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笙が鳴っている内に全ての楽器が入らないと笙から音取れないと思う。こんな見せかけなのが雅楽のチューニングなのか? 楽家錄にはそろって終わるって書いてあるけど。調子は入退場に奏するハズ。歩ける曲のハズ。音取化した調子ですね。これもあったのだろうけど音取が別にあるのだから、入退場用でいいじゃん。
コメント誠にありがとうございます。動画配信の担当者でございます。返信が遅れましたこと申し訳ございませんでした。今回の解説は英語でつけさせて頂きましたので、近々英語の和訳もつけさせて頂きます。またコメントなど頂けると嬉しいです。あなたのコメントに対しての私の考え(博雅会全体の考えではございません)も少し述べさせていただきます。まずは雅楽の笛ですがすべて竹でできております。私の横笛の師匠のお話ですと雅楽では一つの手付(いわゆる雅楽譜面の指の押さえ方を表す文字)に八段階ほどの音を吹き分けているものもあるとおっしゃっていました。また実際の音も単音ではありませんし、一定の音を持続させることも笛や篳篥では現実的にできないのです。 吹き分けているというのも師匠くらいの技術者では事実かもしれませんが、竹という植物性の不均一な構造の楽器と吹き入れる人間の息というものにより音が生み出されますので、機械のような正確な音は出せない。ということがあるのではないかと思います。私は篳篥吹きでございますが、湿度や気温などにより同じ楽器でも刻々とでる音が変化するのが雅楽楽器の本質でございます。さういう中でどこまで瞬時に正確な音が追求できるかということも雅楽の演奏家の技術になろうかと思います。また雅楽にはいわゆる音符はありません。基本は唱歌(しょうが)によって1300年以上歌い継がれてきたものであり、絶対音階ではなく人間の声で伝わってきたものです。芝祐泰先生の五線譜による雅楽総譜という著作もありますが、現在宮内庁に連綿として伝わるものはすべて口伝です。いわゆる譜面(手付け)と現在実際の演奏との乖離もしばしば経験されます。 ここで演奏されているものはすべてライブ演奏でございます。演奏前に合わせていた音が演奏時には変化することもしばしば経験しますので、すこし聞き苦しい音もあろうかと思いますが、そこはご勘弁頂けますと幸いです。また見せかけとありましたが、あくまでもパフォーマンス(確かに日本語にすると「見せかけ」)でございます。英語ではなるべく通常の人にもわかって頂けるよう西洋音楽に則って解説を作っておりますが、あくまでも音取はチューニングよりは次に演奏する調の雰囲気を伝えるための序章的なものと考えており、また次に演奏する当曲への準備でございますので、ここで一度音を確認するという作業が行われるのも事実です。 また音取ですが、この音取演奏が現在宮内庁で正式採用している演奏方法でございます。ここでは平調のみが音取であり、ほかは調子を音取形式で演奏しています。笙の音を感じながら篳篥が入り、徐々に笙は音が減衰していきますが、篳篥と笙がまだ演奏しているうちに龍笛が入り、短時間ですが三管で演奏している時間が存在します。したがって龍笛までは笙の音を感じることができます。続く弦楽器は龍笛の音を聞きながら入ります。糸物(弾物)である楽琵琶と楽箏は演奏しながらの調律はまず不可能ですので、一発勝負、音が狂っていたらそのまま弾くしかないのが現実です。そして音取が終了した時点で次に演奏する当曲のためにパフォーマンスではない本来のチューニングが笙の出す単竹の下に楽琵琶と楽箏が行うのが通例となっています。 調子の音取形式ですが、これも現在宮内庁で時に演奏されるパフォーマンスでございます。調子の吹きものの「退吹き:おめりぶき」を見せるためのパフォーマンスと考えています。 以上長くなりました。失礼申し上げました(博雅会動画配信担当者より)。
@@officialhakugakai1957 返信ありがとうございます。唱歌で歌い継がれてきたにも関わらず、古譜にある活き活きとした曲と現代の眠い演奏の差があるのは何故なのか?応仁の乱から江戸時代前期の雅楽の復興まで、宮中の雅楽は断絶していて、復興の時には宮中の雅楽を知る世代は居なかったそうですね。明治になって演奏を一本化するために編集したのが今の雅楽で、その演奏が古譜と全然違うのはどういう訳なのでしょう?明治選定譜を作った宮内庁の雅楽の楽人達の音楽性とか実力がかなり怪しいと思います。60-70年代に英国の音楽学者ピッケン博士が日本の現代の雅楽は元の4-12倍遅いテンポで演奏されていると言及してます。そんなに遅いテンポなら同じ運指で八段階も音を換えて吹けるでしょう。唱歌は楽器が充分に無かった時にとりあえず曲を覚える程度のものだったのでは?唱歌無しの古譜だけの演奏でもテンポが正しければ充分聞ける曲になってるし。原曲はどんなだったのか確認するために古譜を演奏することはないのでしょうか?あまりにも古譜と違うし、古譜の方がはるかに活き活きとしている。現在の雅楽の楽人はどういうつもりで雅楽を演奏しているのか非常に不思議です。音取と調子の古譜を読んでみましたが、対位法を用いて作曲されたものだと思います。なのでそれぞれの旋律が一定のテンポで演奏された時に生まれるハーモニーの妙に魅力があります。試してみたらそうでした。楽家録の鞨鼓の巻には四拍子と思われる譜があるから一定のテンポを刻んでいたハズ。現在の一定のテンポで演奏しない音取や拍子の妙はどこにあるのでしょうか?"フリーリズムカノン形式”。。。これが一定のテンポのものより魅力があるのかな?
@@YANAGITAtokinori 様博雅会画像担当者でございます。なぜ今のような雅楽になったのかは浅学の私にはわかりません。ただ宮内庁雅楽のもう一つの秘曲ともいわれる「神楽」とは異なり、いわゆる唐楽・高麗楽は由来が大陸ですし、もともとが燕楽の宴会の音楽ですので、特に唐楽などは明るく華やかでテンポのあるものであったと推察されます。それが日本では聖なるものとなり、また日本人の好みに変容していったのではないかと愚考します。明るくしっかりとしたテンポの曲よりも陰影のある間の入ったものを日本人は好むようにも思いますが、いかがでしょう。特に管絃は陛下の御前で演奏されるものなので、特殊な環境ではないかとも思います。入手可能な古い音源などは確かに管絃は現在の演奏よりもかなり速度は速いですね。 宮中の雅楽は確かにほぼ断絶したようですが、天王寺や春日大社などでは応仁の乱時も途切れることなく雅楽演奏は継続していたようですので、無くなってしまった曲や技術は多いものの技術的なものはある程度継承された可能性はないでしょうか? 退吹に関しては、雑然とした音に魅力を感じる人も現実的に少なくないように思います。以上は雑感でございます。お聞き流しください。 博雅会にご関心を持って頂き、ありがとうございます。Yanakita様のYuoutubeを拝見いたしました。素晴らしい活動ですね!これからのご活躍を楽しみにしております。(博雅会動画配信担当者)
@@officialhakugakai1957 戦乱の世になって宮廷に雇用されなくなった楽人が地下楽家となって自身の演奏を芸術的に聞こえるよう工夫し、支持者を集めて自立していく過程でテンポを落として装飾過多になったように思います。この時音楽書等が書かれたという論文があります。雅楽の音階はDorian、Mixolydian、Lydianなので短調系に偏っているとは思います。教訓抄によると平安時代末期には宮廷の獅子と天王寺・住吉の獅子はすでに別物だったようなので、宮廷の技術がどれくらい継承されているか怪しいものだと思います。全くわかりません。退吹による調子も実験していますが、対位法的ハーモニーの妙が壊れる位ごちゃごちゃになります。雑然とした音に魅了されている人は現在の雅楽を聞いて慣れている人ではないですか?本来の響きを知らないのでしょう。和声法も対位法も訓練していないとほとんど分かってないようなものです。陵王の乱声は退吹を上手く使っている例だと思います。僕のチャンネルを見て頂いてありがとうございます。雅楽を全く習わずに古譜を読んだらどんな曲が現れるのかよくわかると思います。つまり雅楽を伝承するシステムは原典をねじ曲げているわけです。そんなことが国家規模で行われている国で僕が活躍できる場などあるはずないでしょう。
笙が鳴っている内に全ての楽器が入らないと笙から音取れないと思う。こんな見せかけなのが雅楽のチューニングなのか? 楽家錄にはそろって終わるって書いてあるけど。
調子は入退場に奏するハズ。歩ける曲のハズ。音取化した調子ですね。これもあったのだろうけど音取が別にあるのだから、入退場用でいいじゃん。
コメント誠にありがとうございます。動画配信の担当者でございます。返信が遅れましたこと申し訳ございませんでした。今回の解説は英語でつけさせて頂きましたので、近々英語の和訳もつけさせて頂きます。またコメントなど頂けると嬉しいです。あなたのコメントに対しての私の考え(博雅会全体の考えではございません)も少し述べさせていただきます。まずは雅楽の笛ですがすべて竹でできております。私の横笛の師匠のお話ですと雅楽では一つの手付(いわゆる雅楽譜面の指の押さえ方を表す文字)に八段階ほどの音を吹き分けているものもあるとおっしゃっていました。また実際の音も単音ではありませんし、一定の音を持続させることも笛や篳篥では現実的にできないのです。
吹き分けているというのも師匠くらいの技術者では事実かもしれませんが、竹という植物性の不均一な構造の楽器と吹き入れる人間の息というものにより音が生み出されますので、機械のような正確な音は出せない。ということがあるのではないかと思います。私は篳篥吹きでございますが、湿度や気温などにより同じ楽器でも刻々とでる音が変化するのが雅楽楽器の本質でございます。さういう中でどこまで瞬時に正確な音が追求できるかということも雅楽の演奏家の技術になろうかと思います。また雅楽にはいわゆる音符はありません。基本は唱歌(しょうが)によって1300年以上歌い継がれてきたものであり、絶対音階ではなく人間の声で伝わってきたものです。芝祐泰先生の五線譜による雅楽総譜という著作もありますが、現在宮内庁に連綿として伝わるものはすべて口伝です。いわゆる譜面(手付け)と現在実際の演奏との乖離もしばしば経験されます。
ここで演奏されているものはすべてライブ演奏でございます。演奏前に合わせていた音が演奏時には変化することもしばしば経験しますので、すこし聞き苦しい音もあろうかと思いますが、そこはご勘弁頂けますと幸いです。また見せかけとありましたが、あくまでもパフォーマンス(確かに日本語にすると「見せかけ」)でございます。英語ではなるべく通常の人にもわかって頂けるよう西洋音楽に則って解説を作っておりますが、あくまでも音取はチューニングよりは次に演奏する調の雰囲気を伝えるための序章的なものと考えており、また次に演奏する当曲への準備でございますので、ここで一度音を確認するという作業が行われるのも事実です。
また音取ですが、この音取演奏が現在宮内庁で正式採用している演奏方法でございます。ここでは平調のみが音取であり、ほかは調子を音取形式で演奏しています。笙の音を感じながら篳篥が入り、徐々に笙は音が減衰していきますが、篳篥と笙がまだ演奏しているうちに龍笛が入り、短時間ですが三管で演奏している時間が存在します。したがって龍笛までは笙の音を感じることができます。続く弦楽器は龍笛の音を聞きながら入ります。糸物(弾物)である楽琵琶と楽箏は演奏しながらの調律はまず不可能ですので、一発勝負、音が狂っていたらそのまま弾くしかないのが現実です。そして音取が終了した時点で次に演奏する当曲のためにパフォーマンスではない本来のチューニングが笙の出す単竹の下に楽琵琶と楽箏が行うのが通例となっています。
調子の音取形式ですが、これも現在宮内庁で時に演奏されるパフォーマンスでございます。調子の吹きものの「退吹き:おめりぶき」を見せるためのパフォーマンスと考えています。
以上長くなりました。失礼申し上げました(博雅会動画配信担当者より)。
@@officialhakugakai1957 返信ありがとうございます。
唱歌で歌い継がれてきたにも関わらず、古譜にある活き活きとした曲と現代の眠い演奏の差があるのは何故なのか?
応仁の乱から江戸時代前期の雅楽の復興まで、宮中の雅楽は断絶していて、復興の時には宮中の雅楽を知る世代は居なかったそうですね。明治になって演奏を一本化するために編集したのが今の雅楽で、その演奏が古譜と全然違うのはどういう訳なのでしょう?
明治選定譜を作った宮内庁の雅楽の楽人達の音楽性とか実力がかなり怪しいと思います。
60-70年代に英国の音楽学者ピッケン博士が日本の現代の雅楽は元の4-12倍遅いテンポで演奏されていると言及してます。そんなに遅いテンポなら同じ運指で八段階も音を換えて吹けるでしょう。
唱歌は楽器が充分に無かった時にとりあえず曲を覚える程度のものだったのでは?唱歌無しの古譜だけの演奏でもテンポが正しければ充分聞ける曲になってるし。
原曲はどんなだったのか確認するために古譜を演奏することはないのでしょうか?あまりにも古譜と違うし、古譜の方がはるかに活き活きとしている。現在の雅楽の楽人はどういうつもりで雅楽を演奏しているのか非常に不思議です。
音取と調子の古譜を読んでみましたが、対位法を用いて作曲されたものだと思います。なのでそれぞれの旋律が一定のテンポで演奏された時に生まれるハーモニーの妙に魅力があります。試してみたらそうでした。楽家録の鞨鼓の巻には四拍子と思われる譜があるから一定のテンポを刻んでいたハズ。現在の一定のテンポで演奏しない音取や拍子の妙はどこにあるのでしょうか?
"フリーリズムカノン形式”。。。これが一定のテンポのものより魅力があるのかな?
@@YANAGITAtokinori 様
博雅会画像担当者でございます。
なぜ今のような雅楽になったのかは浅学の私にはわかりません。
ただ宮内庁雅楽のもう一つの秘曲ともいわれる「神楽」とは異なり、いわゆる唐楽・高麗楽は由来が大陸ですし、もともとが燕楽の宴会の音楽ですので、特に唐楽などは明るく華やかでテンポのあるものであったと推察されます。それが日本では聖なるものとなり、また日本人の好みに変容していったのではないかと愚考します。明るくしっかりとしたテンポの曲よりも陰影のある間の入ったものを日本人は好むようにも思いますが、いかがでしょう。特に管絃は陛下の御前で演奏されるものなので、特殊な環境ではないかとも思います。入手可能な古い音源などは確かに管絃は現在の演奏よりもかなり速度は速いですね。
宮中の雅楽は確かにほぼ断絶したようですが、天王寺や春日大社などでは応仁の乱時も途切れることなく雅楽演奏は継続していたようですので、無くなってしまった曲や技術は多いものの技術的なものはある程度継承された可能性はないでしょうか?
退吹に関しては、雑然とした音に魅力を感じる人も現実的に少なくないように思います。以上は雑感でございます。お聞き流しください。
博雅会にご関心を持って頂き、ありがとうございます。
Yanakita様のYuoutubeを拝見いたしました。素晴らしい活動ですね!これからのご活躍を楽しみにしております。(博雅会動画配信担当者)
@@officialhakugakai1957 戦乱の世になって宮廷に雇用されなくなった楽人が地下楽家となって自身の演奏を芸術的に聞こえるよう工夫し、支持者を集めて自立していく過程でテンポを落として装飾過多になったように思います。この時音楽書等が書かれたという論文があります。
雅楽の音階はDorian、Mixolydian、Lydianなので短調系に偏っているとは思います。
教訓抄によると平安時代末期には宮廷の獅子と天王寺・住吉の獅子はすでに別物だったようなので、宮廷の技術がどれくらい継承されているか怪しいものだと思います。全くわかりません。退吹による調子も実験していますが、対位法的ハーモニーの妙が壊れる位ごちゃごちゃになります。雑然とした音に魅了されている人は現在の雅楽を聞いて慣れている人ではないですか?本来の響きを知らないのでしょう。和声法も対位法も訓練していないとほとんど分かってないようなものです。陵王の乱声は退吹を上手く使っている例だと思います。
僕のチャンネルを見て頂いてありがとうございます。雅楽を全く習わずに古譜を読んだらどんな曲が現れるのかよくわかると思います。つまり雅楽を伝承するシステムは原典をねじ曲げているわけです。そんなことが国家規模で行われている国で僕が活躍できる場などあるはずないでしょう。