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家康は築山殿と無理やり押し付けられた朝日姫の他に正妻を置かなかった事と、側室には身分の低い者しか置かなかった事についてですが、築山殿のように出自のせいで命を奪われるような事は二度と起きてほしくないと思っていたのでは。気位の高い女は懲り懲りだとかそんな浅はかな事ではなかったと思います。家庭の事にしろ跡継ぎの子供たちの行く末について、争い事の起きないように細心の心配りをしたと思います。
ちなみに動画に出てきた今川義元の息子氏真は後年家康大好き(信長と家康が義元の倒したのは戦国時代だからしょうがないと言った)になって最終的(江戸時代)にしょっちゅう家康の元に遊びに来るようになって(元主君なので将軍の家康も義理堅く邪険にできず)困ったなんてエピソードがあったりする更に言うと奥さん(北条の姫)とは仲が良くて実家の北条氏が滅んだ後も離縁すること無く死ぬまで夫婦だった
あの相甲駿同盟の嫁さん全員夫と仲良くてしかも添い遂げてるんだよな…(義信の娘は義信の死後出家して再婚しなかったし、離縁させられたと言われてた信玄の娘に当たるある意味有名な黄梅院も離縁したってなってた元資料が誤読されてただけで実際は小田原で亡くなっていたらしい事が最近判明してる)。まあ二人仲良く長生きした氏真と違って氏政は後室(鳳翔院殿)を迎えて彼女ともそれなりに仲良かったらしいけど。
1:23 映画「大名倒産」がそういう話でした。現実にもあったんですね!
徳川家康は今川家においては今川義元に彼と同じ師匠である太源雪斎をつけ諱に自分の一字を当てています、また嫡子今川氏真とも親しくさせています。将来は今川家の重臣それも執権クラスにしようとしていたみたいです。人質でもその資質を見抜かれかなり厚遇されていました。だからこそ築山殿みたいな今川家の中でも位の高い人を妻にさせたのでしょう。よく小説や漫画では今川家にいた頃はいじめられている様に書かれていますが実際は違うみたいです。
織田信長と蒲生氏郷みたいな関係なんですね。あっちは娘でしたが。
信長自身は信康を高く評価していたと思うが、評価していただけに自分の子供と比べたら脅威になっていたのと、家康と信康の確執が重なってでっち上げにされ処罰されたと思う。
築山殿は江戸幕府の家康に対する忖度によってスケープゴートにされた不運な人説派です。築山殿には冷たかった家康ですが、息子の信康には思うところがあったのか、息子を庇わなかった酒井忠次が後年息子の加増が少ないことに不平を申し立てたら、「お前でも息子が可愛いか!!」と怒鳴ったそうです。忠次は返す言葉がなかったそう…武家は結構親子で争いが多いんですよね。武田信玄とその父。斎藤道三と息子義龍などなど。
更に武田信玄は息子とも争い息子を切腹させている。
@@yh6146 ちなみにその切腹させられた息子の嫁は義元の娘(相甲駿同盟の関係で嫁いでた)だしな。
本当に恨んでいるなら、人質交換の際に、子供だけ返してもらって、離婚するって言うのが筋でしょうから、恨んではいなかったと考えられますね。又は、仮に恨んでいたとしても、子供たちから母を引き離すと言う、幼少期の自分が受けた辛い思いを、自分の子供にもさせてしまうと言う気持ちがあった可能性も考えられますね。しかし、結果として嫁姑問題がこじれて、悲劇が起きたのですから、何とも言えないですね。
嫁になった時は姑の於大の方とギクシャクして、姑になってからは嫁の徳姫とギクシャクして最後は夫の手の者による暗殺…今川家の縁者という事情を差し引いても…不器用な方だったのかな?
信玄「息子を切腹においやるとはひどいヤツだな」
失礼ですが、反発したご子息を死に追いやった方はどなたでしたっけ?
家康の大河始まったからまた見にきちゃった
この時代「家と領地を守る事」が全てだったから正室が貧乏クジを引くこと位些末な事だったしな。
家康は、後に優秀な次男国松を贔屓する秀忠の正室江に向かって、若い頃にできた信康を甘やかして育ててしまったのが間違いだったと注意しているので、家康自身が信康の死に関わってる可能性はあると思うわ。
最近の研究だと・浜松衆と岡崎衆の派閥争い・信康による家康の指揮系統への介入等が主な要因とされているようだ。松平家忠の家忠日記によると家康の家臣である筈の家忠が信康によって岡崎に住まわされていたことが書かれている。家忠が信康から鷹狩りの成果を褒美としてもらったとか明らかにやばいことをやってたりしていて、そのあたりも廃嫡の大きな要因だったと思われる。家忠日記によると結局酒井忠次から自分の領地に戻れと命令が来て、困惑した家忠が石川数正と平岩親吉に確認して岡崎を引き払って領地に帰った事なんかも書いてある。信康のこうした勝手な行動に対して家康も諫めはしたようだが、信康は家康の言うことは聞かなかったようだ。江姫に対する書状で「信康を甘やかしたせいで大人になってから言う事を聞かなくなってしまった。」と書いてる。家康としてももう信康を廃嫡するしかない状況だったんだろうし、酒井忠次は廃嫡の承諾を得るための使者として信長の所に行っただけだろう。築山殿が実際に武田と内通していた可能性はあんまり高くないとは思うけど、信康の事を止めなかったてことで連座して処刑というのが妥当な結論だと思う。
とはいえそこまで酷い嫡男だったとすると彼が処された当時その場所である二俣城の城主だった大久保忠世が何でその後彼の菩提をあからさまに弔う形になる位牌寺をその後領地として与えられた小田原に勧請(風祭にある萬松院)した上にそれを家康が黙認と言うか放置してたのかという話が出て来るんですよね。忠世は信康の命日と同じ日に亡くなってる事で年を経た上で殉死した説もあってこれはさすがに偶然でしかないとは思うが悪評高いから廃嫡して処した人間を『忠臣』とまで呼ばれたレベルの臣下がここまで手厚く弔う事を自分の権力地盤を固めるって意味でもあの家康が許すどころか放置するとはさすがに思えないんだよねぇ…
家康公も幼少期の鷹狩りの一件で孕石主水に30年越しの復讐するお人だしね有り得ん話では無いんだよな
超一級資料の家忠日記に「徳姫と信康のガチ不仲をたしなめに家康が来た」という記述の事実があり、その前後に「信康が岡崎勢を出仕させて私物軍閥化しているのに対して、家康は出仕するな行くなと言った」という事実もある。そして信康の後見だった石川数正が騒動の後に岡崎城代を降ろされて、2トップの酒井忠次との政争に負けた、という事実もある。あと築山殿は完全に冷遇されてた。それに対して信康は死んだ後も手厚く弔われている。これらは事実。これらを総合すると、家康は嫡男信康を殺す気は実際あんまりなかった。ただし自分と信長に弓をひく爆弾でしかない横暴な信康をどうにかしたいという思いはあり、信康を溺愛して増長させている今川氏の築山殿にいたっては、さっさと処理したかった。ここで酒井と家康と信長(徳姫)の利害の一致が生まれる。酒井が徳姫ー信長とのパイプ役を務める事で、信康・築山殿を処理してお家を盤石にしつつ、石川との政争にも勝つ、こんな複合的な理由だと予想。つまり後世に伝わっている説はあながち嘘八百ではない。
家康の息子、娘と鵜殿兄弟の人質交換は2対2で成立。果たして築山殿を人質交換で取り戻す必要はあったのでしょうか?築山殿を取り戻す為に、家康の母於大が産んだ異父弟を今川側に人質に出している。築山殿の両親が殺されたとはいえ、駿河に縁者はいたでしょう。そこであっさり離縁していた方が、お互い傷は浅かったのになぜか?正室とは、格上の家から格下の家に嫁がせるもののようです。お姫様が一人で輿入れするはずもなく、侍女や、男の家来もたくさんついて来る。格上の家が格下の家を監視したり、政策に口出しが出来る。築山殿についてきた男臣の発言力がどの程度だったのか知りたいですね。家康が今川側を離れた事で、松平側の人質が殺されるだけでなく、築山殿と一緒に松平側に来た、元今川側の男臣の実家も危うくなったのかしら?家康が異父弟を人質に出した目的は、築山殿を取り返すというより、松平側家臣とならざるを得なくなった元今川側家臣を安心させる為だったのでしょうか?築山殿と気持ちが通わなくなったとはいえ、正室の立場だけは尊重して、常に家康の居城に住まわせるのが、男の甲斐性にも思います。
世の中は義と言う物を頭に回っています。子供だけを取り戻し、要らない妻を離縁するなど、その様な人間には家臣も世の中もついていきません。また信長の手前、今川の妻を側に置き、妻付きの今川の家臣を側に置くなど出来ないこと。ですので、築山の御殿に住まわせたのです。隙有らば難癖をつけて蹴落とそうとするのが世の中。何故ならこれも義の無い事は出来無いからです。信康が成人し岡崎城主となり家康も大いに喜んだでしょう。その隙を突かれ信康を切腹させるのは片身を奪われる思いだったと思います。
@@supika-virgo こんにちは。家康の祖母は五回結婚しているようですね。子供は嫁ぎ先に残したまま。母の於大も家康を嫁ぎ先に残して離縁、再婚。徳姫は娘たちを徳川家に残して、実家に帰っています。子供と引き裂かれる母親の心情は辛いですが、戦国時代は、離縁も縁の内だと思います。親の代で同盟が破綻しても、子供の代で復活する場合もしばしばあります。実子であれ養子であれ、いとこ、はとこであれ、別れた妻であれ、同盟復活のきっかけになる人物が敵対陣営にいることは、目まぐるしく敵対関係が変化する戦国時代には、ある種の保険だったような気がします。
@@渡部まゆみ-t4y 家康の祖母も母も人質ではありませんし、家康は言わば主家を裏切って敵方に寝返ったも同然。妻子を殺される事も有り得ます。しかし妻は今川の人間。子だけを取り戻す事も有り得ますが、妻に愛もあったのでは。家康にとっては初めての家族なのですから。政略結婚だからと言って心の通わない、人のやり取りだけでは無いとおもいます。
築山殿の首を見た家康は絶句したとも言われている築山殿は敵ばかりの岡崎より夫の居る浜松へ行きたかった様だが家康は幼き頃から母と引き裂かれて生活していた事もあり母子の関係を重く見て岡崎へ置いたままにしたのでは
家康にとって一番の願いは徳川の太平の世を創るとこだったので、得てして家族は犠牲に成ることが多かったと思います。その点は、信長も秀吉も同じですよね。
日本の三大悪女👩日野富子をやってください🙇
築山殿は実家の今川家が滅びなければもっと大切にされたと思います。
しかし、今川家は江戸幕府の儀礼典礼を司る高家として再興を果たしてるんですよね。今川家再興を果たした今川氏真と早川殿の夫婦を咲熊さんの動画で是非とも見てみたいです。
@@黒市川花田平 そうなんですね。良かったです。そして、今川氏真と早川の夫婦の動画見てみたいです。
@@古田新太子 さん 忠臣蔵の吉良上野介も子孫でした。
@@西村孝一-s4p ええええ~っ、そうなんですか!吉良上野介って忠臣蔵では悪役ですが、夫婦仲よくて領民には慕われていたんですよね。
@@古田新太子 さん 吉良家は高家の分家と言ってよいでしょう。実際、“本家“の高家と何代も姻戚関係ですから。吉良家と(当時、姻戚だった)上杉家の所領で有った土地では忠臣蔵を嫌い。21世紀の今も不人気だそうです。
家康は桶狭間での今川義元の敗死後、義元の嫡子今川氏真が父義元の仇討ちの行動を起こさない、と看做した段階で築山殿のことは(明言はできませんが)見捨てていたのではないかと思っています。家康は幼い頃から今川家に人質として滞在してその内情を承知しており、また後継者である氏真の為人、そして戦国武将としての適性も見極めており、「氏真が当主では今後、戦国大名としての今川家の隆盛はあり得ない。少なくとも信長に勝てる器ではない」と判断していたのではないでしょうか。独立を取り戻したとはいえ、貧弱な小大名でしかない三河・松平家が戦国の世を生き残るためには、もはや頼りにならない今川家より、これまで敵対してきた織田家と結ぶのがベターな選択肢である、と判断していたと思われます。当然この結果今川家の縁者である妻とその子らを失うことも覚悟しており、むしろ(不本意ではあったでしょうが)「自分が義元の仇の織田家と誼みを通じることで激怒した氏真が築山殿母子を殺害すれば、かえって手切れの手間が省けるし、今川家への敵愾心で家中をまとめられて好都合だ。嫡男を失うリスク以外には損はない」とすら考えていたのかもしれません。ただ嫡男信康の存在(家康が将来信康以外の男児に恵まれる、という保証はどこにもない)や、妻子をあからさまに見殺しにすることの家臣に対する体裁の悪さ(「妻子を見捨てるような主君では、いずれ家臣である自分らも何かあれば見捨てられる」と見做されるのを恐れた)もあり、(仕方なく)義務感で奪還したのではないかと思っています。冷酷極まりない話ですが、家と領国の存続を第一義とする戦国の世に生きる家康にとって、自身の妻子の生命よりも、彼を主君として仰ぐべく長きにわたって艱難辛苦に耐えてきた岡崎衆の将来を優先させることは、やむを得ないというより、むしろ当然とるべき選択であったと言えるのではないでしょうか。
築山殿は…母方の先達の1人だとお袋とお婆ちゃんに聞いてます。
明けましておめでとうございます、今年もさっそく素敵な動画を上げていただきありがとうございます♡築山殿はとても好きな戦国の姫君の一人なのでいろいろな説を交えてのご紹介嬉しい限りでした。悪女説から悲劇の正室までいろいろと推測される彼女ですが、個人的には家康の母於大の方との確執や徳川家臣団の内紛に巻き込まれて悲運を辿った悲しい女性(とその息子)だったと思っています。
築山殿も信康は何も悪くないと思う個人的にはだけど…
12:40 そういえば、徳川家の関東国替えの際に酒井忠次の息子の加増が少なかった事を家康に文句を言ったら、信康を庇わなかった事の恨み言を言ったという話がある。実際この後、忠次は徳川家臣なのに京都で隠棲した。
京都で隠棲したのは病で目が見えなくなったから
確かに眼病で隠居したらしいけど、何故か京都で在住して秀吉から在京料をもらっている。
大河ドラマ秀吉では信長から命じられ、本多正信からも説得されたことになっている。
あけましておめでとうございます。さて築山殿ですが、どなたか述べられたように信康と共に謀反をしようとしていたというのが有力です。長篠の戦い後、三河は武田から猛攻を受けてその最中に大賀弥四郎事件という、岡崎城乗っ取り未遂事件が起こります。信康家臣の半数近くが加担してた事件です。もしかすると信康も影から関わっていたかもしれません。その後、信康自刃、築山殿殺害の前には、松平家忠日記に築山殿が西三河国衆に直々手紙を出すなどの記事が出てきます。普通ならば当主信康が出せば良い物を築山殿が行っており、この点も不可解で、もしかすると謀反の企画をしていた可能性も否定できません。それで事件にいたったというものです。なお、信康は信長の婿であるし、信長と家康は同盟と言えど、この時にはほぼ主従関係だったので相談し、家中分裂を避けるため家康が処分を決めたというのが真相と思われます。確かBS日テレの番組でやっていたはずです。家康の側室たちについてですが、初期は側室に未亡人などを選びまくってます。共通しているのは経産婦であり、子供を残すことに専念した結果ではないでしょうか。そして、この側室たちはある意味、家康の参謀ができるほど能力も高かったのです。築山殿は義元から公家のたしなみは学んだかもしれませんが、政治については学べなかった。もし築山殿が政治も学んでいたとしたら、歴史は違っていたかもしれません。あくまでifですけど。
明けましておめでとうございます。今年も面白いお姫さま動画を楽しみにしています。築山殿は大ヒットした1983年のNHK大河ドラマ「徳川家康」では悪妻説をとられていましたが(演:池上季実子さん)、自分が中学生のときの民放のお正月ドラマでは賢妻でありながら陰謀に巻き込まれ不幸な最期をむかえた女性、として十朱幸代さんが演じていて、ナマで見たせいかこちらのイメージが強いですね。忍耐の人:家康ですから、領国領民を第一に考えて信長の命令に逆らえず、妻子を手にかけ、生涯それを苦にしていた、というようなシンプルな説を信じたいですね。 家康の側室に子持ちの後家や元人妻が多かったのには、子供の頃織田家や今川家の人質として母親から引き離されたせいで、美貌よりも母性の強い女性に惹かれた、という理由が大きかったようです。秀吉と違い後継ぎのことを考えて「丈夫な子を生める女」かを審美眼の基準にしていたとも。
明けましておめでとうございます。平穏な世の中なら、プライド高い姫君でも生きられますが戦乱の不安定な世で生きるには不適格な個性だったのでしょう。柔軟で謙虚な育ちの姫だったなら長生き出来たかもしれません。また楽しい歴史の女性達のお話をお願い致します。どうぞ今年もよろしくお願いいたします。m(__)m
あけましておめでとうございます。咲熊さんはじめ霊夢たちもおしゃれにしていますね。かわいいです。誰が築山殿と信康を死に追いやったのか。母子が自滅を招いたのか夫を含む他人に謀られたか。どれか一つではなく、様々な思惑が複雑に入り乱れているのでしょうね。永井路子先生の小説で、織田家に戻ってきた徳姫が「せいせいした」、「二人の子どもたちにも未練はない」みたいなことをきっぱり言いきって主人公(お市の方)を驚愕させたというエピソードが印象的でした。そこでの築山殿は間違いなく意地悪な姑でしたね。
さて、2023年大河ドラマではどの説で進めていくのでしょうね。松潤家康は、妻を処刑できるのでしょうか?
直虎での瀬名姫の印象が強い。
菜々緒さん♥️
悪女でも政子の影に隠れてしまった、阿波局さんをリクエストします。来年の大河は宮澤エマさんです。築山さんは菜々緒さんでしたが。
松の内のupありがとうございます初登場のシャルロットちゃんにびっくりしました(*≧m≦*)夫に息子と共に命を奪われた悲劇の正室、光仁天皇皇后の井上内親王と他戸親王が被りました。でも築山殿は信康も亀姫も子孫を残していますね。母親に父方に残された信康の2人の姫は誰が養育したのでしょうか?女子は母親が連れて出戻る時代に婚家に残した嫁の徳姫はどんな心境だったのか興味あります。いつか咲熊さんに解説して欲しいです。
誰が養育したのかは分かりませんが、徳姫の次女、熊姫はのちに大阪城を脱出した千姫(秀忠の長女で豊臣秀頼の妻)を、息子本多忠刻の嫁に迎えてますね。この再婚話もかなりドロドロで千姫脱出に一役買った坂崎出羽守が謀叛を起こしたとかで処断されてます…。ちなみに2人の新居は今や世界遺産の姫路城で、姫路城には千姫の持参金で建てられた「千姫化粧櫓」も残ってます。コロナが落ち着いたら、興味がおありの方は是非。
@@kitamomo276 私、関西在住なので姫路城には何度か行きました。千姫櫓の特別公開にも行って実際の居住空間を見ました。徳姫の次女の熊姫は千姫を無理やり嫁にもらったちょっと強引なおば様でしたね。長女の登久姫も波瀾万丈な人生送った人です。夫と息子が戦死したら夫の弟と結婚させられて。お江の三婚が有名でこの時代は女性の再婚は珍しく無いけど兄が亡くなると直ぐに弟と結婚させられたのは気の毒だと思います。
明けましておめでとうございます😄お正月も休まずの投稿感謝です💖
明けましておめでとうございます😀本年もよろしくお願いいたします😊
家康はたぬき親父なんて言われるほどだから狡賢いのは狡賢かったのではないですかね・・・築山殿よりも家康の方が根に持ってねちねちと復讐しそうな感じ。まあ築山殿と信康の件では信長を恨んでいたとも言われているけれどはたして・・・
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。歴史ヲタクにとって、たまらない動画をいつもありがとうございます。実は私の父の実家の本家から福山藩の水野家に側室を出していたり、遠縁さんが松平容保のご子孫さんに嫁いでいます(秩父宮妃殿下のご実家)。
あけましておめでとうございます。本年も歴史話を楽しみにしています。
是非細川ガラシャやって欲しいです
流石に、現在の大河ドラマの「麒麟がくる」には、こちらの築山殿と彼女と家康の愛息の信康が、信長の命令により処刑などで非業の最期を遂げる場面は、ドラマの回数も残り僅かなものだから、残念な事に省略されつつありそうだなぁ。其ればかりか、家康役の風間俊介氏も、去年から流行っていたあの憎たらしいコロナなんかに感染し、家康の出番もあるか無いかも、心配な位に不安だらけだしなぁ。
あけましておめでとうございます!咲熊さんの動画いつも楽しみにしています
告発文怖いです。それを真に受けるかどうかではなく、そんなアバウトな内容でも、やり方によっては悪用も可能だという事を正当化しようとするそんな心持が嫌です。本当に正しいことが歪められて…でも、そんないい加減な発言を、更に自分勝手に悪用する人たちがその後本当に気持ち的に、心穏やかに過ごせるのかどうか。私がそういう立場だったら絶対心理的に無理だと思います。それで大丈夫な人は逆にかわいそうだと思います。
いつも楽しみにしております。内容も分かりやすくて、自家生産されてる絵が本当に大好きです。
関ヶ原の時、秀忠の遅参を受けて家康が、「信康が居れば老いた身でこんな苦労はしないものを」と愚痴ったと言われている。家康陰謀説はない(と思いたい)。
明けましておめでとうございます。本年の宜しくお願い致します。僭越ながら付け加えさせていただきますと、私の生息域である愛知県では次のような話が実しやかに囁かれています。徳川家康(1543~1616)は、どうやら信康(1559~1579)の出生を疑っていたのではないのか?という「信康出生疑惑説」です。築山殿(瀬名姫、生年不詳~1579)は家康と祝言をあげる前から今川氏真と密通しており、結婚した後もその関係はしばらく継続していたそうです。これに対して、今川家の人質の身であった家康(元康)は文句の一言も云えなかったとか。武士としてこれほどの屈辱、不面目はありません。家康は生涯を通じて「果たして、信康は真に儂の子なのか?・・・・」という疑念を抱えていたと思われます。このような実情は、死後「東照大権現」として神格化された家康にとって黒歴史中の黒歴史、絶対に史書に残せるものではありません。この噂話を裏付けるものとして、信康に対する史書の扱いです。信康同様、徳川の当主から切腹を命じられた人物に徳川忠長(1606~1634)がいますが、記録では忠長は徳川姓のまま残されています。ところが、信康は『徳川実記』などの徳川幕府公式記録では「岡崎三郎信康」とか「松平信康」とされています。動画では「徳川信康」とされていましたが、おそらく信康は生前は徳川姓を名乗っていた筈だと考えられます(異説有り)。家康は、「果たして、信康は真に儂の子なのか?・・・・」という生涯の疑念を何らかの形で残し、家康自身の行動を正当化する為に、史書における信康の記録に「徳川」を使わせなかったと思われます。
咲熊さんあけましておめでとうございます!!2021年もよろしくお願いします!いつも面白い動画ありがとうございます!!
色々な説はあるけど、いずれにせよ家康は自分の利益のために我が子を殺した。親としては最低。
築山殿、奈々緒のイメージが思い浮かびます。今川義元は谷原章介それとも片岡愛之助になるの?
個人的にはこの話半分史実で半分創作だと思う。まず築山殿は家康を格下にみていて実家を滅ぼした織田家に恨みをもっていたのと家康の仕打ちに恨みをもっていたが何もできず恨みつらみを飲み込んで耐えていただけだと思う(武田家縁のある女性を側室にいれたのは一種の当て付けかな?)真相は家中の家臣同士の勢力争いに巻き込まれたのだと思う
本年もよろしくお願いします😍
あけましておめでとうございます。同じく今川が関わって処された人物に武田信玄の嫡男、武田義信がいますね。妻が今川義元の娘で今川寄りの義信が謀反を起こしたとか。歴史では桶狭間の戦い以後パッとしない今川家ですがそこは名門、義元死してなお影響力が大きかったのではないでしょうか。個人的には秀忠を後継者にする為に処されて、その後秀忠の血筋と将軍就任の正当性の為に悪妻を脚色されたのではないかなと思います。
信康の自刃については昔から色々とエピソードがあって「服部正成が介錯しようとしたが、信康に同情して泣いてしまい刃を振れなかった」とか「信康の後見人だった重臣の石川数正が後に謎の出奔をした理由だ」とか言われていますね。面白いものでは(他のコメントでも書かれていますが)「影武者が家康に成り代わったので、正体がバレないように近親者を処刑した」という説もあります。こういう推理するのも歴史を学ぶ楽しみですね。今年も咲熊さんの楽しい動画を期待しています。
あけましておめでとうございます。本年も無理のない範囲で動画投稿を頑張ってください。応援しております。家康が側室に未亡人を娶りましたが、特に出産経験のある女性をターゲットにしてたようです。理由としては「出産を経験した女性なら強い子供を産み、母子ともに健康でいられる」と考えたそうです。
明けましておめでとうございます🎍新年早速の動画ありがとうございます。築山殿は、悪女のイメージがありましたが、確かに後の世に作られたイメージなのかもしれないですね。
明けましておめでとうございます。いつも動画を楽しみにしています。
13:35 この派閥争いで、信康の出したいくつかの命令に対し、家康が「これらの命令に対し、従う必要はない」と撤回命令をだしたらしい記録が、「家忠日記」の中にあるんですよね。後、この時点で、徳川と織田は対等の同盟ではなく、織田の方が強いので家康は信長の顔色を伺っています。殺害について、家康が直接命令をしたのか、忖度をした部下が証拠をでっち上げて家康が承認したのかはわかりませんが、家康が知らないという事はあり得ないかと。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。新年早々の日本産ドロドロ劇をありがとうございます。築山殿は謎が多いですね。それだけ複雑な政治的事情が絡んでるという事でしょうけど。ただ、家康がこの後、自分から正室を娶らなかった(朝日姫は秀吉から押し付けられたようなものだし)のは、確実に築山殿の件が影響してると思います。そしてシャルロット、見た目は怖いのに名前は可愛いですね。
こう言うところで姑問題が起きるんだよな。その時代に嫁いだ女性が可哀想…築山殿(瀬名姫)と徳姫、お大の方なんかはその例だし、それが後々の大奥にも影響が出てくるんだよね。
関ヶ原の合戦が信康の21年後の命日というのが無かった。後、築山殿の母親が井伊家の出身という説があることも。
明けましておめでとうございます。新年の投稿ありがとうございました。今年も咲熊さんの動画を楽しみにしています。
新年明けましておめでとうございます。いつもありがとうございます。楽しみにしていました。咲熊さん直筆のイラスト、本当に好きです!
築山殿と信康の死の真相については諸説あるね。昔は徳姫、信長親子の陰謀説が強かったけど今は家康黒幕説が強くなっている。信康は武勇に優れ家臣の信頼厚く、何故か家康に疎まれた次男秀康を父家康に会わせて親子の名乗りをさせたという人物。築山殿の境遇には同情する。ずっと冷淡に別居されて扱いがぞんざいでは、息子が生きがいになるよね。
家康は気に入らない息子にはとことん冷淡だったけど、娘には甘かったらしく娘たちの聞ける範囲の我儘は聞いてあげていたらしい。長男信康の娘で本多忠勝の息子に嫁いでいた孫娘にも優しく、豊臣秀頼の未亡人だった二代将軍秀忠の長女千姫を息子忠刻に貰い受けている。早くに死なせてしまった息子への負い目が生涯家康にはあったらしい。
@@星ドリフター 様熊姫ですね。彼女はあの勇猛で名高い本多平八郎忠勝の息子と結婚します。ですが欲深い性格で、将軍の娘である千姫を息子の忠刻と結婚させれば、多額の持参金を持ってくるし、本多家の格も上がると踏み、祖父が父に対する負い目から自分を可愛がってくれているのをいいことに家康の元に押しかけて千姫の忠刻との再婚を承知させてしまいました。こうして熊姫の目論見はうまくいったものの(持参金は十万石!)、肝心の忠刻は結婚から約10年後に死去、千姫は江戸城に戻り出家。二人の間には一男一女が生まれましたが男の子は夭逝、女の子は岡山の池田家に嫁ぎました。
築山は家臣の判断で殺害したと思う。家康は永蟄居か尼寺行きで済ませたかったと思う。
ずーっと人質生活で周囲の感情や政治事情を敏感に察知しなければ生きていけなかった家康だけど、妻と息子○すのはな~、嫌だな~。昔のお姫様は大変ですね。跡取り産んで当たり前、旦那はあてにならず、けれど自分の生家を大事にしすぎても旦那にそっぽ向かれる、、、うん、現代の一般人で良かった~♥️
明けましておめでとうございます🎍✨今年も楽しみにしてます❤️
あけましておめでとうございます!今年も宜しくお願いいたします!今年も咲熊さんの動画を楽しみにしております。
新年一発目が地元武将&奥方で嬉しいです!一般的に悪女、ヤンデレとあまり良いイメージがない築山殿なんですが、亡き後は家康が秀吉に無理くり押し付けられるまでずっと正室を置かなかったことから家康なりに思うところはあったのでしょうか…
取っ替え引っ替え側室を入れ替えてるから、家康自身は不自由してなかったと思う。それと下手に正室を迎えると世継ぎ問題の憂い出て来るだろうし・・・
@@たまてばこ-y8t 確かに、下手に正室置かんでも、家康の側室は身分が低いながらバリキャリなお方が結構多いですよね!逸話の多い英勝院さまあたり咲熊さんに取り上げていただきたいですね〜
謹賀新年、今年も動画楽しみに視聴します。お体、お大事に✨私のなかでは、築山姫の印象は、菜々緒のイメージが濃いです。時代劇の影響で…。
あけましておめでとうございます。築山殿、今回の動画ではそんなに悪女じゃないような印象を受けました。欧州の悪女の方々に比べれば、「普通の人」ですよね。あと、新年早々の新キャラ、「シャルロット」は昨年の「親分」を越えるキャラになるか楽しみです。
今年も楽しみにしています
お正月に新作動画UPしていただき、ありがとうございます!戦国の姫君も、なかなか悲劇の方が多いんですよね…信長の娘も、自分の子供を置いていってるし…😭
あけましておめでとうございます㊗️わたしとしては築山殿のイメージは菜々緒なんです。どうでしょう⁉️
お正月も通常運転、お疲れさまです。ありがとうございます!お休みかと思ってたので、とてもうれしいー
明けましておめでとうございます
新年明けましておめでとうございます😄今年も動画楽しみにしています😄
明けましておめでとうございます。今年も素敵な歴史の中の女性達の動画を楽しみにしています😊。築山殿は当時の徳川家のマイナス面を押し付けられた犠牲者のように思えました。そしてシャルロットちゃん…怖。
本年もちろんよろしくお願いします💖皆さんかわいいね💕
あけましておめでとうございます❢築山殿が処刑されたと言われてる場所は地元で、その刀を洗ったと言われる首洗いの池とかあるので、新年一発目が築山殿で感慨深かったです普段、TH-camは音消して見てますが、咲熊さん達はとても耳に心地よいので、このチャンネルだけは設定変えて見てます今年も楽しみに拝見・拝聴させて頂きます❢
7:04 今川を滅ぼしたのは直接的には武田の駿河侵攻とそれに乗じた徳川なんですよね。
🎍🐮🌱明けましておめでとうございます🌸今年も楽しみにしています😆💖
火の無い所に煙は立たないと言うから、多少はね。しかし状況を考えると家康君の判断は正しいかもしれない?、弁解をしなかったのには、家来としては、耐えるに忍べない不満は有ったかもしれない?、夫婦ですから、不満を実家にブー垂れたってのは有り得るからね。
あけましておめでとうございます🎍今年も、動画を楽しみにしています😄
あけましておめでとうございます。新年の始まりに咲熊様のイラストで築山殿!この人悪く言われてるから不憫ちゃ不憫😢家康の嫁で戦国の世じゃなければプライドが高いだけでぜんぜん普通の人…シャルロット はじめまして!めっちゃ怖いですうう
あけましておめでとうございます。冒頭のおめかしかわいい*°ω°
あけましておめでとうございます🎍今年も楽しみにしてます😆
今回も楽しく視させて頂きました😊今年も宜しくお願いします✨戦国武将の中で私は家康が一番好きなのですが(自分が静岡出身ということもあり)、この正室と嫡男のことは少々許せないこともありました。やっぱり家康ですね、腹黒い……💧瀬名姫も可愛そうな人だったのかなと思います😔次回も楽しみにしています✨そろそろ、オーストリア·ハプスブルク家のフランツ·ヨーゼフとエリザベートのお話も聞きたいです❤️☺️
あけましておめでとうございます。今年も楽しみにしています。頑張って下さい!
清洲同盟は婚姻を以ての同盟ですから最後の説が1番可能性高そうね
あけましておめでとうございます😆お正月用に髪にお花つけておめかししてる3人が可愛い💕一番好きな歴史動画チャンネルです、今年も楽しみにしています✨
あけましておめでとうございます。新キャラが禍々しくて素敵!
明けましておめでとうございます。今年も楽しみにしています。イラストもツッコミも大好きです🤣
マジ画像どこで拾ってくるん?シャルロットはなかなか見つけられなさそうw
今年もよろしくお願いします😁😁
家康恐れた武田家、織田家、伊達家、島津家中でも恐れたのは妻と聞いた事があります
信長ってほんっと身内にだけはチョロいよな。
新年明けましておめでとうございます😃今年も動画楽しみにしています🎵新年初めは日本の築山殿ですね‼️イラスト入りでとても嬉しい😃🎶シャルロット又出てきて欲しいです♥️
明けましておめでとうございます🎍☀️本年も動画を楽しみにしてます!
確か家康の側室は瀬名こと築山殿の侍女だったと言われています。 確かに瀬名で懲りたのかもしれませんが、阿茶の局の様に代表される様な女性、知的で健康な人、家康の側室の条件は子供を産んでくれる人。 瀬名にとって唯一の希望は息子の信康だけだったんじゃないだろうか? 徳姫が父信長に送った手紙で母子が死ぬ事になったという事には最近否定されつつあり、徳川家の内部の事情からと言われてきている
新年おめでとうございます。今年も動画を楽しみにしています!築山殿の話をこの動画で聞く分には、どれも憤りを感じて当然じゃないかな?と現代の感覚では思えてしまう。
家康は築山殿と無理やり押し付けられた朝日姫の他に正妻を置かなかった事と、側室には身分の低い者しか置かなかった事についてですが、
築山殿のように出自のせいで命を奪われるような事は二度と起きてほしくないと思っていたのでは。
気位の高い女は懲り懲りだとかそんな浅はかな事ではなかったと思います。
家庭の事にしろ跡継ぎの子供たちの行く末について、争い事の起きないように細心の心配りをしたと思います。
ちなみに動画に出てきた今川義元の息子氏真は
後年家康大好き(信長と家康が義元の倒したのは戦国時代だからしょうがないと言った)になって
最終的(江戸時代)にしょっちゅう家康の元に遊びに来るようになって
(元主君なので将軍の家康も義理堅く邪険にできず)困ったなんてエピソードがあったりする
更に言うと奥さん(北条の姫)とは仲が良くて実家の北条氏が滅んだ後も離縁すること無く死ぬまで夫婦だった
あの相甲駿同盟の嫁さん全員夫と仲良くてしかも添い遂げてるんだよな…
(義信の娘は義信の死後出家して再婚しなかったし、離縁させられたと言われてた信玄の娘に当たる
ある意味有名な黄梅院も離縁したってなってた元資料が誤読されてただけで実際は小田原で亡くなって
いたらしい事が最近判明してる)。まあ二人仲良く長生きした氏真と違って氏政は後室(鳳翔院殿)を
迎えて彼女ともそれなりに仲良かったらしいけど。
1:23 映画「大名倒産」がそういう話でした。現実にもあったんですね!
徳川家康は今川家においては今川義元に彼と同じ師匠である太源雪斎をつけ諱に自分の一字を当てています、また嫡子今川氏真とも親しくさせています。将来は今川家の重臣それも執権クラスにしようとしていたみたいです。人質でもその資質を見抜かれかなり厚遇されていました。だからこそ築山殿みたいな今川家の中でも位の高い人を妻にさせたのでしょう。よく小説や漫画では今川家にいた頃はいじめられている様に書かれていますが実際は違うみたいです。
織田信長と蒲生氏郷みたいな関係なんですね。あっちは娘でしたが。
信長自身は信康を高く評価していたと思うが、評価していただけに自分の子供と比べたら脅威になっていたのと、家康と信康の確執が重なってでっち上げにされ処罰されたと思う。
築山殿は江戸幕府の家康に対する忖度によってスケープゴートにされた不運な人説派です。
築山殿には冷たかった家康ですが、息子の信康には思うところがあったのか、息子を庇わなかった酒井忠次が後年息子の加増が少ないことに不平を申し立てたら、「お前でも息子が可愛いか!!」と怒鳴ったそうです。忠次は返す言葉がなかったそう…
武家は結構親子で争いが多いんですよね。武田信玄とその父。斎藤道三と息子義龍などなど。
更に武田信玄は息子とも争い息子を切腹させている。
@@yh6146 ちなみにその切腹させられた息子の嫁は義元の娘(相甲駿同盟の関係で嫁いでた)だしな。
本当に恨んでいるなら、人質交換の際に、
子供だけ返してもらって、離婚するって言うのが筋でしょうから、恨んではいなかったと考えられますね。
又は、仮に恨んでいたとしても、子供たちから母を引き離すと言う、幼少期の自分が受けた辛い思いを、自分の子供にもさせてしまうと言う気持ちがあった可能性も考えられますね。
しかし、結果として嫁姑問題がこじれて、悲劇が起きたのですから、何とも言えないですね。
嫁になった時は姑の於大の方とギクシャクして、姑になってからは嫁の徳姫とギクシャクして
最後は夫の手の者による暗殺…
今川家の縁者という事情を差し引いても…不器用な方だったのかな?
信玄「息子を切腹においやるとはひどいヤツだな」
失礼ですが、反発したご子息を死に追いやった方はどなたでしたっけ?
家康の大河始まったから
また見にきちゃった
この時代「家と領地を守る事」が全てだったから正室が貧乏クジを引くこと位些末な事だったしな。
家康は、後に優秀な次男国松を贔屓する秀忠の正室江に向かって、若い頃にできた信康を甘やかして育ててしまったのが間違いだったと注意しているので、家康自身が信康の死に関わってる可能性はあると思うわ。
最近の研究だと
・浜松衆と岡崎衆の派閥争い
・信康による家康の指揮系統への介入
等が主な要因とされているようだ。
松平家忠の家忠日記によると家康の家臣である筈の家忠が信康によって岡崎に住まわされていたことが書かれている。
家忠が信康から鷹狩りの成果を褒美としてもらったとか明らかにやばいことをやってたりしていて、そのあたりも廃嫡の大きな要因だったと思われる。
家忠日記によると結局酒井忠次から自分の領地に戻れと命令が来て、困惑した家忠が石川数正と平岩親吉に確認して岡崎を引き払って領地に帰った事なんかも書いてある。
信康のこうした勝手な行動に対して家康も諫めはしたようだが、信康は家康の言うことは聞かなかったようだ。
江姫に対する書状で「信康を甘やかしたせいで大人になってから言う事を聞かなくなってしまった。」と書いてる。
家康としてももう信康を廃嫡するしかない状況だったんだろうし、酒井忠次は廃嫡の承諾を得るための使者として信長の所に行っただけだろう。
築山殿が実際に武田と内通していた可能性はあんまり高くないとは思うけど、信康の事を止めなかったてことで連座して処刑というのが妥当な結論だと思う。
とはいえそこまで酷い嫡男だったとすると彼が処された当時その場所である二俣城の城主だった大久保忠世が
何でその後彼の菩提をあからさまに弔う形になる位牌寺をその後領地として与えられた小田原に勧請(風祭にある萬松院)
した上にそれを家康が黙認と言うか放置してたのかという話が出て来るんですよね。
忠世は信康の命日と同じ日に亡くなってる事で年を経た上で殉死した説もあってこれはさすがに偶然でしかないとは思うが
悪評高いから廃嫡して処した人間を『忠臣』とまで呼ばれたレベルの臣下がここまで手厚く弔う事を自分の権力地盤を固める
って意味でもあの家康が許すどころか放置するとはさすがに思えないんだよねぇ…
家康公も幼少期の鷹狩りの一件で孕石主水に30年越しの復讐するお人だしね有り得ん話では無いんだよな
超一級資料の家忠日記に「徳姫と信康のガチ不仲をたしなめに家康が来た」という記述の事実があり、
その前後に「信康が岡崎勢を出仕させて私物軍閥化しているのに対して、家康は出仕するな行くなと言った」という事実もある。
そして信康の後見だった石川数正が騒動の後に岡崎城代を降ろされて、2トップの酒井忠次との政争に負けた、という事実もある。
あと築山殿は完全に冷遇されてた。それに対して信康は死んだ後も手厚く弔われている。これらは事実。
これらを総合すると、家康は嫡男信康を殺す気は実際あんまりなかった。
ただし自分と信長に弓をひく爆弾でしかない横暴な信康をどうにかしたいという思いはあり、信康を溺愛して増長させている今川氏の築山殿にいたっては、さっさと処理したかった。
ここで酒井と家康と信長(徳姫)の利害の一致が生まれる。
酒井が徳姫ー信長とのパイプ役を務める事で、信康・築山殿を処理してお家を盤石にしつつ、石川との政争にも勝つ、こんな複合的な理由だと予想。
つまり後世に伝わっている説はあながち嘘八百ではない。
家康の息子、娘と鵜殿兄弟の人質交換は2対2で成立。果たして築山殿を人質交換で取り戻す必要はあったのでしょうか?築山殿を取り戻す為に、家康の母於大が産んだ異父弟を今川側に人質に出している。築山殿の両親が殺されたとはいえ、駿河に縁者はいたでしょう。そこであっさり離縁していた方が、お互い傷は浅かったのになぜか?正室とは、格上の家から格下の家に嫁がせるもののようです。お姫様が一人で輿入れするはずもなく、侍女や、男の家来もたくさんついて来る。格上の家が格下の家を監視したり、政策に口出しが出来る。築山殿についてきた男臣の発言力がどの程度だったのか知りたいですね。家康が今川側を離れた事で、松平側の人質が殺されるだけでなく、築山殿と一緒に松平側に来た、元今川側の男臣の実家も危うくなったのかしら?家康が異父弟を人質に出した目的は、築山殿を取り返すというより、松平側家臣とならざるを得なくなった元今川側家臣を安心させる為だったのでしょうか?
築山殿と気持ちが通わなくなったとはいえ、正室の立場だけは尊重して、常に家康の居城に住まわせるのが、男の甲斐性にも思います。
世の中は義と言う物を頭に回っています。子供だけを取り戻し、要らない妻を離縁するなど、その様な人間には家臣も世の中もついていきません。
また信長の手前、今川の妻を側に置き、妻付きの今川の家臣を側に置くなど出来ないこと。ですので、築山の御殿に住まわせたのです。
隙有らば難癖をつけて蹴落とそうとするのが世の中。何故ならこれも義の無い事は出来無いからです。
信康が成人し岡崎城主となり家康も大いに喜んだでしょう。その隙を突かれ信康を切腹させるのは片身を奪われる思いだったと思います。
@@supika-virgo
こんにちは。家康の祖母は五回結婚しているようですね。子供は嫁ぎ先に残したまま。母の於大も家康を嫁ぎ先に残して離縁、再婚。徳姫は娘たちを徳川家に残して、実家に帰っています。子供と引き裂かれる母親の心情は辛いですが、戦国時代は、離縁も縁の内だと思います。親の代で同盟が破綻しても、子供の代で復活する場合もしばしばあります。実子であれ養子であれ、いとこ、はとこであれ、別れた妻であれ、同盟復活のきっかけになる人物が敵対陣営にいることは、目まぐるしく敵対関係が変化する戦国時代には、ある種の保険だったような気がします。
@@渡部まゆみ-t4y
家康の祖母も母も人質ではありませんし、家康は言わば主家を裏切って敵方に寝返ったも同然。妻子を殺される事も有り得ます。
しかし妻は今川の人間。子だけを取り戻す事も有り得ますが、妻に愛もあったのでは。家康にとっては初めての家族なのですから。
政略結婚だからと言って心の通わない、人のやり取りだけでは無いとおもいます。
築山殿の首を見た家康は絶句したとも言われている
築山殿は敵ばかりの岡崎より夫の居る浜松へ行きたかった様だが
家康は幼き頃から母と引き裂かれて生活していた事もあり
母子の関係を重く見て岡崎へ置いたままにしたのでは
家康にとって一番の願いは徳川の太平の世を創るとこだったので、得てして家族は犠牲に成ることが多かったと思います。
その点は、信長も秀吉も同じですよね。
日本の三大悪女👩日野富子をやってください🙇
築山殿は実家の今川家が滅びなければもっと大切にされたと思います。
しかし、今川家は江戸幕府の儀礼典礼を司る高家として再興を果たしてるんですよね。
今川家再興を果たした今川氏真と早川殿の夫婦を咲熊さんの動画で是非とも見てみたいです。
@@黒市川花田平 そうなんですね。良かったです。そして、今川氏真と早川の夫婦の動画見てみたいです。
@@古田新太子 さん 忠臣蔵の吉良上野介も子孫でした。
@@西村孝一-s4p ええええ~っ、そうなんですか!吉良上野介って忠臣蔵では悪役ですが、夫婦仲よくて領民には慕われていたんですよね。
@@古田新太子 さん 吉良家は高家の分家と言ってよいでしょう。実際、“本家“の高家と何代も姻戚関係ですから。
吉良家と(当時、姻戚だった)上杉家の所領で有った土地では忠臣蔵を嫌い。21世紀の今も不人気だそうです。
家康は桶狭間での今川義元の敗死後、義元の嫡子今川氏真が父義元の仇討ちの行動を起こさない、と看做した段階で築山殿のことは(明言はできませんが)見捨てていたのではないかと思っています。
家康は幼い頃から今川家に人質として滞在してその内情を承知しており、また後継者である氏真の為人、そして戦国武将としての適性も見極めており、「氏真が当主では今後、戦国大名としての今川家の隆盛はあり得ない。少なくとも信長に勝てる器ではない」と判断していたのではないでしょうか。
独立を取り戻したとはいえ、貧弱な小大名でしかない三河・松平家が戦国の世を生き残るためには、もはや頼りにならない今川家より、これまで敵対してきた織田家と結ぶのがベターな選択肢である、と判断していたと思われます。
当然この結果今川家の縁者である妻とその子らを失うことも覚悟しており、むしろ(不本意ではあったでしょうが)「自分が義元の仇の織田家と誼みを通じることで激怒した氏真が築山殿母子を殺害すれば、かえって手切れの手間が省けるし、今川家への敵愾心で家中をまとめられて好都合だ。嫡男を失うリスク以外には損はない」とすら考えていたのかもしれません。
ただ嫡男信康の存在(家康が将来信康以外の男児に恵まれる、という保証はどこにもない)や、妻子をあからさまに見殺しにすることの家臣に対する体裁の悪さ(「妻子を見捨てるような主君では、いずれ家臣である自分らも何かあれば見捨てられる」と見做されるのを恐れた)もあり、(仕方なく)義務感で奪還したのではないかと思っています。
冷酷極まりない話ですが、家と領国の存続を第一義とする戦国の世に生きる家康にとって、自身の妻子の生命よりも、彼を主君として仰ぐべく長きにわたって艱難辛苦に耐えてきた岡崎衆の将来を優先させることは、やむを得ないというより、むしろ当然とるべき選択であったと言えるのではないでしょうか。
築山殿は…母方の先達の1人だとお袋とお婆ちゃんに聞いてます。
明けましておめでとうございます、今年もさっそく素敵な動画を上げていただきありがとうございます♡
築山殿はとても好きな戦国の姫君の一人なのでいろいろな説を交えてのご紹介嬉しい限りでした。
悪女説から悲劇の正室までいろいろと推測される彼女ですが、個人的には家康の母
於大の方との確執や
徳川家臣団の内紛に巻き込まれて悲運を辿った悲しい女性(とその息子)だったと思っています。
築山殿も信康は何も悪くないと思う
個人的にはだけど…
12:40 そういえば、徳川家の関東国替えの際に酒井忠次の息子の加増が少なかった事を家康に文句を言ったら、信康を庇わなかった事の恨み言を言ったという話がある。実際この後、忠次は徳川家臣なのに京都で隠棲した。
京都で隠棲したのは
病で目が見えなくなったから
確かに眼病で隠居したらしいけど、何故か京都で在住して秀吉から在京料をもらっている。
大河ドラマ秀吉では信長から命じられ、本多正信からも説得されたことになっている。
あけましておめでとうございます。
さて築山殿ですが、どなたか述べられたように信康と共に謀反をしようとしていたというのが有力です。
長篠の戦い後、三河は武田から猛攻を受けてその最中に大賀弥四郎事件という、岡崎城乗っ取り未遂事件が起こります。信康家臣の半数近くが加担してた事件です。もしかすると信康も影から関わっていたかもしれません。
その後、信康自刃、築山殿殺害の前には、松平家忠日記に築山殿が西三河国衆に直々手紙を出すなどの記事が出てきます。
普通ならば当主信康が出せば良い物を築山殿が行っており、この点も不可解で、もしかすると謀反の企画をしていた可能性も否定できません。それで事件にいたったというものです。
なお、信康は信長の婿であるし、信長と家康は同盟と言えど、この時にはほぼ主従関係だったので相談し、家中分裂を避けるため家康が処分を決めたというのが真相と思われます。
確かBS日テレの番組でやっていたはずです。
家康の側室たちについてですが、初期は側室に未亡人などを選びまくってます。共通しているのは経産婦であり、子供を残すことに専念した結果ではないでしょうか。そして、この側室たちはある意味、家康の参謀ができるほど能力も高かったのです。
築山殿は義元から公家のたしなみは学んだかもしれませんが、政治については学べなかった。
もし築山殿が政治も学んでいたとしたら、歴史は違っていたかもしれません。あくまでifですけど。
明けましておめでとうございます。今年も面白いお姫さま動画を楽しみにしています。
築山殿は大ヒットした1983年のNHK大河ドラマ「徳川家康」では悪妻説をとられていましたが(演:池上季実子さん)、自分が中学生のときの民放のお正月ドラマでは賢妻でありながら陰謀に巻き込まれ不幸な最期をむかえた女性、として十朱幸代さんが演じていて、ナマで見たせいかこちらのイメージが強いですね。
忍耐の人:家康ですから、領国領民を第一に考えて信長の命令に逆らえず、妻子を手にかけ、生涯それを苦にしていた、というようなシンプルな説を信じたいですね。
家康の側室に子持ちの後家や元人妻が多かったのには、子供の頃織田家や今川家の人質として母親から引き離されたせいで、美貌よりも母性の強い女性に惹かれた、という理由が大きかったようです。秀吉と違い後継ぎのことを考えて「丈夫な子を生める女」かを審美眼の基準にしていたとも。
明けましておめでとうございます。平穏な世の中なら、プライド高い姫君でも生きられますが戦乱の不安定な世で生きるには不適格な個性だったのでしょう。柔軟で謙虚な育ちの姫だったなら長生き出来たかもしれません。また楽しい歴史の女性達のお話をお願い致します。どうぞ今年もよろしくお願いいたします。m(__)m
あけましておめでとうございます。咲熊さんはじめ霊夢たちもおしゃれにしていますね。かわいいです。
誰が築山殿と信康を死に追いやったのか。母子が自滅を招いたのか夫を含む他人に謀られたか。どれか一つではなく、様々な思惑が複雑に入り乱れているのでしょうね。永井路子先生の小説で、織田家に戻ってきた徳姫が「せいせいした」、「二人の子どもたちにも未練はない」みたいなことをきっぱり言いきって主人公(お市の方)を驚愕させたというエピソードが印象的でした。そこでの築山殿は間違いなく意地悪な姑でしたね。
さて、2023年大河ドラマではどの説で進めていくのでしょうね。松潤家康は、妻を処刑できるのでしょうか?
直虎での瀬名姫の印象が強い。
菜々緒さん♥️
悪女でも政子の影に隠れてしまった、阿波局さんをリクエストします。
来年の大河は宮澤エマさんです。
築山さんは菜々緒さんでしたが。
松の内のupありがとうございます
初登場のシャルロットちゃんにびっくりしました(*≧m≦*)
夫に息子と共に命を奪われた悲劇の正室、
光仁天皇皇后の井上内親王と他戸親王が被りました。
でも築山殿は信康も亀姫も子孫を残していますね。
母親に父方に残された信康の2人の姫は誰が養育したのでしょうか?
女子は母親が連れて出戻る時代に婚家に残した嫁の徳姫は
どんな心境だったのか興味あります。
いつか咲熊さんに解説して欲しいです。
誰が養育したのかは分かりませんが、徳姫の次女、熊姫はのちに大阪城を脱出した千姫(秀忠の長女で豊臣秀頼の妻)を、息子本多忠刻の嫁に迎えてますね。この再婚話もかなりドロドロで千姫脱出に一役買った坂崎出羽守が謀叛を起こしたとかで処断されてます…。ちなみに2人の新居は今や世界遺産の姫路城で、姫路城には千姫の持参金で建てられた「千姫化粧櫓」も残ってます。
コロナが落ち着いたら、興味がおありの方は是非。
@@kitamomo276
私、関西在住なので姫路城には何度か行きました。
千姫櫓の特別公開にも行って実際の居住空間を見ました。
徳姫の次女の熊姫は千姫を無理やり嫁にもらったちょっと強引なおば様でしたね。
長女の登久姫も波瀾万丈な人生送った人です。夫と息子が戦死したら夫の弟と結婚させられて。
お江の三婚が有名でこの時代は女性の再婚は珍しく無いけど
兄が亡くなると直ぐに弟と結婚させられたのは気の毒だと思います。
明けましておめでとうございます😄お正月も休まずの投稿感謝です💖
明けましておめでとうございます😀本年もよろしくお願いいたします😊
家康はたぬき親父なんて言われるほどだから狡賢いのは狡賢かったのではないですかね・・・
築山殿よりも家康の方が根に持ってねちねちと復讐しそうな感じ。
まあ築山殿と信康の件では信長を恨んでいたとも言われているけれどはたして・・・
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。歴史ヲタクにとって、たまらない動画をいつもありがとうございます。実は私の父の実家の本家から福山藩の水野家に側室を出していたり、遠縁さんが松平容保のご子孫さんに嫁いでいます(秩父宮妃殿下のご実家)。
あけましておめでとうございます。
本年も歴史話を楽しみにしています。
是非細川ガラシャやって欲しいです
流石に、現在の大河ドラマの「麒麟がくる」には、こちらの築山殿と彼女と家康の愛息の信康が、信長の命令により処刑などで非業の最期を遂げる場面は、ドラマの回数も残り僅かなものだから、残念な事に省略されつつありそうだなぁ。其ればかりか、家康役の風間俊介氏も、去年から流行っていたあの憎たらしいコロナなんかに感染し、家康の出番もあるか無いかも、心配な位に不安だらけだしなぁ。
あけましておめでとうございます!
咲熊さんの動画いつも楽しみにしています
告発文怖いです。それを真に受けるかどうかではなく、そんなアバウトな内容でも、やり方によっては悪用も可能だという事を正当化しようとするそんな心持が嫌です。本当に正しいことが歪められて…でも、そんないい加減な発言を、更に自分勝手に悪用する人たちがその後本当に気持ち的に、心穏やかに過ごせるのかどうか。私がそういう立場だったら絶対心理的に無理だと思います。それで大丈夫な人は逆にかわいそうだと思います。
いつも楽しみにしております。
内容も分かりやすくて、
自家生産されてる絵が本当に大好きです。
関ヶ原の時、秀忠の遅参を受けて家康が、「信康が居れば老いた身でこんな苦労はしないものを」と愚痴ったと言われている。家康陰謀説はない(と思いたい)。
明けましておめでとうございます。
本年の宜しくお願い致します。
僭越ながら付け加えさせていただきますと、私の生息域である愛知県では次のような話が実しやかに囁かれています。
徳川家康(1543~1616)は、どうやら信康(1559~1579)の出生を疑っていたのではないのか?という「信康出生疑惑説」です。
築山殿(瀬名姫、生年不詳~1579)は家康と祝言をあげる前から今川氏真と密通しており、結婚した後もその関係はしばらく継続していたそうです。これに対して、今川家の人質の身であった家康(元康)は文句の一言も云えなかったとか。武士としてこれほどの屈辱、不面目はありません。家康は生涯を通じて「果たして、信康は真に儂の子なのか?・・・・」という疑念を抱えていたと思われます。このような実情は、死後「東照大権現」として神格化された家康にとって黒歴史中の黒歴史、絶対に史書に残せるものではありません。
この噂話を裏付けるものとして、信康に対する史書の扱いです。信康同様、徳川の当主から切腹を命じられた人物に徳川忠長(1606~1634)がいますが、記録では忠長は徳川姓のまま残されています。ところが、信康は『徳川実記』などの徳川幕府公式記録では「岡崎三郎信康」とか「松平信康」とされています。動画では「徳川信康」とされていましたが、おそらく信康は生前は徳川姓を名乗っていた筈だと考えられます(異説有り)。
家康は、「果たして、信康は真に儂の子なのか?・・・・」という生涯の疑念を何らかの形で残し、家康自身の行動を正当化する為に、史書における信康の記録に「徳川」を使わせなかったと思われます。
咲熊さんあけましておめでとうございます!!2021年もよろしくお願いします!いつも面白い動画ありがとうございます!!
色々な説はあるけど、いずれにせよ家康は自分の利益のために我が子を殺した。親としては最低。
築山殿、奈々緒のイメージが思い浮かびます。
今川義元は谷原章介それとも片岡愛之助になるの?
個人的にはこの話半分史実で半分創作だと思う。まず築山殿は家康を格下にみていて実家を滅ぼした織田家に恨みをもっていたのと家康の仕打ちに恨みをもっていたが何もできず恨みつらみを飲み込んで耐えていただけだと思う(武田家縁のある女性を側室にいれたのは一種の当て付けかな?)真相は家中の家臣同士の勢力争いに巻き込まれたのだと思う
本年もよろしくお願いします😍
あけましておめでとうございます。同じく今川が関わって処された人物に武田信玄の嫡男、武田義信がいますね。妻が今川義元の娘で今川寄りの義信が謀反を起こしたとか。歴史では桶狭間の戦い以後パッとしない今川家ですがそこは名門、義元死してなお影響力が大きかったのではないでしょうか。
個人的には秀忠を後継者にする為に処されて、その後秀忠の血筋と将軍就任の正当性の為に悪妻を脚色されたのではないかなと思います。
信康の自刃については昔から色々とエピソードがあって「服部正成が介錯しようとしたが、信康に同情して泣いてしまい刃を振れなかった」とか「信康の後見人だった重臣の石川数正が後に謎の出奔をした理由だ」とか言われていますね。面白いものでは(他のコメントでも書かれていますが)「影武者が家康に成り代わったので、正体がバレないように近親者を処刑した」という説もあります。こういう推理するのも歴史を学ぶ楽しみですね。今年も咲熊さんの楽しい動画を期待しています。
あけましておめでとうございます。
本年も無理のない範囲で動画投稿を頑張ってください。応援しております。
家康が側室に未亡人を娶りましたが、特に出産経験のある女性をターゲットにしてたようです。
理由としては
「出産を経験した女性なら強い子供を産み、母子ともに健康でいられる」
と考えたそうです。
明けましておめでとうございます🎍
新年早速の動画ありがとうございます。
築山殿は、悪女のイメージがありましたが、確かに後の世に作られたイメージなのかもしれないですね。
明けましておめでとうございます。
いつも動画を楽しみにしています。
13:35 この派閥争いで、信康の出したいくつかの命令に対し、家康が「これらの命令に対し、従う必要はない」と撤回命令をだしたらしい記録が、「家忠日記」の中にあるんですよね。後、この時点で、徳川と織田は対等の同盟ではなく、織田の方が強いので家康は信長の顔色を伺っています。
殺害について、家康が直接命令をしたのか、忖度をした部下が証拠をでっち上げて家康が承認したのかはわかりませんが、家康が知らないという事はあり得ないかと。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。
新年早々の日本産ドロドロ劇をありがとうございます。築山殿は謎が多いですね。それだけ複雑な政治的事情が絡んでるという事でしょうけど。
ただ、家康がこの後、自分から正室を娶らなかった(朝日姫は秀吉から押し付けられたようなものだし)のは、確実に築山殿の件が影響してると思います。
そしてシャルロット、見た目は怖いのに名前は可愛いですね。
こう言うところで姑問題が起きるんだよな。
その時代に嫁いだ女性が可哀想…築山殿(瀬名姫)と徳姫、お大の方なんかはその例だし、それが後々の大奥にも影響が出てくるんだよね。
関ヶ原の合戦が信康の21年後の命日というのが無かった。後、築山殿の母親が井伊家の出身という説があることも。
明けましておめでとうございます。新年の投稿ありがとうございました。今年も咲熊さんの動画を楽しみにしています。
新年明けましておめでとうございます。いつもありがとうございます。楽しみにしていました。咲熊さん直筆のイラスト、本当に好きです!
築山殿と信康の死の真相については諸説あるね。昔は徳姫、信長親子の陰謀説が強かったけど
今は家康黒幕説が強くなっている。信康は武勇に優れ家臣の信頼厚く、何故か家康に疎まれた
次男秀康を父家康に会わせて親子の名乗りをさせたという人物。築山殿の境遇には同情する。
ずっと冷淡に別居されて扱いがぞんざいでは、息子が生きがいになるよね。
家康は気に入らない息子にはとことん冷淡だったけど、娘には甘かったらしく娘たちの
聞ける範囲の我儘は聞いてあげていたらしい。長男信康の娘で本多忠勝の息子に嫁いでいた
孫娘にも優しく、豊臣秀頼の未亡人だった二代将軍秀忠の長女千姫を息子忠刻に
貰い受けている。早くに死なせてしまった息子への負い目が生涯家康にはあったらしい。
@@星ドリフター 様
熊姫ですね。彼女はあの勇猛で名高い本多平八郎忠勝の息子と結婚します。ですが欲深い性格で、将軍の娘である千姫を息子の忠刻と結婚させれば、多額の持参金を持ってくるし、本多家の格も上がると踏み、祖父が父に対する負い目から自分を可愛がってくれているのをいいことに家康の元に押しかけて千姫の忠刻との再婚を承知させてしまいました。
こうして熊姫の目論見はうまくいったものの(持参金は十万石!)、肝心の忠刻は結婚から約10年後に死去、千姫は江戸城に戻り出家。二人の間には一男一女が生まれましたが男の子は夭逝、女の子は岡山の池田家に嫁ぎました。
築山は家臣の判断で殺害したと思う。家康は永蟄居か尼寺行きで済ませたかったと思う。
ずーっと人質生活で周囲の感情や政治事情を敏感に察知しなければ生きていけなかった家康だけど、妻と息子○すのはな~、嫌だな~。昔のお姫様は大変ですね。跡取り産んで当たり前、旦那はあてにならず、けれど自分の生家を大事にしすぎても旦那にそっぽ向かれる、、、うん、現代の一般人で良かった~♥️
明けましておめでとうございます🎍✨
今年も楽しみにしてます❤️
あけましておめでとうございます!
今年も宜しくお願いいたします!
今年も咲熊さんの動画を楽しみにしております。
新年一発目が地元武将&奥方で嬉しいです!
一般的に悪女、ヤンデレとあまり良いイメージがない築山殿なんですが、亡き後は家康が秀吉に無理くり押し付けられるまでずっと正室を置かなかったことから家康なりに思うところはあったのでしょうか…
取っ替え引っ替え側室を入れ替えてるから、家康自身は不自由してなかったと思う。
それと下手に正室を迎えると世継ぎ問題の憂い出て来るだろうし・・・
@@たまてばこ-y8t 確かに、下手に正室置かんでも、家康の側室は身分が低いながらバリキャリなお方が結構多いですよね!
逸話の多い英勝院さまあたり咲熊さんに取り上げていただきたいですね〜
謹賀新年、今年も動画楽しみに視聴します。お体、お大事に✨
私のなかでは、築山姫の印象は、菜々緒のイメージが濃いです。時代劇の影響で…。
あけましておめでとうございます。
築山殿、今回の動画ではそんなに悪女じゃないような印象を受けました。
欧州の悪女の方々に比べれば、「普通の人」ですよね。
あと、新年早々の新キャラ、「シャルロット」は昨年の「親分」を越えるキャラになるか楽しみです。
今年も楽しみにしています
お正月に新作動画UPしていただき、ありがとうございます!
戦国の姫君も、なかなか悲劇の方が多いんですよね…信長の娘も、自分の子供を置いていってるし…😭
あけましておめでとうございます㊗️わたしとしては築山殿のイメージは菜々緒なんです。どうでしょう⁉️
お正月も通常運転、お疲れさまです。ありがとうございます!
お休みかと思ってたので、とてもうれしいー
明けましておめでとうございます
新年明けましておめでとうございます😄今年も動画楽しみにしています😄
明けましておめでとうございます。
今年も素敵な歴史の中の女性達の動画を楽しみにしています😊。
築山殿は当時の徳川家のマイナス面を押し付けられた犠牲者のように思えました。
そしてシャルロットちゃん…怖。
本年もちろんよろしくお願いします💖皆さんかわいいね💕
あけましておめでとうございます❢
築山殿が処刑されたと言われてる場所は地元で、その刀を洗ったと言われる首洗いの池とかあるので、新年一発目が築山殿で感慨深かったです
普段、TH-camは音消して見てますが、咲熊さん達はとても耳に心地よいので、このチャンネルだけは設定変えて見てます
今年も楽しみに拝見・拝聴させて頂きます❢
7:04 今川を滅ぼしたのは直接的には武田の駿河侵攻とそれに乗じた徳川なんですよね。
🎍🐮🌱
明けましておめでとうございます🌸
今年も楽しみにしています😆💖
火の無い所に煙は立たないと言うから、多少はね。しかし状況を考えると家康君の判断は正しいかもしれない?、弁解をしなかったのには、家来としては、耐えるに忍べない不満は有ったかもしれない?、夫婦ですから、不満を実家にブー垂れたってのは有り得るからね。
あけましておめでとうございます🎍
今年も、動画を楽しみにしています😄
あけましておめでとうございます。
新年の始まりに咲熊様のイラストで築山殿!この人悪く言われてるから不憫ちゃ不憫😢家康の嫁で戦国の世じゃなければプライドが高いだけでぜんぜん普通の人…
シャルロット はじめまして!めっちゃ怖いですうう
あけましておめでとうございます。冒頭のおめかしかわいい*°ω°
あけましておめでとうございます🎍
今年も楽しみにしてます😆
今回も楽しく視させて頂きました😊
今年も宜しくお願いします✨
戦国武将の中で私は家康が一番好きなのですが(自分が静岡出身ということもあり)、この正室と嫡男のことは少々許せないこともありました。
やっぱり家康ですね、腹黒い……💧
瀬名姫も可愛そうな人だったのかなと思います😔
次回も楽しみにしています✨
そろそろ、オーストリア·ハプスブルク家のフランツ·ヨーゼフとエリザベートのお話も聞きたいです❤️☺️
あけましておめでとうございます。
今年も楽しみにしています。
頑張って下さい!
清洲同盟は婚姻を以ての同盟ですから最後の説が1番可能性高そうね
あけましておめでとうございます😆
お正月用に髪にお花つけておめかししてる3人が可愛い💕
一番好きな歴史動画チャンネルです、今年も楽しみにしています✨
あけましておめでとうございます。
新キャラが禍々しくて素敵!
明けましておめでとうございます。
今年も楽しみにしています。
イラストもツッコミも大好きです🤣
マジ画像どこで拾ってくるん?シャルロットはなかなか見つけられなさそうw
今年もよろしくお願いします😁😁
家康恐れた武田家、織田家、伊達家、島津家中でも恐れたのは妻と聞いた事があります
信長ってほんっと身内にだけはチョロいよな。
新年明けましておめでとうございます😃
今年も動画楽しみにしています🎵
新年初めは日本の築山殿ですね‼️
イラスト入りでとても嬉しい😃🎶
シャルロット又出てきて欲しいです♥️
明けましておめでとうございます🎍☀️
本年も動画を楽しみにしてます!
確か家康の側室は瀬名こと築山殿の侍女だったと言われています。
確かに瀬名で懲りたのかもしれませんが、阿茶の局の様に代表される様な女性、知的で健康な人、家康の側室の条件は子供を産んでくれる人。
瀬名にとって唯一の希望は息子の信康だけだったんじゃないだろうか?
徳姫が父信長に送った手紙で母子が死ぬ事になったという事には最近否定されつつあり、徳川家の内部の事情からと言われてきている
新年おめでとうございます。
今年も動画を楽しみにしています!
築山殿の話をこの動画で聞く分には、どれも憤りを感じて当然じゃないかな?と現代の感覚では思えてしまう。