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この動画のおかげでi-DCDの燃費走行の根幹はわかりました。ですが、日中の国道などのそれなりの交通量、自由な加減速が許されない状況では中々難しそうな気もします。そのような状況でも燃費を稼ぐにはどうすれば良いでしょうか。必要な意識を端的に説明していただきたいです。
i-DCDはとにかくエンジンは6速モーターは5速で走る事を意識すべきで、発進加速して自然に巡航速度に乗せればそうなるようになっています。その為にはアクセルを緩め過ぎない事が大事で、巡航速度に達した時にアクセルを緩めてEVに入れてはいけません。そうするとシフトダウンしてしまうのでエネルギー効率がかなり落ちます。
厳しい現実よりは、甘い寝言に凡人は惹かれる。ましてや甘い寝言を効率厨というさもストイックかのようなレトリックでコーティングしてしまう。第三者から見ると、それこそが新宗教を意味する。
燃費は関係なく効率を上げたいってのはめちゃくちゃな話でしたよね。それを人は無駄と呼ぶのだ(笑)
過去のぬるま湯を活かせず、未来に生きる欲望を捨てられずに、結果的に今を生きることができていないように見えている。そんなところかな。
それこそ熱効率が悪いですね。今から先を効率よく走る為に過去の熱効率を高めるのがハイブリッド車ですね。
改めて思うが、馬の耳に念仏ということわざを編み出した先人には、拍手を送りたい。
まぁおわかりなんだとは思いますが念の為。その諺の語源は四文字熟語の馬耳東風で、東風とは気持ちの良い春風の事を指します。つまり気持ちの良い春風が耳を撫でても何も感じる事なくただせっせと草を喰むのが馬なわけで、馬耳東風は他人の話などには一切興味を示す事などなく、自分の見える世界の中でだけで生きている人、という意味であるわけです。つまり馬の耳に念仏という諺は馬の(ように他人の言う事に興味を示さない人)の耳に念仏を唱える事、であるわけでして、本来その諺が揶揄しているのは他人の意見を聞かない馬ではなく、そんな馬の耳に念仏を唱えて聞かせてる坊さんの方なんですよね。言いたい事は反省すべき点は我々にもある。という事です。まぁもう忘れて楽しくやりましょう^ ^
子供の頃は馬の方をコケにすることわざだと見事に誤解しておりました。馬に念仏唱えるくらいなら、信徒に念仏唱えろよ。人生のタイムリミットは有限だぜ?ってことですわなあ。まあ、でも馬の耳に念仏でも意味があるケースはあって。それは「インフルエンサーを馬と見立てて、第三者にその馬の矛盾点を喧伝する」ケース。「放射脳」なんてスラングも3.11から10年以上経った今となってはもはや一般名詞ですが3.11当時はただの大学生でしたが当時は別に放射性物質の専門家でもなんでもないのに世間に蔓延する誤謬に立ち向かうのに相当苦労した覚えがあります。相当苦労したからこそ、今の捻じ曲がった私個人が此処に居るわけですが笑それこそ、大阪大の菊池誠センセなんかは物理学者としての良心に相当従ってご苦労になったことだと思いますよ。ご自身の政治信条だった「日本共産党支持」の旗印を畳んでしまうくらいには3.11にまつわる政治情勢には、相当苦しめられたようです。政治信条よりはご自身の物理屋としての矜持を優先させたということで自然科学の観点では信頼して良い先生だと思いますね。
で、今回知った学習院大学の田崎晴明センセですが辛うじて市立図書館で借りられた『やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識』『「知」の欺瞞 ポストモダン思想における科学の濫用」(アラン・ソーカル他著、田崎晴明他訳)で判別しましたが、科学者としてかなりの良心派です。東大物理学の卒業生たちがこぞって慕うのも頷けます。ぜひ、「ソーカル事件」で検索してみてください。鹿本享受の「蒙昧主義」とでも言うべき態度を一貫して批判する私の姿と重なるかと思います。
はてなブログより引用 アタマのいい友人が面白いと言ってたので読んでみた。というか、ぽすともだんってなにそれおいしいの?*1な自分にとっては、友人の推薦でもなきゃ絶対手に取らなかったと思う。 xiao-2の理解で無理矢理要約すると:ポストモダンと言われる社会科学や人文科学の言説の中には、カッコよく見せるため、自然科学の用語や考え方を正しくない理解で適当に使ったり、自然科学のやり方を無闇と否定した極端な考え方に走ってるものがある。気をつけろ!ということらしい。 この本には背景がある。著者の一人アラン・ソーカルという人は上記のような状況に怒っていたので、わざとでたらめな論文を書いて雑誌に投稿してみたのだそうだ。そしたら「これデタラメじゃん」というツッコミも受けずに載ってしまったのだとか。Wikipedia-ソーカル事件 小・中学校のとき、読書感想文の宿題にうんざりして「あーこれ架空の本をでっちあげてでたらめ書いてやりたいな、先生だって絶対ちゃんと読んでないしバレないだろ」といういたずら心に駆られた経験のあるひとがいるかもしれない*2。が、大人になってそういうことをやるひとがいるとは。 もちろん真面目な批判精神に基づいてやってることだし、少なくとも架空の論文は引いてなくて、すべて実際の知識人の書いたものから引用して組み立てているというのだから、小学生のいたずらとはレベルが違う。なんだけれど、なんだかページの向こうでしてやったりという顔されているような感覚があるせいか、堅い上に鋭い批判本だというのに読んでいて憎めない。 本の内容としては、自然科学の用語を正しくない理解で適当に使っているとされる人たちの文章の実例をガンガン引用して、自然科学者としての観点からツッコミを入れまくるというもの。 引用されてる文章の大半は、自分にはほんとに理解できなかった。単独で読んでいたら哲学の素養がないからかと泣き寝入りしていたところだが、それにツッコミを入れているということは分かる。「難解なのは深遠なことを扱っているからではなく、中身がないからだよ!」とぶったぎられるのは、こっそり安心する話でもある。 ただ素養のない身の悲しさは、ツッコミの方も本当に込み入った説明になるとついていけなくなるところ。特に数学方面の話。「この人はAをBという意味で使っているが両者は違うものだ」と言われれば、違うんだなぁ、とは分かるが、じゃあほんとはAってどういうことかという説明については必ずしも理解できるとは言えなかった。 とは言え、出来る限り誠実に説明しようとしているのは感じる。素人向けにカットした部分は「カット版です」と明記することも含めて。たぶん、分かっていないということを分からせるのが目的でもあるのだろう。 エピローグの、自然科学と人間科学の関係についてのまとめ。ここは常識的なくらいシンプルだ。・自分が何をいっているかわかっているのはいいことだ。・不明瞭なものがすべて深遠なわけではない。・科学は「テクスト」ではない。・自然科学の猿真似はやめよう。・権威を笠に着た議論には気をつけよう。・個別的な懐疑と極端な懐疑主義を混同してはならない。・曖昧さは逃げ道なのだ。 これを疑問文にすると、自然科学用語をまぶしたよく分からないモノに出会った時や、何かのはずみで自分がそういうモノを作ってしまいそうになった時の予防薬になりそうだ。「自分が何を言ってるかわかってますか?」と。*1:言われてみればモダン焼き的な名称ではある。*2:xiao-2は実行はしませんでしたよ。xiao-2 12年前
というように、いつものように新しい順にしないと返信が読めないので、取り急ぎ。
i-DCDというのは、凡人を狂わせるには十分な筐体だったのだろう。ここまでナイーブな反応を示されると、疑惑が確信に変わってしまう。もはやただの悲鳴でしかない。単にイニシャルコストが安いだけのハイブリッドシステムにあたかも無限の可能性があるかのような印象付けで凡人どもを夢幻の迷宮に閉じ込めた鹿本享受の姿勢も罪深い。
そうなんですよ、前々から申しておりますが鹿本さんはほんと罪深いんです。勘違いさせてしまってるんですよね多くの方を。i-DCDの対処法が普遍的なハイブリッド車の燃費向上法だって。更に言えばi-DCDに対する対処法でさえない場合も多いですけどね。更に更に言えば、それが非保存力になってるって事に気付いてないわけで。だいぶ我が国のハイブリッド車の平均燃費を下げてますな鹿本氏は(笑)
こちとらせっかく親切に、ざっくりでも数値計算で根拠を示しているわけでその二言目には「具体的な数値での理論(議論?)はできません」ですよ。えっ?宗教ですか???この時点で、おおよそマトモでもマジメでも誠実でもなんでもないわけです。そして、本人に自覚症状が欠落している。「時間を返せ」と言いたいです。
三言目に「嘘をつくな。ジェイドの何を知っているんだ」と宣われた日には「これが質問への回答を要求する態度かあ…」となかなかに唖然としてしまいました。妥当な推定値を提示して、嘘つき呼ばわりされるのが現代社会だそうで。そういえばジェイドのCMソングは米津玄師の「LOSER」でした。確かに、こんな調子では誰も勝利できないでしょうねえ。
その程度だ 僕らなんてお互いに馬鹿にし合っても勝者不在の観客th-cam.com/video/9XMVIJOlcPs/w-d-xo.html
@@9cmParabellumさんまた勝手な事を言ってますね、話のすり替えもいい加減にしてください。いつ私が「ジェイドの何を知っているんだ」なんて言いましたか?嘘をつくのもいい加減に止めて下さい。 「高々5㎞しかモーター単独走行出来ない分際で〜」ということをちぃももさんはおっしゃっているのです。ここから貴方との舌戦が始まったのですよね。 この文章を読解すると、ちぃももさんがそのように言っていた。となりますが実際は言っていないので嘘をついた事になりますよね。ただ、ちぃももさんはこの件について何もコメントしていないので肯定しているものととらえています。5㎞モーター走行云々も何やらおっしゃってますが、意味がわからないです。私は5㎞モーター走行が出来るとは言っていませんので。
この動画のおかげでi-DCDの燃費走行の根幹はわかりました。
ですが、日中の国道などのそれなりの交通量、自由な加減速が許されない状況では中々難しそうな気もします。
そのような状況でも燃費を稼ぐにはどうすれば良いでしょうか。
必要な意識を端的に説明していただきたいです。
i-DCDはとにかくエンジンは6速モーターは5速で走る事を意識すべきで、発進加速して自然に巡航速度に乗せればそうなるようになっています。
その為にはアクセルを緩め過ぎない事が大事で、巡航速度に達した時にアクセルを緩めてEVに入れてはいけません。
そうするとシフトダウンしてしまうのでエネルギー効率がかなり落ちます。
厳しい現実よりは、甘い寝言に凡人は惹かれる。
ましてや甘い寝言を効率厨というさもストイックかのようなレトリックでコーティングしてしまう。
第三者から見ると、それこそが新宗教を意味する。
燃費は関係なく効率を上げたいってのはめちゃくちゃな話でしたよね。
それを人は無駄と呼ぶのだ(笑)
過去のぬるま湯を活かせず、未来に生きる欲望を捨てられずに、結果的に今を生きることができていないように見えている。
そんなところかな。
それこそ熱効率が悪いですね。
今から先を効率よく走る為に過去の熱効率を高めるのがハイブリッド車ですね。
改めて思うが、馬の耳に念仏ということわざを編み出した先人には、拍手を送りたい。
まぁおわかりなんだとは思いますが念の為。
その諺の語源は四文字熟語の馬耳東風で、東風とは気持ちの良い春風の事を指します。
つまり気持ちの良い春風が耳を撫でても何も感じる事なくただせっせと草を喰むのが馬なわけで、馬耳東風は他人の話などには一切興味を示す事などなく、自分の見える世界の中でだけで生きている人、という意味であるわけです。
つまり馬の耳に念仏という諺は馬の(ように他人の言う事に興味を示さない人)の耳に念仏を唱える事、であるわけでして、
本来その諺が揶揄しているのは他人の意見を聞かない馬ではなく、そんな馬の耳に念仏を唱えて聞かせてる坊さんの方なんですよね。
言いたい事は反省すべき点は我々にもある。
という事です。
まぁもう忘れて楽しくやりましょう^ ^
子供の頃は馬の方をコケにすることわざだと見事に誤解しておりました。
馬に念仏唱えるくらいなら、信徒に念仏唱えろよ。人生のタイムリミットは有限だぜ?
ってことですわなあ。
まあ、でも馬の耳に念仏でも意味があるケースはあって。
それは「インフルエンサーを馬と見立てて、第三者にその馬の矛盾点を喧伝する」ケース。
「放射脳」なんてスラングも
3.11から10年以上経った今となっては
もはや一般名詞ですが
3.11当時はただの大学生でしたが
当時は別に放射性物質の専門家でもなんでもないのに
世間に蔓延する誤謬に立ち向かうのに
相当苦労した覚えがあります。
相当苦労したからこそ、今の捻じ曲がった私個人が此処に居るわけですが笑
それこそ、大阪大の菊池誠センセなんかは
物理学者としての良心に相当従って
ご苦労になったことだと思いますよ。
ご自身の政治信条だった
「日本共産党支持」の旗印を畳んでしまうくらいには
3.11にまつわる政治情勢には、相当苦しめられたようです。
政治信条よりはご自身の物理屋としての矜持を優先させたということで
自然科学の観点では信頼して良い先生だと思いますね。
で、今回知った学習院大学の田崎晴明センセですが
辛うじて市立図書館で借りられた
『やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識』
『「知」の欺瞞 ポストモダン思想における科学の濫用」(アラン・ソーカル他著、田崎晴明他訳)
で判別しましたが、科学者としてかなりの良心派です。
東大物理学の卒業生たちがこぞって慕うのも頷けます。
ぜひ、「ソーカル事件」で検索してみてください。
鹿本享受の「蒙昧主義」とでも言うべき態度を
一貫して批判する私の姿と重なるかと思います。
はてなブログより引用
アタマのいい友人が面白いと言ってたので読んでみた。というか、ぽすともだんってなにそれおいしいの?*1な自分にとっては、友人の推薦でもなきゃ絶対手に取らなかったと思う。
xiao-2の理解で無理矢理要約すると:ポストモダンと言われる社会科学や人文科学の言説の中には、カッコよく見せるため、自然科学の用語や考え方を正しくない理解で適当に使ったり、自然科学のやり方を無闇と否定した極端な考え方に走ってるものがある。気をつけろ!ということらしい。
この本には背景がある。著者の一人アラン・ソーカルという人は上記のような状況に怒っていたので、わざとでたらめな論文を書いて雑誌に投稿してみたのだそうだ。そしたら「これデタラメじゃん」というツッコミも受けずに載ってしまったのだとか。
Wikipedia-ソーカル事件
小・中学校のとき、読書感想文の宿題にうんざりして「あーこれ架空の本をでっちあげてでたらめ書いてやりたいな、先生だって絶対ちゃんと読んでないしバレないだろ」といういたずら心に駆られた経験のあるひとがいるかもしれない*2。が、大人になってそういうことをやるひとがいるとは。
もちろん真面目な批判精神に基づいてやってることだし、少なくとも架空の論文は引いてなくて、すべて実際の知識人の書いたものから引用して組み立てているというのだから、小学生のいたずらとはレベルが違う。なんだけれど、なんだかページの向こうでしてやったりという顔されているような感覚があるせいか、堅い上に鋭い批判本だというのに読んでいて憎めない。
本の内容としては、自然科学の用語を正しくない理解で適当に使っているとされる人たちの文章の実例をガンガン引用して、自然科学者としての観点からツッコミを入れまくるというもの。
引用されてる文章の大半は、自分にはほんとに理解できなかった。単独で読んでいたら哲学の素養がないからかと泣き寝入りしていたところだが、それにツッコミを入れているということは分かる。「難解なのは深遠なことを扱っているからではなく、中身がないからだよ!」とぶったぎられるのは、こっそり安心する話でもある。
ただ素養のない身の悲しさは、ツッコミの方も本当に込み入った説明になるとついていけなくなるところ。特に数学方面の話。「この人はAをBという意味で使っているが両者は違うものだ」と言われれば、違うんだなぁ、とは分かるが、じゃあほんとはAってどういうことかという説明については必ずしも理解できるとは言えなかった。
とは言え、出来る限り誠実に説明しようとしているのは感じる。素人向けにカットした部分は「カット版です」と明記することも含めて。たぶん、分かっていないということを分からせるのが目的でもあるのだろう。
エピローグの、自然科学と人間科学の関係についてのまとめ。ここは常識的なくらいシンプルだ。
・自分が何をいっているかわかっているのはいいことだ。
・不明瞭なものがすべて深遠なわけではない。
・科学は「テクスト」ではない。
・自然科学の猿真似はやめよう。
・権威を笠に着た議論には気をつけよう。
・個別的な懐疑と極端な懐疑主義を混同してはならない。
・曖昧さは逃げ道なのだ。
これを疑問文にすると、自然科学用語をまぶしたよく分からないモノに出会った時や、何かのはずみで自分がそういうモノを作ってしまいそうになった時の予防薬になりそうだ。「自分が何を言ってるかわかってますか?」と。
*1:言われてみればモダン焼き的な名称ではある。
*2:xiao-2は実行はしませんでしたよ。
xiao-2 12年前
というように、いつものように新しい順にしないと返信が読めないので、取り急ぎ。
i-DCDというのは、凡人を狂わせるには十分な筐体だったのだろう。
ここまでナイーブな反応を示されると、疑惑が確信に変わってしまう。
もはやただの悲鳴でしかない。
単にイニシャルコストが安いだけのハイブリッドシステムに
あたかも無限の可能性があるかのような印象付けで
凡人どもを夢幻の迷宮に閉じ込めた
鹿本享受の姿勢も罪深い。
そうなんですよ、前々から申しておりますが鹿本さんはほんと罪深いんです。
勘違いさせてしまってるんですよね多くの方を。i-DCDの対処法が普遍的なハイブリッド車の燃費向上法だって。
更に言えばi-DCDに対する対処法でさえない場合も多いですけどね。
更に更に言えば、それが非保存力になってるって事に気付いてないわけで。
だいぶ我が国のハイブリッド車の平均燃費を下げてますな鹿本氏は(笑)
こちとらせっかく親切に、ざっくりでも数値計算で根拠を示しているわけで
その二言目には
「具体的な数値での理論(議論?)はできません」
ですよ。
えっ?
宗教ですか???
この時点で、おおよそマトモでもマジメでも誠実でもなんでもないわけです。
そして、本人に自覚症状が欠落している。
「時間を返せ」
と言いたいです。
三言目に「嘘をつくな。ジェイドの何を知っているんだ」と宣われた日には
「これが質問への回答を要求する態度かあ…」
となかなかに唖然としてしまいました。
妥当な推定値を提示して、嘘つき呼ばわりされるのが現代社会だそうで。
そういえばジェイドのCMソングは米津玄師の「LOSER」でした。
確かに、こんな調子では
誰も勝利できないでしょうねえ。
その程度だ 僕らなんてお互いに
馬鹿にし合っても勝者不在の観客
th-cam.com/video/9XMVIJOlcPs/w-d-xo.html
@@9cmParabellumさん
また勝手な事を言ってますね、話のすり替えもいい加減にしてください。
いつ私が「ジェイドの何を知っているんだ」なんて言いましたか?
嘘をつくのもいい加減に止めて下さい。
「高々5㎞しかモーター単独走行出来ない分際で〜」
ということをちぃももさんはおっしゃっているのです。
ここから貴方との舌戦が始まったのですよね。
この文章を読解すると、ちぃももさんがそのように言っていた。となりますが実際は言っていないので嘘をついた事になりますよね。
ただ、ちぃももさんはこの件について何もコメントしていないので肯定しているものととらえています。
5㎞モーター走行云々も何やらおっしゃってますが、意味がわからないです。
私は5㎞モーター走行が
出来るとは言っていませんので。