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くーさんをいじめないで💦あの音声動画、zoom会議チックで、斬新で、私は感動しました❣️
昨日どうする家康版関ヶ原の戦いの話観たよ‼️直政さんが、撃たれたシーンは、私リアルタイムで、観て涙腺がうるうるして、号泣寸前でした。直政さんあの怪我がもとで若くして、なくなった話は、知ってます。来週まさか、直政さん退場なら、直政さんロスなりそうなのは私だけかな?ちなみにオープニングアニメーションは、もちろん観てました。日本地図かな?
ドンドン、歴史的事実、いろいろ、変わりますね。😅今回、新たなる、話し、掛け合い、毎回、ワクワク感、最高〜、やはり、泪、でしたよ。😢😢😢
真田丸の超高速関ヶ原は、中世史沼の住人の間では評判が良かったと記憶しています。あんなに最新学説との整合性に優れた大河ドラマはありませんでしたから。軍記物の関ヶ原も素晴らしい物語ですが、旧説がつぶれて得られた自由をフル活用した新しい関ヶ原の物語を見てみたいとも思います。
日本の歴史上で一大イベントである「天下分け目の関ケ原の合戦」が未だに新説が出ているのが面白いですね。真実は大事ですがロマンも大事ですよね。それはそうと井伊直政は武将ですが文官としての方が優秀だったとは意外でした(色々な交渉事を担当していた。関ケ原の戦後処理もやっていたそうですね。それが元で傷が悪化して亡くなったとか)歴史は知れば知るほど面白いですね。次回も楽しみにしています!
三国志で言うなら、「赤壁の戦いなんてなかったんですよ」「場所が違うんですよ」「あの時代、孔明、なんもしてませんよ」「劉備側、参戦してないですよね」って話と同じですね
笑笑ですよね学校の歴史で習った関ヶ原の戦いが変わってしまいますもの!もうすぐ、最終回。 まだ観ていたいですねと、いいながら来年の紫式部も楽しみ😮御三方、宜しくお願いします❤
前回動画、楽しかったです。く~さんは悪くないです。
今日も楽しい解説ありがとうございます😁昔の説が二転三転するのが最近面白く思ってます。ちゃんと研究して歴史がかわるのは見ていて面白いです😄😄😄こんな新説が出ましたとかあればこれからも解説よろしくお願いします。
「不破の関」「壬申の乱」を上げていただいたのは歴史ファン的に嬉しいです。京都や西に拠点を持っていたとき、東から攻められると、この付近を突破されると京までほぼ障害物なしで、一直線で来られてしまうんですよね。逢坂山なんてもう入り口だし。ここ以外には鈴鹿峠か北陸道しかなく、昔から、防衛上かなり重要な拠点でしたよね。ちなみに関ケ原町は「不破郡」です。とある動画でこの辺りの解説があり、私が「関ケ原ってイゼルローン回廊だったんですね」とコメントしたら、別の方は「じゃ、鈴鹿峠はフェザーン?」と返してきました。伊勢参りへ行く道で、フェザーンは地球教絡みなのであながち間違ってないかも・・・あ、話それました。すみません
友人の中で一番の歴史好きが銀雄伝が大好きなんですが、やっぱり歴史好きに刺さるんですね。
戦国時代、いろんな地名の〇〇の戦いってたくさんあるけれど、やっぱり“関ヶ原の戦い”は別格です。そんなに詳しくない(好きだけど覚えられない)私でも「天下分け目の大戦」としてよく聞きます。だから、「関東、関西っていうのか〜」なんて思ってみたり、関ヶ原という語呂がいい!と思ってみたり☺️
今では冬季に東海道新幹線が遅れる区間として耳にすることが多い関ヶ原
午前中に合戦が終わっても家康親子がいなくても1600年に日本史が変わる決戦が関ヶ原であったのは間違いありませんね!
直政、役者は悪くないんだけど幼すぎるんだよな…40のオッサンには観えないし、腕細すぎるんだよ
2年前の「青展を衝け」の徳川昭武は似合ってたよね。この時は水戸家で、井伊家とは桜田門外での因縁あるし。
@@giantnioinoba2023 私もそう思いました。ドラマは詳しくないですが「青天を~」は見ていました。民部公子でしたっけ・・・貴公子ぶりが様になっていたし、照武さんの写真と比べてそう違和感がなかった!李光人くん、筋トレしておいた方が良かったかな?😅
史実の直政は、女性のように華奢な美男子だったという説があるから、周りを取り囲む、むくつけき脳筋戦国武将たちの視点ではあれくらい細く見えた、ということなんですよ、きっと。戦国武将の目を通して見た姿と。なんせ、あの華奢で若々しい出世頭の秀才だけど、特技はお手討ちですから、一見幼く見える風貌に騙されるなと。
あのとってつけたような口ひげが、何だかコメディみたいだったし。メイクさん、もう少し、何とかしようはなかっただろうか。(「青天を突け」の時は、あれ以上ない程の当たり役だった。)
大谷が小早川の裏切りを予想してたから、小早川が裏切ってもしばらくは耐えられたけど、小早川の裏切り対策として用意した。小川、朽木、赤座、脇坂まで裏切るとは流石に予想外で、それで崩れて西軍も総崩れしたみたいですね。やはり家康さんの調略力が上手でしたよね。
解説ありがとうございます!やはり多くの合戦を経て 手紙等による調略もあり 戦う前に勝負はついていたのでしょうか 何事にも動じない家康と怒りを露にする三成と 静かな戦いが見応えありました!戦の前にどれだけ人心を味方につけるか┄ 小早川くんも腹は決まっていたのですね!(私が小早川くんでもやっぱり家康側につきますね!)本当の事はわからないのも歴史の面白さなんでしょうかね
たまに最新説=正しい説みたいに断言しちゃうようなものがチラホラみられますその点、きりゅうさんは諸説あるものをこうだと断言せずフラットに語られるのがやはりいいですね
地元県民なのですがあの辺めちゃくちゃ記念碑多いです😂でも古戦場記念館の最上階から見えるんですが結構近距離すぎてびっくりします!周りが山多いので余計囲まれてる感じあります古戦場記念館すごくハイテクで見応えあるのでぜひ行ってみてください
首塚は公園みたいになってますが、ちょっと怖かったです。胴塚の隣りに家建っててビックリ!!しました。お家の下に死体いっぱい埋まってますよね?思いました。
詳しい解説、ありがとうございました🙏❣️ 誰でも知ってる『関ヶ原の戦い』が今現在も新たな発見があると聞き、驚きでもありワクワクさも感じますね‼️この先どんな新発見があるのか、新説が出てくるのか、注目していきたいです。
昔転勤で岐阜に住んだことがあるんですけど、関ヶ原合戦で島津義久と豊久を守ってとり残された島津兵は今も関ヶ原近辺に住んでいて薩摩弁のような言葉を話す人がけっこういるということを聞いたことがあります。短時間ではあった可能性は否めないけど激闘だったとは思うんですよね。
島津家中と岐阜県(美濃)といえば、江戸時代になって木曽三川の輪中工事に駆り出されて、何人もの犠牲を出しながら長い間滞在していたから、その時に薩摩武士と関わった人たちにも言葉が伝わったかも?
まさかの問い鉄砲がなかったという新説があるんですね!びっくりです!
大河とこのチャンネルの解説のおかげで歴史が好きになり、この状態で学生時代に戻れたら楽しいだろうなと思いました。先生からしたら「あっこの教科書ではこっちの説を採用してるんですね」「なんで家康は徳川と呼ぶのに秀吉は豊臣なの?」とか言う生徒がいたらめんどくさいでしょうけど。
歴史好きの先生なら、よろこんで課外授業をしてくれたと思いますよw
今回も解説ありがとうございます。新説の発見・証明も楽しい反面、旧説とそこから生まれた創作の名場面がなかった事になってしまうのも寂しいものですね。メッケルさんの話は影武者徳川家康で初めて知ったのですが、疑義有りと聞いたときはちょっとショックでした、その後の影武者の「しかし、片翼をもがれては鶴は飛べませぬ」も嘘か、ってw
く~さん、大変でしたね😂仲良しケンカが微笑ましい❤
例え新説で解釈が変わり、それが二時間だけだったとしても、戦後の結果があれだけの人々を巻き込んだものである以上、疾風の如くの超短期決戦だった!という面白いものになるに違いないとおもいます。
最後の話は楽しかった、うんうんと思いながら聞いてました
大昔の事なので色々新説出てくるんでしょうね…そうなると個人的に審神者してるとうらぶクラスタはゲームの内容が面白くなってきますね😅
今回のドラマ、何がビックリしたかって、小早川秀秋のキャラですよ。今までのドラマって、家康さんの問鉄砲にひぃいいいってなってるようなビビリと描かれませんでしたか?今回は、「どちらにも付けるようにしておけ」というセリフがあったりして、かっこいいぞ!!と思いました。
今回はすぐ見れた〜❣️諸説ありすぎ!!🤣けど、もし盛り上がらない戦もこんだけ壮大に盛り上げて語り継いできた昔の人達も凄い🤭逆にこれからの大河なり戦国時代の映画で、どの説を取り入れるのか…またはどうする家康みたいに新たな説を元に新たな話を作り上げるのもありだし、楽しみかも🤩👌✨後、前回の動画失敗の回はあれはあれで楽しかったです😂👍ラットさんのイヤリングの回があったらラットさんに怒られてたかもだけど🤭💦
えぇっ🤣せめて家康さんは関が原に居て欲しい🙏 でもそうならきりゅうさんの口から聞きたいです😊
楽しく、たいへん勉強になりました。ほとんどの人が知っている”関ヶ原“なのに、実はこれまではあまり研究されてこなく、近年の新説ラッシュにつながっているのだ、と知りました。研究分野も、流行などがあるのでしょうか。中世の手紙が出てきた、とか、古代の遺跡が見つかった、というニュースはワクワクします。
今回ドラマで、井伊直政の赤いつるっとした兜にスタジオの光が反射して水玉模様に光っているのを見て、「これスタジオ撮影なのか…それでこんなに屋外の大戦みたいな映像が仕上がるなんてスゴイなぁ…」と序盤は撮影舞台裏を妄想して楽しんでしまいましたw
最近、関ヶ原含めて通説が覆る研究が多いこともあって、大河ドラマが「このドラマは、史実を基にしたフィクションです」の但し書きを決して出さない理由が、こういうケースが発生する恐れがあるからじゃないかと、思うようになってきました。
以前から関ヶ原の話になると必ずといっていいほど名前が挙がる小早川秀秋ですが、新説でもキーパーソンであることには変わりないようですね。今年の小早川秀秋さんはオオタニサーンの亡霊も返り討ちにしそうなしたたかなキャラっぽいですが、今後どう描かれるのか注目しています。
アートディングの合戦関ヶ原、難しいけど、オススメです、手紙から、本戦まで出来ますからね
歴史は勝者の物だからね、変わるよね
今回も楽しかったし、勉強になりました。ドラマでいうと、淀殿が秀頼を出陣させようとしてたのにはビックリ!これも新説か?と思いました。茶々怖い😂
徳川は上杉討伐にでかけてから、折り返したのは、「方違え」ではなかったか?なんていう説ありますね。当時はそういうのはまだまだ重要視されてたので、あったかもです
大体どのドラマでも松尾山は小早川秀秋が陣を敷いいたただの山の様に扱ってますが、実際は立派な土塁で囲まれた本丸や発達した虎口、長大な竪堀などを備えたかなり堅固な山城ではないかと思います。本来は毛利本軍を迎え入れるための城だったのに、小早川秀秋が当時の預かり城主を追い出して無理やり入城したとも言われてますし、その辺りの事情もあって三成も小早川の動向が色々心配で関ケ原へ陣換えしたのかもしれませんね。
今大河は新説を活かし、関ヶ原の戦いのお決まりの問鉄砲のシーンや小早川秀秋の去就を決めずグズグズする描写がなく、西軍有力大名が戦以前に家康の調略を受け内応していたとして、新鮮だった。いつもおどおどし情けない歴代の小早川秀秋とは異なり、今回は堂々とした態度で戦の趨勢をギリギリまで見極め、東軍に最終的に付いていた。毛利輝元が、全ての責任を三成に押し付けている悪どさを茶々に見破られてもいた。今回も、退場する人物である三成役の中村七之助さんが、素晴らしかった!正義に燃えつつも戦う決断をするや一歩も退かず、純粋に豊臣家を守ろうとする。最後に味方の裏切りに合い、苦悩する姿、家康に反論する大胆さ、父中村勘三郎さん譲りの真摯な眼差し、全てが演技力との相乗効果で、この大河ドラマ内での最も適役であり好演だった。
中村七之助さんの声が毛利元就にかさなってしまった。 中村梅雀さんもだけどお父さんに声がそっくりでした
@@もぐりん-z3k さん 中村梅雀さん、お顔はそうでもないけれど、確かにお声がお父さんにそっくりですね~!
七之助三成さんが最初は「合議が」と言っていたのに、捕まった後の家康公の前で「(無益な戦?)私は変わっておりません。この私の内にも戦乱を求める心がたしかにあっただけの事。・・・ご自分(家康)に無いとお思いか?・・・」は示唆に富んでいましたね。実力あるものが先ず平らげて靡かせる。戦なき世はそうしてやっと訪れる。三成さん正論です😃今大河の一大テーマの「戦なき~」の両面からのアプローチの比較。たしかに七之助さん好演でした❣
@@ケンケン-g8g さん ケンケンさん流石です!確かに、まずは力ある者が他を抑えられるという実力の下、一切の戦いは無意味だと皆が思った時が、天下を統べるという実質的な意味になるということですね。
ありがとうございます。私、密かに「戦なき世に」の今大河テーマにちょっとした疑問がありまして😅瀬名さん構想と同じ流れですね。まぁ鶏とたまご問題みたいだとも言えますが~でも松潤狸康公も「ぐぬぬ💦」となりつつも、心中で「お前もそうか。実は私もだ!認める!」と吐露したような気がします。ドラマ上の結果は良かったんじゃないですかね・・・
今回の石田三成は熱かったですねー。
今回家康は小早川秀秋に対して大砲使わないで向こうから裏切る流れにいきましたね😅私が知ってる関ヶ原だと、家康が痺れを切らして小早川にいる陣に鉄砲打って脅したイメージがあります…関ヶ原の戦いは実際には色んな説があるんだなって思いました。
問鉄砲の件の大元は、小早川陣営の前での誤射だった説が新しい研究で出ていますね。問鉄砲の話自体は軍記物によって書かれている事が変化して行くので(最初の頃は藤堂高虎が撃った話。後に出た軍記物では家康本陣から、等)フィクション以外の何物でもありませんが、誤射事件、という問鉄砲の元ネタになるような話があったようです。
今回井伊直政が鉄砲で撃たれた島津の退きぐちが好きです❤️
直政さん撃たれたシーンは、リアルタイムで、観て涙腺がうるうるして、号泣寸前なりながら、観てました。直政さんは、あの怪我がもとで若くして、なくなったみたいですね🐯🐯
日ごろから家臣に「大将が指揮をせずに先陣をきるようなことはするな」と、命がけで諫められているのに(直政の特技は家臣のお手討ち)、忠告を聞かずに無鉄砲な深追いをするから…
大河は史実を基本にしたドラマだけど。ドラマは、盛って盛って盛りまくったストーリーの方が面白い。どうする家康もあと5話。
小早川、毛利など山に布陣したとなってますが、実際関ヶ原行ってみると本当に普通の山。そこに何千人と滞在した事になるのですがどうやって過ごしてなたのかな?野宿?キャンプみたいな簡易寝床見たいのがあった?いくさって何万人もの人が動く事になりますが、どうやって寝食してたのか不思議です。
陸軍省でドイツ人が関ヶ原の陣営図みて西軍が勝つと言ったとかの話自体が最近(合理的に)怪しいということになってるらしい
真田丸の関ヶ原のナレーションで終わり!は凄いインパクトでした。実際そんな感じだったのでしょうか?あれ程の大群が集まると、誰が誰やら何が何やら分からなくなりそうな。東軍が勝ったってどういう風に分かったのかしら?
石田三成麾下の島左近軍が強くて単独で前に出過ぎた。それを発見した井伊直政、関ヶ原の起伏を利用し、隠れながら島左近軍の側面に出て、側面から一斉射撃。島左近軍は慌てて撤収。と、NHKのブラタモリの関ヶ原の回で放送していたので、そのシーンを見たかったな~!(^^)!
ブラタモリで地形を上手く利用したと解説見ました。関ヶ原にも以前行きました😂本当のことは当事者しかわからない。でも,1600年に歴史が大きく変わったんですね😊
毛利輝元も上杉景勝も大幅減封を喰らっても家名は存続できた。これは大老を1~2万石程度に叩き落としたり、高野山追放したりするのはハレーションが大きすぎると家康さんは手控えたのですかねぇ❓宇喜田秀家さんの八丈島遠島は本戦参加だから仕方ないか😅でも同じ本戦参加でも島津氏は結果的に大した処分は無し・・・この辺りまた解説リクエストさせてください😃ちなみに松尾山城跡に一度踏破したことがあります。臨時の野戦築城の域を超えた巧みな構造と規模でした。かなり事前に用意していないと・・・問鉄砲~仮にあっても、戦場の喧騒に紛れて、しかも至近距離からとはさすがにイカないので大した切迫感は無いのでは❓が個人の感想でした。
今回の「どうする家康」の小早川勢が大谷吉継の陣地に攻撃を仕掛ける場面で、「葵徳川三代」で使っていた映像が使いまわしされていた箇所があったような気がしますが・・・
他チャンネルにて、同様のご指摘コメントがありました。見返すとたしかに挿入されていますね!多数の騎馬兵が疾走するシーンでしたね😄数秒だから気づきにくい・・・だけど長すぎても差し障りがある?みたいな😁
宮本武蔵が関ヶ原で初陣を飾ったという話もあやしくなってきましたからね。何が起こるかわからない。
子どもにサンタさんいないよっていう並みに悲しい、家康のいない関ヶ原設。
「どうする〜」は、歴史研究の新説を取り入れて問鉄砲がない描写になってましたけど、軍記物とはいえずっと信じられた場面だし、ないとちょっと拍子抜けな感じがしますし、フィクションと割り切ってもいい気がしますね〜
徳川のつくった神話が崩れてきたってことですね。かしまし歴史チャンネル、応援しています♪❤
いつも楽しみに拝見させて頂いております。ほかの方も聞いてらっしゃいましたが、阿茶局についてです。彼女の立ち位置が今一つ掴めずにいます。今回の、茶々に合うシーンは何か意味があったのでしょうか?今後の布石なのかしら?それと、三河家臣団が「とうとう天下をお取りなさった」と言っていましたが、関ケ原で勝利して、天下を取ったと思えるものだったのかちょっと疑問に思いましたが、当時はそんな意識だったのでしょうか?
今回の大河でも「問鉄砲」あったじゃないですかー姉川の戦いで「織田を裏切って浅井に着くか?」迷う家康くんに対し、信長さんが鉄砲撃つように秀吉さんに指示してましたよね😆それを見て関ケ原では撃たないんだな…と予想してました。実際に実験してる番組を見たことありますが、松尾山の麓から撃っても微かに聞こえる程度なので、戦いの最中じゃ聞こえない可能性高いですよね。あと戦場で「自分の判断で動くから指図無用」と動かなかった島津義弘軍も、実は西軍にとっての予備軍だったので動けなかった説や、有名な中央突破「島津の退き口」なんてなく、普通に退却した説もあるみたいですね。あれ?井伊直政…
姉川の信長さんの問鉄砲が伏線になるのかと思ってましたが違いましたね~w
家康さんの履物がミッキーみたいだったのがちょっと気になりました
葵徳川三代で津川家康が被って以来、その後の大河ドラマの関ヶ原ではあの兜が大活躍です(他の武将の兜も同じく)w
「鉄砲を撃ちかけられたらもう家康につけないと思うはずなのに、世の中は自分の分からない理屈で回っている」とずっと諦観してました。なかったということになってちょっとすっきりしました。
今回の関ヶ原の戦いで、小早川秀秋が寝返った時は、自ら進んで寝返ってましたね
今回の小早川秀秋は、なんだかシュッとしていました😄❗家康が大垣城を攻めなかったのは、長篠の戦いを応用したとも言われていますね💨歴史はどんどん新しい説がでて来て、本当におもしろいです😆アップデートしていかないと、おいていかれちゃうε=┌(;・∀・)┘ボケ防止に成って良いかな💖
最近では松尾山には堅固な砦が作られていて其処に小早川が入城してしまった事が原因とも云われていますね。
毛利家は勇気がなかった
個人的には、姉川の戦で砲弾後ろから、砲弾を撃ち込まれたので、甥っ子の小早川秀秋へ、大砲うちこんで、どうする秀秋をしてほしかった。😮
お便り合戦で負けた果てが斬首ってのも、それはそれで嫌だなあ。
質問です 泉 秀樹の番組で家康軍はウイリアムアダムスの船に積んで あったガルバリンルバリン砲を使いその使い方や戦略に詳しいウイリアムアダムス自身を指揮官に してその おかげで東軍は勝てた………みたいな事を言ってたんですけどその話は無かったのでしょうか………?
答えは追って沙汰するで!w
楽しみに待っております@@kashimashi_rekishi_ch
毛利公って江戸時代になってからも代々の藩主の新年の挨拶が家老が今年は江戸を攻めますか?って言って藩主が、いやまだ時期尚早であるってのが挨拶だったんでしょう結局は長州藩として幕府を倒してるしヤル気満々の毛利輝元と補佐役の石田治部ってのは納得がいく
今後のドラマ描写として『コテコテの講談調で関ケ原を描いたのち「ぜんぶ逃亡中の治部の夢でした」オチでもって実際の戦闘経緯を全て曖昧にしちゃうお作法』が流行る。史実はいつだって闇の中。
一次資料も比較すると辻褄が合わないところがあり、何が本当か分かりませんね。家康が佐和山城を攻めようとして三成が関ケ原へって話も、そんなことしたら三成が追いかけ大津城攻めの西軍と合流したら家康は挟み撃ちじゃんって話になるし。ただ、西軍を追いかけて東軍が関ケ原に入ってきたのには三成も愕然としたでしょうね、南宮山に毛利がいるからそうやすやすと東軍が入ってこれるわけがないと普通は思いますね。小早川秀秋も東軍には内通はしていたが、最終的な決め手となったのは毛利が動かなかったことだと思います。
質問です。大垣城に石田三成がいて、徳川家康が大垣城をほっておいて関ケ原に向かった後に、三成が関ケ原に向かったと思いますが、家康より大阪よりに陣を置くことが出来たのは、回り道をして向かったのでしょうか?家康と同じルートだと途中で戦闘になる気がしますが。。。
豊臣恩顧と言っても,北政所が事実上育ての母.北政所が徳川方に就いていたら,寝返りはほぼ考え難い.小早川秀秋にとって北政所は血縁のある叔母ちゃん.その北政所から家康に就けと密命があったら...英雄たちの選択でも『小早川秀秋は裏切ったわけじゃない!元々徳川方だった』と言ってましたね.
小早川秀秋のイメージとはまた違った印象のキャラクター像で情けない気の小さいイメージだったので裏切り者って確かにこういう切れ者な方が様になるなと思ってけっこう驚きました
え?家康公関ヶ原欠席してたかもって?もし本当なら本人欠席、嫡男遅刻してるし完全に徳川家戦力を温存して漁夫の利じゃないですか😅
今回家康さんが全く絡んでなかったからかもしれませんが、西軍後続隊の到着が遅れる原因となった大津城の戦いが完全にスルーされていて笑いました。三成が「こちらは10万」って自信満々に言ってましたが、うち1万5000の軍が足止め食らってるの知らなかったのかしら…と思いながら見ていました。実際どうだったのか、ご存知でしたら教えて頂けますと幸いです。余談ですが、茶々さまとお江さんの姉妹であるお初さんの登場を密かに期待していたのですが、いなくてちょっと凹みました。やっぱり尺の都合でしょうか😢でも戦後処理の場としてしっかり大津城だけは出てきたので、まあいい…いや寧ろ出すならナレーションでいいから京極高次の話して欲しかったです!!!
関ヶ原の戦いの朝、霧が出てたのは記録が残っているのでしょうか? 単純に朝日が眩しくて西軍が目眩ましに合って、東軍に有利だったとかは無いのかな? と、地図を見て思ってしまいました。😅
吉川広家が、戦始まる前からお弁当食べててわろたw
おはようございます。
小早川秀秋の陣羽織は他の人と比べて朱一色で目立つに、後ろの模様が鎌がクロスしている特徴的なデザインですが、あれは秀秋さんのオリジナルの陣羽織なのですか?「葵三代」の時の秀秋さんも同じような陣羽織だったので(TH-camで見返しました)気になりました。
本人が桐紋から違い鎌紋に変えたんですよ~w
@@kashimashi_rekishi_ch おお!お返事ありがとうございます😊そうなんですね〜。本人のこだわりがあったのですね。
小早川のお散歩って動画でしたことあったっけ?
勝てば官軍って歴史修正なんて普通にやってるはずなのに、あの程度の改変しか出来なかったとすれば、以外にしょぼかったってのも解る気がしますね
本作では杭瀬川の戦いが扱われなかったのですが、こちらも何か異説があるのでしょうか?島左近の活躍見たかったなーと思ってたので、ちょっと残念w
軽い前哨戦だから残念だけど仕方ないですね😅尺の計算で一話で仕上げる為に、新説も取り入れるがカット・スルーの部分も幾つかあり、杭瀬川もその一つ・・・三成さんが伊吹山中で腹壊して潜伏中のエピも無かった😁
@@ケンケン-g8g コメントありがとうございます。やっぱり尺都合ですかねえー。本戦に時間使いたいでしょうし。与次郎大夫(でしたっけ)のエピソードは、尺都合やフィクションぽいからカットかなとも思いましたが、家康との対決のためにもカットされたのかなーと思ったりしました
与次郎太夫~知りませんでしたが、ググってみて⇒あった!あった!そのシーン!納得でした。ありがとうございます!島左近は関ケ原では自陣より大筒を放って東軍を苦しめる!がお馴染みですが、今回は無い替わりに⇒伏見城での左近さん自らの携行で大鉄砲(おおでっぽう)発射!がありましたね!2~3秒ですので収まるのも容易😁制作もそれなりに苦労して~ですかね。
関ヶ原の戦いがもし無いとしたら、葵徳川三代のあの物凄い人数と馬の大合戦も無いって事になるんですよね😭折角お金掛けて作ったのに〜
解説のように、小早川が早々に裏切っていたなら、たった1日で決着つくのも納得ですね。多分その方が真実なんでしょうね。敗者を持ち上げることで、勝者である自分たちが偉業を成し遂げたかのように語ることができますからね。ここ最近、パソコンの調子が悪く、あまり触らない方が良いかと恐る恐るいじっていましたので、コメントもなるべく控えておりましたが、さきほど完全に治りました。良かったです。
今回の動画、2回通り見させてもらいました!新説盛りだくさんで一度では理解できませんでした😂12月になったらみーちゃんを連れて関ヶ原記念館に行こうと思っていたのに、みーちゃんが本格的に歴史を学ぶ頃には新説が取り上げられるようになるかもですね!これは、みーちゃんを応援する会のかしましの3人には、その都度新説を更新していっていただかなくてはいけなくなりました〜😂何卒、よろしくお願いいたします🙇ドラマの関ヶ原を見て、みーちゃんは戦いはいけない😢と泣きました。みーちゃんのお父さんがこうなったらみーちゃんは嫌だって!5歳児!色々感じてます!!関ヶ原のお勉強したお金、返してほしいけど、新説も知りたいからまた買ってしまいそうですし、戦いはしないほうがいいですし、そしてきりゅうさんの暴走は楽しいです❗きりゅうさんの細かい妄想の関ヶ原の戦いをじっくり聞きたいです❗
阿茶の局とねねの所在について質問です。最初に阿茶の局が北政所に、かくまってもらったというようなことを言っていました。関ヶ原より前に家康は大阪城西の丸に入っていたから、阿茶の局も大阪城西の丸にいたわけですよね。そしてその頃北政所は長く住んだ大阪城西の丸を出て京都新城にいた。戦いが起こることになり、阿茶の局は西の丸を脱出して京都にいる北政所のところに身を寄せたのでしょうか?それとも、北政所がいるところを責める者はいない、ということで、阿茶を守るために北政所が大阪城西の丸に一時的に戻ったのでしょうか。茶々が「帰り道を気をつけろ」などと物騒な言葉を餞別にしていることから京都かなと思う反面、茶々がいる大阪城本丸から西の丸への移動だからこそ、茶々の息のかかった侍女や武士、役人、下男などがわんさかいるとも考えられるので。
今の時代のスピード感で当時の事を想像するとどんどん違う方へ行ってしまう気がします。スマホやネットなどの情報源がないしお手紙だって墨を擦ってから筆で書くので書くこと自体時間かかるし、移動も徒歩か馬で郵便物は車や飛行機で届くわけではないので一瞬で戦が終わるという説は無理があるというものです。まあ、きりゅうさんがおっしゃる様に妄想は自由ですけども。
戦国時代には全く興味がなかったのですが、このチャンネルを見出してから興味が湧いてきました初心者の質問ですが、前から、秀忠だけ徳川将軍の中で名前が浮いている感じがします時代から秀吉に忠義を持っていますよというのを表していたのかなと思うのですが、亡くなって以降に(豊臣が滅亡して以降に)改名などしなかったのはなんででしょうか?家なんちゃらにしても良かったと思うのですが😅
神君様も関ヶ原に居なかったとなると秀忠を責められませんね(笑)
真田も大いに悩んだ「関ヶ原の戦い」。歴史に詳しいキリュウさんが「関ヶ原の戦い」にもし参陣するなら、東軍と西軍どっちに付きますか?
たぶん庶民だろうから戦わないw
@@kashimashi_rekishi_ch なるほど😄
真田は、家康から秀忠への手紙を奪い取って、秀忠の遅刻が確定すると、わざわざ手紙を秀忠に渡るようにし、自分は落とされないようにした!
なんかXではネタにされてることの多い今回の金吾ですが、猛将と言われる一面もあるのでならあれはあれで有りかと思いました
本多忠勝の兜の前立てがトナカイの角?なんだか可愛いと思ってしまう。すいません。
小早川に攻め込まれた大谷刑部が叫んだ言葉は何でしょう? 何度聞き直してもわかりませんでした。
いろいろお話しを聞いてると、この戦いで命を落とすのはもったいない様に思えますよね。殆どが消極的だったんじゃないかなと思います。
質問があります。ドラマでは三成さんの=「痰の毒(肝臓に悪い?腹が冷える?)になるから」と干し柿を断る有名エピはカットされていましたが、一方できりゅうサンは三成さんの好物だから、大谷吉継が土産に持ってきたとドラマに描いたんだ!食べなかったのは処刑前の逸話に擬えた感じ・・・と仰っていましたけど、うまく私の中で繋がりません💦干し柿エピは創作かもしれませんが~食べ過ぎはよくないかもしれませんけど、現代感覚では干し柿、体に良さそうだけど❓好物だったなどの史料はあるのでしょうか❓私の勘違い&既出なら申し訳ございません。
歴史好きから言わせてもらうと物足りなかったですね〜😩新説「小早川秀秋の問鉄砲はなかった⁉️」姉川の戦いでは信長がモタモタしている味方に鉄砲撃ちかけて「もう関ヶ原の戦いのフラグやん😁」って思ってて必ず回想シーンで出てくるなと思ってたのになかった🤯小早川秀秋今までは優柔不断で家康の問鉄砲でやっと腰を挙げたというのが定説でしたがなんと狡猾に演出されてて斬新でした
私も姉川は関ケ原の伏線だと思ってました! 違いましたね~。
実はこの動画で流れているきりゅうさんも、らっとさんも、くうさんも実在しない架空の人物の可能性も………
えええ? 本人も知らない事実?? あ、スーパーサンクスありがとうございますw
改めて家康さんがすごいと感じたことは 関ヶ原しながら吉川 小早川を裏切らせて 関係のある毛利を淀殿が疑い秀頼出陣を考えさせたとかんじました
そもそも、西軍の方が全体の兵力は多く、総大将の毛利は大阪にいた状態で、それぞれ東軍の各領地を攻めに行ってた、いわゆる長期戦の構え。そんな兵力分散のところに、三成が関ヶ原でキャッチアップされて、討ち取られた遭遇戦。兵力に劣る徳川の一点突破短期決戦がはまった形やね。
服部く〜蔵
大河で小早川秀明といえば、過去二回演じた浅利陽介さんのキョドった小早川秀明のイメージが強いんですが、今回は強気の秀明でしたね。秀明は関ヶ原の後、気が〇ったと言われているけど、あれも本当は内部のクーデターだったのを、松平信康や豊臣秀次みたいに庭で毎夜庶民を〇していたとか、わざと本人を貶める悪いイメージを付けられていたのでしょうか?
秀吉死後から思った以上に家康でキマリが共通認識でしたよ...てのがあまりにも身も蓋も無いといいますか。w天下分け目というより常識派による反乱鎮圧じゃね?と思ったりもします。スケール的に全然ブレとらんかった東軍に対し、じわじわ残念感深まる西軍が吊り合わなくなってるんだよなぁ...。
くーさんをいじめないで💦あの音声動画、zoom会議チックで、斬新で、私は感動しました❣️
昨日どうする家康版関ヶ原の戦いの話観たよ‼️直政さんが、撃たれたシーンは、私リアルタイムで、観て涙腺がうるうるして、号泣寸前でした。直政さんあの怪我がもとで若くして、なくなった話は、知ってます。来週まさか、直政さん退場なら、直政さんロスなりそうなのは私だけかな?ちなみにオープニングアニメーションは、もちろん観てました。日本地図かな?
ドンドン、歴史的事実、いろいろ、変わりますね。😅今回、新たなる、話し、掛け合い、毎回、ワクワク感、最高〜、やはり、泪、でしたよ。😢😢😢
真田丸の超高速関ヶ原は、中世史沼の住人の間では評判が良かったと記憶しています。あんなに最新学説との整合性に優れた大河ドラマはありませんでしたから。
軍記物の関ヶ原も素晴らしい物語ですが、旧説がつぶれて得られた自由をフル活用した新しい関ヶ原の物語を見てみたいとも思います。
日本の歴史上で一大イベントである「天下分け目の関ケ原の合戦」が未だに新説が出ているのが面白いですね。真実は大事ですがロマンも大事ですよね。それはそうと井伊直政は武将ですが文官としての方が優秀だったとは意外でした(色々な交渉事を担当していた。関ケ原の戦後処理もやっていたそうですね。それが元で傷が悪化して亡くなったとか)歴史は知れば知るほど面白いですね。次回も楽しみにしています!
三国志で言うなら、「赤壁の戦いなんてなかったんですよ」「場所が違うんですよ」「あの時代、孔明、なんもしてませんよ」「劉備側、参戦してないですよね」って話と同じですね
笑笑
ですよね
学校の歴史で習った
関ヶ原の戦いが変わってしまいますもの!
もうすぐ、最終回。
まだ観ていたいですね
と、いいながら来年の紫式部も楽しみ😮
御三方、宜しくお願いします❤
前回動画、楽しかったです。く~さんは悪くないです。
今日も楽しい解説ありがとうございます😁昔の説が二転三転するのが最近面白く思ってます。ちゃんと研究して歴史がかわるのは見ていて面白いです😄😄😄
こんな新説が出ましたとかあればこれからも解説よろしくお願いします。
「不破の関」「壬申の乱」を上げていただいたのは歴史ファン的に嬉しいです。京都や西に拠点を持っていたとき、東から攻められると、この付近を突破されると京までほぼ障害物なしで、一直線で来られてしまうんですよね。逢坂山なんてもう入り口だし。ここ以外には鈴鹿峠か北陸道しかなく、昔から、防衛上かなり重要な拠点でしたよね。ちなみに関ケ原町は「不破郡」です。
とある動画でこの辺りの解説があり、私が「関ケ原ってイゼルローン回廊だったんですね」とコメントしたら、別の方は「じゃ、鈴鹿峠はフェザーン?」と返してきました。伊勢参りへ行く道で、フェザーンは地球教絡みなのであながち間違ってないかも・・・あ、話それました。すみません
友人の中で一番の歴史好きが銀雄伝が大好きなんですが、やっぱり歴史好きに刺さるんですね。
戦国時代、いろんな地名の〇〇の戦いってたくさんあるけれど、やっぱり“関ヶ原の戦い”は別格です。そんなに詳しくない(好きだけど覚えられない)私でも「天下分け目の大戦」としてよく聞きます。だから、「関東、関西っていうのか〜」なんて思ってみたり、関ヶ原という語呂がいい!と思ってみたり☺️
今では冬季に東海道新幹線が遅れる区間として耳にすることが多い関ヶ原
午前中に合戦が終わっても家康親子がいなくても1600年に日本史が変わる決戦が関ヶ原であったのは間違いありませんね!
直政、役者は悪くないんだけど幼すぎるんだよな…
40のオッサンには観えないし、腕細すぎるんだよ
2年前の「青展を衝け」の徳川昭武は似合ってたよね。この時は水戸家で、井伊家とは桜田門外での因縁あるし。
@@giantnioinoba2023 私もそう思いました。ドラマは詳しくないですが「青天を~」は見ていました。民部公子でしたっけ・・・貴公子ぶりが様になっていたし、照武さんの写真と比べてそう違和感がなかった!李光人くん、筋トレしておいた方が良かったかな?😅
史実の直政は、女性のように華奢な美男子だったという説があるから、周りを取り囲む、むくつけき脳筋戦国武将たちの視点ではあれくらい細く見えた、ということなんですよ、きっと。
戦国武将の目を通して見た姿と。
なんせ、あの華奢で若々しい出世頭の秀才だけど、特技はお手討ちですから、一見幼く見える風貌に騙されるなと。
あのとってつけたような口ひげが、何だかコメディみたいだったし。
メイクさん、もう少し、何とかしようはなかっただろうか。
(「青天を突け」の時は、あれ以上ない程の当たり役だった。)
大谷が小早川の裏切りを予想してたから、小早川が裏切ってもしばらくは耐えられたけど、小早川の裏切り対策として用意した。小川、朽木、赤座、脇坂まで裏切るとは流石に予想外で、それで崩れて西軍も総崩れしたみたいですね。やはり家康さんの調略力が上手でしたよね。
解説ありがとうございます!
やはり多くの合戦を経て 手紙等による調略もあり 戦う前に勝負はついていたのでしょうか 何事にも動じない家康と怒りを露にする三成と 静かな戦いが見応えありました!
戦の前にどれだけ人心を味方につけるか┄ 小早川くんも腹は決まっていたのですね!(私が小早川くんでもやっぱり家康側につきますね!)
本当の事はわからないのも歴史の面白さなんでしょうかね
たまに最新説=正しい説みたいに断言しちゃうようなものがチラホラみられます
その点、きりゅうさんは諸説あるものをこうだと断言せずフラットに語られるのがやはりいいですね
地元県民なのですがあの辺めちゃくちゃ記念碑多いです😂でも古戦場記念館の最上階から見えるんですが
結構近距離すぎてびっくりします!
周りが山多いので余計囲まれてる感じあります
古戦場記念館すごくハイテクで見応えあるのでぜひ行ってみてください
首塚は公園みたいになってますが、ちょっと怖かったです。胴塚の隣りに家建っててビックリ!!しました。お家の下に死体いっぱい埋まってますよね?思いました。
詳しい解説、ありがとうございました🙏❣️ 誰でも知ってる『関ヶ原の戦い』が今現在も新たな発見があると聞き、驚きでもありワクワクさも感じますね‼️この先どんな新発見があるのか、新説が出てくるのか、注目していきたいです。
昔転勤で岐阜に住んだことがあるんですけど、関ヶ原合戦で島津義久と豊久を守ってとり残された島津兵は今も関ヶ原近辺に住んでいて薩摩弁のような言葉を話す人がけっこういるということを聞いたことがあります。短時間ではあった可能性は否めないけど激闘だったとは思うんですよね。
島津家中と岐阜県(美濃)といえば、江戸時代になって木曽三川の輪中工事に駆り出されて、何人もの犠牲を出しながら長い間滞在していたから、その時に薩摩武士と関わった人たちにも言葉が伝わったかも?
まさかの問い鉄砲がなかったという新説があるんですね!びっくりです!
大河とこのチャンネルの解説のおかげで歴史が好きになり、この状態で学生時代に戻れたら楽しいだろうなと思いました。先生からしたら「あっこの教科書ではこっちの説を採用してるんですね」「なんで家康は徳川と呼ぶのに秀吉は豊臣なの?」とか言う生徒がいたらめんどくさいでしょうけど。
歴史好きの先生なら、よろこんで課外授業をしてくれたと思いますよw
今回も解説ありがとうございます。
新説の発見・証明も楽しい反面、旧説とそこから生まれた創作の名場面がなかった事になってしまうのも寂しいものですね。
メッケルさんの話は影武者徳川家康で初めて知ったのですが、疑義有りと聞いたときはちょっとショックでした、その後の影武者の「しかし、片翼をもがれては鶴は飛べませぬ」も嘘か、ってw
く~さん、大変でしたね😂仲良しケンカが微笑ましい❤
例え新説で解釈が変わり、それが二時間だけだったとしても、戦後の結果があれだけの人々を巻き込んだものである以上、疾風の如くの超短期決戦だった!という面白いものになるに違いないとおもいます。
最後の話は楽しかった、うんうんと思いながら聞いてました
大昔の事なので色々新説出てくるんでしょうね…そうなると個人的に審神者してるとうらぶクラスタはゲームの内容が面白くなってきますね😅
今回のドラマ、何がビックリしたかって、小早川秀秋のキャラですよ。今までのドラマって、家康さんの問鉄砲にひぃいいいってなってるようなビビリと描かれませんでしたか?今回は、「どちらにも付けるようにしておけ」というセリフがあったりして、かっこいいぞ!!と思いました。
今回はすぐ見れた〜❣️諸説ありすぎ!!🤣けど、もし盛り上がらない戦もこんだけ壮大に盛り上げて語り継いできた昔の人達も凄い🤭逆にこれからの大河なり戦国時代の映画で、どの説を取り入れるのか…またはどうする家康みたいに新たな説を元に新たな話を作り上げるのもありだし、楽しみかも🤩👌✨
後、前回の動画失敗の回はあれはあれで楽しかったです😂👍ラットさんのイヤリングの回があったらラットさんに怒られてたかもだけど🤭💦
えぇっ🤣せめて家康さんは関が原に居て欲しい🙏 でもそうならきりゅうさんの口から聞きたいです😊
楽しく、たいへん勉強になりました。
ほとんどの人が知っている”関ヶ原“なのに、実はこれまではあまり研究されてこなく、近年の新説ラッシュにつながっているのだ、と知りました。
研究分野も、流行などがあるのでしょうか。
中世の手紙が出てきた、とか、古代の遺跡が見つかった、というニュースはワクワクします。
今回ドラマで、井伊直政の赤いつるっとした兜にスタジオの光が反射して水玉模様に光っているのを見て、
「これスタジオ撮影なのか…それでこんなに屋外の大戦みたいな映像が仕上がるなんてスゴイなぁ…」と
序盤は撮影舞台裏を妄想して楽しんでしまいましたw
最近、関ヶ原含めて通説が覆る研究が多いこともあって、大河ドラマが「このドラマは、史実を基にしたフィクションです」の但し書きを決して出さない理由が、こういうケースが発生する恐れがあるからじゃないかと、思うようになってきました。
以前から関ヶ原の話になると必ずといっていいほど名前が挙がる小早川秀秋ですが、新説でもキーパーソンであることには変わりないようですね。
今年の小早川秀秋さんはオオタニサーンの亡霊も返り討ちにしそうなしたたかなキャラっぽいですが、今後どう描かれるのか注目しています。
アートディングの合戦関ヶ原、難しいけど、オススメです、手紙から、本戦まで出来ますからね
歴史は勝者の物だからね、変わるよね
今回も楽しかったし、勉強になりました。
ドラマでいうと、淀殿が秀頼を出陣させようとしてたのにはビックリ!
これも新説か?と思いました。
茶々怖い😂
徳川は上杉討伐にでかけてから、折り返したのは、「方違え」ではなかったか?なんていう説ありますね。当時はそういうのはまだまだ重要視されてたので、あったかもです
大体どのドラマでも松尾山は小早川秀秋が陣を敷いいたただの山の様に扱ってますが、実際は立派な土塁で囲まれた本丸や発達した虎口、長大な竪堀などを備えたかなり堅固な山城ではないかと思います。
本来は毛利本軍を迎え入れるための城だったのに、小早川秀秋が当時の預かり城主を追い出して無理やり入城したとも言われてますし、その辺りの事情もあって三成も小早川の動向が色々心配で関ケ原へ陣換えしたのかもしれませんね。
今大河は新説を活かし、関ヶ原の戦いのお決まりの問鉄砲のシーンや小早川秀秋の去就を決めずグズグズする描写がなく、西軍有力大名が戦以前に家康の調略を受け内応していたとして、新鮮だった。いつもおどおどし情けない歴代の小早川秀秋とは異なり、今回は堂々とした態度で戦の趨勢をギリギリまで見極め、東軍に最終的に付いていた。毛利輝元が、全ての責任を三成に押し付けている悪どさを茶々に見破られてもいた。
今回も、退場する人物である三成役の中村七之助さんが、素晴らしかった!正義に燃えつつも戦う決断をするや一歩も退かず、純粋に豊臣家を守ろうとする。最後に味方の裏切りに合い、苦悩する姿、家康に反論する大胆さ、父中村勘三郎さん譲りの真摯な眼差し、全てが演技力との相乗効果で、この大河ドラマ内での最も適役であり好演だった。
中村七之助さんの声が毛利元就にかさなってしまった。 中村梅雀さんもだけどお父さんに声がそっくりでした
@@もぐりん-z3k さん 中村梅雀さん、お顔はそうでもないけれど、確かにお声がお父さんにそっくりですね~!
七之助三成さんが最初は「合議が」と言っていたのに、捕まった後の家康公の前で「(無益な戦?)私は変わっておりません。この私の内にも戦乱を求める心がたしかにあっただけの事。・・・ご自分(家康)に無いとお思いか?・・・」は示唆に富んでいましたね。実力あるものが先ず平らげて靡かせる。戦なき世はそうしてやっと訪れる。三成さん正論です😃今大河の一大テーマの「戦なき~」の両面からのアプローチの比較。たしかに七之助さん好演でした❣
@@ケンケン-g8g さん ケンケンさん流石です!確かに、まずは力ある者が他を抑えられるという実力の下、一切の戦いは無意味だと皆が思った時が、天下を統べるという実質的な意味になるということですね。
ありがとうございます。私、密かに「戦なき世に」の今大河テーマにちょっとした疑問がありまして😅瀬名さん構想と同じ流れですね。まぁ鶏とたまご問題みたいだとも言えますが~でも松潤狸康公も「ぐぬぬ💦」となりつつも、心中で「お前もそうか。実は私もだ!認める!」と吐露したような気がします。ドラマ上の結果は良かったんじゃないですかね・・・
今回の石田三成は熱かったですねー。
今回家康は小早川秀秋に対して大砲使わないで向こうから裏切る流れにいきましたね😅
私が知ってる関ヶ原だと、家康が痺れを切らして小早川にいる陣に鉄砲打って脅したイメージがあります…
関ヶ原の戦いは実際には色んな説があるんだなって思いました。
問鉄砲の件の大元は、小早川陣営の前での誤射だった説が新しい研究で出ていますね。問鉄砲の話自体は軍記物によって書かれている事が変化して行くので(最初の頃は藤堂高虎が撃った話。後に出た軍記物では家康本陣から、等)フィクション以外の何物でもありませんが、誤射事件、という問鉄砲の元ネタになるような話があったようです。
今回井伊直政が鉄砲で撃たれた島津の退きぐちが好きです❤️
直政さん撃たれたシーンは、リアルタイムで、観て涙腺がうるうるして、号泣寸前なりながら、観てました。直政さんは、あの怪我がもとで若くして、なくなったみたいですね🐯🐯
日ごろから家臣に「大将が指揮をせずに先陣をきるようなことはするな」と、命がけで諫められているのに(直政の特技は家臣のお手討ち)、忠告を聞かずに無鉄砲な深追いをするから…
大河は史実を基本にしたドラマだけど。
ドラマは、盛って盛って盛りまくったストーリーの方が面白い。
どうする家康もあと5話。
小早川、毛利など山に布陣したとなってますが、実際関ヶ原行ってみると本当に普通の山。そこに何千人と滞在した事になるのですがどうやって過ごしてなたのかな?野宿?キャンプみたいな簡易寝床見たいのがあった?
いくさって何万人もの人が動く事になりますが、どうやって寝食してたのか不思議です。
陸軍省でドイツ人が関ヶ原の陣営図みて西軍が勝つと言ったとかの話自体が最近(合理的に)怪しいということになってるらしい
真田丸の関ヶ原のナレーションで終わり!は凄いインパクトでした。
実際そんな感じだったのでしょうか?
あれ程の大群が集まると、誰が誰やら何が何やら分からなくなりそうな。
東軍が勝ったってどういう風に分かったのかしら?
石田三成麾下の島左近軍が強くて単独で前に出過ぎた。それを発見した井伊直政、関ヶ原の起伏を利用し、隠れながら島左近軍の側面に出て、側面から一斉射撃。島左近軍は慌てて撤収。と、NHKのブラタモリの関ヶ原の回で放送していたので、そのシーンを見たかったな~!(^^)!
ブラタモリで地形を上手く利用したと解説見ました。
関ヶ原にも以前行きました😂
本当のことは当事者しかわからない。
でも,1600年に歴史が大きく変わったんですね😊
毛利輝元も上杉景勝も大幅減封を喰らっても家名は存続できた。これは大老を1~2万石程度に叩き落としたり、高野山追放したりするのはハレーションが大きすぎると家康さんは手控えたのですかねぇ❓宇喜田秀家さんの八丈島遠島は本戦参加だから仕方ないか😅でも同じ本戦参加でも島津氏は結果的に大した処分は無し・・・この辺りまた解説リクエストさせてください😃ちなみに松尾山城跡に一度踏破したことがあります。臨時の野戦築城の域を超えた巧みな構造と規模でした。かなり事前に用意していないと・・・問鉄砲~仮にあっても、戦場の喧騒に紛れて、しかも至近距離からとはさすがにイカないので大した切迫感は無いのでは❓が個人の感想でした。
今回の「どうする家康」の小早川勢が大谷吉継の陣地に攻撃を仕掛ける場面で、「葵徳川三代」で使っていた映像が使いまわしされていた箇所があったような気がしますが・・・
他チャンネルにて、同様のご指摘コメントがありました。見返すとたしかに挿入されていますね!多数の騎馬兵が疾走するシーンでしたね😄数秒だから気づきにくい・・・だけど長すぎても差し障りがある?みたいな😁
宮本武蔵が関ヶ原で初陣を飾ったという話もあやしくなってきましたからね。何が起こるかわからない。
子どもにサンタさんいないよっていう並みに悲しい、家康のいない関ヶ原設。
「どうする〜」は、歴史研究の新説を取り入れて問鉄砲がない描写になってましたけど、軍記物とはいえずっと信じられた場面だし、ないとちょっと拍子抜けな感じがしますし、フィクションと割り切ってもいい気がしますね〜
徳川のつくった神話が崩れてきたってことですね。かしまし歴史チャンネル、応援しています♪❤
いつも楽しみに拝見させて頂いております。
ほかの方も聞いてらっしゃいましたが、阿茶局についてです。
彼女の立ち位置が今一つ掴めずにいます。
今回の、茶々に合うシーンは何か意味があったのでしょうか?
今後の布石なのかしら?
それと、三河家臣団が「とうとう天下をお取りなさった」と
言っていましたが、関ケ原で勝利して、天下を取ったと思えるものだったのか
ちょっと疑問に思いましたが、当時はそんな意識だったのでしょうか?
今回の大河でも「問鉄砲」あったじゃないですかー
姉川の戦いで「織田を裏切って浅井に着くか?」迷う家康くんに対し、信長さんが鉄砲撃つように秀吉さんに指示してましたよね😆
それを見て関ケ原では撃たないんだな…と予想してました。
実際に実験してる番組を見たことありますが、松尾山の麓から撃っても微かに聞こえる程度なので、戦いの最中じゃ聞こえない可能性高いですよね。
あと戦場で「自分の判断で動くから指図無用」と動かなかった島津義弘軍も、実は西軍にとっての予備軍だったので動けなかった説や、有名な中央突破「島津の退き口」なんてなく、普通に退却した説もあるみたいですね。
あれ?井伊直政…
姉川の信長さんの問鉄砲が伏線になるのかと思ってましたが違いましたね~w
家康さんの履物がミッキーみたいだったのがちょっと気になりました
葵徳川三代で津川家康が被って以来、その後の大河ドラマの関ヶ原ではあの兜が大活躍です(他の武将の兜も同じく)w
「鉄砲を撃ちかけられたらもう家康につけないと思うはずなのに、世の中は自分の分からない理屈で回っている」とずっと諦観してました。
なかったということになってちょっとすっきりしました。
今回の関ヶ原の戦いで、小早川秀秋が寝返った時は、自ら進んで寝返ってましたね
今回の小早川秀秋は、なんだかシュッとしていました😄❗
家康が大垣城を攻めなかったのは、長篠の戦いを応用したとも言われていますね💨
歴史はどんどん新しい説がでて来て、本当におもしろいです😆
アップデートしていかないと、おいていかれちゃう
ε=┌(;・∀・)┘ボケ防止に成って良いかな💖
最近では松尾山には堅固な砦が作られていて其処に小早川が入城してしまった事が原因とも云われていますね。
毛利家は勇気がなかった
個人的には、姉川の戦で砲弾後ろから、砲弾を撃ち込まれたので、甥っ子の小早川秀秋へ、大砲うちこんで、どうする秀秋をしてほしかった。😮
お便り合戦で負けた果てが斬首ってのも、それはそれで嫌だなあ。
質問です 泉 秀樹の番組で
家康軍はウイリアムアダムスの船に積んで あったガルバリンルバリン砲を使い
その使い方や戦略に詳しいウイリアムアダムス自身を指揮官に して
その おかげで東軍は勝てた………みたいな事を言ってたんですけど
その話は無かったのでしょうか………?
答えは追って沙汰するで!w
楽しみに待っております@@kashimashi_rekishi_ch
毛利公って江戸時代になってからも
代々の藩主の新年の挨拶が
家老が今年は江戸を攻めますか?って言って
藩主が、いやまだ時期尚早であるってのが挨拶だったんでしょう
結局は長州藩として幕府を倒してるし
ヤル気満々の毛利輝元と
補佐役の石田治部ってのは納得がいく
今後のドラマ描写として『コテコテの講談調で関ケ原を描いたのち「ぜんぶ逃亡中の治部の夢でした」オチでもって実際の戦闘経緯を全て曖昧にしちゃうお作法』が流行る。史実はいつだって闇の中。
一次資料も比較すると辻褄が合わないところがあり、何が本当か分かりませんね。
家康が佐和山城を攻めようとして三成が関ケ原へって話も、そんなことしたら三成が追いかけ大津城攻めの西軍と合流したら家康は挟み撃ちじゃんって話になるし。
ただ、西軍を追いかけて東軍が関ケ原に入ってきたのには三成も愕然としたでしょうね、
南宮山に毛利がいるからそうやすやすと東軍が入ってこれるわけがないと普通は思いますね。小早川秀秋も東軍には内通はしていたが、最終的な決め手となったのは毛利が動かなかったことだと思います。
質問です。
大垣城に石田三成がいて、徳川家康が大垣城をほっておいて関ケ原に向かった後に、三成が関ケ原に向かったと思いますが、
家康より大阪よりに陣を置くことが出来たのは、回り道をして向かったのでしょうか?
家康と同じルートだと途中で戦闘になる気がしますが。。。
豊臣恩顧と言っても,北政所が事実上育ての母.
北政所が徳川方に就いていたら,寝返りはほぼ考え難い.
小早川秀秋にとって北政所は血縁のある叔母ちゃん.その北政所から家康に就けと密命があったら...
英雄たちの選択でも『小早川秀秋は裏切ったわけじゃない!元々徳川方だった』と言ってましたね.
小早川秀秋のイメージとはまた違った印象のキャラクター像で
情けない気の小さいイメージだったので
裏切り者って確かにこういう切れ者な方が様になるなと思って
けっこう驚きました
え?家康公関ヶ原欠席してたかもって?もし本当なら本人欠席、嫡男遅刻してるし完全に徳川家戦力を温存して漁夫の利じゃないですか😅
今回家康さんが全く絡んでなかったからかもしれませんが、西軍後続隊の到着が遅れる原因となった大津城の戦いが完全にスルーされていて笑いました。三成が「こちらは10万」って自信満々に言ってましたが、うち1万5000の軍が足止め食らってるの知らなかったのかしら…と思いながら見ていました。実際どうだったのか、ご存知でしたら教えて頂けますと幸いです。
余談ですが、茶々さまとお江さんの姉妹であるお初さんの登場を密かに期待していたのですが、いなくてちょっと凹みました。やっぱり尺の都合でしょうか😢
でも戦後処理の場としてしっかり大津城だけは出てきたので、まあいい…いや寧ろ出すならナレーションでいいから京極高次の話して欲しかったです!!!
関ヶ原の戦いの朝、霧が出てたのは記録が残っているのでしょうか? 単純に朝日が眩しくて西軍が目眩ましに合って、東軍に有利だったとかは無いのかな? と、地図を見て思ってしまいました。😅
吉川広家が、戦始まる前からお弁当食べててわろたw
おはようございます。
小早川秀秋の陣羽織は他の人と比べて朱一色で目立つに、後ろの模様が鎌がクロスしている特徴的なデザインですが、あれは秀秋さんのオリジナルの陣羽織なのですか?
「葵三代」の時の秀秋さんも同じような陣羽織だったので(TH-camで見返しました)気になりました。
本人が桐紋から違い鎌紋に変えたんですよ~w
@@kashimashi_rekishi_ch おお!お返事ありがとうございます😊
そうなんですね〜。本人のこだわりがあったのですね。
小早川のお散歩って動画でしたことあったっけ?
勝てば官軍って歴史修正なんて普通にやってるはずなのに、あの程度の改変しか出来なかったとすれば、以外にしょぼかったってのも解る気がしますね
本作では杭瀬川の戦いが扱われなかったのですが、こちらも何か異説があるのでしょうか?
島左近の活躍見たかったなーと思ってたので、ちょっと残念w
軽い前哨戦だから残念だけど仕方ないですね😅尺の計算で一話で仕上げる為に、新説も取り入れるがカット・スルーの部分も幾つかあり、杭瀬川もその一つ・・・三成さんが伊吹山中で腹壊して潜伏中のエピも無かった😁
@@ケンケン-g8g コメントありがとうございます。やっぱり尺都合ですかねえー。本戦に時間使いたいでしょうし。与次郎大夫(でしたっけ)のエピソードは、尺都合やフィクションぽいからカットかなとも思いましたが、家康との対決のためにもカットされたのかなーと思ったりしました
与次郎太夫~知りませんでしたが、ググってみて⇒あった!あった!そのシーン!納得でした。ありがとうございます!島左近は関ケ原では自陣より大筒を放って東軍を苦しめる!がお馴染みですが、今回は無い替わりに⇒伏見城での左近さん自らの携行で大鉄砲(おおでっぽう)発射!がありましたね!2~3秒ですので収まるのも容易😁制作もそれなりに苦労して~ですかね。
関ヶ原の戦いがもし無いとしたら、葵徳川三代のあの物凄い人数と馬の大合戦も無いって事になるんですよね😭
折角お金掛けて作ったのに〜
解説のように、小早川が早々に裏切っていたなら、たった1日で決着つくのも納得ですね。多分その方が真実なんでしょうね。敗者を持ち上げることで、勝者である自分たちが偉業を成し遂げたかのように語ることができますからね。
ここ最近、パソコンの調子が悪く、あまり触らない方が良いかと恐る恐るいじっていましたので、コメントもなるべく控えておりましたが、さきほど完全に治りました。良かったです。
今回の動画、2回通り見させてもらいました!新説盛りだくさんで一度では理解できませんでした😂12月になったらみーちゃんを連れて関ヶ原記念館に行こうと思っていたのに、みーちゃんが本格的に歴史を学ぶ頃には新説が取り上げられるようになるかもですね!これは、みーちゃんを応援する会のかしましの3人には、その都度新説を更新していっていただかなくてはいけなくなりました〜😂何卒、よろしくお願いいたします🙇
ドラマの関ヶ原を見て、みーちゃんは戦いはいけない😢と泣きました。みーちゃんのお父さんがこうなったらみーちゃんは嫌だって!5歳児!色々感じてます!!
関ヶ原のお勉強したお金、返してほしいけど、新説も知りたいからまた買ってしまいそうですし、戦いはしないほうがいいですし、そしてきりゅうさんの暴走は楽しいです❗
きりゅうさんの細かい妄想の関ヶ原の戦いをじっくり聞きたいです❗
阿茶の局とねねの所在について質問です。
最初に阿茶の局が北政所に、かくまってもらったというようなことを言っていました。
関ヶ原より前に家康は大阪城西の丸に入っていたから、阿茶の局も大阪城西の丸にいたわけですよね。
そしてその頃北政所は長く住んだ大阪城西の丸を出て京都新城にいた。
戦いが起こることになり、阿茶の局は西の丸を脱出して京都にいる北政所のところに身を寄せたのでしょうか?
それとも、北政所がいるところを責める者はいない、ということで、阿茶を守るために北政所が大阪城西の丸に一時的に戻ったのでしょうか。
茶々が「帰り道を気をつけろ」などと物騒な言葉を餞別にしていることから京都かなと思う反面、茶々がいる大阪城本丸から西の丸への移動だからこそ、茶々の息のかかった侍女や武士、役人、下男などがわんさかいるとも考えられるので。
今の時代のスピード感で当時の事を想像するとどんどん違う方へ行ってしまう気がします。
スマホやネットなどの情報源がないしお手紙だって墨を擦ってから筆で書くので書くこと自体時間かかるし、移動も徒歩か馬で郵便物は車や飛行機で届くわけではないので一瞬で戦が終わるという説は無理があるというものです。
まあ、きりゅうさんがおっしゃる様に妄想は自由ですけども。
戦国時代には全く興味がなかったのですが、このチャンネルを見出してから興味が湧いてきました
初心者の質問ですが、前から、秀忠だけ徳川将軍の中で名前が浮いている感じがします
時代から秀吉に忠義を持っていますよというのを表していたのかなと思うのですが、亡くなって以降に(豊臣が滅亡して以降に)改名などしなかったのはなんででしょうか?
家なんちゃらにしても良かったと思うのですが😅
神君様も関ヶ原に居なかったとなると秀忠を責められませんね(笑)
真田も大いに悩んだ「関ヶ原の戦い」。
歴史に詳しいキリュウさんが「関ヶ原の戦い」にもし参陣するなら、東軍と西軍どっちに付きますか?
たぶん庶民だろうから戦わないw
@@kashimashi_rekishi_ch
なるほど😄
真田は、家康から秀忠への手紙を奪い取って、秀忠の遅刻が確定すると、わざわざ手紙を秀忠に渡るようにし、自分は落とされないようにした!
なんかXではネタにされてることの多い今回の金吾ですが、猛将と言われる一面もあるので
ならあれはあれで有りかと思いました
本多忠勝の兜の前立てがトナカイの角?なんだか可愛いと思ってしまう。すいません。
小早川に攻め込まれた大谷刑部が叫んだ言葉は何でしょう? 何度聞き直してもわかりませんでした。
いろいろお話しを聞いてると、この戦いで命を落とすのはもったいない様に思えますよね。殆どが消極的だったんじゃないかなと思います。
質問があります。ドラマでは三成さんの=「痰の毒(肝臓に悪い?腹が冷える?)になるから」と干し柿を断る有名エピはカットされていましたが、一方できりゅうサンは三成さんの好物だから、大谷吉継が土産に持ってきたとドラマに描いたんだ!食べなかったのは処刑前の逸話に擬えた感じ・・・と仰っていましたけど、うまく私の中で繋がりません💦干し柿エピは創作かもしれませんが~食べ過ぎはよくないかもしれませんけど、現代感覚では干し柿、体に良さそうだけど❓好物だったなどの史料はあるのでしょうか❓私の勘違い&既出なら申し訳ございません。
歴史好きから言わせてもらうと物足りなかったですね〜😩
新説「小早川秀秋の問鉄砲はなかった⁉️」
姉川の戦いでは信長がモタモタしている味方に鉄砲撃ちかけて
「もう関ヶ原の戦いのフラグやん😁」
って思ってて必ず回想シーンで出てくるなと思ってたのになかった🤯
小早川秀秋
今までは優柔不断で家康の問鉄砲でやっと腰を挙げたというのが定説でしたがなんと狡猾に演出されてて斬新でした
私も姉川は関ケ原の伏線だと思ってました! 違いましたね~。
実はこの動画で流れているきりゅうさんも、らっとさんも、くうさんも実在しない架空の人物の可能性も………
えええ? 本人も知らない事実?? あ、スーパーサンクスありがとうございますw
改めて家康さんがすごいと感じたことは 関ヶ原しながら
吉川 小早川を裏切らせて
関係のある毛利を淀殿が疑い
秀頼出陣を考えさせたとかんじました
そもそも、西軍の方が全体の兵力は多く、総大将の毛利は大阪にいた状態で、それぞれ東軍の各領地を攻めに行ってた、いわゆる長期戦の構え。そんな兵力分散のところに、三成が関ヶ原でキャッチアップされて、討ち取られた遭遇戦。兵力に劣る徳川の一点突破短期決戦がはまった形やね。
服部く〜蔵
大河で小早川秀明といえば、過去二回演じた浅利陽介さんのキョドった小早川秀明のイメージが強いんですが、今回は強気の秀明でしたね。
秀明は関ヶ原の後、気が〇ったと言われているけど、あれも本当は内部のクーデターだったのを、松平信康や豊臣秀次みたいに庭で毎夜庶民を〇していたとか、わざと本人を貶める悪いイメージを付けられていたのでしょうか?
秀吉死後から思った以上に家康でキマリが共通認識でしたよ...てのがあまりにも身も蓋も無いといいますか。w
天下分け目というより常識派による反乱鎮圧じゃね?と思ったりもします。
スケール的に全然ブレとらんかった東軍に対し、じわじわ残念感深まる西軍が吊り合わなくなってるんだよなぁ...。