名称目録的世界観を否定した男・赤ちゃんに戻りたくなる僕ら【ソシュール知ったかぶり講座3】 #18
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- เผยแพร่เมื่อ 16 ก.ค. 2024
- 「ソシュール知ったかぶり講座」のラストにあたる第3回。
ソシュールは「言葉の意味を積極的に定義することは不可能」という驚きの主張をしています。
そして、その主張を聞く僕らは赤ちゃんに戻りたくなります。どういうこと???
前回はこれ→ • ソシュールは言語学の"公理"を設定した【ソシ...
【目次】
00:00 今回はソシュール知ったかぶり講座の最終回。
00:43 ソシュールのすごい主張「音素と意味は体系をなす」。どういうこと?
07:58 「名称目録的世界観」をソシュールは否定している。全てのものは「~でない」でしか定義できない
13:17 意味は「集合」である。集合が分かってないと意味が分かってるとは言えない
17:00 「意味は集合」という話、ソシュールは言ってないけど「ラング」の定義から導き出せる。
21:23 文系と理系の違いとは?ソシュールは「文系」をやったのがすごい。
28:23 ソシュールをやったら人生がよくなった。
30:45 「ソシュール知ったかぶり講座」総まとめ
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ソシュール唯一の著書。いくつかの訳が出ているが、この新訳が一番読みやすい。とはいえ、初学者の方はまずは下からどうぞ。
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とっかかりとしては、まずはここから入っていただくのがベストかと。
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次にこれがいいと思います。↑と同じ著者ですが、話し口調で書いてくれているのがありがたいです。
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こちらは、『一般言語学講義』を読むゼミの実況中継のような本。少し難しいですが、面白いです。
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【堀元見プロフィール】
慶應義塾大学理工学部卒。専門は情報工学。
WEBにコンテンツを作り散らかすことで生計を立てている。現在の主な収入源は「アカデミックに人の悪口を書くnote有料マガジン」。
Twitter→ / kenhori2
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個人TH-cam→ / @kenhorimoto
【水野太貴プロフィール】
名古屋大学文学部卒。専門は言語学。
某大手出版社で編集者として勤務。言語学の知識が本業に活きてるかと思いきや、そうでもない。
【BGM提供】
・フリーBGM・音楽素材MusMus様 musmus.main.jp
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医者です。以前から薄々感づいてはいたことですが、医学は理系の皮を被った文系の学問ですね。臨床試験の結果などを並べて定量化した気になってはみるものの、実際に治療方針を決める時などはそんな数字は参考のひとつにしかならず、その人の人生観、生活様式、望みなど、定量化できない人文社会科学的な側面に大きく依存します。これは、医学が人間を物質的・定量的に説明しようとする一方で、それを部分的にしかできず、人間そのものを研究対象として特別視している学問だからだと、水野さんの説明を聴いて腑に落ちました。
うちの一歳児に「これ」を教えたらすべてのものを指差して「これ」と呼ぶようになりました。その後、親は両方ともママと呼び、パンをパパと呼ぶようになりました。そろそろ、ママじゃない親がパパで、食べ物じゃない親がいると気がついてくれると思います。
>パンをパパと呼ぶように
かわいそうで吹くwww
消極的な定義しかできないので、「パパじゃないもの」の集合の中にパンが入るのを待つしかないですね!!
なんか笑えました笑
食べ物でない親の存在……
小さいからと言ってやたらスネをかじらせるべきじゃないですな
マリーアントワネット「ミルキーはパパの味」
@@ATI_PC マリーアントワネットは言語学者だった…?
おかんの記憶力は有限なのでコンシューマーゲーム機の個別の品名を記憶することができず、全てファミコンという集合に入れて理解している。ということですね。
このコメントすき
そこは「記憶の区切りも体系」説を推したいですw
プールの喩えに戻ると、おかんの記憶が有限のプールで、しかもウキを増やす気皆無。ウキを食べ物の相場にたくさん割いてるから、「ファミコン」の網目がめちゃくちゃ緩くなってしまった、とかどうでしょうかww
そのブイを増やす作業をミルクボーイがやったということですね
『うちのおかんがテレビに繋いでピコピコやる奴の名前忘れてもうたらしいねん』
『それはもうファミコン一択やないかい』
『でもなあ、おかんが言うには新しいゲームはプレイストアで買えるらしいねん』
『ファミコンとちゃうやないかい!!!』
『でもなあ、こないだ全然ゲームがロードせーへんからって言うてカセットの裏ををフゥーッってやっとってん』
『ほなそれファミコンやないかい!!!我々の肺活量は学校の体育の授業でよりもファミコンのカセットに息を吹きかけることによって成長してきたのよ!』
みたいな?(関西弁下手ですみません)
@@ryogamatsui7236 そのネタありました?ってくらい完成度高い(なお大阪人)
ファミコンもうやめなさい!
これを聞いて、元ホストの実業家、Rolandさんの『俺か、俺以外か』にソシュールみを感じました。
言われてみるとあのタイトル、めちゃくちゃ大胆なプールの分け方してて最高ですね。「ソシュールみ感じ本」だ。
星座に詳しい人からすれば、星空を見て星座を認識できない私たちが赤ちゃん
僕らはみんなチョコレートがついたビスケット菓子が好きだった。
でもあるとき、どこからかプールの浮きが流れてきて、キノコ派とタケノコ派に分けられてしまったんだ…
とても悲しい話
😘😘😭👍
以下、言語でもソシュールでもありません!ただの妄想です!
チョコ&ビスケット戦争は別名「チョコ大航海時代」と呼ばれている。(『偽カノッサの屈辱』より)
【1966年】グリコが串カツをヒントに新商品「ポッキー」を開発(第二章「陽の沈まぬスペイン」)
【1975年】キャルミン=チョカール(カルミン,キャラメル,チョコ,カール)の明治がアポロ製造ラインを
利用して「キノコの山」に着手。「きのたけミーム」の淵源となる。(第三章「オランダ独立と東インド会社)
【1994年】柏崎クッキー朝ブルボンが「ルマンド」コーティング家からチョコ部門アルフォートを出航。
「きのたけ論争/チョコとビスケットの黄金律」の発端となる。(第四章「イギリス帝国主義と公認海賊」)
@@user-fn8rx6wc5w なるほど🤔明治の山里における大戦争も、歴史の大局から見れば必然であったということですね。
同じ思想を起源とするものも、それらが乱立し愛するものも増えれば、差異に目が行き差異が際立つ。
おぉ人間よ、チョコビスの個性を愛したまえ。差異を認めた先に愛と平和は訪れん。
ソシュールよ、あなたはいったいどこへ行かれたのですか。
辞書で意味のループに入ったりするのはソシュール的には正しいんですね。
例えば「男」を調べると「人間の性別で女でない方」と出たり。
不完全な定義しやがってと思ってたけどこれでいいんだって思えました。
動物のプールで「オオカミ」とでてきたとき、とっさに「あれオオカミって大神のことかな?語源しらべてみよう」となりました。普段スルーしていること、いかに脳のメモリを使わないように単語を用いているかを、このラジオがきっかけで意識するようになりました。
一度言葉を覚えてしまうと赤ちゃんのような区切りのない認識はできないですが、語彙を増やしブイを増やせばどんどん滑らかなグラデーションになっていって、限り無く赤ちゃんの認識に近づくことはできるかもしれませんね
最近いろんな言語に触れるようになって、体感的に「単語は1対1で対応しているのではなく、意味する範囲自体が言語によって違う」と感じていたのがプールのブイの話で納得しました。
これを学生時代に知っていたら、英単語の辞書で箇条書きされた意味をやみくもに覚えることもなかったのになぁと思います。
言語が分節する前の世界を大人でも見ることが可能であり、またそれをしなければならない(悟りの入り口だから)とするのが仏教の基本ですね。その方法が座禅を基礎とする瞑想。(言語的認識世界を無理やりぶっ壊す技法が禅の公案)
「都会」と「田舎」の例もそうですね。
「田舎」は「都会」という概念ができたことで相対的に「田舎(現代的な意味の)」と定義できるのであって、
「田舎」そのものだけで意味は定義できませんもんね。
確かに田舎の説明をする時に、電車がないとか電気がないとかって言うのは、都会じゃないって説明しているとこに等しいですね
まさに吉幾三さんの『俺ら東京さ行ぐだ』ですね。
歌詞で、「東京」(都会)ではない「こんな村」を「テレビも無ェ ラジオも無ェ 自動車(くるま)もそれほど走って無ェ」としてますね。
「単語は『〜でない』といった意味で定義されるしかない」というのが仏教の色即是空(物質は本質的には存在せず、人間の勝手な分類によって出来上がるだけだから執着するのはナンセンスだ的な事)と似た様な考え方に至っているのは面白いですね。
(同じ様な意味でも東洋哲学を通して言われると「何言ってんだ」的な感想が浮かぶのに西洋学問を通すと「なるほど」と腑に落とせるのが面白い)
言語学なんて今まで1mmも興味なかったけどこの連作見てソシュール大好きになりました。ソシュール沼にハマりました。
飲みの席でドヤって嫌われそうです。
プールの話はカラーパレットに言葉でどうやって線引きするかって言い換えてもわかりやすそう
「赤ちゃんになりたい」
っていうのも「犬だか狼だかわからない動物」とか「なんて表現されるか全然わからない色」とか見ることで擬似体験にはなるのかな。そういう意味だと絵描きとかミュージシャンみたいなアーティストはそれに近い、単語で説明できないものを感覚で表現をしてるような気がする
「知識が増えると世界の解像度が変わる」みたいな言説はあちこちにあるけど、そういったものがちゃんと学問に裏打ちされていることを知った時はやっぱり感動する
28:33
言葉の恣意性とか単語間の意味の切り方を説明する場合、色(グラデーションやスペクトラム)を引き合いに出すのが分かりやすいと思います。
黄色と青の違いは連続するどこかの色をある場所で切ったものでしかないし、しかも言語間で違うし、昼と夜でも周波数が違うのに同じ色として考えてしまっているし。
しかも色覚異常のひとだと赤と緑の「意味の違い」が分かりにくいという事も起きるし。
言葉の意味って"である"と断言するより"でない"ものを特定していったほうが厳密になるなーとはずっと思ってた
これ無料で見れるのヤバすぎ
「高所」という言葉の意味は、「低所」という言葉との相対的な関係によって決まる。「高所」という言葉の意味が独立に自存しているのではなく、まずはじめに差異があり、それによって各言葉の意味が決まる、というのがネガティブな差異の体系ということなんですかね。意味が集合であるというところの話は、実質と形相(小林英夫訳)の議論も思い出しました。
古い文章、例えば聖書を読む時はその浮きがどの程度の範囲で区切っているかを意識する必要がある。
例えば「第一のラッパが鳴った」という文章は現代の感覚では単に「(ラッパのような形をした)スピーカーから大きな音がでた」かも知れない。
あるいは、「巻物を食べた」とあるけど、どう考えても巻物(裏にも面にも字が書いてあるのに驚いてる時代、今の感覚では書物)を読んだになる。つまり、「食べた」の範囲に「読んだ」も含んでいる。
そう考えると禁断のリンゴを食べたとあるのは、禁断の知識の書物を読んだと解釈ができる。
世界が言葉で分類されてない赤ちゃんの視点に憧れつつ、結局網の目を細かくしていきたいという矜持に辿り着くのが、アンビバレントで興味深かったです。
広さの決まったプールの中を数え切れない数の浮きで埋めつくしたら、それはまた視点を変えれば「均質化されたもの」として認識されるのかなぁと感じました。赤ちゃんのプールは水によって全てが均質に見えるけど、究極の細かい網の目は布のようになってそれもまた別の均質である的な…
言語学に限らず学問ってのはマニアかつ話し上手の人の説明か否かで魅力が簡単に増減するね。つまり言語学めっちゃおもろい。
「赤ちゃんに戻りたくなる」思想に率直に共感したし、学問の未来を感じました。
学問を追及して行った先に、
「ピュアさ」の価値が見えると言う事、
それはつまり、「ピュアさ」を保持している未来の学徒にしかない感性があり、その新しいピュアな感性によって学問がアップデートされ続けて行く希望を感じました。
コペルニクスによる、"天道説→地道説"のような発想転回が未来を作り続けて現世に至るまでの知の歴史となった。
ロマンを感じますねぇ。実に面白い。
(26才、男性、プログラマ)
以前バイトしていた焼肉屋には『カルビ』というメニューが無く、『カイノミ』『ササバラ』『タテバラ』などのより細かい部位で表記していました。しかしお客様に違いが分かるはずもなく、メニューを見ずに「取り敢えずカルビ」のオーダーが後が絶ちません。『部位が見えていない世界』は大人でも認知していないだけで身近にありそうです。
切り分けられていない世界観って禅の極致みたいな感じ
まじで最高のチャンネルだ………わかりやすく面白い!
これまさにウチの娘がバイリンガルに育った過程です。赤ちゃんの時、ものに2つ以上の名前があることを全く不思議に思わず自然に吸収していた状態です。
《肩こり》の由来は、夏目漱石が小説に【頚と肩の継ぎ目の少し背中へ寄った局部が石のように凝っていた】と書いたのが始まりで、それから《肩こり》って言葉が日本中で使われるようになった。
それ以前から肩に違和感を覚えるような症状はあっただろうけど、それを症状として訴える人は少なかった。ところが《肩こり》と言う言葉が生まれてそれを意識する人が増え、国民病と言われるまでに誰もかしこも肩こりに悩まされるようになった。
外国人には肩こりが少ないと言われている。一部には日本人に肩こりが多いのはお辞儀の習慣が要因になってると適当なことを言ってる医療関係者もいるようだが、それが原因になるほどお辞儀ばかりしてる人を見たことが無い。
近頃は日本在住の外国人が増え日本語話者も増えて来た。そうした人の中にも《肩こり》と言う言葉を覚えた後に《肩こり》に悩まされる外国人も増えているらしい。
イスをゲシュタルト崩壊するまで見つめればイスという概念が薄れてちょっぴり赤ちゃんになれるかも
これは最高に素晴らしいチャンネル!!
みんなで広めよう!
ほりもとさん(であってる?)は本当に聞き上手。お坊さんに向いてると思います。
後半の水野さんの怒涛の語りめっちゃ面白かったです!言語学自体の解説もとても興味深く聞いていますが、実際研究してきた人が何を面白く思っているかって話を聞くのも楽しい!
抽象画を眺めているときは割と「赤ちゃん目線」に近い感覚なんじゃないかなと思いました
いつも楽しみにしています。堀元さんの司会志進行まとめ力が素晴らしく、分かりやいです。
23:40 理系と文系の本質的な違いとは、みたいな話はいろいろ聞いてきましたが、水野さんの話が一番腑に落ちました
数字にプラスという概念がなかったのに、マイナスが出現したことで、元の数字にプラスがついたことに似てるかもしれない。
服というのは和服を指していたのに、洋服が出てきたことで和服と呼ぶようになったり。
機関車というのは蒸気機関車を指していたのに、電気機関車を表していたのに蒸気機関車と呼ぶようになったり。
〜でない でしか定義できないというのが、仏教の無我すぎて涙出そうでした。自分の存在は自分以外との関係性でしか表現できない。
概念というものの本質なのかなとも思いました。そして生まれたときからプールの広さは決まっていて、物事を知るということが、ただプールの仕切りの解像度が高くなっていっているだけだと考えると胸アツでした。物事を知るというのはプールの広さが広がると今までは直感的に感じていましたが、ただ仕切り増やしているだけ。これは無限に細かくなるから、すべてのことを知るなんて不可能だなと。。。やばいですね。そしてプール的には最初からすべてのことを包括できているのがまたヤバい。そしてブイの大枠として、あるかないかという仕切り。その上にあるでもなくないでもない空(くう)があると。いろいろと気付き今興奮がやばいです。ありがとうございました。
「言語が世界を分節する」を学生時分に講義で知った時はかなりの衝撃を受けました。
正にコペルニクス的転回というか。
理系的学問に置いてこのように常識が覆る!みたいなこと(相対性理論や量子論みたいなやつ)はままありますが、文系的な所でもあり得るというのがまた別の驚きでもありました。
神回。
このラジオを聴いて語源収集の楽しさに目覚めました!難解なフランス哲学を理解をこれほどわかりやすい解説を聴けるのが大変嬉しいです。応援してます!
やった~~!!ありがとうございます!!!
これからも皆さんの新しい楽しみの世界を切り開けるように頑張って参ります!!!
個人的にこういう言語哲学の話は大変好きです。できたらどこかでウィトゲンシュタインシリーズもお願いしたいです。
面白かったです。この先生の話は分かりやすいですね。声のトーンもここちいい。
めっちゃめちゃ興味深い。。
つい最近見た「全てのカラスが黒いコトを証明するには?」をさらに深ぼっていった次元にあるようなハナシ。
大豆田とわ子というドラマで、「自分の好きなことを話す方の話は、分からなくても面白いです」という台詞があったんですがそんな感じでした 笑
虹の色は何色?といろいろな国の人に聞くと5だったり7だったり、すごいのは2色何て答える人もいるんだとか
赤ちゃんの脳は、視神経で受け取った電磁波をニューロン発火に変換した後、それを読み取る能力が育っていないので「見えてはいるのに理解できない」状態になっています。つまりきっと世界は繋がって見えていて、だからこそ「分かる」ことはできないのだと思います(分かることは分けること、でしたよね)。
ある時、「言葉に意味はない」という結論に達したのだけれど、そこから先は一歩も進めなかった。
「音」と「言葉」を分けて考えることで、
「音」に意味はなく、「言葉は恣意性が有る」と言うことが出来るのですね。
ソシュールすげぇ! 納得‼
「人生の9割はソシュール」読みたい題名ですね。
LR発音の話で思い出したのですが、
学校教育で『お(o)』と『を(wo)』の発音が、同じ『o』を使うと教えられて久しいにも関わらず、『を』を『wo』と発音する人が一定数いるのも面白いなーと思います。
世代だけでなく、地域で使っている場所もあるようで、方言として残っていくのか?既に方言なのか?
当たり前に使っている発音が、現在進行形で消えつつあるのか?人によって違う、ということが不思議で面白いです。
ボクは赤ちゃんを見るとその視界に言葉によって分割されてない世界がどのように映ってるんだろうかと羨ましく思います。ボクだけかもそれませんが言葉の恣意性について知ったことで世の中に絶対的な結びつきなんてないと勝手に解釈し、生きてることの息苦しさから楽になりました。
語彙を増やすようなちょっとヲタク的楽しみの嗜み的な扱いのことも、認識の細分化が生物として行動の精度を上げてくれるような時代が大昔にあったのだろうなと、ヲタク的趣味と生存的に関わる特性との間に何があるのだろうと想像してしまいますね。言語学面白いです。
投稿お疲れ様です。お二方の掛け合いは説明側と質問側に分かれていることで分かりやすく、また掛け合いも面白いので難解に思える最初は難しそうに思えたソシュールに関する説明を最後まで楽しく聞くことができました。
生まれてすぐ垣根の無い世界を見ていた人間は言葉によって一度分けられた世界を見るようになり、それから言葉によって得た知識が世界を関連付ける事でもう一度見える世界がつながってゆくと考えると感じるものがありました。
過去の動画を見返しながら新しい動画が投稿されるのを待っています。
文理を分ける解釈いいですねぇ
私は文字通り理を解き明かすか文化を解き明かすかの違いと見ていて
改めて思うと理は人が居なくたって変わらないけど文化は現状人無しでは存在しないので人存在が強く関わるっていうのは腑に落ちまくりますね
すごく面白いです!
8:33名称目録的世界観の否定
14:50a cat/the cat
21:30人間の性質から
23:00
文系(人間を特別視)⇔理系(人間も物理法則に従う)
ソシュールは文系
28:00
語彙が増えると世界を認識する網の目が細かくなる
30:10
分類するとは分かるということ
31:05三つ
ピュアな認識はもう出来ないから赤ちゃんに戻りたいっていうのすごくわかるなぁ
私はピアノとクラシック音楽が趣味なんだけど、1度記憶リセットしてまっさらな状態でベートーヴェンの交響曲を聴きたい
ここまで納得のいく文系と理系の違い初めて聞いた!感動!
理系畑の人間ですが、文系と理系の学問の違いの認識が水野さんのものとほとんど同じで笑った
堀本さんの聞き上手ぶりがすごい
仏教の「空」のことを聞いたとき、この動画を思い出しました。
「ソシュール回、ブイの話、プールの回だ!」と。教養ゼロのおばちゃんにも分かりやすく、しかも記憶に残るトーク。ありがたいです!
凄い!僕も同じく仏教の「空」を聞いてこの動画を思い出しました!
こうやって見返すと言語学についてまた深く理解できるような気がしてます!
「~でない」でないと定義できない。というのが、すべてがとけていくようで、快感でした。
哲学の講義でイデアを聞いた時の疲労感を感じました
最後の文系理系の違いの話、とても面白く感じました。
水野さんの「人間を特別視する」を聞く前の段階ですが、自分は「公理の自由度の高さ(人間の記憶力は有限も公理の1つと考えて)」と感じました。
学問の対象が「人間のある一部分の行動?言動?みたいなもの」であるからこそ、それに適した公理から学問を展開していくことで、今回の話にあったような定理を導けるんですね。
ユークリッドは当然万物を記述できるものとしてユークリッド幾何学を構成したと思いますが(そして後々にそれに反する幾何学の世界が出てくる)、初めから研究対象を人間に限定すると考えること自体確かに凄い着想に思います。
今でこそ自分はユークリッド幾何学に対する非ユークリッド幾何学のように知りたい世界や現象?によって公理を変えて学問が発展することに理解はできますが、ソシュールの時代にそういう考え方がまだ一般的なものではなかったのかな?
全然関係ないですが「公理の自由度が高い=人間に機能に限定している」からこそ非ユークリッド幾何学の様な別の公理の世界が、比較的妄想(つまるところSF?)しやすくてそれも面白いです。
記憶力が無限な生命体がいたら?、音声が1つに限らない生命体がいたら?、いつか宇宙人と交わる人間の未来が有ったとしてどうやって会話出来るようになるんだろうと。
そういう意味で立ち返ってみると別に知識もないので詳しく知りませんが前に話に出てきたイルカやコウモリですらも本当に人間の認識できる範囲外も含めて、本当に一対一対応の標識?の様な会話しかしていないとは言い切れるものなのかなという疑問もあります🤔
全てのものは「~でない」でしか定義できないって話、学生の時に青色は「青色でない色でない色」って聞いて衝撃を受けたのを思い出した
プールのブイの例え最高ですね
山、山にあらず。これを山という。
エースをねらえに出てきました。
数学では集合を同値類で割ると言う概念があって、例えば二つの整数a,bが同じということを
a-bが偶数
というルールで定めて、整数をこの意味で同じものに分けると無限個ある整数は奇数と偶数という二種類に分けれます
そう言ったものをかんじました
単語を「定義できるか」と「認識できるか」のどちらを重要視するかのせめぎ合いが発生して飲み込み切れない😂
論理的に間違いのない記述をするには消極的な定義しかできないのは分かるけど、実際は「間違っても関係ねぇや」って感じで大雑把に集合をとってる気がする!
英語から日本語、日本語から英語に訳せない言葉とかを頑張って翻訳する時、めっちゃ苦労したの思い出したなぁ…だいたい人の感情とか、過去を振り返った時にこう思ったとか、主観的な内容が難しかった。
言葉を学ぶって、それぞれの言語だけじゃなくて歴史文化とか、我々がどうこれらを捉えているのかまで学ばないといけないんだなって、蒙が啓かれました!
普段から無意識にやってることを研究者が発見したっていう言い回しがなんだか面白い
銀と金のラストですね。
森田が去り、銀さんがほぼ一人で競馬勝負で買って、どこまで行くのかモノローグで締めくくるシーンですね。
天もアカギの死を様々な死生観で語る圧倒的なラストで印象深かったです。
ラストではないですよ 結構序盤です
【新語・流行語】(私選・加除歓迎)
6:07 この場合の…はどういった字を書くんですか
11:56 僕の職業「ハーパーマルチコスモポリタンメディアクリエイター」
21:06 友達が、いなくなります
21:11 ソシュール警察
23:37 学問のうち、人間を特別視するか(文系)、人間も物理的な法則にしたがうものとしてみなす(理系)のか
23:48 含蓄ありますね~
23:58 やなやつ(笑顔)
28:40 ブイを増やす→世界を認識する網の目が細かくなる→違いがわかる人になる
30:19 人生の面白がり方もソシュールから学べる(人生の9割はソシュール)
楽しく、興味深く見させていただいています。さて、日本語を基礎として考えると。
「ネコ」と言うのはネコという型です。「このネコ」と言うのはネコの型の特定のインスタンスです。「タマ」も特定のインスタンスです。英語は型とインスタンスが未分化で型について述べる事が出来ない場合が多いので、aだとかtheだとかの単インスタンスか、sを付けて複数インスタンスを示す必要があるのです。例えば「リンゴが好き」というのはリンゴという「型:集合」についての論理であるにも関わらず、英語ではapplesだとかan apple だとかインスタンス化する必要があるため、面倒な感じになったのではないでしょうか?ソシュールが日本語を知っていたら別の結論に達したような気がしてなりません。
ソシュールとフロイトを足して二で割ったラカンに言わせると、両氏のおっしゃる赤ちゃんの状態を成人するまで引きずると、
世界が命名も形容も不可能な事柄で充満することになり、不安症や精神病に結びついちゃうということです。
サルトルの『嘔吐』ですね。
・・・昔ちょっとハマってただけのクチですが、お二人の楽しくお話しされているところを見るにつけ、
「フランス哲学、今振り返るとじめっとしてやがったんだなぁ」なんて、反省ひとしきりです。
毎度たくさんの引き出しからお話しされるお二人には敬服するばかりです。
サピア=ウォーフの仮説なんか、そのうち出て来ないかなぁとちょっとムズムズしてます。長文失礼。
犬にこれはダメって言っても伝わりにくい訳がわかった
犬は怒られてここは違うんだと一個一個経験してかないと分からないし単語がないからそれを頭の中で整理するのも人より時間がかかるんだろうな
ウイスキーを嗜むうえで、好みや違いが判ることが対応する語彙の増量に比例するのを感じていて、
結論の部分にいたく感銘を受けました。
ウイスキーの9割もソシュールやったんや!
私は学がないので、あまり詳しいことは言えませんが、
今回の話を聞いて、老荘思想の
"分別するところから不幸が生まれる"
というような考え方や、
「文字禍」の話を思い出しました。
朝5時に細君を車で職場へ送り
その移動中に聞いてました
家に帰ってきて動画が終わるまで5分ほどエンジンをかけたまま聞いて
終わったあとにそっと目を向けた雑草(カヤ)を見て
「えっと これはなんだっけ」
とボーッと眺めてました
動画を何回も見てみます
見終わった後にいつも思う事ですけど 30分位の動画が2時間の映画を見た後位の充実感があります…
いつもありがとうございます
今後も頑張って下さい
色即是空の世界観みたいですね→「~でない」でしか定義できない
「~でないでしか」のところで全然違うんでしょうけど ヘンペルのカラスが頭に浮かびました…
ソシュールは恣意性を持ち出してカバラを全否定しちゃった。神聖四文字にルーアッハなんてねぇよって言える度胸が凄い。
「猫を描いてください」この時点では集合であり個である。絵を描くことによって初めて猫という言葉が集約する。神はサイコロを振るのだろうか。(めっちゃ振ってる)
理系文系の区別は凄く納得がいく。
分類することは分かること。さらに”分” の漢字の成り立ちは “刀”で”一”を半分に分けた結果が”八”の字で表していると聞いたとき、すごいと思いました。
絶対相対の話から固定観念の話になり、具体抽象の話になり、文系理系の違いはあれど学問に共通する部分があって面白い。
この世を数学で記述するか概念で記述するか、言語そのものも学問に見えてきたりと、いろんな眼鏡を試してみたいと好奇心を掻き立てられる動画でした。
新種の生物や新しい物質も「今までに確認されいる同系統の種類とどれとも違うものである」が定義なので、とても似てますね!
色でいえば、日本語には昔「緑」という概念がなかった。
だから山を見て青々しいと言ったり、青リンゴや青のりみたいに緑色のことを青色と言っていたのを唐突に思い出した。
姪っ子が動物を見るとなんでも「わんわん」と言うはこういうことだったのか…
13:21 ここから英語のあの悩みに繋がったのに驚いた。ありがとうございます。
ソシュール大好きです(丸山圭三郎先生も)!おかげでレヴィ・ストロースもロラン・バルトも(少しだけど)理解できるようになりました。感謝。
僕は音楽のヘヴィメタルが好きなんですが、この音楽ジャンルはめちゃくちゃサブジャンルが多いです。(パワーメタル、ブラックメタル、デスメタル、スラッシュメタル、シンフォニックメタル、ニューメタル…etc)
ビールの話で、これは網目を細かくしている作業なんだなと一人で勝手に納得してました。
いやー面白かったです
僕も語彙増やして人生の解像度高くしますw
もっと早く知りたかったなぁ
ゆる言語学ラジオの「ゆる」は「ゆるい」だと思っていたけど、内容が全然ゆるくないから、私の思う「ゆるい」はラングではないのかもしれないと思い始めた。
けどそうか、ソシュールの言語学に比べるとたしかに「ゆるい」のかもしれない。
全ての他の物を否定したものをそうであるとする場合は問題は2つあるんすよね。
一つは知った後に単にそれだけを見た時に気づく手段が明確でないこと。
もう一つはフレーム問題。否定を全て終わらせた後にしか認識できないなら、酷くコストをかける。
でも新しいことを学ぶとき、プールのブイを増やすときは、否定の後に現れるんすよね。すごく好きな概念です
ソシュールの凄いポイント③
意味・音素は体系を成していると指摘した
(「音素の体系」と「意味の体系」の二重の体系)
文系大卒だけど理系研究経歴の私から見ると、お二人のやりとりは面白すぎで、ハマってます。
異分野合同学会の講演の質問時間切れ後の休憩時間のフロアトークや、そのガラパーティーのおしゃべりネタみたいな感じですかね。
本題ですけど、
「~ではない」を定義するって、「~である」を定義するのと、実質同じでは? 笑)笑)
二分木モデルの「4本足である」と「ではない」は同じ節(ノード)に繋がる1組の枝という意味で。
「~である/~でない」これは統計学で最初にやる「尺度」(「連続尺度/順序尺度/名義尺度」)の、「名義尺度」(男女の性別、試験の合否、・・・値はカテゴリだが順序に意味は無い)
自然界のものを形態的に「連続尺度」を使って(あるいは名義尺度も併用して)分類してみると、けっこう上手くいくことが多いと思いますが、それぞれの項目にどう重み付けをするのか、視覚的モデルをどう提供するのか、という問題も生じると思います。
これら問題は、生物分類の系統樹の節(ノード)の位置が、DNA/RNA分析などで従来説が覆った例も多いわけで、系統樹をまるっと辿るって、巨大なあみだくじみたいで、既に人力では無理なので、機械化してますね。
水野さんの「プールに浮き」というのが、どうもピンときません。浮きは枡目のノード(交点、結合点)なのだろうと思いますが、枡目のロープなのか伸縮するものなのか?とか、枡目ごとの定員は?笑)とか笑)笑)
連続尺度を使った分類の視覚的モデルでは、2Dだと2項目の散布図と等高線or濃淡/色調ですかね。まあざっくりとカンで笑)、山頂部分と海面を決めていくわけです。海面を低くとれば「ひょっこりひょうたん島」のように2ピークになりますし、海面を高くとれば独立した種類となります。
視覚的には3Dまでいけますが、それ以上は・・・このようなチャンネルの話題ではないかと。
※統計学のほか、最近のプログラミング言語の演習/勉強会でも、「Fisherのアヤメ」あるあるなのかな?
大学で統計学の初歩の次くらいに習う「ロジスティック(名義)」「ブートストラップ」「(多変量)判別分析」などの分析手法の、有名なサンプルデータ「Fisherのアヤメ」を使った、統計ツールの演習/勉強会など、理系の人の多くが通る道。知らんけど笑)
※iris-virginica(アイリス・バージニカ) と iris-versicolor(アイリス・バージカラー) の2種を判別するモデル。使う項目は「がくの長さ」「がくの幅」「花弁の長さ」「花弁の幅」
※研究室予算で使えたり、大学生協を通して(クッソ高い市価より)安価に使える統計ツールには、たいてい数百の有名なサンプルデータが付いていると思います。
※医学/生物学分野の学会所属ですが、ある生物の認知を巡って、工学系の研究者との共同研究の講演を聞いたことがあります。(実際例とは違いますが)例えば花壇に侵入する飼い犬とタヌキを見分けるとか、テラスに飛んでいる蚊とユスリカを見分けるとか、「何の役に立つの?」「何が目的なの?」といった問いにより近づく発想法、解決案へのアプローチに、目が鱗でした。
6ヶ月の娘が寝てる間に視聴しています😊言葉を教えるのがもったいなくなりました(笑)
何年も前、学生の頃に授業でソシュールを知って、え、そしたら、あなたじゃないわたし、彼らじゃないわたししかおらんやん、これから就職活動して社会の歯車になるだけやんーと思ったらなんか生きるのがめんどくさくなりました。
だけどこの動画の「人間へのまなざし」「網の目が細かくなる」を聞いて、そんな悲観することもないかな?とちょっと明るい気持ちになれた!
楽器をやると、音楽で似たような体験ができるかもしれません。ひとまとまりで聞こえていた音楽の中のギターの音、ベースの音、ドラムの音、などを別々に認識できるようになり、解像度がどんどん上がっていきます。
格闘技で右ストレートパンチっていう技はどこを当てるかと当てるまでの軌道で命名されてるけど、
力の流れで切り分けると右のハイキックと同じ。
力の流れ方で動きの命名を分けるだけで判断コストが安くなった結果、実際にスピードが上がるみたいに、認識変えるだけで実際に身体を動かすパフォーマンスも変わったりしますよね。
語彙を増やすと体育ができるようになるの頭と身体の地続き感あって面白い。