ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
00:00 自動字幕ONにしたら冒頭の挨拶「さっどうも綿貫です。」が「サードはタヌキです。」となって草生えた。
「昨日、悲別で」懐かしいです。北の国からの倉本脚本で少し暗めの青春ドラマ。かぐや姫版の「22歳の別れ」がテーマ曲でした。この動画を見たらいつか行ってみたくなりました。
分かる、その気持ち。
懐かしいです、平成元年夏、2回目の北海道旅行で、気になり1回だけ上砂川支線乗りました、周遊券でタダ乗りでしたけど記念に車掌から、切符買った思い出あります、
0:20このイミフな選定基準のおかげで伊勢線が廃止されたんですよね
上砂川駅=悲別駅って、ロケ地だったのですね。駅名標が表裏で、JR(上砂川駅)国鉄(悲別駅)仕様がいいですね。
『悲別ロマン座』は見に行ったことがあるんですが、ドラマ放映後も維持保存しているのに驚きました。上砂川駅はこんな風になっているのですね。炭鉱町は今はどこもさびれていて、町全体が何とも言えない雰囲気に包まれている所が多いですね。『幸せの黄色いハンカチ』を見ると、その頃はまだ街が元気だったんだなと気づきます。
前回の歌志内線の動画からオリンピック動画を挟んでじらして投稿する戦略ニクくてすき
さらにスーツさんとコラボ動画も挟んでいました。
やっぱり北海道って映画やドラマに「廃止された」所使うの上手だなぁ。最近だと豊平区にあったテレビ局でドラマ作ってたし、北海道ほしテレビとして。
北海道の鉄道=倉本聰氏のドラマと自分は感じる(これと北の国からだけだけど)後は朝ドラと鉄道員かな?
旧上砂川駅は「昨日、悲別で」以外にも、高倉健主演の「駅-STATION」でも、根津甚八扮する犯人への大捕物のシーンで使われました。
広尾線シリーズも見てみたいのでお願いします
岩内線の廃止時や志文駅なんかも昭和のドラマに使われていました。
楽しみに続編待っていました!
廃線が現実身を帯びて来た時、乗車したことがあります。最初で最後になりましたが、本線の砂川駅から長い跨線橋を渡り、離れていたホーム。ドアを閉め忘れて他人から睨まれたことを覚えています。何よりも初めて北海道に行ったので違いが多いことに驚いた。
悲別ってすごいネーミングだよな…
2:40 隣が“ひがしうずら” うずら、と聞くと(鳥の)うずらが思い浮かぶけど、北海道は音に無理やり漢字を当てはめた地名多いから多分関係ないだろうな…と思っていたら、漢字表記が本当に鳥の鶉(うずら)だったのでびっくり。少し調べたら、福井県坂井郡鶉村(現:福井市)出身の方々が入植・開拓したのでこの地名が付けられたそうです。
自分が乗りに行ったときはキハ22ながら専用車で、車体に三羽の鶉が描かれてたな。
乙です😊今回動画時間が8:10なのは、何かしらのリスペクトか・・
長くなるからここでは理由は言わないけど、上砂川駅舎の移築はあらゆる点で残念としか言えない。客車や貨車は以前は鶉駅にあった物ですが基本的にこの路線とは無縁ですし。鶉駅の喫茶店は2010年以前に廃業していたと思いますが、今思うと一度くらい行っておくべきだったなぁ…
けっこう良い雰囲気のホームや駅が有ったのですけど再開発されてしまったんですね。現役時代の鶉 東鶉の駅のホームの電灯が 電球で場末感が高かったんですよ廃線=衰退でなく廃線→発展 喜ぶべきなのでしょうね
上砂川支線は1985年と'94年廃止当日に乗りました。砂川駅の長い跨線橋が懐かしいです。函館本線の一部ですが本線なのに廃止になってしまいました。函館本線山線は北海道新幹線札幌延伸時に廃止とは残念です。本線で廃止になったと言えば1989年廃止の名寄本線を思い浮かべます。名寄本線は1986年と'89年廃止数週間前に乗りました。
ロケ地の駅で言うと、留萌線の恵比島駅もですね(今のところ現役ですが)
上砂川駅舎は、90度角度を変えて北へ200メートルほど移設しています。側線がいくつもありましたので。都市計画の都合上の移設だと考えられます。上砂川支線は、昭和42年5月(時刻表復刻版参照)には15往復で、歌志内線の11往復を凌駕していました。ただ、上砂川と歌志内の間には小さな峠があったので、同じところを走っているという感覚は、地元の人でもなかったようです。鶉駅舎は、「うずら館」と同じ建物です。鉄道営業当時は喫茶店が営業していました。その後食堂などを経て廃屋状態。
峠と言うにはチープですがバス停で「文殊峠」と言う所がありますね。都市計画的なものではショッピングモールを誘致するような事を地元民が言ってましたが私はこんな所に?なんて思ってましたね。案の定ショッピングモール誘致は頓挫して現在は地の利の良い滝川の国道沿いが賑わっています。
@@北斗一裂拳 閉山時、上砂川町役場をはじめ市街地の大半の土地が炭鉱会社のものでした。上砂川支線は、キハ22最後の活躍路線で、車両に鶉の絵が描かれていました。
私の勝手な想像ですが、上砂川駅の元の位置は、赤平奈井江線沿いの公衆トイレが在る辺りではないかと勝手に想像しています。実際の処、どうなのでしょうか❓残念ながら、私が上砂川駅跡を訪れた時に地元の方がその周囲に居なかったので、残念ですが、確認をしようが有りませんでした。
懐かしい。「昨日、悲別で」
モニュメントも何もないところに上砂川町の無関心さが伺い知れるようですね
悲別ときくと、伊勢正三の22歳の別れが脳内をグルグルしてしまう昭和脳(笑)
昔、悲別駅(上砂川駅)に18きっぷ使って行きました。当時22才の別れが流れる中、制服姿のおっぱい(石田エリさん)が好きだったなぁ。
5:29 入口がブルーシートで覆われている建物が鶉駅の駅舎だったようです。無人駅になってから駅舎の中で喫茶店が営業してたそうで。これ修復すれば観光に活用できそうなんですけどねぇ…。そこまでのお金はないか。
前回の動画から大分空いていますね(間に五輪関連やスーツさんとコラボ動画あるけど)。割と最近に廃線なったのね。1:13の「あいてるよ」は草。
昔 🚂📸 撮りに行ったな~🙂
@@OHAGIRLFAN ありがとうございます📸🙂
若いなあ 学長 「きのう 悲別で」じゃなくて「さくじつ かなしべつで」なんだなあ。 まあワシもジジイに成ったからポスターの顔は天宮良サン 女優を薄ら記憶しましたが石田えりサンと思いました! しかし検索無き少年時代の記憶で時刻表で思わず探して謎を令和の今に解けて助かりました。ありがとう 学長様
リアルタイムでドラマを見ていましたが、読みは「きのう、かなしべつで」だと記憶しています。wikiでもそう表記されています。
車掌車と客車の向き、合わせられなかったのかな…
ほぼ並走するところを走る支線にも存在価値あったんですね…
「鶉」って鳥の鶉が由来なんだろうか
鶉の地名は、福井県福井市鶉村からの入植者たちが多くいた。というのが由来になってますが、鶉地区の類似地区には下鶉・東鶉・鶉・鶉本町などあります。しかし、鳥のうずらからの由来というよりも鶉という地名の初出の史料を遡ると、1780年頃から非常に多くなってるということ1700年強くらいからウツラという地名が資料にで始めてることを鑑みると、アイヌ語由来の言葉というのが有力な説であると思います
00:00 自動字幕ONにしたら冒頭の挨拶「さっどうも綿貫です。」が「サードはタヌキです。」となって草生えた。
「昨日、悲別で」懐かしいです。北の国からの倉本脚本で少し暗めの青春ドラマ。
かぐや姫版の「22歳の別れ」がテーマ曲でした。
この動画を見たらいつか行ってみたくなりました。
分かる、その気持ち。
懐かしいです、
平成元年夏、
2回目の北海道旅行で、気になり1回だけ
上砂川支線乗りました、周遊券でタダ乗りでしたけど
記念に車掌から、切符買った思い出あります、
0:20このイミフな選定基準のおかげで伊勢線が廃止されたんですよね
上砂川駅=悲別駅って、ロケ地だったのですね。駅名標が表裏で、JR(上砂川駅)国鉄(悲別駅)仕様がいいですね。
『悲別ロマン座』は見に行ったことがあるんですが、ドラマ放映後も維持保存しているのに驚きました。
上砂川駅はこんな風になっているのですね。
炭鉱町は今はどこもさびれていて、町全体が何とも言えない雰囲気に包まれている所が多いですね。
『幸せの黄色いハンカチ』を見ると、その頃はまだ街が元気だったんだなと気づきます。
前回の歌志内線の動画からオリンピック動画を挟んでじらして投稿する戦略ニクくてすき
さらにスーツさんとコラボ動画も挟んでいました。
やっぱり北海道って映画やドラマに「廃止された」所使うの上手だなぁ。
最近だと豊平区にあったテレビ局でドラマ作ってたし、北海道ほしテレビとして。
北海道の鉄道=倉本聰氏のドラマ
と自分は感じる(これと北の国からだけだけど)
後は朝ドラと鉄道員かな?
旧上砂川駅は「昨日、悲別で」以外にも、高倉健主演の「駅-STATION」でも、根津甚八扮する犯人への大捕物のシーンで使われました。
広尾線シリーズも見てみたいのでお願いします
岩内線の廃止時や志文駅なんかも昭和のドラマに使われていました。
楽しみに続編待っていました!
廃線が現実身を帯びて来た時、乗車したことがあります。最初で最後になりましたが、本線の砂川駅から長い跨線橋を渡り、離れていたホーム。ドアを閉め忘れて他人から睨まれたことを覚えています。何よりも初めて北海道に行ったので違いが多いことに驚いた。
悲別ってすごいネーミングだよな…
2:40 隣が“ひがしうずら”
うずら、と聞くと(鳥の)うずらが思い浮かぶけど、
北海道は音に無理やり漢字を当てはめた地名多いから多分関係ないだろうな…と思っていたら、
漢字表記が本当に鳥の鶉(うずら)だったのでびっくり。
少し調べたら、福井県坂井郡鶉村(現:福井市)出身の方々が入植・開拓したのでこの地名が付けられたそうです。
自分が乗りに行ったときはキハ22ながら専用車で、車体に三羽の鶉が描かれてたな。
乙です😊
今回動画時間が8:10なのは、
何かしらのリスペクトか・・
長くなるからここでは理由は言わないけど、上砂川駅舎の移築はあらゆる点で残念としか言えない。客車や貨車は以前は鶉駅にあった物ですが基本的にこの路線とは無縁ですし。鶉駅の喫茶店は2010年以前に廃業していたと思いますが、今思うと一度くらい行っておくべきだったなぁ…
けっこう良い雰囲気の
ホームや駅が有ったのですけど
再開発されてしまったんですね。
現役時代の鶉 東鶉の駅の
ホームの電灯が 電球で
場末感が高かったんですよ
廃線=衰退でなく
廃線→発展 喜ぶべきなのでしょうね
上砂川支線は1985年と'94年廃止当日に乗りました。砂川駅の長い跨線橋が懐かしいです。函館本線の一部ですが本線なのに廃止になってしまいました。函館本線山線は北海道新幹線札幌延伸時に廃止とは残念です。本線で廃止になったと言えば1989年廃止の名寄本線を思い浮かべます。名寄本線は1986年と'89年廃止数週間前に乗りました。
ロケ地の駅で言うと、留萌線の恵比島駅もですね(今のところ現役ですが)
上砂川駅舎は、90度角度を変えて北へ200メートルほど移設しています。側線がいくつもありましたので。都市計画の都合上の移設だと考えられます。
上砂川支線は、昭和42年5月(時刻表復刻版参照)には15往復で、歌志内線の11往復を凌駕していました。
ただ、上砂川と歌志内の間には小さな峠があったので、同じところを走っているという感覚は、地元の人でもなかったようです。
鶉駅舎は、「うずら館」と同じ建物です。鉄道営業当時は喫茶店が営業していました。その後食堂などを経て廃屋状態。
峠と言うにはチープですがバス停で「文殊峠」と言う所がありますね。
都市計画的なものではショッピングモールを誘致するような事を地元民が言ってましたが私はこんな所に?なんて思ってましたね。
案の定ショッピングモール誘致は頓挫して現在は地の利の良い滝川の国道沿いが賑わっています。
@@北斗一裂拳
閉山時、上砂川町役場をはじめ市街地の大半の土地が炭鉱会社のものでした。
上砂川支線は、キハ22最後の活躍路線で、車両に鶉の絵が描かれていました。
私の勝手な想像ですが、
上砂川駅の元の位置は、赤平奈井江線沿いの公衆トイレが
在る辺りではないかと勝手に想像しています。
実際の処、どうなのでしょうか❓
残念ながら、私が上砂川駅跡を訪れた時に地元の方がその周囲に
居なかったので、残念ですが、確認をしようが有りませんでした。
懐かしい。「昨日、悲別で」
モニュメントも何もないところに上砂川町の無関心さが伺い知れるようですね
悲別ときくと、伊勢正三の22歳の別れが脳内をグルグルしてしまう昭和脳(笑)
昔、悲別駅(上砂川駅)に18きっぷ使って行きました。当時22才の別れが流れる中、制服姿のおっぱい(石田エリさん)が好きだったなぁ。
5:29 入口がブルーシートで覆われている建物が鶉駅の駅舎だったようです。無人駅になってから駅舎の中で喫茶店が営業してたそうで。
これ修復すれば観光に活用できそうなんですけどねぇ…。そこまでのお金はないか。
前回の動画から大分空いていますね(間に五輪関連やスーツさんとコラボ動画あるけど)。割と最近に廃線なったのね。1:13の「あいてるよ」は草。
昔 🚂📸 撮りに行ったな~🙂
分かる、その気持ち。
@@OHAGIRLFAN ありがとうございます📸🙂
若いなあ 学長 「きのう 悲別で」じゃなくて「さくじつ かなしべつで」なんだなあ。 まあワシもジジイに成ったからポスターの顔は天宮良サン 女優を薄ら記憶しましたが石田えりサンと思いました! しかし検索無き少年時代の記憶で時刻表で思わず探して謎を令和の今に解けて助かりました。ありがとう 学長様
リアルタイムでドラマを見ていましたが、読みは「きのう、かなしべつで」だと記憶しています。wikiでもそう表記されています。
車掌車と客車の向き、合わせられなかったのかな…
ほぼ並走するところを走る支線にも存在価値あったんですね…
「鶉」って鳥の鶉が由来なんだろうか
鶉の地名は、福井県福井市鶉村からの
入植者たちが多くいた。というのが由来になってますが、
鶉地区の類似地区には下鶉・東鶉・鶉・鶉本町などあります。
しかし、鳥のうずらからの由来というよりも
鶉という地名の初出の史料を遡ると、
1780年頃から非常に多くなってるということ
1700年強くらいからウツラという地名が資料にで始めてることを鑑みると、
アイヌ語由来の言葉というのが有力な説であると思います