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昌平坂学問所は名前は知っていた程度だったので、実態を詳しく知ることができ、勉強になりました。まさに武士教育の最高峰ですねそして、武士が幼少からどんな教育を受けていたかも知ることができよかったです 孔子の教え「中庸」についても詳しく解説していただきありがとうございます🙇今回も大変勉強になる動画でした現在の御茶ノ水の様子も映していただき、楽しめました
江戸時代が近現代日本に大きな影響を与えている事が垣間見れますね。動画をアップしていただきましてありがとうございます。
たとえ身分の低い家の出身であっても、 ”テスト” の成績が突出していれば幕府の要職に就くことができる、封建体制下であっても一部で「能力主義」を採用していたことが、江戸時代の柔軟で自由なイメージ(私の中で)に結びついていたのですね!納得です!!
例えば渋沢栄一も豪農出身だったんですが、幕末には幕臣でしたからね。
器の話、初めて知りました。ありがとうございます。教育はやっぱり大事ですね!
すごい勇気を貰いました。いつもありがとう
湯島聖堂は実感の近くです。男坂、女坂は良く登りました。江戸地図で見直そうっと😃
宥座の器は栃木県足利市の「足利学校」にもレプリカがありますよね
昌平坂学問所って何か見た事あると思ったら東大の前身だったね。江戸時代、鎖国しながら欧米に遅れを取らなかったのは学問の賜物。「和算」と言うとても進んだ数学があったそうだけどそれについてほーりーちゃんに解説して欲しいな。
すばらしい、事こまめに解説して貰い勉強になります。封建時代に身分関係なく役職抜擢、孔子の教えが活用実施、我が国の誇りである。明治以降、我が国が謙虚を忘れ、戦果で有頂天になり、中庸を忘れた結果、敗戦となったのでしょう。
こんばんは🌙😃❗江戸時代の「学問」の話し、大変おもしろかったです。この前、テレビ番組で「あるラジオ」で、「DJ日本史」にご出演でしたね。拝見しました。どんな風にラジオ番組を収録されているか判って、興味深かったです。
茉純さんお大変お疲れ様です。とても良いお勉強になります、僕は歴史はとても大好きですので、お楽しみにしています。
そうそう受験の時に湯島聖堂の御守りを持たされましたねー出産時には腹帯を戴いたのは人形町の(名前を失念💧)を戴いたものです😊
武士には文武両道が必須ですね❗我ら譜代大名も文武芸能に励みます❗
昌平坂学問所の話、興味深いですね。
宥座之器から学ぶ「中庸」って理屈ではなんとなくわかったような気になるけど、実践となるとかなり厳しい!あの器はぜひ観たい。足利にもあるんですね。情報ありがとうございます。
画像にコメント入れると、本当にそんな話をしてそうに見えるね。面白い😊
ほーりーありがとう!
昌平坂学問所といえば佐藤一斎やその門弟たちが有名なんだよね
孔子の教え、儒学、朱子学については石平さんの著作、江戸時代の儒学については茂木誠さんの動画が参考になる。江戸時代、徳川幕府が儒学を官学化したが、なぜ御三家の水戸藩が討幕のキーとなったか、国学が尊王攘夷の原動力になったか、など興味深い。たぶん、その影響は現代の日本にもあるのだと思う。
その中庸の解釈にはもう一つあり、満ち足りたものは一歩引き、足りてないように見せ相手を幻惑させ、その隙をつくと。足りていない、不安、不足、相手を騙し同情を誘い、騙して意のままに操る当時の思想です。現代では流石にこんな風には解釈できないのですが、こちらの解釈のほうが当時主流でした。
こんにちは!ホーリーさん家康公は確かに儒教、中でも朱子学を重用しました。朱子学は特に上下関係を重視し為政者には都合の良い学問と言われていますね。これは中国でも同じで、朱子学が生まれた宋代以降に歴代の王朝が重用しました。また古くから属国的存在の朝鮮王朝でも独自解釈の朱子学を重視しています。昌平坂学問所の公的な開設自体は確かに良い事と思いますが、朱子学以外の学問を禁じています、何故なんでしょうか。田沼時代は天災人災が多発し賄賂が横行、一揆や打ち壊しと世の中が乱れに乱れて幕府権威が大きく失墜した。ここからはあくまで自論(自説)になりますが、田沼時代の後の松平定信は上下関係を重視する朱子学で幕府権威の回復を狙ったんだと思います。田沼時代には朱子学を批判する一派も出て来ましたし様々な学問も出てきました。それらを牽制し幕府権威回復の為に朱子学を再重視し「寛政異学の禁」を行ったのではないでしょうか。中庸の教え、成るほどと思う処が有りますね。身近な処では食事の腹八分目も中庸の教えでしょうか???
近くに住んで居ても少しも学んで無かった自分を恥じております↘️
ほーりーさんのお声、優しくて聞きやすいです😊楽しく動画拝聴しました。江戸時代の人々が受けてきた教育、とても興味深いですね。武士が芸術も学んでいたことも、面白く感じました。大田南畝に興味があります。江戸の文人て、教養レベルが高くてユーモアもあったりして、すごく面白いですね。
中国の科挙とはちょっと違った教育のように思います。中国の場合は古典をガッチリと学んで皇帝の面前でその時代の社会を論じたりしてました(これは宋代以降)日本はそれに比べて緩いだけ自由が効いてたと思います。
(ちょっと脱線しますが)江戸って”坂”が多いのが魅力なんですよね〜。ロンドンやパリには坂はないもんね! (ま、ここから先はタモリさんの研究領域ですが笑)それと、ガチガチの階級社会ではあったけど、いっぽうで「猛勉強すれば大抜擢されるチャンスもあった」わけで。だから猛勉強する人が多かった。だから「インテリエリート」が多数輩出された・・とも言えるのかも。階級社会も、悪いことばかりではなかった。といえるかも。
映画たそがれ清兵衛のような環境って現実的にいたんですかね。おかかえなのにその日暮らしの武士。
明和期推しです。大田南畝、すごいんですね、実は。お仙とお藤とどっちが顔で勝っているかとか論じているただのスケベおじさんじゃなかったんですね。w
太田南畝、昔ドラマで植木等さんが演じてました。南畝ってこうゆうキャラなのかって思いました。
器は足利学校にもあります。儒学は現代にも必要かもしれません。
儒学を今教えれば、国際社会の一員になれません。日本も欧米諸国と同水準にならないといけないので、教育も合わせていく必要があります。
(*・ω・)ノやぁ勉強になります🙏
江戸時代の大学制度と明治維新後の大学制度改革江戸時代には、現代的な意味での大学制度は存在しませんでした。当時、高等教育機関としては、藩校や寺子屋などが存在しましたが、体系的な教育制度は整っていませんでした。明治維新後、近代国家建設を目指す新政府は、欧米諸国の制度を積極的に導入しました。大学制度についても、欧米諸国を参考に改革が進められました。具体的には、以下の国の大学制度が参考にされました。フランス: 大学を国家機関として位置づけ、中央集権的な管理体制を導入しました。ドイツ: 研究重視の大学制度を導入し、大学教授の地位向上を図りました。アメリカ: 選抜試験による入学制度や、自由な学風を取り入れました。これらの制度を参考に、1871年には「学制」が公布され、大学制度の近代化が本格化しました。その後、高等教育機関の再編や学制改革を経て、現在の大学制度へと発展しました。Doctorの日本語訳と欧米との文化の違い「Doctor」の日本語訳である「博士」は、森鷗外によって明治時代に定められました。森鷗外は、ドイツ語の「Doktor」を参考に「博士」という訳語を考案しました。欧米諸国では、Doctorは高い学識や専門性を有する人物に対する敬称として用いられ、名誉と尊敬の象徴とされています。一方、日本では、学術的な功績を称える学位名称として認識されることが多く、欧米諸国のような強い敬意は込められていない傾向があります。この違いは、欧米諸国と日本における学問に対する価値観の違いが反映されていると考えられます。欧米諸国では、学問は社会をより良い方向へ導くための重要なツールとして捉えられ、高い学識を持つ人物は尊敬されます。一方、日本では、学問は個人の教養を高めるためのものという側面が強く、必ずしも社会的な尊敬と結びついているわけではありません。近年では、日本でも欧米諸国のような学問に対する価値観が徐々に広がりつつあり、Doctorに対する敬意も高まってきているようです。
江戸も小中高みたいな区別はあったのでしようか? 寺小屋だけかと思ってました。
山本政恒は、やはり御徒町に住んでいたのかな?
学習院とかどうなの?
江戸時代、各地に武芸修練の道場が置かれていました。 この道場主たちには、悪人を切り捨てても御上からお咎めはなかったのでしょうか?
論語だったのかな🤔
可愛いと言ってもらえて嬉しい!一緒に楽しい時間を過ごせて嬉しいよ!
「風雲児たち」のカンニング侍しってる人🖐
儒学の教えや孔子の木これを🇨🇳のあの方送りたいです
江戸時代なら裏金バレたらハラキリだ。
この様な学問所通うのに当時の通貨または現代の金額にしたらいくらに成るのてすか
めちゃくちゃ可愛い🩷🩷
武士は龍馬伝によると上士と下士に分かれいた。下士は俸禄では家族を養えず農業に励む者いたとか?教育で言えば読み書きと武術は共通。数学界では有名な江戸武士も(名前忘れた)下士だったはずで算盤(計算)の達人と聞いた。算盤は下士の勉強では?その流れは今でも社会の底流に流れていて経理は女性のするものと言う風潮がある様な?
宥座之器の話は初めて知りました。非常に含蓄に富む話ですね。さすが孔子です。この話を聞いて、現在のポリコレやLGBT運動のことを想いました。
bgmをやめて欲しい
数学はなかったんだ?
もう一つ、幕府だけで無く日本中の藩で武芸修練は形だけになり(平和になったので)武士は刀は差しているもののじっさいは事務官僚となった、だから幕末の薩長との戦いに旗本は役に立たず新選組などを中途半端に使い負けてしまった もし家康が水戸学などをさせなければ江戸時代はもっと豊かな近代化を成し遂げていたと思う😷💸👂☺
なんか、孔子て言うと「習近平語録」の先駆者的な気がするのは気のせいだろうか( 一一)
達磨さんが転んだ。七転び8起き。だるま倒し、こっちのほうが孔子より偉い。
てめーラこの桜吹雪が見えないか。よう金さん。今日は難しい。
昌平坂学問所は名前は知っていた程度だったので、実態を詳しく知ることができ、勉強になりました。まさに武士教育の最高峰ですねそして、武士が幼少からどんな教育を受けていたかも知ることができよかったです 孔子の教え「中庸」についても詳しく解説していただきありがとうございます🙇
今回も大変勉強になる動画でした現在の御茶ノ水の様子も映していただき、楽しめました
江戸時代が近現代日本に大きな影響を与えている事が垣間見れますね。
動画をアップしていただきましてありがとうございます。
たとえ身分の低い家の出身であっても、 ”テスト” の成績が突出していれば幕府の要職に就くことができる、
封建体制下であっても一部で「能力主義」を採用していたことが、江戸時代の柔軟で自由なイメージ(私の中で)に結びついていたのですね!
納得です!!
例えば渋沢栄一も豪農出身だったんですが、幕末には幕臣でしたからね。
器の話、初めて知りました。ありがとうございます。
教育はやっぱり大事ですね!
すごい勇気を貰いました。いつもありがとう
湯島聖堂は実感の近くです。
男坂、女坂は良く登りました。
江戸地図で見直そうっと😃
宥座の器は栃木県足利市の「足利学校」にもレプリカがありますよね
昌平坂学問所って何か見た事あると思ったら東大の前身だったね。
江戸時代、鎖国しながら欧米に遅れを取らなかったのは学問の賜物。
「和算」と言うとても進んだ数学があったそうだけどそれについてほーりーちゃんに解説して欲しいな。
すばらしい、事こまめに解説して貰い勉強になります。封建時代に身分関係なく役職抜擢、孔子の教えが活用実施、我が国の誇りである。明治以降、我が国が謙虚を忘れ、戦果で有頂天になり、中庸を忘れた結果、敗戦となったのでしょう。
こんばんは🌙😃❗江戸時代の「学問」の話し、大変おもしろかったです。この前、テレビ番組で「あるラジオ」で、「DJ日本史」にご出演でしたね。拝見しました。どんな風にラジオ番組を収録されているか判って、興味深かったです。
茉純さんお大変お疲れ様です。
とても良いお勉強になります、僕は歴史はとても大好きですので、お楽しみにしています。
そうそう受験の時に湯島聖堂の御守りを持たされましたねー
出産時には腹帯を戴いたのは人形町の(名前を失念💧)を戴いたものです😊
武士には文武両道が必須ですね❗
我ら譜代大名も文武芸能に励みます❗
昌平坂学問所の話、興味深いですね。
宥座之器から学ぶ「中庸」って理屈ではなんとなくわかったような気になるけど、実践となるとかなり厳しい!
あの器はぜひ観たい。足利にもあるんですね。情報ありがとうございます。
画像にコメント入れると、本当にそんな話をしてそうに見えるね。面白い😊
ほーりーありがとう!
昌平坂学問所といえば佐藤一斎や
その門弟たちが有名なんだよね
孔子の教え、儒学、朱子学については石平さんの著作、江戸時代の儒学については茂木誠さんの動画が参考になる。江戸時代、徳川幕府が儒学を官学化したが、なぜ御三家の水戸藩が討幕のキーとなったか、国学が尊王攘夷の原動力になったか、など興味深い。たぶん、その影響は現代の日本にもあるのだと思う。
その中庸の解釈にはもう一つあり、満ち足りたものは一歩引き、足りてないように見せ相手を幻惑させ、その隙をつくと。足りていない、不安、不足、相手を騙し同情を誘い、騙して意のままに操る当時の思想です。現代では流石にこんな風には解釈できないのですが、こちらの解釈のほうが当時主流でした。
こんにちは!ホーリーさん
家康公は確かに儒教、中でも朱子学を重用しました。朱子学は特に上下関係を重視し為政者には都合の良い学問と言われていますね。
これは中国でも同じで、朱子学が生まれた宋代以降に歴代の王朝が重用しました。また古くから属国的存在の朝鮮王朝でも独自解釈の朱子学を重視しています。
昌平坂学問所の公的な開設自体は確かに良い事と思いますが、朱子学以外の学問を禁じています、何故なんでしょうか。
田沼時代は天災人災が多発し賄賂が横行、一揆や打ち壊しと世の中が乱れに乱れて幕府権威が大きく失墜した。
ここからはあくまで自論(自説)になりますが、田沼時代の後の松平定信は上下関係を重視する朱子学で幕府権威の回復を狙ったんだと思います。
田沼時代には朱子学を批判する一派も出て来ましたし様々な学問も出てきました。それらを牽制し幕府権威回復の為に朱子学を再重視し「寛政異学の禁」を行ったのではないでしょうか。
中庸の教え、成るほどと思う処が有りますね。身近な処では食事の腹八分目も中庸の教えでしょうか???
近くに住んで居ても少しも学んで無かった自分を恥じております↘️
ほーりーさんのお声、優しくて聞きやすいです😊楽しく動画拝聴しました。
江戸時代の人々が受けてきた教育、とても興味深いですね。
武士が芸術も学んでいたことも、面白く感じました。
大田南畝に興味があります。江戸の文人て、教養レベルが高くてユーモアもあったりして、すごく面白いですね。
中国の科挙とはちょっと違った教育のように思います。中国の場合は古典をガッチリと学んで皇帝の面前でその時代の社会を論じたりしてました(これは宋代以降)日本はそれに比べて緩いだけ自由が効いてたと思います。
(ちょっと脱線しますが)江戸って”坂”が多いのが魅力なんですよね〜。ロンドンやパリには坂はないもんね! (ま、ここから先はタモリさんの研究領域ですが笑)
それと、ガチガチの階級社会ではあったけど、いっぽうで「猛勉強すれば大抜擢されるチャンスもあった」わけで。だから猛勉強する人が多かった。だから「インテリエリート」が多数輩出された・・とも言えるのかも。階級社会も、悪いことばかりではなかった。といえるかも。
映画たそがれ清兵衛のような環境って現実的にいたんですかね。おかかえなのにその日暮らしの武士。
明和期推しです。大田南畝、すごいんですね、実は。お仙とお藤とどっちが顔で勝っているかとか論じているただのスケベおじさんじゃなかったんですね。w
太田南畝、昔ドラマで植木等さんが演じてました。南畝ってこうゆうキャラなのかって思いました。
器は足利学校にもあります。儒学は現代にも必要かもしれません。
儒学を今教えれば、国際社会の一員になれません。日本も欧米諸国と同水準にならないといけないので、教育も合わせていく必要があります。
(*・ω・)ノやぁ
勉強になります🙏
江戸時代の大学制度と明治維新後の大学制度改革
江戸時代には、現代的な意味での大学制度は存在しませんでした。当時、高等教育機関としては、藩校や寺子屋などが存在しましたが、体系的な教育制度は整っていませんでした。
明治維新後、近代国家建設を目指す新政府は、欧米諸国の制度を積極的に導入しました。大学制度についても、欧米諸国を参考に改革が進められました。
具体的には、以下の国の大学制度が参考にされました。
フランス: 大学を国家機関として位置づけ、中央集権的な管理体制を導入しました。
ドイツ: 研究重視の大学制度を導入し、大学教授の地位向上を図りました。
アメリカ: 選抜試験による入学制度や、自由な学風を取り入れました。
これらの制度を参考に、1871年には「学制」が公布され、大学制度の近代化が本格化しました。その後、高等教育機関の再編や学制改革を経て、現在の大学制度へと発展しました。
Doctorの日本語訳と欧米との文化の違い
「Doctor」の日本語訳である「博士」は、森鷗外によって明治時代に定められました。森鷗外は、ドイツ語の「Doktor」を参考に「博士」という訳語を考案しました。
欧米諸国では、Doctorは高い学識や専門性を有する人物に対する敬称として用いられ、名誉と尊敬の象徴とされています。一方、日本では、学術的な功績を称える学位名称として認識されることが多く、欧米諸国のような強い敬意は込められていない傾向があります。
この違いは、欧米諸国と日本における学問に対する価値観の違いが反映されていると考えられます。欧米諸国では、学問は社会をより良い方向へ導くための重要なツールとして捉えられ、高い学識を持つ人物は尊敬されます。一方、日本では、学問は個人の教養を高めるためのものという側面が強く、必ずしも社会的な尊敬と結びついているわけではありません。
近年では、日本でも欧米諸国のような学問に対する価値観が徐々に広がりつつあり、Doctorに対する敬意も高まってきているようです。
江戸も小中高みたいな区別はあったのでしようか? 寺小屋だけかと思ってました。
山本政恒は、やはり御徒町に住んでいたのかな?
学習院とかどうなの?
江戸時代、各地に武芸修練の道場が置かれていました。
この道場主たちには、悪人を切り捨てても御上からお咎めはなかったのでしょうか?
論語だったのかな🤔
可愛いと言ってもらえて嬉しい!一緒に楽しい時間を過ごせて嬉しいよ!
「風雲児たち」のカンニング侍しってる人🖐
儒学の教えや孔子の木これを🇨🇳のあの方
送りたいです
江戸時代なら裏金バレたらハラキリだ。
この様な学問所通うのに当時の通貨または現代の
金額にしたらいくらに成るのてすか
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武士は龍馬伝によると上士と下士に分かれいた。下士は俸禄では家族を養えず農業に励む者いたとか?
教育で言えば読み書きと武術は共通。数学界では有名な江戸武士も(名前忘れた)下士だったはずで算盤(計算)の達人と聞いた。
算盤は下士の勉強では?その流れは今でも社会の底流に流れていて経理は女性のするものと言う風潮がある様な?
宥座之器の話は初めて知りました。非常に含蓄に富む話ですね。さすが孔子です。この話を聞いて、現在のポリコレやLGBT運動のことを想いました。
bgmをやめて欲しい
数学はなかったんだ?
もう一つ、幕府だけで無く日本中の藩で武芸修練は形だけになり(平和になったので)武士は刀は差しているもののじっさいは事務官僚となった、だから幕末の薩長との戦いに旗本は役に立たず新選組などを中途半端に使い負けてしまった もし家康が水戸学などをさせなければ江戸時代はもっと豊かな近代化を成し遂げていたと思う😷💸👂☺
なんか、孔子て言うと「習近平語録」の先駆者的な気がするのは気のせいだろうか( 一一)
達磨さんが転んだ。七転び8起き。だるま倒し、こっちのほうが孔子より偉い。
てめーラこの桜吹雪が見えないか。よう金さん。今日は難しい。