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毎度です‼96年にもなるとティレルもジリ貧のジレンマに悩まされるようになってきていたんですね。そしてドライバーのタイプが違うとF1マシンは一方のドライバーにはよい顔をし、もう一方のドライバーには辛いものになるのはシューマッハスペシャルだった94年のベネトンB194や今のレッドブルのマシンを見ていればわかりますね。右京さんはその犠牲になってしまった・・・ということなんだなぁ😓😓😓
オーバーステア特性のベネトンB195に乗れなかったことが本当に悔やまれる
常にリミットで走ることが、片山右京というドライバーなのでしょうか。きっと、右京さん自身もその点は承知してたのだと思います。エンジンもギヤもブレーキもリミットを使い、マシンの速さを引き出す。それこそが右京であり、そうやってF1までたどり着いたドライバーなのでしょう。95年、96年、そして97年、後方を走ることが多かった右京さんでしたが、94年の輝きはホンモノだったと思いました。
お疲れ様です♪やはり「燃え尽きた」んでしょうねぇ。ご本人が後年、30代半ばを目前にして自らのグランプリドライバーとしての「伸び代」の限界が見えてしまった、そして あの時ベネトンの契約書にサイン出来なかった時点で、あぁ、自分はグランプリの本流には乗れないドライバーなんだな、と回想してましたね。右京さんのレースキャリアを眺めると、F1に辿り着くまでの向こう見ずながむしゃらさとは裏腹に、どこかしら自らの能力に対する自己認識が厳し過ぎた方だったのかも知れませんね。97年の「後進に道を譲る」という発言も、あながち素直な「本音」だったんじやないかな、と思えてなりません。いずれにせよ、おそらく彼は当時の日本のグランプリファンにとって、初めて「日本人でも勝てるんじゃないか?」と、淡い期待を抱かせてくれたドライバーだった事は間違いないと思います。角田クンも「同じ匂い」がするんでよねw 皆さん期待しましょう!今回もありがとうございました☆
95年以降のレギュレーションの方向性が右京に合わなくなってしまったのは不幸でしたね…あと何かロカビリー風のBGMが良い感じだと思いますw
以前ホンダV10プロジェクトリーダーだった白井さんが「軽量化と信頼性は相反するもの」と言われていました。マクラーレンやティレルに積まれたホンダV10は重たかったけどトラブル少なかった。ヤマハエンジンは軽いけどトラブル多かった印象。軽いけど信頼性に難ありのケースを解決するのは技術的に難しいと肌で感じたクルマでした。
ミカ・サロは才能に溢れたドライバーでしたが同時代にハッキネンとシューマッハがいたのは不運でしたね。ペレスの様にオーバーステアで苦戦するタイプも居たり、リヤタイヤの空気圧でチームメイトとのタイムが逆転したり、実際の実力差が読み難いスポーツですね。ところで、ミカ・サロと言えば遠藤賀子でしょう!
毎度です。確かに遠藤さんですよね。でもどうやってハイレグを組み込めば...
024の発表会の時の映像がTH-cam等でも見れますが、右京さんがコクピットにすっぽりと隠れてしまうオーバーサイズ。チームにスポンサーを持ち込んでいるのに、冷遇された一年で、あの状態で結果を出せというのは酷な気がします。個人的に、023、024、025とコンセプトの同じ様なマシンで失敗作を作り続けたイメージなので、ガスコインさんの評価が高いのが謎なんですよね~
やっぱベネトン行かずにティレルに残ったのが悪い流れの決め手になったかもしれないですねヤマハも軽さにこだわって耐久性とパワーの改良を忘れてたんですかね〜そんなわけないと思うけど
ティレル024はものすごく乗りにくいマシンだった記述がどっかであった記憶がありますその証拠がサロ 右京ともにラップタイムが安定しなかったというものですテストができずセットアップが不十分だったのもあるでしょうがハイドロリンクの後遺症かサードダンパーを使いこなせていなかったかもしれないですねあの当時FNでもレイナードが採用してましたがサードダンパーを外しているチームありましたから
右京さん大変だったんですね94年はむっちゃ速かったです、サロ選手はF1のデビューがもっと早ければなと思いますしフェラリーでトップを走ってた時アーバイン選手に譲ってあげる貢献度はすごいと思いますが未勝利で終わるにはもったいないドライバーだと思いました。
ドライバーが速ければいい結果が出るとは限らないF1チームとマシンの事情があると分かりましたね今の角田裕毅も同じ状況だと思いますね
内容と関係ないですがグラフィック凄くリアルですね!!光の当たり方、影の加減やピントのボケ方とか
ですよね〜これAssetto Corsa っていうPC版のシュミレーターですよ〜。こちらの世界に是非おいて下さいな!
これを踏まえると、ミハエルの悪影響受けたかもしれないけど、ベネトンNo.2ドライバーになっていた方が良かったですね。ドライビングスタイルが似ていますから…
こんばんは、3回に渡ってティレル024をじっくりと見ているうちにこのマシンのシンプルなフォルムとカラーリングがメチャクチャカッコ良いことに気が付きました。当時は余り脚光を浴びなかったので露出が少なかったのでこのカッコ良さに気付きませんでした💦
右京は色々惜しかったけど、日本人ドライバーのベンチマークを引き上げたと思います。その後のスープラやTS020の活躍を見ても、類い稀な才能なのは間違いないでしょう。
ベネトン入りを蹴った後、右京さんが望むものはF1に無くなってしまっていた感は否めないか…その右京さんも今や還暦を迎えて貫禄が漂うSGTのグッドスマイルレーシングの監督としてお馴染みですが、その初音ミクAMGが今季は当時の右京監督と同じく不調に陥っているのが気がかりです。もっとも先日の菅生ではチーム国光のNSXを駆る部長こと山本尚貴選手が今季絶望の大怪我を負うクラッシュで、他の全ての出来事が吹き飛んでしまいましたが…
今回の日本グランプリで久しぶりに右京さんを見てあそこまで髪の毛が真っ白になって、びっくりしちゃいました。あの右京さんが還暦ですもんね。
@@FormulaIneChannel数年前の菊川怜の「ミロク情報サービス」の社長役のCMの時はそんなに老けてませんでしたよね🤔髪を染めるのをやめたんでしょうね。
特定の条件が整った時には速さを見せるって感じのドライバーだったのかもですね、右京って。そして合わないマシンでも上手にゴールまで持っていったりワンチャンをものにするタイプでもなかったので、ベネトン移籍を果たせていてもジョニーの様にはなれなかった気がします。でも、ロマンはあったなぁ
当時だったか右京が「マンセルのオンボードを見てるとコーナーをスロットルを全開であけ、テールスライドをカウンター当てて走っていくのを見て、オレの走り方は間違っていないんだ」と発言してたんで、オーバーステアをねじ伏せるコントロールするカミカゼスタイルにはアンダー傾向の023は向かないのは納得です。しかしハーベイ博士って何かとダウンフォース不足やらかしてません?
毎度です。ハーベイさん、確かに空力には弱くて、ミジョーさんいないと飛んでもない車とたまに作るんですよね。
ヤマハはF1ではほとんどいいところが無いまま終わってしまいましたね。でも、またいつかF1に挑戦して欲しいですね。
右京さんのあの薄氷を踏みながら的な全開ドライビングが好き❗サロのスムーズな(無理しない)ドライビングなら負担が少なく速くても、見てる方はつまらない右京さんになってしまう。タイヤ細くてダウンフォース少ないマシンはきつい❗せめてもう少しヤマハエンジン熟成が早ければ。
毎度です。わかる〜。すごく納得して頷いちゃいます!
やっぱりベネトンのマシンに乗ってたら右京さんは化けたかもしれない‼️案外シューマッハスペシャル普通に運転してたかも(笑)
ベネトンに行っていればねえ。。。悔やまれます。この会でも言われたように、ブレーキ我慢するスタイルってシューマッハも同じですよね。そうなると、シューマッハー仕様の車だったら、うまく乗れてたんじゃないかなと思ってしまう。
悔やまれますよね~
右京さんは良くも悪くもジャンプ漫画の精神の持ち主というイメージがあります。1994年こそハマりましたが、1995年からはことごとく裏目。義理立てにこだわったり、「トレーニングは裏切らない」という信念のせいで筋肉の付けすぎで俊敏性が失われたり、「家庭をもったから攻められなくなったのでは」と考えてしまったり...日本人らしいといえば、そうなのかもしれませんが。
毎度です。確かに精神論に走りがちなあたりがジャンプ漫画らしく、日本人らしいですな!
1年目が一番安定していて、なおかつ輝いたドライバーでしたなあ。
何か角田選手みたいなドライビングスタイルって印象受けたまあ、実際は全然違うんだろうけどね
主さん、それでもサロより遅いなんて信じられん!悔しいわ。ベネトンなら速いんです!
「度胸一発、きん〇ま走りが僕の長所なんです」という右京さんの言葉が全てだったのでしょう「サロの様に走った方が速いのは分かってるんですけどねぇ💦」F1に限らず、全てのカテゴリーでモンスターマシンからバランス型マシンへ時代が移行していきましたコンピューター&解析技術の発達で「満遍なく開発した方が速いよね」と不文律が出来たように感じます その後の2000年代でもフォースインディアやウィリアムズの様に「直線番長マシン」が時折、出現しましたがチャンピオン争いをする車とは当然のことながらなりませんでした右京さんや琢磨がそれほどでもなく、可夢偉が日本人の中で現状一番の成功者なのはそういった「総合力」が「速さ」よりも求められる時代にあの時からなっていったからなのだなと感じますもちろん、チャンピオンまでになると「総合力」プラス「とんでもない速さ」も必要になる訳ですがw💦 ミハエル、ハミルトン、マックスはそう考えるとやはり凄いですね角田君にも、期待しましょう!!!
毎度です。なるほど~言われてみると確かにその通りですね。でも見ていて興奮するのはやっぱり右京さんのような走りなんですよね~。
ベネトンのオファーを蹴った時点で、右京は終わったとしか、思えない…
ほんとそれ❗2002年に放送されたNHKの「スタジオパークからこんにちは」で、本人が自分の口で「当時は、道具がよくなくたって、やっていけるんだという根拠のない自信があって…後悔しています」と話していましたからね❗
@@ナイトセイバーチャンネル ただのウマシカにしか、見えないです…
「スポンサーのJTへの義理立て」ということでしたけど、ベネトンのスポンサーはマイルドセブンなので、別に不義理になるわけではないのですが、単純にフラビオの気まぐれか、ただのリップサービスだったのかも?
@@tamakonukuizumi ヤマハ(トヨタ)への義理立てですか?
@@555kh あ、JTじゃなくてそっちのほうかー🤣
お疲れ様です。(((o(*゚▽゚*)o)))ドライビングスタイル云々の前にマシンがドライバーの望むモノになって無かったのがシーズン不調の原因でしたね…
毎度です。そうなんですよね〜。こういうことってF1には着いて回ることですからね。意外に速い遅いって言えないんですよね。運、不運もありますし。
95年96年と何か空回りというかタイミングが合わないなあって感じの右京さん。変に義理建てせずにベネトン行っておけば、とかチームメイトコライド覚悟でサロさんを捩じ伏せておくべきだったのではないのか、とか思うんですよね。そしてこの不安をまた角田君にも持ってしまうのですよ
1997 右京さんがミナルディに乗ってたと昨日知った。全然印象無かったな😢
そうなんですよね。右京さんは97年ミナルディに乗りましてその年がF1最後となるわけでございます。
ミナルディに移籍して、トゥルーリを育てましたね。
毎度です‼
96年にもなるとティレルもジリ貧のジレンマに悩まされるようになってきていたんですね。
そしてドライバーのタイプが違うとF1マシンは一方のドライバーにはよい顔をし、もう一方のドライバーには辛いものになるのは
シューマッハスペシャルだった94年のベネトンB194や今のレッドブルのマシンを見ていればわかりますね。
右京さんはその犠牲になってしまった・・・ということなんだなぁ😓😓😓
オーバーステア特性のベネトンB195に乗れなかったことが本当に悔やまれる
常にリミットで走ることが、片山右京というドライバーなのでしょうか。きっと、右京さん自身もその点は承知してたのだと思います。エンジンもギヤもブレーキもリミットを使い、マシンの速さを引き出す。それこそが右京であり、そうやってF1までたどり着いたドライバーなのでしょう。95年、96年、そして97年、後方を走ることが多かった右京さんでしたが、94年の輝きはホンモノだったと思いました。
お疲れ様です♪やはり「燃え尽きた」んでしょうねぇ。ご本人が後年、30代半ばを目前にして自らのグランプリドライバーとしての「伸び代」の限界が見えてしまった、そして あの時ベネトンの契約書にサイン出来なかった時点で、あぁ、自分はグランプリの本流には乗れないドライバーなんだな、と回想してましたね。右京さんのレースキャリアを眺めると、F1に辿り着くまでの向こう見ずながむしゃらさとは裏腹に、どこかしら自らの能力に対する自己認識が厳し過ぎた方だったのかも知れませんね。97年の「後進に道を譲る」という発言も、あながち素直な「本音」だったんじやないかな、と思えてなりません。いずれにせよ、おそらく彼は当時の日本のグランプリファンにとって、初めて「日本人でも勝てるんじゃないか?」と、淡い期待を抱かせてくれたドライバーだった事は間違いないと思います。角田クンも「同じ匂い」がするんでよねw 皆さん期待しましょう!今回もありがとうございました☆
95年以降のレギュレーションの方向性が右京に合わなくなってしまったのは不幸でしたね…
あと何かロカビリー風のBGMが良い感じだと思いますw
以前ホンダV10プロジェクトリーダーだった白井さんが「軽量化と信頼性は相反するもの」と言われていました。マクラーレンやティレルに積まれたホンダV10は重たかったけどトラブル少なかった。ヤマハエンジンは軽いけどトラブル多かった印象。軽いけど信頼性に難ありのケースを解決するのは技術的に難しいと肌で感じたクルマでした。
ミカ・サロは才能に溢れたドライバーでしたが同時代にハッキネンとシューマッハがいたのは不運でしたね。
ペレスの様にオーバーステアで苦戦するタイプも居たり、リヤタイヤの空気圧でチームメイトとのタイムが逆転したり、実際の実力差が読み難いスポーツですね。
ところで、ミカ・サロと言えば遠藤賀子でしょう!
毎度です。確かに遠藤さんですよね。でもどうやってハイレグを組み込めば...
024の発表会の時の映像がTH-cam等でも見れますが、右京さんがコクピットにすっぽりと隠れてしまうオーバーサイズ。
チームにスポンサーを持ち込んでいるのに、冷遇された一年で、あの状態で結果を出せというのは酷な気がします。
個人的に、023、024、025とコンセプトの同じ様なマシンで失敗作を作り続けたイメージなので、ガスコインさんの評価が高いのが謎なんですよね~
やっぱベネトン行かずにティレルに残ったのが悪い流れの決め手になったかもしれないですね
ヤマハも軽さにこだわって耐久性とパワーの改良を忘れてたんですかね〜そんなわけないと思うけど
ティレル024はものすごく乗りにくいマシンだった記述がどっかであった記憶があります
その証拠がサロ 右京ともにラップタイムが安定しなかったというものです
テストができずセットアップが不十分だったのもあるでしょうがハイドロリンクの後遺症かサードダンパーを使いこなせていなかったかもしれないですね
あの当時FNでもレイナードが採用してましたがサードダンパーを外しているチームありましたから
右京さん大変だったんですね94年はむっちゃ速かったです、サロ選手はF1のデビューがもっと早ければなと思いますしフェラリーでトップを走ってた時アーバイン選手に譲ってあげる貢献度はすごいと思いますが未勝利で終わるにはもったいないドライバーだと思いました。
ドライバーが速ければいい結果が出るとは限らないF1チームとマシンの事情があると分かりましたね
今の角田裕毅も同じ状況だと思いますね
内容と関係ないですがグラフィック凄くリアルですね!!
光の当たり方、影の加減やピントのボケ方とか
ですよね〜これAssetto Corsa っていうPC版のシュミレーターですよ〜。こちらの世界に是非おいて下さいな!
これを踏まえると、ミハエルの悪影響受けたかもしれないけど、ベネトンNo.2ドライバーになっていた方が良かったですね。ドライビングスタイルが似ていますから…
こんばんは、3回に渡ってティレル024をじっくりと見ているうちにこのマシンのシンプルなフォルムとカラーリングがメチャクチャカッコ良いことに気が付きました。当時は余り脚光を浴びなかったので露出が少なかったのでこのカッコ良さに気付きませんでした💦
右京は色々惜しかったけど、日本人ドライバーのベンチマークを引き上げたと思います。その後のスープラやTS020の活躍を見ても、類い稀な才能なのは間違いないでしょう。
ベネトン入りを蹴った後、右京さんが望むものはF1に無くなってしまっていた感は否めないか…
その右京さんも今や還暦を迎えて貫禄が漂うSGTのグッドスマイルレーシングの監督としてお馴染みですが、その初音ミクAMGが今季は当時の右京監督と同じく不調に陥っているのが気がかりです。もっとも先日の菅生ではチーム国光のNSXを駆る部長こと山本尚貴選手が今季絶望の大怪我を負うクラッシュで、他の全ての出来事が吹き飛んでしまいましたが…
今回の日本グランプリで久しぶりに右京さんを見てあそこまで髪の毛が真っ白になって、びっくりしちゃいました。あの右京さんが還暦ですもんね。
@@FormulaIneChannel数年前の菊川怜の「ミロク情報サービス」の社長役のCMの時はそんなに老けてませんでしたよね🤔髪を染めるのをやめたんでしょうね。
特定の条件が整った時には速さを見せるって感じのドライバーだったのかもですね、右京って。そして合わないマシンでも上手にゴールまで持っていったりワンチャンをものにするタイプでもなかったので、ベネトン移籍を果たせていてもジョニーの様にはなれなかった気がします。でも、ロマンはあったなぁ
当時だったか右京が「マンセルのオンボードを見てるとコーナーをスロットルを全開であけ、テールスライドをカウンター当てて走っていくのを見て、オレの走り方は間違っていないんだ」と発言してたんで、オーバーステアをねじ伏せるコントロールするカミカゼスタイルにはアンダー傾向の023は向かないのは納得です。
しかしハーベイ博士って何かとダウンフォース不足やらかしてません?
毎度です。ハーベイさん、確かに空力には弱くて、ミジョーさんいないと飛んでもない車とたまに作るんですよね。
ヤマハはF1ではほとんどいいところが無いまま終わってしまいましたね。
でも、またいつかF1に挑戦して欲しいですね。
右京さんのあの薄氷を踏みながら的な全開ドライビングが好き❗サロのスムーズな(無理しない)ドライビングなら負担が少なく速くても、見てる方はつまらない右京さんになってしまう。タイヤ細くてダウンフォース少ないマシンはきつい❗
せめてもう少しヤマハエンジン熟成が早ければ。
毎度です。わかる〜。すごく納得して頷いちゃいます!
やっぱりベネトンのマシンに乗ってたら右京さんは化けたかもしれない‼️
案外シューマッハスペシャル普通に運転してたかも(笑)
ベネトンに行っていればねえ。。。悔やまれます。この会でも言われたように、ブレーキ我慢するスタイルってシューマッハも同じですよね。そうなると、シューマッハー仕様の車だったら、うまく乗れてたんじゃないかなと思ってしまう。
悔やまれますよね~
右京さんは良くも悪くもジャンプ漫画の精神の持ち主というイメージがあります。1994年こそハマりましたが、1995年からはことごとく裏目。義理立てにこだわったり、「トレーニングは裏切らない」という信念のせいで筋肉の付けすぎで俊敏性が失われたり、「家庭をもったから攻められなくなったのでは」と考えてしまったり...日本人らしいといえば、そうなのかもしれませんが。
毎度です。確かに精神論に走りがちなあたりがジャンプ漫画らしく、日本人らしいですな!
1年目が一番安定していて、なおかつ輝いたドライバーでしたなあ。
何か角田選手みたいなドライビングスタイルって印象受けた
まあ、実際は全然違うんだろうけどね
主さん、それでもサロより遅いなんて信じられん!悔しいわ。ベネトンなら速いんです!
「度胸一発、きん〇ま走りが僕の長所なんです」という右京さんの言葉が全てだったのでしょう
「サロの様に走った方が速いのは分かってるんですけどねぇ💦」
F1に限らず、全てのカテゴリーでモンスターマシンからバランス型マシンへ時代が移行していきました
コンピューター&解析技術の発達で「満遍なく開発した方が速いよね」と不文律が出来たように感じます その後の2000年代でもフォースインディアやウィリアムズの様に「直線番長マシン」が時折、出現しましたがチャンピオン争いをする車とは当然のことながらなりませんでした
右京さんや琢磨がそれほどでもなく、可夢偉が日本人の中で現状一番の成功者なのはそういった
「総合力」が「速さ」よりも求められる時代にあの時からなっていったからなのだなと感じます
もちろん、チャンピオンまでになると「総合力」プラス「とんでもない速さ」も必要になる訳ですがw💦 ミハエル、ハミルトン、マックスはそう考えるとやはり凄いですね
角田君にも、期待しましょう!!!
毎度です。なるほど~言われてみると確かにその通りですね。でも見ていて興奮するのはやっぱり右京さんのような走りなんですよね~。
ベネトンのオファーを蹴った時点で、右京は終わったとしか、思えない…
ほんとそれ❗
2002年に放送されたNHKの「スタジオパークからこんにちは」で、本人が自分の口で「当時は、道具がよくなくたって、やっていけるんだという根拠のない自信があって…後悔しています」と話していましたからね❗
@@ナイトセイバーチャンネル ただのウマシカにしか、見えないです…
「スポンサーのJTへの義理立て」ということでしたけど、ベネトンのスポンサーはマイルドセブンなので、別に不義理になるわけではないのですが、単純にフラビオの気まぐれか、ただのリップサービスだったのかも?
@@tamakonukuizumi ヤマハ(トヨタ)への義理立てですか?
@@555kh あ、JTじゃなくてそっちのほうかー🤣
お疲れ様です。(((o(*゚▽゚*)o)))
ドライビングスタイル云々の前にマシンがドライバーの望むモノになって無かったのがシーズン不調の原因でしたね…
毎度です。そうなんですよね〜。こういうことってF1には着いて回ることですからね。意外に速い遅いって言えないんですよね。
運、不運もありますし。
95年96年と何か空回りというかタイミングが合わないなあって感じの右京さん。変に義理建てせずにベネトン行っておけば、とかチームメイトコライド覚悟でサロさんを捩じ伏せておくべきだったのではないのか、とか思うんですよね。
そしてこの不安をまた角田君にも持ってしまうのですよ
1997 右京さんがミナルディに乗ってたと昨日知った。全然印象無かったな😢
そうなんですよね。右京さんは97年ミナルディに乗りましてその年がF1最後となるわけでございます。
ミナルディに移籍して、トゥルーリを育てましたね。