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立見尚文のことは知らなかったので勉強になります。ありがとうございます。それにしても、西南戦争のときは新政府は色々うまいことをやったのですね…したたかですね
いつも、ありがとうございます‼️そして、お心遣いまで、、、(涙)そうなんです、そんな傑物が日本には沢山いたんですね。そして、政府のやり方も、イヤらしいと言うか、妙と言うべきか、、、。
こんばんは。本日は中川様と共にジェームズ様のサロンにて立見尚文様の歴史語りですね。中川様お帰りなさいませ。😊鬼神立見尚文様は桑名藩出身なのですね。暴れ牛を一刀し伏した、のお話は聞いたことがありました。八甲田山は−27度、体感温度−40度超えな山、大自然相手の中、かなりな苦しさだったでしょうね。🏔潮目をみる…数値化できないものを感じて時を読む…難しいけれどとても勉強になります。次回も楽しみです。「桑名はアン・ルイスさんの元夫様の故郷」だと本日共に拝見していた親戚が申しておりました。😁😊
はい‼️久しぶりのジェームスサロンにての動画でした。中さんには教わることばかりです。そして、また、教えて貰えました、勉強になります‼️それで、桑名なんですね👍️
中川先生ご無沙汰の出演。中さんの解説はいつも凄いです。諳んじながら奥深く語られるんですから。それも理路整然で。来週も楽しみだ〜。立見尚文は、逸材ですね。250年以上戦のなかった江戸時代で双方共の武士は、やはり武士でした。※本日よりTH-cam東映オンラインシアターで「大日本帝国」の映画視聴できます。
フミカミさん‼️はい、久しぶりの中さんです👍️👍👍来週もお楽しみに。あ、見なきゃ。
殿、お疲れ様です。立見尚文を知らなかったので、今回は自分には難しい内容でした。次週を見ないと何とも言えません。将棋は相手の駒を取ったら自分で使えるけど、チェスは使えない。これが人にも当てはまる日本って、独特で奥深くて良いですね。
立見将軍‼️是非、知っていただきたい。近い親戚なんです。あ、上手いこと言いますね👍️
殿、投稿お疲れ様です!中川さん! お久しゅうございます!!立見尚文氏、初めて知りました。中川さんがおっしゃられたように、日本人は、誰でも分け隔てなく評価して、その人の能力や特性・個性などを十分に生かすことができる、そういうところが、私自身も好きです。そして、陸軍大将だったことも初めて知りました。日露の戦争を、また違った視点で見ると面白いです。
お疲れ様です‼️立見将軍是非、知って貰いたかった。中さんの説明は解りやすいですよね。まだまだ、素晴らしい将軍も多いと思います。
素晴らしい動画ですね。勉強になります。殿、本日もありがとうございました。
ありがとうございます!🙇♂️
お疲れ様です。いつも楽しく拝見しています。立見尚文という人物は初めて知りました。幕末から明治にかけての名将だったのですね。西郷隆盛を討ち取るとは薩摩藩と因縁浅はかならぬ人物ですね。西郷軍が負けたのは激しい銃撃戦の末に弾が不足したのと田原坂で副将の篠原国幹が戦死して指揮系統に乱れが生じたことが大きかったようです。単純に兵力差が3倍以上あったので最初から勝敗は決していましたが…。薩摩藩豆知識第17弾(だいぶ長くなってきました)義弘公は暴走した諸将の統制が取れなくなり攻略した北肥後の諸城を放棄して戦線を隈本城のラインまで下げるという事実上の撤退を決めた。その後中書家久を島原に派遣する準備をさせていたところに秋月種実から使者が隈本城に来た。龍造寺と秋月が共に島津の下に入り島津家を「九州之守護」と仰ぎ奉った上で大友を共同で倒すという内容だった。更に島原半島に駐留している島津軍を撤退させて対大友戦に振り向ける交換条件も提示された。龍造寺としては島津と和睦することによって有馬晴信を再従属させる意図があったという説がある。
あ、そうですね‼️立見将軍は因縁浅からぬ、、、。待ってました、龍造寺恐るべしですね👍👍👍👍
お疲れさまです。今日は中川先生によるマサカの立見尚文とはかなり通な軍人を選ばれましたね。立見尚文はもちろん江川達也版坂の上の雲「日露戦争物語」で日清戦争で大活躍されておりました(本は日清戦争途中で連載打ち切り)中川先生のご解説にも登場した山縣有朋が戊辰戦争で唯一勝てなかったのが立見尚文が指揮する雷神隊だったと書かれており、有朋公が日清戦争で絶対的な信頼を寄せているようでした。八甲田山の雪中行軍時の師団長が立見師団長だったとは知りませんでした。今だ9師団(北東北)は八甲田雪中行軍訓練は行っていますからね(やってるはず)来週もまた楽しそうな内容が盛り沢山ですね。お待ちしております。
佐藤さん‼️おまちかねの中さんシリーズです👍️それにしても、佐藤さんもよく知ってますね👍️
お疲れ様です。たった今『お宝鑑定団』で柏原美術館の秘刀『稲葉郷』出てましたよ。お化けと郷は見たことがない番組内で強調してました。鑑定団に新たに郷の刀発見されて真贋の判定の時に参考文献として稲葉郷が紹介。新たな郷は真作間違いなし3000万円柏原美術館の稲葉郷はきっと値付け不可なんでしょうね。
ええええ‼️そうなんですね。あの刀はゼロが一つ。。。
お二人が並んでいると、昨年の両国での舞台「艦隊は動かず」を思い出します。またあの様な舞台を是非、やって頂きたいです。八甲田雪中行軍遭難は確か北大路欣也さんが出演して映画になっていたと思います。日露戦争に関しては自分自身がまだ知らない事がたくさん有ると感じますので、隠れた話しとか聞いてみたいです。
あら‼️懐かしい。舞台👍👍八甲田山は高倉健さんも出てましたよね❗
歴史は実に面白い。特に明治時代の日本の基礎になった出来事、人物には胸がときめきます。昔、読んだことがある人物で河合継之助のことも思い出しました。八甲田山の映画も思い出しました。歴史は実に面白い。
お久しぶりです‼️ですよね。今週も、もう一度お付き合いください⤵️⤵️⤵️
日露戦をあらゆる角度から立体的に考察できる楽しみができました。乃木、児玉や東郷というメジャーだけではなく長州の仇敵である桑名藩士の活躍を知るのも大事ですね。桑名といえば知人の娘さんが名家に嫁ぎ数度訪問したことがあります。病院やホテルなどを経営しておりベトナムへも早くより投資しており、たぶん中さんも御存じではないかと思います。桑名では九華苑近くの柿安本店での飛騨牛のフルコースに舌鼓したことだけは鮮明に覚えています。話しは変わりますが、拙宅の隣は越後朝日山で戦死した時山直八の子孫宅です。立見尚文に殺られたので快く思わないてしょうね。田原坂の戦い、八甲田山と我家に馴染みの深いワードが沢山聞かれ次回も楽しみです。
ええええ‼️そうなんだ。勉強になるなあ、、、。刀禰さんの家行きづらいな。。。実は立見家と当家は親戚なので、動画作成いたしました❗
@@mourihistory 様 あらら 花神では松平健さんが直八役、西田敏行さんが山県有朋役をして直八の方がブレイクしました。直八の子孫はむしろ西田の方に似ていました。しかし、司馬遼太郎は坂の上の雲で埋もれた人材を掘り起こしますなあ。私は桑名は好きですよ。徳山様との関係素晴らしいですね。👏
立見尚文大将いいですねー😊日露戦争を勝利に導いた傑物の1人ですよね!元帥まで栄達しなかったのは残念でしたが…確かに潮目を見れるというのは古来より名将の条件!調べ直してみたら殿の縁戚ではないですか!毛利家恐るべしです笑
いつも、ありがとうございます‼️名将なんですよね👍️👍👍そう、親戚なんです(笑)
中川さん久々のご登場でしたね。相模の国の一の宮は寒川神社で、ウチも含めて周辺の住所は寒川町一之宮です。敵将を生かすか殺すかは、将棋とチェスの思想の違いにも通ずるところがありますね。中国は殺しちゃうけど。言いしれぬ恐怖感というか絶望感を覚えた映画が二つあります、「パピヨン」と「八甲田山」です。
中さん‼️はい。久しぶりの登場願いました。寒川神社は有名ですね!うちの自宅にもお札?があった気がします。 確かに、八甲田山は重いですね。。。
今回も勉強になりました「立見尚文」八甲田山の訓練ってそう言う経緯だったんですね続きが気になります
僕も中さんから聞いて学ぶことが多いです👍️👍👍
もっと世の中に知られて欲しい英雄ですね!
全くその通りですね👍️👍👍
中川さん、おかえりなさいませ。さすが中さん、お詳しいね。勉強になります❗次回も楽しみにしてます👍
福島‼️ありがとう。いずれ、お目にかかる日が来るよ。中さんに。あ、舞台で会ったね👍️
お久しぶりの中さん登場ですね。お元気そうで何よりです。「立見尚文大将」名前は知っていましたが、詳しくは知らなかったので、以前の、「柴五郎大将」同様素晴らしい方を紹介していただきました。両大将とも、賊軍と言われ随分苦しい思いをされたと思いますが、色んなしがらみを超えて、日本の為に戦ってくださったことを知れて良かったです。「八甲田山〜」映画見ました。網走の友人から「冬は鼻水がつららになる」と聞いた事がありますが冬の山の寒さに対する認識が甘かったのか❓見た後、怖かったです。
すずさん‼️はい‼️久しぶりの中さんです。安定の説明ですね。立見さんは、親戚でもあり動画をアップいたしました。 確かに八甲田山は怖かった。。
立見大将、御親戚なんですね😮戊辰戦の敗北の後、彼を蟄居で収めた新政府軍の方は誰だったんでしょうね?よほど、見る目があった方ですね!
本論からは外れますが、中川先生のマイムーブが一の宮参りであるとか‥。そこで、社伝はさておき、周防國一の宮「玉祖(たまのおや)神社」について少々触れておきます。現存する社殿は、1750年に長州藩第六代藩主「宗広」公により建て替えられたとのことであります。拝殿の屋根には一文字三星の瓦がはめ込まれています。又、社叢の植生も興味深いところです。古代、この地は遠浅の海岸線(砂丘)に近いために内陸部に見られる樹木と海岸部に見られる樹木が混生しております。又、天然記念物「黒柏」発祥の地でもあります。 徳山毛利公 御座下
林さん‼️有益な情報ありがとうございます⤵️⤵️⤵️⤵️中さんを連れて再訪してみたいと思います‼️
幕末の桑名藩主と言えば、高須四兄弟の松平定敬ですね。意外な縁で立見尚文と徳山毛利家とつながっていますね。神奈川県には、一の宮に寒川神社、全国的に有名な鶴岡八幡宮があるので、ぜひ来て下さい!神奈川県にはもう一つ、作家の新田次郎さんがこよなく愛した新潮社の保養所があり、八甲田山死の彷徨を書いた新田次郎さんは元気象庁職員で、富士山レーダーの藤原寛課長で有名です。
いつも、ありがとうございます‼️そして、またまた有益な情報をありがとうございます⤵️⤵️⤵️⤵️知らなかったなあ👍👍👍
八甲田山って映画でみた程度しか知らなかったけどその渦中の人だったんすねーそれに参加させられてるとは、ほんとに運がいいのか悪いのか…
確かに、それが教訓になっての。ですね👍️
お殿様🫅中川先生🧑🎓立見尚文の解説ありがとうございます❤未読の本が積読状態ですが、「坂の上の雲」もう一度読みたくなりました📕先日、GHQ追い出し祈願で京都下御霊神社にお詣りしました⛩この社殿は御所賢所を移築したそうですが、傷んでおり心配してます🤕なにせVIPな怨霊を鎮める神社なので、大事にしていきたいです👻
かおママ!ありがとうございます。中さんと、行ってみようかな。
@@mourihistory お殿様ー🫅どうぞお出かけ下さい😊神社に殿さま🫅パワーをお願いします💪三笠宮彬子女王殿下は、寺町通りの散策がお好きだそうです👸
お疲れ様です😮毛利家当主さんも色んな知識を覚えていて本当に凄いですね。ちょっと調べたら僕より1つ歳上なんですね。昭和47年ですよね?僕は48年なんで。これだけ覚えられるのにビックリです\(^o^)/
ありがとうございます‼️全然、、、その場しのぎです(笑)でも、同世代嬉しい‼️しかも、ブルーインパルスって所がシンパシーです。
うぉっ!?自分が大好きな立見尚文キターーーーーーー!!🤩確か桑名の最強部隊「雷神隊」の隊長で、殿の家とはかつて戦った間柄ですね。しかも毛利家のかつての故地である柏崎でも戦ったので個人的にも親近感もあります。😃桑名は実は本領はさっさと降伏しましたが、藩主の松平定敬や反新政府派は飛び地の柏崎に来ているんですね。その後は中さんの解説通りです。個人的には児玉源太郎、乃木希典に勝るとも劣らない人物だと思います。このシリーズで解説希望する人物は、他に東郷平八郎、秋山真之、島村速雄を推薦したいと思います。中さん、お願いします!!😆
ええええ‼️アップして良かった👍なるほど、勉強になります。かしこまりました。中さんと動画企画いたします‼️
毛利家(長州)サイドからすると立見率いる雷神隊は長岡藩の河井継之助と並んで北越戦争最大の壁になりましたが良く取り上げて下さったと思います。 司馬遼太郎の「峠」を読んで以来の河井ファンです^_^
お久しぶりです‼️河井継之助いいですね。動画やりたいです👍️
@@mourihistory 河井継之助のことならいくらでもお話しできます^_^
凄い‼️
常勝将軍です。桑名に記念館があります。
それは、是非行きたいと思います‼️
毛利家歴史チャンネルで立見尚文を取り上げてくださり有難うございます😇立見尚文と桑名藩は近現代の毛利家の血筋面において影響を与えています。幕末は争った両家は今は親戚になっています。立見尚文と旧第五師団(広島・山口等)は日清戦争と日露戦争で近くで共闘しています。平壌の戦いでは友軍として。日露戦争では黒溝台会戦では立見師団の援軍として-20度、体感温度-40最初に駆け付けています。奉天会戦では立見師団の隣で活動しています。八甲田山の件ですがこれは当時の基準で見ないと問題が見えてきません。当時の日本には極寒における知識が不足しております。実際、日清戦争では極寒の満州を草履で歩いたので凍傷で溢れました。それから数年しかたっていない中での事件の為、責任者を罰するだけの常識が日本に不足してました。
以前からのリクエストが気になっておりました❗ でも、やはり、お詳しいですね、、、。 そう、宗家は藩主家と当家は立見家と親戚筋になりました。そして、八甲田山。勉強になります」⤵️⤵️⤵️
殿、こんばんは恥ずかしながら まったく知らない方で…。ゴールデンカムイから少し日露戦争を知りたいなという気持ちになりましたので急いで勉強しますね😅
こんばんわ‼️少しマニアックですが、こんな素晴らしい将軍がいたんですね。ゴールデンカムイからの、勉強。素晴らしい‼️
幕末に限ったことではありませんが、当時は激しく勢力を競った者同士が、近代では支配階層として肩を並べている…。私のようなアンダー階層には少々、納得し切れない部分ではありますが(笑)。よく民主の力が世の中を動かした、などと歴史を回想する方もおられますが、マツリごとを司る、政治力を発揮する層というのは限定されているのだな、と思います。
いつも、ありがとうございます。うーん。難しいテーマですね。今の世の中は、もう違う気がしますが、あ、でも、世襲議員がいるか、、、。
ジェームスってカー用品とかの?(๑◉ʚ◉᷅๑)?
徳山の大金持ちバイね👍️
@@mourihistory え?外人さん?~(=^・ω・^)σ大金持ちと?娘さんはいるの?あと何歳になると?
まだまだ、お若い‼️オートレースチームも飛行機も持ってるバイね❗
@@mourihistory マジヵΣ(っ゚Θ゚;)っ お金持ちのランクがちょっと高いばいおいらじゃやとってもらえそ〜にないばい
こんにちは😃。「用兵」という言葉を知らない人の方が多い中で語られる機会がある事は嬉しい。6:28 対立関係でも能力に応じて人材を登用し対処させる点は今にも通用すると思います。無論登用する側の目も大切ではありますが😅。会津抜刀隊についても巧妙というかガス抜きというか😅...政治に狡賢い部分は必要なのかもしれないが、それだけでもダメで要はバランスだとも思うんです。政治ではなく用兵としての観点で会津抜刀隊を投入した効果は抜群であったのは間違いない。また西郷軍の動きを事前に察知し部隊輸送等を素早く展開できた点も注目。用兵を生かすも殺すも第一に後方が機能しているかだと思います。
ヒロさん‼️用兵。 なるほどね。メチャクチャ勉強になります。いつもながら‼️
やっぱり現場での経験がものを言うばいね~(=^・ω・^)σ日本は机の上で訳のわからんこと言う奴が多いばい
おおお‼️机上の空論バイね👍️
@@mourihistory んだんだ問題はそこちゃうねん的な~(=^・ω・^)σおいらは上司でもおかしいものはおかしいと言うばい
まさか…賊軍の鑑三郎が出るとは思いもよらぬ出来事…。小千谷談判が決裂し山縣か黒田が会っていれば避けられたと顔を青くした新潟戦争戦いの敵軍の将。
おおお! なかなか手厳しいですな🫢
立見尚文のことは知らなかったので勉強になります。ありがとうございます。
それにしても、西南戦争のときは新政府は色々うまいことをやったのですね…したたかですね
いつも、ありがとうございます‼️
そして、お心遣いまで、、、(涙)
そうなんです、そんな傑物が日本には沢山いたんですね。
そして、政府のやり方も、イヤらしいと言うか、妙と言うべきか、、、。
こんばんは。
本日は中川様と共にジェームズ様のサロンにて立見尚文様の歴史語りですね。
中川様お帰りなさいませ。😊
鬼神立見尚文様は桑名藩出身なのですね。
暴れ牛を一刀し伏した、のお話は聞いたことがありました。
八甲田山は−27度、
体感温度−40度超えな
山、大自然相手の中、かなりな苦しさだったでしょうね。🏔
潮目をみる…数値化できないものを感じて時を読む…難しいけれどとても勉強になります。
次回も楽しみです。
「桑名はアン・ルイスさんの元夫様の故郷」だと本日共に拝見していた親戚が申しておりました。😁😊
はい‼️
久しぶりのジェームスサロンにての動画でした。
中さんには教わることばかりです。
そして、また、教えて貰えました、
勉強になります‼️
それで、桑名なんですね👍️
中川先生ご無沙汰の出演。
中さんの解説はいつも凄いです。諳んじながら奥深く語られるんですから。
それも理路整然で。来週も楽しみだ〜。
立見尚文は、逸材ですね。
250年以上戦のなかった江戸時代で双方共の武士は、やはり武士でした。
※本日よりTH-cam東映オンラインシアターで「大日本帝国」の映画視聴できます。
フミカミさん‼️
はい、久しぶりの中さんです👍️👍👍
来週もお楽しみに。
あ、見なきゃ。
殿、お疲れ様です。
立見尚文を知らなかったので、今回は自分には難しい内容でした。次週を見ないと何とも言えません。
将棋は相手の駒を取ったら自分で使えるけど、チェスは使えない。これが人にも当てはまる日本って、独特で奥深くて良いですね。
立見将軍‼️是非、知っていただきたい。
近い親戚なんです。
あ、上手いこと言いますね👍️
殿、投稿お疲れ様です!
中川さん! お久しゅうございます!!
立見尚文氏、初めて知りました。中川さんがおっしゃられたように、日本人は、誰でも分け隔てなく評価して、その人の能力や特性・個性などを十分に生かすことができる、そういうところが、私自身も好きです。
そして、陸軍大将だったことも初めて知りました。日露の戦争を、また違った視点で見ると面白いです。
お疲れ様です‼️
立見将軍是非、知って貰いたかった。
中さんの説明は解りやすいですよね。
まだまだ、素晴らしい将軍も多いと思います。
素晴らしい動画ですね。勉強になります。殿、本日もありがとうございました。
ありがとうございます!🙇♂️
お疲れ様です。いつも楽しく拝見しています。
立見尚文という人物は初めて知りました。幕末から明治にかけての名将だったのですね。西郷隆盛を討ち取るとは薩摩藩と因縁浅はかならぬ人物ですね。西郷軍が負けたのは激しい銃撃戦の末に弾が不足したのと田原坂で副将の篠原国幹が戦死して指揮系統に乱れが生じたことが大きかったようです。単純に兵力差が3倍以上あったので最初から勝敗は決していましたが…。
薩摩藩豆知識第17弾(だいぶ長くなってきました)
義弘公は暴走した諸将の統制が取れなくなり攻略した北肥後の諸城を放棄して戦線を隈本城のラインまで下げるという事実上の撤退を決めた。その後中書家久を島原に派遣する準備をさせていたところに秋月種実から使者が隈本城に来た。龍造寺と秋月が共に島津の下に入り島津家を「九州之守護」と仰ぎ奉った上で大友を共同で倒すという内容だった。更に島原半島に駐留している島津軍を撤退させて対大友戦に振り向ける交換条件も提示された。龍造寺としては島津と和睦することによって有馬晴信を再従属させる意図があったという説がある。
あ、そうですね‼️
立見将軍は因縁浅からぬ、、、。
待ってました、龍造寺恐るべしですね👍👍👍👍
お疲れさまです。今日は中川先生によるマサカの立見尚文とはかなり通な軍人を選ばれましたね。
立見尚文はもちろん江川達也版坂の上の雲「日露戦争物語」で日清戦争で大活躍されておりました(本は日清戦争途中で連載打ち切り)
中川先生のご解説にも登場した山縣有朋が戊辰戦争で唯一勝てなかったのが立見尚文が指揮する雷神隊だったと書かれており、有朋公が日清戦争で絶対的な信頼を寄せているようでした。
八甲田山の雪中行軍時の師団長が立見師団長だったとは知りませんでした。今だ9師団(北東北)
は八甲田雪中行軍訓練は行っていますからね(やってるはず)
来週もまた楽しそうな内容が盛り沢山ですね。お待ちしております。
佐藤さん‼️
おまちかねの中さんシリーズです👍️
それにしても、佐藤さんもよく知ってますね👍️
お疲れ様です。たった今『お宝鑑定団』で柏原美術館の秘刀『稲葉郷』出てましたよ。
お化けと郷は見たことがない番組内で強調してました。
鑑定団に新たに郷の刀発見されて真贋の判定の時に参考文献として稲葉郷が紹介。
新たな郷は真作間違いなし3000万円
柏原美術館の稲葉郷はきっと値付け不可なんでしょうね。
ええええ‼️そうなんですね。
あの刀はゼロが一つ。。。
お二人が並んでいると、昨年の両国での舞台「艦隊は動かず」を思い出します。
またあの様な舞台を是非、やって
頂きたいです。
八甲田雪中行軍遭難は確か北大路欣也さんが出演して映画になっていたと思います。
日露戦争に関しては自分自身がまだ知らない事がたくさん有ると感じますので、隠れた話しとか聞いてみたいです。
あら‼️懐かしい。舞台👍👍
八甲田山は高倉健さんも出てましたよね❗
歴史は実に面白い。
特に明治時代の日本の基礎になった出来事、人物には胸がときめきます。昔、読んだことがある人物で河合継之助のことも思い出しました。八甲田山の映画も思い出しました。
歴史は実に面白い。
お久しぶりです‼️
ですよね。今週も、もう一度お付き合いください⤵️⤵️⤵️
日露戦をあらゆる角度から立体的に考察できる楽しみができました。乃木、児玉や東郷というメジャーだけではなく長州の仇敵である桑名藩士の活躍を知るのも大事ですね。
桑名といえば知人の娘さんが名家に嫁ぎ数度訪問したことがあります。病院やホテルなどを経営しておりベトナムへも早くより投資しており、たぶん中さんも御存じではないかと思います。桑名では九華苑近くの柿安本店での飛騨牛のフルコースに舌鼓したことだけは鮮明に覚えています。
話しは変わりますが、拙宅の隣は越後朝日山で戦死した時山直八の子孫宅です。立見尚文に殺られたので快く思わないてしょうね。
田原坂の戦い、八甲田山と我家に馴染みの深いワードが沢山聞かれ次回も楽しみです。
ええええ‼️そうなんだ。
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刀禰さんの家行きづらいな。。。
実は立見家と当家は親戚なので、動画作成いたしました❗
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立見尚文大将いいですねー😊
日露戦争を勝利に導いた傑物の1人ですよね!元帥まで栄達しなかったのは残念でしたが…
確かに潮目を見れるというのは古来より名将の条件!
調べ直してみたら殿の縁戚ではないですか!
毛利家恐るべしです笑
いつも、ありがとうございます‼️
名将なんですよね👍️👍👍
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中川さん久々のご登場でしたね。
相模の国の一の宮は寒川神社で、ウチも含めて周辺の住所は寒川町一之宮です。
敵将を生かすか殺すかは、将棋とチェスの思想の違いにも通ずるところがありますね。中国は殺しちゃうけど。
言いしれぬ恐怖感というか絶望感を覚えた映画が二つあります、「パピヨン」と「八甲田山」です。
中さん‼️はい。
久しぶりの登場願いました。
寒川神社は有名ですね!
うちの自宅にもお札?があった気がします。 確かに、八甲田山は重いですね。。。
今回も勉強になりました
「立見尚文」
八甲田山の訓練ってそう言う経緯だったんですね
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もっと世の中に知られて欲しい英雄ですね!
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中川さん、おかえりなさいませ。
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次回も楽しみにしてます👍
福島‼️
ありがとう。
いずれ、お目にかかる日が来るよ。
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お久しぶりの中さん登場ですね。お元気そうで何よりです。「立見尚文大将」名前は知っていましたが、詳しくは知らなかったので、以前の、「柴五郎大将」同様素晴らしい方を紹介していただきました。両大将とも、賊軍と言われ随分苦しい思いをされたと思いますが、色んなしがらみを超えて、日本の為に戦ってくださったことを知れて良かったです。「八甲田山〜」映画見ました。網走の友人から「冬は鼻水がつららになる」と聞いた事がありますが
冬の山の寒さに対する認識が甘かったのか❓見た後、怖かったです。
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立見さんは、親戚でもあり動画をアップいたしました。 確かに八甲田山は怖かった。。
立見大将、御親戚なんですね😮戊辰戦の敗北の後、彼を蟄居で収めた新政府軍の方は誰だったんでしょうね?よほど、見る目があった方ですね!
本論からは外れますが、中川先生のマイムーブが一の宮参りであるとか‥。そこで、社伝はさておき、周防國一の宮「玉祖(たまのおや)神社」について少々触れておきます。現存する社殿は、1750年に長州藩第六代藩主「宗広」公により建て替えられたとのことであります。拝殿の屋根には一文字三星の瓦がはめ込まれています。又、社叢の植生も興味深いところです。古代、この地は遠浅の海岸線(砂丘)に近いために内陸部に見られる樹木と海岸部に見られる樹木が混生しております。又、天然記念物「黒柏」発祥の地でもあります。 徳山毛利公 御座下
林さん‼️
有益な情報ありがとうございます⤵️⤵️⤵️⤵️
中さんを連れて再訪してみたいと思います‼️
幕末の桑名藩主と言えば、高須四兄弟の松平定敬ですね。
意外な縁で立見尚文と徳山毛利家とつながっていますね。
神奈川県には、一の宮に寒川神社、全国的に有名な鶴岡八幡宮があるので、ぜひ来て下さい!
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いつも、ありがとうございます‼️
そして、またまた有益な情報をありがとうございます⤵️⤵️⤵️⤵️
知らなかったなあ👍👍👍
八甲田山って映画でみた程度しか知らなかったけど
その渦中の人だったんすねー
それに参加させられてるとは、ほんとに運がいいのか悪いのか…
確かに、それが教訓になっての。
ですね👍️
お殿様🫅中川先生🧑🎓立見尚文の解説ありがとうございます❤
未読の本が積読状態ですが、「坂の上の雲」もう一度読みたくなりました📕
先日、GHQ追い出し祈願で京都下御霊神社にお詣りしました⛩
この社殿は御所賢所を移築したそうですが、傷んでおり心配してます🤕
なにせVIPな怨霊を鎮める神社なので、大事にしていきたいです👻
かおママ!
ありがとうございます。
中さんと、行ってみようかな。
@@mourihistory お殿様ー🫅どうぞお出かけ下さい😊神社に殿さま🫅パワーをお願いします💪
三笠宮彬子女王殿下は、寺町通りの散策がお好きだそうです👸
お疲れ様です😮
毛利家当主さんも色んな知識を
覚えていて本当に凄いですね。
ちょっと調べたら僕より1つ歳上なんですね。
昭和47年ですよね?僕は48年なんで。
これだけ覚えられるのにビックリです\(^o^)/
ありがとうございます‼️
全然、、、その場しのぎです(笑)
でも、同世代嬉しい‼️
しかも、ブルーインパルスって所がシンパシーです。
うぉっ!?自分が大好きな立見尚文キターーーーーーー!!🤩
確か桑名の最強部隊「雷神隊」の隊長で、殿の家とはかつて戦った間柄ですね。しかも毛利家のかつての故地である柏崎でも戦ったので個人的にも親近感もあります。😃
桑名は実は本領はさっさと降伏しましたが、藩主の松平定敬や反新政府派は飛び地の柏崎に来ているんですね。その後は中さんの解説通りです。
個人的には児玉源太郎、乃木希典に勝るとも劣らない人物だと思います。
このシリーズで解説希望する人物は、他に東郷平八郎、秋山真之、島村速雄を推薦したいと思います。中さん、お願いします!!😆
ええええ‼️
アップして良かった👍
なるほど、勉強になります。
かしこまりました。
中さんと動画企画いたします‼️
毛利家(長州)サイドからすると立見率いる雷神隊は長岡藩の河井継之助と並んで北越戦争最大の壁になりましたが良く取り上げて下さったと思います。 司馬遼太郎の「峠」を読んで以来の河井ファンです^_^
お久しぶりです‼️
河井継之助いいですね。
動画やりたいです👍️
@@mourihistory 河井継之助のことならいくらでもお話しできます^_^
凄い‼️
常勝将軍です。桑名に記念館があります。
それは、是非行きたいと思います‼️
毛利家歴史チャンネルで立見尚文を取り上げてくださり有難うございます😇
立見尚文と桑名藩は近現代の毛利家の血筋面において影響を与えています。幕末は争った両家は今は親戚になっています。
立見尚文と旧第五師団(広島・山口等)は日清戦争と日露戦争で近くで共闘しています。平壌の戦いでは友軍として。日露戦争では黒溝台会戦では立見師団の援軍として-20度、体感温度-40最初に駆け付けています。奉天会戦では立見師団の隣で活動しています。
八甲田山の件ですがこれは当時の基準で見ないと問題が見えてきません。当時の日本には極寒における知識が不足しております。実際、日清戦争では極寒の満州を草履で歩いたので凍傷で溢れました。それから数年しかたっていない中での事件の為、責任者を罰するだけの常識が日本に不足してました。
以前からのリクエストが気になっておりました❗ でも、やはり、お詳しいですね、、、。 そう、宗家は藩主家と当家は立見家と親戚筋になりました。
そして、八甲田山。
勉強になります」⤵️⤵️⤵️
殿、こんばんは
恥ずかしながら まったく知らない方で…。
ゴールデンカムイから少し日露戦争を知りたいなという気持ちになりましたので急いで勉強しますね😅
こんばんわ‼️
少しマニアックですが、こんな素晴らしい将軍がいたんですね。
ゴールデンカムイからの、勉強。
素晴らしい‼️
幕末に限ったことではありませんが、当時は激しく勢力を競った者同士が、近代では支配階層として肩を並べている…。
私のようなアンダー階層には少々、納得し切れない部分ではありますが(笑)。
よく民主の力が世の中を動かした、などと歴史を回想する方もおられますが、マツリごとを司る、政治力を発揮する層というのは限定されているのだな、と思います。
いつも、ありがとうございます。
うーん。難しいテーマですね。
今の世の中は、もう違う気がしますが、あ、でも、世襲議員がいるか、、、。
ジェームスってカー用品とかの?
(๑◉ʚ◉᷅๑)?
徳山の大金持ちバイね👍️
@@mourihistory
え?外人さん?
~(=^・ω・^)σ
大金持ちと?
娘さんはいるの?
あと何歳になると?
まだまだ、お若い‼️
オートレースチームも飛行機も持ってるバイね❗
@@mourihistory
マジヵΣ(っ゚Θ゚;)っ
お金持ちのランクがちょっと高いばい
おいらじゃやとってもらえそ〜にないばい
こんにちは😃。
「用兵」という言葉を知らない人の方が多い中で語られる機会がある事は嬉しい。
6:28 対立関係でも能力に応じて人材を登用し対処させる点は今にも通用すると思います。無論登用する側の目も大切ではありますが😅。
会津抜刀隊についても巧妙というかガス抜きというか😅...政治に狡賢い部分は必要なのかもしれないが、それだけでもダメで要はバランスだとも思うんです。
政治ではなく用兵としての観点で会津抜刀隊を投入した効果は抜群であったのは間違いない。
また西郷軍の動きを事前に察知し部隊輸送等を素早く展開できた点も注目。用兵を生かすも殺すも第一に後方が機能しているかだと思います。
ヒロさん‼️
用兵。 なるほどね。
メチャクチャ勉強になります。
いつもながら‼️
やっぱり現場での経験がものを言うばいね
~(=^・ω・^)σ
日本は机の上で訳のわからんこと言う奴が多いばい
おおお‼️机上の空論バイね👍️
@@mourihistory
んだんだ
問題はそこちゃうねん的な
~(=^・ω・^)σ
おいらは上司でもおかしいものはおかしいと言うばい
まさか…賊軍の鑑三郎が出るとは思いもよらぬ出来事…。
小千谷談判が決裂し山縣か黒田が会っていれば避けられたと顔を青くした新潟戦争戦いの敵軍の将。
おおお! なかなか手厳しいですな🫢