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イギリスに賃貸に住んでる公爵様がいるらしい
エイジオブエンパイア2の町を囲う城壁がそのまま城って概念だったのか。
万里の長城とかただの壁やんなんで「城」なのよと思ってましたが、中華全体を城市と構想した結果なのかも、と思うと始皇帝の壮大さやばい。
コンスタンティノープルみたいに、城塞都市の中に宮殿があるイメージこれでいうたら城の中に城があることになるんかな?
この動画で説明されている日本と大陸の戦争観の違いは、チェスと違って将棋では取った駒を自分の駒として使えることにも通じている気がしますね。
ああ、なるほど。言われてみれば確かに。敵は皆頃しがデフォなら駒を味方にする考えも薄いか。逆に敵を吸収しまくったローマ時代なら将棋に似たようなゲームありそう。
GHQが「将棋は捕虜を酷使するゲームか?」と将棋つぶしをしようとした際、かの升田幸三大先生は「何を言うか!チェスと違って殺さないで人材を再び活用しているのだ!」と論陣を張り、返す刀で「チェスはキングがクイーンにこそこそと守られている!レディ・ファーストの国が聞いて呆れる!」とぶった切りました。範馬勇次郎と違い、実在の人物でGHQに負けなかった数少ない日本人です。
自分が思ってる以上に単一民族って幸福なことなんだ
宮殿機能を持つのは御殿で天守(キープ)は1象徴,2倉庫, 3有事の避難所では。
真面目な動画を真面目モードで見にきてるのに、城を問われて即座にチェイテピラミッド姫路城が浮かんだの我ながら末期やなって。
本当によくご存知ですね。いつも楽しい動画で勉強させていただいています。ありがたい限りです。
それを考えると第二次大戦終結後、マッカーサーが天皇陛下に見えた際に、天皇陛下から「臣民だけは守ってほしい(意訳)」という旨の話をされて感動した、なんて話があるのは理解できますね。昭和天皇の降伏方法は日本の武将たちと類似性があったってことかしら。
昔「元東ドイツ地域」を車で旅行した時に、ヘンなデザインの城があったんで入って説明書きを読んだら、「ローマによって最初の砦が造られた後、多くの民族と文化によって城が占領され、その都度違った工法で修理や増改築が行われた結果こうなった」と書いてあった。その中には「モンゴル」とかも入ってたんだけど、いやあ人や馬に限らず「生物」って意外と地球サイズで生活してるんだなと感心した。余談になるが、クジラは8000km(赤道上から北極海までの距離)離れていても会話できるらしい。また、ドイツが「戦車」にこだわった理由も判った。あの辺りは大きな山も谷も川もなく、どこまでも戦車で蹂躙できるのだ。それに対して、日本(に限らずアジアの多くの地域)では、山や谷や川が多すぎて、戦車はどこにも行けないか、谷や川にハマってすぐに止まる。日本には確かに典型的な「城市」はないが、鎌倉も京都も自然の地形を利用した「城市」だと言える。下手に「城壁」とか築いたって、日本では地震や台風ですぐに壊れてしまうので、こちらの方が現実的。ヨーロッパでも、マイセンなんかは鎌倉同様地形を生かして城市を作っている。つまり、ヨーロッパや中国型の城市というのは、自然の地形を利用できない平地において「仕方なく作るもの」という側面が強い。また、平地にある江戸城も外堀の内側は緩やかな「城市」だと言える。一般的に、「堀」というのはデッドスペースになりがちだが、江戸城では堀を螺旋にして海(川)とつなぐことにより、「輸送路」として活用していた。海外に同様の例があるのかどうか知らないが、「蚊取り線香」並の優れたアイディアだと思う。「進撃の巨人」の作者も、「作中の壁のイメージの元は、自分の出身地の周囲にあった山」と答えている。日本には「天然の壁」がたくさんあるのだ。
昔読んだ本(文禄・慶長の役関連?)で「大陸では市街地まで城壁で囲んで一般市民を守っていた。日本より人道的だ」みたいな記述あってすごい違和感あったの思い出した。
朝鮮出兵から五十年ほど後、李自成(明末の盗賊。後に皇帝を僣称)の洛陽攻防戦は、守るほうは、兵数千程度のようだが、大都市だから一般市民が数十万いる。これが賊にまわりをかこまれて食べ物がなくなり、「水草を食い、水虫を食い、便所のウジを食い、泥を食い、馬糞を食い」、それもなくなると「父は子を食い、妻は夫を食い、兄は夫を食っているがとがめだてもできない」というのだから、まあこの世の地獄である。守備側の役人たちも困って、女ならば賊が引き取ってくれるだろうと何万という女を外に出す。賊のほうでも、忙しい戦争の最中にそう女ばかり来られても困るから、少しずつ米を与えて追い立てる。(高島俊男『中国の大盗賊・完全版』(講談社新書。2004。146頁)ものでした。日本式の「降伏(又は大将の首)と引き換えに、城兵の命を助ける」ほうがまだマシだと思うのですが、如何でしょうか…お食事の最中の方がお見えでしたら、何卒ご容赦願います(冷汗)。長文失礼しました。
支那大陸は日本と違って一部の特権階級やってる文官以外の人間は人では無く人の形をした家畜( 人語を解する家畜であり財産でもある)だからこの財産を逃がさない様に城壁で囲ったし、奪われるくらいなら破壊した(愛護なんて発想は無い)と昔の文献で読んだな、もっと長いお話だったけどこの説明が一番しっくりきたよ。故・山本七平氏だったかな?違ったかな?
@@村正-e4y 女がことごとくさらわれ・・・ではなく放り出されすぎてスルーとか斬新・・・しかも少し米くれるとか一周回って義賊さんになりつつありますねw
西洋の堅い城壁っていくら堅牢でも敵から賄賂もらった市民が内側から鍵開けちゃうんでしょみたいなイメージ
日本の合戦の降伏交渉が、城主の切腹で済んだりする理由がいまいち分かっていなかったのですが、この動画を見てスッキリしました。
兵卒による乱取りは普通でしたが、武田の佐久攻めの際には組織的な人身略取がなされていました。また秀吉による上月城攻めなどでは組織的な殺戮がなされました。いずれも宗教戦争ではありません。城市の形態の違いは、大陸では都市国家から領域国家に発展する過程をたどったのに対し、日本では領域国家が先に出来たのちに都を整備するという過程となったという違いなのかと思います。
まあ大阪平野で百万人が奴隷になったわけじゃないし、小田原領民丸ごとがごっそりこされたわけじゃないし、江戸領民全て奪い尽くされたわけじゃないし。大内、武田、織田ぐらいだとねえ。
何だったか、日本の城を見た外人に「日本の領主は残酷だ、自分達だけ守って領民を守る気がない」と言われて「えっ、なんで領民?」てなった、て話を読んだか聞いたかした事あるなぁ。日本だとせいぜい乱取りとか巻き込まれて死んだり家を焼かれたりする程度のイメージだけど、よそは戦に負けたら領民みんな「分捕り物」になるのね。
動画アップ、ありがとうございます。日本の場合、国そのものが巨大な堀(海)に囲まれた巨大な城市とも考えられますね。計略で分断されなくて良かった。
ドリフターズでノッブも言ってましたね…敵地の領民は自分の民になるから自分なら滅ぼさないって
日本は人的資源を補充できないからねぇ海外は別によそからつれてこればいいから気にしないよ
海外だと宗教に民族とか複雑だからなぁ。
大陸の戦争はまさにドリフの世界。隣国の住人は、自分たちと同じ言葉を喋れない肌の色の違う別の生き物くらいの認識だったと思う。だからジェノサイドはダメなんてのは20世紀からの発想な訳でその前は罪悪感すらなかったんじゃないかな?オルテの軍人のように。
麦作と米作の違いもあるかもしれない。米作は麦作より耕地面積あたりの収穫量が多いが、必要となる工数も多い。農民を減らしても耕作面積さえあれば収穫量を確保できる麦作と、どれだけ耕作面積があろうと管理する農民が居ないと収穫量を確保できない米作では米作の方が住民に対する重要性が大きくなる…とかなんとか(´・ω・`)
私の趣味の一つに、お城で攻守や使用兵力、武器の年代なんかの条件を色々と変えつつ妄想するってのがありますが、この動画のおかげで妄想の深みが大いに増しそうです。この趣味は面白いんだけど、客観的に見ると何をするでも無く長時間滞在しつつニヤニヤするってどう見ても不審者なのが困った所。
ヨーロッパも18世紀ぐらいの貴族同士の戦争の時は残酷なことはあまりなくてスポーツ感覚で戦争やってました。どっちが先に撃つかでお互いに譲り合ったりしたって話もありますからね。
スパルタの都市には城壁がなかったという…領域侵犯=死という認識があったからだとかで
ガチムチ戦闘民族…
リアル人は城
日本においてこの4つの機能を全部兼ね備えた城といえば後北条氏の小田原城だと思う。
はえ〜なるほどなあ…中世ヨーロッパが貴族を捕虜にしてどうこうだけで済んでたのって同じキリスト教圏同士の争いだったからなのか城の話一つでマジで色んな国の歴史に対するものの見方が変わったわ中国史がやたら異民族に排他的になる背景も完全に納得できちゃったし…歴史の小話って本当に面白いね
言語も同じ、ということも大きいかもしれません。文字通り「話が通じる」
2:42天守閣にももちろん工夫を凝らした防御設備はあるけど、それでも天守閣に立て籠もる事態になったらあとはもうせいぜい切腹する間の時間稼ぎくらいしか無いな
なおスパルタ「この槍を見ろ。これがスパルタの壁だ」
ドリフターズで「敗残兵が何をするか」を防ぐために皆殺しにするって会話をしていましたが、あいつら人類滅ぼし軍だもんな…。あんな感じで「異教徒は皆殺しだぁ!」ってのを想定したら、そりゃ城塞都市になるわ。
広島城は三角州内に建てられていて周りが川に囲まれている。川は城壁と同じような役をなすので、川=城壁、州内=城市とすると大陸の城に近しい。
日本にもかつてはありましたよね平城京とか平安京とか
軍事設備としての防衛能力は著しく低いです。源平合戦の時の平氏や木曽の動きにも関わっていますし、その後の室町、戦国時代への影響も大きいです。都市機能を重視して軍事機能を軽視した造りですね。
あれは長安や洛陽をそのまま真似ただけなので。しかし、城壁は必要無いから城壁の代わりにただの塀で囲ってあるだけ。
逆説的に日本で援軍のこない籠城戦を半年もやってみせた今川氏真はやっぱり人徳あったんだろうな。
駿河で大量に武田方に寝返られた後に逃げ込んだので、選別された純度の高い氏真支持者が残って梁山泊みたいな熱気が形成されていたんだよ、多分、きっと
日本の城でも尾張の名古屋城あたりは木曽川を一種の「堀」と考えて御囲堤を木曽川左岸に築いていたりするので一部、城塞都市の性格はあったらしいですね。ちなみに御囲堤の長さは約48km。現在の犬山市から弥富市まで築かれて、大部分が現存しています。高さも美濃側と比べて三尺高い。治水の堤防と城壁、双方兼ねたものと子供の頃、学校で学びました。
こんないいチャンネルねぇよ。いつまでも応援してまっせ!
日本人にとって城=宮殿というイメージがあったから、戦闘能力がないただのヨーロッパの宮殿(例えばノイシュバンシュタイン城)を「城」と訳してしまった説。
おフランス語のシャトー(château)は宮殿と要塞と両方意味するんやから訳し方の問題やない。英語やドイツ語ならキャスル(castle)とパレス(palace)やブルク(Burg)とシュロス(Schloss)は違うけど。
B-29が運んできたのは、焼夷弾と原爆と大陸式戦争観・・・。
原爆の使用も理由が多々あるようですが、やはり民族・人種の違いも大きかったのでしょうね......
日本製のシミュレーションゲームで街を占領したりするけど、攻撃目標にはならない。‥‥でも初めて海外のシミュレーションゲームで街や住民が攻撃対象になっていて凄くびっくりしました。そういうところにも考え方の差があるんだなぁ‥と思いました。
天守閣は見張り櫓として実戦的な意味があるし、高層建造物の価値を無くす大砲の発達が起こる前に日本の戦乱は終わっちゃったから権威の象徴も兼ねて日本の城には天守閣が残ってるんでしょう。
そう。司令部が置かれていた「司令塔」。
確かにこれは結構日本人と外国人とで齟齬がありそうな題材
現代日本に生まれたから良かったけど、古代ヨーロッパとかに生まれてたら戦争に負けて奴隷とかが他人事じゃなかったと思うと背筋が伸びる
奴隷と言っても色々で、主人によっては単なる労働者階級だった場合もあるよ。ハリポタのドビーみたいなイメージ。
農奴とか奴隷同士の結婚で子孫作る事許された場合もあるし、産業革命の地獄の奴隷労働時代まではそんな苛烈なのは少なかった。
産業革命期西欧は奴隷の平均寿命が半減とか3分の1とかザラにあったから、いかに苛酷になったかという事。同時に海外領土でプランテーション農業。これも寿命グッとちぢむ程。
基地的な城というと大津城もありますね。ここが寝返るとスエズ運河が封鎖されたみたいになる。
要塞というと、旅順要塞がまっさきに思い浮かぶ。ところで、主に旅順攻囲戦を解説してほしい
面白くてマニアックだけどすごく分かりやすかったです!こういうのを学校で教えてくれたらもうちょい勉強好きになれたかも。
日本の地形的な要素も多い気がします町をピンポイントで守るよりも川や山地などの地形を用いて攻撃方向を限定し支城ネットワークを配置することによって支配地をエリアで守ることを優先したのではないでしょうか戦国末期政治経済の拠点として平城がメインになると市街地も堀や土塁で囲むような総構えも増えたように思います
総構えでも大陸の城郭都市とは規模が全然違うけどね。その本城支城群と、一個の城郭都市をイコールで考えてもいいと思う。
30年戦争とか市民が30%消える大陸マジでサイコ
大陸は死亡だけじゃなく移民流出でも人口減るよ。流れた先でしだり奴隷にされるのが多いけど。
籠城戦の話だったら別だけど…
小田原城ってなんか海外の城に近い印象あんな城下町の外周を掘りで囲う形になってるってのが、秀吉までは誰も落とせなかったのは日本式の城攻めのやり方で通用しないのにやったからだろうか?
そういえば小田原城があったな。あれは確かに城塞都市か。
そうそう、小田原城は城塞都市に近い気がしますね。
中華でも春秋時代の周の諸侯同士での戦いでは結構温い戦いしてますね。敵ではあっても異民族とは違う仲間という意識があったのでしょうね。
SPK呉越同舟というくらいだから、呉越戦は少しガチでヤリ合ってたみたいだな(゚∀゚)
首都高は、かなりの部分が江戸城の堀だったって話だからかなりでかいよなぁ
江戸城は城下町自体がサザエのようにぐるぐる巻かれている防御施設スケールデカスギィ!!
西は市ヶ谷から東は両国まで、北は水道橋から南は虎ノ門まで覆う、間違いなく日本最大級の「城」ですからね。
Dawn of Manも城市発展が体験できますね
天守を城主の住まいとして言及されてるように思うのですが(4:01)、天守自体は住居ではないそうです。天守は敵に追い詰められた際に籠城したりする最終防衛拠点で、戦がなくなってからはほぼ城の象徴としての役割しかなかったようです。高い天守に住むのは単純に不便ですし、典型的な天守の内装は非常に地味で装飾がありません(ただし例外が史上初の天守建築だった安土城天守で、信長はその内装を障壁画等で豪華に飾り、自分の住まいにしていたそう)。普通は城主は天守とは別の御殿に住んだようです。したがって、典型的な天守を豪華な住まい、すなわち宮殿とするのは正しくないはずです("城びと"というサイトを参考にさせて頂きました。リンクを貼りたいのですがはじかれてしまうようです)。日本でヨーロッパの宮殿としての城に近いものを挙げるなら、二条城の御殿とかでしょうか?装飾的な内装を持つ住居なので (なお御殿は全国で4城にしか現存していないそうです)。ただ、動画でも言及されてるノイシュヴァンシュタイン城は19世紀後半に建てられた近代の宮殿ということもあって、壮麗さでは敵わないですよね。寺でも規模なら二条城の御殿より大きいものはありますし(仏教なので内装は地味ですが)。
上級コース……ああ馬の背かぁ
Civ系のゲームでも城壁なしで戦闘するとすぐ市民減っちゃいますもんね
確かに大野城・水城・基肄城などはcity wallに属していそうですね。そう言った大陸式の城(古代山城)は日本には合わなかったのでしょうか、、、
ファンタジー世界だと、魔王軍とか人間を根絶やしに来てるから城市(作中だと城塞都市って言い方が多いか)スタイルなんすね。
世界観にもよりますが強力な魔物も異民族要素ですよね。
でも村は大概の場合、壁もクソもない家の集合体なんだよなあ。
岐阜城は数年前に戦国無双とのコラボがあって、信長の声優さんのトークが面白かったです。先祖が土岐氏で件が特にね
稲葉山の上級コースはマジでキツイゼーハーしすぎて喉痛めて風邪引いたくらい
城市と書いて「まち」と読ませる中国文学は多いですよね。想像しやすくて助かる。
日本でも上杉、武田、島津とかの領地が農耕に適さないとか、農期が短いとか、山だらけとかの場所は割と食料略奪目当てで戦争してたらしいが。上杉謙信も略奪終わったから、毎度土地を占領しないでとっとと越後に帰ってたらしいし。逆にだから領地が豊かで商業都市も抱えていて、経済力のあった織田は略奪ではなく統一事業に集中できたのかな。
朝廷や征夷大将軍を務めた坂上氏はすごかったのか
3:28 ノイシュヴァンシュタイン城(Schloss Neuschwanstein)ですね。ルートヴィヒ2世が趣味全開で作ったお城なので「宮殿」の役割に全振りしてます。ドイツ語の「城」はブルクburgとシュロスSchlossがありますが、ブルクは「要塞」「基地」、シュロスは「宮殿」にはっきり分かれてます。ルーツが「城市」の都市は○○ブルクという名前が現在に残っていますね。
めちゃくちゃわかりやすかったです。「日本の戦国時代の戦は本気度が低い」というのは、そういうことだったんですね。異世界もののアニメの街がたいてい城壁に囲まれているのも、遊牧民や異民族の代わりにモンスターが街の外を跳梁跋扈しているからと考えれば、妥当な設定なのかな。
日本だと平地に1,2,3を組み込んだのを作り、そこがやばくなったら2,3が重要視された詰めの城みたいな山城で迎撃するとか聞いたな。川を利用したりするお城も多いですよね。川越城なんてどこかの沼か池を掘りにつなげて妖怪の縄張りにして妖怪を利用したなんて話までありまね
小田原城の「総構え」は、城下町まで内包した独特の城だなぁと、いつも思ってますいや、総構え自体は別に小田原城独自の物ではないんですが
そのあたりの違いが将棋とチェスのルールの違いに出てるって説がありますね
次回の北伐シリーズも楽しみにしてます!
日本の民衆が戦争で殺戮されたのって、米軍による空襲や核兵器投下が初体験だったんですね。
進撃の巨人の世界観が日本から生まれるっていうのも不思議
逆に日本人からみたら城塞都市は珍しいから「なんでこんなの作るんだろう?」から始まって色々想像力を働かせるから生まれるんじゃないですかね。向こう感覚だと普通なので特に考えをめぐらさないからw
作者は生まれ故郷から出たかったらしいよ
豊臣政権時に建設された御土居の総延長22.4km小田原城は9km
まぁ極論言うと弥生時代の環濠集落も城としての機能あるからな。
いや、日本での城の元祖は弥生時代の環濠集落だと思う。
島津:お?そうだな?>同一民族
こうしてみると日本の戦国~江戸時代の戦で島原の乱の犠牲者がなぜ飛び抜けているかも納得できる気がします。原城の一揆軍が幕府側の降伏勧告を拒否し続けたのは、「降伏しようがしまいが幕府にとってもはや領民・労働力としては見て貰えず全員殺されるだけ」と考えたところが大きかったかもしれませんね。
「なぜ日本と西欧だけが繁栄したのか?【文明の生態史観・地政学】」という動画がおススメ。 日本と西欧(特に英国)だけがなぜ発展できたのか、島国・遊牧民という観点から説明してくれている。 パリにも城壁があったけど、ロンドンには無かったからね。 そういえば合戦に家族連れで弁当持って見物に行ってた、という話もありましたね。
近年のSF系アニメの悪役にも遊牧民オマージュ多いのかなあって感想。よくロシアや中国に降り立つし、ひたすら破壊して回るいっぽう水域では進撃にぶるし・・・
うp主は「日本の戦争では領主が支配権を争っているだけで領民は税金の納め先が変わるだけ」と解説しているけど、城市のあった中世ヨーロッパでもそこは同じだったので、決定的な説明としては弱いのではないか。城市を築くために必要な膨大な資材、労働力、それらを集約できる政治体制を作れたのは日本では豊臣氏か北条氏くらいだったという説明の方がまだ頷ける。
22:21北伐が宗教戦争・・・そういう見方をするなら魏に対する蜀と呉の温度差も理解できますね。呉にしてみれば魏はあくまでシマを巡って争う相手でしかないのに対し、蜀からすれば魏は神(漢)をないがしろにする「背教者」ですからね。
ただし日本でも城下町の略奪は派手にやっていた模様上杉謙信の小田原城攻めとか大阪の陣とか
その派手にやる程度が大陸とは全然レベルが違うものだったということではないでしょうか。モンゴルみたいに都市丸ごと消し去るみたいなこと誰もしてませんからね。
あくまで日本基準の「派手にやる」だったから、大陸基準の大規模殺戮、殲滅行動には程遠い。
城の機能面の解説は正しいけど、日本でも「乱捕り」や一向宗等があったので、日本における民族性や宗教の解説はちょっと違うと思う。
コンスタンティノープル周辺はマジで地理、歴史、地政学の教科書なくらい奇跡の立地ですね。ディプロマシーやCK2とかでも大体ビザンツやトルコの生命線に。
コンスタンティノス11世ってこの時代の皇帝にしては珍しく剣を握って死んだと思ってたけど、厳密には生死不明なのね・・・。
空の軌跡
唐突な岐阜城(地元)でびっくりしたわ
日本の城も本来はもっと広かったはずで今は観光用の部分だけしか残ってませんからね
日本では本来の縄張りが残ってる城は一握りも無いかも知れないですね。城の価値は縄張りで決まるのであってコンクリの本丸やインチキ天守閣なんて何の価値も無いのに、今までお城を保護してた人達にはそれが全く解って無かったらしいです。
日本にも総構えっていう防御形式がありますよねあれは城邑とは違うのですか?違うのであれば詳しく知りたいです
全体が壁で囲まれて無いからとか?自然の川や山を壁堀代わりにしているから?
トータシス同じですね。規模が全然違うのと、役割や意味が違うだけで、やってる事は同じです。
大陸とは規模は違いますけど戦国時代の総構え造りの大坂城や小田原城が近い感じですね。豊臣時代の大坂城は商業地を城郭内に作ってましたし、北条の小田原城は籠城しやすくするために市街地の一部を城郭に作っていた形跡があるそうですし。江戸城は豊臣の天下統一後でしたから市街を城郭に入れる必要がなかったんでしょうね。
江戸城も代表的な総構えの城では?
江戸城は世界的にも巨大なレベルで市街地を取り入れた城だったりしますなぜだか戦国末期で落ち着いてきてからの方が規模の大小はあるにせよ全国で総構えが割と一般化するんですよねそれこそ小田原征伐で小田原城を見た全国の大名がインスパイアされたのかもしれません
@pluto軍事設備としての城が減り、行政施設としての城に変化したわけだ
岐阜城はすごかったですねー濃尾平野に突如といった感じで現れた独立した山がそのまま城になってるんですから。何十キロも徒歩で行軍させられて、「さあ、あの城を攻めろ」とか言われても絶対にイヤw
ウクライナ戦争で、ウクライナに「無駄な戦いはせずに降伏しろ!後で立て直せばいい!」などと戯言を言う輩がわらわら出てくる昨今、この動画は実に意義深いです。日本と日本以外の戦争観は、かくも根深く凄まじい相違があるのですね。だからといって、他所の国に抵抗せずに降伏しろなんて偉そうに説教する馬鹿で恥ずかしい日本人に共感するなど、金輪際できませんが…。
「行くなよ!絶対に行くなよ!」(観光地)
都市国家は城址の類いかな
昔コーエーの三国志9でなんで城の中に街があってそこ以外は街があんまりないんだろうって思ったけど、その理由がよく分かった。ゲームでは描かれない略奪や破壊が行われるからだ。
むしろ賃貸に住む魔王とか見てみたい(笑) いしいひさいちの漫画で賃貸の要塞を町の不動産屋で扱う話があって、両軍がうっかり借りてしまって「同居しようか?」って展開になってた(笑)
働く魔王様って作品がありましたよ。ボロアパートに住んで、ファーストフード店で働いてる…
昔の武士は現代の暴力団員。私もそう思っています。武士だって暴力団員だって無闇に暴力をふるうわけじゃない。年貢やみかじめ料を払う相手はだいじにします。
昔の武士は現在の政府、役人ですよ・・・戦前はそうでも戦後の植民地政府、の政治家、役人は違うかも・・・・
城市というと、小田原城とか秀吉時代の大坂城とかの総構がそれに当たるのかなあ
コンスタンティノープル…堪らんなぁ、ロマンの塊だよ
ロマン=roman すなわち「ローマの」(形容詞) 「ローマ人」(名詞)コンスタンチノープルは(東)ローマ帝国の都として1000年続いたあとはオスマントルコに征服されてイスタンブールと改名されオスマン帝国が滅亡するまでそこの首都でした🎵
うぽつ、めっちゃ嬉しい😃
賃貸に住むバーン様。大家には勝てないが居住権を盾に立ち退きに戦え!!! こんなスピンオフは嫌だなw
しかも管理会社の社長即ち大家がダイ、管理人がポップというオチだったりして。
グランバニア城は外国ではむしろ普通のお城なのか
日本で言うところの小田原城ですね。しかもグランバニアの場合国王がスカウトそして育成した野良モンスターより強いモンスター連中が城を守っているし。
ゲームで言うとドラクエ5のグランバニアはまさに城市ですよね、堅牢な城内に都市機能がある。
城市…強いて日本であげれば小田原がそうだったとされるが…。
月山富田城でも1年ちょっとの籠城戦か。
海外やベーなと感じる人が多いかも知れないが、日本が本当に特殊で異常な例外ってだけで海外の感覚の方が一般的なんよね日本は昔からcrazy hentai japanだった模様
ブラックアフリカやミクロネシアのように牧歌的な一面を残しながら大陸の強国に伍していったのは確かにHENTAI
大阪城のそうがまえは城市にはならないほど、規模が小さいんですかね。
大阪城の城壁は大陸型城市ではないかも。でも堀が完全だったので城市と言って差し支え無いと思う。
お城の種類も色々ありますね。実例としては宮殿 ノイシュヴァインシュタイン城、聚楽第、二条城要塞、基地 日本の中世の山城が典型例 一乗谷、春日山城、小谷城など 宮殿用途の館は麓に造る山の上なのに宮殿兼要塞・基地の典型的なパターン 安土城城市機能もある大規模な城 江戸城(外堀まで城扱い)、大阪城、小田原城(都市全体を囲む総構え)、姫路城城市機能のみの典型例 万里の長城近代の場合の城市機能の都市の例はレニングラード、スターリングラードなどでしょうかお城は楽しめますね
面白い。大陸と日本の戦の意味の違いはわかってたけど、蜀を宗教団体って考える発想はなかった。確かに妙にしっくりくる。宗教団体に必要なのは教祖様と幹部信者であって、政治家や軍人じゃないもんね、結果的に政治や戦争しても。
戦国日本でも本願寺vs織田の10年戦争は有名ですよ。この10年戦争では信広ら織田一門衆にも戦死者が出たり信長の本拠地津島の目と鼻の先まで本願寺の軍団が押し寄せたりしているし。
イギリスに賃貸に住んでる公爵様がいるらしい
エイジオブエンパイア2の町を囲う城壁がそのまま城って概念だったのか。
万里の長城とかただの壁やんなんで「城」なのよと思ってましたが、中華全体を城市と構想した結果なのかも、と思うと始皇帝の壮大さやばい。
コンスタンティノープルみたいに、城塞都市の中に宮殿があるイメージ
これでいうたら城の中に城があることになるんかな?
この動画で説明されている日本と大陸の戦争観の違いは、チェスと違って将棋では取った駒を自分の駒として使えることにも通じている気がしますね。
ああ、なるほど。言われてみれば確かに。敵は皆頃しがデフォなら駒を味方にする考えも薄いか。
逆に敵を吸収しまくったローマ時代なら将棋に似たようなゲームありそう。
GHQが「将棋は捕虜を酷使するゲームか?」と将棋つぶしをしようとした際、かの升田幸三大先生は「何を言うか!チェスと違って殺さないで人材を再び活用しているのだ!」と論陣を張り、返す刀で「チェスはキングがクイーンにこそこそと守られている!レディ・ファーストの国が聞いて呆れる!」とぶった切りました。範馬勇次郎と違い、実在の人物でGHQに負けなかった数少ない日本人です。
自分が思ってる以上に単一民族って幸福なことなんだ
宮殿機能を持つのは御殿で天守(キープ)は1象徴,2倉庫, 3有事の避難所では。
真面目な動画を真面目モードで見にきてるのに、城を問われて即座にチェイテピラミッド姫路城が浮かんだの我ながら末期やなって。
本当によくご存知ですね。
いつも楽しい動画で勉強させていただいています。
ありがたい限りです。
それを考えると第二次大戦終結後、マッカーサーが天皇陛下に見えた際に、天皇陛下から「臣民だけは守ってほしい(意訳)」という旨の話をされて感動した、なんて話があるのは理解できますね。
昭和天皇の降伏方法は日本の武将たちと類似性があったってことかしら。
昔「元東ドイツ地域」を車で旅行した時に、ヘンなデザインの城があったんで入って説明書きを読んだら、
「ローマによって最初の砦が造られた後、多くの民族と文化によって城が占領され、
その都度違った工法で修理や増改築が行われた結果こうなった」と書いてあった。
その中には「モンゴル」とかも入ってたんだけど、
いやあ人や馬に限らず「生物」って意外と地球サイズで生活してるんだなと感心した。
余談になるが、クジラは8000km(赤道上から北極海までの距離)離れていても会話できるらしい。
また、ドイツが「戦車」にこだわった理由も判った。
あの辺りは大きな山も谷も川もなく、どこまでも戦車で蹂躙できるのだ。
それに対して、日本(に限らずアジアの多くの地域)では、山や谷や川が多すぎて、
戦車はどこにも行けないか、谷や川にハマってすぐに止まる。
日本には確かに典型的な「城市」はないが、鎌倉も京都も自然の地形を利用した「城市」だと言える。
下手に「城壁」とか築いたって、日本では地震や台風ですぐに壊れてしまうので、こちらの方が現実的。
ヨーロッパでも、マイセンなんかは鎌倉同様地形を生かして城市を作っている。
つまり、ヨーロッパや中国型の城市というのは、自然の地形を利用できない平地において「仕方なく作るもの」という側面が強い。
また、平地にある江戸城も外堀の内側は緩やかな「城市」だと言える。
一般的に、「堀」というのはデッドスペースになりがちだが、
江戸城では堀を螺旋にして海(川)とつなぐことにより、「輸送路」として活用していた。
海外に同様の例があるのかどうか知らないが、「蚊取り線香」並の優れたアイディアだと思う。
「進撃の巨人」の作者も、「作中の壁のイメージの元は、自分の出身地の周囲にあった山」と答えている。
日本には「天然の壁」がたくさんあるのだ。
昔読んだ本(文禄・慶長の役関連?)で「大陸では市街地まで城壁で囲んで一般市民を守っていた。日本より人道的だ」みたいな記述あってすごい違和感あったの思い出した。
朝鮮出兵から五十年ほど後、
李自成(明末の盗賊。後に皇帝を僣称)の洛陽攻防戦は、
守るほうは、兵数千程度のようだが、大都市だから一般市民が数十万いる。これが賊にまわりをかこまれて食べ物がなくなり、
「水草を食い、水虫を食い、便所のウジを食い、泥を食い、馬糞を食い」、それもなくなると「父は子を食い、妻は夫を食い、兄は夫を食っているがとがめだてもできない」というのだから、まあこの世の地獄である。
守備側の役人たちも困って、女ならば賊が引き取ってくれるだろうと何万という女を外に出す。賊のほうでも、忙しい戦争の最中にそう女ばかり来られても困るから、少しずつ米を与えて追い立てる。
(高島俊男『中国の大盗賊・完全版』(講談社新書。2004。146頁)
ものでした。
日本式の
「降伏(又は大将の首)と引き換えに、城兵の命を助ける」ほうがまだマシだと思うのですが、如何でしょうか…
お食事の最中の方がお見えでしたら、何卒ご容赦願います(冷汗)。
長文失礼しました。
支那大陸は日本と違って一部の特権階級やってる文官以外の人間は人では無く人の形をした家畜( 人語を解する家畜であり財産でもある)
だからこの財産を逃がさない様に城壁で囲ったし、奪われるくらいなら破壊した(愛護なんて発想は無い)と昔の文献で読んだな、もっと長いお話だったけどこの説明が一番しっくりきたよ。
故・山本七平氏だったかな?違ったかな?
@@村正-e4y 女がことごとくさらわれ・・・ではなく放り出されすぎてスルーとか斬新・・・しかも少し米くれるとか一周回って義賊さんになりつつありますねw
西洋の堅い城壁っていくら堅牢でも敵から賄賂もらった市民が内側から鍵開けちゃうんでしょみたいなイメージ
日本の合戦の降伏交渉が、城主の切腹で済んだりする理由がいまいち分かっていなかったのですが、この動画を見てスッキリしました。
兵卒による乱取りは普通でしたが、武田の佐久攻めの際には組織的な人身略取がなされていました。また秀吉による上月城攻めなどでは組織的な殺戮がなされました。いずれも宗教戦争ではありません。
城市の形態の違いは、大陸では都市国家から領域国家に発展する過程をたどったのに対し、日本では領域国家が先に出来たのちに都を整備するという過程となったという違いなのかと思います。
まあ大阪平野で百万人が奴隷になったわけじゃないし、小田原領民丸ごとがごっそりこされたわけじゃないし、江戸領民全て奪い尽くされたわけじゃないし。大内、武田、織田ぐらいだとねえ。
何だったか、日本の城を見た外人に「日本の領主は残酷だ、自分達だけ守って領民を守る気がない」と言われて「えっ、なんで領民?」てなった、て話を読んだか聞いたかした事あるなぁ。
日本だとせいぜい乱取りとか巻き込まれて死んだり家を焼かれたりする程度のイメージだけど、よそは戦に負けたら領民みんな「分捕り物」になるのね。
動画アップ、ありがとうございます。
日本の場合、国そのものが巨大な堀(海)に囲まれた巨大な城市とも考えられますね。
計略で分断されなくて良かった。
ドリフターズでノッブも言ってましたね…敵地の領民は自分の民になるから自分なら滅ぼさないって
日本は人的資源を補充できないからねぇ
海外は別によそからつれてこればいいから気にしないよ
海外だと宗教に民族とか複雑だからなぁ。
大陸の戦争はまさにドリフの世界。隣国の住人は、自分たちと同じ言葉を喋れない肌の色の違う別の生き物くらいの認識だったと思う。だからジェノサイドはダメなんてのは20世紀からの発想な訳でその前は罪悪感すらなかったんじゃないかな?オルテの軍人のように。
麦作と米作の違いもあるかもしれない。
米作は麦作より耕地面積あたりの収穫量が多いが、必要となる工数も多い。
農民を減らしても耕作面積さえあれば収穫量を確保できる麦作と、どれだけ耕作面積があろうと管理する農民が居ないと収穫量を確保できない米作では米作の方が住民に対する重要性が大きくなる…とかなんとか(´・ω・`)
私の趣味の一つに、お城で攻守や使用兵力、武器の年代なんかの条件を色々と変えつつ妄想するってのがありますが、この動画のおかげで妄想の深みが大いに増しそうです。
この趣味は面白いんだけど、客観的に見ると何をするでも無く長時間滞在しつつニヤニヤするってどう見ても不審者なのが困った所。
ヨーロッパも18世紀ぐらいの貴族同士の戦争の時は残酷なことはあまりなくてスポーツ感覚で戦争やってました。どっちが先に撃つかでお互いに譲り合ったりしたって話もありますからね。
スパルタの都市には城壁がなかったという…
領域侵犯=死という認識があったからだとかで
ガチムチ戦闘民族…
リアル人は城
日本においてこの4つの機能を全部兼ね備えた城といえば後北条氏の小田原城だと思う。
はえ〜
なるほどなあ…中世ヨーロッパが貴族を捕虜にしてどうこうだけで済んでたのって同じキリスト教圏同士の争いだったからなのか
城の話一つでマジで色んな国の歴史に対するものの見方が変わったわ
中国史がやたら異民族に排他的になる背景も完全に納得できちゃったし…
歴史の小話って本当に面白いね
言語も同じ、ということも大きいかもしれません。
文字通り「話が通じる」
2:42
天守閣にももちろん工夫を凝らした防御設備はあるけど、
それでも天守閣に立て籠もる事態になったらあとはもうせいぜい切腹する間の時間稼ぎくらいしか無いな
なおスパルタ「この槍を見ろ。これがスパルタの壁だ」
ドリフターズで「敗残兵が何をするか」を防ぐために皆殺しにするって
会話をしていましたが、あいつら人類滅ぼし軍だもんな…。
あんな感じで「異教徒は皆殺しだぁ!」ってのを想定したら、そりゃ城塞都市になるわ。
広島城は三角州内に建てられていて周りが川に囲まれている。
川は城壁と同じような役をなすので、川=城壁、州内=城市とすると大陸の城に近しい。
日本にもかつてはありましたよね
平城京とか平安京とか
軍事設備としての防衛能力は著しく低いです。源平合戦の時の平氏や木曽の動きにも関わっていますし、その後の室町、戦国時代への影響も大きいです。
都市機能を重視して軍事機能を軽視した造りですね。
あれは長安や洛陽をそのまま真似ただけなので。
しかし、城壁は必要無いから城壁の代わりにただの塀で囲ってあるだけ。
逆説的に日本で援軍のこない籠城戦を半年もやってみせた今川氏真はやっぱり人徳あったんだろうな。
駿河で大量に武田方に寝返られた後に逃げ込んだので、選別された純度の高い氏真支持者が残って梁山泊みたいな熱気が形成されていたんだよ、多分、きっと
日本の城でも尾張の名古屋城あたりは木曽川を一種の「堀」と考えて御囲堤を木曽川左岸に築いていたりするので一部、城塞都市の性格はあったらしいですね。
ちなみに御囲堤の長さは約48km。現在の犬山市から弥富市まで築かれて、大部分が現存しています。
高さも美濃側と比べて三尺高い。治水の堤防と城壁、双方兼ねたものと子供の頃、学校で学びました。
こんないいチャンネルねぇよ。いつまでも応援してまっせ!
日本人にとって城=宮殿というイメージがあったから、戦闘能力がないただのヨーロッパの宮殿(例えばノイシュバンシュタイン城)を「城」と訳してしまった説。
おフランス語のシャトー(château)は宮殿と要塞と両方意味するんやから訳し方の問題やない。
英語やドイツ語ならキャスル(castle)とパレス(palace)やブルク(Burg)とシュロス(Schloss)は違うけど。
B-29が運んできたのは、焼夷弾と原爆と大陸式戦争観・・・。
原爆の使用も理由が多々あるようですが、やはり民族・人種の違いも大きかったのでしょうね......
日本製のシミュレーションゲームで街を占領したりするけど、攻撃目標にはならない。‥‥でも初めて海外のシミュレーションゲームで街や住民が攻撃対象になっていて凄くびっくりしました。そういうところにも考え方の差があるんだなぁ‥と思いました。
天守閣は見張り櫓として実戦的な意味があるし、高層建造物の価値を無くす大砲の発達が起こる前に日本の戦乱は終わっちゃったから権威の象徴も兼ねて日本の城には天守閣が残ってるんでしょう。
そう。司令部が置かれていた「司令塔」。
確かにこれは結構日本人と外国人とで齟齬がありそうな題材
現代日本に生まれたから良かったけど、古代ヨーロッパとかに生まれてたら戦争に負けて奴隷とかが他人事じゃなかったと思うと背筋が伸びる
奴隷と言っても色々で、主人によっては単なる労働者階級だった場合もあるよ。
ハリポタのドビーみたいなイメージ。
農奴とか奴隷同士の結婚で子孫作る事許された場合もあるし、産業革命の地獄の奴隷労働時代まではそんな苛烈なのは少なかった。
産業革命期西欧は奴隷の平均寿命が半減とか3分の1とかザラにあったから、いかに苛酷になったかという事。
同時に海外領土でプランテーション農業。これも寿命グッとちぢむ程。
基地的な城というと大津城もありますね。ここが寝返るとスエズ運河が封鎖されたみたいになる。
要塞というと、旅順要塞がまっさきに思い浮かぶ。
ところで、主に旅順攻囲戦を解説してほしい
面白くてマニアックだけどすごく分かりやすかったです!
こういうのを学校で教えてくれたらもうちょい勉強好きになれたかも。
日本の地形的な要素も多い気がします
町をピンポイントで守るよりも川や山地などの地形を用いて攻撃方向を限定し支城ネットワークを配置することによって支配地をエリアで守ることを優先したのではないでしょうか
戦国末期政治経済の拠点として平城がメインになると市街地も堀や土塁で囲むような総構えも増えたように思います
総構えでも大陸の城郭都市とは規模が全然違うけどね。
その本城支城群と、一個の城郭都市をイコールで考えてもいいと思う。
30年戦争とか市民が30%消える大陸マジでサイコ
大陸は死亡だけじゃなく移民流出でも人口減るよ。
流れた先でしだり奴隷にされるのが多いけど。
籠城戦の話だったら別だけど…
小田原城ってなんか海外の城に近い印象あんな城下町の外周を掘りで囲う形になってるってのが、秀吉までは誰も落とせなかったのは日本式の城攻めのやり方で通用しないのにやったからだろうか?
そういえば小田原城があったな。あれは確かに城塞都市か。
そうそう、小田原城は城塞都市に近い気がしますね。
中華でも春秋時代の周の諸侯同士での戦いでは結構温い戦いしてますね。
敵ではあっても異民族とは違う仲間という意識があったのでしょうね。
SPK
呉越同舟というくらいだから、呉越戦は少しガチでヤリ合ってたみたいだな(゚∀゚)
首都高は、かなりの部分が江戸城の堀だったって話だから
かなりでかいよなぁ
江戸城は城下町自体がサザエのようにぐるぐる巻かれている防御施設
スケールデカスギィ!!
西は市ヶ谷から東は両国まで、北は水道橋から南は虎ノ門まで覆う、間違いなく日本最大級の「城」ですからね。
Dawn of Manも城市発展が体験できますね
天守を城主の住まいとして言及されてるように思うのですが(4:01)、天守自体は住居ではないそうです。
天守は敵に追い詰められた際に籠城したりする最終防衛拠点で、戦がなくなってからはほぼ城の象徴としての役割しかなかったようです。高い天守に住むのは単純に不便ですし、典型的な天守の内装は非常に地味で装飾がありません(ただし例外が史上初の天守建築だった安土城天守で、信長はその内装を障壁画等で豪華に飾り、自分の住まいにしていたそう)。普通は城主は天守とは別の御殿に住んだようです。
したがって、典型的な天守を豪華な住まい、すなわち宮殿とするのは正しくないはずです("城びと"というサイトを参考にさせて頂きました。リンクを貼りたいのですがはじかれてしまうようです)。
日本でヨーロッパの宮殿としての城に近いものを挙げるなら、二条城の御殿とかでしょうか?装飾的な内装を持つ住居なので (なお御殿は全国で4城にしか現存していないそうです)。
ただ、動画でも言及されてるノイシュヴァンシュタイン城は19世紀後半に建てられた近代の宮殿ということもあって、壮麗さでは敵わないですよね。寺でも規模なら二条城の御殿より大きいものはありますし(仏教なので内装は地味ですが)。
上級コース……ああ馬の背かぁ
Civ系のゲームでも城壁なしで戦闘するとすぐ市民減っちゃいますもんね
確かに大野城・水城・基肄城などはcity wallに属していそうですね。
そう言った大陸式の城(古代山城)は日本には合わなかったのでしょうか、、、
ファンタジー世界だと、魔王軍とか人間を根絶やしに来てるから城市(作中だと城塞都市って言い方が多いか)スタイルなんすね。
世界観にもよりますが強力な魔物も異民族要素ですよね。
でも村は大概の場合、壁もクソもない家の集合体なんだよなあ。
岐阜城は数年前に戦国無双とのコラボがあって、信長の声優さんのトークが面白かったです。先祖が土岐氏で件が特にね
稲葉山の上級コースはマジでキツイ
ゼーハーしすぎて喉痛めて風邪引いたくらい
城市と書いて「まち」と読ませる中国文学は多いですよね。想像しやすくて助かる。
日本でも上杉、武田、島津とかの領地が農耕に適さないとか、農期が短いとか、山だらけとかの場所は割と食料略奪目当てで戦争してたらしいが。
上杉謙信も略奪終わったから、毎度土地を占領しないでとっとと越後に帰ってたらしいし。
逆にだから領地が豊かで商業都市も抱えていて、経済力のあった織田は略奪ではなく統一事業に集中できたのかな。
朝廷や征夷大将軍を務めた坂上氏はすごかったのか
3:28 ノイシュヴァンシュタイン城(Schloss Neuschwanstein)ですね。
ルートヴィヒ2世が趣味全開で作ったお城なので「宮殿」の役割に全振りしてます。
ドイツ語の「城」はブルクburgとシュロスSchlossがありますが、
ブルクは「要塞」「基地」、シュロスは「宮殿」にはっきり分かれてます。
ルーツが「城市」の都市は○○ブルクという名前が現在に残っていますね。
めちゃくちゃわかりやすかったです。
「日本の戦国時代の戦は本気度が低い」というのは、そういうことだったんですね。
異世界もののアニメの街がたいてい城壁に囲まれているのも、遊牧民や異民族の代わりにモンスターが街の外を跳梁跋扈しているからと考えれば、妥当な設定なのかな。
日本だと平地に1,2,3を組み込んだのを作り、そこがやばくなったら2,3が重要視された詰めの城みたいな山城で迎撃するとか聞いたな。
川を利用したりするお城も多いですよね。
川越城なんてどこかの沼か池を掘りにつなげて妖怪の縄張りにして妖怪を利用したなんて話までありまね
小田原城の「総構え」は、城下町まで内包した独特の城だなぁと、いつも思ってます
いや、総構え自体は別に小田原城独自の物ではないんですが
そのあたりの違いが将棋とチェスのルールの違いに出てるって説がありますね
次回の北伐シリーズも楽しみにしてます!
日本の民衆が戦争で殺戮されたのって、米軍による空襲や核兵器投下が初体験だったんですね。
進撃の巨人の世界観が日本から生まれるっていうのも不思議
逆に日本人からみたら城塞都市は珍しいから「なんでこんなの作るんだろう?」から始まって色々想像力を働かせるから生まれるんじゃないですかね。向こう感覚だと普通なので特に考えをめぐらさないからw
作者は生まれ故郷から出たかったらしいよ
豊臣政権時に建設された御土居の総延長22.4km
小田原城は9km
まぁ極論言うと弥生時代の環濠集落も城としての機能あるからな。
いや、日本での城の元祖は弥生時代の環濠集落だと思う。
島津:お?そうだな?>同一民族
こうしてみると日本の戦国~江戸時代の戦で島原の乱の犠牲者がなぜ飛び抜けているかも納得できる気がします。
原城の一揆軍が幕府側の降伏勧告を拒否し続けたのは、「降伏しようがしまいが幕府にとってもはや領民・労働力としては見て貰えず全員殺されるだけ」と考えたところが大きかったかもしれませんね。
「なぜ日本と西欧だけが繁栄したのか?【文明の生態史観・地政学】」という動画がおススメ。
日本と西欧(特に英国)だけがなぜ発展できたのか、島国・遊牧民という観点から説明してくれている。
パリにも城壁があったけど、ロンドンには無かったからね。
そういえば合戦に家族連れで弁当持って見物に行ってた、という話もありましたね。
近年のSF系アニメの悪役にも遊牧民オマージュ多いのかなあって感想。よくロシアや中国に降り立つし、ひたすら破壊して回るいっぽう水域では進撃にぶるし・・・
うp主は「日本の戦争では領主が支配権を争っているだけで領民は税金の納め先が変わるだけ」と解説しているけど、城市のあった中世ヨーロッパでもそこは同じだったので、決定的な説明としては弱いのではないか。城市を築くために必要な膨大な資材、労働力、それらを集約できる政治体制を作れたのは日本では豊臣氏か北条氏くらいだったという説明の方がまだ頷ける。
22:21
北伐が宗教戦争・・・そういう見方をするなら魏に対する蜀と呉の温度差も理解できますね。
呉にしてみれば魏はあくまでシマを巡って争う相手でしかないのに対し、蜀からすれば魏は神(漢)をないがしろにする「背教者」ですからね。
ただし日本でも城下町の略奪は派手にやっていた模様
上杉謙信の小田原城攻めとか大阪の陣とか
その派手にやる程度が大陸とは全然レベルが違うものだったということではないでしょうか。モンゴルみたいに都市丸ごと消し去るみたいなこと誰もしてませんからね。
あくまで日本基準の「派手にやる」だったから、大陸基準の大規模殺戮、殲滅行動には程遠い。
城の機能面の解説は正しいけど、日本でも「乱捕り」や一向宗等があったので、日本における民族性や宗教の解説はちょっと違うと思う。
コンスタンティノープル周辺はマジで地理、歴史、地政学の教科書なくらい奇跡の立地ですね。
ディプロマシーやCK2とかでも大体ビザンツやトルコの生命線に。
コンスタンティノス11世ってこの時代の皇帝にしては珍しく剣を握って死んだと思ってたけど、厳密には生死不明なのね・・・。
空の軌跡
唐突な岐阜城(地元)でびっくりしたわ
日本の城も本来はもっと広かったはずで今は観光用の部分だけしか残ってませんからね
日本では本来の縄張りが残ってる城は一握りも無いかも知れないですね。
城の価値は縄張りで決まるのであってコンクリの本丸やインチキ天守閣なんて何の価値も無いのに、今までお城を保護してた人達にはそれが全く解って無かったらしいです。
日本にも総構えっていう防御形式がありますよね
あれは城邑とは違うのですか?
違うのであれば詳しく知りたいです
全体が壁で囲まれて無いからとか?
自然の川や山を壁堀代わりにしているから?
トータシス
同じですね。
規模が全然違うのと、役割や意味が違うだけで、やってる事は同じです。
大陸とは規模は違いますけど戦国時代の総構え造りの大坂城や小田原城が近い感じですね。
豊臣時代の大坂城は商業地を城郭内に作ってましたし、北条の小田原城は籠城しやすくするために市街地の一部を城郭に作っていた形跡があるそうですし。
江戸城は豊臣の天下統一後でしたから市街を城郭に入れる必要がなかったんでしょうね。
江戸城も代表的な総構えの城では?
江戸城は世界的にも巨大なレベルで市街地を取り入れた城だったりします
なぜだか戦国末期で落ち着いてきてからの方が規模の大小はあるにせよ全国で総構えが割と一般化するんですよね
それこそ小田原征伐で小田原城を見た全国の大名がインスパイアされたのかもしれません
@pluto
軍事設備としての城が減り、行政施設としての城に変化したわけだ
岐阜城はすごかったですねー
濃尾平野に突如といった感じで現れた独立した山がそのまま城になってるんですから。
何十キロも徒歩で行軍させられて、「さあ、あの城を攻めろ」とか言われても絶対にイヤw
ウクライナ戦争で、ウクライナに「無駄な戦いはせずに降伏しろ!後で立て直せばいい!」などと戯言を言う輩がわらわら出てくる昨今、この動画は実に意義深いです。
日本と日本以外の戦争観は、かくも根深く凄まじい相違があるのですね。
だからといって、他所の国に抵抗せずに降伏しろなんて偉そうに説教する馬鹿で恥ずかしい日本人に共感するなど、金輪際できませんが…。
「行くなよ!絶対に行くなよ!」(観光地)
都市国家は城址の類いかな
昔コーエーの三国志9でなんで城の中に街があってそこ以外は街があんまりないんだろうって思ったけど、その理由がよく分かった。
ゲームでは描かれない略奪や破壊が行われるからだ。
むしろ賃貸に住む魔王とか見てみたい(笑)
いしいひさいちの漫画で賃貸の要塞を町の不動産屋で扱う話があって、両軍がうっかり借りてしまって「同居しようか?」って展開になってた(笑)
働く魔王様って作品がありましたよ。ボロアパートに住んで、ファーストフード店で働いてる…
昔の武士は現代の暴力団員。私もそう思っています。武士だって暴力団員だって無闇に暴力をふるうわけじゃない。年貢やみかじめ料を払う相手はだいじにします。
昔の武士は現在の政府、役人ですよ・・・
戦前はそうでも戦後の植民地政府、の政治家、役人は違うかも・・・・
城市というと、小田原城とか秀吉時代の大坂城とかの総構がそれに当たるのかなあ
コンスタンティノープル…堪らんなぁ、ロマンの塊だよ
ロマン=roman すなわち「ローマの」(形容詞) 「ローマ人」(名詞)
コンスタンチノープルは(東)ローマ帝国の都として1000年続いたあとはオスマントルコに征服されてイスタンブールと改名されオスマン帝国が滅亡するまでそこの首都でした🎵
うぽつ、めっちゃ嬉しい😃
賃貸に住むバーン様。大家には勝てないが居住権を盾に立ち退きに戦え!!! こんなスピンオフは嫌だなw
しかも管理会社の社長即ち大家がダイ、管理人がポップというオチだったりして。
グランバニア城は外国ではむしろ普通のお城なのか
日本で言うところの小田原城ですね。しかもグランバニアの場合国王がスカウトそして育成した野良モンスターより強いモンスター連中が城を守っているし。
ゲームで言うとドラクエ5のグランバニアはまさに城市ですよね、堅牢な城内に都市機能がある。
城市…強いて日本であげれば小田原がそうだったとされるが…。
月山富田城でも1年ちょっとの籠城戦か。
海外やベーなと感じる人が多いかも知れないが、日本が本当に特殊で異常な例外ってだけで海外の感覚の方が一般的なんよね
日本は昔からcrazy hentai japanだった模様
ブラックアフリカやミクロネシアのように牧歌的な一面を残しながら大陸の強国に伍していったのは確かにHENTAI
大阪城のそうがまえは城市にはならないほど、規模が小さいんですかね。
大阪城の城壁は大陸型城市ではないかも。
でも堀が完全だったので城市と言って差し支え無いと思う。
お城の種類も色々ありますね。
実例としては
宮殿 ノイシュヴァインシュタイン城、聚楽第、二条城
要塞、基地 日本の中世の山城が典型例 一乗谷、春日山城、小谷城など 宮殿用途の館は麓に造る
山の上なのに宮殿兼要塞・基地の典型的なパターン 安土城
城市機能もある大規模な城 江戸城(外堀まで城扱い)、大阪城、小田原城(都市全体を囲む総構え)、姫路城
城市機能のみの典型例 万里の長城
近代の場合の城市機能の都市の例はレニングラード、スターリングラードなどでしょうか
お城は楽しめますね
面白い。大陸と日本の戦の意味の違いはわかってたけど、蜀を宗教団体って考える発想はなかった。確かに妙にしっくりくる。宗教団体に必要なのは教祖様と幹部信者であって、政治家や軍人じゃないもんね、結果的に政治や戦争しても。
戦国日本でも本願寺vs織田の10年戦争は有名ですよ。この10年戦争では信広ら織田一門衆にも戦死者が出たり信長の本拠地津島の目と鼻の先まで本願寺の軍団が押し寄せたりしているし。