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狐ケ崎中心かなと思ってましたけど、山中鹿介の兜も出てくるとは!!本当に貴重な動画をありがとうございます!!!改めて現地に行かねばと思いました。殿✕殿対談を心待ちにしていた一人として、次回以降の吉川様のお話、非常に楽しみです!それにしても、最近の皆さまのコメントが早いですね。やはり金曜の夜は正座して待っていなければいけないですね(笑)
「七難八苦を与えたまえ」とか言ってるのに護符を身に着けていたとは意外です。資料館には3度ほど訪れましたが御当主の解説を聞くとまた行きたくなります。イベント時に庭で岩国城をみながらお茶と菓子をいただいたのは嬉しかったです。
殿、本日もありがとうございました。今回の動画永久保存版ですね。素晴らしいの一言に尽きる。次回の動画も楽しみにしております。
山中鹿之助や安国寺恵瓊など、吉川家にとっては敵なのに手紙とか兜とかを大事に保管してるのには感慨を受けました!当主の方が山名豊国をコイツ呼ばわりしてたのは面白かったです。(笑)
素晴らしい名刀、近くで見てみたいです!
是非、機会を得てお見え下さいね!👍👍
平安時代の刀(しかも拵え)が令和の現代でも残ってるというのはもう奇跡ですよね日本にとってかげがえのない宝です大事になすってください
史料館は建物は大きくなく質の良いものがギュッと詰まった移動も最小限で済むので集中が移動で削がれることなく居られるのでとても良い施設だと思います。
ありがとうございます!
狐ケ崎稲葉江と並ぶ名刀岩国に二つも国宝の刀剣があるとは今度吉川資料館にも行って見たいと思います🎉
岩国恐るべしですよね👍是非、訪れて頂きたいです!
今回も勉強になりました。安国寺の書状は、本能寺後の元春公、隆景公の反応の違いにつながる品だと思うのですが、深い話を有難うございました。
本当に私も勉強になりました!なるほど、安国寺の扱いはお互い違いましたもんね👍
吉川史料館、展示は少ないということでしたが、1つ1つが重くて濃いですね!素晴らしいな、と思いながら拝見していました。安国寺恵瓊さんの書状、拝見してみたいです。梶原景時の話が出ていましたが、鎌倉の梶原景時邸は大江広元邸のすぐ近く(明王院奥)だったことを思い出しました。山中鹿之助の兜も見てみたいです!刀は全くの素人ですので見方がわかってないのですが、国宝ということでインパクトは大きいのでしょうね。今年1年動画を楽しませて頂きありがとうございました。来年も楽しみにしております。今年の週末の楽しみは、歴史チャネルの動画と光る君へでした。光る君へでは、赤染衛門、和泉式部、大江匡衡と近い人が出演されて楽しめました。藤式部さんが凄い方であることもよく分かりましたし。藤式部さんとはお会いしてみたい(無理だけど)。
これまた、次回も必見!永久保存じゃないですか。 エックスでポストして拡散しときます。
あ、嬉しい評価!拡散お願いいたします🙇
お疲れ様です(^o^)50代まで生きて来て実際の国宝を1つも見た事ない(笑)いい物を見せて頂きましたm(_ _)m今年はこの動画投稿で最後ですかね?また来年 動画投稿を楽しみにしています‼️よいお年をお迎え下さいね🎍🌅
是非、岩国においでませ👍👍👍良いお年をお迎えくださいね😊コメントいつもありがとう御座いました!
2年前の初秋に吉川史料館を訪問させていただきました。観光であわただしく閉館前の4時過ぎに訪れましたが、展示物の鑑賞後お庭の白砂利をみながら悠々の歴史を空想し、ゆったりとした贅沢な時間を過ごせました。本物が創り出す時代の流れを感じさせる素晴らしい史料館でした。
今回も、神回で素晴らしかったです。やはり資料館凄いものが置いてありますね。毛利ファンにとって、安国寺恵瓊の存在は大きいけど、あまりよく知られていないので、原文は読めませんが解説を読みたいです。そして、刀も全くわかりませんが、手入れの良さや、刃紋の美しさ、拵えの大人の渋さの様な深みのある黒、なるべく殺生の道具にはしたくないという刀鍛冶の想いなのか、、また、いつか行ってみます。今年、最初から最後までいいものを見せて頂き、有難うございました。来たる正月は喪中で、更に法事事が続くので、暫く、コメはお休みしますが、大きく発展した今年を更に越す飛躍間違いなしですので、ご活躍お祈りしております‼️
こしらえも国宝の刀ってのがあるんですね。すばらしい。歴史の資料集でしかみたことのない山中鹿之助の兜と安国寺恵瓊の手紙ってここにあったんですねー言葉では知ってたはずなのに改めておどろきました次回のご対談も楽しみにしてます
徳山毛利家当主と吉川家当主の対談とはなんと贅沢な・・・!!✨✨殿お2人による吉川資料館での解説も豪華すぎてもったいなくて一気に見れずちまちま視聴させていただきました!✨国宝の狐ヶ崎、かっこいです!!!曇りひとつなく青白く輝く様が1200年ものと思えぬクリアさで、なんともいえぬ迫力を纏っていますね…。いつか現地で拝見したいです!
見事すぎる吉川家重代の家宝!安国寺恵瓊・山中鹿之介・上田宗箇歴史好きからしたら堪らないです特に平安時代の拵は見たことなかったので写しでも眼福でした岩国には国宝の刀が狐ヶ崎と稲葉江の二振りもあるなんて凄い!近々必ず吉川資料館に行きます😊
解って貰えて嬉しい!是非、福岡から岩国へ新幹線でおいでませ😁
刀剣を鑑賞するのが、好きなので良くいきます。刃紋とか綺麗だと嬉しいです。
お疲れさまです。他の方もコメントのこされておりますが、岩国に「狐ヶ崎と稲葉江の二振りもあるなんて」凄すぎ。そしてマイブームと化した太閤秀吉亡き後から関ヶ原合戦までの政治的混乱・事件をかかれた歴史マンガ「大乱関ヶ原」で中心人物の一人として描かれている{安国寺恵瓊}の書があるだなんて「大乱関ヶ原」では恵瓊と広家が密約で東軍勝ったら恵瓊が責任とる・西軍が勝ったら広家が責任とる総ては毛利家存続の為っと二人が覚悟しているシーンがありました。きっとあの書は広家公が大事に引き継いだのでしょうね。ちなみにあの「さりとては」の書は96年の竹中直人が太閤秀吉演じる大河ドラマ「秀吉」で紹介されていたのを覚えています。
今年は今回で終わりでしょうか?吉川様との対談は、年またぎになってしまいましたが、今からとても楽しみです。殿、今年一年お疲れ様でした。そして来年も、ふるさと納税を100%周南市にします。みなさん、良いお年を。
史料館の展示物をこの動画で今一度拝見させて頂きましたが、その歴史的価値の重さをヒシヒシと感じた次第であります。猛将山中鹿之助幸盛の兜の内側に何枚もの護符が貼り付けてあったことを初めて認知しました。富田川中州での品川狼介将員との一騎打ちでもこの兜を着用していたのではないかと想像すると、思わず高揚してしまいました。 徳山毛利公 御座下
鬼吉川!素晴らしい展示品ですね👏
重要な歴史の出来事の品々が吉川資料館で大事に保存されていたんだ。初めて知りました。それ以前に代々吉川家で保存された賜物です。今は一般公開されてるので有り難いことです。直近の吉川資料館で吉川元長関連していたんですね。
フミカミさん!吉川家の伝来恐るべしですね。歴史の1ページどころではないです。引き継がれていることに敬意しかありません。
素晴らしい国宝をアップして下さり感謝です。太刀銘狐ヶ崎、拵と共に(平安末期)残っているのは本当に凄いです!!太刀も拵もすーっとしていてスマートでありながら徴古館の中に静と動を感じる静かに緊迫感伝わる動画でした。兜の中の小さな祈りの場所(護符)…涙がひと粒溢れます。高円宮様とご学友のお話、素敵です。ご解説下さった重幹様と貴重なお話をアップして下さった就慶様は今を生きる人間国宝です!次回は来年になりますか?私は年末年始は仕事なのでまた来年もよろしくお願い申し上げます。皆様良いおとしをお迎え下さいませ。🐍🎍😊
岩国にこんなすごすぎる名刀があったなんて❗️拵も合わせてこの時代まであるとは、信じられませんね。貴重な回でした。次回は新年でしょうね、良いお年を❗️
お疲れ様です。いつも楽しく拝見しています。国宝狐ヶ崎は画面越しでも伝わってくる迫力があります。由来が鎌倉時代からというのも驚きました。次回の対談も楽しみです。ちなみに梶原景時とは島津家も縁があります。初代忠久公の三州支配の尖兵として四名の代官を派遣しました。その内の酒匂景貞(さこうかげさだ)は梶原景時の弟、酒匂朝景(さかわともかげ)の嫡男で南北朝時代頃までは薩摩守護代として大隅守護代本田家共々家臣団の中心でした。薩摩藩豆知識第26弾(だいぶ長くなってきました)天正十二年(1584)十月十五日に龍造寺政家、龍造寺家晴、鍋島信生(直茂)から島津に従属する旨の起請文が島津家の名代に就任した義弘公に提出された。この時に島津、秋月、龍造寺が連合して大友を攻撃するという提案も受けた。島津軍は筑後に進出していた立花道雪、高橋紹運との和平を成立させて軍勢を八代に引き上げた。これらの判断を義久公に仰いだ。中央では本能寺の変後に羽柴秀吉公が急速に台頭してきた。島津家は近衛家や将軍義昭公、修験者、京の道正庵宗固、宗与らから中央情勢をかなり正確に掴んでいた。天正十三年(1585)七月の四国征伐で四国統一寸前だった長宗我部元親が羽柴軍10万に対して一か月程度で降伏したことだった。四国の次は九州という噂が流れて島津家は織田家の大半を吸収した羽柴家を直接的な脅威の対象と見なした。
早いもので、この動画が本年最後となりましたね。😀石丸効果で登録者数が爆伸びしたものの、基本的には緩やかに伸びたような感じですね。ただし、以前よりは安定した伸びだったような気がします。今後の戦略を考えるのならば、来年はチャンネルの基礎的な部分を強化する年になりそうですね・・・😊吉川史料館はかなり興味深いものが多いですが、恵瓊和尚の文書は動画で紹介したもの以外はないのでしょうか?というのも、吉川広家は恵瓊和尚と仲が悪いとされていますが、三男で家督相続を予定されていなかったため、家督を継いだ後に恵瓊和尚に相談しながら当主の仕事をしていたんですね。それを証明するかのような手紙や文書が残っているかもと思ったのですが、どうなんでしょう?🤔山中鹿之助の兜にあれだけの護符があるとは驚きましたね・・・w🤩彼の執念がよく分かる話です。山中鹿之助の遺品を丁重に扱うあたり、武の元春とよく言われますが、個人的には上杉謙信のような義理と人情の人ではないかと思います。😊秀吉は尼子再興軍を助けたかったのですが、信長の命令で見捨てざるを得ませんでした。実は秀吉が尼子に肩入れした理由の一つとして考えられるのが、出雲の尼子家の宗家筋の近江尼子家が長浜城主となった後の秀吉に馬廻(親衛隊)として採用されていたらしいんですよ。なので、近江と出雲の尼子家に交流が絶えていなければ、近江尼子家が間を取り持っていた可能性もあるんですね。今のところ証拠はないのですが。😅それにしても狐ヶ崎はやっぱすごい刀ですね。以前の稲葉郷も凄かったですが、拵付きとは。しかも黒々しいのに禍々しさを感じないところが名刀たるゆえんのような気がします。次は吉川のご当代自身のお話のようですが、もし可能ならば岩国に仕えた経家のご子孫や、筆頭家老今田家など重臣のご子孫が出演される事を期待したいです。😍ご当代との繋がりは今もあるんでしょうかねぇ・・・?😅ではよいお年を🎉
凄いの一言。国宝銘為次です。流石に武家の棟梁が語る刀剣と茶器はとてもとてもお仲間には入れません。鹿之助の話をされていましたが、私ごとですが、ペットのウサギの名前は尼子十助に因み、必ず最後に助をつけて命名してたくらいの認知度でお恥ずかしい限りです。また、鳥取城のかつえ殺しのお話も興味深いです。関ヶ原直後の輝元公と広家公の関係が様々な見方がありますが、私は萩城の屋敷割りから推察しますが、岩国屋敷が極端に広く、輝元公は意外に広家公に敬意を持っていたと推察しています。四境戦争での芸州口の戦いではあの石川小五郎が岩国藩兵の強さを絶賛してます。吉川家伝来家風なんでしょうね。微古館に岩国藩兵が用いた木製の地雷が展示されていますが、そっちの方に今までは興味があり、刀や鎧兜もこれからは是非拝観し、また、梶原景時や山中鹿之助についても知識を深めていきたいと思った次第です。
鹿之助の武勇はさて置き、兜の中の護符は身の安全ではなく尼子家再興成就の護符のような気がします。
こんにちは😊。山中鹿之介さんの兜が残っていたんですね🧐。敗者であっても武勇を讃えそして後世にこうして残っている事はとても良いですね😊。5:20 平安末期という事でしたが、「毛抜形太刀」のよりは少しだけ刀身が曲がっているぐらい。遂に始まる対談乞うご期待ですね😊。今年も歴史探究を動画で拝見した1年でした。来年も更に毛利歴史チャンネルが飛躍され同時に🇯🇵に誇りが持てるきっかけになれば幸いです😊。毛利さん良いお年をあ、来年は3万石達成に期待😅。
かっけ〜キョロ(・ω・`三′・ω・)キョロ
刀ピカピカばい~(=^・ω・^)σ
めちゃくちゃ、古いのに凄いバイね😃
@ ちょっと豆腐切ってみて?~(=^・ω・^)σ
狐ケ崎中心かなと思ってましたけど、山中鹿介の兜も出てくるとは!!本当に貴重な動画をありがとうございます!!!改めて現地に行かねばと思いました。
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殿、本日もありがとうございました。今回の動画永久保存版ですね。素晴らしいの一言に尽きる。次回の動画も楽しみにしております。
山中鹿之助や安国寺恵瓊など、吉川家にとっては敵なのに手紙とか兜とかを大事に保管してるのには感慨を受けました!
当主の方が山名豊国をコイツ呼ばわりしてたのは面白かったです。(笑)
素晴らしい名刀、近くで見てみたいです!
是非、機会を得てお見え下さいね!👍👍
平安時代の刀(しかも拵え)が令和の現代でも残ってるというのはもう奇跡ですよね
日本にとってかげがえのない宝です
大事になすってください
史料館は建物は大きくなく質の良いものがギュッと詰まった移動も最小限で済むので集中が移動で削がれることなく居られるのでとても良い施設だと思います。
ありがとうございます!
狐ケ崎稲葉江と並ぶ名刀岩国に二つも国宝の刀剣があるとは今度吉川資料館にも行って見たいと思います🎉
岩国恐るべしですよね👍
是非、訪れて頂きたいです!
今回も勉強になりました。
安国寺の書状は、本能寺後の元春公、隆景公の反応の違いにつながる品だと思うのですが、深い話を有難うございました。
本当に私も勉強になりました!
なるほど、安国寺の扱いはお互い違いましたもんね👍
吉川史料館、展示は少ないということでしたが、1つ1つが重くて濃いですね!素晴らしいな、と思いながら拝見していました。安国寺恵瓊さんの書状、拝見してみたいです。梶原景時の話が出ていましたが、鎌倉の梶原景時邸は大江広元邸のすぐ近く(明王院奥)だったことを思い出しました。山中鹿之助の兜も見てみたいです!刀は全くの素人ですので見方がわかってないのですが、国宝ということでインパクトは大きいのでしょうね。
今年1年動画を楽しませて頂きありがとうございました。来年も楽しみにしております。今年の週末の楽しみは、歴史チャネルの動画と光る君へでした。光る君へでは、赤染衛門、和泉式部、大江匡衡と近い人が出演されて楽しめました。藤式部さんが凄い方であることもよく分かりましたし。藤式部さんとはお会いしてみたい(無理だけど)。
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あ、嬉しい評価!
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お疲れ様です(^o^)
50代まで生きて来て実際の
国宝を1つも見た事ない(笑)
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今年はこの動画投稿で最後ですかね?
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よいお年をお迎え下さいね🎍🌅
是非、岩国においでませ👍👍👍
良いお年をお迎えくださいね😊
コメントいつもありがとう御座いました!
2年前の初秋に吉川史料館を訪問させていただきました。観光であわただしく閉館前の4時過ぎに訪れましたが、展示物の鑑賞後お庭の白砂利をみながら悠々の歴史を空想し、ゆったりとした贅沢な時間を過ごせました。本物が創り出す時代の流れを感じさせる素晴らしい史料館でした。
今回も、神回で素晴らしかったです。やはり資料館凄いものが置いてありますね。毛利ファンにとって、安国寺恵瓊の存在は大きいけど、あまりよく知られていないので、原文は読めませんが解説を読みたいです。そして、刀も全くわかりませんが、手入れの良さや、刃紋の美しさ、拵えの大人の渋さの様な深みのある黒、なるべく殺生の道具にはしたくないという刀鍛冶の想いなのか、、また、いつか行ってみます。今年、最初から最後までいいものを見せて頂き、有難うございました。来たる正月は喪中で、更に法事事が続くので、暫く、コメはお休みしますが、大きく発展した今年を更に越す飛躍間違いなしですので、ご活躍お祈りしております‼️
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ここにあったんですねー
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見事すぎる吉川家重代の家宝!
安国寺恵瓊・山中鹿之介・上田宗箇
歴史好きからしたら堪らないです
特に平安時代の拵は見たことなかったので写しでも眼福でした
岩国には国宝の刀が狐ヶ崎と稲葉江の二振りもあるなんて凄い!
近々必ず吉川資料館に行きます😊
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お疲れさまです。他の方もコメントのこされておりますが、岩国に「狐ヶ崎と稲葉江の二振りもあるなんて」凄すぎ。そしてマイブームと化した太閤秀吉亡き後から関ヶ原合戦までの政治的混乱・事件をかかれた歴史マンガ「大乱関ヶ原」で中心人物の一人として描かれている{安国寺恵瓊}の書があるだなんて
「大乱関ヶ原」では恵瓊と広家が密約で東軍勝ったら恵瓊が責任とる・西軍が勝ったら広家が責任とる
総ては毛利家存続の為っと二人が覚悟しているシーンがありました。
きっとあの書は広家公が大事に引き継いだのでしょうね。
ちなみにあの「さりとては」の書は96年の竹中直人が太閤秀吉演じる大河ドラマ「秀吉」で紹介されていたのを覚えています。
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猛将山中鹿之助幸盛の兜の内側に何枚もの護符が貼り付けてあったことを初めて認知しました。富田川中州での品川狼介将員との一騎打ちでもこの兜を着用していたのではないかと想像すると、思わず高揚してしまいました。 徳山毛利公 御座下
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フミカミさん!
吉川家の伝来恐るべしですね。
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引き継がれていることに敬意しかありません。
素晴らしい国宝をアップして下さり感謝です。
太刀銘狐ヶ崎、拵と共に(平安末期)残っているのは本当に凄いです!!
太刀も拵もすーっとしていてスマートでありながら徴古館の中に静と動を感じる静かに緊迫感伝わる動画でした。
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次回は来年になりますか?
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ちなみに梶原景時とは島津家も縁があります。初代忠久公の三州支配の尖兵として四名の代官を派遣しました。
その内の酒匂景貞(さこうかげさだ)は梶原景時の弟、酒匂朝景(さかわともかげ)の嫡男で南北朝時代頃までは
薩摩守護代として大隅守護代本田家共々家臣団の中心でした。
薩摩藩豆知識第26弾(だいぶ長くなってきました)
天正十二年(1584)十月十五日に龍造寺政家、龍造寺家晴、鍋島信生(直茂)から島津に従属する旨の起請文が
島津家の名代に就任した義弘公に提出された。この時に島津、秋月、龍造寺が連合して大友を攻撃するという
提案も受けた。島津軍は筑後に進出していた立花道雪、高橋紹運との和平を成立させて軍勢を八代に引き上げた。
これらの判断を義久公に仰いだ。中央では本能寺の変後に羽柴秀吉公が急速に台頭してきた。島津家は近衛家や
将軍義昭公、修験者、京の道正庵宗固、宗与らから中央情勢をかなり正確に掴んでいた。天正十三年(1585)七月の
四国征伐で四国統一寸前だった長宗我部元親が羽柴軍10万に対して一か月程度で降伏したことだった。四国の
次は九州という噂が流れて島津家は織田家の大半を吸収した羽柴家を直接的な脅威の対象と見なした。
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ただし、以前よりは安定した伸びだったような気がします。今後の戦略を考えるのならば、来年はチャンネルの基礎的な部分を強化する年になりそうですね・・・😊
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というのも、吉川広家は恵瓊和尚と仲が悪いとされていますが、三男で家督相続を予定されていなかったため、家督を継いだ後に恵瓊和尚に相談しながら当主の仕事をしていたんですね。
それを証明するかのような手紙や文書が残っているかもと思ったのですが、どうなんでしょう?🤔
山中鹿之助の兜にあれだけの護符があるとは驚きましたね・・・w🤩
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秀吉は尼子再興軍を助けたかったのですが、信長の命令で見捨てざるを得ませんでした。
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鹿之助の武勇はさて置き、兜の中の護符は身の安全ではなく尼子家再興成就の護符のような気がします。
こんにちは😊。
山中鹿之介さんの兜が残っていたんですね🧐。
敗者であっても武勇を讃えそして後世にこうして残っている事はとても良いですね😊。
5:20 平安末期という事でしたが、「毛抜形太刀」のよりは少しだけ刀身が曲がっているぐらい。
遂に始まる対談乞うご期待ですね😊。今年も歴史探究を動画で拝見した1年でした。来年も更に毛利歴史チャンネルが飛躍され同時に🇯🇵に誇りが持てるきっかけになれば幸いです😊。
毛利さん良いお年を
あ、来年は3万石達成に期待😅。
かっけ〜
キョロ(・ω・`三′・ω・)キョロ
刀ピカピカばい
~(=^・ω・^)σ
めちゃくちゃ、古いのに凄いバイね😃
@
ちょっと豆腐切ってみて?
~(=^・ω・^)σ