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幽霊が赤っぽいっていう表現方法すごいよね。大体幽霊って青みたいなイメージだもん
火を浴びてるようでな...
実は…頭巾を被った女性(赤ちゃんを抱いている)人を見たことがある…勿論赤かったよ…😂当時固まりました
空襲を想起させますね
清太さんは世渡り上手ではなく、坊ちゃんとして育ったので、世間知らずなのはやむを得ないと思う。大人になって、またはこのような経験を通してわかってくる事だと思う。だから個人的には同情する。清太さんの無表情な見つめる眼差しは、この世は今も昔も、不公平で理不尽なものであるという心の表れではないかと思う。性格が不器用でなければ損をしなかっただろうし、戦争がなければ このような性格でも幸せにいきれたかもしれないし…清太さんや節ちゃん、戦争で苦しまれた方々の魂が慰められますように…
となると、やはり見る人によっては優しくにも厳しくにも見えるわけですね。
私の父は清太さんと同い年で、家族が大金持ちでも職業軍人でもなかったので、清太さんの家族が空襲に会うまで送っていたような、贅沢な食生活もしていないし、学校の代わりに軍事工場で強制労働させられていました。清太さんと同じ頃に、働いている工場で空襲にあって、父の同級生は手や足や頭を吹っ飛ばされて沢山亡くなりました。父はそれを目の前で見ながら必死に逃げ延びて、90才を過ぎた今も、あの頃のことを夢に見ると言います。そんな怖い夢を見ないように、早くボケたいと言っています。でも母は認知症になりましたが、子供の頃の戦争のことばかり思い出して、夕方になると急に叫び出したりしていました。あの頃に子供だった人たちは、生き延びても地獄から逃げ出せないようです。子供はいつの時代でも戦争の犠牲者です。
昔の動画でコメントするのもなんですが、監督の高畑氏が、この時期(バブル絶頂期)の浮かれた若者と清太さんの後先考えない行動を、似たようなものとして対比させてみた的な事をテレビで言ってましたね。
清太がこちらを見ているシーンについてですが、私達を見ているというより、私達を含め、背景にある世の中(私達が生きている現代)を見ているように感じます。そう考えるとこれから先、いつの時代にこの映画を見ても清太に見られている私達が感じ取る何かをその時々によって逐一考えされられる深い映画ですよね。やっぱジブリすごい。って勝手に思っている。
もしかしたら自分(清太)と同じような人達を眺めているのかもしれないですね。
深いなあ、深すぎる。
そゆことか...深いな...
「君たちはどう生きるか」
この動画を見てからDVDで改めて観てみました。お母さんの着物をおばさんにお米に変えてもらうシーンのセツコが泣き叫ぶのを幽霊の清太が耳を塞いでるのを観てもう涙が止まらなかったです。ひたすら悲しくてどうしようも無い気持ちです
改めて観たらやっぱおばさん冷たいじゃん。
@@熊谷利信-v9u まあお米を買うためにはなー
ようDVD買ったな。戦争教育か知らんけど、小さい頃金曜ロードショーでやるたび絶対見せられて、半分トラウマやわ。ほぼDVD持ってるくらい見た。
子供のころはおばさんが冷たいと思っていたけど、大人になって思うと軍人さんの家族としてお高くとまってきれいな着物何着も持っているんですよね。それで、空襲の後おばさんの家に来る。自分の家族だけでも生活が大変なのに軍人家族としてちやほやされていたお荷物の子供がおんぶにだっこで来て。余計にかかるようになった生活費を賄うために着物を売るには当然のことなのでは。子供のころの目線だと母親の形見を取り上げられるになってしまうけど。
@@なぎ-m1d なるほどね、そう思って観ると物凄く深いな、さすがジブリだわ。
昔見てた頃は「清太も節子も可哀想」って思ってたけど、今こうやって考察とかを見ると清太への批判にも納得する。でも、中学2年生の子供が、急にいい生活してた立場から他人の家に居候しなきゃいけない立場になったとして、その現実を受け止めて、自分はどういう態度でいるべきかを考えて、その通りに過ごすことができるかどうかを考えると、「いい生活をしてた」ことからのプライドとかあってなかなか難しいんじゃないかなとも思う。できる子もいると思うけど、できない子の方が多い気がする。少なくとも中学2年生の頃の自分だったらできなかったな。もちろん批判も納得できるし、ちょっと共感もできるから、清太に対する見方は少しだけ変わったけど、それでもやっぱり可哀想。昔とはまた違う「可哀想」だけど。
軍人さんの家族としてちょっとおばさんの家を格下に見ているような雰囲気を感じました。子供のころの目線だとおばさんが冷たい印象があったけど、大人になってみるとおばさんの対応も仕方がない思えます。
@@なぎ-m1d 状況が状況ですもんね。たとえ大人であっても、そういう対応になっちゃう部分もわかるなって思いますよね。
大人でも今迄高所得の中流から上級の生活水準の中で生活していたのが急に収入が大幅に減り、資産も消失し、庶民レベルに迄堕ちてきたとして、一気に生活水準を下げて色々消失した中に来て、更に強いられている状況下で直ちに順応出来るか?と言われたら、精神的にも肉体的にも一定の期間は必要とするでしょうが、それがまだまともに社会経験も無い子供が大人と同じに出来るか?と言われたら、そりゃ無理だと思うし、口であれこれ言ってる人はじゃあ、同じ様な状況下に置かれた際に全てを受け入れて前の良い、裕福な暮らしをスパっと全く未練も後悔も無く忘れて、数ランク下の生活を精神的にも肉体的にも以前の倍キツイ生活を送りながらやっていけるのか?清太みたいに前の良い、裕福な暮らしをしていた頃を回想したりはしないよな?絶対、とは思うところはあるかな?と。んじゃ清太に菲がないのか?はまた別問題だとは思いますが。
@@tokoname19790803 ホントにそれなのよ。だから、大人になってから少しは周りの大人たちの態度に納得もできはするけど、それでもやっぱり清太が悪いとも言いきれないし…小さい頃はただただ可哀想とか戦争は怖い良くないとかそんな風にしか見えてなかったけど、こんなに深い映画だったんだなって思う。
双方の立場がわかるとまた苦しくなるよね
思い出したら涙出てきた。戦争の悲惨さ、悲しさが全て詰まっている。
清太君は清太なりに生き延びようとしてますもんね、やっぱなんとも言えんわ。
ネトウヨは清太を批判して気持ちよくなってるけどな
途中で止めたけど全身火傷のお母さんが出てくるシーンが可哀想すぎてトラウマ
火垂るの墓は辛すぎて1-2度しか観てなかったから、最初と最後に主人公の幽霊が出てくるなんて、全然覚えていませんでした。成仏できないって、悲しすぎる💧
清太に対する批判は大人から見た視点なんだよね結局。おばさんに嫌がらせされてまで、頭を下げて一緒に生活してこうと思えるほど世間を知らないはず。大人になるってことは自分に正直に生きることを止めることなのかも。
誰にも頼らなかった結果不幸な結末になってしまう話は今でも聞く話ですよね。戦争時だろうが平和な世であろうが関係ないという話は確かにその通りだと納得しました。個人的には、14歳という若さで誰にも頼らない晴太は逞しくてすごいと思ってしまいます。私なら辛かったらすぐに誰かに相談してしまうので。でもそれは弱いってことじゃない。生きるために必要なことなのですね。
清太がこちらを見つめてくる理由は「僕の事をいくら罵ってくれても構わない。でも僕のようにだけはなるな。」と訴えていると言う事なのかもしれない。
ちげーよ笑
@@あーむくん絶対とは限らない
正解。これは作者の体験談で、妹を死なせた自分の罪を見て反面教師にして欲しいってメッセージがあるらしい
@@あーむくんなぜ笑う?
@@monariza43 清太に比べたらおれ幸せだなって笑
8:28 節子に優しい顔で話しかけていたのに、突然、その優しい顔から一変して、一切優しさを感じない無表情で清太がこっちを見てくるのは確かに怖かった。今も神戸に囚われ、答えは分かっているのに解決出来ずに、清太と節子の兄妹はこれからもずっと苦しまないといけないなんて…。9:45 作者の後悔から生まれた兄妹だったんですね。
あれは現代の人々に何か訴えかけて云々という解釈が一般的なんだろうけど、見様によっちゃ「ところで誰お前?人の人生覗き見して何勝手に嘆いたり泣いたり同情したりしてんの?見世物じゃねえんだぞ」と言ってるように見えなくもない。
@@Baskerville2641 ほう…確かにそう見えてくる
こっちみんな
@@たなかいちろう-b2x 可哀想な事言うなよ…大分と酷い事言うのな別に見たくて見てんじゃないんじゃないの?
あたしには、無表情でも地味に優しさが溢れてるように見えました。そもそも、現代を生きてるあたしですら清太と同じくらいの未成年から働いていたので。
オープニングはほとんど覚えてなかったけど、最後の清太が映画公開時の神戸を眺めているところが1番映画で覚えている。震災前の神戸ってこんなに華やかだったんだと。地縛霊として清太が彷徨って神戸を見続けているとしたら、震災の時の神戸はトラウマ級だろうなと思った。避難所にいた戦争を体験したジジババが口々に戦争の焼け野原だって言ってたもの。
最後に現代を映し出して終わるところで鳥肌立ったのを覚えてる...
小学3年のときに金曜ロードショーで見たなあ。悲しくて涙が出たけど悲しみの理由が分からなくて壁に頭を打ちつけながら泣いた。悲しみの理由は今も名状しがたい。
清太が見つめてるのは現代の街と考えて、「僕らもあの光の中を生きて見たかった」に思えるかも。
タイトルにある「火垂るの墓」は洞窟で死んだ命の軽い蛍をまとめて埋めた墓と空襲で死んだ母が重機で掘った穴でまとめて集団火葬されたシーンをフラッシュバックでリンクさせたようです。清太と節子は2匹のはぐれ蛍となって母の遺骨を訪ねますが清太の持ち帰った骨壺の中は他人の遺骨ばかりで母の遺骨はありません。忘れ物とは清太が現在も探し続けている母の遺骨=命の尊さ・重さじゃないかなと思いました。
あの時こうしておけば…あの時にああしていれば…という後悔の念だろうと思ってる。
児童絵本版ジブリの火垂るの墓があって空襲から避難する所から始まって清太の死が終盤のページという感じであった。児童絵本的にそっちの方が分かりやすい所があり、映画と何で逆なんだろうと思っていたが、今思い返すとそういう事かと納得するようになったわ。
忘れ物を届けにきました、は同時上映トトロのフレーズではありませんか?4歳と14歳で生きようと思った、というキャッチコピーが載っていた気がします。
記憶に残る名作ですね。ジプリ所属の高畑勲監督でしたね。外国人も二度と見れないとショックを受けた人が多かったようだ。
大人になってから清太への見方が変わるとは皆言うが同時に「時代によって」も見方が変わってきたのだなと思う清太は世間知らずの少年、であると同時に「それなりの地位を持つ軍人の息子」という背景もある当時の子供にしては裕福で高い教育を受けられた、いわゆるおぼっちゃま寄りの少年だったわけだ(途中で出てきたカルピスなんて、当時の庶民の子供は簡単に飲ませてもらえる代物ではなかった)映画公開当時はそれほどその点は気にも留められなかっただろうが日本という国がすっかり貧しくギスギスしてしまった現代の人間からするともともと良い思いをしていた人間への「無自覚のヘイト」がさらに清太に対する感情に拍車をかけたのだろう
その「貧しい日本」に就労移住に来る者が少なくない中国や韓国はもはや地獄か何かですか(:爆爆
むしろこういう本当に悲惨な時代、もしくは現在でも極貧や戦争や圧政で苦しむ国地域があることを思えば、現在の日本に生まれただけでも「勝ち組」と思え、という解釈もできますね(笑)
当時もそういう意見はあったでしょうが、ネットやSNSもなく世間に手軽に発表する手段がなかっただけでは?せいぜい新聞や雑誌、テレビラジオの読者・視聴者投稿コーナーぐらいであり、当然選ぶのは完全に発行・放送側の都合や好き嫌いにゆだねられるわけで。表に出ないのと、存在しないのは別ですよ。
消えることのない後悔に囚われて成仏できず辛かった記憶を何度も繰り返す清太戦争という抗いようがない現実のもとで、ごく普通の子供がたどった悲劇反戦やお涙頂戴を前面に押し出したものよりも、はるかに生々しくて視る者の心をえぐりますね…。
後悔を抱えたまま◯ぬと、ずっとその地で彷徨う事になるのは衝撃的でした…😢下手すると…現代で自◯した子たちとか、はたまたやりたい事を最後までやれずに途中で命が燃え尽きてしまった子たちも同様に…。
他の戦争映画では、高潔な自己犠牲とか、苦境にありながらも逞しく明るく生き延びる子供たちの姿が描かれるので、異色ですよね。イヤな気持ちになるのに、つい定期的に見てしまう自分が不思議です
あの時代に子供を二人も引き取る決意をしたおばさんは立派な女性だと思う。それで手伝いもせずに家の中でブラブラしてるだけじゃ嫌味の一つも言いたくなる
海軍将校の息子と娘で、息子は働くことを拒否するお坊ちゃん、娘は今の際に「お造り、天ぷら、アイスクリーム」という現代人でも高級と思える食事をスラスラと言えるお嬢様。彼らが果たして高畑監督の言う「ごく普通の子供」なのかは疑問が残るんですよね‥火垂るの墓が名作なのは間違いありませんが「ごく普通の子供」の映画なら「うしろの正面だあれ」がオススメです。悲しいですが最後の最後で希望が持てるのと全員が死なない下りも逆にリアルです。
「後ろの正面だあれ」は海老名かよ子さんの実体験を元に作られた映画ですからね…。
個人の考えですが、恐らくその「普通」は「背景や育ちが中間的、平均的だ」を指す訳ではなく、「人間の子供としては異常なしだ」ではないでしょうか。つまり当時の子供が必ずしも大抵清太や節子のように振る舞うのではなく、生理的や精神的な異常も持たない子供なのに、単にそのような環境に置かれたことによって苦痛に陥るというのが悲劇的でしょう。詳しく言いますと、二人は所謂「普通」の子供としての必要条件を満たしております。人間として愛情や嫌悪、幸せ、悲しみを感じたり、自己表現をしたりすることができますし、物語の前半までは健全な体も備えていました。子供としてはある程度の未熟さや愚かさ、心身の弱さを見せていました。それらの要素がそれぞれどれ程、量的に現れるのは子供全員においてばらつきがありますが、「普通の子供」と言う言葉は質的に欠けることのない子供を指すと思います。憶測で長文失礼しました。
今際の際にでてくるならむしろ普段は食べれないご馳走だったんだろうし、平均的よりやや上ぐらいの家庭じゃね
生きている間、節子にとって清太が世界の全てだったから、二人だけの閉じた世界に清太を閉じ込めているのは無邪気な節子の幽霊のほうで、清太の幽霊は節子を死なせてしまった後悔と罪悪感と贖罪の念でその世界から逃れることができなくて苦しんでいるということなのかと思ってた。
私は、失敗してもそれをなんとかまだ経験として学べられるっていう時代になってくれたんだって思うよ。
清太がこっち見るときは、必ず節子に気付かれないようにしてる。清太にはこっち側(我々)の存在を節子に知らせたくない理由があります。「僕は死んだ」清太は自分が既に死んでいることを認識してますが、恐らく節子は気付いていません。清太はそれを気付かれたくないので、ずっとその苦しみの煉獄の中にいます。清太の目線は「どうかこれを見ている方、この苦しみから逃れる術を教えてください。」というSOSのサインと受け取れます。違いますか?高畑先生。
まんま あの人の動画の内容で草
@@zzzwde なんですが、無料の放送部分しか見れてないので、当たってるかわかりません。
いまだに清太と節子が終わらない無限地獄に囚われていると思うと 悲しすぎる
この映画って色んな意味で勉強になるんだよね。
これをトトロと一緒に公開したのが恐ろしいや…
ハム太郎「同感なのだ!せめて逆だったらよかったのだ!」ゴジラ「ゴギャー!(逆でもよくねーよ!)」
同時公開だったの!?そりゃ落差もあってこんなんトラウマなるわ
96年の劇場版エックスとスレイヤーズの同時上映も
子供の頃散々見せられて、ほぼトラウマ。ただ、今の世界の現状見ると子供たちには絶対見せるべき映画とすごく思う。日本人にとって戦争かなり遠いようだけど、戦争の残酷さをすごく近く感じられる。どこか子供は大切にされるものとおもってたけど、その子供に向けられる厳しさが子供の自分にとって妙にリアルで見たくなかった。
他の解説動画も見た限りでは、清太のカメラ目線は「俺の育ちの良さや社会性の無さが元凶で節子と共依存状態になった挙げ句節子を死なせてしまった。だから俺は生きる気を無くて死んでいまだに成仏できないでいる。俺はどこで間違ってしまったんや」と観客に問い掛けてるようにも見えたな。この映画の宣伝ポスターで破れかけの大きな傘の下に清太と節子が描かれているのは、この作品が暗に「心中物」だと示唆しているという指摘もあるくらいだし。
原作者の体験が元の話だけど、あんなに妹に優しく出来なかったと言ってるね。まだ赤ん坊の妹の頭を叩いていたと。その懺悔も込められた作品。この時代、兄より弟妹を抱えた姉の方が地獄だったろうな。なかなか描かれないけど。
2人で粥を食べる時も、自分は器の底からすくい上げて米を口にし、妹には上澄みの液体しか与えなかったと語っていたようですね
子どもの頃に観た時はご飯食べれなくて可哀想って感想だったけど大人になってからは清太の年頃だと反抗心という形でまだ大人に甘えたいし心の拠り所もほしいだろうに他人の家に居候させてもらって肩身の狭い中で生活するくらいなら自由に生きてやるって思ったんだろうなってちょっと分かる。10代半ばなんてそんなものじゃないかな?いくら現実が戦争で我慢しなきゃいけないとしてもお母さんも死んでしまったしそのことを妹に言えない辛さもあって精神的に追い込まれてたと思う。飯さえ食えれば生きられるかと言ったら人間はそんな単純じゃないと思う。
upありがとうございます!海軍のお坊ちゃんだったからな…
この灰皿シーンに気付いた人はスゴイと思います。清太と節子は地縛霊になってるけど、両親はどうしたのかな?
エリートの息子という恵まれた環境から疎開先の厳しい環境に移るが世間知らずな面やプライドが高いために生きていけなかった。もっと現実を受け入れておばさんとの生活を続けるべきである。これが清太に対する批判の声。ただ自分は高畑監督の言うように現代に通じる面はあると思う。今と戦時中では物価や生活環境が違うとはいえ、現代で裕福な家庭に生まれ、何不自由なく子供の頃から子供が貧乏で便の悪い田舎で自給自足の生活に納得し即座に生活しろと言われても難しいのではないか、と思う。恵まれた環境で生きている現代の子供たちに幸せを噛みしめてほしいという思いもこめられているのではと予想します
本当にトトロとは真逆の作品
3:21ここ物凄く印象に残ってるお母さんが包帯巻かれて横たわってる姿は見れません😭
人が亡くなるという意味がわからない子供の頃都合良くお母さんは無事でまた仲良く暮らすんだと思っていたので現実見て怖くて泣きました
品があって綺麗なお母さんが空襲によって火傷を負い包帯を巻かれて横たわってる姿のギャップ残酷で悲惨な描写ですよね
このアニメが初公開の時、映画館のポスターを見て、これは大変にレベルの高い映画だとすぐに分かりました。素晴らしい筆致、高い水準の「絵」を見て内容のレベルの高さが伺い知れました。やはり素晴らしい作品で冒頭の節子の幽霊が現れるシーンから、もう涙、涙 涙、涙💧でスクリーンが滲んでよく見えなかったです。高畑さん、素晴らしい作品を有り難うございます。
ポスターを見ただけで、映画のレベルが分かるなんて凄すぎます。自分は、30秒~1分くらいの予告を動画で観ても、その映画のレベルがよく分かりません。
確かどれかの解説動画で、節子ちゃんの死因って栄養失調ではなく物語の最初辺りで降っていた灰が原因で感染症にかかってたことが原因だったと言われてました。そして、清太の罪になにも分からず満面の笑顔で付き合ってる節子ちゃんのなんと意地らしいことか😢。
子供の頃は清太に意地悪するおばさんを憎んだけど、今はおばさんが清太にあぁいう態度を取ったのも理解出来るかな。
ラストなんか怖いなと思ったのはそういうことだったのか…
節子と清太にはお腹いっぱい好きなもの食べさせてあげたい
それでも私は何年経っても清太に同情してる時代とか言うけれどあの年齢で妹を抱えながら2人分食べて行くのは現代でもキツいし現代だって保護されるか分からないどの時代も家族がいて、導いてくれる人が傍にいないと生きれないと思う。あの若さで生き抜けって言うのは過酷清太と節子の魂が成仏出来るのを心から願ってる…空の上で美味しいカルピス飲めるといいなっていつも思ってる😢
おばさんの話は、後に出る松嶋菜々子や井上真央が出てるドラマ版で語られますね。(完成度高い)結構、戦争を経験した爺様婆様はその映画を見て、清太を追い出すしかなかったと思う、いずれそうなる、と言う。遅かれ早かれ、身内ではない人は一人で生きていかなくてはならない時代だったんだと思う。
世界大戦が近くなってきたが、この映画は世界中の人々に観てもらいたい。戦争の悲惨さを二人の子供の人生を通じて如実にあらわしている。ほんとにこの映画だけは観終わったあとただただ言葉を失う。多くの世界中の人々に観てもらいたい。
世界大戦wいつどこであるんだよお前の書きこみから一年以上経ってるけど世界は平和だぞウクライナとロシアが見せかけの戦争やってるくらいで
可哀想を通りこしてムゴイんだよこのアニメ😢
幼稚園の頃はお母さんのシーンをちゃんと理解出来ていなくて、その後理解してからはお母さんが生きているシーンを目に焼きつけるようになった気がする。最後のシーンの神戸の街は清太の目にはどう写ったのだろうかと観る度に思う。
アニメになる前に原作の火垂るの墓の小説を読んだ。野坂昭如氏の作品たしか1970年代だったと思う。野坂昭如氏の少年時代戦後間もない時実際に妹を亡くしている、その体験と子供の自分が何も出来ない苛立ち、貧しさ、を書いたとか作品の中の戦後の佇まい、飢え、理不尽さ等心に響くものがあった。野坂昭如氏の作品沢山読んだ。アニメとは違う感動?最後のドロップの缶から骨が散らばり回りの大人は見向きもせず歩いて行ったと言うラストだったような気がする。
清太は地縛霊であると同時に念縛霊でもあるんじゃないか、と動画見ながら思いました。自分の行いを自分でも責め続け、更にこうして何十年も語り継がれる作品として世に発表されたことで何十億もの批判を受け続ける。永久に。その念が、非難の感情が、清太を更に縛り付けている。そんな気がしてならないのです。
「ラスト清太がこちらを見た理由は?」映画の冒頭でも清太が同様にこちらを見るが、清太がこちらを見てから清太が死んだ過去の場面に切り替わるラスト、清太がこちらを見て現代の神戸の街に切り替わる
なぜこんな論争や考察が起こるかなんて理由は簡単「ジブリだから」作者がどんなに単純な意図を持っていたとしてもおそらくこのような考察がたくさんあったと思う。それこそがジブリ作品のいいところだとも思う。
ウクライナの戦争も早期に終わって第二の清田とセツコが生まれないことをお祈りします
清太な
@@うさちゃそ-o7g テヘペロ
ロッテに訴訟起こしてそう
もう生まれているかも...
第二の清田は草
清太が悪い、おばさんが悪いとは少なくとも、自分のように戦争をこの目で見て乗り越えたことのない人間は批判しちゃいけないのかなと思ってしまう。
現代なら、清太よりもっと駄目でも生きていける。成人でも。
どんだけ現代人が劣化したかってことだ。清太よりクズなのが一般人のスタンダードってなんか悲しくなってくるわ...
このアニメ映画見てわかることは、戦争などの緊急事態時になると今の現代人だとポンコツ以下になるってことだな。
@@近藤勇-y2b 確かにそういうことになります
コロナ禍で「自粛しなさい」って言われただけでストレスで「死にたい死にたい」言うやつ、コロナで仕事を失ったら「仕事がない」と言って、ずっと働かないヤツ。たかがコロナで死にそうになるくらいだから現代人が戦争時代に行ったら、あっという間に全滅するだろうね。
@@近藤勇-y2b 仮にそれがスタンダードなのだとしたらその事実を知っていながら何もしない君が1番のクズでポンコツなのでは?
こういう結構精神的にくる映画とかをあまり見たくはないけど、目を背けてはいけない
実写版火垂るの墓では、清太と節子に辛く当たった叔母さんの視点で描かれているんだよな。大人ですら戦争と終戦後の極貧の生活を乗り越えるのに苦労するのに、お金持ちのボンボン気取りで何もしようとしない清太に腹が立つのは当たり前。子供でも大人でも戦争を乗り越えるのは生半可なものじゃないと言うことを伝えたものだと思う。
大人目線だと、いきなり疫病神に見えますね。叔母さん美人で優しそうで、でも人が変わったように冷たくなって。彼女も追い詰められていく様子がかかれていました。態度を硬化させる瞬間と、清田のまずい対応が、分かりやすく描かれていたと思います。「これはムカッ!イラッとくる絵だわ…」「あーっ、ここは服従しておけ」「第三者が仲介しようとしているチャンスを無駄にするな」😢と、ツッコミまくりました。最後、「これが必要だったんだよ!遅いよ!」と泣きました。
学校の授業で一時間目に見せられたことで一日ずっと重かったのをよく覚えてる…
戦争が終わった途端、住人の雰囲気が穏やかになったよね‥
これ都市伝説ではありますが諸説あるので面白いですよ~戦争を終わらせるのに必要なのは「心の底から負けを認めさせる」→「よし!ヤマト作って壊させるか!」「配給をゴミにする」→「話聞いてご飯もくれる人」→「神様!!」等々
ストーリーとかあんまりおぼえてないけど、ラストの節子を燃やすシーンはいきなり冷めた不意息になり、ぞっとしました。 ラストに何で呪縛霊がそこに留まって残ってるのかは、不明だけど、呪縛霊として残るなら、名犬ハチ公見たいに母と父が来れば、成仏出来るのかも知れないですねいつか成仏出来る日がくるさ
子供の頃見た時の薄ぼんやりとした記憶なんだけど、二人のお母さんの形見の着物を生活の為に売る、までは理解したんだけど、そのお金で自分の子供ばっかり優遇してたと思ったんだよね。「おい!それ二人のお母さんの形見売った金で買ったんだろ!だったら二人にいいもの食わせろよ!」と当時思ってそれから一回も見てない。実際どうだったんだろ?
確か実際はお米に換えて、それを清太と節子にも食べさせてたよ。節子がおかわりして、それをおばさんが笑顔で茶碗に注ぐシーンがあったはず。
小さいころ見た時は深く考えてはいなかったのですが、大人になってだんだんと意味が分かってくると、思った以上に複雑な物を感じました・・・。もし清太に死んだ父親に代わる第二の父親ともいうべき恩師や恩人と出会ったりしていたら、清太ももう少し真っ当な人生を歩んでいたかもしれないし、セツコも死なせることはなかったのではないかと思う・・・。
確かに清太のような戦争孤児は多く居て、その多くはドン底から這い上がって自立し、今の日本の礎を築き上げた人たちが多かったはず。しかし清太はそこから離脱してしまった。節子を失ったショックからなのか、自分のプライドから働き学ぶことを拒否してしまったのか。人との関わりが出来ない不器用な性格からなのか。清太は反抗期・思春期を迎えた子供であったことは確かだ。清太が17歳や18歳なら生き方は違っていたはず。
火垂るの墓のキャッチコピーって、「4歳と14歳で生きようと思った」じゃなかったっけ(´༎ຶོρ༎ຶོ`)
中学生の時、小説を読んで戦争、社会の理不尽さを悲しく感じました。しかしテレビに出る野坂昭如の方が理不尽すぎて、話自体に疑問を持ちました。
原作のアメリカひじきではおばさんはもうちょいマイルドだった気がします戦争の悲惨さよりもまず強調されたのが、青年の甘さ、生きるということの大変さそして最終的に幼い子供が現実と向き合わないといけなかった時代の難しさ、ひいては戦争の悲惨さって感じだった印象でした
私は子供の頃から、叔母さん何もしてないのに偉そうな人だなという気持ちで見ていました。学校に行けと言う割に、学校に行く手続きをしていない。働けという割に、働き口の紹介もしない。手伝いだけでもしておくれと言えば良いのに、それすら言わない。頼まない。なのに、自分は言うだけ言いました。勝手に出ていったのは子供らです。という態度に、体裁だけ整えて、自分を正当化しているだけじゃないかと子供心ながらに思いました。その後、はだしのゲンを読んで、疎開したゲンの弟が(誇張されてる可能性あり)、児童はひもじい思いをしているのに、先生だけ良いもん食べていた描写を見た時、たとえ清太が働いていても、ゲンの弟と同じことが節子に起こっていたかもしれないと考えたんです。そうなったら本編よりも後味が悪い上に、正しいことをしていたのに何で感が増します。だからある意味、火垂るの墓の終わり方は清太と節子にとって、幸せな終わり方なんだと思います。でも、清太は節子のお兄さんだから、節子を死なせてしまった。死んだ時に安心感を覚えてしまった。そんな自分を許すことが出来ないんだろうなと。節子は清太といることこそが幸せです。たとえそれが、辛く苦しい最後だとしても、同じことを繰り返すことになっても構わない。清太も節子と同じ気持ちなんだけど、一緒に生きたかったし、死なせたくなかった。だから、そんな自分に対する戒めとして、何度も同じ時を繰り返している。最近、監督が恐れていた論調が目立っていて、思うことはただ1つ。その身にならずして、人を裁くな。清太と同じ環境に立ったことがなく、またその状況に見舞われたこともない私に彼を責める権利はないと考えています
全くその通りです!!上映された時代から時代が降るにつれ心無い意見があまりにも多すぎる・・・
清太さんな あんたもう大きいねんから 助け合いいうこと考えてくれな あんたらは お米ちっとも出さんと それで御飯 食べたいいうても そらいけませんよ 通りませんって言ってなかったっけ?幾らお坊ちゃまでも、ここまで言われて、お米も出さない、手伝いもしないっていうのはどうかと思うよ。自分は清太と同じ年齢で初めて見たけど、その当時でもこれはないわ…って思ったよ。
疎開していたのは次男なのでゲンのお兄さんですよ。
忘れ物を届けにきましたは、同時上映されたトトロの方なんだけどな
@TUKIKOMA 確かに…あれ?結局いくら??ってなりました
だよねぇ😂
そこまで長く囚われている地縛霊なら怨念凄まじいだろうな‥戦争でどれだけの怨嗟や呪いを撒き散らすのかをどっかの大統領にこの作品を観てよく考えて欲しいよ
元々裕福だった少年の転落劇って感じ
父親が連合艦隊所属の士官というエリートだったのに、なぜ世間知らずだったというだけで子供2人が野垂れ死にしなければならなかったのか。清太の(年齢相応で現実的な)生活力の無さも大きな要因だとは大人になればみんな辛くも理解していくのですが、僕個人としては「西宮のおばさんが恩給をネコババしていたのでは?」という考えをずっと抱えています。
それ思います
いやいや恩給どころか清田には貯金が当時での額で1000万くらいあったと言われてるんですよしかし戦中戦後すぐは金よりも物資の方が重要なわけで金はあまり意味を持ちませんそれの恩給どうこういうなら軍に頼れば助けてもらえたはずなのにそれをしなかった清田の落ち度でしょ驚いたのが今だに西宮のおばさんのことを悪く言う輩がいるんですね原作者の野坂さんもあれだけ否定してるのに
火垂るの墓の最終回はちゃんと覚えてるよ。少し現代的所だな。
清太のカメラ目線の瞳が怖いって思ったがきっと深い意味があったんだな 幽霊なんてな
63歳の男性です。火垂るの墓は、20回ぐらいは見たでしょうか。最初は、この兄妹の不幸な身の上に涙が止まりませんでしたが、最近は、今回の分析の様に、こうなったのは、清太のせいでは無いか?と思っています。清太は、はっきり言ってニートだった。もう少し 何とか出来なかったものかと、考えてしまいます。原作は読んでいませんが、作者の妹に対する悔恨の情から書いた作品と、理解しています。
俺も清太の立場なら、彼と一緒の事をやるかもしれないなぁ。人間追い詰められると無意識に生存本能がはたらくしな。
呪縛霊ってのがいるんですね!地縛霊しか聞いたことなかったもので勉強になります
自分の子供の頃が清太みたいな性格だったから余計見るのキツイ
一つ言っておきたいのは高畑監督は決して反戦映画を作ったつもりはないそうです。なので確かに作品の見方は受け取り側の自由ではありますが、作り手側は決して反戦映画を作ったわけではないです。
でもこんな映画見せられたら反戦になっちゃう
@@sjfaow そうなんですよね...作品の中身が難しすぎてなんとなくで見てると反戦映画に見えてしまうんですよね...確かに真剣に見るとそうではないことがわかるんですけど...
現代のエリートに対する警告とも、言えるってことね。
小さい頃観た時はおばさんは悪いと考えていたが、今から振り替えれば、おばさんの気持ちもよく理解できた。
劇中での描写はなかったと思われるが、清太の他にも疎開してきた子供たちは大勢いたのは間違いないだろうし、そのほとんどが疎開先での居心地の悪さから家の手伝いやら進んでやっていただろう。おばさんの家の近所でもだいたい同じ感じだったろうに自分ちの清太は節子の面倒を言い訳にさっぱり手伝おうとしない。そのくせ飯の量が少ないとケチまでつけてくる。俺がおばさんの立場ならやはりこんな穀つぶしを家になんか置いておきたくない。ほっときゃそのうち家のタンスから金をくすね出して好き勝手やり出しかねない。清太は戦争前は何不自由ない暮らしが当たり前で、周りは自分のために尽くすのが当たり前だと感じてるように見受けられた。個人的には死してなお、自分の何が悪かったってんだ?って意味でテレビの前の視聴者に訴えてるようにしか今でも感じられない。彼らはそれが理解できずに死んだから、この先も永遠に成仏する事はできないのだろう…。
現在なら「まあ中二だし」と、怒りながらも少しは理解するかもだけど。そもそも当時、農村部では十代後半で結婚して子供を生んで子育てに家事に奮闘する女の子も多かったから、よけいにクズに見えたでしょうね。
監督の名前は「たかばたけ」ではなく「たかはた」ですよね。ゆっくりの仕様でそのまま読んでる(読ませてる)のかもしれませんが、人の名前ですのでそこはきちんと訂正を入れた方が良いと思います…。
戦争の悲劇ではなく生意気な怠け者の末路を伝える素晴らしい映画なり。怠け者は成仏出来ない。
せめて節子だけでもお母さんのいる処にいって欲しいです
二人が成仏できないのは、消えない後悔から生まれた作品だからっていうの、すごく納得しました!食べていくことに困らず豊かな私たちが、この後悔を昇華できる程、問題に向き合い続け、解決した時、彼らも解放されて天に昇れるのかも。
お母さんの着物を売られて節子が泣いてる時に清太の霊もそれを苦虫を嚙みしめるように観てるシーンがあり、その一瞬で、動画でも説明した清太の後悔を表現したのだと思いました。
全部岡田斗司夫の受け売り
なんかこの映画ぞっとする。自分たちの過去から現在までを見せつけてくるというのかな。ほんと地縛霊だ。早く成仏させてあげ、また転生してやり直させてあげたいね。まあいろんな人生がありますよ、大らかに受け止めいつか終わりがありでも新生がある。あの銀河鉄道999の歌でも「人は誰でも幸せ探す旅人のようなもの、希望の星に巡り合えるまで旅を続けるだろう」といってますぞ。仏様の御慈悲がありますように~。
清太って、自分本位でドライな一面があるんだよな。節子のために用意していた食事を、節子の死後に清太が食べていると取れる描写があったのは、初めて気付いた時ぞっとした。食えるんかいと。自分本位で生きてきた、それのために節子を犠牲にし、自分も死んでしまった。死後気付いて後悔しても、遅いんだろうな。清太の無表情は「俺のようにはなるな」と言っているようにも取れる。
冒頭の清太の目が恐ろしく真っ黒でゾッとした
火垂るの墓を最後まで観たことがありません。と言うか、観れません。日本人として、観るべき作品なのは分かっているけど…どうしても途中で辛くて悲しくて、涙が止まらなくて途中で観るのをやめてしまう。日本で実際に戦争があったこと、忘れてはならない事実ですね。
節子に腹一杯ご飯食べさせたい
子どもの頃、ちょっと離れたところに住んでたばあちゃんが家に来ていた時、TVで火垂るの墓がやっていた。当時はTVで放映してたし、小学校低学年だった私も何回も観ていたから何の気なしにみんなで観ていたら、清太のお母さんが包帯に巻かれて横たわっている場面で、ばあちゃんが突然「やめて!見とうない!」と顔を覆って叫んだ。家族みんなびっくりしてあわててTVを消した。火垂るの墓は学校でも観させられたし、他にも戦争についていろいろ聞かされてた。怖くもあったけど、逆に「はいはい、せんそうの話ね」ってどっか人ごとだった。あの時のばあちゃんの反応を見て、ばあちゃんは戦争当時の事をほとんど話さなかったけど、きっと見たくもないものをたくさん見たんだな、と思った。そして人ごとの大昔の戦争の怖さが今まで見聞きしたものの何よりも身に迫って感じられた。最後まで観れなくても戦争の恐ろしさが分かるならそれでいいと思う。でも、こんな事ニ度と起こってはならないとは思うけど、今度戦争が起きる時はこれとは違う形の、予想していなかった形で、気づかない内に起こるんだろうな。
今こそ火垂るの墓放送すべきなんじゃないかと思う
おいおい節子は何も悪く無いだろ!!節子は天国に転生しないと筋が通らないぞ(# ゚Д゚)
ゆとり教育、物が溢れている現代に生まれた子供達を見ると、小学生高学年では映画の理解が追い付かない…それぐらいレベルの高い作品だと思う。中1~中2あたりで授業で観てもらって個々の感想を書いてもらうと、その先の人生において糧となるのではないか?と思いました。
めっちゃ良い動画ですわ
晴太の年齢だと軍関係の学校に入ってて家に居ないと思う。
道元禅師曰く「行いを考えること莫れ。非を嫌うこと莫れ。」即ち「人の言動や欠点を批判ばかりしてはいけない。」ということである。動画投稿者を含め、清太に異を唱える者は、他人を批判し、異を唱えることができるほど、質実剛健・清廉潔白に生きてきたか?そのことを、動画投稿者を含め、自らに問うべきである。そして、考えるべきは、清太と節子のような境遇の霊魂を救い、御仏のもとへ送る方法であると思う。合掌。
せやな・・・・せめてサクマドロップスとカルピスソーダを大量に神戸駅に供えてやらんとな
幽霊が赤っぽいっていう表現方法すごいよね。
大体幽霊って青みたいなイメージだもん
火を浴びてるようでな...
実は…
頭巾を被った女性(赤ちゃんを抱いている)
人を見たことがある…
勿論赤かったよ…😂
当時固まりました
空襲を想起させますね
清太さんは世渡り上手ではなく、坊ちゃんとして育ったので、世間知らずなのはやむを得ないと思う。
大人になって、またはこのような経験を通してわかってくる事だと思う。
だから個人的には同情する。
清太さんの無表情な見つめる眼差しは、この世は今も昔も、不公平で理不尽なものであるという心の表れではないかと思う。
性格が不器用でなければ損をしなかっただろうし、戦争がなければ このような性格でも幸せにいきれたかもしれないし…
清太さんや節ちゃん、戦争で苦しまれた方々の魂が慰められますように…
となると、やはり見る人によっては優しくにも厳しくにも見えるわけですね。
私の父は清太さんと同い年で、家族が大金持ちでも職業軍人でもなかったので、清太さんの家族が空襲に会うまで送っていたような、贅沢な食生活もしていないし、学校の代わりに軍事工場で強制労働させられていました。清太さんと同じ頃に、働いている工場で空襲にあって、父の同級生は手や足や頭を吹っ飛ばされて沢山亡くなりました。父はそれを目の前で見ながら必死に逃げ延びて、90才を過ぎた今も、あの頃のことを夢に見ると言います。そんな怖い夢を見ないように、早くボケたいと言っています。でも母は認知症になりましたが、子供の頃の戦争のことばかり思い出して、夕方になると急に叫び出したりしていました。あの頃に子供だった人たちは、生き延びても地獄から逃げ出せないようです。子供はいつの時代でも戦争の犠牲者です。
昔の動画でコメントするのもなんですが、監督の高畑氏が、この時期(バブル絶頂期)の浮かれた若者と清太さんの後先考えない行動を、似たようなものとして対比させてみた的な事をテレビで言ってましたね。
清太がこちらを見ているシーンについてですが、私達を見ているというより、
私達を含め、背景にある世の中(私達が生きている現代)を見ているように感じます。そう考えるとこれから先、いつの時代にこの映画を見ても清太に見られている私達が感じ取る何かをその時々によって逐一考えされられる深い映画ですよね。やっぱジブリすごい。って勝手に思っている。
もしかしたら自分(清太)と同じような人達を眺めているのかもしれないですね。
深いなあ、深すぎる。
そゆことか...深いな...
「君たちはどう生きるか」
この動画を見てからDVDで改めて観てみました。お母さんの着物をおばさんにお米に変えてもらうシーンのセツコが泣き叫ぶのを幽霊の清太が耳を塞いでるのを観てもう涙が止まらなかったです。ひたすら悲しくてどうしようも無い気持ちです
改めて観たらやっぱおばさん冷たいじゃん。
@@熊谷利信-v9u まあお米を買うためにはなー
ようDVD買ったな。戦争教育か知らんけど、小さい頃金曜ロードショーでやるたび絶対見せられて、半分トラウマやわ。ほぼDVD持ってるくらい見た。
子供のころはおばさんが冷たいと思っていたけど、大人になって思うと軍人さんの家族としてお高くとまってきれいな着物何着も持っているんですよね。それで、空襲の後おばさんの家に来る。自分の家族だけでも生活が大変なのに軍人家族としてちやほやされていたお荷物の子供がおんぶにだっこで来て。余計にかかるようになった生活費を賄うために着物を売るには当然のことなのでは。子供のころの目線だと母親の形見を取り上げられるになってしまうけど。
@@なぎ-m1d なるほどね、そう思って観ると物凄く深いな、さすがジブリだわ。
昔見てた頃は「清太も節子も可哀想」って思ってたけど、今こうやって考察とかを見ると清太への批判にも納得する。
でも、中学2年生の子供が、急にいい生活してた立場から他人の家に居候しなきゃいけない立場になったとして、その現実を受け止めて、自分はどういう態度でいるべきかを考えて、その通りに過ごすことができるかどうかを考えると、「いい生活をしてた」ことからのプライドとかあってなかなか難しいんじゃないかなとも思う。
できる子もいると思うけど、できない子の方が多い気がする。
少なくとも中学2年生の頃の自分だったらできなかったな。
もちろん批判も納得できるし、ちょっと共感もできるから、清太に対する見方は少しだけ変わったけど、それでもやっぱり可哀想。
昔とはまた違う「可哀想」だけど。
軍人さんの家族としてちょっとおばさんの家を格下に見ているような雰囲気を感じました。子供のころの目線だとおばさんが冷たい印象があったけど、大人になってみるとおばさんの対応も仕方がない思えます。
@@なぎ-m1d
状況が状況ですもんね。
たとえ大人であっても、そういう対応になっちゃう部分もわかるなって思いますよね。
大人でも今迄高所得の中流から上級の生活水準の中で生活していたのが急に収入が大幅に減り、資産も消失し、庶民レベルに迄堕ちてきたとして、一気に生活水準を下げて色々消失した中に来て、更に強いられている状況下で直ちに順応出来るか?と言われたら、精神的にも肉体的にも一定の期間は必要とするでしょうが、それがまだまともに社会経験も無い子供が大人と同じに出来るか?と言われたら、そりゃ無理だと思うし、口であれこれ言ってる人はじゃあ、同じ様な状況下に置かれた際に全てを受け入れて前の良い、裕福な暮らしをスパっと全く未練も後悔も無く忘れて、数ランク下の生活を精神的にも肉体的にも以前の倍キツイ生活を送りながらやっていけるのか?清太みたいに前の良い、裕福な暮らしをしていた頃を回想したりはしないよな?絶対、とは思うところはあるかな?と。
んじゃ清太に菲がないのか?はまた別問題だとは思いますが。
@@tokoname19790803
ホントにそれなのよ。
だから、大人になってから少しは周りの大人たちの態度に納得もできはするけど、それでもやっぱり清太が悪いとも言いきれないし…小さい頃はただただ可哀想とか戦争は怖い良くないとかそんな風にしか見えてなかったけど、こんなに深い映画だったんだなって思う。
双方の立場がわかるとまた苦しくなるよね
思い出したら涙出てきた。
戦争の悲惨さ、悲しさが全て詰まっている。
清太君は清太なりに生き延びようとしてますもんね、やっぱなんとも言えんわ。
ネトウヨは清太を批判して気持ちよくなってるけどな
途中で止めたけど
全身火傷のお母さんが出てくるシーンが可哀想すぎてトラウマ
火垂るの墓は辛すぎて1-2度しか観てなかったから、最初と最後に主人公の幽霊が出てくるなんて、全然覚えていませんでした。成仏できないって、悲しすぎる💧
清太に対する批判は大人から見た視点なんだよね結局。おばさんに嫌がらせされてまで、頭を下げて一緒に生活してこうと思えるほど世間を知らないはず。大人になるってことは自分に正直に生きることを止めることなのかも。
誰にも頼らなかった結果不幸な結末になってしまう話は今でも聞く話ですよね。戦争時だろうが平和な世であろうが関係ないという話は確かにその通りだと納得しました。個人的には、14歳という若さで誰にも頼らない晴太は逞しくてすごいと思ってしまいます。私なら辛かったらすぐに誰かに相談してしまうので。でもそれは弱いってことじゃない。生きるために必要なことなのですね。
清太がこちらを見つめてくる理由は「僕の事をいくら罵ってくれても構わない。でも僕のようにだけはなるな。」と訴えていると言う事なのかもしれない。
ちげーよ笑
@@あーむくん
絶対とは限らない
正解。
これは作者の体験談で、妹を死なせた自分の罪を見て反面教師にして欲しいってメッセージがあるらしい
@@あーむくんなぜ笑う?
@@monariza43 清太に比べたらおれ幸せだなって笑
8:28 節子に優しい顔で話しかけていたのに、
突然、その優しい顔から一変して、
一切優しさを感じない無表情で
清太がこっちを見てくるのは確かに怖かった。
今も神戸に囚われ、答えは分かっているのに
解決出来ずに、清太と節子の兄妹は
これからもずっと苦しまないと
いけないなんて…。
9:45 作者の後悔から生まれた
兄妹だったんですね。
あれは現代の人々に何か訴えかけて云々という解釈が一般的なんだろうけど、見様によっちゃ「ところで誰お前?人の人生覗き見して何勝手に嘆いたり泣いたり同情したりしてんの?見世物じゃねえんだぞ」と言ってるように見えなくもない。
@@Baskerville2641 ほう…
確かにそう見えてくる
こっちみんな
@@たなかいちろう-b2x
可哀想な事言うなよ…
大分と酷い事言うのな
別に見たくて見てん
じゃないんじゃないの?
あたしには、無表情でも地味に優しさが溢れてるように見えました。
そもそも、現代を生きてるあたしですら清太と同じくらいの未成年から働いていたので。
オープニングはほとんど覚えてなかったけど、最後の清太が映画公開時の神戸を眺めているところが1番映画で覚えている。震災前の神戸ってこんなに華やかだったんだと。
地縛霊として清太が彷徨って神戸を見続けているとしたら、震災の時の神戸はトラウマ級だろうなと思った。避難所にいた戦争を体験したジジババが口々に戦争の焼け野原だって言ってたもの。
最後に現代を映し出して終わるところで鳥肌立ったのを覚えてる...
小学3年のときに金曜ロードショーで見たなあ。悲しくて涙が出たけど悲しみの理由が分からなくて壁に頭を打ちつけながら泣いた。悲しみの理由は今も名状しがたい。
清太が見つめてるのは現代の街と考えて、「僕らもあの光の中を生きて見たかった」に思えるかも。
タイトルにある「火垂るの墓」は洞窟で死んだ命の軽い蛍をまとめて埋めた墓と空襲で死んだ母が重機で掘った穴でまとめて集団火葬されたシーンをフラッシュバックでリンクさせたようです。清太と節子は2匹のはぐれ蛍となって母の遺骨を訪ねますが清太の持ち帰った骨壺の中は他人の遺骨ばかりで母の遺骨はありません。忘れ物とは清太が現在も探し続けている母の遺骨=命の尊さ・重さじゃないかなと思いました。
あの時こうしておけば…あの時にああしていれば…という後悔の念だろうと思ってる。
児童絵本版ジブリの火垂るの墓があって空襲から避難する所から始まって清太の死が終盤のページという感じであった。児童絵本的にそっちの方が分かりやすい所があり、映画と何で逆なんだろうと思っていたが、今思い返すとそういう事かと納得するようになったわ。
忘れ物を届けにきました、は同時上映トトロのフレーズではありませんか?
4歳と14歳で生きようと思った、というキャッチコピーが載っていた気がします。
記憶に残る名作ですね。ジプリ所属の高畑勲監督でしたね。外国人も二度と見れないとショックを受けた人が多かったようだ。
大人になってから清太への見方が変わるとは皆言うが
同時に「時代によって」も見方が変わってきたのだなと思う
清太は世間知らずの少年、であると同時に「それなりの地位を持つ軍人の息子」という背景もある
当時の子供にしては裕福で高い教育を受けられた、いわゆるおぼっちゃま寄りの少年だったわけだ
(途中で出てきたカルピスなんて、当時の庶民の子供は簡単に飲ませてもらえる代物ではなかった)
映画公開当時はそれほどその点は気にも留められなかっただろうが
日本という国がすっかり貧しくギスギスしてしまった現代の人間からすると
もともと良い思いをしていた人間への「無自覚のヘイト」がさらに清太に対する感情に拍車をかけたのだろう
その「貧しい日本」に就労移住に来る者が少なくない中国や韓国はもはや地獄か何かですか(:爆爆
むしろこういう本当に悲惨な時代、もしくは現在でも極貧や戦争や圧政で
苦しむ国地域があることを思えば、現在の日本に生まれただけでも「勝ち組」
と思え、という解釈もできますね(笑)
当時もそういう意見はあったでしょうが、ネットやSNSもなく世間に手軽に発表する手段がなかっただけでは?せいぜい新聞や雑誌、テレビラジオの読者・視聴者投稿コーナーぐらいであり、当然選ぶのは完全に発行・放送側の都合や好き嫌いにゆだねられるわけで。表に出ないのと、存在しないのは別ですよ。
消えることのない後悔に囚われて成仏できず辛かった記憶を何度も繰り返す清太
戦争という抗いようがない現実のもとで、ごく普通の子供がたどった悲劇
反戦やお涙頂戴を前面に押し出したものよりも、はるかに生々しくて視る者の心をえぐりますね…。
後悔を抱えたまま◯ぬと、ずっとその地で彷徨う事になるのは衝撃的でした…😢
下手すると…現代で自◯した子たちとか、はたまたやりたい事を最後までやれずに途中で命が燃え尽きてしまった子たちも同様に…。
他の戦争映画では、高潔な自己犠牲とか、苦境にありながらも逞しく明るく生き延びる子供たちの姿が描かれるので、異色ですよね。
イヤな気持ちになるのに、つい定期的に見てしまう自分が不思議です
あの時代に子供を二人も引き取る決意をしたおばさんは立派な女性だと思う。
それで手伝いもせずに家の中でブラブラしてるだけじゃ嫌味の一つも言いたくなる
海軍将校の息子と娘で、息子は働くことを拒否するお坊ちゃん、娘は今の際に「お造り、天ぷら、アイスクリーム」という現代人でも高級と思える食事をスラスラと言えるお嬢様。彼らが果たして高畑監督の言う
「ごく普通の子供」なのかは疑問が残るんですよね‥火垂るの墓が名作なのは間違いありませんが「ごく普通の子供」の映画なら
「うしろの正面だあれ」がオススメです。悲しいですが最後の最後で希望が持てるのと全員が死なない下りも逆にリアルです。
「後ろの正面だあれ」は海老名かよ子さんの実体験を元に作られた映画ですからね…。
個人の考えですが、恐らくその「普通」は「背景や育ちが中間的、平均的だ」を指す訳ではなく、「人間の子供としては異常なしだ」ではないでしょうか。つまり当時の子供が必ずしも大抵清太や節子のように振る舞うのではなく、生理的や精神的な異常も持たない子供なのに、単にそのような環境に置かれたことによって苦痛に陥るというのが悲劇的でしょう。詳しく言いますと、二人は所謂「普通」の子供としての必要条件を満たしております。人間として愛情や嫌悪、幸せ、悲しみを感じたり、自己表現をしたりすることができますし、物語の前半までは健全な体も備えていました。子供としてはある程度の未熟さや愚かさ、心身の弱さを見せていました。それらの要素がそれぞれどれ程、量的に現れるのは子供全員においてばらつきがありますが、「普通の子供」と言う言葉は質的に欠けることのない子供を指すと思います。
憶測で長文失礼しました。
今際の際にでてくるならむしろ普段は食べれないご馳走だったんだろうし、平均的よりやや上ぐらいの家庭じゃね
生きている間、節子にとって清太が世界の全てだったから、
二人だけの閉じた世界に清太を閉じ込めているのは無邪気な節子の幽霊のほうで、清太の幽霊は節子を死なせてしまった後悔と罪悪感と贖罪の念でその世界から逃れることができなくて苦しんでいるということなのかと思ってた。
私は、失敗してもそれをなんとかまだ経験として学べられるっていう時代になってくれたんだって思うよ。
清太がこっち見るときは、必ず節子に気付かれないようにしてる。清太にはこっち側(我々)の存在を節子に知らせたくない理由があります。
「僕は死んだ」清太は自分が既に死んでいることを認識してますが、恐らく節子は気付いていません。清太はそれを気付かれたくないので、ずっとその苦しみの煉獄の中にいます。
清太の目線は「どうかこれを見ている方、この苦しみから逃れる術を教えてください。」というSOSのサインと受け取れます。
違いますか?高畑先生。
まんま あの人の動画の内容で草
@@zzzwde なんですが、無料の放送部分しか見れてないので、当たってるかわかりません。
いまだに清太と節子が終わらない無限地獄に囚われていると思うと 悲しすぎる
この映画って色んな意味で勉強になるんだよね。
これをトトロと一緒に公開したのが恐ろしいや…
ハム太郎「同感なのだ!せめて逆だったらよかったのだ!」
ゴジラ「ゴギャー!(逆でもよくねーよ!)」
同時公開だったの!?そりゃ落差もあってこんなんトラウマなるわ
96年の劇場版エックスとスレイヤーズの同時上映も
子供の頃散々見せられて、ほぼトラウマ。
ただ、今の世界の現状見ると子供たちには絶対見せるべき映画とすごく思う。
日本人にとって戦争かなり遠いようだけど、戦争の残酷さをすごく近く感じられる。
どこか子供は大切にされるものとおもってたけど、その子供に向けられる厳しさが子供の自分にとって妙にリアルで見たくなかった。
他の解説動画も見た限りでは、清太のカメラ目線は「俺の育ちの良さや社会性の無さが元凶で節子と共依存状態になった挙げ句節子を死なせてしまった。だから俺は生きる気を無くて死んでいまだに成仏できないでいる。俺はどこで間違ってしまったんや」と観客に問い掛けてるようにも見えたな。
この映画の宣伝ポスターで破れかけの大きな傘の下に清太と節子が描かれているのは、この作品が暗に「心中物」だと示唆しているという指摘もあるくらいだし。
原作者の体験が元の話だけど、あんなに妹に優しく出来なかったと言ってるね。まだ赤ん坊の妹の頭を叩いていたと。その懺悔も込められた作品。この時代、兄より弟妹を抱えた姉の方が地獄だったろうな。なかなか描かれないけど。
2人で粥を食べる時も、自分は器の底からすくい上げて米を口にし、妹には上澄みの液体しか与えなかったと語っていたようですね
子どもの頃に観た時は
ご飯食べれなくて可哀想
って感想だったけど
大人になってからは
清太の年頃だと反抗心と
いう形でまだ大人に
甘えたいし心の拠り所
もほしいだろうに
他人の家に居候させて
もらって肩身の狭い中で
生活するくらいなら
自由に生きてやるって
思ったんだろうなって
ちょっと分かる。
10代半ばなんてそんな
ものじゃないかな?
いくら現実が戦争で
我慢しなきゃいけない
としてもお母さんも
死んでしまったし
そのことを妹に言えない
辛さもあって精神的に
追い込まれてたと思う。
飯さえ食えれば生きられるか
と言ったら人間はそんな
単純じゃないと思う。
upありがとうございます!海軍のお坊ちゃんだったからな…
この灰皿シーンに気付いた人はスゴイと思います。
清太と節子は地縛霊になってるけど、両親はどうしたのかな?
エリートの息子という恵まれた環境から疎開先の厳しい環境に移るが世間知らずな面やプライドが高いために生きていけなかった。もっと現実を受け入れておばさんとの生活を続けるべきである。これが清太に対する批判の声。
ただ自分は高畑監督の言うように現代に通じる面はあると思う。今と戦時中では物価や生活環境が違うとはいえ、現代で裕福な家庭に生まれ、何不自由なく子供の頃から子供が貧乏で便の悪い田舎で自給自足の生活に納得し即座に生活しろと言われても難しいのではないか、と思う。
恵まれた環境で生きている現代の子供たちに幸せを噛みしめてほしいという思いもこめられているのではと予想します
本当にトトロとは真逆の作品
3:21
ここ物凄く印象に残ってる
お母さんが包帯巻かれて横たわってる姿は見れません😭
人が亡くなるという意味がわからない子供の頃都合良くお母さんは無事でまた仲良く暮らすんだと思っていたので現実見て怖くて泣きました
品があって綺麗なお母さんが空襲によって火傷を負い包帯を巻かれて横たわってる姿のギャップ
残酷で悲惨な描写ですよね
このアニメが初公開の時、映画館のポスターを見て、これは大変にレベルの高い映画だとすぐに分かりました。素晴らしい筆致、高い水準の「絵」を見て内容のレベルの高さが伺い知れました。やはり素晴らしい作品で冒頭の節子の幽霊が現れるシーンから、もう涙、涙 涙、涙💧でスクリーンが滲んでよく見えなかったです。高畑さん、素晴らしい作品を有り難うございます。
ポスターを見ただけで、映画のレベルが分かるなんて凄すぎます。
自分は、30秒~1分くらいの予告を動画で観ても、その映画のレベルがよく分かりません。
確かどれかの解説動画で、節子ちゃんの死因って栄養失調ではなく物語の最初辺りで降っていた灰が原因で感染症にかかってたことが原因だったと言われてました。
そして、清太の罪になにも分からず満面の笑顔で付き合ってる節子ちゃんのなんと意地らしいことか😢。
子供の頃は清太に意地悪するおばさんを憎んだけど、今はおばさんが清太にあぁいう態度を取ったのも理解出来るかな。
ラストなんか怖いなと思ったのは
そういうことだったのか…
節子と清太にはお腹いっぱい好きなもの食べさせてあげたい
それでも私は何年経っても清太に同情してる
時代とか言うけれどあの年齢で妹を抱えながら2人分食べて行くのは現代でもキツいし現代だって保護されるか分からない
どの時代も家族がいて、導いてくれる人が傍にいないと生きれないと思う。
あの若さで生き抜けって言うのは過酷
清太と節子の魂が成仏出来るのを心から願ってる…空の上で美味しいカルピス飲めるといいなっていつも思ってる😢
おばさんの話は、後に出る松嶋菜々子や井上真央が出てるドラマ版で語られますね。(完成度高い)
結構、戦争を経験した爺様婆様はその映画を見て、清太を追い出すしかなかったと思う、いずれそうなる、と言う。
遅かれ早かれ、身内ではない人は一人で生きていかなくてはならない時代だったんだと思う。
世界大戦が近くなってきたが、この映画は世界中の人々に観てもらいたい。戦争の悲惨さを二人の子供の人生を通じて如実にあらわしている。ほんとにこの映画だけは観終わったあとただただ言葉を失う。多くの世界中の人々に観てもらいたい。
世界大戦w
いつどこであるんだよ
お前の書きこみから一年以上経ってるけど世界は平和だぞ
ウクライナとロシアが見せかけの戦争やってるくらいで
可哀想を通りこしてムゴイんだよこのアニメ😢
幼稚園の頃はお母さんのシーンをちゃんと理解出来ていなくて、その後理解してからはお母さんが生きているシーンを目に焼きつけるようになった気がする。
最後のシーンの神戸の街は清太の目にはどう写ったのだろうかと観る度に思う。
アニメになる前に原作の火垂るの墓の小説を読んだ。野坂昭如氏の作品
たしか1970年代だったと思う。野坂昭如氏の少年時代戦後間もない時
実際に妹を亡くしている、その体験と子供の自分が何も出来ない苛立ち、貧しさ、を書いたとか
作品の中の戦後の佇まい、飢え、理不尽さ等心に響くものがあった。野坂昭如氏の作品沢山読んだ。アニメとは違う感動?最後のドロップの缶から骨が散らばり回りの大人は見向きもせず歩いて行った
と言うラストだったような気がする。
清太は地縛霊であると同時に念縛霊でもあるんじゃないか、と動画見ながら思いました。
自分の行いを自分でも責め続け、更にこうして何十年も語り継がれる作品として世に発表されたことで何十億もの批判を受け続ける。永久に。
その念が、非難の感情が、清太を更に縛り付けている。そんな気がしてならないのです。
「ラスト清太がこちらを見た理由は?」
映画の冒頭でも清太が同様にこちらを見るが、清太がこちらを見てから清太が死んだ過去の場面に切り替わる
ラスト、清太がこちらを見て現代の神戸の街に切り替わる
なぜこんな論争や考察が起こるかなんて理由は簡単「ジブリだから」
作者がどんなに単純な意図を持っていたとしてもおそらくこのような考察がたくさんあったと思う。それこそがジブリ作品のいいところだとも思う。
ウクライナの戦争も早期に終わって第二の清田とセツコが生まれないことをお祈りします
清太な
@@うさちゃそ-o7g テヘペロ
ロッテに訴訟起こしてそう
もう生まれているかも...
第二の清田は草
清太が悪い、おばさんが悪いとは少なくとも、自分のように戦争をこの目で見て乗り越えたことのない人間は批判しちゃいけないのかなと思ってしまう。
現代なら、清太よりもっと駄目でも生きていける。
成人でも。
どんだけ現代人が劣化したかってことだ。
清太よりクズなのが一般人のスタンダードってなんか悲しくなってくるわ...
このアニメ映画見てわかることは、戦争などの緊急事態時になると今の現代人だとポンコツ以下になるってことだな。
@@近藤勇-y2b
確かにそういうことになります
コロナ禍で「自粛しなさい」って言われただけでストレスで「死にたい死にたい」言うやつ、コロナで仕事を失ったら「仕事がない」と言って、ずっと働かないヤツ。
たかがコロナで死にそうになるくらいだから現代人が戦争時代に行ったら、あっという間に全滅するだろうね。
@@近藤勇-y2b 仮にそれがスタンダードなのだとしたらその事実を知っていながら何もしない君が1番のクズでポンコツなのでは?
こういう結構精神的にくる映画とかをあまり見たくはないけど、目を背けてはいけない
実写版火垂るの墓では、清太と節子に辛く当たった叔母さんの視点で描かれているんだよな。大人ですら戦争と終戦後の極貧の生活を乗り越えるのに苦労するのに、お金持ちのボンボン気取りで何もしようとしない清太に腹が立つのは当たり前。子供でも大人でも戦争を乗り越えるのは生半可なものじゃないと言うことを伝えたものだと思う。
大人目線だと、いきなり疫病神に見えますね。叔母さん美人で優しそうで、でも人が変わったように冷たくなって。彼女も追い詰められていく様子がかかれていました。
態度を硬化させる瞬間と、清田のまずい対応が、分かりやすく描かれていたと思います。
「これはムカッ!イラッとくる絵だわ…」「あーっ、ここは服従しておけ」「第三者が仲介しようとしているチャンスを無駄にするな」😢と、ツッコミまくりました。
最後、「これが必要だったんだよ!遅いよ!」と泣きました。
学校の授業で一時間目に見せられたことで一日ずっと重かったのをよく覚えてる…
戦争が終わった途端、住人の雰囲気が穏やかになったよね‥
これ都市伝説ではありますが諸説あるので面白いですよ~
戦争を終わらせるのに必要なのは
「心の底から負けを認めさせる」→「よし!ヤマト作って壊させるか!」
「配給をゴミにする」→「話聞いてご飯もくれる人」→「神様!!」等々
ストーリーとかあんまりおぼえてないけど、ラストの節子を燃やすシーンはいきなり冷めた不意息になり、ぞっとしました。 ラストに何で呪縛霊がそこに留まって残ってるのかは、不明だけど、呪縛霊として残るなら、名犬ハチ公見たいに母と父が来れば、成仏出来るのかも知れないですね
いつか成仏出来る日がくるさ
子供の頃見た時の薄ぼんやりとした記憶なんだけど、二人のお母さんの形見の着物を生活の為に売る、までは理解したんだけど、そのお金で自分の子供ばっかり優遇してたと思ったんだよね。「おい!それ二人のお母さんの形見売った金で買ったんだろ!だったら二人にいいもの食わせろよ!」と当時思ってそれから一回も見てない。実際どうだったんだろ?
確か実際はお米に換えて、それを清太と節子にも食べさせてたよ。
節子がおかわりして、それをおばさんが笑顔で茶碗に注ぐシーンがあったはず。
小さいころ見た時は深く考えてはいなかったのですが、大人になってだんだんと意味が分かってくると、思った以上に複雑な物を感じました・・・。
もし清太に死んだ父親に代わる第二の父親ともいうべき恩師や恩人と出会ったりしていたら、清太ももう少し真っ当な人生を歩んでいたかもしれないし、セツコも死なせることはなかったのではないかと思う・・・。
確かに清太のような戦争孤児は多く居て、その多くはドン底から這い上がって自立し、今の日本の礎を築き上げた人たちが多かったはず。
しかし清太はそこから離脱してしまった。
節子を失ったショックからなのか、自分のプライドから働き学ぶことを拒否してしまったのか。人との関わりが出来ない不器用な性格からなのか。
清太は反抗期・思春期を迎えた子供であったことは確かだ。清太が17歳や18歳なら生き方は違っていたはず。
火垂るの墓のキャッチコピーって、
「4歳と14歳で生きようと思った」
じゃなかったっけ(´༎ຶོρ༎ຶོ`)
中学生の時、小説を読んで戦争、社会の理不尽さを悲しく感じました。
しかしテレビに出る野坂昭如の方が理不尽すぎて、話自体に疑問を持ちました。
原作のアメリカひじきではおばさんはもうちょいマイルドだった気がします
戦争の悲惨さよりもまず強調されたのが、青年の甘さ、生きるということの大変さ
そして最終的に幼い子供が現実と向き合わないといけなかった時代の難しさ、ひいては戦争の悲惨さ
って感じだった印象でした
私は子供の頃から、叔母さん何もしてないのに偉そうな人だなという気持ちで見ていました。
学校に行けと言う割に、学校に行く手続きをしていない。
働けという割に、働き口の紹介もしない。
手伝いだけでもしておくれと言えば良いのに、それすら言わない。頼まない。なのに、自分は言うだけ言いました。
勝手に出ていったのは子供らです。という態度に、体裁だけ整えて、自分を正当化しているだけじゃないかと子供心ながらに思いました。
その後、はだしのゲンを読んで、疎開したゲンの弟が(誇張されてる可能性あり)、児童はひもじい思いをしているのに、先生だけ良いもん食べていた描写を見た時、たとえ清太が働いていても、ゲンの弟と同じことが節子に起こっていたかもしれないと考えたんです。
そうなったら本編よりも後味が悪い上に、正しいことをしていたのに何で感が増します。
だからある意味、火垂るの墓の終わり方は清太と節子にとって、幸せな終わり方なんだと思います。
でも、清太は節子のお兄さんだから、節子を死なせてしまった。死んだ時に安心感を覚えてしまった。そんな自分を許すことが出来ないんだろうなと。
節子は清太といることこそが幸せです。たとえそれが、辛く苦しい最後だとしても、同じことを繰り返すことになっても構わない。
清太も節子と同じ気持ちなんだけど、一緒に生きたかったし、死なせたくなかった。だから、そんな自分に対する戒めとして、何度も同じ時を繰り返している。
最近、監督が恐れていた論調が目立っていて、思うことはただ1つ。
その身にならずして、人を裁くな。
清太と同じ環境に立ったことがなく、またその状況に見舞われたこともない私に彼を責める権利はないと考えています
全くその通りです!!上映された時代から時代が降るにつれ心無い
意見があまりにも多すぎる・・・
清太さんな あんたもう大きいねんから 助け合いいうこと考えてくれな あんたらは お米ちっとも出さんと それで御飯 食べたいいうても そらいけませんよ 通りません
って言ってなかったっけ?
幾らお坊ちゃまでも、ここまで言われて、お米も出さない、手伝いもしないっていうのはどうかと思うよ。
自分は清太と同じ年齢で初めて見たけど、その当時でもこれはないわ…って思ったよ。
疎開していたのは次男なのでゲンのお兄さんですよ。
忘れ物を届けにきましたは、同時上映されたトトロの方なんだけどな
@TUKIKOMA
確かに…あれ?結局いくら??ってなりました
だよねぇ😂
そこまで長く囚われている地縛霊なら怨念凄まじいだろうな‥
戦争でどれだけの怨嗟や呪いを撒き散らすのかをどっかの大統領にこの作品を観てよく考えて欲しいよ
元々裕福だった少年の転落劇って感じ
父親が連合艦隊所属の士官というエリートだったのに、なぜ世間知らずだったというだけで子供2人が野垂れ死にしなければならなかったのか。
清太の(年齢相応で現実的な)生活力の無さも大きな要因だとは大人になればみんな辛くも理解していくのですが、僕個人としては
「西宮のおばさんが恩給をネコババしていたのでは?」
という考えをずっと抱えています。
それ思います
いやいや恩給どころか清田には貯金が当時での額で1000万くらいあったと言われてるんですよ
しかし戦中戦後すぐは金よりも物資の方が重要なわけで金はあまり意味を持ちません
それの恩給どうこういうなら軍に頼れば助けてもらえたはずなのにそれをしなかった清田の落ち度でしょ
驚いたのが今だに西宮のおばさんのことを悪く言う輩がいるんですね
原作者の野坂さんもあれだけ否定してるのに
火垂るの墓の最終回はちゃんと覚えてるよ。少し現代的所だな。
清太のカメラ目線の瞳が怖いって思ったがきっと深い意味があったんだな
幽霊なんてな
63歳の男性です。火垂るの墓は、20回ぐらいは見たでしょうか。最初は、この兄妹の不幸な身の上に涙が止まりませんでしたが、最近は、今回の分析の様に、こうなったのは、清太のせいでは無いか?と思っています。清太は、はっきり言ってニートだった。もう少し 何とか出来なかったものかと、考えてしまいます。原作は読んでいませんが、作者の妹に対する悔恨の情から書いた作品と、理解しています。
俺も清太の立場なら、彼と一緒の事をやるかもしれないなぁ。人間追い詰められると無意識に生存本能がはたらくしな。
呪縛霊ってのがいるんですね!地縛霊しか聞いたことなかったもので勉強になります
自分の子供の頃が清太みたいな性格だったから余計見るのキツイ
一つ言っておきたいのは高畑監督は決して反戦映画を作ったつもりはないそうです。なので確かに作品の見方は受け取り側の自由ではありますが、作り手側は決して反戦映画を作ったわけではないです。
でもこんな映画見せられたら反戦になっちゃう
@@sjfaow そうなんですよね...作品の中身が難しすぎてなんとなくで見てると反戦映画に見えてしまうんですよね...確かに真剣に見るとそうではないことがわかるんですけど...
現代のエリートに対する警告とも、
言えるってことね。
小さい頃観た時はおばさんは悪いと考えていたが、今から振り替えれば、おばさんの気持ちもよく理解できた。
劇中での描写はなかったと思われるが、清太の他にも疎開してきた子供たちは大勢いたのは間違いないだろうし、そのほとんどが疎開先での居心地の悪さから家の手伝いやら進んでやっていただろう。
おばさんの家の近所でもだいたい同じ感じだったろうに自分ちの清太は節子の面倒を言い訳にさっぱり手伝おうとしない。そのくせ飯の量が少ないとケチまでつけてくる。
俺がおばさんの立場ならやはりこんな穀つぶしを家になんか置いておきたくない。
ほっときゃそのうち家のタンスから金をくすね出して好き勝手やり出しかねない。
清太は戦争前は何不自由ない暮らしが当たり前で、周りは自分のために尽くすのが当たり前だと感じてるように見受けられた。個人的には死してなお、自分の何が悪かったってんだ?って意味でテレビの前の視聴者に訴えてるようにしか今でも感じられない。彼らはそれが理解できずに死んだから、この先も永遠に成仏する事はできないのだろう…。
現在なら「まあ中二だし」と、怒りながらも少しは理解するかもだけど。そもそも当時、農村部では十代後半で結婚して子供を生んで子育てに家事に奮闘する女の子も多かったから、よけいにクズに見えたでしょうね。
監督の名前は「たかばたけ」ではなく「たかはた」ですよね。
ゆっくりの仕様でそのまま読んでる(読ませてる)のかもしれませんが、人の名前ですのでそこはきちんと訂正を入れた方が良いと思います…。
戦争の悲劇ではなく生意気な怠け者の末路を伝える素晴らしい映画なり。怠け者は成仏出来ない。
せめて節子だけでもお母さんのいる処にいって欲しいです
二人が成仏できないのは、消えない後悔から生まれた作品だからっていうの、すごく納得しました!
食べていくことに困らず豊かな私たちが、この後悔を昇華できる程、問題に向き合い続け、解決した時、彼らも解放されて天に昇れるのかも。
お母さんの着物を売られて節子が泣いてる時に
清太の霊もそれを苦虫を嚙みしめるように観てるシーンがあり、
その一瞬で、動画でも説明した清太の後悔を表現したのだと思いました。
全部岡田斗司夫の受け売り
なんかこの映画ぞっとする。自分たちの過去から現在までを見せつけてくるというのかな。ほんと地縛霊だ。早く成仏させてあげ、また転生してやり直させてあげたいね。まあいろんな人生がありますよ、大らかに受け止めいつか終わりがありでも新生がある。あの銀河鉄道999の歌でも「人は誰でも幸せ探す旅人のようなもの、希望の星に巡り合えるまで旅を続けるだろう」といってますぞ。仏様の御慈悲がありますように~。
清太って、自分本位でドライな一面があるんだよな。節子のために用意していた食事を、節子の死後に清太が食べていると取れる描写があったのは、初めて気付いた時ぞっとした。食えるんかいと。
自分本位で生きてきた、それのために節子を犠牲にし、自分も死んでしまった。死後気付いて後悔しても、遅いんだろうな。
清太の無表情は「俺のようにはなるな」と言っているようにも取れる。
冒頭の清太の目が恐ろしく真っ黒でゾッとした
火垂るの墓を最後まで観たことがありません。と言うか、観れません。
日本人として、観るべき作品なのは分かっているけど…どうしても途中で辛くて悲しくて、涙が止まらなくて途中で観るのをやめてしまう。
日本で実際に戦争があったこと、忘れてはならない事実ですね。
節子に腹一杯ご飯食べさせたい
子どもの頃、ちょっと離れたところに住んでたばあちゃんが家に来ていた時、TVで火垂るの墓がやっていた。
当時はTVで放映してたし、小学校低学年だった私も何回も観ていたから何の気なしにみんなで観ていたら、清太のお母さんが包帯に巻かれて横たわっている場面で、ばあちゃんが突然「やめて!見とうない!」と顔を覆って叫んだ。家族みんなびっくりしてあわててTVを消した。
火垂るの墓は学校でも観させられたし、他にも戦争についていろいろ聞かされてた。怖くもあったけど、逆に「はいはい、せんそうの話ね」ってどっか人ごとだった。
あの時のばあちゃんの反応を見て、ばあちゃんは戦争当時の事をほとんど話さなかったけど、きっと見たくもないものをたくさん見たんだな、と思った。そして人ごとの大昔の戦争の怖さが今まで見聞きしたものの何よりも身に迫って感じられた。
最後まで観れなくても戦争の恐ろしさが分かるならそれでいいと思う。
でも、こんな事ニ度と起こってはならないとは思うけど、今度戦争が起きる時はこれとは違う形の、予想していなかった形で、気づかない内に起こるんだろうな。
今こそ火垂るの墓放送すべきなんじゃないかと思う
おいおい節子は何も悪く無いだろ!!
節子は天国に転生しないと筋が通らないぞ(# ゚Д゚)
ゆとり教育、物が溢れている現代に生まれた子供達を見ると、小学生高学年では映画の理解が追い付かない…それぐらいレベルの高い作品だと思う。
中1~中2あたりで授業で観てもらって個々の感想を書いてもらうと、その先の人生において糧となるのではないか?と思いました。
めっちゃ良い動画ですわ
晴太の年齢だと軍関係の学校に入ってて家に居ないと思う。
道元禅師曰く「行いを考えること莫れ。非を嫌うこと莫れ。」
即ち「人の言動や欠点を批判ばかりしてはいけない。」ということである。
動画投稿者を含め、清太に異を唱える者は、他人を批判し、異を唱えることができるほど、質実剛健・清廉潔白に生きてきたか?
そのことを、動画投稿者を含め、自らに問うべきである。
そして、考えるべきは、清太と節子のような境遇の霊魂を救い、御仏のもとへ送る方法であると思う。
合掌。
せやな・・・・せめてサクマドロップスとカルピスソーダを大量に神戸駅に供えてやらんとな