第1108回「禅の暮らし」2024/1/19【毎日の管長日記と呼吸瞑想】| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師
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- เผยแพร่เมื่อ 17 ม.ค. 2024
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■管長日記「禅の暮らし」
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最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
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小川隆先生の『「禅の語録」導読』は、禅の特徴を学ぶのにとても分かりやすく書いてくださっている本です。
この本は、ただいま『中国禅宗史』としてちくま学芸文庫で手に入れることができます。
そのなかにこんな言葉があります。
「禅の性格は矛盾に満ちている。 謹厳と洒脱、 沈黙と哄笑、容赦なき聖性の否定と大らかな現実肯定…、
「禅」とは、と、定義しようとしたとたん、それと相反する表現が禅籍の中から次々と出てきてしまう。
矛盾する両極の緊張の上にこそ、無定形の禅の生命が活きて躍動しているのだと言ってもよい。」
という文章です。
こういう一面こそ禅の大きな特徴であります。
謹厳実直な禅僧もあれば、破天荒な禅僧もいます。
悟りを開いたという禅僧が、必ずしも品行方正ではない場合もあります。
寒い中、平気で仏像を燃したという禅僧もいたほどであります。
こういう行いは、敬虔な仏教徒からは、忌避されるものでありましょう。
悟りの世界は、是非善悪を超越したものでありますから、時に現実の道徳規範にそぐわない場合もあるのだと察せられます。
倫理観とマインドフルネスについて昨日書いたところですが、禅と倫理観というのも興味深い課題であります。
禅では倫理や道徳というものを、善と悪という二項対立の世界であり、低次元のものと見なしている一面もあります。
小川先生は、同じく『「禅の語録」導読』のなかで、禅の特徴について次の三つにまとめてくれています。
「歴史を超え、一切を超越した「禅」そのもの、というのでなく、あくまでも中国の唐宋代に形成された歴史上の禅宗についていうならば、その顕著な特徴として考えられるのは、次の三点である。
(1) 「伝灯」の系譜・・「初祖達摩ー二祖恵可ー三祖僧璨ー四祖道信ー五祖弘忍ー六祖恵能」という伝法の系譜を共通に信奉していること。
(2) 「問答」と「語録」・・師が正解を教えるのでなく、問答を通して修行者自身に悟らせるという手法をとること。その結果、その種のやり取りを記録した膨大な語録群をのこしていること。
(3) 「清規」・・インド以来の戒律のほかに、「清規」という独自の規範をもち、それにもとづく独特の集団的修行生活を営むこと。」
という三つであります。
特に倫理的道徳的な暮らしをすることは、この三番目の清規に基づいた暮らしをすることによって涵養されていくのだと思います。
そして禅が尊敬されて、多くの方の供養をいただくことが出来るのも、この三番目の清規によって、厳格な生活が保たれていることによっているでしょう。
常識にとらわれず、時に常軌を逸した行動をとる禅僧の集団というのだけでは、今日まで伝わっていたかどうか、甚だ疑問に思います。
その清規に基づいた生活が、今も禅の修行道場に伝わっているのは実に貴重なことであります。
百丈禅師が一日作さざれば、一日食らわずという生活をなさって、「彼が禅林清規の開創者であることは中国禅宗史上に忘れることができない」と『禅学大辞典』にも書かれているのであります。
小川先生の『「禅の語録」導読』には、
「実際には百丈が定めた「清規」の条文などは存在せず、明文化された「清規」として禅門で用いられたのは宋の『禅苑清規』や元の『勅修百丈清規』などであった。
しかし、百丈が定めたとされる「清規」の意義については、二十世紀の著名な仏教学者も次のように評価している。
「この方向」とあるのは、この前に述べられている、言葉を介さず瞑想によって直観的に真理を把握する方向のことである。」
として、中村元先生の解説を引用されています。
これは「魚返善雄『禅問答四十八章』の解説にある言葉だそうです。
「これは禅は仏教の修行をこの方向に徹底して行ったが、志を同じくする人々が増えるにつれて、かれらは人里はなれたところで共住するようになった。
放浪者・遍歴者的生活から集団的定住生活への転換は、第四祖道信(五八〇―六五一)の頃にすでに起こっている。
ところで人里離れた山間で共同生活を行う場合には、村里に托鉢乞食に出かけることができないから、禅僧は自給自足の生活を行わなければならなかった。
かれらは自ら田を耕し、樹を伐り、家を建てるという仕事に従事した。
ここでは僧侶が生産に従事し、勤労を尊重することとなった。(これは従前のインドやシナの仏教教団には見られなかったことである。)
このような活動を禅林では作務と呼んでいる。
こういう新しい共同生活を営むことになると、教団の新しい生活規定が必要となる。
その生活規定を清規と呼ぶが、それは百丈懐海 (七二〇―八一四)(『禅学大辞典』には七四九~八一四となっている、筆者註)がはじめて組織したと伝えられている。
ここで教団としての禅宗が確立したのである。 (中村元「魚返善雄『禅問答四十八章』解説」学生社、九五五年/引用は一九七八年新装版 頁一三三)」
という文章であります。
大鑑禅師、淸拙正澄という禅僧がいました。
一二七四年に中国に生まれ、一三二六年に日本に来られて、一三三九年にお亡くなりになった方であります。
鎌倉時代の終わり頃に、北条氏によって招かれて来朝されたのでした。
北条高時の折に、建長寺、円覚寺、浄智寺に住されています。
更に建仁寺にお入りになり、南禅寺にも住されるようになりました。
『延宝伝灯録』に記述によれば、暦応二年西暦一三三九年の正月に病となり、十七日剃髪して沐浴し新しい法衣をお召しになってお坐りになりました。
そして今日は百丈禅師のご命日だから、私はまさに行脚しようと仰せになったのでした。
行脚とは旅に出ることですが、この場合は死を意味します。
そこで遺偈をお書きになって、筆を擲ってお亡くなりになったのです。
日本の叢林では百丈禅師のご命日に法要を勤める習慣がそれまでなかったようで、大鑑禅師は、自分は百丈禅師の命日に死ぬので弟子達にはこの日に法要を行うようにとお示しになったそうなのです。
はたしてその通り一月十七日にご遷化されたのでした。
大鑑禅師はもっぱら百丈禅師の清規を励行され、叢林の基盤を築かれました。
この末期に書かれた遺偈は、今も残っています。
ただいま常磐山文庫の所蔵となっていて国宝に指定されている、素晴らしい墨蹟であります。
かくして今日に到るまで、いろいろの変遷があったのですが、禅の暮らしが今に到るまで伝わっているのであります。
横田南嶺
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