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ステーキの下り、大爆笑です思い出話が面白いです。トランペットの話の続きも楽しみですが、こちらの話ももっと聞きたいです。
木元さんと同年代の私にとってはいろいろと頷ける事が多いですね。おそらく日本からの海外渡航者も少ない時代で、ようやく新婚旅行でハワイに行くカップルがボチボチと出てきた頃と思います。今の若者が安い航空チケットで気軽にどこへでも行けるようになるとは想像する事さえなかったですね。ミュンヘンは行きませんでしたが、30代半ばで視察旅行でマインツを訪れた際に地元紙の朝刊で、遠い日本からのお客様としてトップニュースで取り上げられたことがありました。良い思い出です。
Mainzは演奏に行ったこともありますね。あそこに有名なホールがありそこで3日間当時ヨーロッパで一番大きな音楽番組の収録に行きましたね。ライン川のほとりにあり橋を渡るとビースバーデンという街で宿泊はその街のホテルでしたね。そうですか、新聞に載ったんですか。いい思い出ですね。
あっ、、、終わってしまった、、、。今日の楽しみが、、。 お話は、本当に面白いです。また楽しみにしております!
又近々アップします。
波瀾万丈、自叙伝が書けると思います。次回も楽しみにしています。
僕のは行き当たりばったりの漫画人生です。今でもそうなんです大きな目標とか持たないんです。持つと重荷になるので。
いやあ〜面白かったです!その当時のギャラ凄いですね!!それとお若い頃からヨガされていますが、何かきっかけはあったのですか?今でこそヨガは大ブームですが、当時はまだされている方はごく少数では?と思います。また次回が楽しみです!!
ドイツが当時世界で一番ギャラがよかったです。ですから世界中からたくさんの音楽家がドイツに仕事を探しに来ていました。ヨガはその当時余り知られていなかったですね。でも沖正弘さんという人が戦後ヨガを日本に取り入れて日本流に開発した素晴らしい生活ヨガです。生きること全てをひっくるめて習うものです。これに勝るヨガは今まで世界でも出ていないです。今のヨガはただそのほんの一部だけを表面的にやっています。きっかけは当時の彼女が病気になって気弱になってしまったので健康とは何か、ということを探していて書店でヨガ入門という本に出当たりました。20数年本当に真剣にやっていました。ヨガから物の考え方を習いました。それが今の僕の土台になっています。
楽しいと楽(ラク)は違う恩師の教えですが、見本みたいな話です僕も買いました。ヨガ入門コマブックスいやかっぱブックスでしたっけ…あの表紙のインパクトで衝動買いしました現代の医学がようやく沖ヨガに追いついてきたのか、日本でも発芽玄米や発芽豆など手に入るようになりました舌苔をとったり断食も沖ヨガは先進的、未来的ですらありますね
そうですね、沖ヨガは未来を行っていましたね。確かカッパブックスでしたよ。それがヨガとの出会いでしたね。
@@daikimoto6725 本当に興味深いエピソードばかりで面白いですこれでまだヨーロッパでのほんの入口の話とは野球小僧だった木元さんのトランペットとの出会い、最初になぜトランペットを吹こうと思ったのか誰の音でトランペッターになろうと思うほど影響受けたのか気にあります
@@manbongo1588そうですね。そういうこともまとめて一度話したいと思っています。
日本じゃ今、漫画でブルージャイアントっていう、ジャズの漫画があります。主人公テナー吹き、単身ドイツに渡り、確かミュンヘンに最初に行って、ジャズだけで稼ぐという漫画です。名前は宮本大。もしかしてモデルじゃないですか。ドイツも行ったことがあります。二回くらいかな。秋のはじめでも、日本と違いすごく寒くなりますよね。マイナス10度、中国の大連で体験しましたが、毛皮の帽子かぶってないと、頭がダイレクトに冷えて、思考能力がなくなります。日が照っていても、明るいだけで、暖かくない。とてもトランペットを吹ける環境じゃないですよね。76年だとちょうど14歳でした。高校のブラスバンド部に入りましたが、その当時、ヤマハはおろか、ヤナギサワのサックスさえ、マイ楽器を持ってる人はいませんでした。当時は初任給は6万くらいじゃないでしょうか、19で仕事を始めましたが、その当時9万5000円です。楽器は今とさほど変わらないくらい高かったかから、日本人の給料じゃ3ヶ月分ですね。日本もバブルの時代は、クラブの経営者から、いくらほどですかね、と尋ねられる時代ほぼ言い値だったようですね。今みたいに高校生がセルマーとかバックのラッパ持ってるなんて、夢のまた夢、プリマヤナギサワのテナー持ってる子が唯一マイ楽器でしたね。イギリスのフィッシュアンドチップスのまずさはいまでも覚えてます。ドイツのビールは美味いですよね。ジャガイモのスープが美味かったです。ソーセージ、ハムは英語ドイツじゃまず伝わりませんよね。シンケンとかいうドイツ語だったような記憶があります。スパゲッティのラーメンはすごいですね、チャーハンならいけるかもしれませんね。ヨーロッパに行った時は空港はパンの匂いがしました。逆に日本に来ると醤油の匂いがします。インドだと香辛料とお香の匂い。しかし、当時のバンドマンはすごい給料ですね。確かに高校卒業、の頃はまだ日本にも海外で一旗揚げようかって、気持ちがある人はいましたね。今も日本に来る東南アジアの人はそうでしょう。逆に日本人はやる気が無くなってしまったようです。毎回お話がホントに面白いです。
何人かの人があの漫画は僕がモデルになっていると言っています。一度日本の雑誌に僕のインタビュー記事が出たことがあるんですよね。若い人は楽器は何でもいいのですが。いい楽器を持つと上手く演奏出来ると思うんでしょうね。まあ、親の欲目ですかね。日本のバンドマンの給料は良くなかったですよ。ドイツは当時世界で一番ギャラが出ていました。マックス・グレーガー楽団はまたその一桁違うギャラを取っていました。とにかく凄い人気でしたね。彼自身はうるさい親父という感じでメンバーは余り好んでは近くにいかなかったです。僕はすごく可愛がってもらいましたが。
@@daikimoto6725 高校のブラスバンド部で初めて手にした楽器はヤマハのサックスですが、たぶん廉価モデルだと思います。創部以来使われていた物らしく、自然にアンラッカーになってました。毎日、磨いていたら、少しはキレイいなりましたが、高級なセルマーとか重いトランペットは初心者には鳴りにくいかもしれませんね。以前の楽器の重さのお話とか、日本の高校生ビックバンドの楽器が鳴ってない、と言うお話はわかります。自分は高校以来35年吹いてませんでした。偶然楽器屋でサックスあるなーとみてたら吹かせてくれて、その時はサックスさえうまく吹けなかったです、再び習い始めて楽器が欲しくなり、なんと重たい重たい、セルマーのシリーズ3のスターリングシルバーを買ってしまいました、先生の試奏してる音に他にはない感動があったのでしかし、数年は鳴らなかったです。今再開して12年くらいになりレッスンも続けてようやく、いい先生に巡り合い、音が劇的に良くなりました。やはり初心者には軽くて、ピッチが良く鳴る感覚を得られるような楽器が必要ですね。
こんにちは、イギリスの食生活はお口に合わなかった様ですがドイツ料理はいかがでしたか 海外生活で寿司や天ぷらを食べるチャンスは有りましたか。
イギリスの食事は口に合う人は誰もいないでしょう。日本人だけではなくヨーロッパの人もみんな言います。今は昔とは違うかも知れませんが。僕が言うのはレストランでではなく家庭での食文化のことです。ドイツはイギリスよりうんといいです。でも昔はジャガイモが主食で、肉などもごってい脂っこく料理していましたね。ドイツ人の体形がそれを表していますよね。僕はお金は十分稼いでいたのでしょっちゅう日本レストランに行くことが出来ました。当時は日本レストランは殆どなくあってもすごく高かったです。ミュンヘンに行った当時三船敏郎が経営する「みふね」というレストランが一軒だけでした。食べ物より日本語に飢えていましたね。
ステーキの下り、大爆笑です
思い出話が面白いです。トランペットの話の続きも楽しみですが、こちらの話ももっと聞きたいです。
木元さんと同年代の私にとってはいろいろと頷ける事が多いですね。
おそらく日本からの海外渡航者も少ない時代で、ようやく新婚旅行でハワイに行くカップルがボチボチと出てきた頃と
思います。今の若者が安い航空チケットで気軽にどこへでも行けるようになるとは想像する事さえなかったですね。
ミュンヘンは行きませんでしたが、30代半ばで視察旅行でマインツを訪れた際に地元紙の朝刊で、遠い日本からのお客様としてトップニュースで取り上げられたことがありました。良い思い出です。
Mainzは演奏に行ったこともありますね。
あそこに有名なホールがありそこで3日間当時ヨーロッパで一番大きな音楽番組の収録に行きましたね。ライン川のほとりにあり橋を渡るとビースバーデンという街で宿泊はその街のホテルでしたね。
そうですか、新聞に載ったんですか。いい思い出ですね。
あっ、、、終わってしまった、、、。今日の楽しみが、、。 お話は、本当に面白いです。
また楽しみにしております!
又近々アップします。
波瀾万丈、自叙伝が書けると思います。
次回も楽しみにしています。
僕のは行き当たりばったりの漫画人生です。
今でもそうなんです大きな目標とか持たないんです。持つと重荷になるので。
いやあ〜面白かったです!その当時のギャラ凄いですね!!それとお若い頃からヨガされていますが、何かきっかけはあったのですか?今でこそヨガは大ブームですが、当時はまだされている方はごく少数では?と思います。また次回が楽しみです!!
ドイツが当時世界で一番ギャラがよかったです。ですから世界中からたくさんの音楽家がドイツに仕事を探しに来ていました。
ヨガはその当時余り知られていなかったですね。でも沖正弘さんという人が戦後ヨガを日本に取り入れて日本流に開発した素晴らしい
生活ヨガです。生きること全てをひっくるめて習うものです。これに勝るヨガは今まで世界でも出ていないです。
今のヨガはただそのほんの一部だけを表面的にやっています。
きっかけは当時の彼女が病気になって気弱になってしまったので健康とは何か、ということを探していて書店でヨガ入門という
本に出当たりました。20数年本当に真剣にやっていました。ヨガから物の考え方を習いました。それが今の僕の土台になっています。
楽しいと楽(ラク)は違う
恩師の教えですが、見本みたいな話です
僕も買いました。ヨガ入門
コマブックスいやかっぱブックスでしたっけ…あの表紙のインパクトで衝動買いしました
現代の医学がようやく沖ヨガに追いついてきたのか、日本でも発芽玄米や発芽豆など手に入るようになりました
舌苔をとったり断食も沖ヨガは先進的、未来的ですらありますね
そうですね、沖ヨガは未来を行っていましたね。
確かカッパブックスでしたよ。
それがヨガとの出会いでしたね。
@@daikimoto6725 本当に興味深いエピソードばかりで面白いです
これでまだヨーロッパでのほんの入口の話とは
野球小僧だった木元さんのトランペットとの出会い、最初になぜトランペットを吹こうと思ったのか誰の音でトランペッターになろうと思うほど影響受けたのか気にあります
@@manbongo1588そうですね。そういうこともまとめて一度話したいと思っています。
日本じゃ今、漫画でブルージャイアントっていう、ジャズの漫画があります。
主人公テナー吹き、単身ドイツに渡り、確かミュンヘンに最初に行って、ジャズ
だけで稼ぐという漫画です。名前は宮本大。もしかしてモデルじゃないですか。
ドイツも行ったことがあります。二回くらいかな。秋のはじめでも、日本と違い
すごく寒くなりますよね。マイナス10度、中国の大連で体験しましたが、毛皮
の帽子かぶってないと、頭がダイレクトに冷えて、思考能力がなくなります。
日が照っていても、明るいだけで、暖かくない。
とてもトランペットを吹ける環境じゃないですよね。76年だとちょうど14歳でした。
高校のブラスバンド部に入りましたが、その当時、ヤマハはおろか、ヤナギサワの
サックスさえ、マイ楽器を持ってる人はいませんでした。当時は初任給は6万くらい
じゃないでしょうか、19で仕事を始めましたが、その当時9万5000円です。
楽器は今とさほど変わらないくらい高かったかから、日本人の給料じゃ3ヶ月分ですね。
日本もバブルの時代は、クラブの経営者から、いくらほどですかね、と尋ねられる時代
ほぼ言い値だったようですね。今みたいに高校生がセルマーとかバックのラッパ
持ってるなんて、夢のまた夢、プリマヤナギサワのテナー持ってる子が唯一マイ楽器
でしたね。
イギリスのフィッシュアンドチップスのまずさはいまでも覚えてます。ドイツのビールは
美味いですよね。ジャガイモのスープが美味かったです。ソーセージ、ハムは英語
ドイツじゃまず伝わりませんよね。シンケンとかいうドイツ語だったような記憶が
あります。スパゲッティのラーメンはすごいですね、チャーハンならいけるかも
しれませんね。ヨーロッパに行った時は空港はパンの匂いがしました。
逆に日本に来ると醤油の匂いがします。インドだと香辛料とお香の匂い。
しかし、当時のバンドマンはすごい給料ですね。
確かに高校卒業、の頃はまだ日本にも海外で一旗揚げようかって、気持ちがある人は
いましたね。今も日本に来る東南アジアの人はそうでしょう。逆に日本人はやる気が
無くなってしまったようです。毎回お話がホントに面白いです。
何人かの人があの漫画は僕がモデルになっていると言っています。一度日本の雑誌に僕のインタビュー記事が出たことがあるんですよね。
若い人は楽器は何でもいいのですが。いい楽器を持つと上手く演奏出来ると思うんでしょうね。まあ、親の欲目ですかね。
日本のバンドマンの給料は良くなかったですよ。ドイツは当時世界で一番ギャラが出ていました。マックス・グレーガー楽団はまたその一桁違うギャラを取っていました。
とにかく凄い人気でしたね。彼自身はうるさい親父という感じでメンバーは余り好んでは近くにいかなかったです。僕はすごく可愛がってもらいましたが。
@@daikimoto6725 高校のブラスバンド部で初めて手にした楽器は
ヤマハのサックスですが、たぶん廉価モデルだと思います。
創部以来使われていた物らしく、自然にアンラッカーになって
ました。毎日、磨いていたら、少しはキレイいなりましたが、
高級なセルマーとか重いトランペットは初心者には鳴りにくい
かもしれませんね。以前の楽器の重さのお話とか、日本の高校生
ビックバンドの楽器が鳴ってない、と言うお話はわかります。
自分は高校以来35年吹いてませんでした。偶然楽器屋でサックス
あるなーとみてたら吹かせてくれて、その時はサックスさえうまく
吹けなかったです、再び習い始めて楽器が欲しくなり、なんと重たい
重たい、セルマーのシリーズ3のスターリングシルバーを買って
しまいました、先生の試奏してる音に他にはない感動があったので
しかし、数年は鳴らなかったです。今再開して12年くらいになり
レッスンも続けてようやく、いい先生に巡り合い、音が劇的に
良くなりました。やはり初心者には軽くて、ピッチが良く
鳴る感覚を得られるような楽器が必要ですね。
こんにちは、イギリスの食生活はお口に合わなかった様ですがドイツ料理はいかがでしたか 海外生活で寿司や天ぷらを食べるチャンスは有りましたか。
イギリスの食事は口に合う人は誰もいないでしょう。日本人だけではなくヨーロッパの人もみんな言います。今は昔とは違うかも知れませんが。僕が言うのはレストランでではなく家庭での食文化のことです。
ドイツはイギリスよりうんといいです。
でも昔はジャガイモが主食で、肉などもごってい脂っこく料理していましたね。
ドイツ人の体形がそれを表していますよね。
僕はお金は十分稼いでいたのでしょっちゅう日本レストランに行くことが出来ました。当時は日本レストランは殆どなくあってもすごく高かったです。ミュンヘンに行った当時三船敏郎が経営する「みふね」というレストランが一軒だけでした。
食べ物より日本語に飢えていましたね。