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ぎりぎり走ってた頃に産まれたけどブルートレインの出雲には乗れずじまいだったなぁ。最近は豪華寝台列車なんてのがあちこちで走ってるけど、求めてるのはそういうのじゃないんだよな。あのお世辞にも広いとは言えない寝台にハシゴで登って、通路の折りたたみ式の椅子に座って離れる街を眺めて見たかったんだ・・・。
昼行区間だけでしたが、祖父と父に乗せてもらった想いが混み上がりましたまもなく廃止から16年ですが、ラストランを飾ったDD51-1179とDD51-1186は未だ健在客車は引かなくて良いからあの紅色と雲を彩ったヘッドマークを掲げて山陰を走ってほしい気持ちでいっぱいになりましたたくさんの想い出をくれた出雲号と動画をアップいただけてたことに感謝です
松江出身ですが、小学生の時に父親転勤で益田で暮らしてました。松江に帰省し益田に戻る時よく、立席特急券で、浜田まで乗せて貰いました。出雲1号のオハネ25に乗せて貰った事と新聞社が企画した子どもの鉄道イベントで出雲1号の走行中カニ24のディーゼル発電機の中を見せて貰いました。
出雲から東京に上京する際、乗車しました。18歳、期待と不安が入り混じった気持ちでいたあの当時を思い出してしまいました。
山陰地方では、立席特急券で乗車できたので昼行列車扱いでした。
舞鶴に住んでいた頃、夜中に夜久野迄車を走らせては「出雲」を見に行ってました。大分手前から、「DD-51」のエンジン音が谷間に響いて、それは興奮しました。懐かしい動画をありがとうございます。
久しぶりに出雲が見たくて拝見いたしました。私も何度となく出雲や客車列車を追いかけて現地に行きました。SDなのが残念ですが、綺麗な画像で貴重な記録です。ありがとうございます。もう二度と乗ることができないと思うと、とても残念です。サンライズでは味わえない旅情がありましたね。
映像がきれいなのでつい最近とった映像に見えました!乗ってみたかったなー!
京都から出雲号に乗って出雲市まで移動する、ということを平成13年頃から廃止まで何度もしていました。廃止されたのは非常に残念です。
ただブルートレインの中でも瀬戸と出雲だけはサンライズになって寝台特急として生き残りましたね。かつてのブルートレインはやぶさ、さくら、つるぎ、みずほはみんな新幹線になりましたから。
山陰本線特急285系サンライズ出雲、DD51出雲、381系やくも、智頭急行スーパーはくと、北近畿タンゴ鉄道タンゴエクスプローラー、北近畿タンゴ鉄道タンゴディスカバリー、183系北近畿、バリエーション豊かな特急電車でしたね。
改めてブルートレイン懐かしいですね✨一部の地域を除いてほとんど廃車になってしまった…寂しいですが力走ある出雲号を残して頂きありがとうございます😹👍現在はサンライズ瀬戸・出雲号として走り続けていますが、1度乗ってみたいし、後世まで残して頂きたいですね・・・
良い映像ですね!非電化区間をディーゼル機関車牽引の客車列車。定期列車はなく精々七つ星位か。昭和50年代に米子近くに住んでいた祖母が東京に越してくることになり中学生だった私が迎えに行くことになり出雲で往復しました。往路は8年ぶりの豪雪で8時間遅れで米子に到着。乗り換えて名和まで行きましたが国電しか知らない者にとってDD51牽引のスハ43系客車は感動でした。それから時は流れ次女が生まれた際、福岡にいる妻から生まれちゃったからゆっくり来たらと言われ3月に廃止と決定した出雲に乗って真冬の米子に行きました。そしてそれから12年、転勤で家族ともども米子で2年過ごしてまた東京へ。往時の米子の活気はなくなりましたが良い所でした。せめてサンライズだけは残してほしいと何かにつけて利用してます。
10年位前に僕も廃止目前の出雲を撮る為に餘部鉄橋に行きましたね。当時の出雲はJR山陰本線区間をディーゼル機関車牽引、東海道本線区間では電気機関車が牽引していたのと、JR山陰本線では唯一の寝台特急としても知られていましたね。僕が撮りに行った時は上り、下りとも機関車1台+客車11両のフル編成でした。餘部駅を通過する姿は圧巻と力強さ、迫力がありましたね。もう二度と見れないんですね。残念です。後、泊まりで京都駅に訪れた時にも見た事あります。今の山陰本線は団体臨時としてTWILIGHT EXPRESS瑞風の、山陰コースと山陽・山陰2泊3日コースが、特急はまかぜも新型車両に変わってはいますが運用は継続してますね。
なんかめちゃくちゃカッコいいんだけど
浜田勤務時代、家内の御母堂の死去、ちょうど真夜中名で翌日は新年早々の大雪、自動車道も通行止め、何せ家内の田舎は福島の山奥、とりあえず東京まで出なければと、花田発寝台特急出雲号、家内子供を連れて東京まで、山陰線経由長旅でしたね。でも山陰本線、深夜ではあったんですが途中途中の停車駅の雪降る様相には目に焼き付いy手ます。
幼い時に浜田まで京都から乗りました
2006年か、婆さんも生きてたな、猫のオタも生きてたな
すばらしい映像ありがとう。音声と映像がズレが気になりました。
本州で唯一、ディーゼル機関車に牽引されるブルートレイン。
下りには乗車したことがありますが、上りには乗車できないまま廃止になってしまい残念でした。現存のブルートレインは、この出雲1編成いにも満たないのではないでしょうか?寝台列車の代名詞がブルートレインだったのに1列車も残っていないとは…九州のED76は好きになれない釜でしたが、DD51はどれだけ眺めていても飽きないですね~しかし、いつもながら冷静で客観的な描写を忘れませんね。鉄道動画の手本だと思います。
JR西日本の日本海側路線にはこれまで出雲の他に北陸本線を走る日本海、トワイライトエクスプレス、急行きたぐにがありました。しかし、きたぐに、日本海も行き先が函館が廃止になり、青森行に変わった後に廃止になり、最後まで生き残ったトワイライトエクスプレスも今から4年前の3月に廃止になりましたね。
餘部鉄橋が、架け変え前の寝台特急出雲号は、JR. 東日本尾久客車区の24系寝台客車で、東京から京都まではJR東日本田端機関区のEF65で、京都から浜田まではJR西日本後藤総合車両所本部のDD51が担当していました。現在城崎温泉から鳥取までの区間は、特急列車的では、はまかぜ号の営業だけになりました。
映像の冒頭が西村京太郎トラベルミステリーみたい。2:06あたりでトラベルミステリーのテーマに入る感じ。
【お願い】この動画のうち、余部鉄橋を渡るシーン、2:25あたり~4:03あたりについて、SNSや寝台特急出雲に関するユーチューブ動画で使いたいのですが、よろしいでしょうか。出雲号についてわかりやすく伝えるために使用したく思っております。使用に際しては、引用元についてはきちんと説明しようと思っています。
ご視聴ありがとうございます。映像ですが、収益の発生しない動画に限りご自由にお使い頂いて構いません。宜しくお願いいたします。
@@kazu9521 分かりました。ありがとうございます。
新規の餘部鉄橋なんか餘部やないし
これサンライズと経由路線は同じだったかな?
サンライズ出雲は伯備線経由ですが、出雲は山陰本線経由でした。
ぎりぎり走ってた頃に産まれたけどブルートレインの出雲には乗れずじまいだったなぁ。最近は豪華寝台列車なんてのがあちこちで走ってるけど、求めてるのはそういうのじゃないんだよな。あのお世辞にも広いとは言えない寝台にハシゴで登って、通路の折りたたみ式の椅子に座って離れる街を眺めて見たかったんだ・・・。
昼行区間だけでしたが、祖父と父に乗せてもらった想いが混み上がりました
まもなく廃止から16年ですが、ラストランを飾ったDD51-1179とDD51-1186は未だ健在
客車は引かなくて良いからあの紅色と雲を彩ったヘッドマークを掲げて山陰を走ってほしい気持ちでいっぱいになりました
たくさんの想い出をくれた出雲号と動画をアップいただけてたことに感謝です
松江出身ですが、小学生の時に
父親転勤で益田で暮らしてました。
松江に帰省し益田に戻る時
よく、立席特急券で、浜田まで
乗せて貰いました。
出雲1号のオハネ25に乗せて貰った事と新聞社が企画した
子どもの鉄道イベントで
出雲1号の走行中カニ24の
ディーゼル発電機の中を見せて貰いました。
出雲から東京に上京する際、乗車しました。
18歳、期待と不安が入り混じった気持ちでいたあの当時を思い出してしまいました。
山陰地方では、立席特急券で乗車できたので昼行列車扱いでした。
舞鶴に住んでいた頃、夜中に夜久野迄車を走らせては「出雲」を見に行ってました。
大分手前から、「DD-51」のエンジン音が谷間に響いて、それは興奮しました。
懐かしい動画をありがとうございます。
久しぶりに出雲が見たくて拝見いたしました。私も何度となく出雲や客車列車を追いかけて現地に行きました。SDなのが残念ですが、綺麗な画像で貴重な記録です。ありがとうございます。もう二度と乗ることができないと思うと、とても残念です。サンライズでは味わえない旅情がありましたね。
映像がきれいなのでつい最近とった映像に見えました!乗ってみたかったなー!
京都から出雲号に乗って出雲市まで移動する、ということを平成13年頃から廃止まで何度もしていました。廃止されたのは非常に残念です。
ただブルートレインの中でも瀬戸と出雲だけはサンライズになって寝台特急として生き残りましたね。かつてのブルートレインはやぶさ、さくら、つるぎ、みずほはみんな新幹線になりましたから。
山陰本線特急
285系サンライズ出雲、DD51出雲、381系やくも、智頭急行スーパーはくと、北近畿タンゴ鉄道タンゴエクスプローラー、北近畿タンゴ鉄道タンゴディスカバリー、183系北近畿、
バリエーション豊かな特急電車でしたね。
改めて
ブルートレイン
懐かしいですね✨
一部の地域を除いて
ほとんど廃車になってしまった…
寂しいですが
力走ある出雲号を残して頂き
ありがとうございます😹👍
現在はサンライズ瀬戸・出雲号として走り続けていますが、1度乗ってみたいし、後世まで残して頂きたいですね・・・
良い映像ですね!非電化区間をディーゼル機関車牽引の客車列車。定期列車はなく精々七つ星位か。昭和50年代に米子近くに住んでいた祖母が東京に越してくることになり中学生だった私が迎えに行くことになり出雲で往復しました。往路は8年ぶりの豪雪で8時間遅れで米子に到着。乗り換えて名和まで行きましたが国電しか知らない者にとってDD51牽引のスハ43系客車は感動でした。それから時は流れ次女が生まれた際、福岡にいる妻から生まれちゃったからゆっくり来たらと言われ3月に廃止と決定した出雲に乗って真冬の米子に行きました。そしてそれから12年、転勤で家族ともども米子で2年過ごしてまた東京へ。往時の米子の活気はなくなりましたが良い所でした。せめてサンライズだけは残してほしいと何かにつけて利用してます。
10年位前に僕も廃止目前の出雲を撮る為に餘部鉄橋に行きましたね。当時の出雲はJR山陰本線区間をディーゼル機関車牽引、東海道本線区間では電気機関車が牽引していたのと、JR山陰本線では唯一の寝台特急としても知られていましたね。僕が撮りに行った時は上り、下りとも機関車1台+客車11両のフル編成でした。餘部駅を通過する姿は圧巻と力強さ、迫力がありましたね。もう二度と見れないんですね。残念です。後、泊まりで京都駅に訪れた時にも見た事あります。今の山陰本線は団体臨時としてTWILIGHT EXPRESS瑞風の、山陰コースと山陽・山陰2泊3日コースが、特急はまかぜも新型車両に変わってはいますが運用は継続してますね。
なんかめちゃくちゃカッコいいんだけど
浜田勤務時代、家内の御母堂の死去、ちょうど真夜中名で翌日は新年早々の大雪、自動車道も通行止め、何せ家内の田舎は福島の山奥、とりあえず東京まで出なければと、花田発寝台特急出雲号、家内子供を連れて東京まで、山陰線経由長旅でしたね。でも山陰本線、深夜ではあったんですが途中途中の停車駅の雪降る様相には目に焼き付いy手ます。
幼い時に浜田まで京都から乗りました
2006年か、婆さんも生きてたな、猫のオタも生きてたな
すばらしい映像ありがとう。音声と映像がズレが気になりました。
本州で唯一、ディーゼル機関車に牽引されるブルートレイン。
下りには乗車したことがありますが、上りには乗車できないまま廃止になってしまい残念でした。
現存のブルートレインは、この出雲1編成いにも満たないのではないでしょうか?
寝台列車の代名詞がブルートレインだったのに1列車も残っていないとは…
九州のED76は好きになれない釜でしたが、DD51はどれだけ眺めていても飽きないですね~
しかし、いつもながら冷静で客観的な描写を忘れませんね。鉄道動画の手本だと思います。
JR西日本の日本海側路線にはこれまで出雲の他に北陸本線を走る日本海、トワイライトエクスプレス、急行きたぐにがありました。しかし、きたぐに、日本海も行き先が函館が廃止になり、青森行に変わった後に廃止になり、最後まで生き残ったトワイライトエクスプレスも今から4年前の3月に廃止になりましたね。
餘部鉄橋が、架け変え前の寝台特急出雲号は、JR. 東日本尾久客車区の24系寝台客車で、東京から京都まではJR東日本田端機関区のEF65で、京都から浜田まではJR西日本後藤総合車両所本部のDD51が担当していました。現在城崎温泉から鳥取までの区間は、特急列車的では、はまかぜ号の営業だけになりました。
映像の冒頭が西村京太郎トラベルミステリーみたい。2:06あたりでトラベルミステリーのテーマに入る感じ。
【お願い】この動画のうち、余部鉄橋を渡るシーン、2:25あたり~4:03あたりについて、SNSや寝台特急出雲に関するユーチューブ動画で使いたいのですが、よろしいでしょうか。出雲号についてわかりやすく伝えるために使用したく思っております。使用に際しては、引用元についてはきちんと説明しようと思っています。
ご視聴ありがとうございます。
映像ですが、収益の発生しない動画に限りご自由にお使い頂いて構いません。
宜しくお願いいたします。
@@kazu9521 分かりました。ありがとうございます。
新規の餘部鉄橋なんか餘部やないし
これサンライズと経由路線は同じだったかな?
サンライズ出雲は伯備線経由ですが、出雲は山陰本線経由でした。
2006年か、婆さんも生きてたな、猫のオタも生きてたな
2006年か、婆さんも生きてたな、猫のオタも生きてたな
2006年か、婆さんも生きてたな、猫のオタも生きてたな