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とんでもなく凄い一族だ子供や孫やひ孫はどうなったんだろう
0:41 1857~19139:09ランガージュ13:43シニフィアン/シニフィエ14:36イデア
ありがとうございます!
@@koumin わかりやすい解説ありがとうございます。
感情が言葉に紛れて表現される 意味不明なんだけどなんか知ったふりしとかないとやばい事態に陥りそうで知った感じで受け流します。それがいつしか実態を持ってきて空気嫁くうき?よむ?なにそれ 「くうきよまないとね」同調圧力 場の空気読む もう量子学に突入 言葉の表現が稚拙ですいません あやふやな言葉に思いが伝わればいいんですがむつかしいですね
言語学の中でも社会学に近い話に感じました。近現代の哲学者ほど主張が具体的であると共に、その主張の中身は哲分不足になっていくような反比例の感覚があります。それは時代が近い人の業績ほど具体性に富んでいてその枝葉末節に自分が関心を奪われるせいかもしれません。プラトンとか法家とかが主張に伴う詳細な具体例を残していたら古代と現代の哲学者に対する差異は感じなかったかも。本物のイクラよりも小粒なサーモントラウト卵の方がコスパ良くて好きです。昔道東でシャケバイしてた時の水産加工場のシャケは全部ロシア輸入ものでした。たぶん一尾1000円くらいで輸入したのをパートのおばちゃんが内蔵やイクラを取って箱詰めした次点で2000円相当、それがスーパーで新巻鮭として6000円くらいで売られてるんじゃないかと。だったら道東に住めばシャケなんて実質タダで食えるし(漁業権無くても川で釣って良いグレーゾーン地域もある)得じゃん? てなるけど工業製品が離島並みに高いし暖房代もガソリン代もたくさんかかるので、やっぱり収入の高い都市部で働いて6000円のシャケ買った方がトータルで得です。
この動画のソシュールの主張だと、まず誰か独りの人間の脳内で、最初の概念の定義(シニフィエ)とそのラベリング(シニフィアン)が行われ、それをシニフィアンとして外に、他者に表現し、その表現を受け取った他者がそのシニフィアンからシニフィエの内容を推測して、元の独りに何らかのシニフィアンを返す、そのやり取りの往復で次第に現象レベルでは互いの齟齬が無くなったように見えるように変化していく、しかし互いのアタマの中のシニフィエが同じものなのかはワカラナイ、こんな感想を持ちました。なんか人間同士で何が入っているか分からない「箱」にラベルを貼って、中身の内容を「名付けた」名称を書き込み、その「箱」ありきで次々と「状況」を進めていく、その中で互いに解釈した内容を「箱」に詰めて、また「状況」を進めていく…こういうゲーム?みたいなもんなんでしょうかね。
箱の「ラベル」が言葉・言語で、箱に詰めた中身は概念・イメージ・感情などが合わさったものですが、それは詰めた本人しか分からないし、本人さえ全て分かっていないこともよくある。この場合の言語は広い意味で、身振り手振り、音楽、絵画、他、ありとあらゆる意思表示を含むと考えます。互いに相手が何を箱に詰めたか、外の「ラベル」だけ見て、当て推量し続けている、そんな世界が私の世界でありますが、私が見る限り、他の人達もそのようです。しかし、自分の箱の詰めた中身が十全に相手にも分かったかのように、こちらにも分かる、そういう瞬間を感じる時があります。素晴らしい音楽のパフォーマンスや美術作品、映画やダンス、演劇などで多くの人が一様に魅了されるような現象は、この箱の中身の当て推量ゲームの構造だけで、果たして頻繁に起こり得るのか、偶然がそんなに起こりうるのか、そこが分からない所です。
そこが独我論に対して私が納得できない所で、その点が最も重要だと思います。それは、有り体に言っても、その単語のそのままの語彙の意味においても、正に「神秘」と言い当てると全て収まる気がします。それは井筒俊彦が主張した、形而上的な構造を人類が持っていると言えば、ほぼ私の概観を説明出来ますがそのことの証明は私には出来ません。独我論の主張に対しては、一つの思考実験として、ある量産型のアンドロイドが大量生産されたとして、そのアンドロイドに同じ規格の頭脳があり、自我意識を持たせられたとする。このアンドロイドの自我意識からは認識出来ないが、その更に下の階層では他のアンドロイドの自我とイメージを共有できる仕組みがあり、更にはそれらを融通させるホストコンピュータがあるとする。この場合のアンドロイドの独我論は、一体どのようなものになるのか。ふとした思いつきですが、どうなるのかと思ってしまいます。
この解説はヤバイ
やっぱり!ヤバイですか!
用例です
用例という言葉も、パロールがラングに影響与えてるってことか。
いじわるばあさんで、昼ご飯にサケをまるまる1匹持ってくる話があった。
青島幸男懐かしい
ソシュールは、「言語はC的な記号の体系だ」と言った。コンピュータ業界は、それを忠実に実践している。
とんでもなく凄い一族だ
子供や孫やひ孫はどうなったんだろう
0:41 1857~1913
9:09ランガージュ
13:43シニフィアン/シニフィエ
14:36イデア
ありがとうございます!
@@koumin わかりやすい解説ありがとうございます。
感情が言葉に紛れて表現される 意味不明なんだけどなんか知ったふりしとかないとやばい事態に陥りそうで知った感じで受け流します。それがいつしか実態を持ってきて
空気嫁
くうき?よむ?なにそれ 「くうきよまないとね」同調圧力 場の空気読む もう量子学に突入 言葉の表現が稚拙ですいません あやふやな言葉に思いが伝わればいいんですがむつかしいですね
言語学の中でも社会学に近い話に感じました。近現代の哲学者ほど主張が具体的であると共に、その主張の中身は哲分不足になっていくような反比例の感覚があります。それは時代が近い人の業績ほど具体性に富んでいてその枝葉末節に自分が関心を奪われるせいかもしれません。プラトンとか法家とかが主張に伴う詳細な具体例を残していたら古代と現代の哲学者に対する差異は感じなかったかも。
本物のイクラよりも小粒なサーモントラウト卵の方がコスパ良くて好きです。昔道東でシャケバイしてた時の水産加工場のシャケは全部ロシア輸入ものでした。たぶん一尾1000円くらいで輸入したのをパートのおばちゃんが内蔵やイクラを取って箱詰めした次点で2000円相当、それがスーパーで新巻鮭として6000円くらいで売られてるんじゃないかと。だったら道東に住めばシャケなんて実質タダで食えるし(漁業権無くても川で釣って良いグレーゾーン地域もある)得じゃん? てなるけど工業製品が離島並みに高いし暖房代もガソリン代もたくさんかかるので、やっぱり収入の高い都市部で働いて6000円のシャケ買った方がトータルで得です。
この動画のソシュールの主張だと、まず誰か独りの人間の脳内で、最初の概念の定義(シニフィエ)とそのラベリング(シニフィアン)が行われ、それをシニフィアンとして外に、他者に表現し、
その表現を受け取った他者がそのシニフィアンからシニフィエの内容を推測して、元の独りに何らかのシニフィアンを返す、そのやり取りの往復で
次第に現象レベルでは互いの齟齬が無くなったように見えるように変化していく、しかし互いのアタマの中のシニフィエが同じものなのかはワカラナイ、こんな感想を持ちました。
なんか人間同士で何が入っているか分からない「箱」にラベルを貼って、中身の内容を「名付けた」名称を書き込み、
その「箱」ありきで次々と「状況」を進めていく、その中で互いに解釈した内容を「箱」に詰めて、また「状況」を進めていく…
こういうゲーム?みたいなもんなんでしょうかね。
箱の「ラベル」が言葉・言語で、箱に詰めた中身は概念・イメージ・感情などが合わさったものですが、それは詰めた本人しか分からないし、本人さえ全て分かっていないこともよくある。
この場合の言語は広い意味で、身振り手振り、音楽、絵画、他、ありとあらゆる意思表示を含むと考えます。
互いに相手が何を箱に詰めたか、外の「ラベル」だけ見て、当て推量し続けている、そんな世界が私の世界でありますが、私が見る限り、他の人達もそのようです。
しかし、自分の箱の詰めた中身が十全に相手にも分かったかのように、こちらにも分かる、そういう瞬間を感じる時があります。
素晴らしい音楽のパフォーマンスや美術作品、映画やダンス、演劇などで多くの人が一様に魅了されるような現象は、この箱の中身の当て推量ゲームの構造だけで、果たして頻繁に起こり得るのか、偶然がそんなに起こりうるのか、そこが分からない所です。
そこが独我論に対して私が納得できない所で、その点が最も重要だと思います。
それは、有り体に言っても、その単語のそのままの語彙の意味においても、正に「神秘」と言い当てると全て収まる気がします。
それは井筒俊彦が主張した、形而上的な構造を人類が持っていると言えば、ほぼ私の概観を説明出来ますが
そのことの証明は私には出来ません。
独我論の主張に対しては、一つの思考実験として、ある量産型のアンドロイドが大量生産されたとして、そのアンドロイドに同じ規格の頭脳があり、自我意識を持たせられたとする。
このアンドロイドの自我意識からは認識出来ないが、その更に下の階層では他のアンドロイドの自我とイメージを共有できる仕組みがあり、
更にはそれらを融通させるホストコンピュータがあるとする。
この場合のアンドロイドの独我論は、一体どのようなものになるのか。
ふとした思いつきですが、どうなるのかと思ってしまいます。
この解説はヤバイ
やっぱり!ヤバイですか!
用例です
用例という言葉も、パロールがラングに影響与えてるってことか。
いじわるばあさんで、昼ご飯にサケをまるまる1匹持ってくる話があった。
青島幸男懐かしい
ソシュールは、「言語はC的な記号の体系だ」と言った。
コンピュータ業界は、それを忠実に実践している。