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曹操の墓が発見されたときは感激したぜひ全容を解明して発表してほしい
一番謎なのは劉備軍全体だと思うよ...資料が少ないし、ずっと放浪していたのに主人公の一人になれた劉備軍本当に謎すぎてやばい
正史でも演義に負けないくらい合肥で無双する張遼が好き
実際は演義以上
山田?
遼来来!
@@カロセン棒らつあき本人は、高齢なのに大人げないことしちゃった!と言っていたとか何とか。守将の李典、楽進、張遼の3人が仲悪かったけど、個人の都合と公務は別の話だ!と協力した話とかも好きです。魏って、その辺もしっかりしていたのも強さの秘密なんだろうなって。あと、劉馥の様な行政官が武官に尊敬されていたり。
正史と演技で齟齬一覧表作って欲しい
「赤壁の戦い」は元末の反乱期に頭角を現してきた後の明の洪武帝【朱元璋】vs反乱群雄の一人だった【陳友諒】の間で起こった『鄱陽湖の戦い』に似過ぎているのよね。細かい所まで全てとは言わんけど。そもそも三国志演義自体も正史や裴松之の注などが長い間をかけて伝わって来ていたものを元代に刊本『三国志平話』としてまとめられ、その後色んな脚色をつけて明代にやっと出来上がったものではあるがその最終編集者とも言える【羅貫中】は、ちょうど元末から明初にかけて活躍した作家なのできっと『鄱陽湖の戦い』を参考に「赤壁の戦い」は書かれたんじゃないかって話は昔からあったなあ。だから「赤壁の戦い」は本当にあったのか?あったのならどんな規模でどんな戦いだったかの子細は分からないのよねw【羅貫中】自身も結構謎の人物やしなあ。
曹操は魏王として丞相までであり、荀彧と同じく漢王朝の臣で終わった。曹操の心を知っていたのは荀彧だけだったんじゃないかなぁ
@@tanteino01 漢王朝の曹操、魏王朝の司馬懿、豊臣政権の家康。皆、其々の政権の柱石として頑張っていただけなんだと思うんだよなぁ。前漢の霍光との違いは、子孫がやっちゃったからってだけではないかと。賈充?お前は簒奪できなかったくせにやらかしたから最低だ。
横山光輝三国志では官職を剥がれた司馬懿の復帰を提言した以外あまり活躍していなかった鐘繇が有能だったことに驚きました。馬超に長安取られたのに曹叡の代で出世してるから失態を覆うくらいの有能だったということかな。新しい発見が尽きなくて面白いですね。
鍾繇の息子が、鄧艾と蜀を滅ぼす鍾会。
魏の中でもかなり上の方の有能人間だぞ。目立った活躍だけが有能な訳ではないのだ……
鍾繇は有能だけでなく書の達人としても有名なのでこの時代の人で稀有な広辞苑に載ってる人😅 あと実際には馬超に長安陥されてないけどね😅
まぁ昔は人づての話でも書物に残れば事実扱いだからなぁ
やっぱ荀彧の芋づる推挙がおいしすぎるな
引用してるのは「キングダム」ではなく「蒼天航路」では?
作品によって独自解釈があるのも面白い映画レッドクリフでは曹操が疫病にかかった兵士を小舟に乗せ、呉に送り付けて兵力を削ごうとしてたうまなみ三国志では劉備が民を引き連れて逃げた時は、実は余裕を思って逃げれると計算していたけど曹操が追手に強行軍させてまでも追撃を命じたから追いつかれた、とか「どれが正しい」よりも「解釈、見方でそう見える」というのが面白いですね
昔なんかの本か記事で読んだけど曹叡は曹操や曹丕と比べて身長が大柄で袁家の血筋の人間と特徴が重なる部分があるということから袁煕の子だったという話…読んだ当時ははぇ~ってなんか感心した記憶があります
演義の作者の羅漢中も謎だらけだからなあ。羅漢中というのも個人名ではなくサークル名だったのではという説もあるそうで。
世に溢れていた三国志関連の草話をまとめて、桃園の誓いから司馬炎の堕落まで書ききった上、面白かったので残ったのでしょうね。羅漢中を名乗る人物は鄱陽湖の戦いの従軍者の可能性が高く、易も記述があることから劉基の事績を知る人物のようですが。
連環の計は策と策を組み合わせることを指すもので船を繋げる計略を指すわけではない…
王允が連環の計をうっている。赤壁のは連環金鎖の計。
うーん、趙雲が取り残された劉禅を救出したことは史実だよね。張飛が単騎で曹操の進軍を止めたことも。それから史実では龐統は周瑜の統治領域の監察官であり周瑜が最も信頼していた幕僚だったから赤壁の戦いの周瑜の策謀に一役買っている可能性は充分ある。
実は、取り残された母親も連れて脱出しているのが正史。甘婦人と阿斗ちゃん二人まとめて連れ帰りました。
張飛が単騎で敵前に構えていたが左右伏兵が居ました。
「三国志演義」はそりゃあ「演技」って言う位なんだから盛り上がるように演技入れてるよね
中華史上最大級の英雄、朱元璋の伸るか反るかの大勝負だからね、羅漢中の書いた演技のモデルは。鄱陽湖の戦い。
元々実在の名前を使ったフィクション小説ですからね^_^
京劇とか講談の目的は歴史的考察ではなく、役者に演技をさせて教訓を学ばせる事だから、偽物とか言ってる人も同レベルっていうか…
演義とは義を演(ひろ)める=広める・述べる・説くという意味です。この場合の義とは義理人情の義ではなく、物事の意義や解釈といった意味です。(例:五経正義=五経の正統な解釈 など)これが転じて後代に歴史白話小説を指すようになりました。演技(技を行う)と通じるのは日本語としての語感だけですねー
@@水前-j3hフィクション小説と言っても7割くらいは史実なんですけれどね…w
赤壁の戦いに関しては当時画期的だった屯田制と収穫量に則りその年の戦の範囲を決める曹操が無理に南征を継続した謎なんて説もありますね。(ホントに喬姉妹ゲットの為なら笑えるが、実に曹操らしくもある)確かに荊州を獲った時点で無理に攻めなくても江陵、武陵、零陵、合肥といった要所を抑えておけば呉は長江を超えられないし、劉備も蜀の地を得る事もなかったろうしな~
古代は略奪したり供出させたりしつつ進軍していたわけで、いかな曹操軍及び魏軍でも、その年毎の予算+現地調達が実際の限界点のはずです(それが苦心しまくったのが漢中攻めですね、毎度ボヤキや現地の人が出してくれたとかわざわざ書かれるくらいですし)逆に荊州征伐に関しては曹操に想定以上の事が起きてます侵攻開始直後に劉表が倒れ、結果的に曹操側も荊州側も物資をゴッソリ抱えたまま戦いもなく降伏しちゃったわけでこの結果、遠征可能な距離が伸びちゃったのではないかなとまぁ焼かれたわけですが
曹操の勝利後、冀州では袁家の統治を懐かしみ、また異民族も反発して良く反乱がおきた。みたいなことがあったと思うので、豫州は良くても冀州等の新しい占領地では苛政を敷いていた可能性もありますね。冀州の負担減らしには荊州の収穫が、荊州の負担減らしには揚州の収穫が必要だったのかも。新しい占領地に厳しくするのは乱世の倣いだし、冀州が安定するのは業βに本拠地移した後だから。
最大の謎はいつも兵数を盛りすぎている為実際の数が全く分からないという事
興味深いですぅ!「蒼天航路」がきっかけで、「三国志」にハマりました!
興味があると言えば、董卓-韓遂-馬超の涼州ラインの闇かなぁ。董卓の娘と馬超の妻の件とか。
30年程前、孫権が開戦を決意した時に切り落とした机の切れ端が中国で売っていたという話がありましたね。当時は中国で三国志の話をしても関羽くらいしか知らなかったようで、日本でブームになって逆輸入のような形で観光地が出来たようです。
文化大革命でめちゃくちゃになったし、頭が良い人ほど狙われて亡くなったからね。
「頼朝公5歳のみぎりのしゃれこうべ」的なww
WW2後に日本人が海外旅行する余裕が出来始めた頃、中国は農地改革(大失敗)で余裕無くしてその後の復活の兆しで共産ながらに資本主義にも目覚めての観光地設置の流れにも一致した様です。
龐会が関羽の子孫根絶やしにするの中国人っぽくて好き。
焚書しまくっとるしなぁ....新たな竹簡が見つからないと無理やろね。
わかります。ほんと。
こればっかりは地面を掘るしか…
荀彧は息子の荀顗が編纂した魏書を参項にした三国志にわざわざ最期を詮索されるような書き方をされた時点で自然死じゃないと思っています。荀顗が真実でもないのに父親の名誉を汚しかねない記述を書き記すとは儒教的にも考えられません
荀彧の曾孫に当たる少女、荀灌の活躍もいつか触れてくれたら嬉しいですね。(五胡十六国時代だから難しいか)
三国志演義は正史と異なる脚色部分がかなりあるけども、歴史に興味を持たせるという意味では最高の歴史書になってるね日本では横山光輝と三国志演義が無かったらコーエーの成功と今の三国志人気も無かった気がするw
??横山三国志は吉川三国志がベースであって三国志演義がベースじゃないネットに転がる情報やコメントを見るに、三国志演義をちゃんと読んでる人は多いとも思えないコーエー三国志と横山三国志とのシナジーはあって、1作目発売時には横山三国志連載中で、タイトルを重ねる事に発行部数も飛躍的に伸びているが、三国志演義は別に発行部数を増やしているわけではないたぶん、日本人の三国志のベースはコーエー三国志であって、そこに付随して漫画の三国志がおり、それらを参照したと言えないから、「演義では~」とか「正史では~」と言ってるだけで、それらからの孫引きで語ってる人が多いと思うんだが
私は最初の取っ掛かりは横山光輝三国志だけど一番すきなのは、羅漢中の三国志演義の訳本が好きだな。読み過ぎてボロボロになっては新しい本買ってたくらい好きだった。
日本人の本来の三国志は吉川英治。若い世代が横山三国志や光栄(現コーエーテクモ)の三国志や三国無双。ちなみに自分は三国志一作目をPCでやっていて横山三国志を読んではいたが若い世代ではない。(うちには吉川英治全集がありそれを読んでいたし、親の世代も吉川三国志)
@@ユウジノモト コーエーがなかったら若い世代は春秋戦国時代の方が有名だったかもね
陳寿自体が260年以降に書き始めてるから190-210年頃の話はかなり怪しい
荀彧は「曹操から官位を受けず漢の臣として~」、夏侯惇も同様に「漢の臣だったから受けなかった」と考える方が自然なのになぜか「曹操と仲良しすぎて曹操が手下としたくなかったから~」って、同じ環境なのに違う事を言うのって伝聞っぽくて面白いよね
赤壁の戦いは夷陵や官途と違って名のある武将が戦死したということもない曹操が敗れたといっても小規模or限定的な損害でしかなく、演義のような派手な戦ではないだろうと思うまあそうは言っても結果として曹操及び魏が中華統一できなかったから歴史的意義が大きかったのも確か
逃げる時に曹操様危ないで地味に何人も死にまくってるから限定的なら打ち取られかけたりはしないかと
伝染病が流行って撤退したからね
曹操側の被害は併合した荊州軍が大半で、元からの曹操軍への被害はほぼ無かったようですね。そうでないと翌年の合肥出征ができないかと。
長江以南の荊州を失っているから限定的な損害では無かっただろうな。
赤壁に関する正史の記述のうち、注に引いてる江表伝は孫呉を持ち上げている描写がかなり多いのでここは相当に差っ引いて考えたほうがよさそうなンですよねぇ。盛ってるだけで事実関係のでっち上げまではしていないと思いたいとこですけど。
やっぱ横山光輝だなぁ
三国志の作者といえば陳寿が有名だし、劉宋の時代では裴松之が面白く書いたけど、其れでも謎な所が多いのよね!😅
陳寿は司馬遷の様な儒学に偏った記述はせずに、言動のみを簡潔に記したので歴史書としては素晴らしいらしいけど、面白くないらしい。同年代の史官が同じ様に史書編纂したけど、陳寿のを見て恥ずかしくなって破棄したらしい。裴松之達は味気ない正史に味付けした感じでしょうね。確か、陳寿は司馬炎に請われて三国志に記載されていない枝葉の話を司馬炎に語り、司馬炎は「私の補佐が諸葛亮なら、こんな苦労は無かっただろうに」と愚痴ったらしい。神算鬼謀の軍師としてではなく、滅私奉公の名宰相として。
諸説あり、は歴史のお約束
三国志の謎。劉備の母親の名前。仮にも蜀漢初代皇帝の母親なのに名前すら伝わらないことには違和感を禁じ得ない。まあ、漢王朝創始者の劉邦にいたっては母親だけでなく父親の名前も不明だけど・・・
劉邦はクソ田舎だから名前なんて必要なかったからしゃーない現に劉邦の邦だって兄貴っていうあだ名みたいなもんだし
赤壁で曹操軍が負けたのは確かなんだろうけど、夷陵みたいに有名な将が亡くなったとかは聞かない。どれくらいの損害で負けたのか結局よくわからん。
疫病が撤退の主因と言われている。
戦いで死んだ数より疫病で死んだ数の方が多いみたいだよ。同じ中国でもバカでかいから、北と南で気候が全く違ったんだと思う。
早々に退場した武将が後世において英雄視されなかったってのは往々にしてある事だと思う。
レッドクリフは色々酷かったですね。対岸が近すぎて、どうしてそんな大船団がいるのってw 長江が淀川ぐらいになってて。
甘寧死ぬ時点でおかしい( ᐛ )
横山三国志で一番の謎は、「刑道栄を捕らえました」。劉備「斬れ」。これだと思う。慈悲深いと言われる劉備なのになぜ?
そこだけ正史に寄せたんやろ
横山光輝三国志、iBookで出てたら全巻買うのになぁ。いつなくなるかわからない怪しい電子書籍でしか販売してない
このくらいのフワフワな感じがファンを魅了する部分なのもしれませんね。正史もホントかどうかってところから始まってるので致し方ないのかと思います。
正史は魏・呉・蜀の史官がそれぞれの朝廷で記録したものを陳寿が枝葉を取っ払って簡潔に編纂したもの。1次資料を尊重しているので、魏書、呉書、蜀書で食い違いがあっても、それはしょうがない。
中国では「こうあって欲しい」→「こうあるべき」→「こうに違いない」と歴史が書き換えられてる。面白いフィクションと捉えて楽しんでます。
@@井上まき-m8i 史官とは蔡邕の様に気骨の士もいるので、一概にそうとは言い切れないのですが・・・最初の遷ちゃんが天道是か非かとか、儒に染まってるからなぁ。右府様居たら「是非には及ばず」って切り捨ててくれたんだろうけど(笑)
@@井上まき-m8i中国に限らず、日本もその他の国も同じ。
素寒貧の語源と言われている石徳林について解説してもらえたら嬉しいです
今の中国国内で同じ中国人同士でも言葉の壁があるのに、当時出身地バラバラの武将達が言葉通じたのが謎。
雰囲気?
一応、秦の全国統一で中原の言葉が一種の公用語みたいになってたという説を聞いたことがある。あと中国語の方言格差が広がってくのはむしろ隋・唐代以降だという説もあったような・・・
漢(劉邦〜劉秀(後漢)〜)は儒教が基本的な教養になっていたので知識人は、そんな感じの教育は受けていたらしい。漢の間の王莽も漢より儒教教育に力を入れていた模様。
豫州の頴川閥等の土地に縛られたグループが出来たのは、言葉の問題も大きいようです。大体、正式な漢字辞典である説文解字が編纂してから100年程度しか経っていないのが三国時代、青銅器などに刻む隷書から筆で記す草書への変化が三国時代の鍾繇の功績が大きいので、文書での奏上もどんな文が書かれたのやら。ただ、光武帝劉秀が赤眉の乱以前に洛陽で学を修めていることから、貴族や士大夫、名士層では公用語とも言うべき洛陽語があったのではと思います。・・・前漢の都は長安なので、光武帝が洛陽で学を修めたという話もちょっと疑問が残るのですが。劉備の蜀陣営で荊州閥と益州閥の対立があったのも、言葉の違い=概念の違いがあったのではないかと思っています。
そもそも赤壁がどこなのかが謎…現在、赤壁の古戦場とされている土地はいくつかあって、どこなのかがわかっていない
かなり昔だけど、崖にデカデカと「赤壁」とペンキで書かれた写真を見たことがある。子供心に「うわー台無しじゃん」と思ったのを覚えてる。
ほんとです。本場中国の赤壁を尋ねに行きたいけどどこにあるか分からないですよね。
@@tigerii5946 Cのセンスは本当に俗悪よなあ
今の定説だと決戦地は烏林で定着してたような
@@マイケル-h7 あらまあ!そうなると、赤壁ではなく鳥林になってしまうんですね
レッドクリフも、ある意味フィクションが70%ですね
ただでさえ脚色部分が多い演義をベースに新たに脚色してるからね
中村演じた甘寧が甘興になっているし。甘寧の字(興覇)っぽくしたんだろうけど。
@@MyForestStudio ほんとです。史実だと錯覚しないように!ですね
よく曹操が漢の逆臣扱いされるけど寧ろ疑心に走りすぎて自らの右腕を切り捨てようとしてた献帝サイドにも問題がある
自分が浮かぶ謎といえば、孫権だけが異様な風体をしていたことかな?
NHK人形劇三国志が演義で、他は三国志は吉川英治のものが多い。
人形劇三國志は、すごく面白かった。懐かしいですね、つべに終わりのうたがあって、たまに聴きます
@@mtype1255 島田紳助さんの引退理由が暴力団絡みだったので地上波での再放送が出来ないおしい作品ですね。人間国宝川本喜八郎の人形は秀逸でした。
シンシンとロンロンは全然出世しなかったけど中々波乱万丈な人生を送ったよね。
@@omi03watanabe 孫尚香相手の稽古で舐めてかかってぶちのめされるシーンが好き。
読み切り三国志が自分が三国志にのめり込むきっかけだったのですが、いろいろ読んでいるうちに好きになった賈クさんが、実は登場していなかったことにビックリ!
史記からインスピレーションを受けた小説とも言われてますからね
正史というと正しそうだけど、裴松之の注は結構怪しい荀彧は相当贔屓されてる
やっぱり三国志はイイね。三つの国で一つにできないけどどんだけ領土広がる?と。蜀はやっぱり劉備さんが蜀を作り諸葛孔明さんが領土広げる
赤壁の戦いは何故、曹操は黄蓋の苦肉の策を見破れなかったのだろう。
味方が疫病で苦しんでいてそんな余裕なかったのかも
外様の呉の名家と孫堅譜代の間で不穏な空気が流れていたのは曹操軍もキャッチしてたのだろう、当時の呉はそれぞれの思惑が強すぎて決して一枚岩じゃなかったそこを敢えて利用した孫堅譜代の黄蓋と呉の盟主周瑜がタッグ組んだ見事な策だと思う
もし偽りの降伏だとしても、疫病の蔓延と遠征軍ゆえの兵糧不足で早期に決着をつける必要があり、尚且つ勝つ算段があったのでは。全ては東南の風が吹いた事が予想外。
今多くの三国志ファンが認識している赤壁の戦いの経緯の多くがフィクションに塗れている以上、東南の風云々とか真面目に考察しようとしているのを見かけるとなんだかなぁと思ってしまう😅
@@shimazutaichi3403 そもそも黄蓋って、赤壁では便所に落ちてやけどしてたんじゃなかったっけ?
問題はエンギの方を史実としてしまって崇拝してる人がいる事だなw西遊記の登場人物を語るのに近いのにw
諸葛亮ファンがまさにそれ。
我が国の、「忠臣蔵」みたいなもんかな。「変えて」「盛って、盛って」、とにかくウケりゃ何でもOK。
誰か「恋姫無双で三国志に入った人達を救いたい」って動画あげてくれ
赤壁の戦いは実際にはしょぼい戦いと聴いたことがあります。😅前半のハイライトなのに残念。😂
三国志自体何もかも謎
何度見てもこの机の端をちょこっと切る微妙なショボさが好きw
なかなか通ですな(笑)
アニメだと一刀両断でした。ナイスアニオリ!(≧∇≦)b
@@dyna-pon ナイスなのはあえて豪快に斬らず申し訳程度に斬ることで孫権の心の迷いを上手く表現した横山氏だと思いますよ
この話が好きなら陳舜臣の三国志関連著書をお勧めします。
注約、元の文献を元に解釈、弥助問題でナガマキを与えられたを、ナガマキの太刀を与えられた、だから弥助は武士階級に取り立てられたに違いない、と連呼していた人がいる位に歪めている可能性のあるモノ
個人的に解せないのは、徐州討伐はいいとして、間に入った田氏を孟徳さんが殺したのか…あとよく言われるけどやっぱり龐統さんの流れ矢、は分からんなぁ…
小説「三国志演義」を参考にしちゃだめでしょう。
赤壁の戦いは近代史の観点で見れば第二次世界大戦のガダルカナル戦orインパール作戦に近かったのではないかと考えますね。地理不安・疫病・水軍練度・補給線・士気低下等の内的要因と馬超が長安進攻を行う可能性等を総合的に判断して最小限の損害で曹操が手を引いたと見るべきではないかと。荊州水軍が想定以上に弱兵で長江は防衛に徹するのみで進攻の余地は無いとの判断もあったのでは🤔
戦後に割りとあっさり荊州失陥を許してるあたり被害はでかかったのでは?
@@太古の壺 曹仁を守将に一定の兵力を与えれば大丈夫だと考えていたのでは?と。ただ北方からの精鋭を余り残せずに荊州兵主体となったでしょうから練度の面で指揮に齟齬を生じたであろう事と残党と見ていた劉備軍と向こうにも進攻の余力は余り無いと考えていた孫権軍が思いの外ガッツリと進攻してきた事で守りには耐え得るとの目論見が崩れたのではないかと考えますね。
三国志演義の赤壁自体が明王朝成立過程の鄱陽湖の戦いが元ネタとかありますし。
それは恐らくちがいます三国志演義には先行テキストたる三国志平話があります平話はその表紙のど真ん中に「至治新刊」とデカデカと書かれています。至治は元号で、用いられたのは1321−23。鄱陽湖の戦いよりも40年も早く刊行されていますそしてその鄱陽湖の戦い以前に成立している平話で黄蓋の苦肉の計も、蔣某が周瑜口説くのも、手のひらに火と書くのも、孔明が東南の風吹かすのも、黄蓋が火船で突撃して曹操の船団を焼き払うのも、逃げる曹操が関羽に見逃されるのも全部あるんですつまり鄱陽湖の戦いが影響を与える余地はないものと思われます。
@@卯金刀-n1q なるほど、勉強になります
@@卯金刀-n1qじゃあ、それは誤った情報だったんですね。納得しました
@@正太郎-i3qそもそも演義は嘘だらけだから問題無い。
すごく平和で勉強になるコメ欄
「三国志」最大の謎は関羽や趙雲に殺されても生き返った張郃というゾンビ
吉川英治「三国志」最大の謎ですわな笑
銀河英雄伝説にも出てますが、戦死するのは一度だけ。
でんぐん ではなく しんがり ね ⇒殿軍
軍事や外交に長けていた龐統が蜀の総司令官なっていたら魏を攻略出来た⁉️
三国志大好き😍でも中国人も韓国人も三国志を知らない
噂だと確かに
友人が大学で中国人留学生に「中国では関羽や趙雲って人気があるの?」って聞いたら「ゲームのキャラでしょ?若い人しか知らないよ」って返答されて愕然とした、って言ってた。
@@yos0914 関帝廟すらも知らないと言われたら衝撃的ですね
黒龍江省出身の知り合いは徐晃が好きだと言ってたな。用意周到なところが光ってると。逆に福建省出身の知り合いは余り良く判らんと言ってたな
三国志を知らないというか、当然キャラは知ってるのよね。孔明・関羽・曹操その他。あと有名なエピソードとか。でも三国志全体を通史として押さえてるかって言うのは別。そのキャラや話が、三国志というモノに属してると意識してない場合がある。また大変人気のあった韓国ドラマ「ロマンス」でも、3人兄弟に、グァヌ(関羽)・チャンビ(張飛)・コンミョン(孔明)と名付けた設定あったから、キャラには馴染みがあるんだと思う。そして中国には三国志以外に魅力的な時代やキャラがいっぱいあるから。最近は段々そうなりつつあるけど、日本人もそろそろ三国志オンリーから、脱却していくべきだと思ってるわよ。
悪来典韋は本当に盾を持って戦っていたのだろうか?
闇は闇のままで良い。が、曹操の子作り術は知りたいかもしれん。
火計なんてほぼ創作だと思うよ。少しでも離れていたら火なんて燃えうつらないし、そもそも温度が上がらないと木もなかなか燃えない。撤退時に拿捕されないように船を燃やして撤退したのを勝手に火計と祭り上げただけだと思う。
正史は魏演義演義は蜀演義
火浦功という小説家が、光栄の三国志のオリジナル武将で『大〇唇』『小〇唇』という双子の姉妹を出そうとして下品すぎてやめたという。
懐かしいね火浦功(笑。
Why did Mitsuhide kill Nobunaga?
家臣を連れて逃げるは理解できるけど、「農民を連れて」に疑問を持っていた。曹操にしても農民は必要だし、搾取しても殺しはしない。何で逃げるの?
徐州大虐殺の影響ではないでしょうか?規模感は不明ですが、動機自体は明確なので恨みもなく同様のことを起こすことはないとは思いますが正史にも記載がある出来事で193年と時期も記録されています。当時、孔明はおそらく生まれ故郷の徐州に住む12歳くらいの少年であったので徐州に住んでいた当事者と考えられます、そのため曹操が支配する地域で虐殺を行う可能性があり、自身も被害地域の住民だったということを農民らに説いたとしても流れとしては不自然ではないと思います。こういった考えから農民も付き従ったのかな?程度の考察です。一応正史でも十数万の民との逃避行と伝えられてはいるものの住民がゾロゾロと付き従ったっていうのはあまりにも不自然なので劉備に人望があり情に厚いっていう人物像を形成するため蜀に仕えていた陳寿の脚色が含まれている可能性が大いにあるとは個人的に思います。
勉強になりました。ありがとう。
実在したかどうかすら怪しい人物ではあるが、三国志の序盤を彩る謎の女性「貂蝉」。実在しないとしたら、貂蝉のモデルになった人はいたのか?はたまた実在したのか?演義では結構盛られてる?可能性も?
実在はしないがモデルとなった人はいた史書にも名前載らない女性だけど呂布と密通して董卓と不和になったのは本当
史実の方だと呂布のお気に入りの侍女を関羽が妻にしたとか昔読んだ。
とにかく後の西晋~五胡十六国~南北朝~隋唐でかなり資料失せてるから仕方ない
甘夫人はどういう馴れ初めで出会って結婚していつ居なくなったのか、色んな本やドラマとか見たけど全く解らない。正室ですよね?
闇すぎだろうか…? 昔のことなんだしきちんと記録も残ってないんだから闇な部分が多いのは当たり前、この動画で書かれてることはちっとも闇すぎではない。
郭嘉と司馬懿ならどちら優秀⁉️
羅貫中の三国演義、あくまでは小説、正史と全然違う。例えば、関羽温酒斬華雄とか、関羽過五関斬六将とか、全部でだらめ。三国演義の中、こういう完全に虚構の設定は、少なくでも100個以上。後、諸葛亮有名な「隆中対」、「後出師表」も贋作。
20万人ぐらい集めた戦闘部隊の大半を嬲り殺しにされて残ったのは兵站を担当する農民兵80万人だから数年間再起不能になるのは分かるんだけどなんでそんなに死亡したのかに対する疑念は強い
諸葛亮も李平赦し後釜すれば良かったのに!陸遜に太刀打ち出来たのに😥
まぁ1800年前の話しだしね。
今なら判る嘘と盛りすぎていいカッコしたいが只の内戦どれだけ盛るんや半値八掛五割引昔も今も全く変わらんどれだけ時間が流れても土人やな
吉川三国志でうっかり3回死んだ武将がいる謎。謎でもなんでもないけど
日本の報道で何度も爆沈させられた空母エンタープライズとアメリカの報道で沈められた存在しない超弩級戦艦BAIKA、まともな報道機関があってこれだから1800年も前の資料を使わされた吉川先生も大変だわ
趙雲を活躍させるとロクな事にならない。。
ガンダムseedのニコルなんて3回じゃすまないぞ
張郃ですね?わかります!
男塾の富樫源次みたいなもんだと思えば…笑
I have no idea how I ended up here, I have no idea what this is or what is happening, I understand nothing, all hail TH-cam recommendations
郭図!!うむ!
歴史書と思うからいかん。演義は歴史小説と時代小説のハイブリッドだし近いと思われる正史も全部正確かといえば否。ただの読み物と思えば窮屈に考えないでいい。
歴史とは何か?
時系列って劉表が死ぬ→跡目争いに乗じて曹操が南下→荊州を制圧→孫呉に降伏勧告するも受け入れられず→赤壁の戦いであってるよね?劉表死去 建安13年8月(208年10月)赤壁の戦い 208年 年末さすがに早すぎない?
@@ならにぱんま 旧暦だと曹操南下開始 建安13年7月劉表死去 建安13年8月劉琮降伏 建安13年9月赤壁の戦い 建安13年冬なので展開早過ぎだが変ではないような😅例えば後世の太平洋戦争で真珠湾攻撃(1941年12月8日)からミッドウェー海戦(1942年6月5〜7日)まで半年も無くその間に大日本帝国軍は南方作戦で多大な地域に侵攻しているのに比べたら、より狭い地域の荊州の赤壁で対峙して戦役するには充分な時間あるような😅
中華人民共和国も中華民国も古代支那地域に無いから中国古典って表現も闇なんだけど。
ミてるって?
三国志演義の赤壁の戦いは、朱元璋の“鄱陽湖の戦い”が元になってるって話だからね。
雑魚が雑魚過ぎるし武将がモンスター過ぎる三国志。wあの中国ですから尾びれ背びれどころではなく公式の歴史書すら一切信用できない。w孫悟空と並んでよく出来た話で面白い物語だとは思う。w
そりゃまぁ三大奇書とか言われたり四大奇書とか言われたりするから。西遊記三国志水滸伝(+金瓶梅)全部歴史小説か歴史伝奇小説。
曹操軍、荊州制圧の余勢をかって後に攻めようとしたけど疫病で撤退それを呉が何箇所かで追撃してちょっとした勝利を得たこんなあたりなんやろなあ
ちょっとした戦いだったのになぜ荊州とられたのっては思うけどね。
みんなわからん。税率も兵制も人口もよくわからん。みんな矛盾だらけ
赤壁は、たしか同じ年ぐらいに違う方面で曹操が大規模な軍事行動してなかったかなあ、うろ覚えだけど
合肥方面でも動いていたはず。と言うか、長江攻める場合は襄陽ー江陵と合肥の二方面の攻略(牽制で抑えることも含めて)はどの時代でも基本みたいですね。
昔、孔明の弟子 姜維って日本人が物語を彩るために脚色した架空のキャラクターだったのだけど最近、史実の人物になっている闇。
いや、史実でも居るでしょ。剣閣での鐘会との会話「遅いやないか」「思ったより早いんやけど」も正史準拠だよね?
@@清一色-u9t 少なくとも40年前は、孔明のラストがあまりにも希望がないので小説などで創られた架空の人物だったはずなのですが、実在するということになってますね。不思議だ(笑)
きちんと正史にも記載がある人物なのだが……まぁ活躍が盛られているというのはあるけど、それ言い出したらキリないし。
信じられるかい!?荀彧は決戦IIでは女になってるんだよ...しかも声は島本須美さん...なんだかわけわからん。光栄の制作事情は
許チョとかもそうでしたね。于禁は…うん。発想が突飛すぎましたね
于禁は40年ぐらい前のアニメで既に女だった記憶が、そして曹操は金髪
@@清一色-u9t ありましたね!それ覚えてます
三国志自体、小説だろう。三国志に謎があるのは当たり前だと思うが。
日本の戦国史もかなりの謎が多いですしね、日本の戦国史ですらそうなんだから、それより千年以上過去の事柄なんて謎で当然だし中国は日本より地域差が大きいから現代の日本人がアレコレ考えても無駄だと思う
アカシックレコードの記録で三国志関連の記録を見ると時代の流れは大体合ってるけど細かい事はちょくちょく違ってたりするんだよねぇ赤壁の戦いについては赤壁は地名ではなく3者以上で領地争いをしていて明確に誰の土地か定まってない地域を指してる感じかなレッドオーシャンと言い換えるとわかりやすいかもしれない演義に出てる赤壁のエピソードは三国志の時代やなくて更に昔の故事から来てるけど文献に残ってないからわからないのも仕方ないかな荀イクイクの話は空の器に頭を入れて寄越せという感じ荀イクイクはある陰謀に誘われたみたいでそれは断ったんやけどそれが曹操にバレてしまったんやね記録を探してるけど首謀者が誰かハッキリしないから今の時点では何とも言えないけど荀イクイクは自分の所で捜査を止める為にそうしたという可能性が高いかな
横山三国志が正史
吉川英治三国志が日本人には正解。横山の元ネタが吉川三国志だからね。(吉川は袁紹一族が滅ぶところもきちんと書いているが、横山はココをすっ飛ばしたから横山三国志ファンはこの部分の知識が薄い)
アニメだと1話使って官渡の戦いを描いてて、まさにナイスアニオリでした。
そもそも演技って小説なので…
曹操の墓が発見されたときは感激した
ぜひ全容を解明して発表してほしい
一番謎なのは劉備軍全体だと思うよ...資料が少ないし、ずっと放浪していたのに主人公の一人になれた劉備軍本当に謎すぎてやばい
正史でも演義に負けないくらい合肥で無双する張遼が好き
実際は演義以上
山田?
遼来来!
@@カロセン棒らつあき
本人は、高齢なのに大人げないことしちゃった!
と言っていたとか何とか。
守将の李典、楽進、張遼の3人が仲悪かったけど、個人の都合と公務は別の話だ!と協力した話とかも好きです。魏って、その辺もしっかりしていたのも強さの秘密なんだろうなって。
あと、劉馥の様な行政官が武官に尊敬されていたり。
正史と演技で齟齬一覧表作って欲しい
「赤壁の戦い」は元末の反乱期に頭角を現してきた後の明の洪武帝【朱元璋】vs反乱群雄の一人だった【陳友諒】の間で起こった『鄱陽湖の戦い』に似過ぎているのよね。細かい所まで全てとは言わんけど。
そもそも三国志演義自体も正史や裴松之の注などが長い間をかけて伝わって来ていたものを元代に刊本『三国志平話』としてまとめられ、
その後色んな脚色をつけて明代にやっと出来上がったものではあるがその最終編集者とも言える【羅貫中】は、
ちょうど元末から明初にかけて活躍した作家なのできっと『鄱陽湖の戦い』を参考に「赤壁の戦い」は書かれたんじゃないかって話は昔からあったなあ。
だから「赤壁の戦い」は本当にあったのか?あったのならどんな規模でどんな戦いだったかの子細は分からないのよねw
【羅貫中】自身も結構謎の人物やしなあ。
曹操は魏王として丞相までであり、荀彧と同じく漢王朝の臣で終わった。
曹操の心を知っていたのは荀彧だけだったんじゃないかなぁ
@@tanteino01
漢王朝の曹操、魏王朝の司馬懿、豊臣政権の家康。皆、其々の政権の柱石として頑張っていただけなんだと思うんだよなぁ。前漢の霍光との違いは、子孫がやっちゃったからってだけではないかと。
賈充?お前は簒奪できなかったくせにやらかしたから最低だ。
横山光輝三国志では官職を剥がれた司馬懿の復帰を提言した以外あまり活躍していなかった鐘繇が有能だったことに驚きました。馬超に長安取られたのに曹叡の代で出世してるから失態を覆うくらいの有能だったということかな。新しい発見が尽きなくて面白いですね。
鍾繇の息子が、鄧艾と蜀を滅ぼす鍾会。
魏の中でもかなり上の方の有能人間だぞ。目立った活躍だけが有能な訳ではないのだ……
鍾繇は有能だけでなく書の達人としても有名なのでこの時代の人で稀有な広辞苑に載ってる人😅 あと実際には馬超に長安陥されてないけどね😅
まぁ昔は人づての話でも書物に残れば事実扱いだからなぁ
やっぱ荀彧の芋づる推挙がおいしすぎるな
引用してるのは「キングダム」ではなく「蒼天航路」では?
作品によって独自解釈があるのも面白い
映画レッドクリフでは曹操が疫病にかかった兵士を小舟に乗せ、呉に送り付けて兵力を削ごうとしてた
うまなみ三国志では劉備が民を引き連れて逃げた時は、実は余裕を思って逃げれると計算していたけど
曹操が追手に強行軍させてまでも追撃を命じたから追いつかれた、とか
「どれが正しい」よりも「解釈、見方でそう見える」というのが面白いですね
昔なんかの本か記事で読んだけど曹叡は曹操や曹丕と比べて身長が大柄で袁家の血筋の人間と特徴が重なる部分があるということから袁煕の子だったという話…読んだ当時ははぇ~ってなんか感心した記憶があります
演義の作者の羅漢中も謎だらけだからなあ。
羅漢中というのも個人名ではなくサークル名だったのではという説もあるそうで。
世に溢れていた三国志関連の草話をまとめて、桃園の誓いから司馬炎の堕落まで書ききった上、面白かったので残ったのでしょうね。
羅漢中を名乗る人物は鄱陽湖の戦いの従軍者の可能性が高く、易も記述があることから劉基の事績を知る人物のようですが。
連環の計は策と策を組み合わせることを指すもので船を繋げる計略を指すわけではない…
王允が連環の計をうっている。
赤壁のは連環金鎖の計。
うーん、趙雲が取り残された劉禅を救出したことは史実だよね。張飛が単騎で曹操の進軍を止めたことも。
それから史実では龐統は周瑜の統治領域の監察官であり周瑜が最も信頼していた幕僚だったから赤壁の戦いの周瑜の策謀に一役買っている可能性は充分ある。
実は、取り残された母親も連れて脱出しているのが正史。
甘婦人と阿斗ちゃん二人まとめて連れ帰りました。
張飛が単騎で敵前に構えていたが左右伏兵が居ました。
「三国志演義」はそりゃあ「演技」って言う位なんだから盛り上がるように演技入れてるよね
中華史上最大級の英雄、朱元璋の伸るか反るかの大勝負だからね、羅漢中の書いた演技のモデルは。
鄱陽湖の戦い。
元々実在の名前を使ったフィクション小説ですからね^_^
京劇とか講談の目的は歴史的考察ではなく、役者に演技をさせて教訓を学ばせる事だから、偽物とか言ってる人も同レベルっていうか…
演義とは義を演(ひろ)める=広める・述べる・説くという意味です。
この場合の義とは義理人情の義ではなく、物事の意義や解釈といった意味です。(例:五経正義=五経の正統な解釈 など)
これが転じて後代に歴史白話小説を指すようになりました。演技(技を行う)と通じるのは日本語としての語感だけですねー
@@水前-j3hフィクション小説と言っても7割くらいは史実なんですけれどね…w
赤壁の戦いに関しては当時画期的だった屯田制と収穫量に則りその年の戦の範囲を決める曹操が無理に南征を継続した謎
なんて説もありますね。(ホントに喬姉妹ゲットの為なら笑えるが、実に曹操らしくもある)
確かに荊州を獲った時点で無理に攻めなくても江陵、武陵、零陵、合肥といった要所を抑えておけば呉は長江を超えられないし、
劉備も蜀の地を得る事もなかったろうしな~
古代は略奪したり供出させたりしつつ進軍していたわけで、いかな曹操軍及び魏軍でも、その年毎の予算+現地調達が実際の限界点のはずです(それが苦心しまくったのが漢中攻めですね、毎度ボヤキや現地の人が出してくれたとかわざわざ書かれるくらいですし)
逆に荊州征伐に関しては曹操に想定以上の事が起きてます
侵攻開始直後に劉表が倒れ、結果的に曹操側も荊州側も物資をゴッソリ抱えたまま戦いもなく降伏しちゃったわけで
この結果、遠征可能な距離が伸びちゃったのではないかなと
まぁ焼かれたわけですが
曹操の勝利後、冀州では袁家の統治を懐かしみ、また異民族も反発して良く反乱がおきた。みたいなことがあったと思うので、豫州は良くても冀州等の新しい占領地では苛政を敷いていた可能性もありますね。冀州の負担減らしには荊州の収穫が、荊州の負担減らしには揚州の収穫が必要だったのかも。
新しい占領地に厳しくするのは乱世の倣いだし、冀州が安定するのは業βに本拠地移した後だから。
最大の謎はいつも兵数を盛りすぎている為実際の数が全く分からないという事
興味深いですぅ!
「蒼天航路」がきっかけで、「三国志」にハマりました!
興味があると言えば、董卓-韓遂-馬超の涼州ラインの闇かなぁ。董卓の娘と馬超の妻の件とか。
30年程前、孫権が開戦を決意した時に切り落とした机の切れ端が中国で売っていたという話がありましたね。
当時は中国で三国志の話をしても関羽くらいしか知らなかったようで、
日本でブームになって逆輸入のような形で観光地が出来たようです。
文化大革命でめちゃくちゃになったし、頭が良い人ほど狙われて亡くなったからね。
「頼朝公5歳のみぎりのしゃれこうべ」的なww
WW2後に日本人が海外旅行する余裕が出来始めた頃、
中国は農地改革(大失敗)で余裕無くしてその後の復活の兆しで
共産ながらに資本主義にも目覚めての観光地設置の流れにも一致した様です。
龐会が関羽の子孫根絶やしにするの中国人っぽくて好き。
焚書しまくっとるしなぁ....新たな竹簡が見つからないと無理やろね。
わかります。ほんと。
こればっかりは地面を掘るしか…
荀彧は息子の荀顗が編纂した魏書を参項にした三国志にわざわざ最期を詮索されるような書き方をされた時点で自然死じゃないと思っています。
荀顗が真実でもないのに父親の名誉を汚しかねない記述を書き記すとは儒教的にも考えられません
荀彧の曾孫に当たる少女、荀灌の活躍もいつか触れてくれたら嬉しいですね。(五胡十六国時代だから難しいか)
三国志演義は正史と異なる脚色部分がかなりあるけども、歴史に興味を持たせるという意味では最高の歴史書になってるね
日本では横山光輝と三国志演義が無かったらコーエーの成功と今の三国志人気も無かった気がするw
??
横山三国志は吉川三国志がベースであって三国志演義がベースじゃない
ネットに転がる情報やコメントを見るに、三国志演義をちゃんと読んでる人は多いとも思えない
コーエー三国志と横山三国志とのシナジーはあって、1作目発売時には横山三国志連載中で、タイトルを重ねる事に発行部数も飛躍的に伸びているが、三国志演義は別に発行部数を増やしているわけではない
たぶん、日本人の三国志のベースはコーエー三国志であって、そこに付随して漫画の三国志がおり、それらを参照したと言えないから、「演義では~」とか「正史では~」と言ってるだけで、それらからの孫引きで語ってる人が多いと思うんだが
私は最初の取っ掛かりは横山光輝三国志だけど一番すきなのは、羅漢中の三国志演義の訳本が好きだな。
読み過ぎてボロボロになっては新しい本買ってたくらい好きだった。
日本人の本来の三国志は吉川英治。
若い世代が横山三国志や光栄(現コーエーテクモ)の三国志や三国無双。
ちなみに自分は三国志一作目をPCでやっていて横山三国志を読んではいたが若い世代ではない。
(うちには吉川英治全集がありそれを読んでいたし、親の世代も吉川三国志)
@@ユウジノモト コーエーがなかったら若い世代は春秋戦国時代の方が有名だったかもね
陳寿自体が260年以降に書き始めてるから190-210年頃の話はかなり怪しい
荀彧は「曹操から官位を受けず漢の臣として~」、
夏侯惇も同様に「漢の臣だったから受けなかった」と考える方が自然なのになぜか「曹操と仲良しすぎて曹操が手下としたくなかったから~」って、
同じ環境なのに違う事を言うのって伝聞っぽくて面白いよね
赤壁の戦いは夷陵や官途と違って名のある武将が戦死したということもない
曹操が敗れたといっても小規模or限定的な損害でしかなく、演義のような派手な戦ではないだろうと思う
まあそうは言っても結果として曹操及び魏が中華統一できなかったから歴史的意義が大きかったのも確か
逃げる時に曹操様危ないで地味に何人も死にまくってるから
限定的なら打ち取られかけたりはしないかと
伝染病が流行って撤退したからね
曹操側の被害は併合した荊州軍が大半で、元からの曹操軍への被害はほぼ無かったようですね。そうでないと翌年の合肥出征ができないかと。
長江以南の荊州を失っているから限定的な損害では無かっただろうな。
赤壁に関する正史の記述のうち、注に引いてる江表伝は孫呉を持ち上げている描写がかなり多いのでここは相当に差っ引いて考えたほうがよさそうなンですよねぇ。
盛ってるだけで事実関係のでっち上げまではしていないと思いたいとこですけど。
やっぱ横山光輝だなぁ
三国志の作者といえば陳寿が有名だし、劉宋の時代では裴松之が面白く書いたけど、其れでも謎な所が多いのよね!😅
陳寿は司馬遷の様な儒学に偏った記述はせずに、言動のみを簡潔に記したので歴史書としては素晴らしいらしいけど、面白くないらしい。
同年代の史官が同じ様に史書編纂したけど、陳寿のを見て恥ずかしくなって破棄したらしい。
裴松之達は味気ない正史に味付けした感じでしょうね。
確か、陳寿は司馬炎に請われて三国志に記載されていない枝葉の話を司馬炎に語り、司馬炎は「私の補佐が諸葛亮なら、こんな苦労は無かっただろうに」と愚痴ったらしい。
神算鬼謀の軍師としてではなく、滅私奉公の名宰相として。
諸説あり、は歴史のお約束
三国志の謎。劉備の母親の名前。仮にも蜀漢初代皇帝の母親なのに名前すら伝わらないことには違和感を禁じ得ない。まあ、漢王朝創始者の劉邦にいたっては母親だけでなく父親の名前も不明だけど・・・
劉邦はクソ田舎だから名前なんて必要なかったからしゃーない
現に劉邦の邦だって兄貴っていうあだ名みたいなもんだし
赤壁で曹操軍が負けたのは確かなんだろうけど、夷陵みたいに有名な将が亡くなったとかは聞かない。どれくらいの損害で負けたのか結局よくわからん。
疫病が撤退の主因と言われている。
戦いで死んだ数より疫病で死んだ数の方が多いみたいだよ。同じ中国でもバカでかいから、北と南で気候が全く違ったんだと思う。
早々に退場した武将が後世において英雄視されなかったってのは往々にしてある事だと思う。
レッドクリフは色々酷かったですね。対岸が近すぎて、どうしてそんな大船団がいるのってw 長江が淀川ぐらいになってて。
甘寧死ぬ時点でおかしい( ᐛ )
横山三国志で一番の謎は、「刑道栄を捕らえました」。劉備「斬れ」。これだと思う。慈悲深いと言われる劉備なのになぜ?
そこだけ正史に寄せたんやろ
横山光輝三国志、iBookで出てたら全巻買うのになぁ。
いつなくなるかわからない怪しい電子書籍でしか販売してない
このくらいのフワフワな感じがファンを魅了する部分なのもしれませんね。
正史もホントかどうかってところから始まってるので致し方ないのかと思います。
正史は魏・呉・蜀の史官がそれぞれの朝廷で記録したものを陳寿が枝葉を取っ払って簡潔に編纂したもの。1次資料を尊重しているので、魏書、呉書、蜀書で食い違いがあっても、それはしょうがない。
中国では「こうあって欲しい」→「こうあるべき」→「こうに違いない」と歴史が書き換えられてる。
面白いフィクションと捉えて楽しんでます。
@@井上まき-m8i
史官とは蔡邕の様に気骨の士もいるので、一概にそうとは言い切れないのですが・・・最初の遷ちゃんが天道是か非かとか、儒に染まってるからなぁ。右府様居たら「是非には及ばず」って切り捨ててくれたんだろうけど(笑)
@@井上まき-m8i中国に限らず、日本もその他の国も同じ。
素寒貧の語源と言われている石徳林について解説してもらえたら嬉しいです
今の中国国内で同じ中国人同士でも言葉の壁があるのに、当時出身地バラバラの武将達が言葉通じたのが謎。
雰囲気?
一応、秦の全国統一で中原の言葉が一種の公用語みたいになってたという説を聞いたことがある。
あと中国語の方言格差が広がってくのはむしろ隋・唐代以降だという説もあったような・・・
漢(劉邦〜劉秀(後漢)〜)は儒教が基本的な教養になっていたので知識人は、そんな感じの教育は受けていたらしい。
漢の間の王莽も漢より儒教教育に力を入れていた模様。
豫州の頴川閥等の土地に縛られたグループが出来たのは、言葉の問題も大きいようです。
大体、正式な漢字辞典である説文解字が編纂してから100年程度しか経っていないのが三国時代、青銅器などに刻む隷書から筆で記す草書への変化が三国時代の鍾繇の功績が大きいので、文書での奏上もどんな文が書かれたのやら。
ただ、光武帝劉秀が赤眉の乱以前に洛陽で学を修めていることから、貴族や士大夫、名士層では公用語とも言うべき洛陽語があったのではと思います。・・・前漢の都は長安なので、光武帝が洛陽で学を修めたという話もちょっと疑問が残るのですが。
劉備の蜀陣営で荊州閥と益州閥の対立があったのも、言葉の違い=概念の違いがあったのではないかと思っています。
そもそも赤壁がどこなのかが謎…現在、赤壁の古戦場とされている土地はいくつかあって、どこなのかがわかっていない
かなり昔だけど、崖にデカデカと「赤壁」とペンキで書かれた写真を見たことがある。
子供心に「うわー台無しじゃん」と思ったのを覚えてる。
ほんとです。本場中国の赤壁を尋ねに行きたいけどどこにあるか分からないですよね。
@@tigerii5946 Cのセンスは本当に俗悪よなあ
今の定説だと決戦地は烏林で定着してたような
@@マイケル-h7 あらまあ!そうなると、赤壁ではなく
鳥林になってしまうんですね
レッドクリフも、ある意味フィクションが70%ですね
ただでさえ脚色部分が多い演義をベースに新たに脚色してるからね
中村演じた甘寧が甘興になっているし。
甘寧の字(興覇)っぽくしたんだろうけど。
@@MyForestStudio ほんとです。史実だと錯覚しないように!ですね
よく曹操が漢の逆臣扱いされるけど寧ろ疑心に走りすぎて自らの右腕を切り捨てようとしてた献帝サイドにも問題がある
自分が浮かぶ謎といえば、孫権だけが異様な風体をしていたことかな?
NHK人形劇三国志が演義で、他は三国志は吉川英治のものが多い。
人形劇三國志は、すごく面白かった。懐かしいですね、つべに終わりのうたがあって、たまに聴きます
@@mtype1255 島田紳助さんの引退理由が暴力団絡みだったので地上波での再放送が出来ないおしい作品ですね。人間国宝川本喜八郎の人形は秀逸でした。
シンシンとロンロンは全然出世しなかったけど中々波乱万丈な人生を送ったよね。
@@omi03watanabe 孫尚香相手の稽古で舐めてかかってぶちのめされるシーンが好き。
読み切り三国志が自分が三国志にのめり込むきっかけだったのですが、いろいろ読んでいるうちに好きになった賈クさんが、実は登場していなかったことにビックリ!
史記からインスピレーションを受けた小説とも言われてますからね
正史というと正しそうだけど、裴松之の注は結構怪しい
荀彧は相当贔屓されてる
やっぱり三国志はイイね。
三つの国で一つにできないけどどんだけ領土広がる?と。蜀はやっぱり劉備さんが蜀を作り諸葛孔明さんが領土広げる
赤壁の戦いは何故、曹操は黄蓋の苦肉の策を見破れなかったのだろう。
味方が疫病で苦しんでいてそんな余裕なかったのかも
外様の呉の名家と孫堅譜代の間で不穏な空気が流れていたのは曹操軍もキャッチしてたのだろう、当時の呉はそれぞれの思惑が強すぎて決して一枚岩じゃなかった
そこを敢えて利用した孫堅譜代の黄蓋と呉の盟主周瑜がタッグ組んだ見事な策だと思う
もし偽りの降伏だとしても、疫病の蔓延と遠征軍ゆえの兵糧不足で早期に決着をつける必要があり、尚且つ勝つ算段があったのでは。
全ては東南の風が吹いた事が予想外。
今多くの三国志ファンが認識している赤壁の戦いの経緯の多くがフィクションに塗れている以上、東南の風云々とか真面目に考察しようとしているのを見かけるとなんだかなぁと思ってしまう😅
@@shimazutaichi3403
そもそも黄蓋って、赤壁では便所に落ちてやけどしてたんじゃなかったっけ?
問題はエンギの方を史実としてしまって崇拝してる人がいる事だなw
西遊記の登場人物を語るのに近いのにw
諸葛亮ファンがまさにそれ。
我が国の、「忠臣蔵」みたいなもんかな。
「変えて」「盛って、盛って」、とにかくウケりゃ何でもOK。
誰か「恋姫無双で三国志に入った人達を救いたい」って動画あげてくれ
赤壁の戦いは実際にはしょぼい戦いと聴いたことがあります。😅前半のハイライトなのに残念。😂
三国志自体何もかも謎
何度見てもこの机の端をちょこっと切る微妙なショボさが好きw
なかなか通ですな(笑)
アニメだと一刀両断でした。ナイスアニオリ!(≧∇≦)b
@@dyna-pon ナイスなのはあえて豪快に斬らず申し訳程度に斬ることで孫権の心の迷いを上手く表現した横山氏だと思いますよ
この話が好きなら陳舜臣の三国志関連著書をお勧めします。
注約、元の文献を元に解釈、弥助問題でナガマキを与えられたを、ナガマキの太刀を与えられた、だから弥助は武士階級に取り立てられたに違いない、と連呼していた人がいる位に歪めている可能性のあるモノ
個人的に解せないのは、徐州討伐はいいとして、間に入った田氏を孟徳さんが殺したのか…あとよく言われるけどやっぱり龐統さんの流れ矢、は分からんなぁ…
小説「三国志演義」を参考にしちゃだめでしょう。
赤壁の戦いは近代史の観点で見れば第二次世界大戦のガダルカナル戦orインパール作戦に近かったのではないかと考えますね。
地理不安・疫病・水軍練度・補給線・士気低下等の内的要因と馬超が長安進攻を行う可能性等を総合的に判断して最小限の損害で曹操が手を引いたと見るべきではないかと。
荊州水軍が想定以上に弱兵で長江は防衛に徹するのみで進攻の余地は無いとの判断もあったのでは🤔
戦後に割りとあっさり荊州失陥を許してるあたり被害はでかかったのでは?
@@太古の壺 曹仁を守将に一定の兵力を与えれば大丈夫だと考えていたのでは?と。
ただ北方からの精鋭を余り残せずに荊州兵主体となったでしょうから練度の面で指揮に齟齬を生じたであろう事と残党と見ていた劉備軍と向こうにも進攻の余力は余り無いと考えていた孫権軍が思いの外ガッツリと進攻してきた事で守りには耐え得るとの目論見が崩れたのではないかと考えますね。
三国志演義の赤壁自体が明王朝成立過程の鄱陽湖の戦いが元ネタとかありますし。
それは恐らくちがいます
三国志演義には先行テキストたる三国志平話があります
平話はその表紙のど真ん中に「至治新刊」とデカデカと書かれています。
至治は元号で、用いられたのは1321−23。鄱陽湖の戦いよりも40年も早く刊行されています
そしてその鄱陽湖の戦い以前に成立している平話で黄蓋の苦肉の計も、蔣某が周瑜口説くのも、手のひらに火と書くのも、孔明が東南の風吹かすのも、黄蓋が火船で突撃して曹操の船団を焼き払うのも、逃げる曹操が関羽に見逃されるのも全部あるんです
つまり鄱陽湖の戦いが影響を与える余地はないものと思われます。
@@卯金刀-n1q なるほど、勉強になります
@@卯金刀-n1qじゃあ、それは誤った情報だったんですね。納得しました
@@正太郎-i3qそもそも演義は嘘だらけだから問題無い。
すごく平和で勉強になるコメ欄
「三国志」最大の謎は関羽や趙雲に殺されても生き返った張郃というゾンビ
吉川英治「三国志」最大の謎ですわな笑
銀河英雄伝説にも出てますが、戦死するのは一度だけ。
でんぐん ではなく しんがり ね ⇒殿軍
軍事や外交に長けていた龐統が蜀の総司令官なっていたら魏を攻略出来た⁉️
三国志大好き😍でも中国人も韓国人も三国志を知らない
噂だと確かに
友人が大学で中国人留学生に「中国では関羽や趙雲って人気があるの?」って聞いたら「ゲームのキャラでしょ?若い人しか知らないよ」って返答されて愕然とした、って言ってた。
@@yos0914 関帝廟すらも知らないと言われたら衝撃的ですね
黒龍江省出身の知り合いは徐晃が好きだと言ってたな。用意周到なところが光ってると。
逆に福建省出身の知り合いは余り良く判らんと言ってたな
三国志を知らないというか、当然キャラは知ってるのよね。孔明・関羽・曹操その他。あと有名なエピソードとか。でも三国志全体を通史として押さえてるかって言うのは別。そのキャラや話が、三国志というモノに属してると意識してない場合がある。また大変人気のあった韓国ドラマ「ロマンス」でも、3人兄弟に、グァヌ(関羽)・チャンビ(張飛)・コンミョン(孔明)と名付けた設定あったから、キャラには馴染みがあるんだと思う。そして中国には三国志以外に魅力的な時代やキャラがいっぱいあるから。最近は段々そうなりつつあるけど、日本人もそろそろ三国志オンリーから、脱却していくべきだと思ってるわよ。
悪来典韋は本当に盾を持って戦っていたのだろうか?
闇は闇のままで良い。が、曹操の子作り術は知りたいかもしれん。
火計なんてほぼ創作だと思うよ。
少しでも離れていたら火なんて燃えうつらないし、そもそも温度が上がらないと木もなかなか燃えない。
撤退時に拿捕されないように船を燃やして撤退したのを勝手に火計と祭り上げただけだと思う。
正史は魏演義
演義は蜀演義
火浦功という小説家が、光栄の三国志のオリジナル武将で『大〇唇』『小〇唇』という双子の姉妹を出そうとして下品すぎてやめたという。
懐かしいね火浦功(笑。
Why did Mitsuhide kill Nobunaga?
家臣を連れて逃げるは理解できるけど、「農民を連れて」に疑問を持っていた。曹操にしても農民は必要だし、搾取しても殺しはしない。何で逃げるの?
徐州大虐殺の影響ではないでしょうか?
規模感は不明ですが、動機自体は明確なので
恨みもなく同様のことを起こすことはないとは思いますが
正史にも記載がある出来事で193年と時期も記録されています。
当時、孔明はおそらく生まれ故郷の徐州に住む12歳くらいの少年であったので徐州に住んでいた当事者と考えられます、
そのため曹操が支配する地域で虐殺を行う可能性があり、自身も被害地域の住民だったということを農民らに説いたとしても流れとしては不自然ではないと思います。
こういった考えから農民も付き従ったのかな?程度の考察です。
一応正史でも十数万の民との逃避行と伝えられてはいるものの
住民がゾロゾロと付き従ったっていうのはあまりにも不自然なので劉備に人望があり情に厚いっていう人物像を形成するため蜀に仕えていた陳寿の脚色が含まれている可能性が大いにあるとは個人的に思います。
勉強になりました。ありがとう。
実在したかどうかすら怪しい人物ではあるが、三国志の序盤を彩る謎の女性「貂蝉」。実在しないとしたら、貂蝉のモデルになった人はいたのか?はたまた実在したのか?演義では結構盛られてる?可能性も?
実在はしないがモデルとなった人はいた
史書にも名前載らない女性だけど呂布と密通して董卓と不和になったのは本当
史実の方だと呂布のお気に入りの侍女を関羽が妻にしたとか昔読んだ。
とにかく後の西晋~五胡十六国~南北朝~隋唐でかなり資料失せてるから仕方ない
甘夫人はどういう馴れ初めで出会って結婚していつ居なくなったのか、色んな本やドラマとか見たけど全く解らない。
正室ですよね?
闇すぎだろうか…? 昔のことなんだしきちんと記録も残ってないんだから闇な部分が多いのは当たり前、この動画で書かれてることはちっとも闇すぎではない。
郭嘉と司馬懿ならどちら優秀⁉️
羅貫中の三国演義、あくまでは小説、正史と全然違う。
例えば、関羽温酒斬華雄とか、関羽過五関斬六将とか、全部でだらめ。三国演義の中、こういう完全に虚構の設定は、少なくでも100個以上。
後、諸葛亮有名な「隆中対」、「後出師表」も贋作。
20万人ぐらい集めた戦闘部隊の大半を嬲り殺しにされて
残ったのは兵站を担当する農民兵80万人だから
数年間再起不能になるのは分かるんだけど
なんでそんなに死亡したのかに対する疑念は強い
諸葛亮も李平赦し後釜すれば良かったのに!陸遜に太刀打ち出来たのに😥
まぁ1800年前の話しだしね。
今なら判る
嘘と盛りすぎて
いいカッコしたいが
只の内戦
どれだけ盛るんや
半値八掛五割引
昔も今も全く変わらんどれだけ時間が流れても土人やな
吉川三国志でうっかり3回死んだ武将がいる謎。謎でもなんでもないけど
日本の報道で何度も爆沈させられた空母エンタープライズとアメリカの報道で沈められた存在しない超弩級戦艦BAIKA、まともな報道機関があってこれだから1800年も前の資料を使わされた吉川先生も大変だわ
趙雲を活躍させるとロクな事にならない。。
ガンダムseedのニコルなんて3回じゃすまないぞ
張郃ですね?わかります!
男塾の富樫源次みたいなもんだと思えば…笑
I have no idea how I ended up here, I have no idea what this is or what is happening, I understand nothing, all hail TH-cam recommendations
郭図!!
うむ!
歴史書と思うからいかん。演義は歴史小説と時代小説のハイブリッドだし近いと思われる正史も全部正確かといえば否。ただの読み物と思えば窮屈に考えないでいい。
歴史とは何か?
時系列って劉表が死ぬ→跡目争いに乗じて曹操が南下→荊州を制圧→孫呉に降伏勧告するも受け入れられず→赤壁の戦い
であってるよね?
劉表死去 建安13年8月(208年10月)
赤壁の戦い 208年 年末
さすがに早すぎない?
@@ならにぱんま 旧暦だと
曹操南下開始 建安13年7月
劉表死去 建安13年8月
劉琮降伏 建安13年9月
赤壁の戦い 建安13年冬
なので展開早過ぎだが変ではないような😅
例えば後世の太平洋戦争で真珠湾攻撃(1941年12月8日)からミッドウェー海戦(1942年6月5〜7日)まで半年も無くその間に大日本帝国軍は南方作戦で多大な地域に侵攻しているのに比べたら、より狭い地域の荊州の赤壁で対峙して戦役するには充分な時間あるような😅
中華人民共和国も中華民国も古代支那地域に無いから中国古典って表現も闇なんだけど。
ミてるって?
三国志演義の赤壁の戦いは、朱元璋の“鄱陽湖の戦い”が元になってるって話だからね。
雑魚が雑魚過ぎるし武将がモンスター過ぎる三国志。w
あの中国ですから尾びれ背びれどころではなく公式の歴史書すら一切信用できない。w
孫悟空と並んでよく出来た話で面白い物語だとは思う。w
そりゃまぁ三大奇書とか言われたり四大奇書とか言われたりするから。
西遊記
三国志
水滸伝
(+金瓶梅)
全部歴史小説か歴史伝奇小説。
曹操軍、荊州制圧の余勢をかって後に攻めようとしたけど疫病で撤退
それを呉が何箇所かで追撃してちょっとした勝利を得た
こんなあたりなんやろなあ
ちょっとした戦いだったのになぜ荊州とられたのっては思うけどね。
みんなわからん。税率も兵制も人口もよくわからん。みんな矛盾だらけ
赤壁は、たしか同じ年ぐらいに違う方面で曹操が大規模な軍事行動してなかったかなあ、うろ覚えだけど
合肥方面でも動いていたはず。
と言うか、長江攻める場合は襄陽ー江陵と合肥の二方面の攻略(牽制で抑えることも含めて)はどの時代でも基本みたいですね。
昔、孔明の弟子 姜維って日本人が物語を彩るために脚色した架空のキャラクターだったのだけど最近、史実の人物になっている闇。
いや、史実でも居るでしょ。
剣閣での鐘会との会話「遅いやないか」「思ったより早いんやけど」も正史準拠だよね?
@@清一色-u9t 少なくとも40年前は、孔明のラストがあまりにも希望がないので小説などで創られた架空の人物だったはずなのですが、実在するということになってますね。不思議だ(笑)
きちんと正史にも記載がある人物なのだが……まぁ活躍が盛られているというのはあるけど、それ言い出したらキリないし。
信じられるかい!?荀彧は決戦IIでは女になってるんだよ...しかも声は島本須美さん...なんだかわけわからん。光栄の制作事情は
許チョとかもそうでしたね。于禁は…うん。発想が突飛すぎましたね
于禁は40年ぐらい前のアニメで既に女だった記憶が、そして曹操は金髪
@@清一色-u9t ありましたね!それ覚えてます
三国志自体、小説だろう。三国志に謎があるのは当たり前だと思うが。
日本の戦国史もかなりの謎が多いですしね、日本の戦国史ですらそうなんだから、それより千年以上過去の事柄なんて謎で当然だし中国は日本より地域差が大きいから現代の日本人がアレコレ考えても無駄だと思う
アカシックレコードの記録で三国志関連の記録を見ると時代の流れは大体合ってるけど細かい事はちょくちょく違ってたりするんだよねぇ
赤壁の戦いについては赤壁は地名ではなく3者以上で領地争いをしていて明確に誰の土地か定まってない地域を指してる感じかな
レッドオーシャンと言い換えるとわかりやすいかもしれない
演義に出てる赤壁のエピソードは三国志の時代やなくて更に昔の故事から来てるけど文献に残ってないからわからないのも仕方ないかな
荀イクイクの話は空の器に頭を入れて寄越せという感じ
荀イクイクはある陰謀に誘われたみたいでそれは断ったんやけどそれが曹操にバレてしまったんやね
記録を探してるけど首謀者が誰かハッキリしないから今の時点では何とも言えないけど荀イクイクは自分の所で捜査を止める為にそうしたという可能性が高いかな
横山三国志が正史
吉川英治三国志が日本人には正解。
横山の元ネタが吉川三国志だからね。
(吉川は袁紹一族が滅ぶところもきちんと書いているが、横山はココをすっ飛ばしたから横山三国志ファンはこの部分の知識が薄い)
アニメだと1話使って官渡の戦いを描いてて、まさにナイスアニオリでした。
そもそも演技って小説なので…