ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
8耐の時、鈴鹿外周路をペプシTシャツを着て歩いていたら、前からスクータに乗ったシュワンツが現れた。彼は私のTシャツに気付き、大きな声を出しながら近づいてきてくれ、肩を抱き寄せてくれた。今だったら自撮りとか出来たんだろうな。ペプシTシャツにサインをもらった時も物凄くフレンドリーに接してくれた彼は30年以上経った今でも一番のヒーローだね。
p32 g4 さん死ぬほど羨ましいデス。。。
@@YU-zs6mi 奇跡的に周囲に誰も居なくて、囲まれたりすることなく、30秒ほどの時間だったと思うけど、シュワンツ独り占めしてました。
スゴいな!うらやましすぎるぞ!!スペンサーにサインくださいって頼んだことあるが、目も合わせてくれなかったな(泣
ナイスアメリカン(^^)/
ケビン・シュワンツさん、今でも僕の中でNo1ライダーです。シュワンツ vs レイニーのバトルは本当に興奮しましたね。そして今年、そんなバトルを繰り広げていた2stマシンを知る最後のライダー、ロッシも引退することとなりました。これでWGPが本当に過去のものになってしまうようで、寂しい限りです。。。2stの乾いた音が好きでした。電子制御されていないマシンを、自らのテクニックのみでコントロールするライダーたちを観るのが好きでした。コンチネンタルサーカスと言う響きが好きでした。80年代 ~ 90年代は本当、イイ時代でしたね。
テレビ大阪の千年屋アナウンサーの絶叫中継や福田照男氏、山田純氏の解説と相まって最高に盛り上がりファンになりました。
やっぱりシュワンツが最高!!!チャンピオンには1度しかなれなかったけど、マシンのパワー不足を命を削るようなブレーキングでカバーしてコーナリングする姿が痺れる!!!
ゼッケン34番永久欠番だもんなぁシュワンツ一番好きなライダーだ!
シュワンツがいたからGPが大好きになった。
レイニー、シュワンツ、2人とも好きだった。あのドイツGPも放送をリアルタイムで見ていた。テレビの前で大興奮だったことをよく覚えている。当時はレイニーレプリカを、今はシュワンツレプリカのヘルメットをかぶってます。
このライダー達の走りをリアルタイムでムル事が出来本当に楽しかった。今でも一番の印象に残っているライダーがシュワンツ選手です。動画の作成ありがとうございました。
初めまして🔰👍️←goodを押したら「34」になったので、「これはご挨拶せねば‼️」と、独りで勝手に盛り上がって⤴️⤴️⤴️しまいましたww✨
以前ガードナーファンだったが89年の日本グランプリでのシュワンツを見てシュワンツファンになりました。それからはシュワンツレプリカ被ってVγに乗ってました。
'88vsガードナー '89vsレイニー 鈴鹿日本GPをヘアピンで観てました あんなレースを見せられてファンにならないわけがない
俺の中では世界最速で最高のライダーだ。あのハードブレーキングとフルバンクでのハイサイド寸前のマシンコントロールは理解不能で痺れたな。特にペプシ時代のケビンが好きだ。
前輪も派手に滑ってるのに制御してるのはホントに理解できなかった。笑
あのときのシュワンツは本当に格好良かった。あれから私のバイク人生は始まり、今でもスズキライダー(笑)。
アイツが居たから俺がいた。俺が居たからアイツが居た。そんな関係、素晴らしい!
この時代に夜中のTV放送で観てました、自分バイクはホンダ党ですが、この時代のライダーは皆んな大好きでした(でもレイニーファン)鈴鹿の8耐でレイニーのメットをかぶって走ったのは知りませんでした、なんか泣けてきます😭それにしてもシュワンツはコーナーの侵入から立ち上がりまで滑りっぱなしですね、カッコいい‼️
ケビン・レイニー最高のライダーこの時期楽しくて毎回見てました
この伝説のドイツGPインフィールド入口は、立ち上がりでバチバチ感丸出しなガン付け合ってんだよな。レイニーも最後まで諦めてなく、ちょっとでも隙あらば前出そうな雰囲気プンプン。この二強時代は全レースそんなテンションだったから、そら伝説にもなりますわ。
一番好きなライダーです。メールアドレスに20年以上「34-1」を入れてます。ドイツグランプリは一生忘れないと思います。
クルマのナンバーが希望ナンバー制になってから、私も34番を愛用しています。劣勢のマシンを限界まで走らせていた姿を今でも忘れられません。あの時代は日曜日の夜が楽しみでしたね。
あの年の1戦鈴鹿も鳥肌がたちました
ロトで3、4、34マークしてます。
7:59 現役時代を知ってるだけに、二人のこの姿を見た瞬間、泣けた。いい時代でした。
ポールを空けてレイニーカムバック(泣)
よくぞ、こんなの出してくれました!🙌ホンダ、ヤマハ2強時代にスズキVΓで、レイニーのイン差しこいて、リアブリブリ滑らして抜くシュワンツが間違いなくオレの中でNo. 1
ペプシカラーのツナギに「ヨシムラ」のワッペン。レイニーとの絆もですが、世話になったヨシムラへの恩・義理も決して忘れない。日本のファンにとても愛される所以ですね。
シュワンツの走りは最高だった。レース見てて楽しかった。実家には今もシュワンツの写真を額縁にいれて飾ったままだよ。最高のヒーローだね。
ラッキーストライクと34番。当時、シュワンツの影響で、タバコとスズキにハマってしまった😊
記録では無く記憶に残る選手
もしシュワンツがヤマハやホンダに移籍していたらもしかしたらもっと勝つこともあったけどスズキ一筋で義理堅いところも好きでした。でも非力なスズキだからこそファンはシュワンツを応援してたし勝ったときはすごく嬉しかったですね
予選でフロントローになるのにスタートで毎回出遅れ、後方からガンガン抜いてトップ争い。転倒かトップ争いかのドキドキハラハラ。大好きだったなぁなかなかタイトル取れず無冠の帝王なんて言われてたけど、年間タイトル取った時は痺れたねぇ東京12チャンネル(現テレビ東京)の深夜が楽しみでしたねぇ放送しなくなってしまい楽しみ減って愕然とした事が懐かしいレースやる時のナンバーを34番でやらせていただきました(草レース)
乗り継いだⅤ-Γは全部限定カラーで、当然メットもシュワンツカラーな位シュワンツ大好きだ~!!
「ウェインの怪我が治るなら僕はチャンピオンなんか要らない」あの一言に尽きます…91年ドイツGPでの異様な(笑)ブレーキングあれは、自称異様なレイニーファンの俺でも、とんでもねぇな(笑)でもカッコ良かったですよね。
ヨシムラ時代からのシュワンツファンが故にスズキのバイクに乗り続けレイトブレーキを意識して雨の中白線踏んで転けたことがあった位。今でも大好きですよ!ヒーローですよ!
個人的にはシュワンツvsレイニーと言う闘志むき出しの構図が1989年から1993年まで5年も続き、それを楽しめたのは本当に幸せな時間だった。永久欠番は、WGP界で初!しかも2021年現在、唯一存命のライダーを称えたもので、当時どんだけ世界中がWGPに熱狂したかが伺える。0:34 0:54 そうそう元々YAMAHA乗りだった。確か実家はYAMAHAのお店だったんじゃないかな?そのうちバリー・シーンに見いだされ、ヨシムラ、そしてGPデビューへとつながった。34を使い続けたのもシーンのアドバイスによるもの。1:26 この写真は「1988年、雨のドイツGP」かも知れないけど250ccマシン。この年が最後のゼッケン1のアントン・マンクやトップのルカ・カダローラが目立ってる。1:46 1989年のリタイアのうち少なくとも1回はスタッフの致命的なミス。誤った燃料計算によるガス欠が原因。でもスタッフをかばうためにシュワンツはマスコミにはエンジントラブルだと答え、SUZUKIもそれに従った。2:51 この時は命が助かって本当に良かったと思う。シュワンツの首が切断されてもおかしくない恐ろしい事故だった。しかし、それまで9戦中7戦で2位以上…と言うか全戦連続表彰台は終わってしまった。以後 レイニーがいなくなったのに表彰台は3位が2回。なんにせよ最悪な事故にならなくて本当に良かった。
誰かが書いているかもしれませんが全モータースポーツ界で唯一「34」を永久欠番にしているのはシュワンツだけですからね^ ^
WGPのシュワンツ、F1のマンセルが子供の頃のヒーローでした。圧倒的な速さを見せるもなかなかチャンピオンになれなかった2人。自分が好きになる選手はどこか共通点がありますね。
鳥肌立った。二人のバトルはスゲー
ケビンの旧カラーのメットかぶってました。おそらく実家にまだあるんじゃなかろうか足の長さがかっこよかったですねー有り余ってる感じでうらやましかったです(笑
特別にバイク好きって訳じゃないけど、この頃は地上波TV大阪で放送してて毎週見てました。今と違って地上波放送が有った影響は大きかったと思う。レコードラインを無駄なく走るレイニーとフルブレーキングのシュワンツの対決がとても面白かったのを思い出します。
この時代のダートあがりのライディングフォームが好きだ。フロント荷重のリーンアウトがマシンコントロールの肝だと分かっていても滑ることに慣れてないと怖くて無理。
グランプリでなく、8耐でヨシムラのシュワンツ、チームケニ―から出場してたレイニ―の走りを観た! 未だに脳裏に焼き付いてます。この頃のGPは本当に面白かった。
当時、安定感のレイニーと瞬発力のシュワンツのどちらが本当に速いのか論を仲間内でよく大激論してたっけな。自分的にはあの非力なガンマで圧倒的なパワーを誇るNSRやハンドリングに定評のあるYZR相手に同等に戦った事自体が既に異次元だと思ってる。故に自分の中では今でもシュワンツが最高のライダーです。ドイツGPのあのブレーキングは今も鮮明に覚えてて見る度に当時と同じぐらい鳥肌が立つ。出来る事なら当時の4強がHRCのワークスNSRで戦ってる姿を見てみたかった。
ガードナー以外はどのワークスでも同じ。シュワンツとローソンがホンダだったらガードナーじゃ相手にもならん。シュワンツが凄いのはガンマの非力なエンジンでもフレームと足回りとタイヤが耐えられないのに腕でカバーしていた事。シュワンツがNSRやYZRに乗っていたらあんな転倒かトップかなんてライディングはしなかっただろう。まさにローソンの強さとスペンサーの速さを兼ね備えたライダーになっていたでしょう。
バイク好きの友人が大ファンだったので、この選手を知ることになった。リアルタイムで見てはいなかったんだけど、後にネットで映像を見て、友人がファンになった理由が理解できた。まさに、2st 500ccを操るカウボーイという感じの、男前な選手。なんちゃってモータースポーツ・ファンの自分から見てもカッコイイ。フィクションの世界なら、間違いなく主人公キャラという感じのライディング・スタイル。いまは、校長先生なんですねw
89年鈴鹿のシュワンツVSレイニーは今でもDVDで見ます、鳥肌ものです!この年はローソンも加わり3人のアメリカンライダーの壮絶なチャンピオン争いでしたね、ここにスペンサーも加われば凄い事になったと思いますが残念ながらシーズン途中でマルボロヤマハを解雇されてしまいました、残念!
登場シュワンツの着ていたRS Taichi のツナギをお店に観に行ったり、シュワンツが最初に使い出したアルパインスターズのスネのところにガードのついたモトクロス用のようなブーツ買ったな〜
2stで旋回時間をできるだけ短くする乗り方の時代でしたけど、進入でリア荷重が抜けるのを足を下ろしてバランスを取ったり寝ているうちから前後を滑らせて立ち上がったりと今のMOTOGPの走らせ方を時折しているのに気が付いて驚きました。
特にペプシカラーでモナコ激走してるやつはほんとカッコいい
マカオでは?
大好きだった、ヘルメットも16歳の時に買った、ラッキーストライクのジャンパーも買った。接戦ばかりで楽しいレースだったな。
ライバルが居るということは、幸せなこと。
当時20歳代で、大興奮したドイツのホッケンハイムリンクでのギリギリの突っ込み勝負が忘れられません。当時銀色のSUZUKI GSXR―400Rに乗っていた時期があって、応援のつもりで、タバコはずっと Lucky Strike 吸ってました(笑)懐かしい〜。
ショウエイのレイニーレプリカを被って、FZRに乗っていました。 シュワンツ氏とのバトル、今でも胸が熱くなります・・・!!
日本GPのガードナーをシケインで差したブレーキングは圧巻でした!
いつの8耐か忘れましたが、シュワンツのあまりのハイペースにヨシムラチームの燃費計算が狂い、結果コース上でガス欠してしまったマシンをピットまで押して帰って来た姿勢に感銘を受けました。
チョーク戻し忘れじゃなかったでしたっけ?
@@ノ木乃シムロ その通り、まさかのチョークを引いたままだったそうですね。
優勝か転倒か…。飽くなき闘争心が見せた、鬼の様なブレーキング…。93年か94年のドニントン…印象的でした。
ドイツGPの突っ込みは、TVの前で夜中だと言うのに大絶叫したのは良い思い出w。当時の彼らがすごかったのは、あんな抜き方をしてもライン一本残してあげている信頼関係である事!これ大事だよ。(マルケスとは、大違い。)激しいバトルの中にクリーンなレースが見れたのも良かった。
たしかヨシムラ時代にデイトナで練習走行中バンクで転倒して、それに乗り上げた辻本が大腿骨骨折でその後ほぼ終わってしまったんだった(何年か後に辻本は復帰したけど以前の速さはなく…)そういうのもあって後年レイニーが事故で居なくなった事はシュワンツにとっては耐えられなかったんだろうなぁ。とても熱い人間味を感じて印象深いライダーです。
シュワンツは最速の称号を得ながらもなかなかタイトルが取れなくて、それなのに本当にやっとの思いで初めてタイトルを取った瞬間が、最大のライバルであり友人でもあるレイニーのライダー生命が終わってしまった瞬間にもなってしまったなんて、本当に率直にシュワンツが可哀そうで、本当だったら両手を挙げて大喜び出来たはずだったのに、神様はなんて残酷なことをするんだろうと、こんな皮肉な結果ってある?と未だにやりきれない気持ちになります。
ヤマハやホンダに比べ明らかに劣るマシンで、性能の100%以上の速さを引き出そうと全身を駆使して走ってるのが画面越しにも伝わってきた自分にとって最高のライダーだもう一人の伝説のライダーであるロッシと顔が似てる
シュワンツの引退以降、レース見てない。タンクが空に近くなりタイヤが滑ってもファステストストラップ叩き出すのはこの人ぐらい。紛れもなく伝説のライダーだった。
涙が出てきます
シュワンツと戦った辻本忘れません。
89鈴鹿をシケインスタンドで見てた。異様な雰囲気だったよ。94年まで現地に見に行ったけどスタンド総立ちなんてこの年以外無かったもの。
34⭐️最強‼️最高‼️
当時峠ではNSRだらけ。CBR250RRから2stに乗り換える時に「やっぱシュワンツのガンマでしょ!」と初めて買ってからもう30年ほど。純正ではないけど今でもラッキーストライクカラーにしてます。ブレーキング時に長身な上体起こして、毎回ではないけど右足をクルンと回して?乗せ替える仕草は真似したなぁ笑シュワンツの話ではないけど、鈴鹿に観戦に行った時にシュワンツレプリカにロッシからサイン貰ったのが思い出。
この時代で現代のようなスネーキングしてるのがたまらん!
竜洋テストコースにてシュワンツにサインしてもらったツナギは宝物です。
ミニチュアバイクを持っています。私の中で最高の、尊敬する大好きなライダーです!!
シュワンツ最高ですね♡♡♡
みんなと酒飲みながらシュワンツについて語り明かしたい。
鈴鹿のデグナーで真横に並んで走ってたシュワンツとレイニーを思い出します 横からの映像では重なってて1台しか見えない 良くあのデグナーで横並びにできるよなーと… 二人の信頼関係がなければ出来ない アグレッシブなシュワンツとスタディなレイニー レイニーの妹との関係は有名でしたね(少し皮肉屋のレイニーでもありますから…)
シュワンツ大好きでした。乗用車のナンバーを34に今もしてます。突っ込みのシュワンツ格好良いよね!特にドニントン・パークや鈴鹿でのレース好きでした。
リアルでTV観てた!当時まだベルリンの壁が存在していた、西ドイツGP(ホッケンハイムだったような…)のレイニーとのバトルは鳥肌立った!この時代は各メーカーが競って、NSR・TZR・RGV-γとレーサーレプリカマシンを出してたな…いい時代だったな!当時自分も88NSR乗ってたよ!今じゃ当時の新車の価格をはるかに上回る値段になってしまった。
自分が世界GPを見だしたのはドゥーハン クリビーレ時代 その後シュワンツ レイニー時代を知りました。良きライバルだったんですねえ
懐かしい・・・当時は大ファンでしたガードナーやレイニーみたいな安定感はなかったものの、基地外じみたブレーキング、ハイサイド起こしそうになっても普通にパワーリフト?でリカバリーしたりと、あのアグレッシブさには憧れました
ケビンシュワンツ ワインガードナー ウェインレイニー ローソン 素晴らしい選手が一杯いた😂
強烈なブレーキングで後輪が浮くそんな時人間の制御なんて体幹と足しかないw
鈴鹿シケインのツッコミ全盛期なら、世界一だね。私は、鈴鹿8耐生観戦が最高の思い出だね。
90年前後は速かった。手足が長く路面に張り付く様なライディングが印象に残ってます。
本当に感動をくれるライダーでした。動画を作ってくれてありがとうございます。何年だったかフジスーパースプリントで、レース前日、ミーティングでコースの状態について意見するケビンの横で話を聞いていたことがうれしい思い出です。
ケビン・シュワンツ・・・素晴らしい伝説のライダーだった一人です。2000年オーストラリアンサファリで見かけました。お兄さん?同じ顔してました。オフロードも走るんですね。#34、今でも好きなナンバーです。
1988年にスズキがWGPに復帰した第1戦日本GPでシュワンツがガードナーを抑えて優勝した時はド肝抜かれたね
87年に一応復帰してます、途中で開発の為引っ込んでますが
@@ノ木乃シムロ 知ってます👍本格的に復帰したのは88年ですね…。
@@yoppy5287 しばらく低迷していたスズキを復活させた立役者でした。
@@ノ木乃シムロ 87年も事故死したアイアンの代打で数戦出てましたね。
@@maruhiroya417 WGP休止前のスズキはバリーシーン、ランディマモラ、マルコルッキネリ、フランコウンチーニが活躍してましたね?正直、シュワンツは期待してなかったけどガードナーに競り勝って優勝した時はびっくりしました…。
チーム加賀山で8耐走って3位になったライディングを見てまたバイクを乗り出しました。
どいつGPは鳥肌たったなー
記録より記憶に残るライダー、それがケビン・シュワンツ。1988年の日本グランプリでガードナーに勝った後のウィニングランで、バンザイしながら一周したのを思い出します。
なんか素敵な動画ですね!ケビン選手は早くてよく転けるイメージでした、でもこんな裏話があったとは、以外ですありがとうございます!
ナレーターの声が聴きやすい。
あのブレーキングはwowwowでライブで観たと思う。オーバースピードだったのは知らなかった。雑誌では新型ロッキード6ポッドキャリパーのおかげと記載があったような気がします。あの頃レースをしながら(その他大勢の1人)伝説級のライダー達の活躍を観る事が出来て良かった。
上体を立てたスタイルが似た阿部ノリックはレイニーが監督してたような、。ガンマはストレートが遅く転倒も紙一重で挑む。現在も健在なのが奇跡かも。
ペプシとラッキーストライクには結構お金を使いました。
ちょっと前までGSX-R600に乗ってましたが、被っていたヘルメットはもちろんシュワンツモデルでした。今はバイクは乗っていないけどそのヘルメットだけは大切に保管してます。
当時のシュワンツバイクに乗らせれば間違いなく世界一速い男、当時は無冠の帝王と言われてました。シュワンツの優勝するか転倒するかの走りは凄かった。もうこんなライダーは出ないでしょう!ビックリしたのは2位を30秒放して転倒した。この人狂ってると思いました。自分はヤマハ派ですが、シュワンツを応援してました。自分も長身細身なのでシュワンツの乗り方を真似してました。シュワンツは上半身と下半身を別にした乗り方です。何かあった時、上半身別にしてるので対応出来る。この乗り方は背が高くないと出来ません。背の高い人やってみて。
好きだよ、もうれしです
「モトクロスはフィジカルトレーニングが欠かせないけど、ロードレースはやらなくてもレース出来るから(ロードレースを選んだ)」って、今聞いたらロードレーサー全員から総スカンを喰いそうなことを現役当時インタビューで応えてましたね(笑)もっとも、引退の一因になった手首のケガはBMXでの転倒が原因だったらしいので、「フィジカルトレーニングやらなくてもイイから…」は、アメリカンジョークだったのかも(笑)
1989年の日本GPのシケインは現場で見た。後にも先にも、レースを見てて鳥肌が立ったのはあの時だけ。
「世界一カッコいい仕事はロックバンドかレーサー」って話してた記憶
シュワンツのドリフト走行は記憶に残ってる!ウェインレイニーとのバトル興奮しました!レイニーの引退後チャンピオンになったがレイニーのいないGPに飽きたか引退!素晴らしいレジェンドライダー!ありがとう!
シュワンツはWGP引退後、いつの間にやらパリダカにも出場し正に真のバイク野郎だと思っていた!今、思えばバイクに乗り出したのも当時のシュワンツ観てからだったなぁー
この時代のレースを今の映像技術で見たかった
シュワンツはカウいボーイそのものだね。大好き。
サムネのバランス感覚が凄い。
シュワンツが大好きすぎて20代後半に2輪免許を取ってVΓ乗ってました
俺のレジェンドライダーは平忠彦とシュワンツだな!
懐かしい^o^80〜90年代前半は6強と言われてました、ステディ・エディ、ガードナー、レイニー、シュワンツ、ドゥーハン、コシンスキー❗️皆ダートラ上がりの大陸系ライダーでしたね^o^この頃はヨーロピアンライダーは勝てないと言われてました!スライドコントロールを身に付けたものがサーキットを制すとか何とか?
千年屋アナ「シュワンツがホールショットぉおお!!」
最も良かったGPだった
鈴鹿でのスタンディングガッツポーズは実はRGVΓがあまりにもコンパクト過ぎたからと言ってたな。
スズキは伝統的にコンパクト志向ですよね、スクエア4の頃から。
8耐の時、鈴鹿外周路をペプシTシャツを着て歩いていたら、前からスクータに乗ったシュワンツが現れた。彼は私のTシャツに気付き、大きな声を出しながら近づいてきてくれ、肩を抱き寄せてくれた。今だったら自撮りとか出来たんだろうな。ペプシTシャツにサインをもらった時も物凄くフレンドリーに接してくれた彼は30年以上経った今でも一番のヒーローだね。
p32 g4 さん
死ぬほど羨ましいデス。。。
@@YU-zs6mi 奇跡的に周囲に誰も居なくて、囲まれたりすることなく、30秒ほどの時間だったと思うけど、シュワンツ独り占めしてました。
スゴいな!うらやましすぎるぞ!!
スペンサーにサインくださいって頼んだことあるが、目も合わせてくれなかったな(泣
ナイスアメリカン(^^)/
ケビン・シュワンツさん、今でも僕の中でNo1ライダーです。
シュワンツ vs レイニーのバトルは本当に興奮しましたね。
そして今年、そんなバトルを繰り広げていた2stマシンを知る最後のライダー、ロッシも引退することとなりました。
これでWGPが本当に過去のものになってしまうようで、寂しい限りです。。。
2stの乾いた音が好きでした。
電子制御されていないマシンを、自らのテクニックのみでコントロールするライダーたちを観るのが好きでした。
コンチネンタルサーカスと言う響きが好きでした。
80年代 ~ 90年代は本当、イイ時代でしたね。
テレビ大阪の千年屋アナウンサーの絶叫中継や福田照男氏、山田純氏の解説と相まって最高に盛り上がりファンになりました。
やっぱりシュワンツが最高!!!
チャンピオンには1度しかなれなかったけど、マシンのパワー不足を命を削るようなブレーキングでカバーしてコーナリングする姿が痺れる!!!
ゼッケン34番
永久欠番だもんなぁ
シュワンツ一番好きなライダーだ!
シュワンツがいたからGPが大好きになった。
レイニー、シュワンツ、2人とも好きだった。あのドイツGPも放送をリアルタイムで見ていた。テレビの前で大興奮だったことをよく覚えている。当時はレイニーレプリカを、今はシュワンツレプリカのヘルメットをかぶってます。
このライダー達の走りをリアルタイムでムル事が出来本当に楽しかった。
今でも一番の印象に残っているライダーがシュワンツ選手です。
動画の作成ありがとうございました。
初めまして🔰👍️←goodを押したら
「34」になったので、「これはご挨拶せねば‼️」と、独りで勝手に盛り上がって⤴️⤴️⤴️しまいましたww✨
以前ガードナーファンだったが89年の日本グランプリでのシュワンツを見てシュワンツファンになりました。それからはシュワンツレプリカ被ってVγに乗ってました。
'88vsガードナー '89vsレイニー 鈴鹿日本GPをヘアピンで観てました あんなレースを見せられてファンにならないわけがない
俺の中では世界最速で最高のライダーだ。
あのハードブレーキングとフルバンクでのハイサイド寸前のマシンコントロールは理解不能で痺れたな。
特にペプシ時代のケビンが好きだ。
前輪も派手に滑ってるのに制御してるのは
ホントに理解できなかった。笑
あのときのシュワンツは本当に格好良かった。あれから私のバイク人生は始まり、今でもスズキライダー(笑)。
アイツが居たから俺がいた。
俺が居たからアイツが居た。
そんな関係、素晴らしい!
この時代に夜中のTV放送で観てました、自分バイクはホンダ党ですが、この時代のライダーは皆んな大好きでした(でもレイニーファン)鈴鹿の8耐でレイニーのメットをかぶって走ったのは知りませんでした、なんか泣けてきます😭それにしてもシュワンツはコーナーの侵入から立ち上がりまで滑りっぱなしですね、カッコいい‼️
ケビン・レイニー最高のライダーこの時期楽しくて毎回見てました
この伝説のドイツGPインフィールド入口は、立ち上がりでバチバチ感丸出しなガン付け合ってんだよな。
レイニーも最後まで諦めてなく、ちょっとでも隙あらば前出そうな雰囲気プンプン。
この二強時代は全レースそんなテンションだったから、そら伝説にもなりますわ。
一番好きなライダーです。
メールアドレスに20年以上「34-1」を入れてます。ドイツグランプリは一生忘れないと思います。
クルマのナンバーが希望ナンバー制になってから、私も34番を愛用しています。
劣勢のマシンを限界まで走らせていた姿を今でも忘れられません。
あの時代は日曜日の夜が楽しみでしたね。
あの年の1戦鈴鹿も鳥肌がたちました
ロトで3、4、34マークしてます。
7:59 現役時代を知ってるだけに、二人のこの姿を見た瞬間、泣けた。いい時代でした。
ポールを空けてレイニーカムバック(泣)
よくぞ、こんなの出してくれました!🙌
ホンダ、ヤマハ2強時代にスズキVΓで、レイニーのイン差しこいて、リアブリブリ滑らして抜くシュワンツが間違いなくオレの中でNo. 1
ペプシカラーのツナギに「ヨシムラ」のワッペン。
レイニーとの絆もですが、世話になったヨシムラへの恩・義理も決して忘れない。
日本のファンにとても愛される所以ですね。
シュワンツの走りは最高だった。レース見てて楽しかった。実家には今もシュワンツの写真を額縁にいれて飾ったままだよ。最高のヒーローだね。
ラッキーストライクと34番。
当時、シュワンツの影響で、タバコとスズキにハマってしまった😊
記録では無く記憶に残る選手
もしシュワンツがヤマハやホンダに移籍していたらもしかしたらもっと勝つこともあったけどスズキ一筋で義理堅いところも好きでした。でも非力なスズキだからこそファンはシュワンツを応援してたし勝ったときはすごく嬉しかったですね
予選でフロントローになるのにスタートで毎回出遅れ、後方からガンガン抜いてトップ争い。
転倒かトップ争いかのドキドキハラハラ。
大好きだったなぁ
なかなかタイトル取れず無冠の帝王なんて言われてたけど、年間タイトル取った時は痺れたねぇ
東京12チャンネル(現テレビ東京)の深夜が楽しみでしたねぇ
放送しなくなってしまい楽しみ減って愕然とした事が懐かしい
レースやる時のナンバーを34番でやらせていただきました(草レース)
乗り継いだⅤ-Γは全部限定カラーで、当然メットもシュワンツカラーな位
シュワンツ大好きだ~!!
「ウェインの怪我が治るなら僕はチャンピオンなんか要らない」あの一言に尽きます…91年ドイツGPでの異様な(笑)ブレーキングあれは、自称異様なレイニーファンの俺でも、とんでもねぇな(笑)でもカッコ良かったですよね。
ヨシムラ時代からのシュワンツファンが故にスズキのバイクに乗り続けレイトブレーキを意識して雨の中白線踏んで転けたことがあった位。今でも大好きですよ!ヒーローですよ!
個人的にはシュワンツvsレイニーと言う闘志むき出しの構図が1989年から1993年まで5年も続き、それを楽しめたのは本当に幸せな時間だった。
永久欠番は、WGP界で初!しかも2021年現在、唯一存命のライダーを称えたもので、当時どんだけ世界中がWGPに熱狂したかが伺える。
0:34 0:54 そうそう元々YAMAHA乗りだった。確か実家はYAMAHAのお店だったんじゃないかな?
そのうちバリー・シーンに見いだされ、ヨシムラ、そしてGPデビューへとつながった。
34を使い続けたのもシーンのアドバイスによるもの。
1:26 この写真は「1988年、雨のドイツGP」かも知れないけど250ccマシン。この年が最後のゼッケン1のアントン・マンクやトップのルカ・カダローラが目立ってる。
1:46 1989年のリタイアのうち少なくとも1回はスタッフの致命的なミス。誤った燃料計算によるガス欠が原因。
でもスタッフをかばうためにシュワンツはマスコミにはエンジントラブルだと答え、SUZUKIもそれに従った。
2:51 この時は命が助かって本当に良かったと思う。
シュワンツの首が切断されてもおかしくない恐ろしい事故だった。
しかし、それまで9戦中7戦で2位以上…と言うか全戦連続表彰台は終わってしまった。以後 レイニーがいなくなったのに表彰台は3位が2回。
なんにせよ最悪な事故にならなくて本当に良かった。
誰かが書いているかもしれませんが全モータースポーツ界で唯一「34」を永久欠番にしているのはシュワンツだけですからね^ ^
WGPのシュワンツ、F1のマンセルが子供の頃のヒーローでした。
圧倒的な速さを見せるもなかなかチャンピオンになれなかった2人。
自分が好きになる選手はどこか共通点がありますね。
鳥肌立った。二人のバトルはスゲー
ケビンの旧カラーのメットかぶってました。おそらく実家にまだあるんじゃなかろうか
足の長さがかっこよかったですねー
有り余ってる感じでうらやましかったです(笑
特別にバイク好きって訳じゃないけど、この頃は地上波TV大阪で放送してて毎週見てました。
今と違って地上波放送が有った影響は大きかったと思う。
レコードラインを無駄なく走るレイニーとフルブレーキングのシュワンツの対決がとても面白かったのを思い出します。
この時代のダートあがりのライディングフォームが好きだ。
フロント荷重のリーンアウトがマシンコントロールの肝だと分かっていても滑ることに慣れてないと怖くて無理。
グランプリでなく、8耐でヨシムラのシュワンツ、チームケニ―から出場してたレイニ―の走りを観た! 未だに脳裏に焼き付いてます。
この頃のGPは本当に面白かった。
当時、安定感のレイニーと瞬発力のシュワンツのどちらが本当に速いのか論を仲間内でよく大激論してたっけな。
自分的にはあの非力なガンマで圧倒的なパワーを誇るNSRやハンドリングに定評のあるYZR相手に同等に戦った事自体が既に異次元だと思ってる。
故に自分の中では今でもシュワンツが最高のライダーです。
ドイツGPのあのブレーキングは今も鮮明に覚えてて見る度に当時と同じぐらい鳥肌が立つ。
出来る事なら当時の4強がHRCのワークスNSRで戦ってる姿を見てみたかった。
ポールを空けてレイニーカムバック(泣)
ガードナー以外はどのワークスでも同じ。シュワンツとローソンがホンダだったらガードナーじゃ相手にもならん。シュワンツが凄いのはガンマの非力なエンジンでもフレームと足回りとタイヤが耐えられないのに腕でカバーしていた事。シュワンツがNSRやYZRに乗っていたらあんな転倒かトップかなんてライディングはしなかっただろう。まさにローソンの強さとスペンサーの速さを兼ね備えたライダーになっていたでしょう。
バイク好きの友人が大ファンだったので、この選手を知ることになった。リアルタイムで見てはいなかったんだけど、後にネットで映像を見て、友人がファンになった理由が理解できた。まさに、2st 500ccを操るカウボーイという感じの、男前な選手。なんちゃってモータースポーツ・ファンの自分から見てもカッコイイ。フィクションの世界なら、間違いなく主人公キャラという感じのライディング・スタイル。いまは、校長先生なんですねw
89年鈴鹿のシュワンツVSレイニーは今でもDVDで見ます、鳥肌ものです!
この年はローソンも加わり3人のアメリカンライダーの壮絶なチャンピオン争いでしたね、ここにスペンサーも加われば凄い事になったと思いますが残念ながらシーズン途中でマルボロヤマハを解雇されてしまいました、残念!
登場シュワンツの着ていたRS Taichi のツナギをお店に観に行ったり、シュワンツが最初に使い出したアルパインスターズのスネのところにガードのついたモトクロス用のようなブーツ買ったな〜
2stで旋回時間をできるだけ短くする乗り方の時代でしたけど、進入でリア荷重が抜けるのを足を下ろしてバランスを取ったり寝ているうちから前後を滑らせて立ち上がったりと今のMOTOGPの走らせ方を時折しているのに気が付いて驚きました。
特にペプシカラーでモナコ激走してるやつはほんとカッコいい
マカオでは?
大好きだった、ヘルメットも16歳の時に買った、ラッキーストライクのジャンパーも買った。
接戦ばかりで楽しいレースだったな。
ライバルが居るということは、幸せなこと。
当時20歳代で、大興奮したドイツのホッケンハイムリンクでのギリギリの突っ込み勝負が忘れられません。当時銀色のSUZUKI GSXR―400Rに乗っていた時期があって、応援のつもりで、タバコはずっと Lucky Strike 吸ってました(笑)懐かしい〜。
ショウエイのレイニーレプリカを被って、FZRに乗っていました。 シュワンツ氏とのバトル、今でも胸が熱くなります・・・!!
日本GPのガードナーをシケインで差したブレーキングは圧巻でした!
いつの8耐か忘れましたが、シュワンツのあまりのハイペースにヨシムラチームの燃費計算が狂い、結果コース上でガス欠してしまったマシンをピットまで押して帰って来た姿勢に感銘を受けました。
チョーク戻し忘れじゃなかったでしたっけ?
@@ノ木乃シムロ その通り、まさかのチョークを引いたままだったそうですね。
優勝か転倒か…。
飽くなき闘争心が見せた、鬼の様なブレーキング…。
93年か94年のドニントン…印象的でした。
ドイツGPの突っ込みは、TVの前で夜中だと言うのに大絶叫したのは良い思い出w。当時の彼らがすごかったのは、あんな抜き方をしてもライン一本残してあげている信頼関係である事!これ大事だよ。(マルケスとは、大違い。)激しいバトルの中にクリーンなレースが見れたのも良かった。
たしかヨシムラ時代にデイトナで練習走行中バンクで転倒して、それに乗り上げた辻本が大腿骨骨折でその後ほぼ終わってしまったんだった(何年か後に辻本は復帰したけど以前の速さはなく…)
そういうのもあって後年レイニーが事故で居なくなった事はシュワンツにとっては耐えられなかったんだろうなぁ。とても熱い人間味を感じて印象深いライダーです。
シュワンツは最速の称号を得ながらもなかなかタイトルが取れなくて、それなのに本当にやっとの思いで初めてタイトルを取った瞬間が、最大のライバルであり友人でもあるレイニーのライダー生命が終わってしまった瞬間にもなってしまったなんて、本当に率直にシュワンツが可哀そうで、本当だったら両手を挙げて大喜び出来たはずだったのに、神様はなんて残酷なことをするんだろうと、こんな皮肉な結果ってある?と未だにやりきれない気持ちになります。
ヤマハやホンダに比べ明らかに劣るマシンで、性能の100%以上の速さを引き出そうと全身を駆使して走ってるのが画面越しにも伝わってきた
自分にとって最高のライダーだ
もう一人の伝説のライダーであるロッシと顔が似てる
シュワンツの引退以降、レース見てない。
タンクが空に近くなりタイヤが滑ってもファステストストラップ叩き出すのはこの人ぐらい。
紛れもなく伝説のライダーだった。
涙が出てきます
シュワンツと戦った辻本忘れません。
89鈴鹿をシケインスタンドで見てた。異様な雰囲気だったよ。94年まで現地に見に行ったけどスタンド総立ちなんてこの年以外無かったもの。
34⭐️最強‼️最高‼️
当時峠ではNSRだらけ。CBR250RRから2stに乗り換える時に「やっぱシュワンツのガンマでしょ!」と初めて買ってからもう30年ほど。
純正ではないけど今でもラッキーストライクカラーにしてます。
ブレーキング時に長身な上体起こして、毎回ではないけど右足をクルンと回して?乗せ替える仕草は真似したなぁ笑
シュワンツの話ではないけど、鈴鹿に観戦に行った時にシュワンツレプリカにロッシからサイン貰ったのが思い出。
この時代で現代のようなスネーキングしてるのがたまらん!
竜洋テストコースにてシュワンツにサインしてもらったツナギは宝物です。
ミニチュアバイクを持っています。
私の中で最高の、尊敬する大好きなライダーです!!
シュワンツ最高ですね♡♡♡
みんなと酒飲みながらシュワンツについて語り明かしたい。
鈴鹿のデグナーで真横に並んで走ってたシュワンツとレイニーを思い出します 横からの映像では重なってて1台しか見えない 良くあのデグナーで横並びにできるよなーと… 二人の信頼関係がなければ出来ない アグレッシブなシュワンツとスタディなレイニー レイニーの妹との関係は有名でしたね(少し皮肉屋のレイニーでもありますから…)
シュワンツ大好きでした。乗用車のナンバーを34に今もしてます。突っ込みのシュワンツ格好良いよね!特にドニントン・パークや鈴鹿でのレース好きでした。
リアルでTV観てた!当時まだベルリンの壁が存在していた、西ドイツGP(ホッケンハイムだったような…)のレイニーとのバトルは鳥肌立った!この時代は各メーカーが競って、NSR・TZR・RGV-γとレーサーレプリカマシンを出してたな…いい時代だったな!当時自分も88NSR乗ってたよ!今じゃ当時の新車の価格をはるかに上回る値段になってしまった。
自分が世界GPを見だしたのはドゥーハン クリビーレ時代 その後シュワンツ レイニー時代を知りました。良きライバルだったんですねえ
懐かしい・・・当時は大ファンでした
ガードナーやレイニーみたいな安定感はなかったものの、基地外じみたブレーキング、ハイサイド起こしそうになっても普通にパワーリフト?でリカバリーしたりと、あのアグレッシブさには憧れました
ケビンシュワンツ ワインガードナー ウェインレイニー ローソン 素晴らしい選手が一杯いた😂
強烈なブレーキングで後輪が浮くそんな時人間の制御なんて体幹と足しかないw
鈴鹿シケインのツッコミ全盛期なら、世界一だね。私は、鈴鹿8耐生観戦が最高の思い出だね。
90年前後は速かった。手足が長く路面に張り付く様な
ライディングが印象に残ってます。
本当に感動をくれるライダーでした。
動画を作ってくれてありがとうございます。
何年だったかフジスーパースプリントで、
レース前日、ミーティングでコースの状態について意見するケビンの横で話を聞いていたことが
うれしい思い出です。
ケビン・シュワンツ・・・素晴らしい伝説のライダーだった一人です。
2000年オーストラリアンサファリで見かけました。
お兄さん?同じ顔してました。オフロードも走るんですね。
#34、今でも好きなナンバーです。
1988年にスズキがWGPに復帰した第1戦日本GPでシュワンツがガードナーを抑えて優勝した時はド肝抜かれたね
87年に一応復帰してます、途中で開発の為引っ込んでますが
@@ノ木乃シムロ 知ってます👍本格的に復帰したのは88年ですね…。
@@yoppy5287
しばらく低迷していたスズキを復活させた立役者でした。
@@ノ木乃シムロ
87年も事故死したアイアンの代打で数戦出てましたね。
@@maruhiroya417 WGP休止前のスズキはバリーシーン、ランディマモラ、マルコルッキネリ、フランコウンチーニが活躍してましたね?正直、シュワンツは期待してなかったけどガードナーに競り勝って優勝した時はびっくりしました…。
チーム加賀山で8耐走って3位になったライディングを見てまたバイクを乗り出しました。
どいつGPは鳥肌たったなー
記録より記憶に残るライダー、それがケビン・シュワンツ。1988年の日本グランプリでガードナーに勝った後のウィニングランで、バンザイしながら一周したのを思い出します。
なんか素敵な動画ですね!
ケビン選手は早くてよく転けるイメージでした、でもこんな裏話があったとは、以外ですありがとうございます!
ナレーターの声が聴きやすい。
あのブレーキングはwowwowでライブで観たと思う。オーバースピードだったのは知らなかった。雑誌では新型ロッキード6ポッドキャリパーのおかげと記載があったような気がします。あの頃レースをしながら(その他大勢の1人)伝説級のライダー達の活躍を観る事が出来て良かった。
上体を立てたスタイルが似た阿部ノリックはレイニーが監督してたような、。ガンマはストレートが遅く転倒も紙一重で挑む。現在も健在なのが奇跡かも。
ペプシとラッキーストライクには結構お金を使いました。
ちょっと前までGSX-R600に乗ってましたが、被っていたヘルメットはもちろんシュワンツモデルでした。
今はバイクは乗っていないけどそのヘルメットだけは大切に保管してます。
当時のシュワンツバイクに乗らせれば間違いなく世界一速い男、
当時は無冠の帝王と言われてました。
シュワンツの優勝するか転倒するかの走りは凄かった。もうこんなライダーは出ないでしょう!
ビックリしたのは2位を30秒放して転倒した。
この人狂ってると思いました。
自分はヤマハ派ですが、シュワンツを応援してました。
自分も長身細身なのでシュワンツの乗り方を真似してました。
シュワンツは上半身と下半身を別にした乗り方です。
何かあった時、上半身別にしてるので対応出来る。
この乗り方は背が高くないと出来ません。
背の高い人やってみて。
好きだよ、もうれしです
「モトクロスはフィジカルトレーニングが欠かせないけど、ロードレースはやらなくてもレース出来るから(ロードレースを選んだ)」って、今聞いたらロードレーサー全員から総スカンを喰いそうなことを現役当時インタビューで応えてましたね(笑)
もっとも、引退の一因になった手首のケガはBMXでの転倒が原因だったらしいので、「フィジカルトレーニングやらなくてもイイから…」は、アメリカンジョークだったのかも(笑)
1989年の日本GPのシケインは現場で見た。
後にも先にも、レースを見てて鳥肌が立ったのはあの時だけ。
「世界一カッコいい仕事はロックバンドかレーサー」って話してた記憶
シュワンツのドリフト走行は記憶に残ってる!ウェインレイニーとのバトル興奮しました!レイニーの引退後チャンピオンになったがレイニーのいないGPに飽きたか引退!素晴らしいレジェンドライダー!ありがとう!
シュワンツはWGP引退後、いつの間にやらパリダカにも出場し正に真のバイク野郎だと思っていた!
今、思えばバイクに乗り出したのも当時のシュワンツ観てからだったなぁー
この時代のレースを今の映像技術で見たかった
シュワンツはカウいボーイそのものだね。大好き。
サムネのバランス感覚が凄い。
シュワンツが大好きすぎて20代後半に2輪免許を取ってVΓ乗ってました
俺のレジェンドライダーは平忠彦とシュワンツだな!
懐かしい^o^80〜90年代前半は6強と言われてました、ステディ・エディ、ガードナー、レイニー、シュワンツ、ドゥーハン、コシンスキー❗️皆ダートラ上がりの大陸系ライダーでしたね^o^この頃はヨーロピアンライダーは勝てないと言われてました!スライドコントロールを身に付けたものがサーキットを制すとか何とか?
千年屋アナ「シュワンツがホールショットぉおお!!」
最も良かったGPだった
鈴鹿でのスタンディングガッツポーズは実はRGVΓがあまりにもコンパクト過ぎたからと言ってたな。
スズキは伝統的にコンパクト志向ですよね、スクエア4の頃から。