【デカルト〜ヘーゲル】近代哲学の流れを9分で解説

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  • เผยแพร่เมื่อ 11 ก.ค. 2020
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    動画の書き起こし版です
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    近代哲学はデカルトから始まります。
    デカルトはそれまでの哲学を一旦リセットして、再構築を試みます。
    果たしてこれまでの哲学が積み上げて来たものは本当に
    間違いないものなのか?
    もし間違っていたとしたら、そこから導き出される結論は
    全て紛い物になってしまう。
    だからこそ『完璧に正しいもの』を再定義して、
    そこから哲学を再スタートさせないといけない。
    そう考えたんですね。
    そして、徹底的にあらゆるものを疑うことによって、
    【これ以上疑いようのないもの】を見つけます。
    それが【疑っている自分】すなわち【理性】でした。
    これをデカルトは
    『我思う、ゆえに我あり』
    と表現したんですね。
    こうして、デカルトは疑いようのない理性を根本要素として
    そこから演繹法的にロジックを積み上げることで、
    人が信じるべき真理に到達しようとしました。
    これがいわゆる【大陸合理論】の始まりでもあります。
    デカルトに次いで現れたスピノザは、
    理性を根元にして合理的に思考を進めることで、
    この世の中は神で満たされていると考えました【汎神論】
    私も、あなたも、目の前の景色も。
    全ては神の表れであり、それそのものが神なのだと捉えたのです。
    これはそれまでの人格神とは反対の考え方です。
    そして、人間が自由意志だと思っていることも、
    ただ単に『思う』という行為と『動く』という行為が
    神の意思によって同時に起こっているだけだと考え【心身並行論】
    自由意志自体を否定しました。
    ライプニッツはスピノザの説をさらに強化します。
    この世は無数の極小な精神的物質で埋め尽くされており、
    それらが神の設計通りに動いているものが
    世界として現れていると考えたのです【モナド論】
    そして、この世は神が定めた通りに動いているだけなのだから【予定調和】
    あらゆる原因を他者に求めることはできず、
    他者を許すことそれ自体が神の意図に沿った生き方であり、
    それこそが神の恩寵を受ける方法だと考えたのです。
    こうして大陸合理論が進歩をする傍で、
    イギリスでもう一つの潮流が生まれます。
    フランシス・ベーコンは科学を発展させて
    より便利な世の中を作るためには『観察』が欠かせないと言いました。
    ベーコンはデカルトよりも30年以上早く生まれていますので
    デカルトの思想に対立してこのようなことを言ったわけではないのですが
    この考え方は大陸合理論の真逆をいくのもだったのは間違いありません。
    これが【イギリス経験論】の芽吹きだったと言われています。
    そして、デカルトの『方法序説』が刊行された50年後。
    ロックの『統治二論』が出版されます。
    ロックは、人間の認識は生得的なものではないと主張します。
    認識を神聖視していた合理論への明確な反論です。
    人間は生まれたときにはみんな白紙の状態で【タブラ・ラサ】
    その白紙に文字を書いていくように、様々なことを経験することで
    認識が形作られていくと考えたのです。
    次いで現れたバークリーは、
    存在するとは知覚することであると考えました。
    存在はそのものが存在として成立しているわけではなく、
    我々が知覚することで初めて存在として成立する。
    ただし、我々が存在を知覚していないときでも
    神はその存在を唯一知覚していると言いました。
    そして、経験論を完成させたヒュームは、
    人間の認識は知覚の束に過ぎない。と主張します。
    我々が【私】だと思っているものも、
    結局は知覚が束になってそう感じているだけで、
    そこには同一性もなければ因果関係もない。
    こう考えることで、合理論が重要視する【理性】を
    徹底的に批判したのです。
    このように、1700年付近まで、
    大陸合理論とイギリス経験論との間で激しい対立がありました。
    ただ、面白いのが、合理論は理性(認識)を、経験論は経験(対象)という
    真逆のものを重要視しているのにもかかわらず、
    至った結論には似通ったところがあるところです。
    例えば、スピノザの心身並行論はヒュームの因果の否定と
    非常に似ていますし、
    お互いの立場から存在の不確実性を主張したりしています。
    もしかして、対立しているように見える二つの考え方は
    何かで繋がっている、または根本から間違えているのではないか?
    これを解決したのがカントです。
    カントは、合理論と経験論で論じられていた【認識】の前提自体を
    ひっくり返します。
    それまでは認識は対象に従うと考えられて来ましたが
    実は対象が認識に従っていて、対象よりも認識の方が
    先に存在していると主張したのです。
    そして、人間は生得的(アプリオリ)に認識の方法を持っており、
    その認識の仕方でもって【モノ自体】を捉えていると考えたのです。
    同時に、モノ自体を直観した後に必ず認識のフィルターを通るため
    その手前のモノ自体を認識することは絶対にできないと言いました。
    つまり、それまで追い求められていた真理にはそもそも到達が不可能で
    人間は人間が認識できる範囲での真理を目指すべきである。
    と哲学の目指すべき道を再定義したのです。
    そして、人間の認識できる範囲に対応する理論理性とは別に
    モノ自体に対応する実践理性を設定し、
    人は万人に共通の道徳法則を実践理性を用いることで実践し
    それによって世の中はもっと良くなっていくと言いました。
    フィヒテは、カントが理性を二つに分類したことに不満を持ちます。
    そして、この世界は自我が作ったものであると考え
    そもそも認識もモノ自体も自我の中に包括されるため、
    人間はモノ自体にも届き得る存在だと考えました。
    シェリングはフィヒテの自我に対する考え方を批判的に発展させます。
    精神も自然も全ては絶対者である神から流れ出たものであり、
    それぞれは神と質的には変わらないため、
    精神も自然も根元的には同じものだと考えたのです【同一哲学】
    つまり認識を司る精神も、モノ自体である自然も同一線上にあるため
    モノ自体には十分到達し得ると言ったのですね。
    シェリングと同時代にヘーゲルが現れます。
    ヘーゲルはシェリングの絶対者に対する定義を更に発展させ、
    【絶対精神】として定義します。
    私たちを含めた私たちの世界は絶対精神そのものであり、
    これまで行われて来た絶対精神の営みが【歴史】であると考えたのです。
    絶対精神は人間の情熱を操ることで人間がより多くの自由を獲得するように行動させます【理性の狡知】
    そして【弁証法】により、人間はより自由に近づいていき、
    更にはこの世の真理である【絶対知】にもたどり着く。と言いました。
    更に、人間がより自由になるためには【人倫】が必要だと考え、
    それを実現するためにはカントが主張する道徳法則だけでは絶対に足りず
    道徳と対立する法律が必要であり、お互いに対立する両者が止揚されることにより
    【人倫】にたどり着くと説いたのです。
    こうして、カントから始まったドイツ観念論は完成されます。
    この流れを『人間は何を信じて生きるべきなのか?』という
    テーマに重ね合わせて見ていくと、
    デカルトがその答え探しのためのスタートラインを作ろうとしてからおおよそ200年。
    途中、答え探しのための有力な方法が2種類に分かれ、対立し
    それをまとめ上げたカントは『想定していた答えを知ることは無理』と言い
    だから、結局はみんながもっている道徳法則に正しく従うしかない。
    とふわっとした結論に至ってしまいます。
    それではダメだと思ったかどうかはわかりませんが、
    カントの鉄壁の哲学をその後のフィヒテ、シェリング、ヘーゲルが
    少しずつ崩していくことで、
    『十分に長い歴史を経れば、真理にはたどり着く』
    『たどり着く真理の場所は人間の真の自由でもある』
    『そしてそれを目指すのは神(セカイ)の意思でもある』
    とまとめ上げたのです。
    これにより、人は神(絶対精神)の意思に乗っ取って、
    より自由な世界を目指して生きていくことが使命だと設定され
    すなわちそれ自体が『生きるために信じること』の一つの選択肢になったのです。
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    #近代哲学
    #まとめ
    #解説

ความคิดเห็น • 24

  • @tacchinardiy
    @tacchinardiy 2 ปีที่แล้ว +6

    何度か近代哲学を繰り返し学ぶ中で、うっすらと違和感、理解しきれなかった理由がわかりました
    あくまで個人的な見解ですが
    そもそもの目的「何を信じて生きていけばいいのか』という命題が現代の日本ではあまり意識されてないのではないか、ということ
    転じて、常に宗教と絡み合って発展してきた西洋哲学の中には一貫して「善き人になりたい」という思いが強いことに気づき、これが理解できてなかったのです
    「どうすれば上手く生きれるのか」という情報に溢れ、損得勘定に塗れた現代人からみるとあまりにもピュアな動機によって数多の知識層、天才達が四苦八苦していたんだ、と感動すら覚えますw

  • @user-xb9ko3oo5j
    @user-xb9ko3oo5j 3 ปีที่แล้ว +12

    哲学入門本を齧った程度ではなかなか近代哲学の流れについて整理できなかったのでこのシリーズを見れてよかったです。イギリス経験論、ドイツ観念論、大陸合理論の意味するところがやっと分かりました。ありがとうございます。

  • @mofumofumaru10
    @mofumofumaru10 2 ปีที่แล้ว +1

    素晴らしい!

  • @AK-zk3qn
    @AK-zk3qn ปีที่แล้ว

    素晴らしいまとめ方でした!
    脱帽です

  • @user-ib3dk1kh8m
    @user-ib3dk1kh8m 2 ปีที่แล้ว +3

    素晴らしい。

  • @user-uf9pc5zi1t
    @user-uf9pc5zi1t 2 ปีที่แล้ว

    めちゃくちゃわかりやすい

  • @akituzu
    @akituzu 3 ปีที่แล้ว +2

    なんだか釈迦が悟った結論のような‥ジメジメネチネチはその後の弟子が使ってたお経というか‥とてもわかりやすかったです◎

  • @soraRED
    @soraRED 3 ปีที่แล้ว +6

    結論が素晴らしい!

  • @user-ox9dv9nl3y
    @user-ox9dv9nl3y 2 ปีที่แล้ว +1

    テスト前に見ればよかった!!

  • @asu.jattepanda
    @asu.jattepanda 2 ปีที่แล้ว +2

    まとめ方素晴らしいです!ありがとうございます(^-^)

  • @studyisbattle6613
    @studyisbattle6613 4 หลายเดือนก่อน +1

    ライプニッツの毛量凄いな

  • @Massaaji1958
    @Massaaji1958 2 ปีที่แล้ว +1

    それが世界の選択か…

  • @ri_1067
    @ri_1067 4 ปีที่แล้ว +2

    カントが神を物自体の側に置いてあくまで信仰の対象としたのに対して、カントを批判する人らは神じゃないにしても「絶対○○」ってカントからしたらそもそもおかしい所から切り崩してる気がする。。これはしょうがないんですかね?

    • @user-or5vy1ek4t
      @user-or5vy1ek4t  4 ปีที่แล้ว +1

      特に当時の世の中は今よりも信仰心が強い時代の名残がありましたから、人間の理解を超えた存在は絶対的なものであろうという前提は疑いようのない事実だったのだと思います。
      当然、この後に現れる無神論的な哲学者は、間接的にこの辺りの矛盾を揶揄してます。
      また、キリスト教的思想がベースにない我々日本人にとっても、たしかに少し違和感を感じる部分かもしれませんね!

  • @brilliantaizawa9619
    @brilliantaizawa9619 15 วันที่ผ่านมา

    私は今賢者タイムです

  • @user-lv2ov4gq1x
    @user-lv2ov4gq1x 4 ปีที่แล้ว +1

    ゲーデルとヒルベルトとの対立ににてる。

    • @user-or5vy1ek4t
      @user-or5vy1ek4t  4 ปีที่แล้ว +1

      まさにですね!
      レーモンが『我々は知らない、また知ることもない』と言ったことに対して、ヒルベルトは『我々は知らねばならず、そして知るだろう』と対立したところにニョキッとゲーデルが出てきた流れに似ていますね。統一理論をめぐる議論などにも言えますが、人の認識の限界には遥か昔から様々な天才が挑戦しているのがわかりますね。

  • @SINKAI
    @SINKAI 10 หลายเดือนก่อน +1

    哲学って(今のところ)「理性」の存在を公理として論を進めているように見えるが、俺には人間ってそんなに理性的な生き物には見えない。「そもそも理性って何だ?」と考えれば考えるほど理性の実在が怪しくなってくる。

  • @sarahyukikokatamata9976
    @sarahyukikokatamata9976 3 ปีที่แล้ว +6

    もうほんとに~何でもかんでも 『神』を出して~
    人間は愚かだ!

    • @29tktr65
      @29tktr65 3 ปีที่แล้ว +11

      時代も地理条件も異なる人たちの考えを浅はかに否定する君が愚かなのよ

  • @user-dr8vt9cm1u
    @user-dr8vt9cm1u 2 ปีที่แล้ว +1

    難しい説明ですね。┏○ペコッ生きる上での合理性と理想と、最後に、実世界から見られる人間がどこから作られたか?という答えを見つけだす。と、まとめさせてもらいました。