I do very much agree, and I'm also in the same boat. When I look at myself in the mirror in the morning, I say what I see is what I get. Alive! That's the secret of happiness depending of how you take it. Hope I don't sound like your mother here.
state street って 小さな家が立ち並んでいて、私が育った、東京の自由が丘に雰囲気がちょっと似てますね。 私は、もう日本に家族はいないし、自由が丘の家も売ってしまい帰る家がないので、コロナ禍をこれ幸いに日本には帰っていません。もう帰らないかもしれない。旦那(米国人)はもう2回も日本に行っていますが、私は帰ってもいくところないし。… 根無草のような気分です。 自分で遺産整理した後遺症かな? それにしても、こっちに持ってきたはずの母子手帳が見つからない。 臍の緒は見つかったんだけど😂
Soko-san, you are almost telling me the story of my life in US. Names and the situation are a bit different, but I just couldn't believe my ears for what you said. One of my old Japanese friends I met in SF used to tell me you are not an averrage normal Japanese if you come and even decide to live in US. He was/is right for good and bad. That's what America does to you.
You are telling me that you can really relate to me. Glad that I was able to offer an opportunity to think about your own life by telling my story. Look forward to the next one; it is going to be somewhat similar.
@@takashisoko340 I always enjoy watching your postings along with those beautiful SF places I fell in love years ago. When I was in Japan, I was sort of looking for the place I can live and breathe (figure of speech). Then SF got me this freedom and even excitement. Answer to your curiosity, yes, I'm a man of old fart.
@@takashisoko340 Cool!!! Never say never. I still can speak Japanese as bad as my English... Just kidding. Nihongo OK desu yo! May be I can drive you around in SF with a rental car since I have a driver's license.
I guess you are an English speaker. I usually do some talking in Japanese and provide English subtitles, but I wanted to do without it this time, since it would turn out to be a high sounding talk. Hope you will understand.
SFにも素晴らしい住宅街が有るんですね💦。普段観光では寄らない所なので知りませんでした。妻はSFの銀行に勤めていた事もあります。国際為替で。 僕の場合は何の基礎も無く始めた機械設計が自分に向いていました。アイデアマンとの評判はすぐつきましたし。仕事も倍くらいは早く質も上がってきたし。しかし給与は同年代中最低だったんです。休日の会社の行事はすっぽかしていたり深夜残業を拒否してたりしたのが愛社精神無しと判断されたのかもしれません。世間では先進的と見られていたH技研がこうであれば日本に居場所は無いなと判断しての移住です。アメリカの労働環境は自分に合っていました。価値ある仕事さえすれば他の事に口を挟んでこないですからね。最後は会社で設計ではHe is the manと呼ばれる様になりました。今引退して15年。日本に永住帰国しようかと探っています。僕が亡くなったと妻が一人で引っ越すのが大変すぎると言うので。実家は既に同じ様に弟に任せて相続放棄済み。(見返りは有りません)この家を売れば資金は有るので今どこに住もうかな〜と思案しているところです。
自分も同じような気持ちで日本を出ました。売れ残りのクリスマスケーキと言われた26才、1988年に渡米し本当にあっという間にシニアになってしまって😅もうあとはなるようになれです😂でもやっぱりアメリカが一番輝いていた時に色々と経験して楽しかったです。私は日本での財産相続は放棄しました。最後のカッコつけ😂ですね!日本にはあと一度だけお墓参りにいくつもりですが、どうなるか、、、時々両親のことを思い出すのが供養と思っています。動画配信ありがとうございました。共感できて嬉しかったです。
こちらも共感できて嬉しいです。「つながった」って感じ。
I do very much agree, and I'm also in the same boat. When I look at myself in the mirror in the morning, I say what I see is what I get. Alive! That's the secret of happiness depending of how you take it. Hope I don't sound like your mother here.
何だかとってもイイお話に胸が熱くなりました!ずーっとお元気でと思います!!
心の奥底には故郷を捨てた、という傷みがあるのは私も、です。68年生まれです。もう南欧にあれからずっとおります。
私は女性の結婚年齢をクリスマスケーキに例えるのは全く納得できませんでした。
心(魂の供養)で仏様は充分ではないでしょうか?形式に囚われる事は無いと思います。
その人が故人を思う気持ちが有れば、国は関係ない気がします。
弟さんが送金してきたお金は、弟さんの気持ちだと思います。
自分のことしか考えない欲の深い人だったら、送金してこないと思います。
相続のひどい話ってよく聞きます。素敵な弟さんですよ。
`そうですか、そうあって欲しいですね。コメント有難うございました。
@@yukowatanabe6420 コメント有難うございます。
親の面倒も見ていないのに半分も送金してくれるなんて最高に優しい弟さんですよね。私は一切貰っていませんが同居もしていないし近所にも住んでいないので別に気にしていません。弟夫婦が使えば良いと思っています。
@@Tubingenstr さん、sokoさん。弟さんが相続した家の半分を兄に譲るのは、理由がよくわかりません。ただ、善意があるならその説明や、日常的な手紙や連絡のやり取りあってもおかしくないのでは・・・ これは、きっと親御さんから何か言われてますね。例えば「お兄ちゃんに半分やってくれ」とかね。親ってそんなものだと思いますよ。 余計な割り込みごめんさいね。
素敵な街並みと心情を話してくださり、ありがとうございます。
動画を見ていて、日本での息苦しさや自分らしく生きたくても生き難い社会であることがアメリカへの移住を決断されたのだと感じました。
日本の因習、男性、長男、結婚…等。それに比べアメリカでの生活は自分が中心であり、自らの生き方は自分が決める。
とても聡明でおられるからこそ、自分の生き方に拘れたのだと思います。素敵な生き方だと思います。
40年も日本を離れているのにきちんとした日本語を話されています。立派な生き方だと思います。
どうも有難う。日本語は、編集の段階で随分変えてます。(カメラを前にするとちょっとどもりがちになるし、あのーを言い過ぎるし)。
“きちんとした日本語“とは失礼な言い方で申し訳ありません。友人がニューヨークに30年近く住み、日本語がかなり理解し難いレベルだったものですから😓
桑港さんはアメリカでいろいろなことをされていますし、日本を出られて良かったと思います。私は米国在住32年ですが、日本を出る時、日本社会でレールが敷かれた暮らしをしていました。政府で働いていたため、昔は何歳までに結婚して海外勤務をしなさいと言われていました。とても安定した仕事でしたが、日本に合わないというか、誰もが期待するような日本社会での自分の将来が見えない感じでした。結果的にアメリカ永住で好きなことをして人生を楽しんでおります。後悔もしていません。もちろん、向かいつつある老後は心配ですが、今の暮らしを大切にしています。弟さんに帰って来ないで欲しいと思われてしまったことは、帰る気はないとしても少し切ないですね。
わかってくれる方がいて、嬉しいです。ただ弟のことは、いろいろな事情から恨んではいません。(でも母親が亡くなってから38年会ってないんですよ)
貴重なお話ありがとうございます。人の生き方もそうですが同じ日の出日の入りの色だって立っている場所の違い同じオレンジ色でも箇々の表現の違いがあって又私はそれがおかしい事でなく増してや当然の事と思います。ありきたりではありますが、これからも桑港さんのペースで動画続けて下さい。もちろん野菜スープで力を養っていつも楽しみで待っています。坂本九の”上を向いて歩こう”良い歌ですね!
横から失礼致します。ご家族様とほぼご縁のない状態であれ、ご自身がお幸せであればそれで宜しいのではないでしょうか?
たかしさんに凄く共感してます。
一度きりの自分の人生。自分を軸にして生きていくのが最善です。自分の人生なんだから。
共感してくださる方がいるのが一番嬉しい。
桑港さんは、本名ですか?サンフランシスコに永住されてゐるので、桑港と名乗っておられるのですか。
私はテレビのホームドラマを見て米國に憧れて育ち、人間関係がうまく行かず会社を辞めて、1974年27歳の時に大学院留学をして、ロスに7年半暮らしてゐました。
留学が終わりましたが、米國でやって行く自信はなく、帰国して転職を何度かしました。
桑港さんの動画を拝見し、自分の人生を振り返っております。
語学に秀でていらっしゃり、youtube動画作成の技術もマスターしておられます。
感じましたのは、桑港さんのような優秀で知能の高い人は、独りになり易いのだと。ギフテド(gifted)のこどもやMENSA会員の方々は、人間関係で苦労してゐます。
食事も、動物性タンパク質と野菜のバランスを考えておられるので、年齢より若々しく見えます。
私は後期高齢者となり、終活中です。自分史を残す集まりにも参加したことがありますが、誰も買わない紙の本を残すより、動画で残そうと思ひました。
一般公開せず、限定公開してゐます。60代で老チューバーの方はゐますので、70代後半の私は終チューバー(終活中のユーチューバー)と名乗ってゐます。
妻子も最初は、興味を持って見てくれましたが、最近は見向きもしなくなりました(笑)。
でも私が逝った後は、動画を見て私を偲んでくれるのではないかと淡い期待してゐます。
どうぞお元気で。
ご視聴とコメント、有難うございました。 ご存じかも知れないけど、昔、明治時代ころ、サンフランシスコのことを日本では桑港と書いていたんですよ。だからそれを使っております。全然大した人間ではないけど、ただ見かけとは違って、芸能人みたく意外と人を喜ばせることが好きなので、それで続いております(今、ユーチューブからもらっているお金は大したことないです)。 これからもサンフランシスコ、またアメリカを軸としていろんな趣向の動画をアップして行きたいと思っておりますので、末永くおつきあいください。
昨年から今年へ「年末年始のご挨拶」です。
th-cam.com/video/qMEgHWuL2G4/w-d-xo.htmlsi=ShSQqXfuqSFxDXY8
TH-camを見て初めて涙が出たのがあなたの動画です。堅実なお暮らしと無理のないお言葉が好きです。
私は若い頃LAに2年住みました。今は還暦間近ですがあの頃の体験が私の人生の彩りになっています。
どうも有難うございます。これからもアメリカを軸として、いろんなタイプの動画を創って行きたいと思っています。どうか末永くおつきあいください。
いつも動画を拝見しています。
私はたかしさんより10歳くらい年下ですが、たかしさんがもし10年〜15年遅く生まれていたら日本でも充分通用していたと思います。
今の日本ではたかしさんの考え方はまったくおかしくありませんし、若者に至ってはごく普通の考えになりました。
コメント、有難うございます。いろいろ考えさせられます。
とても深みのある、考えさせられることの多い動画でした。 空は青く澄み渡り、高台からの景色はどこまでも美しく見えますが、人の心の内は本当にその人にしかわかりません。 弟さんは誠実な人のように見受けられます。
有難うございます。「職業を間違えた痛恨の思い」という動画もごらんになってみてください。
「大親友ができた」… 素晴らしいと思います。
「人に頼らず生きられる」… こちらも素晴らしいです。
みんな似たように生きているように見えて、皆違うと思います。
表現がストレートだっただけ、ではないかと。
画面から、溜まることのない爽やかな風を感じました。
ありがとうございました。
大変嬉しいです。これからもいろんな趣向の動画を上げて行く予定ですので、宜しくお願いします。
初めまして私は日本に住む30代のものです。
アメリカの近況動画よりたかしさんの魅力にはまり色々拝見させて頂きました。自分もたかしさんにとても似た思考なので共感出来ました。たかしさんはまさに時代の最先端の思考で今の日本の若者の考え方ですね。私には友達がいませんけど欲しくもありません。1人が好きなので、、、たかしさんには素敵な親友がいて良いですね。現在の日本は1人が好きな人かなり多いと思います。昔の後悔の動画も拝見しましたが必ずしも違った道を選んだ方が良かったとも限らないと思います。現在立派に他国で生活出来ているたかしさんを凄く素敵に思うし素晴らしい人生だと思いますよ。アメリカ生活羨ましい限りです。自分も魅力ない日本から出たいな。
私の動画、気に入って頂けたようで、嬉しいです。あと6時間以内くらいにもう一本上げますので、是非ごらんになってみてください。
桑港さん、いつも素敵な動画有り難う〜。
私も若い頃、アメリカに憧れていて、それもサンフランシスコなんです。
一度訪れた時に、とても綺麗で温暖で老後はサンフランシスコに住みたいと、その時に思っておりました。
私は一人っ子だったので、とてもそんな事が許されるはずもなく、婿養子を迎えて
まあ何とか、今に至ります。
今の生活に特に不満はありません。やっと娘も結婚いたしました。ただ子供が持てるかどうかは、微妙なところみたいなんです。
最近のサンフランシスコを見ると、昔と随分と変わってしまって、あまり行こうとは思わなくなってしまいました。
でも桑港さんの動画はとても綺麗です。
これからも頑張って下さい。綺麗なサンフランシスコをもっと見てみたいです。
頑張って下さいね
バケーションで返信が遅れてすみません。これからも頑張りますので、宜しくお願いします。
お早う御座います。桑港さん私は52年前に国際結婚で家族に感動されアメリカに来ましたその時20歳、私は学生時代は大人しくて友達もいませんでしたいつも角にいて、でも実家では末っ子だったので何不自由なく育てられました、成人式も亡き両親が着物あつらえてくれて結構高かったです、それでも私は親元は離れて自分から苦労する人生選びました。お陰様でとてもいい経験出来たと思いますそして両親からも20年振りに勘当も解けて親孝行も出来き、今は日本に引っ越して来て老後をエンジョイしています、若い時の苦労はお金では買えない貴重な体験でした。人生色々ありでも前向きに考えていけばなんとかなりますが、私も年に何回かがアメリカにいる親戚や友に会いに行っています。旅行が好きなので一人旅楽しんでいます、私は73歳ですが健康に気おつけて過ごしています。桑港さん今カリフォルニアは厳しい生活だと思いますが呉々も身体にきおつけてお過ごし下さい。
コメント、有難うございました。 もしベイエリアにお住まいなら、インタビュー動画を造らせて頂きたいくらいです。 これからも頑張って皆さんに楽しんで頂ける動画をやって行きたいと思ってますので、どうぞよろしく。またいつでもコメント、お待ちしております。
私も弟さんがお金を送ってきたのは弟さんの気持ちだと思います。弟さんとはたまにはお互い元気でいるか連絡を取り合うことができる関係であること願ってます。
4:14~ 市内にコヨーテ、さすがアメリカですねww 私事で恐縮ですが、私は桑港さんとほぼ同世代、アメリカ大好き人間で、20代に5回遊学(計2年)しました。海外赴任が多かったオヤジが大企業の役員になり羽振りが良くなったせいです(両親に感謝) でも、「永住しよう」という気はなぜか、起こりませんでした。その後、勤めながら、シアトル、ラスベガス、デンバー、NYCなど遊学した都市を中心に10数回アメリカ旅行をしてました。しかし、40代半ばで勤めていた政治関係の団体が解散し、自分でいろいろしてきましたが、50代過ぎてから今まで、経済的に苦しい状態が続いています(一応、年金は貰っていますが、全然十分ではありません)。果たして、良かったのか、そうでなかったのか? まあ、自分で選択したのですから、後悔なんてしている場合ではないですね。前進あるのみ(;^_^A
いろんな人生があるんですね。 あとで再度読み直してみます、いろいろ考えさせられるから。
ずっと桑港さんのいろんな動画を拝見させていただいて、あなたの人生は、凄く恵まれているなぁと思いました。私も幼少期にアメリカ人家庭へ養子になりかけた経緯があるから、家庭環境に恵まれていたら絶対にアメリカ行きたかった。生きるだけで精一杯だったので、大学も行きたかったけどそれも無理でしたし…桑港さんの飄々とした感じが良いです。そして友達たくさんいる人は信用しません(笑)
私の動画で皆さんにいろんな考え方や夢や情報をお届けできれば最高ですね。
俺も痛く同感します。所詮、人間は理由を付けて人を利用しようとします。その根底には楽して快楽を得たい邪心が
有るからでしょうね。(そんな悪魔誰の心にも潜んでいます。)
偶然に、このチャンネルにつながりました。
桑港さんとは近い世代です。何かこのチャン
ネルから感じるものがあります。私も人生の
半分以上を🇨🇦で生活し、現在も働かせていた
だけています。有難いです。人それぞれの理由
が有り異国での人生を歩んでいますよね。
なにか共感をかんじました。健康でこれからも
動画を、無理しないで配信して下さい。
よし in Ottawa 🇨🇦
えっ? オタワってカナダのオタワじゃなく、カリフォルニアだったんですか?
たかしさんの最新動画がお勧めに上がって見てから、過去動画を色々見ています。
心の影は、誰にもわかるものじゃない、の言葉に自分を重ねて思わず号泣しました。
ここまで来るまで様々な道のりがあったんだと、その飾らない言葉で想像しました。
私は海外に若い頃は目が向いていて移住したかったけど、Visaの事で諦めてしまい、移住ができた人を羨ましく思いましたが、努力が足りなかった。動画配信楽しみにしています!応援しています。
楽しんで頂けたようで、嬉しいです。あの言葉はもちろん自分の本音だけど、ユーミンの「さみしさのゆくえ」という歌の一節で、それが自分の中にず~っと残っているんですよ。
見ていて、ユーミンの一節…
と思って見ていましたが,そうなんですね😊
同世代の私もお気持ち,理解できます😂❤
告白動画、見させてもらいました。健康に気を付けてお過ごしください。
楽しんでくれたようで嬉しいです。これからも宜しくお願いします。
こんにちは♪
そうなんですね。私も一時アメリカで暮らしていこうと、思ったこともありました。ただ アメリカは競争社会で勝たなければならないと感じ、その時の条件で難しいかったので日本に帰り 今にいたります。
まず弟さんはとても心のある方だと思います。それだけでも温かくなります。
当時のアメリカ 1979年から二年間 周りの人たちがいつもチャンスを私にあげようとしてくれたことがポディティブな思い出です。
今 住まわれているアメリカの様子 また動画でアップしてください。
楽しみにしています。
有難うございます。乞う、ご期待です。
私も アメリカ在住30年
世界で通用すれば良いと
思います。
日本は日本の考え方があり,
それにあわせる必要が
ないと判断したひとりです。
コメント、有難う。
桑港さんの人生を聞かせてもらい、我が身を振り返る機会になりました。私はやりたい勉強があって渡米しました。米国に来る前は英語は標準よりも得意程度、理系は英語が堪能でなくても大丈夫と言う甘い考えで来て、想像以上に勉強は大変。私だけでなく周りの日本人の学生達も皆大変だったと思います。文化も違い、周りの日本人の学生達は卒業すると直ぐに日本に戻りました。私は米国の解放的社会が肌に合い。ソフトウエアーをやるなら米国が一番だと言う思いもあり。一度ビザの関係で日本に戻り、その後また米国へ来てそのまま通算で30年以上になります。両親が亡くなり。日本で家族と対立した親の世話をやり。親が亡くなり、日本の親類とは世代も変わった事もありあまり付き合いがなくなりました。ただ、日本には数人今でも付き合いの長い親友が数人居ます。その点は桑港さんと違う所かもしれませんが。自分も日本の昭和の縦型組織で仕事をするよりも我が道を行くタイプだと思います。日本の友人達も典型的なサラリーマンは一人も居ません。コロナの前は年に一度は日本に行きました。仕事と親の事もあり。。、里帰りとかではなく。
いろんな意味でほんと、羨ましいです。
@@takashisoko340 人それぞれ相応の苦労がありますね。桑港さんの力強さを見習いたいと思います。
おっしゃる通り、人其々、幸せの基準は違うわけで、その時その時自分が取った決断は自分にしか分からず、自分の心の影が見えるのも結局、自分だけだと思います。自分が歩んできた道に納得出来ればそれが一番だと思います。
心に沁みました。 有難うございます。
私も若い時アメリカかヨーロッパで生活してみたい、と夢を持っていました。
残念ながら実現しませんでしたが。
桑港さんはアメリカ🇺🇸で長く生活なさっていて尊敬致します。
僕は在米それもたかしさんと同じサンフランシスコ在住50年目に成りました。1975年
の7月3日そうです丁度この動画を撮っていらっしゃる日がその記念日です。
もとから没落商人の子沢山の末っ子で絵画系統で秀でていた親父の後を踏んで兄姉の
殆どが芸術関係の仕事を選んでいました。大店の道楽息子だった親父は金も稼いだけど
江戸っ子気質見栄っ張り借金は有れど遺産など望むべくもない環境プラス両親は僕が
5歳の時に別居。いろいろ有ったけどそんな環境でも親父は道楽息子らしく若い頃は
非常に交際も広く英語も大変達者で相撲のクロッキーを新聞に本日の好取組みたいな感じで連載人気が有る人でした。その中に日本びいきで相撲ファンの米国友人がいて時おり
訪問されて二人が会話しているのを見て自分も絶対英語話せるようになる。というのが
現実に成って(独学で通訳できるまでになりました)26歳の時に丁度レイオフになって
しまったキャビンアテンダントの仕事、アメリカ人従業員を本国に連れて帰るけど席が
1席空いてるけどアメリカ行くかいとスーパーバイザーに聞かれてハイよっとばかりに
やって来てそのまま居座っちゃったというなりゆきまかせだしプータローもいいとこ
と言う趣でした。そして50年。やはり日本は大好きだけど現在は両親も兄姉も独りを除
いては皆亡くなっているのでもう帰るつもりは毛頭有りません。市民権3年前に清水の
舞台から飛び降りる思いで拾得しました。
たかしさんのように(失礼だけど)性格的にコミュ障的なところが有った訳では無いけど
子供の頃から社交的外交的と見られてきたけどごく親しい友人は数えるほどしかいないという物や人に縛られないある意味大変自己中な性格ですね。
今もパートナーなき後すでに13年間独り身ですが健康面以外は至極普通に生活してます。
大変興味深いお話、有難うございます。ややネタに困りつつあるところですし、よろしかったらインタビューに出て頂ける可能性を探るという意味で、お会いできないでしょうか? sokotakashi at gmail です。もしご興味があれば気軽に連絡ください。
生まれた場所が間違っていたのでしょうね😊
少し上で、私は女性ですが、ずっと日本で仕事をして、楽しく暮らし、でもいつかは海外で暮らそうと思っていました。
両親を看取り、独身を謳歌していましたが、20年前にシニアでアメリカ人と結婚することとなり、アメリカで
hobby farmer 暮らしです。
どこに住んでも適応できるありがたい性格ですが、やはり第2言語から言葉が出にくくなり、ホームに入ってる
日本人の方を見てると、食事が大変なようで、ボケて仕舞えばわからないのでいいのですが、
最後は日本に戻ろうかな思っています。
主人はアメリカに生まれたのが間違っていたと言っています。
終わりよければすべてよしをモットーに人生の終盤を楽しみましょう!
私は絶対に帰らないと決めていますが、いろいろ考えさせられました。コメント、有難うございます。
動画を拝見しました。私は、Takashi様より10才ほど年下です。20~30代は日系旅行代理店に勤務しておりLAやハワイで生活しておりました。私は歴史が好きで学校で教そわる嘘の歴史ではない本当の歴史を自分で調べて真実を知った時に、物事の本質、世の中の仕組み、自分自身がハッキリと見えるようになりました。戦後GHQは、心理戦、思想戦、世論戦、情報戦で日本人を洗脳して、家族、民族、国家に対する愛着を破壊して、その代わりに個人主義を吹き込み日本を弱体化した事実が公文書や一次資料で明らかになっています。個人主義で個々に分断されると人間は弱い存在になり簡単に支配できます。個人の自由を追求すると個人を守っていた集団が瓦解してかえって自由が無くなり個人は窮地に陥り弱体化します。人間を含め動物は、家族、集団によって守られ安心安全を得て繁栄できます。アメリカで成功している人達もインナーサークルの人達だと気付きました。私は、アメリカやハワイの真実の歴史を知って目が覚め、かえって日本本来の伝統、文化の良さを知ることができました。
大変興味深く拝読しました。 今後とも宜しくお願いいたします。
私は米国在住25年です。桑港さんの暴露話、大変興味深く拝聴しておりました。桑港さんは、お若いうちに、ご自分に合った場を見つけ、こちらでの生活を満喫されたからこそ、今の穏やかな生活に繋がっているのでしょう。人生1度きりですから、不平、不満を感じながら過ごすのは勿体無いですね。母は、周りの人達に、”娘さんが遠くて、寂しいでしょう?”と聞かれるといつも、”娘は娘の人生があるから、幸せならそれでいいのよ〜”と、言っています。それを聞くたびに、両親に申し訳ないな。。と思ったり。。。
桑港さん、17年、日本に行っていらっしゃらないそうですが、今のようにお元気なうちに、是非1度、遊びに行ってみてください。この17年の変化がとても興味深く、新しい発見がたくさんあるはずです。そして、ご両親様に、健康で過ごされていることをご報告されたら、きっと安心されますよ。
おっしゃる通りです。 頑張ります。
世界の経済実態の現地の様子をいろいろと見ていたら、昨年こちらのチャンネルにめぐり逢いました。独自のご経験やご体験を交えた解説と落ち着いた語り口調が自分に合い、他のジャンルの動画も拝見しております。
桑港さんは、今も若々しくエネルギッシュに活動され、チャレンジ精神旺盛、自由で個性的な、日本的な価値観でははみ出した生き方をされているのが、ロックでカッコ良くて素敵です。
ご存じないでしょうが、『新しい学校』という日本人アーティストに通じるものを感じます。彼らは日本では当初変人扱いされ、それでも信念を曲げず、レコード会社からも契約を切られ苦労しましたが、歌詞はほとんど日本語なのに何故か海外で認められ(その後日本のファンも増えました)、欧米、アジアの各都市でライブをし、カリフォルニアのCoachellaのフェスでも大勢の観客を沸かしました。今年の9月にはサンフランシスコのThe Warfieldでもライブ予定です。振り付けも自分達独自で考え、作詞もします。グループの信念は自由、個性、はみ出し、青春とは失うことのない情熱などで、桑港さんと同じ要素を持ち素敵なんです。
そこで、ロックでカッコイイ桑港さんに、いつもの落ち着いた語り口調で、日本で売れなかったこのグループが何故アメリカで売れたのかを独自の視点でご解説いただければ嬉しいです。
『atarashii gakko』で沢山の動画が出ていますが、参考までにコーチェラの動画のリンクを貼らしてもらいます。和洋折衷の演出も彼らオリジナルです。
th-cam.com/video/YlakDCDhuAM/w-d-xo.htmlfeature=shared
ご視聴とコメント有難うございます。う~ん、ご期待にこたえられるかどうか自信はないけど、努力はしてみますね。
よろしくお願いいたします。
素晴らしい時代になったと思いませんか
こうしてサンフランシスコの日常を見ることが出来る
しかも日本人が発信している。
臆することなど不要です
日本語には魂が宿っています、
丁寧でやさしく美しい言葉で続けてください。
有難う。サンフランシスコ、アメリカを軸として、いろんなテーマでいろんなタイプの動画をやって行こうと思っています。時にはご自分のテイストに合わない者もあるかも知れませんが、これからもどうか末永くおつきあいください。
只今二本時間11月13日PM23:25分頃です✨40年以上も異国の地で頑張っていらっしゃる桑港さんは素晴らしいですよ✨思い通りにならない事ご苦労な事も沢山あったでしょうね 窮屈な日本を飛び出し自分の思うように生きられたのですから善しとしましょう(笑)私が夢見ながらなし得ない人生を生きてきたあなた様にはリスペクトしかありません😊
ご視聴とコメント、有難うございます。これからも宜しくお願いいたします。
特に何が良いってこともないのですが、毎回最後までしっかり見てしまいます。
今回の動画も良かったです。
大変嬉しいです。ユーチューバー冥利につきます。今後も飽きられないように、いろんなタイプの動画を上げて行く所存ですので、どうか末永くおつきあいください。(もしまだでしたら、チャンネル登録、よろしくお願いします)。
Sokoさん こんにちは
Sokoさんの生き様 とても興味深く拝見しました
私も幼少の頃からはみ出していましたね〜
小学生の頃すでに自分の好きなことをしてる必ず足を引っ張ってくる人が
いる事を悟りました 幸いな事に応援してくれる人もいると気づきましたけど
御自分の気持ちに正直に生きていらっしゃるSokoさんは素敵ですよ
応援してます
ユーミン 良いですね〜14番目の月LP持ってます
私の住むサクラメント近郊は本日100度越えで大変暑いです
サンフランシスコにワープしたいくらい
また動画拝見しに伺います ご自愛ください
有難う。これからも宜しくお願いしますね。
日本を離れて海外で長く住んでる人はみんなどこかしら日本の生活に窮屈さを感じ生きづらさを感じてるのでしょうね。私も23歳で米国へ単独で来てもう37年過ぎました。日本には仲良しの友人も沢山いて、親戚、家族も仲良しで、老後は日本に帰国も考えてます。おっしゃる通り幸せの形は人それぞれですよね。これからもお身体に気をつけて健康にお過ごし下さい。応援しております。
有難うございます。私も頑張ります。
コロナパーク、素晴らしい景色ですね。その弁護士はユダヤ系でしょうか。私の小さい頃の友達はユダヤが多く、医者か弁護士か神父がエリートだと話したのを覚えています。
私の一人息子はミレニアルズ世代、MDになったのに、どこか温かみがありません。確かに賢いですが無駄を嫌い、なぜか昔のユダヤの友達を彷彿させ複雑な気持ちになります。桑港さんの動画は今や私の癒しになりつつあります。
ユダヤ系ではなかったです。すごい田舎だから彼らはあまりいませんでした。でも確かにユダヤ系の人たちには、アジア人好きが多いですね。
私はアメリカかオーストラリアに移住したいと思っていたけどビザとかの問題で無理だった。今後悔はないけど当時からアメリカは憧れの地だったよ。やっぱり高台から見る住宅街は整然としていて綺麗ですよね。アメリカで何十年もやってこれたという事はそれが正解だったという事だと思います。
有難うございます。人生の週末が近くなった今、そうでも考えないと辛すぎますよね。
海外にも行きたいのですが、私も齢80を過ぎ国内旅行も難しくなりました。SFの状況楽しく見させてもらっています。
いろんなテーマでいろんなタイプのものをやって行きたいと思っています。動画を、これからも楽しんでくれたら嬉しいです。
Shigeyki Itow-桑港さま、自分の人生について素直に記しているので好感が持てます。どんな人生が良いかなどは神様だって分かりません。私は70年代に米国や他の外国に住んでいましたが、やはり日本文化と日本の皇室と天皇の歴史(現在、皇紀2683年)は素晴らしい歴史と伝統と思い、さらに世界どこに行っても米飯食(米国の田牧米)をさがして食べるので、これは日本が良いと思い帰国しました。現在、日本で家族を持ち、日本の未来に、そして子孫に貢献できているので良い人生と思っています。人生とはこの程度のことなのではないかと思います。お元気で。
コメントありがとうございます。
自由な精神なんだと思います、自由に生きようと思うと多くのものを手放さないといけないし、孤独にも強くないと自由には近づけないと思います。私は海外で結婚して子どももいますが、自分の事を全てを共有する人はいないと思っています。家族と一緒でも独身でも皆一人です。家族も個人を尊重すると個として生活したがるので寂しい時もありますね、一人を選ぶ人は自分が一番好きなのかもしれませんね。
深い! これからも動画を楽しんでください。 頑張ります。
私はSokoさんの様に若い時に明確な答えはありませんでしたが、違和感を感じて育って来ました。遠慮なしで付き合えた友人も1人2人で、無理に増やそうとも思いませんでした。
両親とも腹を割って話せず、親兄弟からも近寄りがたいオーラが出ていると言われ自分でもそう思います。
外資系企業を経験して海外の企業3社めになりますが、私には海外の企業の方が合っています。というより日本の企業で働くのは精神的にキツイです。
私のような人間は粗いないと思っていましたが、少し似た人が居るのでだなと勝手ながら思いました。
「つながった」という感じ。 コメント、有難うございます!
私もです。もう南ヨーロッパに30年以上住んでいます。大学は日本で終え、院はイタリアで終えました。
日本に居た時は広場の孤独を感じました。とは言え、此方でも必ず孤独が伴走するのは気のせいかしら?
@@yukirosello8467 いろんな人生があって、それぞれいろんな悩みを持って、でもそれでも自分なりに生きて行かなければならないのですね。 お互いに頑張りましょう。 もしSFにいらっしゃる機会があればお知らせください。インタビューなんかさせて頂けたら最高です。
@@yukirosello8467 私も実は南ヨーロッパの文化に憧れているので、特に。
@@takashisoko340 私はスペインに住んで30年以上。
前の主人との離婚裁判が10年続きまして、その期間を助けてくれたのが今のパートナーです。
私の奥さんは生物学者ですから男女差の無い競争に毎日、明け暮れておりました。私の様に女が一人で自力で、且つ外国で裁判をする、という状況に理解を示し、 いつも寄り添ってくれました。大きな海を小さな壊れたボートで一緒に渡ってくれたのが私の御主人様、男らしい奥さんです。喧嘩しながら24年経ちました。
サンフランシスコには是非行ってみたいです。カリフォルニア州はアナハイムしか知りませんが。サンフランシスコにはハーヴィー・ミルクが市長でいらっしゃったと思います。
心温まる動画をありがとうございます。自分がサンフランシスコに移住した状況とオーバーラップして思わず泣けてきました。今は日本にいますが、またサンフランに帰ろうと心に決めました。まさに I left my heart in San Francisco ですね〜
もしそれが現実となって、よければインタビューさせて頂ければ嬉しいです。いろんな人生、いろんな感動物語、みたいな。
いろんな人生があるのだと、心に染みるものがありました。他の動画も拝見させていただきます。
嬉しいです。これからも宜しくお願いします。
涙が出てきて止まりませんでした。
私は随分と若い頃、男性と結婚しておりましたが色々な事を経て終いには同性である、女性と結婚致しました。
私が若い頃は、同性を好きになるのは余り良い事とは思われませんでした。良い妻、良い母になることが正しいと思われる時代でもありました。
でも、いつも心の何処かで心から愛する人と一緒に居たい、これが結婚ではないのかしら?と思っておりました。喧嘩しながらも相手に尊敬の気持ちを抱いて一緒に進むのが結婚と思っておりました。私の主人は(奥様でもある)身体が大きく立派な紳士でございます。
私は持病のリウマチがあり、余り上手にキーボードも打つことが出来ませんが、どうかよろしゅう貴方様がお幸せでありますように。
申し訳ございません。私は南ヨーロッパに住んでおります。長く暮しております。
これからも宜しくお願いします。
@@takashisoko340 いえ、こちらこそ宜しくお願い致します。
在米52年です。今はリタイアして、毎朝、近くの公園を2マイル歩き、週3ー4回は、午後にフィットネスで汗を流して、蒸し風呂、泡風呂を楽しんでいます。昔と比べて日本食も充実してきました。
コメント有難うございました。今後も宜しくお願いします。
一度でも日本を出ようと考えたのなら、やはりそれが正解だったんだと思いますね。病んでしまっていたでしょう。渡米して正解でしたね。
治安・医療・食事・物価・サービスなどなど、海外事情を知れば知るほど日本を離れられない。
私はリタイア後、地方の実家に戻りましたが、地方でも最近は「他人は他人、自分は自分」ですよ。
良くも悪くも「今だけ、金だけ、自分だけ」という感じでしょうか。
ご自分の好きな場所で暮らせるのが最高ですよね。これからも宜しくお願いします。
私はたかしさんが渡米されたころに生まれた者ですが、なぜか子供の時から日本人の人生観が自分には合わない・納得できないなぁと思いながら大人になり、中高生の頃にはすでにいつか海外脱出してやる!と野望を秘めていたので、周りからは変人扱いされていました。なので、たかしさんの日本脱出計画は私も虎視眈々と狙っていて、99年就職超氷河期に大卒で東京でなんとか就職して5年ほど経った26歳で単独渡米しました。就職氷河期世代は、子供時代は受験戦争、就職では超氷河期からの非正規雇用蔓延と、日本社会で全くいい目に合っていないので、今でも日本で非正規やブラック企業で老後にむけた貯蓄もままならない生活を送っている同級生を見るにつけ、あの時、日本脱出計画を強行して本当に良かったと思っています。だから、私にとってこれからの日本は地獄そのものですので、全くもって日本に永久帰国するつもりはないです。だから5年前に米国籍を取りました。幸い、うちの家族は私が学生時分から海外行きを応援してくれていたので、もう日本に永久帰国する気はないと言っても文句は今のところ出てきておりません(父は既に他界)。私の知り合いでアメリカ永住権保持者の日本人のほとんどは「老後はやっぱり日本に帰りたい」と言っていますが、私にとって日本は国民に試練しか与えない(外国人は特恵歓迎)国ですので、皆目理解ができません。恐らく、日本のバブル時代を謳歌した人たちで、キラキラ輝いている日本社会のまま記憶が止まっているんでは?と思っています(笑) アメリカは、日本ほど年金財源に底をついていないので、今後年金受給額がどんどん下がることはないでしょうし、同じ年数働いて納税しても日本の受給額の数倍もらえますからね。断然これからの老後は日本よりアメリカの方が良いと思います。お互いアメリカで人生楽しみましょう!
有難うございます。 実は若いころは「60歳くらいになったら日本に帰る」と思ってたんですが、人間の考え方っていろいろな要因で変わっていきますね。
私も34年前に39歳で日本を出ましたが。墓参りをする気もないのでかえって楽です。😅1円の遺産ももらいませんでした。🤗
@@hitomihayashi6253 コメント有難うございます。 いろんな人生がありますね。
私も日本に帰る気は全くなく、日本に行きたいなあとも思わないです。時々、お墓参りのことを
考えますが、故人を想い出し、胸の中で、ご先祖様に手を合わせることで充分だということにしています。世界中、どこに住んでいても、日本人であることには変わらないし、私を受け入れてくれている偉大なアメリカに感謝しながら、自分なりのバランスを作って生きています。それぞれの理由はあるにしろ、今自分が大好きなアメリカの場所で暮らせていることに感謝です。
両親とも既に日本におらず、また配偶者や子供がこっちにいない場合は、帰る、帰らないの選択がより自由になるでしょうね。
@@takashisoko340 それも人によってはそうですが、結局は人は、自分がどこにいたいかですよね。自分を取り巻く、他者の理由よりもシンプルに自分がどこにいることが一番心地よく生きていられるかが重要だと感じます。自由と平等は両立しないから(ちょっと飛躍しすぎてるかな?)自分の理想と正直な自分の気持ちは選んだら覚悟を決めて楽しむしかないですよね。人生はいつかは必ず終わるからね。。。
今となってはシニアの私も渡米して45年が経ちました。イーストベイに居をもって35年経ちます。昔の方がアメリカ、輝いてませんでしたか?こちらで結婚して、娘も3人出来て孫も3人おります。ガムシャラに暗中模索で突き進んできた感が強いです。
全く同感です。もし宜しければインタビューさせて頂けませんか? sokotakashi@gmail.com
私なんかで良ければお受けいたします。
坂道多くて歩くの疲れそうですね。サンフランシスコの街をみると何時も映画「ダーティー・ハリー」を思い出します。
桑港さんイケメンで優秀、女性からは声がかかったでしょうね。私も何不自由ない日本の生活を置いて出てきました。日本にいたら、そこそこ出世してたと思います。20年、親の日本の墓の経費を兄弟と折半して払い現在は私はそれからも外してもらいました。日本に一度帰国してみて下さい!帰国の動画待ってます。
お母様は、優秀な息子さんの無事だけを祈って生涯すごされほこりに思っていたと思います。
いえいえ、まったくそうじゃないんですよ。恥ずかしいことも沢山あります。もしアメリカ在住でいつか機会があれば、会っていろいろお話してみたいです。
@@takashisoko340 ヨーロッパに根をはりました。日本で一時帰国した時に、お会いできるかな…
I always believe things in life happen for reason(s). Only problem is that you just don't know that reason (yet)!
この動画から1年。多くのネット情報から、ホームレス、不法移民の増加、などが いわゆる「青い州」の大都市で進んでいることがうかがえます。この問題は数分で分析できる単純なものではなく、多くの要素や歴史も絡んできますが、同じ在米(当地は東側)として、注視しています。(推敲せず投稿します。日本語表記に誤りがあった場合ご容赦ください)😅
最近桑港さんのYutube 動画を知り、見させていただいています。私はテキサス州在住35年目ですが、『人間の生き方に正解なんてありません。子供の人生は親が決めるものでも、世間が決めるものでもありません。人生は自分の思い出作りです。』人生自分が楽しく生きたと思える為に、生まれてきたと思っています。いつか来るであろう死に、私の場合楽しかったと思えればただそれでいいと思っています。
私も昭和生まれの田舎育ちで長男です。海外に出て生活している日本人は、私も含めて変わり者だと自覚していますしそれでいいいのです。それと親は子供より早く亡くなる事は自然な事で、親より早く他界しない事が親孝行だと勝手な解釈ですが思っています。
海外に親も含め一度も住んだ事がない人に、何事も相談する事については、日本人特有の必ずNO-と言われる事は当たり前の事です、すべての決断は自分自身です。当然過去は消しゴムで消せませんが、これからの人生の白紙の紙なら幾らでも描けます。これから年相応の生き方を楽しめればそれでいいじゃないかと思います。
話はそれますが、嫁の親父が近年95歳で他界しましたが、すでにボケており娘の名前すら忘れてる状態でしたが、5年ぶりに私を見るなり、アメリカに行ってる人やなと思い出してくれました。これでいいんです。これが自分の役割だと感じました。
日本のいい所は、食事が美味しいのと、医療費が安い事です。私は年金をもらえる年ですが人間は必ず死を迎えます。だから体と相談しながら、これから記憶に残る思い出作りをしていきましょう。
だいぶん元気が出ました。有難う。最近もう一つのパートタイムの仕事が忙しくなかなか動画更新が出来ないですが、これからも末永く楽しんで頂けたら嬉しいです。
私は桑港さんとほぼ同じ年です。ま、人の人生とは・・色々ありますよね。私は兄が居ましたがガンで死にました。兄にはガキの頃、さんざ殴られたので葬式はボイコットでした。当然、墓参りなんぞはしませんし、家族愛ってもの興味ないですね。桑港さんは友達が居なかったそうですが、今は大親友が出来て良かったです。私は18の頃から繋がっているのが一人いますが、他の友人は死んだりしましたね。ま、70過ぎると、友人もどんどん変わっていくんですよね。
興味深いお話、有難うございました。これからも宜しくお願いします。
1980,90年代とサンフランシスコにいました。旅行関係の仕事とかしてたなあ。Tokyo LimousineとかPLMというとこでも働いてました。そのおかげで日本にいては会うことのできない有名人に会うことも出来ました。王貞治、野茂英雄、橋本元首相、山本浩二、芸能人も。。。良い時代でした。今サンフランシスコは色々と大変な事になってますが、又復活してほしいです。
コメント有難う。今後もよろしく。
こんばんは🌌
バスで其のままに日本人街に
向かってほしかった、サンフランシスコの日本人はどうしているのか…✍️
行きましたよ。 映してないだけです。 日本人町に関してはこの動画で出していますから、よかったらご覧ください。
th-cam.com/video/LUoseglOCE8/w-d-xo.html
自分も日本に溶け込めずに20歳でアメリカに学生ビザで来ました。幸運にもアメリカの大きな会社に就職でき、結婚もできましたが、子宝にはめぐまれませんでした。アメリカの会社に就職してからは日本人ということで、日本への出張の役目が回ってくることが多くなり、本社からのお客さんということで、日本に行くことが多くなりました。お客さんや旅行者で行く日本は本当に素晴らしいですが、住みたいとは思えません。もうアメリカにきてから20年になります。この機に、国籍を取るつもりで書類を集めています。
ほんと、いろんな人生があるのですね。これからも頑張って生きて行きましょう。今後も宜しくお願いします。
state street って 小さな家が立ち並んでいて、私が育った、東京の自由が丘に雰囲気がちょっと似てますね。 私は、もう日本に家族はいないし、自由が丘の家も売ってしまい帰る家がないので、コロナ禍をこれ幸いに日本には帰っていません。もう帰らないかもしれない。旦那(米国人)はもう2回も日本に行っていますが、私は帰ってもいくところないし。… 根無草のような気分です。 自分で遺産整理した後遺症かな? それにしても、こっちに持ってきたはずの母子手帳が見つからない。 臍の緒は見つかったんだけど😂
77歳で自営業しています。仕事の合間に楽しませてもらっています。たかし様にスマホですがお会い出来ること幸福です。波長が合う、、、ってことでしょうか?!北九州市田中より
いつもすみません、楽しんで頂けたら嬉しいです。
私も79年の5月にサンフランシスコに来ました。あれこれ45年です。
私は同年8月でした。
さみしさのゆくえ…生まれた国で感じていた疎外感のようなものが、異国暮らしで薄まって楽になれたのならそれで良かったのでは?
いいこと言ってくれました! 皮肉でも嫌味でもなく、ありがとう。
私も友達出来なかったですね、周りから受け入れられないみたいで。アメリカ暮らしもありかなと勇気もらいました。でも意味があってこのように計画されたのだと思います。神様から。
共感されて頂き嬉しいです。
私も変わった人生でした…仕方ない運命やから すべてこれで良かった思うこと「人生はなるようになる」と一休禅師が言ってます
そうですよね。 なるようにしかならないと開き直った方がいいのかも知れません。
90年末から2000までMarket Streetに巣くっていました。テンダ-ロインにある安宿のフロントデスクでバイトしたこともあります😅
私も両親が亡くなってから10年以上日本に帰っていません。お墓にあるのは亡骸のみで、私たちを見守ってくれてると思うので。
是非一度帰ってお墓参りしてあげてください。自分も今年こそは墓参りに帰ります。
僕が子供の頃の東京の風景思い出すと何となく桑港さんの移住した気持ちわかる気がします。
油臭い小さな町工場がずらずら並んでいて砂利道は所々に穴。
子供はビニールの運動靴や下駄で靴下なんか履いてなかった。
おでこにサロンパス貼ったおばさんが買い物カゴさげて歩いていて、友達もヤクザの息子、工員の息子、肉屋の娘、一番威張っていたのは運送会社の社長の息子だった…腹空かしている子供多かったなぁと…
アメリカ人は大きな車に乗ってホットドッグやハンバーガー食べている写真とか見て凄いなぁと…
当時近所で走っていたのは軽三輪とスバル360だったし…
アメリカは豊か!というイメージがあった。昭和に戻りたいとか言う人いるけど僕は絶対に嫌ですね。笑
私の動画を観て、何かのお役に立てたのなら、とても嬉しいです。これからもいろんな趣向の動画を上げて行きたいので、宜しくお願いします。
大学でて銀行に勤めたんだったら日本でも通用していたということだと思いますけどね。本当に通用しない人は大学もいけないし就職もできない、そんな人は山ほどいると思います。
日本人も幸せは人それぞれですが、表面上の同調圧というか同調しないと仲間に入れてもらえないみたいなところはあるのかもしれませんね。アメリカだとそれが違うのでしょうか。
そう、日本独特の「レールに敷かれた幸福の道」っていうのが、こっちはないですから。田舎で百姓できれば、それが一番幸せって人もいるんですよ。
親の面倒も見ていないのに家の代金を半分くれるなんてすごく良い弟さんじゃないですか。私は私も妻も一切貰っていませんが別にそれでいいと思っています。私は27歳で渡英してからずっと欧米関連の仕事をしてきました。30歳で帰国していますが、住所と納税地は日本でもずっと仕事で欧米各地にいました。なので親の財産なんて当てにしていません。
花のサンフランシスコはいいですね。
有難う。
私はO型気質で子供の頃から個性的でいたい、自分をさらけ出して生きていたいのが心情でした。でも社会に出ると事情は違ってきます。素の自分の上に日本人という仮面を被り何家の息子、娘であるいわゆる肩書通りの人間を演じなければ到底受け入れて貰えないのが日本の社会だと思います。にも拘らず生きるためにやりたくもない事をじっと我慢してやって行く人達を私は偉いな~って尊敬したりします。ビザが終わって再び日本の社会へ戻って生活していく若者たちの背中を見て強いな~って感心したりもします。SOKOさんにはアメリカで生きていく素質があってそのチャンスを手にした、貴方にあった生き方、人生があったのですね。だからうんと今をEnjoyしてください。ところでジャパンタウンに末広レストランはまだありますか?
ごめんなさい、ジャパンタウンで外食することはほぼないので、わかりません。
解りました。😊
僕が72歳だから、同年代ですね。アメリカで生活されたと決めて、色々あったでしょうが立派ですよ。僕も親しい友人がいませんでした。今でもそうです。
しかし僕にはあなたのような、力も勇気はありません。せいぜい実家と縁を断ち、田舎から出て、知人もいない首都圏に住むのが関の山です。
でも寂しさは全くないので自分でも不思議です。
ご視聴とコメント、有難うございます。今後も宜しくお願いします。
1973年のアナハイムから1979年に近郊のWalnut Creekに住んでいた者ですが、その時にはSF周辺は見どころが沢山ありました。The Gloden Gate Bridgeを渡って間もなく右下に降りて、名前を忘れましたがそのエリアは、アメリカの歴史を見るような街並みで人がゆったり生活している街の印象に残っています。SFに来たら足をここまで伸ばすことをお勧めします。そこから足を延ばせば、季節により白く咲き誇った桜のような広大なアーモンド畑は必見でした。NAPAバレーで様々な醸造所で試飲するのも楽しです。
2023年以降の治安がどうなっているかは確認してください。こんな注意文も付けたなければならない且つて美しかった街、SF.
情報、ありがとうございました。
ゴールデンゲートの先の右側下の海岸の町はサリナスだったかな~?
@@清人広瀬 サウサリート (Sausalito)
44年前かぁ、、、あの頃テレビで放映していた金八先生や池中玄大80キロなど今でも思い出される味わい或るドラマがありましたけれど、きのう西田敏行さん亡くなられたそうで、76歳ということでした。その頃にアメリカに渡られた若者が今に至って人生のお話をされるのはなにか感慨深いものありますね。時の流れは走馬燈というか、人の一生というのはどういうものなのだろうと感じます。とりとめもない感傷的な言説すみませんでした。
バケーションで返信が遅れてすみません。西田敏行さんが亡くなったのは知りませんでした。
人間関係がうまく行く、又は、駄目、それは、殆ど偶然のような気がします。私も会社に勤めていましたが、人間関係は大変で、最後は、43歳でリストラに合い、会社を辞めました。確かに、桑港さんは、その時代としては進んでいたと思います。人と違っていたと思います。でも、能力が有ったのだから仕方がないのです。大方の日本人は羨ましさと、妬みが有ったのでしょう。日本では、些細の事で人間関係がうまく行かなくなります。それに適切に対応してアメリカへ行き生活しているのだからすごい事だと思います。
ご視聴とコメント、有難うございます。これからも宜しくお願いします。
ソーコーさん、これからはウオーキングシューズで歩いて下さい、扁平足😢のためにも😊。一人ってなんて素晴らしいんでしょう。皆ソーコーさん羨ましいと思っているに違いありませン🎉この先もペットでも飼ってハーピー気楽人暮らし楽しんでくださーい😇
実はあの醜い靴は、足の専門医が進めた店で買ったものなんです。それと動物は好きだけど、一緒に住むのは出来ないのです。 でも温かいお心づかい、有難うございました。 残りの人生、自分なりに頑張ります。
Soko-san, you are almost telling me the story of my life in US. Names and the situation are a bit different, but I just couldn't believe my ears for what you said. One of my old Japanese friends I met in SF used to tell me you are not an averrage normal Japanese if you come and even decide to live in US. He was/is right for good and bad. That's what America does to you.
You are telling me that you can really relate to me. Glad that I was able to offer an opportunity to think about your own life by telling my story. Look forward to the next one; it is going to be somewhat similar.
Are you a man or lady anyway? Just curious.
@@takashisoko340 I always enjoy watching your postings along with those beautiful SF places I fell in love years ago. When I was in Japan, I was sort of looking for the place I can live and breathe (figure of speech). Then SF got me this freedom and even excitement. Answer to your curiosity, yes, I'm a man of old fart.
@@kattanaka5934 Well, if we can relate to each other, please get in touch with me when/if you come to SF, OK? I'm sure we will hit it off.
@@takashisoko340 Cool!!! Never say never. I still can speak Japanese as bad as my English... Just kidding. Nihongo OK desu yo! May be I can drive you around in SF with a rental car since I have a driver's license.
Very interesting !
I guess you are an English speaker. I usually do some talking in Japanese and provide English subtitles, but I wanted to do without it this time, since it would turn out to be a high sounding talk. Hope you will understand.
I am Japanese I can only type in English. I enjoy your stories !
@@kimiedavidson4606 I see. Well, I'm happy as long as you enjoy my videos!
在米で永住の日本人の方、大体どのくらいの頻度で日本に遊びに帰っていますか? 考えてみると、自分はもう17年も帰っていません。 理由はともあれ、両親のお墓参りもしないで、ほんとに親不孝者ですよね。
@mochi_yang コメント、ありがとう。
それで、最後 (感謝の気持ち)っての持つのが重要だと思うわけですよ。アメリカで受け入れてもらえて 今までやってこれたってこと。多分多くの人のご協力があったと思いますよ。 それでOK だとおもうんです、
ほんと、そうですね。同感です。
自分はたかしさんより10っ歳年下ですが昔サンフランシスコに住んでいました。デイリーシティーで寒かったですあそこのアパート。ウインターデプレスになっちゃいました。
自分も日本には一人も友達いません、どうしてかわからないけど?嫌われていたのか?高校生の頃は何人か仲良しはいたけど離れて行ってしまったし、まあ自分を完全にさらけ出すことをためらっていたからかもしれません。家族ともあまりうまくいかず。兄弟には遠く離れて両親の面倒見れないからって財産放棄しました。田舎で育ち若いころは同性愛の息子がいると両親や兄弟それに親戚まで迷惑かかるだろうと、消えてしまった方がいいってずーっと思っていました。いくつかの職場でもカムアウトしましたが、ことごとく社内の治安を荒すとかの理由でありがとう!て行った方がいいのか?どうせ周りに友達一人もいないからってバージニア州に今は住んでいます。月日は早いものでもうアメリカへ来てから30年です。時々日本食恋しくなってNYCとか行くけどこっちはまだ物価やすいから。たかしさん若く見えますねえ、自分なんて肌も汚いし頭も剥げてだめだわ。それにたかしさんすごく元気ですね、自分も少し歩く運動してるけど、やせなきゃなあ、、、、動画楽しんでいますありがとう!
詳細なコメント、ありがとう。 もしカリフォルニアに来ることがあって、私の動画に出てもいいなんて思われたら、また連絡ください。お互いにアメリカの生活、頑張りましょう。
人生を深く感じる動画です!
我が身に置き換えてしみじみ思う事だらけです!!哲学を読んでいるようです♪
ご視聴とコメント、有難うございました。 今後も宜しくお願いします。
30年間サンフランシスコに住んでたけどこんな所があったなんて知らなかった
コロナハイツは近くだったけれど、私も登ったことがないように思います。
土の乾いた感じが、カリフォルニアらしくて懐かしくなります。
私も同じ頃サンフランシスコに住み始めて昔を知っているため、動画の場所すべてに懐かしさを感じてしまいます。
日本社会にうまく適応できない人ほど、アメリカに合っていますね。
「何か違うなぁ・・・」と日本で悩んでいる人は、アメリカで暮らすと自分の良いところに気付くことでしょう。
今もサンフランシスコですか? ベイエリアに在住の日本人の方に人生インタビューできたらと’思っています。もしご興味があればお知らせください。
何度か行き来しているうちいつの間にかサンフランシスコに定住したように、今度は日本に居着いてます。もう人生の12月中旬ですから、このままここで終わるかもしれません。
時々サンフランシスコに行きたくなりますが、長時間フライトがつらくなってきました。でも、行ったら訪ねますよ。
@@Sunny21083を
色々な人生ですね、私は大学出て就職しないでその年の九月からサンフランシスコにあったアメリカ人の親戚がある外国人用のカルチャースクールに留学するつもりでしたが在留期限の切れる3年目に市民権をとっる為に当時、必要だったベトナム戦争従をするんではと母が心配し渡米を反対され日本に留まりました。
今思えば反対を押し切り渡米していたら今とは百八十度違う人生だったと思います‼️
是非また遊びにいらしてくださいよ。
日本車が多い
自然に恵まれていますね。
鉢植えも大変ですね。お買い物できないなんて。お仕事仲間同士助けてくれる方様いらっしゃるといいねできます。
桑港たかし様へ
貴方様と同じくアメリカに移住した海外難民様も生活が大変そうです。
もし、ご覧になりましたら返信願います。
桑港たかし様へ
追伸、他にもマサ様もコウヘイ様も海外難民様同様にアメリカに移住して生活が大変そうです。
もし、マサ様とコウヘイ様の動画もご覧になりましたら返信願います。
動画に関しては、2,3回観ましたが、自分には理解できない部分があるので、今は観ていません。決して悪い意味ではなく、人それぞれであっていいと思うし。 あの人のような大変さはあまり体験していません。
懐かしい景色です。みんな真面目にペンキ塗りして家を奇麗にされているようですね。私も1980年から1999までベイエーリアに住んでいました。SFは1980-1987程度ですがダウンタウンに住んでいたためクルマの無い生活をしてどこに行くにも徒歩とバスでした。バートも利用しました。市街電車も懐かしいです。あれから24年過ぎましたがSFの不動産が高騰している様子は知っています。私が住んでいたテンダーロインに近いアパートが現在 $2600とからしい。。早めに脱出できて良かったです。
いい動画ありがとうございます。私も似てるところあります。性別違っても、似てる人がいるんだな。~と嬉しくなりました。私は英語はダメでマークシートしか点数とれなかったです。(笑)
アメリカは若い頃、旅行で三回行きまして、大好きな国です。白人社会で生活できるって、素晴らしいです。
人種差別ありありですよね。
私は50代ですが、以前勤めた会社に上智大学卒の子がいて、その子は、転職して、今、大企業で部長してます。動画楽しみにしてます。
これからも頑張りますので、応援よろしく。 チャンネル登録してくださいね、まだであれば。
弟さんが立派ですね。兄のワガママを許して慰留分まで払ってくれる。
いや、40年アメリカに住むだけで羨ましい限りです。店名なのかアメリカに何か縁があるとしか思えません。
勝手な想像ですが、アートのセンスがあるような気がします。TH-camを通じて何かできるのでは?と思います。
アートのセンス? 有難う。 海のシーンが多くなるだろうから、海の色に合わせようとブルーの洋服を着て行きました。
3:20くらいのところ?ここが[登り口]とありましたが、現地の皆さん、普通にクルマを停めておいて、登るのですね。
そうみたいです。 あまり知られてない丘だからかも知れないです。
私を含め、在米長期滞在者は変わり者と呼ばれるので、あまり気にしてません。日本バブル絶頂期にヘッドハンターから日本での就職口を頻繁に紹介されましたが、どうせ人間関係で苦しむだとうと思い全く応募しなかったです。最近SFダウンタウンの治安悪化が報道されていますが、貴方の住んでおられる地区は安全なようですね。
そうですね、でもすぐ近くに市内最悪kのプロジェクトがあり、気をつけています。 夜の外出は基本的にしません。 車の運転を市内からバスで動くのに緊張します。
私の両親は団塊ど真ん中で、桑港さんより押し合いへし合いがもっと激しかった世代に当たり、そういう人たちが勤め先ほか、どこに行ってもすぐ上に居て、自分の領分を守ることに腐心し、また彼らが上長や先輩として行うモチベーションの作り方に温度差を感じていたり、ガサツに思えたりすることがしんどかったのかもしれませんね。 あくまで私見ですが、桑港さんが十代の多感な時期を都市部で過ごしていたら、そういった捉え方も少し違っていたりしそうで、田舎で生まれ育ったことを何やらいつまでも恨んでるかのような、何と言いますか、目から落とすべき鱗がまだたくさん張り付いてるのではなかろうかと感じました。 もう70も過ぎたというのに、いつも苦み走ったような表情でいることに自身が違和感を持たないまま居るのは、精神衛生に良くないのではないですかね。 日本に居る桑港さんと同じくらいの世代の人たちは趣味を楽しみ、ゆったり楽チンに過ごしてますよ
どうも。そんなに表情ほど内面は暗くないつもりだけど、ま、異国で自分の力だけで一生けん命に生きて来たことは褒めてやりたいです。
最近のサンフランシスコの治安はどうですか? 万引きは沈静化しましたか? ホームレスも増えているってニュースでやってましたがお店とかはどうですか?
治安は以前より絶対に悪いです。このベイエリアで7月4日の独立祭の週末に17人殺されたとか(あるいは発砲事件が17件だったか?)。 万引きもしょっちゅう見かけます。 ホームレスも多いですし。 それらからうまく身を守る方法を身につけなければなりません。 ただどうしても運悪くというのはあるでしょうね。 こちらは夏は8時半くらいまで明るいのだけど、それまでに家に必ず帰るようにしています。
@@takashisoko340 治安悪そうですね、週末に17人殺されたんですか、 すごいことになってますね、 気をつけてください ありがとうございました。
街の写真、、道端に停めてある車、、日本車が多いね。。。。
それは昔も今もそうです。 車、時計、テレビその他、日本人って西洋のものをさらに優れたものにして製作するのが本当に上手だと思う。
壁の薄さが驚き。DIYで内側に防音材貼り付けたら可也違うのでは?
いえ、根本から安普請だから、もうどうしようもないと思います。
桑港さん、いつも拝見しています。私は少しだけ若輩ですが、失礼を承知で一言申し上げます。
冒頭、住宅価格で不公平と仰いましたが、世の中は理不尽な事だらけで公平は理想でしかあり得ません。嘆いてもなんの生産性も無いので考える事も口にする事も人生においてマイナス以外ありません。
高齢者になっても好奇心を持って先ずは接点を沢山持つ努力をしてください。自分にとって魅力的な人を見つけたら自分から自分をアピールする。相手に興味を抱いている姿勢を見せてこちらから胸襟を開けば、幾つになっても友人は出来ます。私は毎日友人が出来ます。ただし親友を求めてはいけません。大人同士の適切な距離感が互いに生き易い生活を実現します。
生まれ持った性格と仰いますが、私も内向的でひとりの時が大好きです。しかし、人生は演じる事が重要だと思います。役者になる場面を努力して作ります。私はたまたま経営者になりましたが、私の知る限り多くの社長は社長を演じています。
社長らしくしないと社員も取引先も不幸になるからです。性格は自身が生まれ持ったものだけではなく人生を歩んで創り上げた結果でもありまはす。だから遅い事はありません。また、一流大学から一流企業に勤めるのが日本の価値観と仰いましたが、多くの日本人はそのよう価値観はありません。すぐに諦めた結果かも知れませんが、他に沢山素晴らしい道がある事を見つけています。
何歳でも価値観を変える事は出来るはずです。
一回しかない人生ですから、先ずは他人と多く接するボランティアなどを沢山経験してもっともっと尊敬できる素晴らしい人との出会いを楽しんでください。自然に様々なチャンスがやって来ます。大変失礼しました。
どうも。 日本人も変わって来たんですね。 ご視聴、有難うございます。 これからもいろんな趣向の動画をアップして行きたいと思っておりますので、末永くおつきあい頂ければ幸甚です。
時々たかしさんの動画を拝見していますが、今回はなぜか穏やかな気持ちになれました。皆さん色んな気持ちを抱いて生きてらっしゃるんですね。たかしさんのご健康に祈念致します。また動画観せてくださいね。
有難うございます。皆さんに楽しんで頂けるのが一番の喜びです。いろんな趣向のものを上げて行きたいと思っていますので、末永くおつきあいください。
@@takashisoko340 はい、色んなことを勉強させるもらい、色んなことを楽しませていただきたく思います。よろしくお願い致します🙏
SFにも素晴らしい住宅街が有るんですね💦。普段観光では寄らない所なので知りませんでした。妻はSFの銀行に勤めていた事もあります。国際為替で。
僕の場合は何の基礎も無く始めた機械設計が自分に向いていました。アイデアマンとの評判はすぐつきましたし。仕事も倍くらいは早く質も上がってきたし。しかし給与は同年代中最低だったんです。休日の会社の行事はすっぽかしていたり深夜残業を拒否してたりしたのが愛社精神無しと判断されたのかもしれません。世間では先進的と見られていたH技研がこうであれば日本に居場所は無いなと判断しての移住です。アメリカの労働環境は自分に合っていました。価値ある仕事さえすれば他の事に口を挟んでこないですからね。最後は会社で設計ではHe is the manと呼ばれる様になりました。今引退して15年。日本に永住帰国しようかと探っています。僕が亡くなったと妻が一人で引っ越すのが大変すぎると言うので。実家は既に同じ様に弟に任せて相続放棄済み。(見返りは有りません)この家を売れば資金は有るので今どこに住もうかな〜と思案しているところです。
う~ん、まさに人生いろいろですね。頑張りましょう。