。
検討します。
山シロウトの私にもわかり易い ゆっくりアドベンチャー先輩 の動画は、語りの原稿が秀逸で速度やマ(間)も適切、BGMや効果音がグッと盛り上げる、画像も位置関係とかとてもわかり易い、などなど…、 放送局関係の人なのかしらね??? いつも感動をありがとうございます! これからもたくさんの更新をどうかよろしくお願いします! (^。^)ノ
アムンセンやスコットの動画でも感じたのですが、寒冷地に住む生き物の毛皮を利用しないケースが多いですね(アムンセンはエスキモーに倣ってそうした毛皮を着用)
確かに羊毛は入手しやすく防寒的にも優秀ですが、こうした登山などでも有用だったのでしょうか?と疑問はあります。
費用や登山知識はあっても、やはり入手しやすいものやその時点での最高級品(スコットなどがこれに該当?)を利用したくなるものなのでしょうか。
山岳遭難、極地探検で同じような選択をした例があることから、やはり国を問わず、そうした傾向があるのかもしれないですね・・・
(エスキモーなどの地元民の知恵を借りること自体が憚られるような思考もあったのかもしれませんが)
コメントありがとうございます。
やはりヨーロッパの知識を取り入れると羊毛となったのかもしれません。
日本で毛皮を用意するならアイヌの知恵を借りるのが最善かなぁ
昔のことやから「土人に教えなんか請えるか」ていう蔑視もあったかもしれん
@@影森治-e1h 多分史実ではないと思うのですが、小説か何かで、蝦夷地探索の先駆者であった最上徳内が薦めた毛皮を
後発の探検家たちが用意していなかったことで気分を害したような一幕があったような気がしますね・・・
なんにしても「その土地の知恵」は重視しなければならないという教訓的なものは、昔から今に至るまで存在する気がします。
@@yukkuri_adventure 今は科学的な見地から研究されつくした末に、最高の登山用具が開発されてる感じですが、
いつの世も権威や高級品に惑わされる展開が多いのかもですね。
先人の知恵というのは侮れないものがあるのですが、やはり高度な文化圏にいると自負している人にとっては
受け入れにくいものがあるのかもですね・・・
登山装備が未発達な100年前は、冬山登山は無謀だったのでは?😰
挑戦してみないと無謀であることも分からなかったと思います。
@@yukkuri_adventure 様
なるほど、やってみないと確かに、どんなリスクあるかわかりませんね。
どうでもよいが、立山”黒部”アルペンルートだなw
失礼しました。