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春の夜は、村八分を聞きたくなる…
わかるわ
「 握りしめた 手のひらは 汗ばかり 」たったこれだけですべてを物語ったような歌詞。
ギターが歌に寄り添って泣いてる。こういういなたいギターを弾けるギタリスト、なかなかいないよなぁ。テクニックの先にあるもの。
てくにっくの先 一番大事よね"!
本当に昔なんだけど、勤め先で村八分の話題を振った。もちろん知るわけねぇだろってつもりで。そしたら一番大人しい先輩が、「僕、チャー坊と会った事ありますよ。」とまさかの一言。俺の中じゃこの二人がレジェンド
当時、京都にいらっしゃったのでしょうか?原体験された人も他界されている方も多いですものね。
@@kazuhisanonaka172 お返事ありがとうございます。その方は今50近くになられると思います。出身は姫路方面の方で、聞くと10代~20代の頃は京都・大阪方面で盛んにバンド活動をされていました。晩年のチャー坊に会ったのは京都の居酒屋じゃないでしょうか。たまたま隣がチャー坊だったらしく、「ギターやってんのか」と話しかけられたらしいですね。
@@julysixteen0716 へえ、柴田さんは気さくな方だったのですね。でなければステファニーに逢うためにアメリカまで船で行かないでしょう、なるほど行動力が全てだったんだ。ただしそれが悪い方向に向かってしまったから…。
サムネ史上、最高にカッコいい
この歌がわかる人が増えたらいいのにな〜
I don't even understand anything but i just love good music
ギターサイコーだな(涙、。
「音楽をやってることが俺にとって生きてるということだから音楽でものすごく良くなってお金を三億でも四億でももらえるようになったらいくらでも家族にあげるけどだけど俺はそんなところで生きてないんだ自分がいいと思った音楽をやれればそれでいいんだもうちょっと売れるように考えたらなんてナンセンスや」自分としてはこうあるべきだだけど自分はどうしてもそうはなり得ないだからクスリをやめることができなかったその事自体はチャー坊の弱さだがその弱さの中にチャー坊の音楽があったのだ
強靭な、薬を凌駕したものがあれば・・・。71歳の2021年も歌い続けていたかも。
インディーズであれメジャーであれ売って捌くってことがすでに商業なんだけど 商業主義じゃないとの反発のジレンマ バンドを運営する為にも金がかかる事への葛藤 諸々考えることあったんだろうね あくまで憶測だけど
このハープ最高
メロも最高だけどやっぱ歌詞が響くね
たまに富士夫ちゃんたちが私の部屋に寄った時は、富士夫はよくギターを背負うたり手で持って部屋でいつも爪弾いていてギター青年と言う感じでした。ユカリ君は入る前で、恒田を頭にきたからブットばしたと言っていた。その恒田がまさか同級生の恒田らしいので驚いた
You Tubeで聴いてるんだけど、演奏の終わりに拍手してしまいますね
富士夫なんだよやっぱ富士夫♪
たまらん節
この曲はチャー坊氏の晩年のボロボロだった頃の映像が一番刺さったけど、もう見られないんだよな。
ああこの曲は俺だ
フジオ…最高っす🎸🎸🎸
本当は使いたくない言葉 ”下手上手い” どうでもいいや そんなのは超越してるから
最高
20 年前に闘病中の哲ちゃんから電話もらった僕は死ぬ事なんか何にも怖くないただ、皆んなと会えなくなる事が寂しいねんって、、、村八分がバラバラになる時もきっとそうやったんかなぁと今にして思う。
俺わいままでなんにんのぶれやあをなくしてきたのかいつばいいきなきやへろいんちゆどくいきなきなきらなきやじさつなんかかんがえるなよびようきはきのはきばあさんよめいさんかげつでしゆうさんねんいきたほねみてないたのはあのときだけだ
村八分のふじおやまぐちはでびつつとほういよりどうだろかなまえわすれたけとまあくぼらんもとつててあのときやまかあま
ていせいさしよせいいちではなくせいいちさま
この夏ノイズに出会い酒に溺れて、なぜかその頃にこの曲をよく聞いた。今となってはこの曲がノイズに溺れて幸せだった頃の代名詞となっている。これから先今年の夏のように熱中できること現れるか心配。でもわしは先暗い未来でも生きていきます。20歳男
ハタチとは若いじゃないか。まだこれからだぜ。だけど私のハタチ頃もこんなだったし生きすぎたと思っていたよ。
サイコー
昭和54年頃村八分はこんな衣装でステージには立って無いはすずだけとね
ありがとうミッキー❤
これが日本のブルースだった。それはオレの血管を流れ続けている。
いいね
悲しいね
恋はもうたくさん、、、
Sounds like a jimmy Hendrix song
今聴くと、すごすぎる!でも、当時京都は、町田町蔵の「INU」が、最先端だった。タイミングが、よくなかっただけ。
このギターはミッキーだよね。
なんで京都?やっぱなんかあるよね京都!!
みんな死んじゃったね、
いきなり maggot brain かよ・・・・・・・
スパイダースのなんとなくなんとなくに似てる
「なんとなくなんとなく」
気付きました?。
1979年❓️その頃はやばいから、距離をおいて居たので知らない
酷いボーカルだな。アマチュアみたい。このバンドは過大評価され過ぎだね。
お前には一生わかんねえよ
そう思う人はいるだろうね。過大評価とそしてそれは、音楽が分からないこととひと繋りとも言えるもちろん認めないだろうし、それも当然まぁ、過大評価! ってわざわざここで書くってのは殆ど嫉妬だよねそれも分かって書いているのだろうけど
ラリってるんで…。
ロックを上手い下手だけで聴く人は、ロックを語らない方がいいですよ
@@象さんのポット 評価基準は人それぞれ。どうぞご勝手に。音楽センスがあれば下手なものは下手としか聞こえない。
春の夜は、村八分を聞きたくなる…
わかるわ
「 握りしめた 手のひらは 汗ばかり 」
たったこれだけですべてを物語ったような歌詞。
ギターが歌に寄り添って泣いてる。こういういなたいギターを弾けるギタリスト、なかなかいないよなぁ。テクニックの先にあるもの。
てくにっくの先 一番大事よね"!
本当に昔なんだけど、勤め先で村八分の話題を振った。もちろん知るわけねぇだろってつもりで。
そしたら一番大人しい先輩が、「僕、チャー坊と会った事ありますよ。」とまさかの一言。
俺の中じゃこの二人がレジェンド
当時、京都にいらっしゃったのでしょうか?原体験された人も他界されている方も多いですものね。
@@kazuhisanonaka172
お返事ありがとうございます。その方は今50近くになられると思います。出身は姫路方面の方で、聞くと10代~20代の頃は京都・大阪方面で盛んにバンド活動をされていました。晩年のチャー坊に会ったのは京都の居酒屋じゃないでしょうか。たまたま隣がチャー坊だったらしく、「ギターやってんのか」と話しかけられたらしいですね。
@@julysixteen0716 へえ、柴田さんは気さくな方だったのですね。でなければステファニーに逢うためにアメリカまで船で行かないでしょう、なるほど行動力が全てだったんだ。ただしそれが悪い方向に向かってしまったから…。
サムネ史上、最高にカッコいい
この歌がわかる人が増えたらいいのにな〜
I don't even understand anything but i just love good music
ギターサイコーだな(涙、。
「音楽をやってることが俺にとって生きてるということだから
音楽でものすごく良くなってお金を三億でも四億でも
もらえるようになったらいくらでも家族にあげるけど
だけど俺はそんなところで生きてないんだ
自分がいいと思った音楽をやれればそれでいいんだ
もうちょっと売れるように考えたらなんてナンセンスや」
自分としてはこうあるべきだ
だけど自分はどうしてもそうはなり得ない
だからクスリをやめることができなかった
その事自体はチャー坊の弱さだが
その弱さの中にチャー坊の音楽があったのだ
強靭な、薬を凌駕したものがあれば・・・。71歳の2021年も歌い続けていたかも。
インディーズであれメジャーであれ売って捌くってことがすでに商業なんだけど 商業主義じゃないとの反発のジレンマ バンドを運営する為にも金がかかる事への葛藤 諸々考えることあったんだろうね あくまで憶測だけど
このハープ最高
メロも最高だけどやっぱ歌詞が響くね
たまに富士夫ちゃんたちが私の部屋に寄った時は、富士夫はよくギターを背負うたり手で持って部屋でいつも爪弾いていてギター青年と言う感じでした。ユカリ君は入る前で、恒田を頭にきたからブットばしたと言っていた。その恒田がまさか同級生の恒田らしいので驚いた
You Tubeで聴いてるんだけど、演奏の終わりに拍手してしまいますね
富士夫なんだよ
やっぱ
富士夫♪
たまらん節
この曲はチャー坊氏の晩年のボロボロだった頃の映像が一番刺さったけど、もう見られないんだよな。
ああ
この曲は俺だ
フジオ…最高っす🎸🎸🎸
本当は使いたくない言葉 ”下手上手い” どうでもいいや そんなのは超越してるから
最高
20 年前に闘病中の哲ちゃんから電話もらった
僕は死ぬ事なんか何にも怖くない
ただ、皆んなと会えなくなる事が寂しいねんって、、、
村八分がバラバラになる時もきっとそうやったんかなぁと
今にして思う。
俺わいままでなんにんのぶれやあをなくしてきたのかいつばいいきなきやへろいんちゆどくいきなきなきらなきやじさつなんかかんがえるなよびようきはきのはきばあさんよめいさんかげつでしゆうさんねんいきたほねみてないたのはあのときだけだ
村八分のふじおやまぐちはでびつつとほういよりどうだろかなまえわすれたけとまあくぼらんもとつててあのときやまか
あま
ていせいさしよせいいちではなくせいいちさま
この夏ノイズに出会い酒に溺れて、なぜかその頃にこの曲をよく聞いた。
今となってはこの曲がノイズに溺れて幸せだった頃の代名詞となっている。
これから先今年の夏のように熱中できること現れるか心配。でもわしは先暗い未来でも生きていきます。20歳男
ハタチとは若いじゃないか。まだこれからだぜ。だけど私のハタチ頃もこんなだったし生きすぎたと思っていたよ。
サイコー
昭和54年頃村八分はこんな衣装でステージには立って無いはすずだけとね
ありがとうミッキー❤
これが日本のブルースだった。それはオレの血管を流れ続けている。
いいね
悲しいね
恋はもうたくさん、、、
Sounds like a jimmy Hendrix song
今聴くと、すごすぎる!でも、当時京都は、町田町蔵の「INU」が、最先端だった。タイミングが、よくなかっただけ。
このギターはミッキーだよね。
なんで京都?やっぱなんかあるよね京都!!
みんな死んじゃったね、
いきなり maggot brain かよ・・・・・・・
スパイダースのなんとなくなんとなくに似てる
「なんとなくなんとなく」
気付きました?。
1979年❓️その頃はやばいから、距離をおいて居たので知らない
酷いボーカルだな。アマチュアみたい。このバンドは過大評価され過ぎだね。
お前には一生わかんねえよ
そう思う人はいるだろうね。過大評価と
そしてそれは、音楽が分からないこととひと繋りとも言える
もちろん認めないだろうし、それも当然
まぁ、過大評価! ってわざわざここで書くってのは殆ど嫉妬だよね
それも分かって書いているのだろうけど
ラリってるんで…。
ロックを上手い下手だけで聴く人は、ロックを語らない方がいいですよ
@@象さんのポット 評価基準は人それぞれ。どうぞご勝手に。音楽センスがあれば下手なものは下手としか聞こえない。