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今回の大河ドラマは、時代遅れの通説よりもアップデートされた最新の研究成果が取り入れられているので、とても新鮮で面白いです。大河や歴史に興味を持つ若い世代も増えそうですね。
大賛成です!!でも、光秀はもっと別の描き方が良かった😢
市橋先生のおっしゃる、事実認識、ミステリー含む、毎回楽しく拝見させて頂いています。資料に基づきとても、分かり易いです。勝家とお市の思い、家康の思い、そして秀吉の迅速な策略の旨さ、なんとも言えないあの笑顔も、悔しいけど、ムロさん上手い。本編たのしみに見ます。
毎回楽しく拝聴しています。8/6のどうする家康を観ています。残り5ヶ月となりました、これから関ヶ原、大阪の陣、征夷大将軍、時間が足りないようがしますが、たのしみです・
先生の解説は様々な資料を読み見込んでいるから凄く説得力があります。岐阜会議?とか、家康が実際、京に登ろうとしていた事とか、自分なりに資料を解釈し仮説を立てるのも歴史好きの楽しみの一つ。
BSの放送見てから、このセミナー見るのが楽しみになっているのです😂
先生が説明されていることに納得します。史実と真実の事が良くわかりました。
浜崎さん夏らしいおしゃれで素敵😍👍🍉🏖
デコルテラインが綺麗ですよね
画面の左部分に浜崎さんを設定して、その艶っぽい仕草、たまに送られてくる視線に心吸い寄せられながら、先生の話を聞いてます。気になる女の子に目線を向けながら、社会科の先生の話し聞いてた頃を思い出しました。
セミナー見てきました!先生の話は相変わらず楽しく楽しめました😊生浜崎さんめっちゃキレイでした。台風の中、日本海側から来てよかった〜😍
浜崎から聞きました。喜んでいました。台風の中遠方からありがとうございました。
是非お会いしたいですが、来年も開催予定なら是非北海道から参加します。頑張って発信して下さい。八丁味噌大好き道民でした。
さすが市橋先生。物事に対する論理的かつ定量的な解説。それと放映前なのに秀吉(ムロツヨシ)と三法子丸のショット。8/15イオンのイベント楽しみにしています。(終戦記念😂日ですが)
家康の裏の顔を思わせるような説 資料でのご説明、感じ入りました。ありがとうございます。たしかに直後なら明智亡き後大きな軍勢をひとりで動かせるのって織田家でもそうそういなそうなので、実際にぶつかるかどうかは置いておいても畿内で目を光らせておけるというのはあったんじゃないかなって思えます。威圧感的な信雄はそんなに優れていたのですか…最後の最後で秀吉の真意に気づくも遅く、人格的にも下手こいてジェットコースターみたいな人生送って最後はほそぼそと…みたいなイメージでした。生きながらえること自体もスゴイことかもしれませんが光秀公は好きな武将です。部下や領民にも慕われ、信長公の信頼も一手に受けてすべて卒なく完遂して…完璧だと思います。ただ、最近思うのはそれこそ信長公の「お前に(俺の代わりが)できんのか」っていうところがかなり個人的にしっくりきていて部下として、実行役や調整役として優秀であっても、本当にこれまでの常識をがらっとかえてしまうようなそういう破壊的なリーダーを担えるのかはまた別なのかなと思いました。(そういう考えかたゆえ信長と光秀はビジョンで溝が深まっていったのでしょうけど)でも、光秀公は部下や一領主としては本当に優秀だったのだと思います。朝廷工作とかはうまくいっても、与力の大名はじめ武家を取り込めなかったのってそういうところなのかなと…。そういう意味では建武の新政・武士や新勢力の台頭とか南北朝の対立とか、その後の三成VS家康とか、そういう理想論と現実をうまくバランスとって見れてたかどうかみたいな話に思えて重なって見えます。それにしても、光秀公は信長公に期待されていたのはたしかでしょうし、長篠以降信長公が少しづつ身を引いて信忠に譲っている中で、実務でかつての信長公がしていたような働きぶりをしていたのではと思います。畿内というどこからでも応援にいける位置かつお金がたくさんあるからこそ、伊勢長島、本願寺、大和、北陸…といつもいろんなところにいかされてましたよね。そんなこんなで4年がかりで丹波を平定できた。信長はそういうことが苦なくできたのかもしれないけど、一家臣としてはなかなかリスキーだし普通にしんどいように思います。本能寺の変は怨恨説とか朝廷黒幕説とか四国での対立説とかいろいろあると思いますが、こういう信長のすべて滅ぼすというスタンスに疲れたというのもあるとおもうし、そういうのがみんな合わさって生み出されたんじゃないかと思います。だから断言ができず、光秀の心のみが知ることなのでミステリー要素が強いのかと…
事実=真実ではない…まさにその通り!このことは本当に大事ですね
いーなー、岡崎に住んでる人。私も行きた〜い❤
信雄と信孝兄弟が仲が良ければ、秀吉も勝手な事はできなかったのに、悪かったら共倒れになったというのが、歴史の教訓ですね
セミナーに行ってみたい😆
静岡東部でも講演やって下さい!
たしかに今回の浜崎様!お洋服も髪型も素敵に思いました。ドラマカットしまくりで展開が早過ぎ。しょうが無いか。
白川の首塚ですが、時々横を通ります。夜は不気味です。😂
先生痩せました?体調良くないのかな。暑いから無理せずに〜
本能寺の変には、いろいろな説がある❗️その1==天海上人は同一人❔別人です!天海の書状と光秀の書状を比べた結果、文字の『ハネ』墨次着の違い 三行書いて筆に墨を注ぐ 四行目で墨を注ぐ(どちらがどうだったか忘れました)❗️その2==金沢図書館で書簡を発見された❕光秀は、重臣の斎藤利三に謀反を起こすことを伝えた!亀山城から進軍して桂川で夜明けを待ち撃ち込むと記載があった。さらに『敵は本能寺にあり』とは言っていなかった!『本能寺を攻めるぞ 皆んな覚悟を決めろ』信長を撃てとは言っていない❗️その3==信長は、槍で応戦したが手傷を受けて奥の間へ。(侍女が語った)信長は、畳を四方に立てかけ、侍女を『部屋から出よ』と命じ 信長の自害を見ていないため金沢図書館の書簡自害方法は書かれていない❗️その4==ローマで発見された宣教師フロイトの書簡!信長は、中国大陸を征服するために大艦隊を準備させていた。息子たちに諸国を分配することを決意していた。光秀が謀反を起こしたのは、信長が戦争を拡大し、自分の子供達を日本の領主に据えていく、実力主義で親族優遇へ変えていくことに気づき(光秀は天下を狙っていなかった)戦争を終わらせるために撃ったのではないか❓その5==光秀は、山崎をを支配していたキリシタン武将高山右近に親しかった宣教師オルガンティーノに我(光秀)に味方になってくれと手紙を送った!ところが右近宛の手紙は、『味方になるように』・ローマ字に書き換えられて『光秀に味方しないように』と記されていた!当時、イエズス会は、信長の中国攻略に乗じてキリスト教を中国に広めようとしていた❗️その6==本能寺の変の時、家康を打つつもりだと思っていた。以前、信長は光秀に家康を撃てと言っていた!光秀は、『家康は我々を何度も助けてくれた』一方信長は、家康を生かしておくと厄介な敵になる』と❗️長いコメントになったが一人でも見てくれたら嬉しい❗️素人歴史研究家は、タイムマシーンがあったらその時代を見てみたいと何人もの人たちが言っていた‼️
信孝辞世の句「昔よりぬしをうつみの浦なれど報いを待てよ羽柴筑前」野間大坊の源義朝に絡めて言うあたりホントかや。🎉
事実=真実ではない…とても大事なことだと思います。これはなにも歴史の見方だけではありません。現在起こっていることも同じです。
秀吉を攻めようとしたのではなく、秀吉が攻めてくる可能性に対処したのでは?だから秀吉が兵を引けと言ってきたので引き上げたのでは?と先生のお話を伺って思いました。
楽しく拝見してます。質問ですが、三英傑の茶器はいつ頃届きますか?
注文したサイトで調べられます。
初回販売:9月下旬~10月上旬再販:10月中旬~11月上旬に発送されます。受注販売のため時間がかかり申し訳ないです。
信長の家臣だった秀吉が同僚の家臣から、どう思われていたのかドラマから見て立場が窺える。家臣団の中で順位は一番下である、そこを秀吉が柴田勝家などの他の武将を煽てたり、持ち上げたり、褒め称えたりして自分は一番下で、あほっぽく見せる。信長からみた秀吉は家臣の中でも、かわいがられる他の家臣から見たら、おもしろくない情況、そこで秀吉がガス抜きをしてたとも考えられる。秀吉の本性を現したのは、やはり清洲会議の態度。その清洲会議の前に事前に根回し、全てに対して事前行動が早い、明智との合戦も、誰が素早い判断をして行動するのか、その助言が黒田孝高(石田三成)なのか?信長が秀吉に戦わせた相手はイチバン石高の多く兵力もある毛利、このあたりもイチバン信用されてた証明かもしれない。秀吉にとって同僚の家臣からの屈辱、馬鹿にされて、貶されても耐え抜いた、それができたのも失うものが無い強さかもしれない。最後に明智を討った秀吉を家康が討つため動いたなら、家康と織田との関係(お市の方)は想像以上に強いことになる、そうなると家康が信長を暗殺する考えは遠のく。
私的には「忠義」を蔑ろにしたのが光秀公最大の誤算では無いでしょうか。誰も味方に成らなかったのは「忠義」を軽んじた光秀公に組しても「大義」が無いと考えたからでしょう。
分かり易い話だが、家康びいきであることを頭に置いておく必要あるがあるな
秀吉は凄すぎる。あらゆるシミュレーションができていた。こんな総理がいれば。でも個人の懐を肥やすね。
三七信孝が出て来ないなんてもー この時超〜有名人だったのに〜🎉
あれ?浜崎さんどっか吹っ切れました?検証すると違いなんかないじゃない?ってことになるでしょうけど、私には今回は違って見えました
今日のマダムは色っぽい💖
先生お痩せになりお声も少し元気ない? 酷暑の中お体お大事になさってください
小牧・長久手の戦いの負けたのはわしのせいじゃないと、ムロツヨシの台詞回しが鬼滅の刃の鬼を思い起こした。
清須会議が清洲で行われた理由ととして、三法師が本能寺の変直後の混乱で、親類一同で清洲城へ避難していたからという説を聞いた事ありますが、先生の見解をお聞きしたいです。
お市のミトコンドリアを受け継いで持っている末裔がいるのかな?
秀吉の計略ではなく正確には官兵衛のおかげ官兵衛と秀長が居たから天下を取れたこの2人が居なかったら山崎の戦いも勝てなかった
誰でも1人じゃ無理っしょ。。😅1人で勝てた人居ないっしょ。
三人で勝てたのだね😂
奇妙、三七、茶筅、五徳吉法師は適当な名前つけるなぁ
秀吉が天王山で光秀を討った時点で、次の世の覇者は決まった。光秀に味方する武将はなく、秀吉に皆ついた。とくに秀長・清秀・右近・幽斎・順慶は同じ気質で、優劣の判断に迷う武将達が皆秀吉についたことで、時の情勢がよくわかる。本来はこの気質の武将はここぞという時、決断できず前に出れない。秀頼・景勝・氏政のように。しかし天王山では皆秀吉についた。これは逆指標、優劣が彼らにも判断出来るほど秀吉の能力・戦力は強大だったのだ。清州会議で天王山をともに戦った秀吉・長秀・恒興があえて勝家に同調などしない。光秀を討った仇討ちグループなのだ。筆頭家老というだけでは纏めきれない。勝家と三成は同じ気質。織田のため、豊臣のために尽力を尽くすが、戦略脳を持ち天下取りを狙う秀吉・家康にはかなわない。同じ戦略脳を持つ家康や利家は、勝ち組から離れはしない。後秀吉に家康は臣従し、利家は家康に臣従していく。正宗も同じように生きる。戦略脳のある武将の大半は何時も勝ち組にいる。自分の意思を押しころしても時を待つ。
途中でムロツヨシが出てる銀行のCMが流れてスゲー胡散臭く見えてしまったw
男の子多いのも駄目だと言う見本🎉
家康が織田家臣であったのなら「清須会議」に呼ばれなかったことが説明つかないです、独立した大大名、もしくは同盟軍という認識が強かったのではないかと考えます
いわゆる外様扱いでは?。
偉そうなコメント書くくらいなら、自分でチャンネルやって批判されたらいいのにっていつも思いますけどねw
確かに史実=真実と言う考え方は強引過ぎるかもしれない。だけど史実と言うのはその当時の人達が俺達後世人に残した結果論なんだろう?違うの?ただその結果論(史実)に至るまでの仮定がわかんないだよな~。誰も………
仇討ちした秀吉 ましてや信孝に喧嘩売ったら第二の光秀です
家康はわざとゆっくり京都を目指したのよ無駄な戦いなんかしたくない、信長への義理を果たしたという体裁秀吉から撤退要請がでてから喜んで帰国
fact is enemy of truth.
後楽園ゆうえんちで僕と握手…もといイオンモールで先生と握手🤝ムロが秀吉役じゃなくて家康役だとかなり似合った気がするのは俺だけですか?松潤スマートすぎるんだよなぁ…ムロの方が家康ぽいんだよなぁ…どうすりゃええがじゃ〜ちなみに秀吉、昔からあんま好きじゃないんですけど、何の因果か俺の生まれも尾張中村w
なんだか今日は浜崎さんのまぶたが、色っぽいですね!失礼(*´∀`)
家康も、茶々も北ノ庄の戦いの時点で天下取りを目指していた。これも史実に乗っ取ったものですかね?お市の方が北ノ庄の戦いの真の大将ってのも史実に乗っ取ったものですかね?これに納得できる資料があるのなら見せてもらいたい。こういうと、これはドラマだから、創作だからって言われます。でも、ドラマだから創作の範囲が広くていいってのは納得できません。何せ無理やり視聴料とってるNHKですから。お金出して見に行った映画や民放じゃないんだから、創造の範囲ってのもおのずと狭くなるって思うんですが、どうでしょう?このコンテンツは「なるほど」って想えるものを目指しているのだと思いますが、NHKのそれは「なるほど」って思えるものになってないように思うのは自分だけでしょうか?
今回(8/6)のどうする家康はまずまずだったと思います。(お遊戯会が演劇部になった感じ) ・家康の場合は言い方悪いですが展開によってはワンチャンあるかな?程度では。 茶々は二度の落城経験があるので「力無いとダメ」な意識は有ったと思いますね。 茶々の家康への逆恨みも視野の狭さが出てて割とよかったです。 ・お市の方の大将発言は妹なりに信長の遺志を継ごうとしてる感じで面白かった。ドラマはドキュメンタリーじゃないので良いと思いますけどね。
通説とはあまりにも違い過ぎる。史実には無い群像劇『どうする』まず、頼る父は逝き 信長を兄として 憧れとして慕い 忠義を越えた想いを持つ主人公:家康としなかった = 物語の第一ボタンの掛け違いが この低視聴率とファンタジー大河と評される由縁だと私は思っています。私、個人的には…家康といちゃついているカットより…岡田君の奏でる敦盛が観たかったです。
御先祖様をお送りする日に開催ですか。残念。
明智まんじゅう……なんか縁起が悪そう!
大丈夫。明智さん縁の地の近くに住んでますが、ロマンあると思います❤明智さん、若い頃は一家でご苦労なさってたんです。お饅頭までできてるなんて、きっと感激なさると思います。(近所のもの)
より深く番組が理解できるので助かります。ただ、主演のM君と四天王の若い役者の大根が際立ちます。主演のM君のワンパターンぶりと清涼のなさ、表現の乏しさ(顔いじってるから限界か)秀吉役の俳優の演技が良すぎるので学生劇とシェークスピア劇位差が愕然と出てトホホです。
ラスボス茶々姫爆誕の巻き家康が多方面に恨み買う理由の一つ。ムロ秀吉の憎々しい迄の演技が骨身に染みそう お市殿退場がさみしいお市ロスです
今回の大河ドラマは、時代遅れの通説よりもアップデートされた最新の研究成果が取り入れられているので、とても新鮮で面白いです。大河や歴史に興味を持つ若い世代も増えそうですね。
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毎回楽しく拝聴しています。
8/6のどうする家康を観ています。
残り5ヶ月となりました、これから関ヶ原、大阪の陣、征夷大将軍、
時間が足りないようがしますが、
たのしみです・
先生の解説は様々な資料を読み見込んでいるから凄く説得力があります。岐阜会議?とか、家康が実際、京に登ろうとしていた事とか、自分なりに資料を解釈し仮説を立てるのも歴史好きの楽しみの一つ。
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来年も開催予定なら是非北海道から参加します。
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たしかに直後なら明智亡き後大きな軍勢をひとりで動かせるのって織田家でもそうそういなそうなので、実際にぶつかるかどうかは置いておいても畿内で目を光らせておけるというのはあったんじゃないかなって思えます。威圧感的な
信雄はそんなに優れていたのですか…最後の最後で秀吉の真意に気づくも遅く、人格的にも下手こいてジェットコースターみたいな人生送って最後はほそぼそと…みたいなイメージでした。生きながらえること自体もスゴイことかもしれませんが
光秀公は好きな武将です。部下や領民にも慕われ、信長公の信頼も一手に受けてすべて卒なく完遂して…完璧だと思います。
ただ、最近思うのはそれこそ信長公の「お前に(俺の代わりが)できんのか」っていうところがかなり個人的にしっくりきていて
部下として、実行役や調整役として優秀であっても、本当にこれまでの常識をがらっとかえてしまうようなそういう破壊的なリーダーを担えるのかはまた別なのかなと思いました。(そういう考えかたゆえ信長と光秀はビジョンで溝が深まっていったのでしょうけど)
でも、光秀公は部下や一領主としては本当に優秀だったのだと思います。朝廷工作とかはうまくいっても、与力の大名はじめ武家を取り込めなかったのってそういうところなのかなと…。そういう意味では建武の新政・武士や新勢力の台頭とか南北朝の対立とか、その後の三成VS家康とか、そういう理想論と現実をうまくバランスとって見れてたかどうかみたいな話に思えて重なって見えます。
それにしても、光秀公は信長公に期待されていたのはたしかでしょうし、長篠以降信長公が少しづつ身を引いて信忠に譲っている中で、実務でかつての信長公がしていたような働きぶりをしていたのではと思います。畿内というどこからでも応援にいける位置かつお金がたくさんあるからこそ、伊勢長島、本願寺、大和、北陸…といつもいろんなところにいかされてましたよね。そんなこんなで4年がかりで丹波を平定できた。
信長はそういうことが苦なくできたのかもしれないけど、一家臣としてはなかなかリスキーだし普通にしんどいように思います。本能寺の変は怨恨説とか朝廷黒幕説とか四国での対立説とかいろいろあると思いますが、こういう信長のすべて滅ぼすというスタンスに疲れたというのもあるとおもうし、そういうのがみんな合わさって生み出されたんじゃないかと思います。だから断言ができず、光秀の心のみが知ることなのでミステリー要素が強いのかと…
事実=真実ではない…まさにその通り!このことは本当に大事ですね
いーなー、岡崎に住んでる人。私も行きた〜い❤
信雄と信孝兄弟が仲が良ければ、秀吉も勝手な事はできなかったのに、悪かったら共倒れになったというのが、歴史の教訓ですね
セミナーに行ってみたい😆
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たしかに今回の浜崎様!お洋服も髪型も素敵に思いました。
ドラマカットしまくりで展開が早過ぎ。しょうが無いか。
白川の首塚ですが、時々横を通ります。
夜は不気味です。😂
先生痩せました?体調良くないのかな。暑いから無理せずに〜
本能寺の変には、いろいろな説がある❗️その1==天海上人は同一人❔別人です!天海の書状と光秀の書状を比べた結果、文字の『ハネ』墨次着の違い 三行書いて筆に墨を注ぐ 四行目で墨を注ぐ(どちらがどうだったか忘れました)❗️その2==金沢図書館で書簡を発見された❕光秀は、重臣の斎藤利三に謀反を起こすことを伝えた!亀山城から進軍して桂川で夜明けを待ち撃ち込むと記載があった。さらに『敵は本能寺にあり』とは言っていなかった!『本能寺を攻めるぞ 皆んな覚悟を決めろ』信長を撃てとは言っていない❗️その3==信長は、槍で応戦したが手傷を受けて奥の間へ。(侍女が語った)信長は、畳を四方に立てかけ、侍女を『部屋から出よ』と命じ 信長の自害を見ていないため金沢図書館の書簡自害方法は書かれていない❗️その4==ローマで発見された宣教師フロイトの書簡!信長は、中国大陸を征服するために大艦隊を準備させていた。息子たちに諸国を分配することを決意していた。光秀が謀反を起こしたのは、信長が戦争を拡大し、自分の子供達を日本の領主に据えていく、実力主義で親族優遇へ変えていくことに気づき(光秀は天下を狙っていなかった)戦争を終わらせるために撃ったのではないか❓その5==光秀は、山崎をを支配していたキリシタン武将高山右近に親しかった宣教師オルガンティーノに我(光秀)に味方になってくれと手紙を送った!ところが右近宛の手紙は、『味方になるように』・ローマ字に書き換えられて『光秀に味方しないように』と記されていた!当時、イエズス会は、信長の中国攻略に乗じてキリスト教を中国に広めようとしていた❗️その6==本能寺の変の時、家康を打つつもりだと思っていた。以前、信長は光秀に家康を撃てと言っていた!光秀は、『家康は我々を何度も助けてくれた』一方信長は、家康を生かしておくと厄介な敵になる』と❗️長いコメントになったが一人でも見てくれたら嬉しい❗️素人歴史研究家は、タイムマシーンがあったらその時代を見てみたいと何人もの人たちが言っていた‼️
信孝辞世の句「昔よりぬしをうつみの浦なれど報いを待てよ羽柴筑前」野間大坊の源義朝に絡めて言うあたりホントかや。🎉
事実=真実ではない…とても大事なことだと思います。これはなにも歴史の見方だけではありません。現在起こっていることも同じです。
秀吉を攻めようとしたのではなく、秀吉が攻めてくる可能性に対処したのでは?だから秀吉が兵を引けと言ってきたので引き上げたのでは?と先生のお話を伺って思いました。
楽しく拝見してます。質問ですが、三英傑の茶器はいつ頃届きますか?
注文したサイトで調べられます。
初回販売:9月下旬~10月上旬
再販:10月中旬~11月上旬
に発送されます。受注販売のため時間がかかり申し訳ないです。
信長の家臣だった秀吉が同僚の家臣から、どう思われていたのかドラマから見て立場が窺える。家臣団の中で順位は一番下である、そこを秀吉が柴田勝家などの他の武将を煽てたり、持ち上げたり、褒め称えたりして自分は一番下で、あほっぽく見せる。信長からみた秀吉は家臣の中でも、かわいがられる他の家臣から見たら、おもしろくない情況、そこで秀吉がガス抜きをしてたとも考えられる。秀吉の本性を現したのは、やはり清洲会議の態度。その清洲会議の前に事前に根回し、全てに対して事前行動が早い、明智との合戦も、誰が素早い判断をして行動するのか、その助言が黒田孝高(石田三成)なのか?信長が秀吉に戦わせた相手はイチバン石高の多く兵力もある毛利、このあたりもイチバン信用されてた証明かもしれない。秀吉にとって同僚の家臣からの屈辱、馬鹿にされて、貶されても耐え抜いた、それができたのも失うものが無い強さかもしれない。最後に明智を討った秀吉を家康が討つため動いたなら、家康と織田との関係(お市の方)は想像以上に強いことになる、そうなると家康が信長を暗殺する考えは遠のく。
私的には「忠義」を蔑ろにしたのが光秀公最大の誤算では無いでしょうか。
誰も味方に成らなかったのは「忠義」を軽んじた光秀公に組しても「大義」が無いと考えたからでしょう。
分かり易い話だが、家康びいきであることを頭に置いておく必要あるがあるな
秀吉は凄すぎる。あらゆるシミュレーションができていた。こんな総理がいれば。でも個人の懐を肥やすね。
三七信孝が出て来ないなんて
もー この時超〜有名人だった
のに〜🎉
あれ?浜崎さんどっか吹っ切れました?検証すると違いなんかないじゃない?ってことになるでしょうけど、私には今回は違って見えました
今日のマダムは色っぽい💖
先生お痩せになりお声も少し元気ない? 酷暑の中お体お大事になさってください
小牧・長久手の戦いの負けたのはわしのせいじゃないと、ムロツヨシの台詞回しが鬼滅の刃の鬼を思い起こした。
清須会議が清洲で行われた理由ととして、三法師が本能寺の変直後の混乱で、親類一同で清洲城へ避難していたからという説を聞いた事ありますが、先生の見解をお聞きしたいです。
お市のミトコンドリアを受け継いで持っている末裔がいるのかな?
秀吉の計略ではなく正確には官兵衛のおかげ
官兵衛と秀長が居たから天下を取れた
この2人が居なかったら山崎の戦いも勝てなかった
誰でも1人じゃ無理っしょ。。😅1人で勝てた人居ないっしょ。
三人で勝てたのだね😂
奇妙、三七、茶筅、五徳
吉法師は適当な名前つけるなぁ
秀吉が天王山で光秀を討った時点で、次の世の覇者は決まった。
光秀に味方する武将はなく、秀吉に皆ついた。
とくに秀長・清秀・右近・幽斎・順慶は同じ気質で、優劣の判断に迷う武将達が
皆秀吉についたことで、時の情勢がよくわかる。
本来はこの気質の武将はここぞという時、決断できず前に出れない。
秀頼・景勝・氏政のように。
しかし天王山では皆秀吉についた。これは逆指標、優劣が彼らにも判断出来るほど
秀吉の能力・戦力は強大だったのだ。
清州会議で天王山をともに戦った秀吉・長秀・恒興があえて勝家に同調などしない。
光秀を討った仇討ちグループなのだ。筆頭家老というだけでは纏めきれない。
勝家と三成は同じ気質。織田のため、豊臣のために尽力を尽くすが、戦略脳を持ち
天下取りを狙う秀吉・家康にはかなわない。
同じ戦略脳を持つ家康や利家は、勝ち組から離れはしない。
後秀吉に家康は臣従し、利家は家康に臣従していく。正宗も同じように生きる。
戦略脳のある武将の大半は何時も勝ち組にいる。自分の意思を押しころしても
時を待つ。
途中でムロツヨシが出てる銀行のCMが流れてスゲー胡散臭く見えてしまったw
男の子多いのも駄目だと言う見本🎉
家康が織田家臣であったのなら「清須会議」に呼ばれなかったことが説明つかないです、独立した大大名、もしくは同盟軍という認識が強かったのではないかと考えます
いわゆる外様扱いでは?。
偉そうなコメント書くくらいなら、自分でチャンネルやって批判されたらいいのにっていつも思いますけどねw
確かに史実=真実と言う考え方は強引過ぎるかもしれない。
だけど史実と言うのはその当時の人達が俺達後世人に残した結果論なんだろう?
違うの?
ただその結果論(史実)に至るまでの仮定がわかんないだよな~。誰も………
仇討ちした秀吉 ましてや信孝に喧嘩売ったら第二の光秀です
家康はわざとゆっくり京都を目指したのよ
無駄な戦いなんかしたくない、信長への義理を果たしたという体裁
秀吉から撤退要請がでてから喜んで帰国
fact is enemy of truth.
後楽園ゆうえんちで僕と握手…もといイオンモールで先生と握手🤝
ムロが秀吉役じゃなくて家康役だとかなり似合った気がするのは俺だけですか?松潤スマートすぎるんだよなぁ…ムロの方が家康ぽいんだよなぁ…どうすりゃええがじゃ〜
ちなみに秀吉、昔からあんま好きじゃないんですけど、何の因果か俺の生まれも尾張中村w
なんだか今日は浜崎さんのまぶたが、色っぽいですね!
失礼(*´∀`)
家康も、茶々も北ノ庄の戦いの時点で天下取りを目指していた。
これも史実に乗っ取ったものですかね?
お市の方が北ノ庄の戦いの真の大将ってのも史実に乗っ取ったものですかね?
これに納得できる資料があるのなら見せてもらいたい。
こういうと、これはドラマだから、創作だからって言われます。
でも、ドラマだから創作の範囲が広くていいってのは納得できません。
何せ無理やり視聴料とってるNHKですから。
お金出して見に行った映画や民放じゃないんだから、
創造の範囲ってのもおのずと狭くなるって思うんですが、どうでしょう?
このコンテンツは「なるほど」って想えるものを目指しているのだと思いますが、NHKのそれは「なるほど」って思えるものになってないように思うのは自分だけでしょうか?
今回(8/6)のどうする家康はまずまずだったと思います。(お遊戯会が演劇部になった感じ)
・家康の場合は言い方悪いですが展開によってはワンチャンあるかな?程度では。
茶々は二度の落城経験があるので「力無いとダメ」な意識は有ったと思いますね。
茶々の家康への逆恨みも視野の狭さが出てて割とよかったです。
・お市の方の大将発言は妹なりに信長の遺志を継ごうとしてる感じで面白かった。
ドラマはドキュメンタリーじゃないので良いと思いますけどね。
通説とはあまりにも違い過ぎる。
史実には無い群像劇『どうする』
まず、頼る父は逝き 信長を兄として 憧れとして慕い 忠義を越えた想いを持つ主人公:家康としなかった = 物語の第一ボタンの掛け違いが この低視聴率とファンタジー大河と評される由縁だと私は思っています。私、個人的には…家康といちゃついているカットより…岡田君の奏でる敦盛が観たかったです。
御先祖様をお送りする日に開催ですか。残念。
明智まんじゅう……
なんか縁起が悪そう!
大丈夫。
明智さん縁の地の近くに住んでますが、ロマンあると思います❤
明智さん、若い頃は一家でご苦労なさってたんです。
お饅頭までできてるなんて、きっと感激なさると思います。(近所のもの)
より深く番組が理解できるので助かります。ただ、主演のM君と四天王の若い役者の大根が際立ちます。主演のM君のワンパターンぶりと清涼のなさ、表現の乏しさ(顔いじってるから限界か)秀吉役の俳優の演技が良すぎるので学生劇とシェークスピア劇位差が愕然と出てトホホです。
ラスボス茶々姫爆誕の巻き
家康が多方面に恨み買う理由の一つ。
ムロ秀吉の憎々しい迄の演技が骨身に染みそう
お市殿退場がさみしいお市ロスです