ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
私の曽祖父は陸軍大尉でした、曽祖父が亡くなって数年たった時に、曽祖父が使ってた軍刀を米軍伍長だった人が家に返しに来てくれたのを覚えています。
一番の常習犯は刀鍛Gっすwwしかし日本刀は作り手の魂ももちろんの事、歴代の所有者魂を感じれる事も魅力のひとつです。どんな人がどんな思いでこの刀を所有して来たのか、どんな使われ方をしてきたのかどんな人が腰に帯びていたのかを想像するのも刀の楽しみ方の一つだと思います!
抜刀斎さんだ!
ネットで調べたら・・・何かの本に、豊橋陸軍第一予備士官学校 その二 野村菊衛とありました。もしこの方でしたら恐らく尉官以上の士官だった可能性もあり、軍刀を個人的に発注された可能性もあります。軍刀自体は戦後に内地か外地で連合軍により接収されたものかもしれません。
私もそんなに詳しくはないのですが、予備士官という事は学徒出陣された大学在籍の方ではないかと思います。だとすると学徒出陣式が昭和18年なので、訓練後配属されるとして昭和19年の作刀と辻褄は合いますね。
@@coo-k7117 平成11年度(第90期)の日本証券金融株式会社の有価証券報告書に、社外監査役として野村菊衛さんの御名前の記載がありました。生年月日も記載されており大正14年生まれとのことで、エリッヒ・フォン・マンシュタインさんの予備士官学校の説と、coo-kさんの昭和18年の学徒出陣の説から考えると、年齢が近いかも知れません。もしこの方が御存命であれば、2022年現在で97歳になられますね。
@@djshinobi3151 この野村菊衛さん、証券業界の文芸誌にちょくちょく寄稿されていたようですね。どうやら神奈川県のご在住だったようですが、2007年のネット電話帳で神奈川の方で同名の方がヒットします。
@@djshinobi3151 予備士官学校の説を取るならば、学徒出陣組が地元の連隊で基礎教育を受けてからなので、ほぼドンピシャだと考えられます。
豊橋ですか、地元です。戦時中には大規模な基地があり、軍都だった事を最近しりました。現在の愛知大学の周辺が基地だったらしいです。
泣けるなぁ。お祖父様の軍刀のご帰還のみならず、Gさんのお話もかなり貴重でした。今の日本の平和にあぐらをかいてちゃいけないな。と正座する思いで視聴させていただきました。脱線話もオツでした。この先の展開も楽しみです。
野村菊衛氏、2006年元エイチ・エス証券顧問、昭和51協立証券株式会社(後のHS証券)代表 この方じゃね? 大きな会社なので広報のかたに聞けばなにかわかるかも。
なんだか母方の実家にあった祖父の軍刀を思い出しました。この軍刀の錆や欠けからも、持ち主の方の必死に生きようとした姿が目に浮かぶようで、なんだかウルっと来ちゃいました😢
お祖父様の刀のご帰還にまつわる貴重なお話、ありがとうございます。「野村さん」のご子孫のかたが見付かると良いですね…!
師匠の刀を扱う所作が美しくて思わず息を呑んでしまう。瞬間とてつもない緊張感が伝わってくるんで見入ってしまう。
お爺様が軍刀として製作され、それが実際に使われ、アメリカに渡ってしまった物がこの時代にTH-camで活躍されてるご子息様の所へ帰ってくるなんて感慨深いですよね。
歴史の一部、ありがたい。こういう人がもっと表にでてきて欲しい。
毎回日本の心を感じれて嬉しいです。やっぱり親や祖父を尊敬出来るのは素敵ですね~見果てぬ夢ロマンアメリカへの刀探し是非に!いつも動画楽しみに観てます。ありがとうございます!
私の祖父も戦争に行って帰ってきた人で、刀鍛Gさんも仰っていましたが戦争の話をしたがりませんでした。私の祖父の性格からすると戦ったり人を斬った話は自慢にはならないし、いろいろと思い出してしまうからだったかもしれません。本当に戦争は何も生み出さないと思います。祖父が亡くなってから20年越しで、祖父の刀を私が受け継ぎました。いつか法要で供養の演武が出来たらと改めて思う回でした。
母方の祖父がビルマに行って帰ってきませんでしたが、遺品も遺骨も帰ってはきません。ただ所属基地の営門で軍刀を手にした写真だけが残っています。30代の若さで妻子を残して逝く時に、どんな思いだったのかを考えると、今更ながらに平和の有り難みを感じます。
鍔と目貫が桜・・・これだけでもぐっときますね・・・
すばらしい祖父と父ですね そしてその刀文化を記録として残そうと動いているホイキーさんもすばらしい
私の父は居合をしてるので、日本刀のことはそれなりに解ると思うのですが、私自身なにも携わってないので、何も解らないので、こう言う動画見てると居合を教えてもらってたらなぁ〜なんて思いますね。それにしても世の中を回り回って時代を超えて刀匠の元に戻ってくるって凄いですね😊
お話を聞いて、ほんとに泣けてきました。ただのカッコ良さからチャンネルを見てきた部分がありましたが、今回は、本当にいろいろな思いを感じ、自分はこのままでいいのかと考えさせられました。昨今の政界情勢を考えると本当に悲しいです。平和な日本に暮らせている幸せをかみしめ、何か一つでも世界のため出来ることはないかと探していきたいですね。
長い長い出征からやっと帰って来れた軍刀なんですね!現在の平和はあの時代戦ったからあるのか、戦わなかった方が平和だったのか、それはIfな話なので答えは我々には分かりませんが戦地へ赴いた兵どもは敵味方関係なく守りたいものがあったと私は思っています戦争自体を美化するつもりは一切ありませんが先ずはお疲れ様でしたと思いながら今回拝見させていただきました
刀を介して、刀に関係している人たちの人の好さに、ほっこりしました。
当時と今では作刀の場数も年齢観も違うので一概に比較はできませんが、それでも30代でこの銘切りはすごいですね。物資も不足してきたであろう’44年にきちんとした刀を持てたことは野村さんにもおじいさまにもありがたいことだったのではないでしょうか。よいものを見せていただきました。
ホイキーさんの顔が大人になりましたね。お父様のお心が伝わっているかと。感動。
脱線していてもタメになるお話だから好きです😊
脱線話も含めて貴重なお話でしたホイキーさんがどんどん刀鍛冶の精神を吸収していてついつい感動してましたひとつひとつ技術は難しいものばかりだと思いますが、心はもう刀鍛冶ですね
自分も、作刀された軍刀譲り受けました、やはり使用感在りましが、今は、自分の守り刀としてそばに保管しております
同じような方を発見! 私の場合は「絶対に売るな」と言われて受け継いだ刀が靖国刀でたまにオモチャを持ったまま眠る子ども如く寝落ちしていることもあります。
この刀を見たら涙が出た。斬った刀は怖いと思ってたけど、守り抜いた刀なんだなと感じた。しかも、とても立派な刀。戦争のこともそうだけど、昔の日本人が今の日本人を見たらどう思うかなと考えさせられたよ。世の中どんどん便利になっていくけど、それとともに心が失われていってないかな。日本人はとくに心や魂を大切にする。そういう大切なことは忘れたくないね。
この刀が日本を護ってくれたのかと思うと、綺麗に手入れして静かに休んで欲しいと思います。刀を通して日本の文化を記録するこのチャンネルと刀鍛Gさん、藁切り抜刀斎さん、研ぎCさんや数多くの職人さんに感謝致します。
刀もさる事ながら親子の会話にグッと来ました。私は古い戦闘機もレーサーとして使われる姿が好き、GUNもレースガンとして的を撃つためにリメイクされた物が好みです。一所懸命に作られた物は用途に限らず美しいのですが、それらを今の時代だからこその使い方で楽しむ姿は気持ち良いです。争いや戦争なんてのは以ての外、あれは大人の喧嘩の捨て駒に子供を使うのと同じですから。
我を斬り刃鍛えて幾星霜、子に恨まれんとも、孫の世の為…赤空さんではないけど、きっと名工たちのほとんどはそう思って刀を鍛えていたんだろうなって、思いたい。戦争よくない。
ググったら同じ服部鍛刀所で製作された頼正銘のものがすぐに出てきました。同時期に銘が複数あったというのもとても興味深いです。無鑑査刀匠の若い頃の貴重な作品を拝見できて感動しました。
戦争というものが、最近身近ですが、この錆や傷を見たら感謝の気持ちが出て来ました。この時代の方々に顔向け出来ない様な生き方は出来ないなと思いました。お疲れ様でした。ありがとうございました。
折れず曲がらずを実践した素晴らしい刀です。やはり作者の魂が込められているから帰ってきたのかもしれませんね。お爺さんならわからんと言われそうですが。
銘が物凄い綺麗でした。
銘切りが本当にうまい!綺麗。そしてホイキーさんが刀への見解、見方が初めのころに比べて更に深く成りましたね!アメリカへの親子旅行いつか映像で見れるのを楽しみにしてますw
ホンマに、この人達が命をかけて日本を守ってくれたから今の俺達がいる。命をかけて刀を作ってくれたから、今の平和な暮らしがある。
素人目にもわかる…銘がうめぇ……リアルに歴史が刻まれてて感動しました。Gの元届けて下さった方も素晴らしいし、巡り巡って持ち主野村さんご本人の家族の元へ戻るといいな……。某鑑定団でも本物だと評価されて、持ち主の元へ還った物や博物館、展示などに寄贈された物があり感動しましたが、こちらも後世に遺さなければ行けないものですね。
刀もお話も…貴重なお話ですね。軍刀制作の話を聞ける機会なんてなかなかないですから。
銘がすごい………とにかく凄い…
オープニングの画像、HoyKeyさんも、作務衣にあったロゴも入って凄くいい!かっこいいの一言!
刀鍛爺氏の軍刀から、生きる力強さが伝わってきました。拝見させて頂きありがとうございます。
ウチの曽祖父も昭和19年の秋に召集食らったものの、戦況の悪化で大陸に出征する足も無く、東京から小倉の軍需工場に行かされて、軍刀やら回天(特攻用の潜水艦)の部品やらを作っておりました・・・なお曾祖父の本職は仕立て屋です。
若い頃、知り合いの爺さん達(戦争経験)が言ってた事を思い出すよ。敵兵目掛けて撃ってる弾が当たらない!切ろうと出した刀が曲がる。。。終戦間近でそれだけのクオリティーの刀を作れるお爺さんは流石!本当に戦争が無いこの世代を望みます。
日本人の魂の話ですね。軍刀を作られたお祖父様も、無事の帰還を願っていたのでしょうね。先人の英霊に対し、心より御礼を申し上げます。
母方の伯父と叔父、若くして散ったのは叔父、紅顔の親孝行な一人息子の戦死。生きて帰った伯父、寡黙で凛々しく、美しい字を書く人でした。共に携えた軍刀、命守りし日本刀を抱く、セピア色の遺影を眺めたものでした。やはりいずまいを正しますね。
よく考えたら、血だの血液だのの話になっても孔明さまは男性陣に対等どころかそれ以上の見識で話せるのでしょうね。スゴい家族だ!
家にも伯父が出征の時に撮った写真があるけど軍刀持ってるわ。子供の頃は、美形が三割増しでカッコいいと感じてたけど、今は色々考えさせられるな。23歳で出兵、享年25歳。じいちゃんとばあちゃんは、どんな思いで用意して、持たせたんだろうなって思う。只の武器としての刀じゃないんだろうね。
貴重なお話ありがとうごさいました✨時代を越えてまた手元に戻って良かったですね🗡️
貴重なお話を、どうもありがとうございました😄👍🌟太平洋戦争を戦って、たぶん米軍に接収されたであろうお刀が、70年余をへて帰国するというのは、壮大なストーリーですね。兵器を造っている技術者は、出兵しないものと思っておりましたが、おじい様が招集されていたのも驚きです。非常に感慨深いお話でした。余談ですが、拵えは98式(皇紀2098年から使われたスタイル)の軍刀のようですが、3式拵えが出た後の皇紀2104年でも造れたんですね。いつも勉強になります。
この刀は何を見てきたんだろうなあ‥。涙が止まらない・
いつも楽しく見てます!私の家にも、棟に誉疵のある打刀があります。人は切っていません。やはり誉疵はその名の通り誉以外の何ものでも無いですよね!その刀が辿った物語や歴史に思いを馳せ、これから刀と共に人生を歩んでいきたいと思います。
この刀、きっと日本に還ってきたかったのでしょうね。これからは美術品として、そして戦争を語る品として、大事にされますように。
刀の話はこう先人たちの生き様を感じることができて感動します。動画たちいろいろ見てきているからホイキーさんの成長日記見てるみたい!
あの番組で刀の回があったのか、しかし本当に銘が素晴らしい
祖父も軍刀提げてました。高祖父から備前の長船を軍刀に拵えて貰ったものを下げて上海に行きました。終戦時に帰国する船に乗る前に米軍に召し上げられてしまったそうです。ちなみに衛生軍曹でしたので、軍刀は本当に護身用でした。
素晴らしい刀の一言に尽きます別注品とは言え大量生産の軍刀とは思えないクオリティだし鍔や拵の桜の紋章が美しい…🌸軍刀が戦後に製作者一族のところへ戻ってくるとか某アンビリバボーかと思いましたバチバチに使い込まれたのが誰の目にもわかるように自身や国を勇敢に守ってくださった事で今の日本があるし、HoyKeyさんの仰った海外の刀剣を日本へ返す件は是非実現させて欲しいです👍自分も戦争のない世の中になって欲しいと元自衛官として強く思っています
金じゃねえんだよ!!wそういうものを自分の人生で見つけるのが大事ですよね‥w
確かに拵の色味もよくある国防色などではなく、華やかですね。刀身も拵も特注なのかと考えます。
Hoykeyさんの感性が素敵です。いい動画をありがとうございます。
今の時代に帰ってきたって言うのが何か感じるものがありますね…。
なんか知らんけど涙出で来ましたわ😢
アメリカの人に分かるように言うならば、ギブソンにギター特注してその辺の木で作るか?って話だよねえ、ちゃんと木から選定するでしょ刀も一緒だよってね
日本刀のみならず、日本産のもは全て奥が深いですよねどれぐらいの価値があるのか、processなど、外国人にはとても理解出来ない範囲です。外国人には分からなくても、日本人としてこの日本産の深さは大事にしていきたいものです。
板バネ軍刀は現地でも作れた上に実用に耐える強度もあり、そこそこ重用されたようです。現在は板バネで作刀しても登録できないので、板バネ軍刀は作られた期間が短い事から伝統的な日本刀とは違うアンティークとしての価値はあるかもしれませんね。
縁 ですよね。アメリカから永い時間を経て帰ってきたんですね。亡くなった父親が本家の刀(複数)を父の名前で届けを出して 所有してましたが、今は本家の何処かにおいたままです。出来れば手元に 置きたいと思っていますが……。日本の刀 奥深いですね。前記の刀 5~6代さかのぼった先祖から受け継がれたそうです。
7:56 じーさんの話だと お土産(戦利品)にするのが流行ったらしいですわ、だから手入れもしない、そのまま保管してるんでしょうね
刀を作る立場の方の言葉は重いなあ
終戦でかなりの日本刀が失われたそうですね。国宝級の刀が折られたり捨てられたり『いっそのこと自分で』と折ってしまったり、戦前に国宝だった無銘伝則重が外国で見つかったり。
親父が言っていたけど、海軍から復員してから、家に有る限り日本刀をアメリカ軍に供出したそうですただし、槍は供出対象には成らなかったそうです、
こんにちは、軍刀すごいですね、アメリカの番組でボーン何とかって中古の品物買う番組があるんですけどそこで日本の刀が何本も飾ってありましたね、中には刀の柄を外して刀に打ってある名を見ていたけど中には葵の紋がほってある刀がありました、話では戦争が終わって日本から没収してきたとか言ってましたねあんな名刀がアメリカにあるのがわからない、アメリカの人達は刀が良いのか悪いのかわからないと言ってましたねテレビの中で、
いい話を聞けました(泣)私もアメリカから刀を里帰りさせた事があります。黒錆だらけで曲がりもあるという可哀想な姿でしたが、里帰り後研磨に出し白鞘も作り保存しています。このような刀はまだたくさんアメリカやイギリス、オーストラリアにあると思いますので、資金があったら里帰りさせてきちんと保存したい!
とても貴重なお話をありがとうございます!先日、私の地元にある黎明館で太刀の特別展示をやっていてちょうど家族で話題に上がっていました。鎌倉時代の太刀で、島津家に渡ったけど戦後GHQに接収されてその後一時行方不明になっていたという国宝「国宗」が展示されるというニュースを見て、地元にいたら見に行きたいなと思ってました。今回のお話と同じ時代を生き、同じような道を辿っていたので思い出したのですが、一つ一つに人の想いと歴史、物語がありますね。お祖父様お父様のようにはいかないというようなことを仰ってましたが、私はhoykeyさんにしかできないことをされてらっしゃってすごいなと思います✨やり方は違っても紡がれているものがありますね!次の動画も楽しみにしています☺️世界が平和でありますように🕊🌐
鞘の飾りが聖杯と槍そしてフルール・ド・リス(日本にも使われてるよ)、桜に葉っぱメノラーであり瀬織津姫♥は聖杯でギザギザの所は刺。全ては一つのモチーフからきており、この刀を振るった理由でもあるよく日本のお城や武具には♥が刻まれてるんだよね血筋であり女性や子どもを守るっていう事がこの鞘の飾りから読み解く事ができるんだよね昔の人は本当によく物事を知ってたんだよ。尊敬だね☀
コメント主さまの見識の深さも凄いです。勉強になりました。
刀鍛Gさんの言葉、重いですね‼︎自分を守るためのものなんです‼︎人を殺すためのものではない‼︎
このチャンネルに出会う前、昔、鉄から刀を作ってみたという動画を見た。コメントで「すごい!」「かっこいい!」みたいのがあったけど、「それは本当に刀と言えるのか??」と疑問だったけど、刀鍛Gさんが同じように思ってて、そう言ってくれてよかったと思いました。
私の祖父も戦争の話はしたがりませんでした。ホイキーさんが刀に携わり、一角の人物になられてご祖父様も喜んでいると思いますよ。
確か蛍丸も終戦の混乱で行方不明になってますからねぇ…戦争で消えていった名刀はかなり多いんだろうなぁ…
当時の最新装備をしながら腰に刀を下げる日本軍はロマンの塊。
刀没収して海とかに投棄したみたいですね、その中には名刀と呼ばれる刀もあったんでしょうね。
凄く感動する。このチャンネルに出会えて良かった
昔、今は亡きおばあちゃん(存命なら104歳)が皇紀2600年の時に記念の歌が作られたと聞いたことあるので皇紀と聞いて思い出しました。80年も昔ですね。
最後じっくり撮影された刀を見ているとフッと錆びた鋼の匂いというか刃物を研いだ時の匂いというか……動画だから有り得ないんですが感じました。言葉は無くてもその姿が、経てきた時代を感じさせてくれたんだと思います。良い動画をありがとうございます!
太刀ハバキの様なハバキで丁寧な仕立てですね。中子の鑢仕立とても丁寧で入念作なのが伝わってきます。登録が取れたって事は水で焼入れした古式鍛錬様式の刀で需要か増大した当時で鍛錬→水焼入れの刀は数多く作れなかったと思われます。当時の量産型の粗悪品との競合の中での苦労話など刀鍛爺様は聞いてらっしゃらないでしょうか?ぜひともそのようなお話もお伺いしたいです。
皇紀良いよね!西暦より日本人皇紀が良いよね、
軍刀が自分を守るための最後の手段であった。そうであって欲しいですねー。刀が歴史を語っている、同じ過ちを繰り返すな!そう言っているのかも知れませんね。
私が若い頃今から50年位前ですがアメリカで日本刀を26振り買いました。軍刀は通常油焼きと言う焼き入れをしていたみたいです。しかし良い掛け家系の男性は家宝の刀を革製の鞘を拵えてくれたみたいです。こういう刀は非常に良い刀が多い事がありました!沸,においなどが多く現代刀には無いような地肌が感じられました。火縄銃も抱え筒のような登り竜と三つ葉葵の金と銀の象嵌があり全ての道具が揃っていました。しかし商売が傾いたため全て売却しました!残念です!
だんだん凄いことになってきましたね
板バネは俗にいうスプリング刀ですね。昔の不良が自分たちで作ってた手っ取り早い武器でした。
修理に出して鍔だけ取られた話を、自分も祖父から聞いたことがあります。鍔だけでも数十万するくらいいいものだったのに、と刀身だけ木に変えた刀を見せてよく話していたのを思い出しました。
家の母方の祖父方の大叔父が軍属でした。そして相馬の殿様から御先祖が下賜された太刀と脇差しを軍刀と短剣にして持って行ったそうです。終戦でGHQに没収されましたが…
感慨深い話でした。
刀本来の意味は今の時代失われてしまったけれど、この平和な時代が永遠に続くようにと祈るばかりです。
ぱっと見は九八式軍刀の軍刀拵に見えます。昭和19年だと三式軍刀になるのですが、そこがちょっと不思議に感じます。三式軍刀が登場する末期だと、プレス打ち出しの刀身に代わって来たり、鮫皮もセルロイド製の安物を代用したり、糸に漆を塗り込んで固めていたり、柄周りが簡略化されていたりする特徴があります。まぁ、当時将校の服飾類は自腹だったので、新米少尉の軍服一式揃えるのに下手したら奥さんが髪の毛まで売らなきゃならない時があるなんて言われていたくらい装備が高価だったので、昭和19年でここまでしっかりした拵で作られたとなると、こちらの元の持ち主の野村さんは結構無理されたか、御親類からプレゼントされたんじゃないかなぁと勝手ながら推察する次第です
そりゃ、ブロードソードとトマホークの民には鍛えの概念は分からないかも?日本と違ってあちらは石器から鉄器までダイレクトに進化が進んでるから…日本は石器から銅剣でいきなり製法が変わってるし
海外の人にわかるように、刀鍛Gにはめちゃくちゃ失礼だけど、ただの鉄の棒の様な材料から刀もどきを作ってもらって本物と刀もどきを比べる動画作ったらおもしろそう
うちのおじいさんも軍刀を持ってましたね。2・30年前まで家にありました。おじいさんが亡くなってからどこにあるかわからなくなってます。
お祖父様の軍刀が、御縁のあるいろんな方々を経て、帰って来るって凄い事ですね👍 キチンと銘切りされていたのが、奇跡を呼んだんですね。この後刀身は研ぎ直して保管されるんですか? 刀の持ち主の御子息と連絡が取れると良いですね🌟 次はエビ🦞ですね。シーサーサ シーサーサ H ey!
途中の脱線で話してたアメリカ番組で刀を作るやつがあってその中の最後のミッションで日本刀を作るみたいなのがあったけど、数日で日本刀を作れとか言うのを聞いた時に『は??そんな期間で作れるわけないじゃないか!! 』って思ったらまさかの鉄のぶ厚い板みたいなのから作ってて『はぁ……それは日本刀じゃない』ってなって不適切だって報告したのを思い出しました笑
皇紀…日本における初代天皇、神武天皇が即位されてから何年という数え方。故に西暦よりも長い年数が経っている為普通の人は混乱しやすい。戦争当時の武器の名前に使われる数字は大体この皇紀の下二桁を当てることが多かった。
軍刀にも色々な物があるだな…親戚のおじさんの所にある軍刀気になるな…実物をしっかり見てみたいな
先程コメントをしましたが、宜しくない言葉だなと反省し削除しました。一から見て感じたことは、米国人が思う価値、私たち日本人が思う価値はかなり高低差があるんだなぁ.....そう感じましたその上、軍刀ですらキチンと鍛錬していたおじいちゃん....本当に凄い。軍刀も奥深いですね.....恐れ多い
Twitterで呟いときました☺️
私の曽祖父は陸軍大尉でした、曽祖父が亡くなって数年たった時に、曽祖父が使ってた軍刀を米軍伍長だった人が家に返しに来てくれたのを覚えています。
一番の常習犯は刀鍛Gっすww
しかし日本刀は作り手の魂ももちろんの事、歴代の所有者魂を感じれる事も魅力のひとつです。
どんな人がどんな思いでこの刀を所有して来たのか、どんな使われ方をしてきたのかどんな人が腰に帯びていたのかを想像するのも刀の楽しみ方の一つだと思います!
抜刀斎さんだ!
ネットで調べたら・・・
何かの本に、豊橋陸軍第一予備士官学校 その二 野村菊衛とありました。
もしこの方でしたら恐らく尉官以上の士官だった可能性もあり、軍刀を個人的に発注された可能性もあります。
軍刀自体は戦後に内地か外地で連合軍により接収されたものかもしれません。
私もそんなに詳しくはないのですが、予備士官という事は学徒出陣された大学在籍の方ではないかと思います。だとすると学徒出陣式が昭和18年なので、訓練後配属されるとして昭和19年の作刀と辻褄は合いますね。
@@coo-k7117
平成11年度(第90期)の日本証券金融株式会社の有価証券報告書に、社外監査役として野村菊衛さんの御名前の記載がありました。
生年月日も記載されており大正14年生まれとのことで、エリッヒ・フォン・マンシュタインさんの予備士官学校の説と、coo-kさんの昭和18年の学徒出陣の説から考えると、年齢が近いかも知れません。
もしこの方が御存命であれば、2022年現在で97歳になられますね。
@@djshinobi3151
この野村菊衛さん、証券業界の文芸誌にちょくちょく寄稿されていたようですね。
どうやら神奈川県のご在住だったようですが、2007年のネット電話帳で神奈川の方で同名の方がヒットします。
@@djshinobi3151
予備士官学校の説を取るならば、学徒出陣組が地元の連隊で基礎教育を受けてからなので、ほぼドンピシャだと考えられます。
豊橋ですか、地元です。
戦時中には大規模な基地があり、軍都だった事を最近しりました。
現在の愛知大学の周辺が基地だったらしいです。
泣けるなぁ。お祖父様の軍刀のご帰還のみならず、Gさんのお話もかなり貴重でした。今の日本の平和にあぐらをかいてちゃいけないな。と正座する思いで視聴させていただきました。脱線話もオツでした。この先の展開も楽しみです。
野村菊衛氏、2006年元エイチ・エス証券顧問、昭和51協立証券株式会社(後のHS証券)代表 この方じゃね? 大きな会社なので広報のかたに聞けばなにかわかるかも。
なんだか母方の実家にあった祖父の軍刀を思い出しました。
この軍刀の錆や欠けからも、持ち主の方の必死に生きようとした姿が目に浮かぶようで、なんだかウルっと来ちゃいました😢
お祖父様の刀のご帰還にまつわる
貴重なお話、ありがとうございます。
「野村さん」のご子孫のかたが見付かると良いですね…!
師匠の刀を扱う所作が美しくて思わず息を呑んでしまう。
瞬間とてつもない緊張感が伝わってくるんで見入ってしまう。
お爺様が軍刀として製作され、それが実際に使われ、アメリカに渡ってしまった物が
この時代にTH-camで活躍されてるご子息様の所へ帰ってくるなんて感慨深いですよね。
歴史の一部、ありがたい。
こういう人がもっと表にでてきて欲しい。
毎回日本の心を感じれて嬉しいです。
やっぱり親や祖父を尊敬出来るのは素敵ですね~
見果てぬ夢
ロマン
アメリカへの刀探し是非に!
いつも動画楽しみに観てます。ありがとうございます!
私の祖父も戦争に行って帰ってきた人で、刀鍛Gさんも仰っていましたが戦争の話をしたがりませんでした。私の祖父の性格からすると戦ったり人を斬った話は自慢にはならないし、いろいろと思い出してしまうからだったかもしれません。本当に戦争は何も生み出さないと思います。
祖父が亡くなってから20年越しで、祖父の刀を私が受け継ぎました。いつか法要で供養の演武が出来たらと改めて思う回でした。
母方の祖父がビルマに行って帰ってきませんでしたが、遺品も遺骨も帰ってはきません。ただ所属基地の営門で軍刀を手にした写真だけが残っています。30代の若さで妻子を残して逝く時に、どんな思いだったのかを考えると、今更ながらに平和の有り難みを感じます。
鍔と目貫が桜・・・これだけでもぐっときますね・・・
すばらしい祖父と父ですね そしてその刀文化を記録として残そうと動いているホイキーさんもすばらしい
私の父は居合をしてるので、日本刀のことはそれなりに解ると思うのですが、私自身なにも携わってないので、何も解らないので、こう言う動画見てると居合を教えてもらってたらなぁ〜なんて思いますね。それにしても世の中を回り回って時代を超えて刀匠の元に戻ってくるって凄いですね😊
お話を聞いて、ほんとに泣けてきました。
ただのカッコ良さからチャンネルを見てきた部分がありましたが、今回は、本当にいろいろな思いを感じ、自分はこのままでいいのかと考えさせられました。
昨今の政界情勢を考えると本当に悲しいです。
平和な日本に暮らせている幸せをかみしめ、何か一つでも世界のため出来ることはないかと探していきたいですね。
長い長い出征からやっと帰って来れた軍刀なんですね!
現在の平和はあの時代戦ったからあるのか、戦わなかった方が平和だったのか、それはIfな話なので答えは我々には分かりませんが
戦地へ赴いた兵どもは敵味方関係なく守りたいものがあったと私は思っています
戦争自体を美化するつもりは一切ありませんが先ずはお疲れ様でしたと思いながら今回拝見させていただきました
刀を介して、刀に関係している人たちの人の好さに、
ほっこりしました。
当時と今では作刀の場数も年齢観も違うので一概に比較はできませんが、それでも30代でこの銘切りはすごいですね。
物資も不足してきたであろう’44年にきちんとした刀を持てたことは野村さんにもおじいさまにもありがたいことだったのではないでしょうか。
よいものを見せていただきました。
ホイキーさんの顔が大人になりましたね。お父様のお心が伝わっているかと。感動。
脱線していてもタメになるお話だから好きです😊
脱線話も含めて貴重なお話でした
ホイキーさんがどんどん刀鍛冶の精神を吸収していてついつい感動してました
ひとつひとつ技術は難しいものばかりだと思いますが、心はもう刀鍛冶ですね
自分も、作刀された軍刀譲り受けました、やはり使用感在りましが、今は、自分の守り刀としてそばに保管しております
同じような方を発見!
私の場合は「絶対に売るな」と言われて受け継いだ刀が靖国刀でたまにオモチャを持ったまま眠る子ども如く寝落ちしていることもあります。
この刀を見たら涙が出た。
斬った刀は怖いと思ってたけど、守り抜いた刀なんだなと感じた。
しかも、とても立派な刀。
戦争のこともそうだけど、昔の日本人が今の日本人を見たらどう思うかなと考えさせられたよ。
世の中どんどん便利になっていくけど、それとともに心が失われていってないかな。
日本人はとくに心や魂を大切にする。
そういう大切なことは忘れたくないね。
この刀が日本を護ってくれたのかと思うと、綺麗に手入れして静かに休んで欲しいと思います。
刀を通して日本の文化を記録するこのチャンネルと刀鍛Gさん、藁切り抜刀斎さん、研ぎCさんや数多くの職人さんに感謝致します。
刀もさる事ながら親子の会話にグッと来ました。
私は古い戦闘機もレーサーとして使われる姿が好き、GUNもレースガンとして的を撃つためにリメイクされた物が好みです。
一所懸命に作られた物は用途に限らず美しいのですが、それらを今の時代だからこその使い方で楽しむ姿は気持ち良いです。
争いや戦争なんてのは以ての外、あれは大人の喧嘩の捨て駒に子供を使うのと同じですから。
我を斬り刃鍛えて幾星霜、子に恨まれんとも、孫の世の為…赤空さんではないけど、きっと名工たちのほとんどはそう思って刀を鍛えていたんだろうなって、思いたい。戦争よくない。
ググったら同じ服部鍛刀所で製作された頼正銘のものがすぐに出てきました。
同時期に銘が複数あったというのもとても興味深いです。無鑑査刀匠の若い頃の貴重な作品を拝見できて感動しました。
戦争というものが、最近身近ですが、この錆や傷を見たら感謝の気持ちが出て来ました。
この時代の方々に顔向け出来ない様な生き方は出来ないなと思いました。
お疲れ様でした。
ありがとうございました。
折れず曲がらずを実践した素晴らしい刀です。やはり作者の魂が込められているから帰ってきたのかもしれませんね。お爺さんならわからんと言われそうですが。
銘が物凄い綺麗でした。
銘切りが本当にうまい!綺麗。そしてホイキーさんが刀への見解、見方が初めのころに比べて更に深く成りましたね!
アメリカへの親子旅行いつか映像で見れるのを楽しみにしてますw
ホンマに、この人達が命をかけて日本を守ってくれたから今の俺達がいる。命をかけて刀を作ってくれたから、今の平和な暮らしがある。
素人目にもわかる…銘がうめぇ……
リアルに歴史が刻まれてて感動しました。
Gの元届けて下さった方も素晴らしいし、巡り巡って持ち主野村さんご本人の家族の元へ戻るといいな……。
某鑑定団でも本物だと評価されて、持ち主の元へ還った物や博物館、展示などに寄贈された物があり感動しましたが、こちらも後世に遺さなければ行けないものですね。
刀もお話も…貴重なお話ですね。軍刀制作の話を聞ける機会なんてなかなかないですから。
銘がすごい………とにかく凄い…
オープニングの画像、HoyKeyさんも、作務衣にあったロゴも入って凄くいい!
かっこいいの一言!
刀鍛爺氏の軍刀から、生きる力強さが伝わってきました。
拝見させて頂きありがとうございます。
ウチの曽祖父も昭和19年の秋に召集食らったものの、戦況の悪化で大陸に出征する足も無く、東京から小倉の軍需工場に行かされて、軍刀やら回天(特攻用の潜水艦)の部品やらを作っておりました・・・
なお曾祖父の本職は仕立て屋です。
若い頃、知り合いの爺さん達(戦争経験)が
言ってた事を思い出すよ。
敵兵目掛けて撃ってる弾が当たらない!
切ろうと出した刀が曲がる。。。
終戦間近でそれだけのクオリティーの
刀を作れるお爺さんは流石!
本当に戦争が無いこの世代を望みます。
日本人の魂の話ですね。
軍刀を作られたお祖父様も、無事の帰還を願っていたのでしょうね。
先人の英霊に対し、心より御礼を申し上げます。
母方の伯父と叔父、若くして散ったのは叔父、紅顔の親孝行な一人息子の戦死。生きて帰った伯父、寡黙で凛々しく、美しい字を書く人でした。共に携えた軍刀、命守りし日本刀を抱く、セピア色の遺影を眺めたものでした。やはりいずまいを正しますね。
よく考えたら、血だの血液だのの話になっても孔明さまは男性陣に対等どころかそれ以上の見識で話せるのでしょうね。
スゴい家族だ!
家にも伯父が出征の時に撮った写真があるけど軍刀持ってるわ。子供の頃は、美形が三割増しでカッコいいと感じてたけど、今は色々考えさせられるな。
23歳で出兵、享年25歳。じいちゃんとばあちゃんは、どんな思いで用意して、持たせたんだろうなって思う。只の武器としての刀じゃないんだろうね。
貴重なお話ありがとうごさいました✨
時代を越えてまた手元に戻って良かったですね🗡️
貴重なお話を、どうもありがとうございました😄👍🌟
太平洋戦争を戦って、たぶん米軍に接収されたであろうお刀が、70年余をへて帰国するというのは、壮大なストーリーですね。兵器を造っている技術者は、出兵しないものと思っておりましたが、おじい様が招集されていたのも驚きです。非常に感慨深いお話でした。余談ですが、拵えは98式(皇紀2098年から使われたスタイル)の軍刀のようですが、3式拵えが出た後の皇紀2104年でも造れたんですね。いつも勉強になります。
この刀は何を見てきたんだろうなあ‥。涙が止まらない・
いつも楽しく見てます!
私の家にも、棟に誉疵のある打刀があります。
人は切っていません。
やはり誉疵はその名の通り誉以外の何ものでも無いですよね!
その刀が辿った物語や歴史に思いを馳せ、
これから刀と共に人生を歩んでいきたいと思います。
この刀、きっと日本に還ってきたかったのでしょうね。これからは美術品として、そして戦争を語る品として、大事にされますように。
刀の話はこう先人たちの生き様を感じることができて感動します。
動画たちいろいろ見てきているからホイキーさんの成長日記見てるみたい!
あの番組で刀の回があったのか、しかし本当に銘が素晴らしい
祖父も軍刀提げてました。
高祖父から備前の長船を軍刀に拵えて貰ったものを下げて上海に行きました。
終戦時に帰国する船に乗る前に米軍に召し上げられてしまったそうです。
ちなみに衛生軍曹でしたので、軍刀は本当に護身用でした。
素晴らしい刀の一言に尽きます
別注品とは言え大量生産の軍刀とは思えないクオリティだし鍔や拵の桜の紋章が美しい…🌸
軍刀が戦後に製作者一族のところへ戻ってくるとか某アンビリバボーかと思いました
バチバチに使い込まれたのが誰の目にもわかるように自身や国を勇敢に守ってくださった事で今の日本があるし、HoyKeyさんの仰った海外の刀剣を日本へ返す件は是非実現させて欲しいです👍
自分も戦争のない世の中になって欲しいと元自衛官として強く思っています
金じゃねえんだよ!!w
そういうものを自分の人生で見つけるのが大事ですよね‥w
確かに拵の色味もよくある国防色などではなく、華やかですね。刀身も拵も特注なのかと考えます。
Hoykeyさんの感性が素敵です。いい動画をありがとうございます。
今の時代に帰ってきたって言うのが何か感じるものがありますね…。
なんか知らんけど涙出で来ましたわ😢
アメリカの人に分かるように言うならば、ギブソンにギター特注して
その辺の木で作るか?って話だよねえ、ちゃんと木から選定するでしょ
刀も一緒だよってね
日本刀のみならず、日本産のもは全て奥が深いですよね
どれぐらいの価値があるのか、processなど、外国人にはとても理解出来ない範囲です。
外国人には分からなくても、日本人としてこの日本産の深さは大事にしていきたいものです。
板バネ軍刀は現地でも作れた上に実用に耐える強度もあり、そこそこ重用されたようです。現在は板バネで作刀しても登録できないので、板バネ軍刀は作られた期間が短い事から伝統的な日本刀とは違うアンティークとしての価値はあるかもしれませんね。
縁 ですよね。アメリカから永い時間を経て帰ってきたんですね。亡くなった父親が本家の刀(複数)を父の名前で届けを出して 所有してましたが、今は本家の何処かにおいたままです。出来れば手元に 置きたいと思っていますが……。
日本の刀 奥深いですね。前記の刀 5~6代さかのぼった先祖から受け継がれたそうです。
7:56 じーさんの話だと お土産(戦利品)にするのが流行ったらしいですわ、だから手入れもしない、そのまま保管してるんでしょうね
刀を作る立場の方の言葉は重いなあ
終戦でかなりの日本刀が失われたそうですね。
国宝級の刀が折られたり捨てられたり『いっそのこと自分で』と折ってしまったり、戦前に国宝だった無銘伝則重が外国で見つかったり。
親父が言っていたけど、海軍から復員してから、家に有る限り日本刀をアメリカ軍に供出したそうです
ただし、槍は供出対象には成らなかったそうです、
こんにちは、軍刀すごいですね、アメリカの番組でボーン何とかって中古の品物買う番組があるんですけどそこで日本の刀が何本も飾ってありましたね、中には刀の柄を外して刀に打ってある名を見ていたけど中には葵の紋がほってある刀がありました、話では戦争が終わって日本から没収してきたとか言ってましたねあんな名刀がアメリカにあるのがわからない、アメリカの人達は刀が良いのか悪いのかわからないと言ってましたねテレビの中で、
いい話を聞けました(泣)私もアメリカから刀を里帰りさせた事があります。黒錆だらけで曲がりもあるという可哀想な姿でしたが、里帰り後研磨に出し白鞘も作り保存しています。
このような刀はまだたくさんアメリカやイギリス、オーストラリアにあると思いますので、資金があったら里帰りさせてきちんと保存したい!
とても貴重なお話をありがとうございます!
先日、私の地元にある黎明館で太刀の特別展示をやっていてちょうど家族で話題に上がっていました。
鎌倉時代の太刀で、島津家に渡ったけど戦後GHQに接収されてその後一時行方不明になっていたという国宝「国宗」が展示されるというニュースを見て、地元にいたら見に行きたいなと思ってました。
今回のお話と同じ時代を生き、同じような道を辿っていたので思い出したのですが、
一つ一つに人の想いと歴史、物語がありますね。
お祖父様お父様のようにはいかないというようなことを仰ってましたが、私はhoykeyさんにしかできないことをされてらっしゃってすごいなと思います✨
やり方は違っても紡がれているものがありますね!
次の動画も楽しみにしています☺️
世界が平和でありますように🕊🌐
鞘の飾りが聖杯と槍そしてフルール・ド・リス(日本にも使われてるよ)、桜に葉っぱメノラーであり瀬織津姫
♥は聖杯でギザギザの所は刺。全ては一つのモチーフからきており、この刀を振るった理由でもある
よく日本のお城や武具には♥が刻まれてるんだよね
血筋であり女性や子どもを守るっていう事がこの鞘の飾りから読み解く事ができるんだよね
昔の人は本当によく物事を知ってたんだよ。尊敬だね☀
コメント主さまの見識の深さも凄いです。
勉強になりました。
刀鍛Gさんの言葉、重いですね‼︎
自分を守るためのものなんです‼︎
人を殺すためのものではない‼︎
このチャンネルに出会う前、昔、鉄から刀を作ってみたという動画を見た。
コメントで「すごい!」「かっこいい!」みたいのがあったけど、「それは本当に刀と言えるのか??」と疑問だったけど、刀鍛Gさんが同じように思ってて、そう言ってくれてよかったと思いました。
私の祖父も戦争の話はしたがりませんでした。
ホイキーさんが刀に携わり、一角の人物になられてご祖父様も喜んでいると思いますよ。
確か蛍丸も終戦の混乱で行方不明になってますからねぇ…戦争で消えていった名刀はかなり多いんだろうなぁ…
当時の最新装備をしながら腰に刀を下げる日本軍はロマンの塊。
刀没収して海とかに投棄したみたいですね、その中には名刀と呼ばれる刀もあったんでしょうね。
凄く感動する。
このチャンネルに出会えて良かった
昔、今は亡きおばあちゃん(存命なら104歳)が皇紀2600年の時に
記念の歌が作られたと聞いたことあるので皇紀と聞いて思い出しました。80年も昔ですね。
最後じっくり撮影された刀を見ているとフッと錆びた鋼の匂いというか刃物を研いだ時の匂いというか……動画だから有り得ないんですが感じました。
言葉は無くてもその姿が、経てきた時代を感じさせてくれたんだと思います。
良い動画をありがとうございます!
太刀ハバキの様なハバキで丁寧な仕立てですね。中子の鑢仕立とても丁寧で入念作なのが伝わってきます。登録が取れたって事は水で焼入れした古式鍛錬様式の刀で需要か増大した当時で鍛錬→水焼入れの刀は数多く作れなかったと思われます。当時の量産型の粗悪品との競合の中での苦労話など刀鍛爺様は聞いてらっしゃらないでしょうか?ぜひともそのようなお話もお伺いしたいです。
皇紀良いよね!西暦より日本人皇紀が良いよね、
軍刀が自分を守るための最後の手段であった。
そうであって欲しいですねー。
刀が歴史を語っている、同じ過ちを繰り返すな!
そう言っているのかも知れませんね。
私が若い頃今から50年位前ですがアメリカで日本刀を26振り買いました。軍刀は通常油焼きと言う焼き入れをしていたみたいです。しかし良い掛け家系の男性は家宝の刀を革製の鞘を拵えてくれたみたいです。こういう刀は非常に良い刀が多い事がありました!沸,においなどが多く現代刀には無いような地肌が感じられました。火縄銃も抱え筒のような登り竜と三つ葉葵の金と銀の象嵌があり全ての道具が揃っていました。しかし商売が傾いたため全て売却しました!残念です!
だんだん凄いことになってきましたね
板バネは俗にいうスプリング刀ですね。
昔の不良が自分たちで作ってた手っ取り早い武器でした。
修理に出して鍔だけ取られた話を、自分も祖父から聞いたことがあります。
鍔だけでも数十万するくらいいいものだったのに、と刀身だけ木に変えた刀を見せてよく話していたのを思い出しました。
家の母方の祖父方の大叔父が軍属でした。
そして相馬の殿様から御先祖が下賜された太刀と脇差しを軍刀と短剣にして持って行ったそうです。
終戦でGHQに没収されましたが…
感慨深い話でした。
刀本来の意味は今の時代失われてしまったけれど、この平和な時代が永遠に続くようにと祈るばかりです。
ぱっと見は九八式軍刀の軍刀拵に見えます。
昭和19年だと三式軍刀になるのですが、そこがちょっと不思議に感じます。
三式軍刀が登場する末期だと、プレス打ち出しの刀身に代わって来たり、鮫皮もセルロイド製の安物を代用したり、糸に漆を塗り込んで固めていたり、柄周りが簡略化されていたりする特徴があります。
まぁ、当時将校の服飾類は自腹だったので、新米少尉の軍服一式揃えるのに下手したら奥さんが髪の毛まで売らなきゃならない時があるなんて言われていたくらい装備が高価だったので、昭和19年でここまでしっかりした拵で作られたとなると、こちらの元の持ち主の野村さんは結構無理されたか、御親類からプレゼントされたんじゃないかなぁと勝手ながら推察する次第です
そりゃ、ブロードソードとトマホークの民には鍛えの概念は分からないかも?
日本と違ってあちらは石器から鉄器までダイレクトに進化が進んでるから…
日本は石器から銅剣でいきなり製法が変わってるし
海外の人にわかるように、刀鍛Gにはめちゃくちゃ失礼だけど、ただの鉄の棒の様な材料から刀もどきを作ってもらって本物と刀もどきを比べる動画作ったらおもしろそう
うちのおじいさんも軍刀を持ってましたね。
2・30年前まで家にありました。
おじいさんが亡くなってから
どこにあるかわからなくなってます。
お祖父様の軍刀が、御縁のあるいろんな方々を経て、帰って来るって凄い事ですね👍 キチンと銘切りされていたのが、奇跡を呼んだんですね。この後刀身は研ぎ直して保管されるんですか? 刀の持ち主の御子息と連絡が取れると良いですね🌟 次はエビ🦞ですね。シーサーサ シーサーサ H ey!
途中の脱線で話してたアメリカ番組で刀を作るやつがあってその中の最後のミッションで日本刀を作るみたいなのがあったけど、数日で日本刀を作れとか言うのを聞いた時に『は??そんな期間で作れるわけないじゃないか!! 』って思ったらまさかの鉄のぶ厚い板みたいなのから作ってて『はぁ……それは日本刀じゃない』ってなって不適切だって報告したのを思い出しました笑
皇紀…日本における初代天皇、神武天皇が即位されてから何年という数え方。故に西暦よりも長い年数が経っている為普通の人は混乱しやすい。戦争当時の武器の名前に使われる数字は大体この皇紀の下二桁を当てることが多かった。
軍刀にも色々な物があるだな…
親戚のおじさんの所にある軍刀気になるな…
実物をしっかり見てみたいな
先程コメントをしましたが、宜しくない言葉だなと反省し削除しました。
一から見て感じたことは、米国人が思う価値、私たち日本人が思う価値はかなり高低差があるんだなぁ.....そう感じました
その上、軍刀ですらキチンと鍛錬していたおじいちゃん....本当に凄い。
軍刀も奥深いですね.....恐れ多い
Twitterで呟いときました☺️