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初めてコメントさせていただきます。現在54歳女性、実家の山奥大自然の中、園芸まみれになりながら保護猫と細々暮らしています。畑も作っていましたが猪さんが全部食べてしまうのでできなくなってしまいました。でも私もつるちゃんと一緒で「お腹いっぱいになったかな?おいしかったかな?」と思うくらいで全く憎くはありません。彼らは自然の一部と捉えています。さて、今回のお話が私の体験とあまりにもリンクしていたのと言葉で表現できるものだということに大変驚いています。30歳の時事故して一日意識がなくあれは夢だったのかもしれませんが、天国の入り口まで行きました。名前を呼ばれて振り向くと同時に意識が戻るという体験をしています。一度死んだ感覚があり、不思議なことにそれまで鬱になる程苦しかった事がなんでそんな事で苦しんでいたんだろうと思うほど生きる事が楽になっていきました。また、両親の介護を10年して二人を目の前で看取りました。亡くなる前に見せたあの一瞬の顔が忘れられません。言葉にするなら正しく悟りを得た顔で神々しいとはこういう姿なのだと胸に刺さりました。両親の最期を振り返りますと、寝たきりになりオムツをはめてご飯も喉に詰まらせないようにトロトロな物を慎重に口に運び、それはまるで少年少女から幼児へ、幼児から新生児へと人生を逆に進むというか元に戻るような感じでした。最期は少しだけ苦しむ表情を見せて息を引き取りました。私はその時お母さんの子宮に戻ったんんじゃないかと思えて仕方ありませんでした。自分の死と両親の死と向き合い思い知ったのは、生と死は同じという事でした。あと、あまり母とは仲が良くなかったのですが、悟った顔を見せた時、自然と今までの全ての事を「許す」事ができました。きっと母も同じ境地だったと思います。それ以来物事に執着しすぎたり怒ったりすることはほとんど無くなり、生きることがとても楽になりました。死への恐怖もありません。身をもって教えてくれた母に心から感謝をしています。最後にお寺さんから頂いたカレンダーに書かれている言葉をひとつ。「悲しみを通さないと見えてこない世界がある」長文失礼いたしました。まだまだ厳しい残暑が続きます。つるちゃん、スタッフの皆様、どうぞお身体に気をつけて。続きの配信、楽しみにしています。
とてもいいお話ありがとうございました。私も母とは折り合いが悪く時折ぶつかるけれどそれでも最後まで看ようと思っています。母と娘。縁あって親子になった訳だから😅
つるちゃんのおばあちゃんはこの仏様をずっと守ってこられたんですね。凄いです。つるちゃんの表情が仏様の顔とダブって見えます。つるちゃんの礼儀正しさも謙虚さもおばあちゃんの願いがあってのことなのでしょうね😊
このお二人が解説する仏教シリーズ、好きで見させてもらってます。今後もたくさん見たいので、続くことを期待しております。
空は、真理なだけで、この世は縁起でできてるんだから、縁起で自分も存在しているとするなら、奇跡的な世界に感謝して生きましょう。結局は、ただ、それだけな気がします。😊
「右脳さん左脳さん」で有名なねどじゅんさんのワンネス体験が、いわゆる悟り、空の体験だと思います。
私も農作業をしていて空ってたんじゃないかーと思う事はあったので、動禅としての農業も面白いと思っています。
またまた楽しい配信有難うございました。すっと流してしまって陥りやすい、気づかない落とし穴をお伝えします。それは本当に宇宙のどこにも空に属さない実体、自性をもつ存在はないのか?それは自身の認識能力で確認可能なのかという問題です。ですから眼の前にお釈迦様がいて、そのようにお話になったとしても盲目的に信じてはいけません。通常ではこれを確認する手段がないので「世界」がそういう性質かどうかはただの想像に過ぎません。信じずに自身で確認する作業がいわゆる瞑想であり、その人の段階によって確認できる範囲が変わります。また散々言われてきたことですが、縁起であり、空であり、無自性であるならば、私が犯した罪も、当然そうなのだから、襲ってくる後悔も、後ろめたさも、それもやはり空であり、本質・自性がなく気に病む必要はない、そう考えることが正しいと言えます。実際にはそれが本当に正しいのですが、それが許されるのは世界の全ての生命が悟りに達している場合だけであり、現実世界では当然許されない場合もありますから、その辺りを自分自身がどう折り合いをつけるのか、自分を害する相手が現れた時、実際にはどのような変化が自身に現れるのか、このような現象が起こった場合には自身の思索の大いなるチャンスとなります。修行解説編、楽しみにしています。有難う御座いました。
空、縁起は、その後、他力本願に繋がってゆく。
前回の仏教シリーズがおすすめに出てきて、それから色々拝見しております。お2人のお話がわかり易く、素晴らしいコンテンツをありがとうございます。
0:00 ダイジェスト1:05 大乗仏教における空の位置づけ3:15 空の定義:あらゆる現象は実体ではない5:26 空の誤解:虚無主義ではない6:31 実体とは何か:3つの条件9:48 縁起と空:全ては繋がりによって成り立つ11:59 自己と空:固定的な自己は存在しない14:09 無自性と無我:永続的な本質と独立した自己の不在18:28 世界はネットワーク:全ては情報である20:35 空と運:縁起の認識と運の関係21:39 空と苦しみ:執着からの解放24:56 空の実践:理論と日常生活のバランス28:09 空の体得:様々な修行法と日常の中での実践
色(そとの世界)も空(そこに本質は無い)だし心(感情、思考)すらも空(そこに本質はない)だし、もっと言えば皆が魂だと思ってるもの(意識現象その者)も空(本質は無い)だし。だからこそ皆いつかは死ぬのよな。だからこそそれを理解した上でどう世界を生きるのかが問われるよな。
苫米地英人博士の空の数学的定義縁起の説明腑に落ちます
パーリ仏典で苦行は否定されているのでパーリ三蔵に基づく修行を行う上座部で苦行は行われませんよ。私も念仏者ですがちょっと看過できない。
荒行に身を置くのは日本らしい仏教ですね覚り=解脱と考えると、大乗は衆生に着目し覚りから距離を置いた仏教になる
「空」という理念を体得したとして、「空」を認識してない、できないと考える存在にどう接すればいいのでしょうその境地にはまだ達することはできないと思いました(コメントしづらいお題でした)
みうらじゅんさんとの対談がみたいです!
自●扱いにされる農家さんがどんどん増えてるなか「幸せです」って笑ってる農家さんは確かにいるがあれは必死に現実から目を背け認知症になってるだけで、大多数の人にとっては認知症は苦しいだけだ。なのに幸せそうに見えるのは、他人の不幸は蜜の味だからだ。「全て縁起の結果であり結果に囚われなければ苦しくない」とはそういう意味。実は苦しみを受け入れる方が良い。
お二人の考える死生観が知りたいです。
つるちゃんもいいが、カンタさんの声がいい。和音のように多世界に響く。
空とは、この世界がアバターワールドという事なんじゃないかな?意識が物質世界という色を体験してる?させられてる?マインドの修行かと…😅
アインシュタイン氏は 自然界の出来事を神の行いとしたのが宗教?みたいなことらしいけど、仏教は人間とはを突き詰めたのですか
仏教ではいわゆる「神」のことを「業(カルマ)」と言い換えることができます。実体的な存在ではなく自分の認識と言う事です。
そもそも人間に自由意志はなく、ただ反射・反応だけで生きている。そこを無視して 「考えれば 答えが出る」と思っているのが間違いでは?ただ自己の経験から 知りうる中で 生存に有利なほうを選んでいるだけ。選ぶという行為も 生まれ育った環境から得た判断基準とDNAに埋め込まれた性格から行っている。自分が今いるのは 先祖代々 微生物の時代からの反射・反応の積み重ねで生き残った者がそこにいるだけで それ以上の意味はない。
カンタの説明のが易しいよ、ありがとうカンタ!でも空はわかんないよ。縁起と運命は近いものではない?私が生まれた時には親も遺伝子も育つ環境も決まってて、体や性格や考え方がどうなるかは自分で選べないし変えようもない、つまり生まれた時点で私の人生がどうなるかは決まっている運命にある。宇宙が生まれ、地球が生まれ、生命が生まれ、その流れで世界で何が起きるかすべて決まっている運命というレールの中の一瞬で過ぎ去る一部に私がいるだけで、私なんてものはない。広い宇宙と何億年という時間のすべての縁起の中の小さな小さな歯車なだけなのが私、そういうことではない?わかったら悟り開けちゃうわけで、わからない前提なのがちょっと嫌な学問ですね。
個人的には空(無)が無いと色は説明できないと考えています。数学で言うところの0。
仏教はフランチャイズしていく中で なんでもありになってる。とくに日本の大乗仏教は 時の権力者に 擦り寄るあまり、かなりひどい。釈迦の仏教だけに絞って話してほしいね
まあ、でも色と空はある訳でして。 すべては変化すると思うのが実践的かなと思う。いきなりお前のカネはゼロなんだよと言われても現実的に困るでしょう。
初めてコメントさせていただきます。現在54歳女性、実家の山奥大自然の中、園芸まみれになりながら保護猫と細々暮らしています。畑も作っていましたが猪さんが全部食べてしまうのでできなくなってしまいました。でも私もつるちゃんと一緒で「お腹いっぱいになったかな?おいしかったかな?」と思うくらいで全く憎くはありません。彼らは自然の一部と捉えています。
さて、今回のお話が私の体験とあまりにもリンクしていたのと言葉で表現できるものだということに大変驚いています。
30歳の時事故して一日意識がなくあれは夢だったのかもしれませんが、天国の入り口まで行きました。名前を呼ばれて振り向くと同時に意識が戻るという体験をしています。一度死んだ感覚があり、不思議なことにそれまで鬱になる程苦しかった事がなんでそんな事で苦しんでいたんだろうと思うほど生きる事が楽になっていきました。また、両親の介護を10年して二人を目の前で看取りました。亡くなる前に見せたあの一瞬の顔が忘れられません。言葉にするなら正しく悟りを得た顔で神々しいとはこういう姿なのだと胸に刺さりました。両親の最期を振り返りますと、寝たきりになりオムツをはめてご飯も喉に詰まらせないようにトロトロな物を慎重に口に運び、それはまるで少年少女から幼児へ、幼児から新生児へと人生を逆に進むというか元に戻るような感じでした。最期は少しだけ苦しむ表情を見せて息を引き取りました。私はその時お母さんの子宮に戻ったんんじゃないかと思えて仕方ありませんでした。自分の死と両親の死と向き合い思い知ったのは、生と死は同じという事でした。あと、あまり母とは仲が良くなかったのですが、悟った顔を見せた時、自然と今までの全ての事を「許す」事ができました。きっと母も同じ境地だったと思います。それ以来物事に執着しすぎたり怒ったりすることはほとんど無くなり、生きることがとても楽になりました。死への恐怖もありません。身をもって教えてくれた母に心から感謝をしています。最後にお寺さんから頂いたカレンダーに書かれている言葉をひとつ。
「悲しみを通さないと見えてこない世界がある」
長文失礼いたしました。まだまだ厳しい残暑が続きます。つるちゃん、スタッフの皆様、どうぞお身体に気をつけて。続きの配信、楽しみにしています。
とてもいいお話ありがとうございました。
私も母とは折り合いが悪く時折ぶつかるけれどそれでも最後まで看ようと思っています。
母と娘。縁あって親子になった訳だから😅
つるちゃんのおばあちゃんはこの仏様をずっと守ってこられたんですね。凄いです。
つるちゃんの表情が仏様の顔とダブって見えます。
つるちゃんの礼儀正しさも謙虚さもおばあちゃんの願いがあってのことなのでしょうね😊
このお二人が解説する仏教シリーズ、好きで見させてもらってます。今後もたくさん見たいので、続くことを期待しております。
空は、真理なだけで、この世は縁起でできてるんだから、縁起で自分も存在しているとするなら、奇跡的な世界に感謝して生きましょう。
結局は、ただ、それだけな気がします。😊
「右脳さん左脳さん」で有名なねどじゅんさんのワンネス体験が、いわゆる悟り、空の体験だと思います。
私も農作業をしていて空ってたんじゃないかーと思う事はあったので、動禅としての農業も面白いと思っています。
またまた楽しい配信有難うございました。すっと流してしまって陥りやすい、気づかない落とし穴をお伝えします。それは本当に宇宙のどこにも空に属さない実体、自性をもつ存在はないのか?それは自身の認識能力で確認可能なのかという問題です。
ですから眼の前にお釈迦様がいて、そのようにお話になったとしても盲目的に信じてはいけません。
通常ではこれを確認する手段がないので「世界」がそういう性質かどうかはただの想像に過ぎません。信じずに自身で確認する作業がいわゆる瞑想であり、その人の段階によって確認できる範囲が変わります。
また散々言われてきたことですが、縁起であり、空であり、無自性であるならば、私が犯した罪も、当然そうなのだから、襲ってくる後悔も、後ろめたさも、それもやはり空であり、本質・自性がなく気に病む必要はない、そう考えることが正しいと言えます。
実際にはそれが本当に正しいのですが、それが許されるのは世界の全ての生命が悟りに達している場合だけであり、現実世界では当然許されない場合もありますから、その辺りを自分自身がどう折り合いをつけるのか、自分を害する相手が現れた時、実際にはどのような変化が自身に現れるのか、このような現象が起こった場合には自身の思索の大いなるチャンスとなります。
修行解説編、楽しみにしています。有難う御座いました。
空、縁起は、その後、他力本願に繋がってゆく。
前回の仏教シリーズがおすすめに出てきて、それから色々拝見しております。
お2人のお話がわかり易く、素晴らしいコンテンツをありがとうございます。
0:00 ダイジェスト
1:05 大乗仏教における空の位置づけ
3:15 空の定義:あらゆる現象は実体ではない
5:26 空の誤解:虚無主義ではない
6:31 実体とは何か:3つの条件
9:48 縁起と空:全ては繋がりによって成り立つ
11:59 自己と空:固定的な自己は存在しない
14:09 無自性と無我:永続的な本質と独立した自己の不在
18:28 世界はネットワーク:全ては情報である
20:35 空と運:縁起の認識と運の関係
21:39 空と苦しみ:執着からの解放
24:56 空の実践:理論と日常生活のバランス
28:09 空の体得:様々な修行法と日常の中での実践
色(そとの世界)も空(そこに本質は無い)だし心(感情、思考)すらも空(そこに本質はない)だし、もっと言えば皆が魂だと思ってるもの(意識現象その者)も空(本質は無い)だし。だからこそ皆いつかは死ぬのよな。だからこそそれを理解した上でどう世界を生きるのかが問われるよな。
苫米地英人博士の
空の数学的定義
縁起の説明
腑に落ちます
パーリ仏典で苦行は否定されているのでパーリ三蔵に基づく修行を行う上座部で苦行は行われませんよ。私も念仏者ですがちょっと看過できない。
荒行に身を置くのは日本らしい仏教ですね
覚り=解脱と考えると、大乗は衆生に着目し覚りから距離を置いた仏教になる
「空」という理念を体得したとして、「空」を認識してない、できないと考える存在にどう接すればいいのでしょう
その境地にはまだ達することはできないと思いました(コメントしづらいお題でした)
みうらじゅんさんとの対談がみたいです!
自●扱いにされる農家さんがどんどん増えてるなか「幸せです」って笑ってる農家さんは確かにいるがあれは必死に現実から目を背け認知症になってるだけで、大多数の人にとっては認知症は苦しいだけだ。
なのに幸せそうに見えるのは、他人の不幸は蜜の味だからだ。
「全て縁起の結果であり結果に囚われなければ苦しくない」とはそういう意味。実は苦しみを受け入れる方が良い。
お二人の考える死生観が知りたいです。
つるちゃんもいいが、カンタさんの声がいい。和音のように多世界に響く。
空とは、この世界がアバターワールドという事なんじゃないかな?意識が物質世界という色を体験してる?させられてる?マインドの修行かと…😅
アインシュタイン氏は 自然界の出来事を神の行いとしたのが宗教?みたいなことらしいけど、仏教は人間とはを突き詰めたのですか
仏教ではいわゆる「神」のことを「業(カルマ)」と言い換えることができます。
実体的な存在ではなく自分の認識と言う事です。
そもそも人間に自由意志はなく、ただ反射・反応だけで生きている。
そこを無視して 「考えれば 答えが出る」と思っているのが間違いでは?
ただ自己の経験から 知りうる中で 生存に有利なほうを選んでいるだけ。
選ぶという行為も 生まれ育った環境から得た判断基準とDNAに埋め込まれた性格から行っている。
自分が今いるのは 先祖代々 微生物の時代からの反射・反応の積み重ねで生き残った者がそこにいるだけで それ以上の意味はない。
カンタの説明のが易しいよ、ありがとうカンタ!でも空はわかんないよ。
縁起と運命は近いものではない?私が生まれた時には親も遺伝子も育つ環境も決まってて、体や性格や考え方がどうなるかは自分で選べないし変えようもない、つまり生まれた時点で私の人生がどうなるかは決まっている運命にある。
宇宙が生まれ、地球が生まれ、生命が生まれ、その流れで世界で何が起きるかすべて決まっている運命というレールの中の一瞬で過ぎ去る一部に私がいるだけで、私なんてものはない。
広い宇宙と何億年という時間のすべての縁起の中の小さな小さな歯車なだけなのが私、そういうことではない?
わかったら悟り開けちゃうわけで、わからない前提なのがちょっと嫌な学問ですね。
個人的には空(無)が無いと色は説明できないと考えています。数学で言うところの0。
仏教はフランチャイズしていく中で なんでもありになってる。
とくに日本の大乗仏教は 時の権力者に 擦り寄るあまり、かなりひどい。
釈迦の仏教だけに絞って話してほしいね
まあ、でも色と空はある訳でして。 すべては変化すると思うのが実践的かなと思う。
いきなりお前のカネはゼロなんだよと言われても現実的に困るでしょう。