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セナは居ませんが、F1は続いて行くわけです。と涙ながらに語った今宮さんの姿が、鮮明に脳裏に焼き付いています。今頃はきっと天国で再会を果たしていることと願っております。
うわ〜セナと今宮さんの再会は泣けてしまいますよ。
現役中のアイルトン・セナを観られたことにただただ感謝しています。
毎度です。そうですよね。あの興奮をもう一度という思いでずーっとF1観ちゃってます。
ジンナマはTIサーキットでセナオープニングラップでラリーニに追突事故でSUZUKAでセナ見れない!☆たぶんベネトンやね。
この事故があったからこそ、後の安全性が発展を促せた尊い犠牲セナは本当に憧れの人であり、そして人生のお手本となり今でも心の中で生き続けています最も大切な現実や、その時に起こった事実を丁寧に伝えて頂き感謝です
毎度です。泣けてきちゃいますよ。素晴らしいコメントありがとうございます😭
しかし安全性を重視しすぎて、スリルが失われた気がします。この年のベルギーGPのオールージュは何じゃコリャ❓でしたもん
@@たくまひが 仰る通りですがサンマリノGPのタンブレロは1987年 ネルソン ピケ。1989年 ゲルハルト ベルガー。二人共に、同じ様なクラッシュを起こしていました。😢
クラッシュした瞬間は「あーやっちゃった…」程度の認識でしたがどんどん深刻な状況が伝わってきて動揺が止まりませんでした…
当時実況していた三宅アナは今年フジテレビを定年。今宮さんはいなく、自分は50歳間近と時の流れを感じてるけど、事故のときと後と複雑な感情は今も事故の事を考えるとモヤモヤする。
毎度です。そうですね、随分、時が流れましたが、確かにまだモヤモヤしますよね~
セナの脳みそが見えてた話しは初めて知ったので、ビックリしました。
動画ありがとうございます。次の動画もお待ちしております。
毎度です。いつもありがとうございます!
この事故があった直後、ピットウォールで泣きじゃくるニューウェイの姿が印象的でした。事故以降、自分の責任だとニューウェイはかなり思い詰めていたみたいですね。そのせいか、94年以降にデザインされたマシンは、「さすが」と唸らせるものはあっても、空力を突き詰めた過激さというものは影を潜めた感じになりました。
毎度です。そうですね。サンマリノ以降は鬼才ニューウェイのアプデとはちょっと違う感じがしましたよね。ドライバビリティをしっかり考えたものだったと思います。セナの死が彼を成長させたのかもしれませんね。
この事を避けては通れませんよね。あの翌日録画したビデオを再生した時、いつものF1中継と全く違い解説陣が並んで出てきた時「何事?」と思いました。そしてセナの死が知らされた時に今宮さんが号泣しだしたのは今でも覚えています。そしてその後に出てきたテレメトリーで改めてセナの才能に驚かされたり、最近の話でこの時の週末にプロストと無線で談笑していたなんて事を聞くにつけやはり失ったものは大きかったなと思ってしまいます。改めてアイルトン・セナ・ダ・シルバのご冥福をお祈りします、
うぉ~やばいっす。泣けてきますよ~。本当にもったいない人を亡くしてしまいました。
フジテレビのセナ押しは凄かったからね!┐('~`;)┌
@user-zx1uk4sj5o 1994年、フジTVのF-1総集編サンマリノGP。ナレーションの城達也さんは、この血塗られたレースを評して、こう言いました。『運命の悪魔が、紅い舌を出した』
無くなる直前、とんねるずの生だらカート対決に来て下さったのは本当に感動的で、本当に事故が悔やまれます。ご冥福、心よりお祈りします
200kmでコンクリートウォールに叩きつけられた衝撃、と言われているがシド・ワトキンスは「それが直接の死因ではない、彼の体は頭部以外致命的なところはなかった、ステアリングロッドが頭部に衝撃を与えていなければ彼は歩いてピットに帰ってきただろう」とコメントしていたね
毎度です…辛く、でも分かりやすい動画でした。事故当時はセナ自殺説というトンデモ説まで出ていましたね。でも異常を察してからの1.5秒前後、生きるための必死なマシンコントロールをしていたのを知って、人知れず号泣しましたね。神様に愛されたセナよ、永遠に…。
たしかステアリングコラムの改造はセナからの要望だった筈なので それが原因なら皮肉な結果ですが 対処が溶接だった事に驚きました。今宮 純さんが再三指摘していたタンブレロのバンプが裁判で問題視されなかったのもボイコット問題があったからなんでしょうね。
当時リアルタイムで兄が見ており、セナが!って叩き起こされ、その現実に自分も兄も泣いてしまいました。そして今回の動画と皆さんのコメント泣いてまいます。ロスマンズカラーの美しいFW16を操るセナの勇姿はもっと見たかったです
こんばんは。とても詳しい内容が、大変わかり易くまとめて頂いており、とても理解が深まりました。当時私は中学三年生で、中継が開始される前に、ニュースジャパンでセナの事故の速報が入り、自室でコッソリ中継を観ようと布団で待機していた私は母に叩き起こされ、衝撃を受けた事は未だに覚えています。サンマリノグランプリの予選の中継も観ていて、フリー走行でのバリアンテで、空中に浮きながら大クラッシュしたバリチェロの映像、更には予選でビルヌーブで大クラッシュしたラッツェンバーガーの映像を目の当たりにし、只事ではない事が続いていたグランプリだとも、記憶しています。セナが亡くなった後で、様々な出版社から発売されたセナに関するムック本を買い漁り、沢山読みましたが、致命傷の事をこちらの動画の様な内容で語られた物はありませんでした。セナを救出するシーンが空撮で中継されていたのを観ていましたが、ここで紹介されていた程の3つの怪我をセナは頭部に負っていたとは、全く知りませんでした。ヘリで運ばれたときは、きっと助かるはずと、心の中で思っていましたが…。後日談で、セナのコクピットには、ラッツェンバーガーの母国であるオーストリアの国旗が収められていたと知り、勝利をローランドに捧げるつもりだったと推察されるセナの気持ちを知り、優しい漢だったのだなと当時思いました。セナが亡き後で、東急東横店だったか、セナ展を開催していたので、家族で観に行きました。イモラで使用されていたグローブの片方が見付かっていない、と展示物に書かれていたのを見て、とんでもない輩がいたのかと、怒りを覚えたのも記憶しています。もうすぐあれから、30年が経とうとしていますね。長々すみません。
毎度です。貴重なコメントありがとうございます!もうあれから30年ですよ。それでもセナを思う気持ちがまだこれだけの皆さんの心の中にあるのかとあらためて彼の偉大さを実感します。
当時生中継を見てて、大クラッシュの後セナのヘルメットが動いたので、大丈夫やと思ってましたか、、、、亡くなってしまい、衝撃なあの日の事を今でも忘れません。。泣けてくる。有り難うございます🙇
そうなんですよね。グッテっとしてるセナのヘルメットが動いて、私も大丈夫かなと思いました。あ~悲しい、泣けてきます。
お疲れ様です。私自身、リアルタイムで経験したグランプリの歴史の中でも最も衝撃的な出来事でした。敢えて多くは語るまい、と思いつつも、30年近く経った今でもなお、少なからぬ感情が込み上げて来ます。「あの瞬間」を捉えた公式・非公式の映像は現在でも様々残っていますが、個人的に最も印象的なのは やはりミハエルのオンボードです。フロア下からスパークを吹き上げつつ、タンブレロからコースアウトしたセナのマシンをミハエルが「チラッ」と見送る瞬間、まさにあの瞬間、彼にとっては超えるべき目標もライバルもいなくなってしまった孤独な「皇帝」への道がスタートした訳です。遂に亡くなる瞬間までグランプリの頂点で在り続けたセナからミハエルにバトンが引き継がれた瞬間、明らかにグランプリの世代交代の瞬間ですね。仰る通り、あの事故は様々な要因が積み重なった「複合事故」だと思います。諸説ありますが、今となっては責任の所在は永遠の謎になってしまった感があるとは言え、複合要因の一つ一つを検証・解決する事が、稀代のワールドチャンピオンの不幸な事故死に対する せめてもの餞である事は間違い無いと思います。奇しくも今は亡き今宮さんが仰った通り「グランプリに携わる全ての関係者からファンに至るまで、この悲しい出来事から決して目を背けてはならない。」まさに至言だと思います。惜しむらくは、過去のピケ、パトレーゼ、ベルガー等のタンブレロでの同様の事故に対する運営側の厳格な事故検証が実施されていたならば…、後悔先に立たずですね。動画をUpされるIne様の重いお気持ちもお察しします。次回も期待しております。改めまして、合掌。
毎度です。いつもありがとうございます。確かにミハエル視点で考えてみるとおっしゃる通りあの瞬間なんですよね。あそこから孤独の皇帝の歴史が恥かったんですよね。そして今宮さんの仰る通り、目を背けてはいけないんですよね。それにFIAが気が付くのが遅すぎなんですよね。80年代前半まで、まるでパーツのような扱いを受けたドライバー達をなぜ守るために必死になれなかったのか、あまりにも遅すぎましたよ。本当に
お疲れ様です。事故当時は子どもだったので、朝のめざましテレビで事故のニュースを知ったのですが、国葬で泣きじゃくる人々を見て、ようやくセナが死んでしまってもう見られないことを理解した記憶があります。セナの年齢を最近超えてしまって、なんてセナは短い生涯だったのだろうかと、思ってしまいました(泣)
録画したビデオ、まだ持ってるんですよ…事故後の空撮でセナの頭が少し揺れてるのを見て「頭動いてる!まだ大丈夫だ、セナが死ぬわけがない」って願っていたんですが非常に残念です。裁判については全く知らなかったのでこちらで知ることができて勉強になりました。
同じ週末にルーキーとチャンピオンがいなくなった事はショックでした。何かが、どこかがおかしい、そう思いました。改めて謹んでご冥福をお祈りいたします
つ 遂にこの回が来たか…。中継での、セナのグッタリ具合からやばいな〜と、思ってましたが そんなに酷い状態だったのはショックです…。
セナの事故は、バリ島で知りました。現地の新聞の一面でっかく写真入りで載っていました。本当にびっくりしました。
あの日の中継は今でも忘れられませんね。不覚にも寝てしまい(父親に寝ろと見ている最中に部屋を追い出された)その瞬間は見ることはなかったのですが、その晩見た夢は今でもしっかり覚えています。どんな夢だったかというと、セナが大きなクラッシュをしましたが無事でしたというF1中継を見ている夢でした。でも次の朝起きてあれは夢だったんだと気づかされ、慌ててテレビをつけたら、丁度セナの死亡を伝えるニュースが流れていました。今から28年も前の話なんですよね、時間はあっという間です。いつか自分が死ぬまでにセナのお墓参りはしたいと思っています。セナの現役時代のわずか1年とちょっとだけでしたが見ることができたのは今でも誇りです。
あの日のテレビ中継は、エキゾーストの音が割れてて不気味だったのを覚えてます
毎度です。私もあの日は何か不思議な力が働いていたような気がしてなりません!
昔のインタビューでセナが「もし自分が大きな事故にあうなら痛みも感じずに逝きたい」みたいな事を言っていたと思います。クラッシュの瞬間に意識を無くし旅立っと思っただけ良かったと、当時に思いました。
’94年はまだ中継を必ずリアルタイムで観ていましたから事故の瞬間も観ていました。特別セナのファンと言うわけではありませんでしたが、ローランド・ラッツェンバーガーの事もあったにしても、まさか彼が亡くなるとは夢にも思っていませんでした。眠気も冷めて弟とジーっとTVを観ていたことを覚えています。セナ死亡、裁判関係のニュースはあまりに痛ましくてほとんど読んだことがありませんでしたので、直接の死因も今回の動画ではっきりと知りました。
前日にラッツェンバーガーも亡くなっているんだよなーこうして聞いていると改めて酷い事故だった😢今宮さんも泣いてたよね
おばんです!セナ事故数年前、タンブレロコーナーでベルガー、パトレーゼがクラッシュ、無事帰還した事があったので、クラッシュ瞬間はそこまで深刻とは思っていなかったけど、中々コックピットから出てこない国際映像流れて、事の深刻さがじわじわと伝わってきたなータンブレロコーナーのアウト側、川が流れててランオフエリア余分に設けられないと言う、今思えば減速しきれないままコンクリートウォールにぶつかる危険が大だった。車もコックピットが狭いから、ステアリングコラム溶接加工したとか、キックバックで破損…、もしタイヤ、サスアームが直撃しなければ致命傷までいかなかったのかな…あれから28年、朝6時前に目が覚めるにまで年取ったけど、あの事故は鮮明におぼえてますわ安全なF1のはずが、ドライバーが亡くなってしまう。安全神話の崩壊に当時高校生ながらにショックを受けました。けどよく考えてみたら、300キロと、とんでもないコーナースピードが出るんだから、死亡事故の危険があって当たり前の競技なんだと、再認識させられた事故でした。
毎度ですセナ裁判が2007年まで続いていたのは知りませんでした。レートの事故の破片を踏んだとか、タイヤの内圧の問題とか、色々議論されていましたね。印象的だったのはヒルが裁判で「みんな彼がミスをしないと言うが、私はそうは思わない。冷えたタイヤでミスをした」という証言をしていた事ですね。
毎度です。あの不毛な裁判でのウィリアムズ側の証言って考えれば考えるほどわからなくなってくるんです。無理があるような気もしますし、正直な気持ちのような気もしますし、次回そのあたりお話しますので一緒に考えてみてください。
未だに、今宮さんのセナがぁ~って絶叫忘れられません😭😭😭
当時想像していたより絶望的な状況だったんですね。
この日、セナの独走で終わると思い、寝てしまいましたが、ビデオを見て凄く驚いたのを覚えています。レーサーである以上危険は避けられませんが、本当に惜しい方でした。遅ればせながら、彼の偉業にご冥福を捧げます。
お疲れさまです。この事故をリアルタイムで観ていたひとりですが、テレビから流れてくる情報を必死に受け止めようとして頭が混乱した記憶と、セナというカリスマを失ってこれからのF1はどうなっていくのかという不安でいっぱいになり、とても泣いてる場合じゃなかったことを覚えています。このセナの急逝に代表されるように、94年シーズンは混乱が尽きないシーズンになってしまいましたね。
ラッツェンバーガーの母国の国旗を高々と突出し、ウイニングランをしているセナを見て見たかったと思います。
頭をかすかに揺らすセナが映った時、レーシングスーツの腹部部分が既に真っ赤になっているのが確認できるんですよねそうなるぐらいの負傷を頭部に負っていると医療現場の方も手の施しようが無かったんだろうな天才は悲劇的な運命を避けられない。これは所詮は俗説だと信じたかったんですけどね
あの事故は本当にあの時代のF1を愛した人達に深い傷を残しましたね…。あらためて御解説頂く内容を聞くのもつらいですが、忘れてはいけない事だと思ってます。裁判の内容や判決に関しては特に何もないのですが、事故が起こった後レースを再開した事には未だに納得出来ないんですよね…。現場にいた人達も精神的に辛かったはずなのに、それでもチェッカーまで走らせたチーム、ドライバー達には敬意を持ちますが…う~ん…あのGPは中止すべきだったよなぁ…と今でも思ってます。解説も辛いかもしれませんが次のウイリアムズ編も楽しみにしております。い
私も全く同意件です🙇
当時のサンマリノグランプリの放送で常にグォングォングォンみたいな反響音の様な音がレース中ずっと聞こえてませんでした? 僕だけでしょうか もうビデオがなくて確認出来ないのですが、ずーと気になってるんです 誰か同じ事気になってる人いないかな?
自分も手元に当時の録画ビデオが無いのですが、反響音のような音がしていた事は30年近く経ってもハッキリと覚えてます。自分の解釈は『衛星中継の不調で音が鳴ってるのか?』ですが、果たして…。
@@petrolhead1109 30年近くたち、夢かとも思っていたので、なんか救われました笑セナの衝撃とあの音で当時マジで気持ち悪くなってトラウマの様になってます。TH-camでも一部動画で確認出来ましたけど、もっと音が大きくて(解説が聞こえづらいくらい)気持ち悪かった気がしたのですが・・・・
@@tm-dn2ew 当時の放送形式&VHS録画のせいなのか分かりませんが、同じ印象で記憶してます。自分もTH-cam動画やフジTV_DVD_F1総集編1994で再確認作業をしましたが、『イヤ、もっとワオンワオンしてたな』と思いました。ただし、確か三宅さん今宮さん川井さんの速報挿し込み版の翌日or後日にレース全体の再編集版を放送したハズで、ソッチの方がよりワオンワオンしてた(特に赤旗再スタート以降)印象です。
マップで調べたけど、大体イモラの街中の土地が少ない場所に高速レイアウトのサーキットを作ったのが結果的に大きな間違いだった、鈴鹿の130Rとかも事故が多いけど、ランオフエリアが広いしコンクリートウォールではない、だけどここはランオフエリア狭い所が殆どだし、タンブレロは裏にサンテルノ川が流れていて、幅を広げる事は不可能であった(89年にベルガーが事故を起こした際に、事故後セナと一緒にタンブレロへ行き、そこでランオフエリアを広げようという案を思い付いたようだが、セナが「裏に川が流れているから無理だね。」と言って、それに続いてベルガー「そうだね、じゃあ駄目だね。」と言った事があったらしい。)。
ドクターヘリで運ばれた際に搬送先の病院の駐車場に停めてあった車の天井に無数の血痕があった。とか見たけど、それほど出血ひどかったのか。ヘリがホバリング中に下に落ちたのか。
時間たってるけど、やっぱり忘れられないです。予選からの事含めフラッシュバックみたいに思い出します。トップでホームストレートからタンブレロのカメラに変わった瞬間にセナさんがライン外れて「あっあっ❗えっえっ?」ってなりましたよ。涙腺弱いとダメですねぇ~。加工したステアリングシャフトの破損が濃厚にしてもコーナリング中にステアリング系統故障すると回避難しい。中嶋さんの最後の鈴鹿もタイロッド片側破損しても曲がれなかった。
毎度です。ですよね~忘れられませんよね。悲しいです。
リアルタイム勢でした前年MP4/8で見せた走りが噓のように翳りを見せた矢先でしたねウイリアムズが時に打算的で冷酷な行動をするのは昔からですがそれは他の名門チームにも言える事です
いつも動画を楽しく拝見させて頂いておりありがとうございます🙇♂️この時代のF-1好き世代としては物凄く衝撃的な出来事で今でも鮮明に覚えております😢生きる気力が無くなるくらいの失望感がありました。当日知り得なかった情報を知りとても興味深く拝見させてもらいました。当時とにかくF-1が好きで毎日繰り返してF-1をビデオで見ていました。特にセナとアレジが好きでした。これからも動画楽しみにしております♪
ワーオ、素敵なコメントありがとうございます!やる気出てきました!
このシーズン初めはリタイヤが続き、焦りがこの事故を引き起こした気がします。マシンの欠点を認知し克服をする前に事故死してしまった・・・。ドタバタでステイリングのサイズを変更し、その結果がこうなった。セナの好きなスタイルのマシン(チーム)の機構によって亡くなったのは本望ではないかと思います。
三宅アナの「あーっと!セナが、セナが、ウォールにクラッシュ!」今にも聞こてきそうです…
セナは何でこの時期に座席が合わないとかハンドルの位置や大きさがと開幕前にこれらの問題を解決しておかなかったのだろう、ヒルやマンセルの方が体が大きい訳だしテストに積極的に参加しないと問題点が見つからずこういう事になる。
自分がどうしても思ってしまうのは前日に亡くなったラッツェンバーガーとの違いが大きいことです。あちらは裁判になっておらず扱いに差があるとしか思えないんですよね。自分が知らない検証事実があってのことで同列に扱えないのでしょうが、あそこでレースを中止して安全を見直すということもできただろうに、もしセナの事故が先だったら同じように続行したのだろうか?同じF1ドライバーなのに、なにか考えてしまうんですね。
こう言っては何ですが、中継の演出も相まって、私はF1はセナとその他のドライバーの戦い、として見えていて、あまりにも突然に「その他」のドライバーだけになった喪失感をよく覚えています。速さはともかく、開幕から全くハマっていなかったセナとFW16の最後が、まさか最悪の結果になるとは…
すみません、当時の辛い思いが甦りそうで動画を観るまで2日かかりました。基本的に私は人間臭さの余り感じないドライバーはチャンピオンであっても好きではありません。全盛期のシューマッハ、アロンソ、ベッテル、ハミルトン。逆にマンセル、ヒル、ハッキネンは人間味があって好きなドライバーです。しかし、シューマッハがセナの勝利数を越えた際の会見で涙した時には一気に見方が変わりましたね。その中でセナは強く速いだけではなく、人間臭さが際立つドライバーだったと思います。いかに強くではなくいかに速くを追い求めた少年の様なドライバーだったと思ってます。セナが居なくなったことでF1に多くのifが生まれたと思います。その後どういうチームで走ったのか?ミハエルは黄金期を作れたのか?そして今日最初戦を終えた現代のF1はどういう姿だったのか。改めてご冥福をお祈りしたいです。
いつも楽しく拝見してます。公表されているオンボード映像は衝突の直前で途切れていますがそれ以降の映像はあると思いますか?
毎度です。あるんですかね~。正直あってもおかしくないですよね!
@@FormulaIneChannel ご返信ありがとうございます。これからも浅めに深掘りよろしくお願いいたします。
@@FormulaIneChannel オンボード映像の管理者はFOCA?それともFIFA?
パトリックヘッドはこの事件をキッカケに奥さんと離婚したらしいですね。
あまりにヘッドの対応が他人事だったのに嫌気がさした、と聞きました。こうしてみると、フランク・ウィリアムズもヘッドも変わらない気がしました。
毎度です。60-70年代を経験しているレース屋はそういうところがあるんですよね。ドライバーを交換可能なパーツの一つのように扱うんですよね。まぁ今はそういうことはご法度ですけども、94年当時はまだ少し残っていたんでしょうね。
今になって思えばですがタンブレロのセナの場合はHaloでも防げないような感じで、それこそ現在のインディカーと同じキャノピーが必要だろうかと…イモラの一件ではコースの舗装状態が悪かった事に加えてセーフティカーの走行性能(オペルの単なる市販仕様車だったとか)が極端に低く、タイヤが温まらずグリップが低下してしまう問題も指摘されていたようで…後にレース仕様と同等のメルセデスAMGを公式セーフティカーに導入するきっかけとなりましたね。
毎度です。そうなんですよね。あの事故、セナにとって死へ吸い込まれるかのようにまさに致命的なダメージをおわされてる感じがするんです。やっぱりあのレースはやるべきじゃなったんです。次回、事故の原因じっくりやらせていただきます。
おはようございます。お疲れ様です。オールドF1ファンにとって忘れられない出来事ですよね。この日、私は左手を骨折して痛みに耐えながらレース見ていたので忘れないですね。クラッシュを見た時、あのコーナーでピケとベルガーがクラッシュしたのと一緒だから亡くなるまでとは思いませんでした。セナファンではありませんでしたが、やっぱり悲しいですね。本当の原因は何だったんでしょうか?
この動画、ちゃんと観ましたか⁉
誤解を恐れずに言うと、この位のクラッシュはそれまでそこそこありましたし、事故後ドライバーは皆ピンピンしていたので驚きました。前日の予選でラッツェンバーガーが命を落として、今度はよりによってセナかと。10年以上、F1で死亡事故起きてなかったので、F1でもう人は死なないと思っていたのに。
セナはブラジルのヒーローであり誰もが憧れる存在でした。
アイルトン•セナ。不思議な人だったけど、とても魅力がありましたね。この時の衝撃を、忘れません。なんとなく、人って簡単に死ぬんだな〜。とか、モータスポーツって、やっぱり危険と隣り合わせなんだな〜って、漠然と思っていた記憶があります。寂しいですね。
毎度です‼1994年5月1日に起きてしまったことは一生涯忘れることはできないと思います。1GPで2名のドライバーが命を落とし、負傷者は多数という正に「呪われたグランプリ」としか思えません。あの日のことを思い返すことも辛いですし、アイルトン・セナという稀代のレーサーを喪ってしまったことの重大さは計り知れません。裁判については不可解な点も複数あるな、と思わされましたがそれは次回にしたいと思います。没後30年近い時が過ぎようとしていますが、私たちはアイルトン・セナ・ダ・シルヴァというレーサーと同じ時代に生きることができたことに心から感謝し、彼のことを絶対に忘れないことを誓います。
毎度です!私も誓います!
事故直後、セナがコース脇で応急処置を受けている写真は出回っているのですが、頭部は隠されているものが多いので、余程酷いものだったのかと。治療中のセナの表情などの写真はあるそうなのですが、未公開のまま封印され、見せるように要求した恋人のアドリアーネにも断ったようです。セナの事故に関しては、様々な憶測や噂などがでています。個人的に気になる点として、この年の中継は各マシンがタンブレロに侵入するときは、車載カメラからの映像を多用している印象があります。ホームストレートからタンブレロコーナー全体を映している映像をあまり見かけません。(ex.89年のベルガーの事故映像のようなコーナー外側からのアングル)おそらくそこに、セナの衝突もしくはコースアウトしていく映像に何か不都合なことが映っていた…と想像することができます。裁判時に論点の一つとなったセナの車載カメラの映像やルノーエンジン側のブラックボックスのデータが消去されているという証拠隠滅の黒い噂があるなど、全体的に何か隠していることがあると言わざるを得ません。映像を管理しているFOCA、FISAやウィリアムズチーム、グッドイヤー、コース管理者側の責任追及を避けるために何らかのコンセンサスがあり、真相は隠されているように感じます。当時の関係者が少しずつ鬼籍に入られる時期になっていますが、真相が明らかになる日はくるのでしょうか?
サーキット側の過失では?
非力なマシンで猛追するシューマッハ。。予選ではかろうじてルノーV10でポールを取っていたが、レースデイスタンス305Kmではシューマッハに軍配があった。。この事故がなくても1994年はシューマッハがタイトルを取ったと思われる。その場合、セナは立場がなっかたろうよ。ある意味、いい引き際かもしれない。
マシンの過失と思えて仕方がありません。
忘れてはいけない出来事ですし、今後の若い人達に伝えていかないといけないですね。改めてご冥福をお祈りします。
毎度です。そうですよね。お祈りしましょ。
事故については今までも多くの論評がされてますので、わたしはあまり感想はありません。合掌。ですが、裁判に関しては知らないコトが多く興味深いです。…スイマセン、当時の衝撃がフラッシュバックしてしまい、感情がまとまりません…。裁判について、良く知りたいです。動画での解説をありがとうございます。
初めまして。いつも楽しく観させてもらっています。私もセナの事故の真相を知りたくて、色んな本を読みました。その中の一冊にあった、同じマシンに乗っていたデーモンヒルの言葉が一番印象に残っています。『セナだってミスを犯す。あの日あの時あの過敏なマシンで、大きなバンプのあったあのラインを走ったらどうなるか?世界最高のドライバーであるセナが分からない筈がない。それでも彼はコンマ1秒でもミハエルを引き離すため、リスクを犯して通ってはならないラインを選んだんだ。』詳しい描写は忘れてしまいましたが、大筋でそんな事を言っていて、私もコレが最も真相に近いのではないかと思っています。ステアリングシャフトもウォールにぶつかった衝撃で破壊された事がデータで立証されていますし、メンタルな要因がとても大きかったのだと思います。当時からプロストファンであった私でも、心に大きな穴が空いた一生忘れられない事故でした。動画作成は大変だと思いますが、いつも楽しみにしています。無理はせずにゆるゆるとアップしてください。長文失礼致しました。
おっ暖かいコメントありがとうございます。次回あの事故の検証をしてみたいと思っていますのでいっしょにじっくり考えてみましょう!
この裁判の事はパトリック・ヘッドとエイドリアン・ニューウェイは、無罪になったけど、結局のところ、執行猶予みたいな扱いですね。セナの力では、大きなハンドルの方が、運転しやすいんでしょうね。で、間に合わせに付けたけど、壊れてしまったということですね。
ニューウェイとヘッドに責任があるって流れだけど多少あったとしても原因は2人だけではないはず不運な要素もあったしここ数年死人が出てないという事からFIAの安全に対する過信があり速さだけが進化して途中から安全あまり進化してなかったんじゃないのか?って個人的に思ってしまいます
今でもセナ公式のTwitterとInstagramはフォローしてる。
毎度です。セナの公式があるんですね。知りませんでした。フォローしてみます!ありがとうございます。
ローランドラッツェンバーガーさんの事故が起きたのに、何故中止にしなかったのか今でも悔やまれるアイルトンセナさん、ローランドラッツェンバーガーさん今もこの2人は生きている、心の中で生きている、だから、僕はサヨナラは言わない長々と書いてすみません。
毎度です。今でも映像で見ることができるので私の中でも正直あまり実感はありませんし、年を取らないセナがちょっとうらやましいですよ。
もっと言うと、バリケロの大クラッシュから注意すべきだった
サンマリノGPの前のパシフィックGP(日本の岡山県で行われた)の決勝スタートで共にリタイアしたセナとラリーニが2人でベネトンのシューマッハの走りを眺めていた?セナはベネトンのトラクションコントロールシステム使用を疑っていて他のドライバーにも話を持ちかけていた?もしかしたらラリーニにも?
毎度です94年ウィリアムズを語るのに避けては通れない回ですね。。。事故後から原因や裁判など色々と続きましたね。自分は当時まだ子供ながら不思議とセナが亡くなるはずが無いって何の根拠もないのに思ってましたねー。ただ、裁判が政治的な色になってしまった事が残念ですね。
毎度です。そうなんですよね。そもそもあれを裁判で解決ってのが、まぁイタリアの法律の下でのお話なのでしかたないんですけども、あの裁判は本当に不毛でした。
これもモータースポーツ!これも人生!!毎日人生を精一杯楽しみましょう。セナは教えてくれました。。。
何故Iこのレースの事故死原因、セナばっかりなんでしょう?ラッツェンバーガーは?
一周前にフロントウイングを壊してピットに入らなかったからとか。ピットに早く入っていればローランドは亡くならなかったって言われているから、非常に残念。😢
@@projecttakada5183 返信、ありがとうございます。事故現場が、観ていて好きだった高速コーナーだったので残念です。
事故直後にコースマーシャルがセナに近寄ろうとしないで旗ばかり降っていたのに違和感がありましたがそういう事だったんだ…
イタリアで事故があるとやっかいなことになりますよね。日本のレース事故もやっかいですがイタリアはそれ以上という印象。フォントリップスの事故でもジムクラークが長いこと引きずられてました。
リントの事故の後も2年ほどチャップマンが法的な問題でモンツァの会場入りができなくなった為に、その時のみピーター・ウォーが監督代行を務めた事がありました。71・72年とエマーソン1台でイタリアGPに臨んでいた理由にそんな事情があったとは…
そうですね。エントリー名もワールドワイドレーシングという下請け(とASには書いてあります)のチーム名で、71年なんかとくに色モノのタービンカー56Bを走らせる徹底ぶりですもんね。
辛いリポート、ありがとう御座います。セナ、フォーエバー!
解説有難うございました。この年のF1は大きな事故が多かったですね。セナさんやラッツェンバーガーさん、モナコでのヴェンドリンガーさん。やはり急激なレギュレーションの変更も要因の1つではなかったでしょうか?ならば本当の意味で責任を取らなければいけないのは誰なのか?考えてしまいます。
ちなみに、せな、って僕の生まれた福島県という地域では、「息子」、とか「お兄ちゃん」、とかいう意味で使われる方言なんです。だから、ばあちゃん世代もF1に詳しかった、とゆー、、、その「セナ」が死んじゃった、、、とゆー、、、
へ〜、それは愛着湧きますな!
当時セナが被っていたヘルメットが、実はライセンスがおりていないものだったらしく、保険金の一部がおりなかったと聞いたことがあります。本当でしょうか。少しでも軽いヘルメットを使いたいと言って、ギリギリのものを使ったとか。確か94年はベルのヘルメットに変更したんですよね?
毎度です。セナがBELLにとにかく軽いヘルメットをと嘆願して作ったものですね。で保険会社の基準は満たしてなかったので保険金の一部が支払われなかったんですがFIAのレギュレーション違反とかではありません。
@@FormulaIneChannel 詳しくありがとうございます。それから、セナのヘルメットにはBELLのマークがありませんでした。92年シューマッハがBELLにした際には横にありました。長年使っているジャックのも、後ろにありました。セナがつけないでと言ったのでしょうか。
年齢による衰えなのか、前年と比較し明らかに陰りをみせていたセナ。まさかこんな結末になるとは…当時の事は今でも鮮明に覚えています。本来なら94年はシューマッハとの世紀の対決になるはずだったんですが。著名人の死という意味では最も衝撃的な出来事でした。バリチェロ、ラッツェンの事故の時点で中止にするべきだったと今でも思っています。
投稿お疲れ様です🙆♂️セナの死亡原因は未だにはっきりしないですね…。その当時イタリアの医療レベルが低いから助からなかった的な事も言われてた気がします。fw16もロスマンズカラーがカッコいいですが、セナの事故が印象に残ってしまった非運なマシンだと思います。
毎度です。そうなんですよ。あの事故の原因はいまだにはっきりしませんよね。そのあたり次回じっくりお話したいと思います!!
21世紀少年で、セナを歴史の人としか考えられない自分にとっては、あまりにも神格化されすぎていて、事実がどうあれヒルの「セナは多くのミスをした」が真実に聞こえて来るんですよね...レーサーは生きて帰るまでがレース。例えどんな天才でも死んでしまえばレーサー失格のただの人じゃないか、と.......僕も当時を生きていれば違ったのだろうか?
自分の知り合いのレースメカは「無事にマシンをゴールまで乗って帰って来てくれるのが乗り子の仕事」と言っていました。自分もレイルトン様の意見は納得です。
毎度です。そうですね~確かにそうかもしれませんね。生きて帰ってきてこそレーサーなのかもしれませんね。当時現役だった私たちの世代はフジテレビとホンダのプロモーションにまんまとやられてるんだと思います。それでもやっぱりセナの走りに熱くなったってことは事実でして虜にされてしまったんですよね。ただそれだけなんでしょう。速いセナが好き。ただそれだけなのかもしれません。理由はたぶん後付けなんでしょうね~。
当時はネットもSNSもなくて情報源はTVと雑誌だけ。その情報に踊らされていた感は否めないでしょうね。それでも、周囲のドライバーも認める全てをレースに捧げるストイックさと誰も寄せ付けない速さはやはり魅了するものがありましたね。ルックスもよく王子様風で時折見せる寂しげな表情が母性を擽るのか女性ファンも凄かった(笑)セナ様なんて女性が涙ぐむCMもありましたね。
実際神格化されすぎてる感はあるセナを生で見た世代ですけど、ピケの方が魅力的だったな〜あと当時のテレビはプロストを悪者に仕立て上げてましたからその影響もあるのでしょうねプロストの方がレーサーとしては一段上だと思います
セナは3ヶ所も致命傷を負っていたのですね…。相次ぐ事故や、直前に昔の恋人からよりを戻すように言われていたなど、精神的に不安定だったセナが、ワトキンスや、現在の恋人の助言を受け入れて棄権して出走をやめていれば…もう少しエスケープゾーンがあれば…波打っていた路面が舗装し直してあれば…など、悔恨のグランプリとなりました。この事故を境に、F1は安全対策以外にも色んなものが違う方向へ進みだしてしまい、日本からも潮が引くようにF1ブームも去ってしまいました。ブームの頃は女性でもF1を見ていたり、私の母ですらハッキネンファンで、片山やアレジなども知っていたのに、ここ25年は見ているのはもはや一部マニアだけ…。
どーもです。レース終了後の表彰台獲得3人(シューマッハ、ラリーニ、ハッキネン)の記者会見が非常に印象的でした。優勝した中央のシューマッハがコメントしている右側の2位ラリーニは視線を斜め前に向けていて、何となくシューマッハを避けている様に見えました。対して左側の3位ハッキネンはシューマッハに寄り添う様に真剣に耳を傾けていた?シューマッハに対して快く思わないドライバーもいれば、シューマッハに同情するドライバーもいたような感じがします?ハッキネンはF3時代ではシューマッハとは同期で良きライバル?F1でも同時デビューだった?
お疲れ様ですm(_ _)mウィリアムズのコックピットに優勝して掲げる筈の、ラッツェンバーガーさんの追悼の為のオーストリア国旗🇦🇹が有ったそうですね。切なすぎます………。
来年でもう30年。ですか❔いくら月日が流れてもアイルトン セナの事は絶対に忘れる事はありません❗この事故の詳細を伝える事は大変辛い事だっただろうと思います。😢配信ありがとうございます❗😢
こんばんわっす…。遂に運命のサンマリノGPと来ましたか…。セナとローランドの事故死…。IFとしてもしセナがあの事故で落命しなかった場合…セナ存命のF1はこうなっていただろうなぁ…。1994年以降のセナ・序盤戦は不安定な信頼性に悩まされていたFW16。だが中盤戦からは大きく改良し、ベネトンのシューマッハとの互角のバトルを繰り広げる(1994年のドライバーズチャンピオンはセナかシューマッハ)。・1995年シーズン、94年の時を教訓に大きく改善したウィリアムズ・FW17。セナとヒルはFW17に乗りベネトンのシューマッハとのバトルを展開(ヒルの援護あり、チャンピオンはセナかシューマッハ)・ウィリアムズ・ルノーとの別れを告げ、1996年シーズン、フェラーリへと移籍。フェラーリ入りを果たしたセナはチャンピオンの座に見放されていたフェラーリを王座へと返り咲くためにチームのために努力する(チャンピオンはシューマッハ)。・そしてフェラーリでダブルチャンピオンを取った後、セナのF1キャリア最終年はミナルディで終える。という図式が成り立っていただろうなぁ…とね。セナが存命した世界線となるとフェラーリ入りを果たするのはシューマッハではなくセナ。デビッド・クルサードとジャック・ヴィルヌーブのF1デビューはウィリアムズ・ルノーではなく別の中堅チームでF1デビューを飾っていただろうなぁ…と思っていたりしてね…。であの1993年のセナとプロストとの和解が本当だったとすれば、プロストがF1チームを立ち上げた事を聞いてセナはプロスト・グランプリのテストドライバー兼アドバイザーとして携るが…プロスト・グランプリにセナが入ったとしたら…どうなるかは分からない…。もしかすると第3期ホンダF1のテクニカルアドバイザー兼テストドライバーとしてホンダ・RA099をテストドライブ。マシンデザインはハーベイ・ポスルスウェイトとウィリアムズでの友だったエイドリアン・ニューウェイとなっていたりしてね…。ポスルスウェイト逝去後、マシン開発をセナとニューウェイが引き継いで、セナは第3期ホンダF1の一員として若手たちを育成、見守る立場になっていただろうなぁ…てね。
ポスルスウェイト博士が生きていたら、というifストーリーも是非お願い致します…🙏
毎度です。私もセナがフェラーリへは考えますね~。さすがにホンダ3期の一員までは行けませんでしたよ。さすがですな!
おつかれさまです覚えているのはボトンミングしまくりながら必死に走っているセナとそれにも関わらず完全に食らい付いているシューマッハーが印象的でした 離したいけど離せない、まるで世代交代の瞬間をまざまざと私達は見ているかの様でした そして事故後の情報で今でも納得していないのは「ステアリングロッドを短くする為に溶接していた事」でしょうか 他の全ての産業でもそうですが負荷がかかる所の溶接措置は止めて欲しかった。。。 事故映像でなんとかコーナリングしている最中に「パンッ!!」と右に曲がったのか、それとも直進してしまったのか分かりませんがあの光景が目に焼き付いています安全規定の改革は止める事無く、この先もぜひ進めて行ってほしいですね💦
毎度です。そうですよね~。私もいあの事故はわすれられません!次回何か起きたのかじっくりお話させていただきます!
裁判が始まったことは存じてましたが,そんなに長期間続いていたのですか.セナが居なくなってからは,私の心はF1から,どんどん離れていった,という感じでした.アンチの方だったのですけれど,その凄さをリアルタイムで観ることができたのは,幸せでした.ちなみに,もうアンチではございません.
セナの事故以降レギュレーションが大きく変わってつまらなくなったという声も少なくないですが、よりドライバーの安全確保は当然だと思います。そもそも94年開幕前からの事故は異常事態でしたからね…
フロントウィングが脱落したシムテックは無罪?どころか裁判にもなってないので当局の捜査方針もどうなんやろ?って思う中継始まる前のニュースで??でも途中まで普通に中継してからのいきなり解説3人のパドックショットだったの記憶してるわ
毎度です。そうなんですよね。シムテックは不起訴なんですよね。へんなお話ですよね。
五輪もそうだが、F1はヨーロッパによるヨーロッパの為の祭典。特にこの時代はそう。だから唯一ヨーロッパ以外の日本の最強チームへの思い入れが強かったのだろう。ホンダ撤去の後のセナの寂しそうな表情が物語っている。F1チームがステアリングロッドを溶接で繋ぐなんてあり得ない。明らかにセナへの対応を軽視している。セナの神経質かつリスクを取りすぎるスタイルは敵が多いというか、本気で魂入れてこの人のために仕事しようとする人が少なかったことも影響しているかもしれないが、ホンダ撤去で居場所がなかったように感じる。
ウィリアムズがセナとプロストみたいになるのを嫌って・・・って言う説もあれば。暗殺って言う話もあったよね。
私は、セナがウィリアムズとニューウェイ、ヘッドから嫌われていたんじゃないかと思ってます。それは、セナが、マシンに文句を言うことが、細かく、いっぱいあるということですね。ウィリアムズではそういうドライバーは嫌われるみたいですね。そのくせ、テストドライバー上がりのヒルは気に入られていたと言われていますよね。しっかりしたコンセプトで作ったマシンのようだけど、セナの好みのハンドルにするために急造で作ったら、ステアリングシャフトが壊れたというお粗末なお話を聞いていると、そんな気がしてならないです。
ばあちゃんも、黄色いヘルメットを見ると、セナか? セナか? と言っていた。F1なんて何も知らないくせに。それくらいのブームでしたよ、当時は。ばあちゃんは、意味のない裁判だべ、と言っていました。ばあちゃん、正しいなぁと思いましたよ、当時ガキのぼくは。セナも、ばあちゃんも、もういない。ぼくは、、。
毎度です。うちのお袋は現在80歳、当時50前、私と一緒にセナを応援してました。今でもたまにセナの話をします。フジテレビの通販でセナの金の時計を10万も出して買ってました。まんまとフジテレビにやられたお袋は今でもその時計の価値が上がると信じています。
セナは居ませんが、F1は続いて行くわけです。と涙ながらに語った今宮さんの姿が、鮮明に脳裏に焼き付いています。
今頃はきっと天国で再会を果たしていることと願っております。
うわ〜セナと今宮さんの再会は泣けてしまいますよ。
現役中のアイルトン・セナを観られたことにただただ感謝しています。
毎度です。そうですよね。あの興奮をもう一度という思いでずーっとF1観ちゃってます。
ジンナマはTIサーキットでセナオープニングラップでラリーニに追突事故でSUZUKAでセナ見れない!☆たぶんベネトンやね。
この事故があったからこそ、後の安全性が発展を促せた尊い犠牲
セナは本当に憧れの人であり、そして人生のお手本となり今でも心の中で生き続けています
最も大切な現実や、その時に起こった事実を丁寧に伝えて頂き感謝です
毎度です。泣けてきちゃいますよ。素晴らしいコメントありがとうございます😭
しかし安全性を重視しすぎて、スリルが失われた気がします。この年のベルギーGPのオールージュは
何じゃコリャ❓でしたもん
@@たくまひが
仰る通りですが
サンマリノGPのタンブレロは
1987年 ネルソン ピケ。
1989年 ゲルハルト ベルガー。
二人共に、同じ様なクラッシュを起こしていました。😢
クラッシュした瞬間は「あーやっちゃった…」程度の認識でしたがどんどん深刻な状況が伝わってきて動揺が止まりませんでした…
当時実況していた三宅アナは今年フジテレビを定年。今宮さんはいなく、自分は50歳間近と時の流れを感じてるけど、
事故のときと後と複雑な感情は今も事故の事を考えるとモヤモヤする。
毎度です。そうですね、随分、時が流れましたが、確かにまだモヤモヤしますよね~
セナの脳みそが見えてた話しは初めて知ったので、ビックリしました。
動画ありがとうございます。次の動画もお待ちしております。
毎度です。いつもありがとうございます!
この事故があった直後、ピットウォールで泣きじゃくるニューウェイの姿が印象的でした。
事故以降、自分の責任だとニューウェイはかなり思い詰めていたみたいですね。そのせいか、94年以降にデザインされたマシンは、「さすが」と唸らせるものはあっても、空力を突き詰めた過激さというものは影を潜めた感じになりました。
毎度です。そうですね。サンマリノ以降は鬼才ニューウェイのアプデとはちょっと違う感じがしましたよね。ドライバビリティをしっかり考えたものだったと思います。セナの死が彼を成長させたのかもしれませんね。
この事を避けては通れませんよね。
あの翌日録画したビデオを再生した時、いつものF1中継と全く違い解説陣が並んで出てきた時「何事?」と思いました。
そしてセナの死が知らされた時に今宮さんが号泣しだしたのは今でも覚えています。
そしてその後に出てきたテレメトリーで改めてセナの才能に驚かされたり、最近の話でこの時の週末にプロストと無線で談笑していたなんて事を聞くにつけやはり失ったものは大きかったなと思ってしまいます。
改めてアイルトン・セナ・ダ・シルバのご冥福をお祈りします、
うぉ~やばいっす。泣けてきますよ~。本当にもったいない人を亡くしてしまいました。
フジテレビのセナ押しは凄かったからね!┐('~`;)┌
@user-zx1uk4sj5o
1994年、フジTVのF-1総集編
サンマリノGP。ナレーションの
城達也さんは、この血塗られた
レースを評して、こう言いました。
『運命の悪魔が、紅い舌を出した』
無くなる直前、とんねるずの生だらカート対決に来て下さったのは本当に感動的で、本当に事故が悔やまれます。ご冥福、心よりお祈りします
200kmでコンクリートウォールに叩きつけられた衝撃、と言われているが
シド・ワトキンスは「それが直接の死因ではない、彼の体は頭部以外致命的なところはなかった、ステアリングロッドが頭部に衝撃を与えていなければ彼は歩いてピットに帰ってきただろう」
とコメントしていたね
毎度です…
辛く、でも分かりやすい動画でした。
事故当時はセナ自殺説というトンデモ説まで出ていましたね。でも異常を察してからの1.5秒前後、生きるための必死なマシンコントロールをしていたのを知って、人知れず号泣しましたね。
神様に愛されたセナよ、永遠に…。
たしかステアリングコラムの改造はセナからの要望だった筈なので それが原因なら皮肉な結果ですが 対処が溶接だった事に驚きました。
今宮 純さんが再三指摘していたタンブレロのバンプが裁判で問題視されなかったのもボイコット問題があったからなんでしょうね。
当時リアルタイムで兄が見ており、セナが!って叩き起こされ、その現実に自分も兄も泣いてしまいました。
そして今回の動画と皆さんのコメント泣いてまいます。
ロスマンズカラーの美しいFW16を操るセナの勇姿はもっと見たかったです
こんばんは。
とても詳しい内容が、大変わかり易くまとめて頂いており、とても理解が深まりました。
当時私は中学三年生で、中継が開始される前に、ニュースジャパンでセナの事故の速報が入り、自室でコッソリ中継を観ようと布団で待機していた私は母に叩き起こされ、衝撃を受けた事は未だに覚えています。
サンマリノグランプリの予選の中継も観ていて、フリー走行でのバリアンテで、空中に浮きながら大クラッシュしたバリチェロの映像、更には予選でビルヌーブで大クラッシュしたラッツェンバーガーの映像を目の当たりにし、只事ではない事が続いていたグランプリだとも、記憶しています。
セナが亡くなった後で、様々な出版社から発売されたセナに関するムック本を買い漁り、沢山読みましたが、致命傷の事をこちらの動画の様な内容で語られた物はありませんでした。
セナを救出するシーンが空撮で中継されていたのを観ていましたが、ここで紹介されていた程の3つの怪我をセナは頭部に負っていたとは、全く知りませんでした。
ヘリで運ばれたときは、きっと助かるはずと、心の中で思っていましたが…。
後日談で、セナのコクピットには、ラッツェンバーガーの母国であるオーストリアの国旗が収められていたと知り、勝利をローランドに捧げるつもりだったと推察されるセナの気持ちを知り、優しい漢だったのだなと当時思いました。
セナが亡き後で、東急東横店だったか、セナ展を開催していたので、家族で観に行きました。
イモラで使用されていたグローブの片方が見付かっていない、と展示物に書かれていたのを見て、とんでもない輩がいたのかと、怒りを覚えたのも記憶しています。
もうすぐあれから、30年が経とうとしていますね。
長々すみません。
毎度です。貴重なコメントありがとうございます!もうあれから30年ですよ。それでもセナを思う気持ちがまだこれだけの皆さんの心の中にあるのかとあらためて彼の偉大さを実感します。
当時生中継を見てて、大クラッシュの後セナのヘルメットが動いたので、大丈夫やと思ってましたか、、、、
亡くなってしまい、衝撃なあの日の事を今でも忘れません。。泣けてくる。
有り難うございます🙇
そうなんですよね。グッテっとしてるセナのヘルメットが動いて、私も大丈夫かなと思いました。あ~悲しい、泣けてきます。
お疲れ様です。私自身、リアルタイムで経験したグランプリの歴史の中でも最も衝撃的な出来事でした。敢えて多くは語るまい、と思いつつも、30年近く経った今でもなお、少なからぬ感情が込み上げて来ます。「あの瞬間」を捉えた公式・非公式の映像は現在でも様々残っていますが、個人的に最も印象的なのは やはりミハエルのオンボードです。フロア下からスパークを吹き上げつつ、タンブレロからコースアウトしたセナのマシンをミハエルが「チラッ」と見送る瞬間、まさにあの瞬間、彼にとっては超えるべき目標もライバルもいなくなってしまった孤独な「皇帝」への道がスタートした訳です。遂に亡くなる瞬間までグランプリの頂点で在り続けたセナからミハエルにバトンが引き継がれた瞬間、明らかにグランプリの世代交代の瞬間ですね。仰る通り、あの事故は様々な要因が積み重なった「複合事故」だと思います。諸説ありますが、今となっては責任の所在は永遠の謎になってしまった感があるとは言え、複合要因の一つ一つを検証・解決する事が、稀代のワールドチャンピオンの不幸な事故死に対する せめてもの餞である事は間違い無いと思います。奇しくも今は亡き今宮さんが仰った通り「グランプリに携わる全ての関係者からファンに至るまで、この悲しい出来事から決して目を背けてはならない。」まさに至言だと思います。惜しむらくは、過去のピケ、パトレーゼ、ベルガー等のタンブレロでの同様の事故に対する運営側の厳格な事故検証が実施されていたならば…、後悔先に立たずですね。動画をUpされるIne様の重いお気持ちもお察しします。次回も期待しております。改めまして、合掌。
毎度です。いつもありがとうございます。確かにミハエル視点で考えてみるとおっしゃる通りあの瞬間なんですよね。あそこから孤独の皇帝の歴史が恥かったんですよね。そして今宮さんの仰る通り、目を背けてはいけないんですよね。それにFIAが気が付くのが遅すぎなんですよね。80年代前半まで、まるでパーツのような扱いを受けたドライバー達をなぜ守るために必死になれなかったのか、あまりにも遅すぎましたよ。本当に
お疲れ様です。事故当時は子どもだったので、朝のめざましテレビで事故のニュースを知ったのですが、
国葬で泣きじゃくる人々を見て、ようやくセナが死んでしまってもう見られないことを理解した記憶があります。
セナの年齢を最近超えてしまって、なんてセナは短い生涯だったのだろうかと、思ってしまいました(泣)
録画したビデオ、まだ持ってるんですよ…事故後の空撮でセナの頭が少し揺れてるのを見て
「頭動いてる!まだ大丈夫だ、セナが死ぬわけがない」って願っていたんですが非常に残念です。
裁判については全く知らなかったのでこちらで知ることができて勉強になりました。
同じ週末にルーキーとチャンピオンがいなくなった事はショックでした。
何かが、どこかがおかしい、そう思いました。
改めて謹んでご冥福をお祈りいたします
つ 遂にこの回が来たか…。
中継での、セナのグッタリ具合からやばいな〜と、思ってましたが そんなに酷い状態だったのはショックです…。
セナの事故は、バリ島で知りました。現地の新聞の一面でっかく写真入りで載っていました。
本当にびっくりしました。
あの日の中継は今でも忘れられませんね。
不覚にも寝てしまい(父親に寝ろと見ている最中に部屋を追い出された)その瞬間は見ることはなかったのですが、その晩見た夢は今でもしっかり覚えています。
どんな夢だったかというと、セナが大きなクラッシュをしましたが無事でしたというF1中継を見ている夢でした。
でも次の朝起きてあれは夢だったんだと気づかされ、慌ててテレビをつけたら、丁度セナの死亡を伝えるニュースが流れていました。
今から28年も前の話なんですよね、時間はあっという間です。いつか自分が死ぬまでにセナのお墓参りはしたいと思っています。
セナの現役時代のわずか1年とちょっとだけでしたが見ることができたのは今でも誇りです。
あの日のテレビ中継は、エキゾーストの音が割れてて不気味だったのを覚えてます
毎度です。私もあの日は何か不思議な力が働いていたような気がしてなりません!
昔のインタビューでセナが「もし自分が大きな事故にあうなら痛みも感じずに逝きたい」みたいな事を言っていたと思います。クラッシュの瞬間に意識を無くし旅立っと思っただけ良かったと、当時に思いました。
’94年はまだ中継を必ずリアルタイムで観ていましたから事故の瞬間も観ていました。特別セナのファンと言うわけではありませんでしたが、ローランド・ラッツェンバーガーの事もあったにしても、まさか彼が亡くなるとは夢にも思っていませんでした。眠気も冷めて弟とジーっとTVを観ていたことを覚えています。セナ死亡、裁判関係のニュースはあまりに痛ましくてほとんど読んだことがありませんでしたので、直接の死因も今回の動画ではっきりと知りました。
前日にラッツェンバーガーも亡くなっているんだよなー
こうして聞いていると改めて酷い事故だった😢
今宮さんも泣いてたよね
おばんです!
セナ事故数年前、タンブレロコーナーでベルガー、パトレーゼがクラッシュ、無事帰還した事があったので、クラッシュ瞬間はそこまで深刻とは思っていなかったけど、中々コックピットから出てこない国際映像流れて、事の深刻さがじわじわと伝わってきたなー
タンブレロコーナーのアウト側、川が流れててランオフエリア余分に設けられないと言う、今思えば減速しきれないままコンクリートウォールにぶつかる危険が大だった。
車もコックピットが狭いから、ステアリングコラム溶接加工したとか、キックバックで破損…、
もしタイヤ、サスアームが直撃しなければ致命傷までいかなかったのかな…
あれから28年、朝6時前に目が覚めるにまで年取ったけど、あの事故は鮮明におぼえてますわ
安全なF1のはずが、ドライバーが亡くなってしまう。
安全神話の崩壊に当時高校生ながらにショックを受けました。
けどよく考えてみたら、300キロと、とんでもないコーナースピードが出るんだから、死亡事故の危険があって当たり前の競技なんだと、再認識させられた事故でした。
毎度です
セナ裁判が2007年まで続いていたのは知りませんでした。レートの事故の破片を踏んだとか、タイヤの内圧の問題とか、色々議論されていましたね。
印象的だったのはヒルが裁判で「みんな彼がミスをしないと言うが、私はそうは思わない。冷えたタイヤでミスをした」という証言をしていた事ですね。
毎度です。あの不毛な裁判でのウィリアムズ側の証言って考えれば考えるほどわからなくなってくるんです。無理があるような気もしますし、正直な気持ちのような気もしますし、次回そのあたりお話しますので一緒に考えてみてください。
未だに、今宮さんのセナがぁ~って絶叫忘れられません😭😭😭
当時想像していたより絶望的な状況だったんですね。
この日、セナの独走で終わると思い、寝てしまいましたが、ビデオを見て凄く驚いたのを覚えています。レーサーである以上危険は避けられませんが、本当に惜しい方でした。遅ればせながら、彼の偉業にご冥福を捧げます。
お疲れさまです。この事故をリアルタイムで観ていたひとりですが、テレビから流れてくる情報を必死に受け止めようとして頭が混乱した記憶と、セナというカリスマを失ってこれからのF1はどうなっていくのかという不安でいっぱいになり、とても泣いてる場合じゃなかったことを覚えています。このセナの急逝に代表されるように、94年シーズンは混乱が尽きないシーズンになってしまいましたね。
ラッツェンバーガーの母国の国旗を高々と突出し、ウイニングランをしているセナを見て見たかったと思います。
頭をかすかに揺らすセナが映った時、レーシングスーツの腹部部分が既に真っ赤になっているのが確認できるんですよね
そうなるぐらいの負傷を頭部に負っていると医療現場の方も手の施しようが無かったんだろうな
天才は悲劇的な運命を避けられない。これは所詮は俗説だと信じたかったんですけどね
あの事故は本当にあの時代のF1を愛した人達に深い傷を残しましたね…。
あらためて御解説頂く内容を聞くのもつらいですが、忘れてはいけない事だと思ってます。
裁判の内容や判決に関しては特に何もないのですが、事故が起こった後レースを再開した事には未だに納得出来ないんですよね…。現場にいた人達も精神的に辛かったはずなのに、それでもチェッカーまで走らせたチーム、ドライバー達には敬意を持ちますが…う~ん…あのGPは中止すべきだったよなぁ…と今でも思ってます。
解説も辛いかもしれませんが次のウイリアムズ編も楽しみにしております。い
私も全く同意件です🙇
当時のサンマリノグランプリの放送で常にグォングォングォンみたいな反響音の様な音がレース中ずっと聞こえてませんでした?
僕だけでしょうか もうビデオがなくて確認出来ないのですが、ずーと気になってるんです 誰か同じ事気になってる人いないかな?
自分も手元に当時の録画ビデオが無いのですが、反響音のような音がしていた事は30年近く経ってもハッキリと覚えてます。自分の解釈は『衛星中継の不調で音が鳴ってるのか?』ですが、果たして…。
@@petrolhead1109
30年近くたち、夢かとも思っていたので、なんか救われました笑
セナの衝撃とあの音で当時マジで気持ち悪くなってトラウマの様になってます。
TH-camでも一部動画で確認出来ましたけど、もっと音が大きくて(解説が聞こえづらいくらい)気持ち悪かった気がしたのですが・・・・
@@tm-dn2ew
当時の放送形式&VHS録画のせいなのか分かりませんが、同じ印象で記憶してます。自分もTH-cam動画やフジTV_DVD_F1総集編1994で再確認作業をしましたが、『イヤ、もっとワオンワオンしてたな』と思いました。ただし、確か三宅さん今宮さん川井さんの速報挿し込み版の翌日or後日にレース全体の再編集版を放送したハズで、ソッチの方がよりワオンワオンしてた(特に赤旗再スタート以降)印象です。
マップで調べたけど、大体イモラの街中の土地が少ない場所に高速レイアウトのサーキットを作ったのが結果的に大きな間違いだった、鈴鹿の130Rとかも事故が多いけど、ランオフエリアが広いしコンクリートウォールではない、だけどここはランオフエリア狭い所が殆どだし、タンブレロは裏にサンテルノ川が流れていて、幅を広げる事は不可能であった(89年にベルガーが事故を起こした際に、事故後セナと一緒にタンブレロへ行き、そこでランオフエリアを広げようという案を思い付いたようだが、セナが「裏に川が流れているから無理だね。」と言って、それに続いてベルガー「そうだね、じゃあ駄目だね。」と言った事があったらしい。)。
ドクターヘリで運ばれた際に搬送先の病院の駐車場に停めてあった車の天井に無数の血痕があった。とか見たけど、それほど出血ひどかったのか。
ヘリがホバリング中に下に落ちたのか。
時間たってるけど、やっぱり忘れられないです。予選からの事含めフラッシュバックみたいに思い出します。
トップでホームストレートからタンブレロのカメラに変わった瞬間にセナさんがライン外れて「あっあっ❗えっえっ?」ってなりましたよ。
涙腺弱いとダメですねぇ~。
加工したステアリングシャフトの破損が濃厚にしてもコーナリング中にステアリング系統故障すると回避難しい。
中嶋さんの最後の鈴鹿もタイロッド片側破損しても曲がれなかった。
毎度です。ですよね~忘れられませんよね。悲しいです。
リアルタイム勢でした
前年MP4/8で見せた走りが噓のように翳りを見せた矢先でしたね
ウイリアムズが時に打算的で冷酷な行動をするのは昔からですが
それは他の名門チームにも言える事です
いつも動画を楽しく拝見させて頂いておりありがとうございます🙇♂️
この時代のF-1好き世代としては物凄く衝撃的な出来事で今でも鮮明に覚えております😢
生きる気力が無くなるくらいの失望感がありました。
当日知り得なかった情報を知りとても興味深く拝見させてもらいました。
当時とにかくF-1が好きで毎日繰り返してF-1をビデオで見ていました。
特にセナとアレジが好きでした。
これからも動画楽しみにしております♪
ワーオ、素敵なコメントありがとうございます!やる気出てきました!
このシーズン初めはリタイヤが続き、焦りがこの事故を引き起こした気がします。
マシンの欠点を認知し克服をする前に事故死してしまった・・・。
ドタバタでステイリングのサイズを変更し、その結果がこうなった。セナの好きな
スタイルのマシン(チーム)の機構によって亡くなったのは本望ではないかと思います。
三宅アナの「あーっと!セナが、セナが、ウォールにクラッシュ!」今にも聞こてきそうです…
セナは何でこの時期に座席が合わないとかハンドルの位置や大きさがと開幕前にこれらの問題を解決しておかなかったのだろう、ヒルやマンセルの方が体が大きい訳だしテストに積極的に参加しないと問題点が見つからずこういう事になる。
自分がどうしても思ってしまうのは前日に亡くなったラッツェンバーガーとの違いが大きいことです。あちらは裁判になっておらず扱いに差があるとしか思えないんですよね。自分が知らない検証事実があってのことで同列に扱えないのでしょうが、あそこでレースを中止して安全を見直すということもできただろうに、もしセナの事故が先だったら同じように続行したのだろうか?同じF1ドライバーなのに、なにか考えてしまうんですね。
こう言っては何ですが、中継の演出も相まって、
私はF1はセナとその他のドライバーの戦い、として見えていて、
あまりにも突然に「その他」のドライバーだけになった喪失感をよく覚えています。
速さはともかく、開幕から全くハマっていなかったセナとFW16の最後が、まさか最悪の結果になるとは…
すみません、当時の辛い思いが甦りそうで動画を観るまで2日かかりました。
基本的に私は人間臭さの余り感じないドライバーはチャンピオンであっても好きではありません。全盛期のシューマッハ、アロンソ、ベッテル、ハミルトン。逆にマンセル、ヒル、ハッキネンは人間味があって好きなドライバーです。
しかし、シューマッハがセナの勝利数を越えた際の会見で涙した時には一気に見方が変わりましたね。
その中でセナは強く速いだけではなく、人間臭さが際立つドライバーだったと思います。いかに強くではなくいかに速くを追い求めた少年の様なドライバーだったと思ってます。
セナが居なくなったことでF1に多くのifが生まれたと思います。その後どういうチームで走ったのか?ミハエルは黄金期を作れたのか?そして今日最初戦を終えた現代のF1はどういう姿だったのか。
改めてご冥福をお祈りしたいです。
いつも楽しく拝見してます。公表されているオンボード映像は衝突の直前で途切れていますがそれ以降の映像はあると思いますか?
毎度です。あるんですかね~。正直あってもおかしくないですよね!
@@FormulaIneChannel
ご返信ありがとうございます。
これからも浅めに深掘りよろしくお願いいたします。
@@FormulaIneChannel
オンボード映像の管理者は
FOCA?それともFIFA?
パトリックヘッドはこの事件をキッカケに奥さんと離婚したらしいですね。
あまりにヘッドの対応が他人事だったのに嫌気がさした、と聞きました。こうしてみると、フランク・ウィリアムズもヘッドも変わらない気がしました。
毎度です。60-70年代を経験しているレース屋はそういうところがあるんですよね。ドライバーを交換可能なパーツの一つのように扱うんですよね。まぁ今はそういうことはご法度ですけども、94年当時はまだ少し残っていたんでしょうね。
今になって思えばですがタンブレロのセナの場合はHaloでも防げないような感じで、それこそ現在のインディカーと同じキャノピーが必要だろうかと…
イモラの一件ではコースの舗装状態が悪かった事に加えてセーフティカーの走行性能(オペルの単なる市販仕様車だったとか)が極端に低く、タイヤが温まらずグリップが低下してしまう問題も指摘されていたようで…後にレース仕様と同等のメルセデスAMGを公式セーフティカーに導入するきっかけとなりましたね。
毎度です。そうなんですよね。あの事故、セナにとって死へ吸い込まれるかのようにまさに致命的なダメージをおわされてる感じがするんです。やっぱりあのレースはやるべきじゃなったんです。次回、事故の原因じっくりやらせていただきます。
おはようございます。お疲れ様です。オールドF1ファンにとって忘れられない出来事ですよね。この日、私は左手を骨折して痛みに耐えながらレース見ていたので忘れないですね。クラッシュを見た時、あのコーナーでピケとベルガーがクラッシュしたのと一緒だから亡くなるまでとは思いませんでした。セナファンではありませんでしたが、やっぱり悲しいですね。本当の原因は何だったんでしょうか?
この動画、ちゃんと観ましたか⁉
誤解を恐れずに言うと、この位のクラッシュはそれまでそこそこありましたし、事故後ドライバーは皆ピンピンしていたので驚きました。
前日の予選でラッツェンバーガーが命を落として、今度はよりによってセナかと。
10年以上、F1で死亡事故起きてなかったので、F1でもう人は死なないと思っていたのに。
セナはブラジルのヒーローであり
誰もが憧れる存在でした。
アイルトン•セナ。
不思議な人だったけど、とても魅力がありましたね。
この時の衝撃を、忘れません。
なんとなく、人って簡単に死ぬんだな〜。とか、
モータスポーツって、やっぱり危険と隣り合わせなんだな〜って、漠然と思っていた記憶があります。
寂しいですね。
毎度です‼
1994年5月1日に起きてしまったことは一生涯忘れることはできないと思います。
1GPで2名のドライバーが命を落とし、負傷者は多数という正に「呪われたグランプリ」としか思えません。
あの日のことを思い返すことも辛いですし、アイルトン・セナという稀代のレーサーを喪ってしまったことの重大さは計り知れません。
裁判については不可解な点も複数あるな、と思わされましたがそれは次回にしたいと思います。
没後30年近い時が過ぎようとしていますが、私たちはアイルトン・セナ・ダ・シルヴァというレーサーと同じ時代に生きることができたことに
心から感謝し、彼のことを絶対に忘れないことを誓います。
毎度です!私も誓います!
事故直後、セナがコース脇で応急処置を受けている写真は出回っているのですが、頭部は隠されているものが多いので、余程酷いものだったのかと。
治療中のセナの表情などの写真はあるそうなのですが、未公開のまま封印され、見せるように要求した恋人のアドリアーネにも断ったようです。
セナの事故に関しては、様々な憶測や噂などがでています。
個人的に気になる点として、この年の中継は各マシンがタンブレロに侵入するときは、車載カメラからの映像を多用している印象があります。
ホームストレートからタンブレロコーナー全体を映している映像をあまり見かけません。
(ex.89年のベルガーの事故映像のようなコーナー外側からのアングル)
おそらくそこに、セナの衝突もしくはコースアウトしていく映像に何か不都合なことが映っていた…と想像することができます。
裁判時に論点の一つとなったセナの車載カメラの映像やルノーエンジン側のブラックボックスのデータが消去されているという証拠隠滅の黒い噂があるなど、全体的に何か隠していることがあると言わざるを得ません。
映像を管理しているFOCA、FISAやウィリアムズチーム、グッドイヤー、コース管理者側の責任追及を避けるために何らかのコンセンサスがあり、真相は隠されているように感じます。
当時の関係者が少しずつ鬼籍に入られる時期になっていますが、真相が明らかになる日はくるのでしょうか?
サーキット側の過失では?
非力なマシンで猛追するシューマッハ。。予選ではかろうじてルノーV10でポールを取っていたが、レースデイスタンス305Kmではシューマッハに軍配があった。。この事故がなくても1994年はシューマッハがタイトルを取ったと思われる。その場合、セナは立場がなっかたろうよ。ある意味、いい引き際かもしれない。
マシンの過失と思えて仕方がありません。
忘れてはいけない出来事ですし、今後の若い人達に伝えていかないといけないですね。改めてご冥福をお祈りします。
毎度です。そうですよね。お祈りしましょ。
事故については今までも多くの論評がされてますので、わたしはあまり感想はありません。合掌。ですが、裁判に関しては知らないコトが多く興味深いです。…スイマセン、当時の衝撃がフラッシュバックしてしまい、感情がまとまりません…。裁判について、良く知りたいです。動画での解説をありがとうございます。
初めまして。いつも楽しく観させてもらっています。私もセナの事故の真相を知りたくて、色んな本を読みました。その中の一冊にあった、同じマシンに乗っていたデーモンヒルの言葉が一番印象に残っています。
『セナだってミスを犯す。あの日あの時あの過敏なマシンで、大きなバンプのあったあのラインを走ったらどうなるか?世界最高のドライバーであるセナが分からない筈がない。それでも彼はコンマ1秒でもミハエルを引き離すため、リスクを犯して通ってはならないラインを選んだんだ。』
詳しい描写は忘れてしまいましたが、大筋でそんな事を言っていて、私もコレが最も真相に近いのではないかと思っています。
ステアリングシャフトもウォールにぶつかった衝撃で破壊された事がデータで立証されていますし、メンタルな要因がとても大きかったのだと思います。
当時からプロストファンであった私でも、心に大きな穴が空いた一生忘れられない事故でした。
動画作成は大変だと思いますが、いつも楽しみにしています。無理はせずにゆるゆるとアップしてください。
長文失礼致しました。
おっ暖かいコメントありがとうございます。次回あの事故の検証をしてみたいと思っていますのでいっしょにじっくり考えてみましょう!
この裁判の事はパトリック・ヘッドとエイドリアン・ニューウェイは、無罪になったけど、結局のところ、執行猶予みたいな扱いですね。セナの力では、大きなハンドルの方が、運転しやすいんでしょうね。で、間に合わせに付けたけど、壊れてしまったということですね。
ニューウェイとヘッドに責任があるって流れだけど多少あったとしても原因は2人だけではないはず
不運な要素もあったし
ここ数年死人が出てないという事からFIAの安全に対する過信があり速さだけが進化して途中から安全あまり進化してなかったんじゃないのか?って個人的に思ってしまいます
今でもセナ公式のTwitterとInstagramはフォローしてる。
毎度です。セナの公式があるんですね。知りませんでした。フォローしてみます!ありがとうございます。
ローランドラッツェンバーガーさんの事故が起きたのに、何故中止にしなかったのか
今でも悔やまれるアイルトンセナさん、ローランドラッツェンバーガーさん今もこの2人は生きている、心の中で生きている、だから、僕はサヨナラは言わない
長々と書いてすみません。
毎度です。今でも映像で見ることができるので私の中でも正直あまり実感はありませんし、年を取らないセナがちょっとうらやましいですよ。
もっと言うと、バリケロの大クラッシュから注意すべきだった
サンマリノGPの前のパシフィックGP(日本の岡山県で行われた)の決勝スタートで共にリタイアしたセナとラリーニが2人でベネトンのシューマッハの走りを眺めていた?
セナはベネトンのトラクションコントロールシステム使用を疑っていて他のドライバーにも話を持ちかけていた?
もしかしたらラリーニにも?
毎度です
94年ウィリアムズを語るのに避けては通れない回ですね。。。
事故後から原因や裁判など色々と続きましたね。自分は当時まだ子供ながら不思議と
セナが亡くなるはずが無いって何の根拠もないのに思ってましたねー。ただ、裁判が政治的な色になってしまった事が残念ですね。
毎度です。そうなんですよね。そもそもあれを裁判で解決ってのが、まぁイタリアの法律の下でのお話なのでしかたないんですけども、あの裁判は本当に不毛でした。
これもモータースポーツ!これも人生!!
毎日人生を精一杯楽しみましょう。セナは教えてくれました。。。
何故Iこのレースの事故死原因、セナばっかりなんでしょう?ラッツェンバーガーは?
一周前にフロントウイングを壊してピットに入らなかったからとか。ピットに早く入っていればローランドは亡くならなかったって言われているから、非常に残念。😢
@@projecttakada5183
返信、ありがとうございます。
事故現場が、観ていて好きだった高速コーナーだったので残念です。
事故直後にコースマーシャルがセナに近寄ろうとしないで旗ばかり降っていたのに違和感がありましたが
そういう事だったんだ…
イタリアで事故があるとやっかいなことになりますよね。日本のレース事故もやっかいですがイタリアはそれ以上という印象。
フォントリップスの事故でもジムクラークが長いこと引きずられてました。
リントの事故の後も2年ほどチャップマンが法的な問題でモンツァの会場入りができなくなった為に、その時のみピーター・ウォーが監督代行を務めた事がありました。
71・72年とエマーソン1台でイタリアGPに臨んでいた理由にそんな事情があったとは…
そうですね。エントリー名もワールドワイドレーシングという下請け(とASには書いてあります)のチーム名で、
71年なんかとくに色モノのタービンカー56Bを走らせる徹底ぶりですもんね。
辛いリポート、ありがとう御座います。セナ、フォーエバー!
解説有難うございました。
この年のF1は大きな事故が多かったですね。
セナさんやラッツェンバーガーさん、モナコでのヴェンドリンガーさん。やはり急激なレギュレーションの変更も要因の1つではなかったでしょうか?ならば本当の意味で責任を取らなければいけないのは誰なのか?
考えてしまいます。
ちなみに、せな、って僕の生まれた福島県という地域では、「息子」、とか「お兄ちゃん」、とかいう意味で使われる方言なんです。だから、ばあちゃん世代もF1に詳しかった、とゆー、、、その「セナ」が死んじゃった、、、とゆー、、、
へ〜、それは愛着湧きますな!
当時セナが被っていたヘルメットが、実はライセンスがおりていないものだったらしく、保険金の一部がおりなかったと聞いたことがあります。本当でしょうか。少しでも軽いヘルメットを使いたいと言って、ギリギリのものを使ったとか。確か94年はベルのヘルメットに変更したんですよね?
毎度です。セナがBELLにとにかく軽いヘルメットをと嘆願して作ったものですね。で保険会社の基準は満たしてなかったので保険金の一部が支払われなかったんですがFIAのレギュレーション違反とかではありません。
@@FormulaIneChannel
詳しくありがとうございます。
それから、セナのヘルメットにはBELLのマークがありませんでした。92年シューマッハがBELLにした際には横にありました。長年使っているジャックのも、後ろにありました。
セナがつけないでと言ったのでしょうか。
年齢による衰えなのか、前年と比較し明らかに陰りをみせていたセナ。
まさかこんな結末になるとは…当時の事は今でも鮮明に覚えています。
本来なら94年はシューマッハとの世紀の対決になるはずだったんですが。
著名人の死という意味では最も衝撃的な出来事でした。
バリチェロ、ラッツェンの事故の時点で中止にするべきだったと今でも思っています。
投稿お疲れ様です🙆♂️
セナの死亡原因は未だにはっきりしないですね…。その当時イタリアの医療レベルが低いから助からなかった的な事も言われてた気がします。
fw16もロスマンズカラーがカッコいいですが、セナの事故が印象に残ってしまった非運なマシンだと思います。
毎度です。そうなんですよ。あの事故の原因はいまだにはっきりしませんよね。そのあたり次回じっくりお話したいと思います!!
21世紀少年で、セナを歴史の人としか考えられない自分にとっては、あまりにも神格化されすぎていて、事実がどうあれヒルの「セナは多くのミスをした」が真実に聞こえて来るんですよね...レーサーは生きて帰るまでがレース。例えどんな天才でも死んでしまえばレーサー失格のただの人じゃないか、と.......僕も当時を生きていれば違ったのだろうか?
自分の知り合いのレースメカは「無事にマシンをゴールまで乗って帰って来てくれるのが乗り子の仕事」と言っていました。
自分もレイルトン様の意見は納得です。
毎度です。そうですね~確かにそうかもしれませんね。生きて帰ってきてこそレーサーなのかもしれませんね。当時現役だった私たちの世代はフジテレビとホンダのプロモーションにまんまとやられてるんだと思います。それでもやっぱりセナの走りに熱くなったってことは事実でして虜にされてしまったんですよね。ただそれだけなんでしょう。速いセナが好き。ただそれだけなのかもしれません。理由はたぶん後付けなんでしょうね~。
当時はネットもSNSもなくて情報源はTVと雑誌だけ。その情報に踊らされていた感は否めないでしょうね。
それでも、周囲のドライバーも認める全てをレースに捧げるストイックさと誰も寄せ付けない速さはやはり魅了するものがありましたね。
ルックスもよく王子様風で時折見せる寂しげな表情が母性を擽るのか女性ファンも凄かった(笑)セナ様なんて女性が涙ぐむCMもありましたね。
実際神格化されすぎてる感はある
セナを生で見た世代ですけど、ピケの方が魅力的だったな〜
あと当時のテレビはプロストを悪者に仕立て上げてましたからその影響もあるのでしょうね
プロストの方がレーサーとしては一段上だと思います
セナは3ヶ所も致命傷を負っていたのですね…。
相次ぐ事故や、直前に昔の恋人からよりを戻すように言われていたなど、精神的に不安定だったセナが、ワトキンスや、現在の恋人の助言を受け入れて棄権して出走をやめていれば…もう少しエスケープゾーンがあれば…波打っていた路面が舗装し直してあれば…など、悔恨のグランプリとなりました。
この事故を境に、F1は安全対策以外にも色んなものが違う方向へ進みだしてしまい、日本からも潮が引くようにF1ブームも去ってしまいました。
ブームの頃は女性でもF1を見ていたり、私の母ですらハッキネンファンで、片山やアレジなども知っていたのに、ここ25年は見ているのはもはや一部マニアだけ…。
どーもです。
レース終了後の表彰台獲得3人(シューマッハ、ラリーニ、ハッキネン)の記者会見が非常に印象的でした。
優勝した中央のシューマッハがコメントしている右側の2位ラリーニは視線を斜め前に向けていて、何となくシューマッハを避けている様に見えました。
対して左側の3位ハッキネンはシューマッハに寄り添う様に真剣に耳を傾けていた?
シューマッハに対して快く思わないドライバーもいれば、シューマッハに同情するドライバーもいたような感じがします?
ハッキネンはF3時代ではシューマッハとは同期で良きライバル?F1でも同時デビューだった?
お疲れ様ですm(_ _)m
ウィリアムズのコックピットに優勝して掲げる筈の、ラッツェンバーガーさんの追悼の為のオーストリア国旗🇦🇹が有ったそうですね。
切なすぎます………。
来年でもう30年。ですか❔
いくら月日が流れても
アイルトン セナの事は
絶対に忘れる事はありません❗
この事故の詳細を伝える事は
大変辛い事だっただろうと
思います。😢
配信ありがとうございます❗😢
こんばんわっす…。遂に運命のサンマリノGPと来ましたか…。セナとローランドの事故死…。
IFとしてもしセナがあの事故で落命しなかった場合…セナ存命のF1はこうなっていただろうなぁ…。
1994年以降のセナ
・序盤戦は不安定な信頼性に悩まされていたFW16。だが中盤戦からは大きく改良し、ベネトンのシューマッハとの互角のバトルを繰り広げる(1994年のドライバーズチャンピオンはセナかシューマッハ)。
・1995年シーズン、94年の時を教訓に大きく改善したウィリアムズ・FW17。セナとヒルはFW17に乗りベネトンのシューマッハとのバトルを展開(ヒルの援護あり、チャンピオンはセナかシューマッハ)
・ウィリアムズ・ルノーとの別れを告げ、1996年シーズン、フェラーリへと移籍。フェラーリ入りを果たしたセナはチャンピオンの座に見放されていたフェラーリを王座へと返り咲くためにチームのために努力する(チャンピオンはシューマッハ)。
・そしてフェラーリでダブルチャンピオンを取った後、セナのF1キャリア最終年はミナルディで終える。
という図式が成り立っていただろうなぁ…とね。セナが存命した世界線となるとフェラーリ入りを果たするのはシューマッハではなくセナ。デビッド・クルサードとジャック・ヴィルヌーブのF1デビューはウィリアムズ・ルノーではなく別の中堅チームでF1デビューを飾っていただろうなぁ…と思っていたりしてね…。
であの1993年のセナとプロストとの和解が本当だったとすれば、プロストがF1チームを立ち上げた事を聞いてセナはプロスト・グランプリのテストドライバー兼アドバイザーとして携るが…プロスト・グランプリにセナが入ったとしたら…どうなるかは分からない…。もしかすると第3期ホンダF1のテクニカルアドバイザー兼テストドライバーとしてホンダ・RA099をテストドライブ。マシンデザインはハーベイ・ポスルスウェイトとウィリアムズでの友だったエイドリアン・ニューウェイとなっていたりしてね…。ポスルスウェイト逝去後、マシン開発をセナとニューウェイが引き継いで、セナは第3期ホンダF1の一員として若手たちを育成、見守る立場になっていただろうなぁ…てね。
ポスルスウェイト博士が生きていたら、というifストーリーも是非お願い致します…🙏
毎度です。私もセナがフェラーリへは考えますね~。さすがにホンダ3期の一員までは行けませんでしたよ。さすがですな!
おつかれさまです
覚えているのはボトンミングしまくりながら必死に走っているセナとそれにも関わらず完全に食らい付いているシューマッハーが印象的でした 離したいけど離せない、まるで世代交代の瞬間をまざまざと私達は見ているかの様でした そして事故後の情報で今でも納得していないのは「ステアリングロッドを短くする為に溶接していた事」でしょうか 他の全ての産業でもそうですが負荷がかかる所の溶接措置は止めて欲しかった。。。 事故映像でなんとかコーナリングしている最中に「パンッ!!」と右に曲がったのか、それとも直進してしまったのか分かりませんがあの光景が目に焼き付いています
安全規定の改革は止める事無く、この先もぜひ進めて行ってほしいですね💦
毎度です。そうですよね~。私もいあの事故はわすれられません!次回何か起きたのかじっくりお話させていただきます!
裁判が始まったことは存じてましたが,そんなに長期間続いていたのですか.
セナが居なくなってからは,私の心はF1から,どんどん離れていった,という感じでした.アンチの方だったのですけれど,その凄さをリアルタイムで観ることができたのは,幸せでした.ちなみに,もうアンチではございません.
セナの事故以降レギュレーションが大きく変わってつまらなくなったという声も少なくないですが、よりドライバーの安全確保は当然だと思います。そもそも94年開幕前からの事故は異常事態でしたからね…
フロントウィングが脱落したシムテックは無罪?どころか裁判にもなってないので当局の捜査方針もどうなんやろ?って思う
中継始まる前のニュースで??でも途中まで普通に中継してからのいきなり解説3人のパドックショットだったの記憶してるわ
毎度です。そうなんですよね。シムテックは不起訴なんですよね。へんなお話ですよね。
五輪もそうだが、F1はヨーロッパによるヨーロッパの為の祭典。特にこの時代はそう。だから唯一ヨーロッパ以外の日本の最強チームへの思い入れが強かったのだろう。ホンダ撤去の後のセナの寂しそうな表情が物語っている。F1チームがステアリングロッドを溶接で繋ぐなんてあり得ない。明らかにセナへの対応を軽視している。セナの神経質かつリスクを取りすぎるスタイルは敵が多いというか、本気で魂入れてこの人のために仕事しようとする人が少なかったことも影響しているかもしれないが、ホンダ撤去で居場所がなかったように感じる。
ウィリアムズがセナとプロストみたいになるのを嫌って・・・って言う説もあれば。
暗殺って言う話もあったよね。
私は、セナがウィリアムズとニューウェイ、ヘッドから嫌われていたんじゃないかと思ってます。それは、セナが、マシンに文句を言うことが、細かく、いっぱいあるということですね。ウィリアムズではそういうドライバーは嫌われるみたいですね。そのくせ、テストドライバー上がりのヒルは気に入られていたと言われていますよね。しっかりしたコンセプトで作ったマシンのようだけど、セナの好みのハンドルにするために急造で作ったら、ステアリングシャフトが壊れたというお粗末なお話を聞いていると、そんな気がしてならないです。
ばあちゃんも、黄色いヘルメットを見ると、セナか? セナか? と言っていた。F1なんて何も知らないくせに。それくらいのブームでしたよ、当時は。
ばあちゃんは、意味のない裁判だべ、と言っていました。ばあちゃん、正しいなぁと思いましたよ、当時ガキのぼくは。
セナも、ばあちゃんも、もういない。ぼくは、、。
毎度です。うちのお袋は現在80歳、当時50前、私と一緒にセナを応援してました。今でもたまにセナの話をします。フジテレビの通販でセナの金の時計を10万も出して買ってました。まんまとフジテレビにやられたお袋は今でもその時計の価値が上がると信じています。
どーもです。
レース終了後の表彰台獲得3人(シューマッハ、ラリーニ、ハッキネン)の記者会見が非常に印象的でした。
優勝した中央のシューマッハがコメントしている右側の2位ラリーニは視線を斜め前に向けていて、何となくシューマッハを避けている様に見えました。
対して左側の3位ハッキネンはシューマッハに寄り添う様に真剣に耳を傾けていた?
シューマッハに対して快く思わないドライバーもいれば、シューマッハに同情するドライバーもいたような感じがします?
ハッキネンはF3時代ではシューマッハとは同期で良きライバル?F1でも同時デビューだった?
どーもです。
レース終了後の表彰台獲得3人(シューマッハ、ラリーニ、ハッキネン)の記者会見が非常に印象的でした。
優勝した中央のシューマッハがコメントしている右側の2位ラリーニは視線を斜め前に向けていて、何となくシューマッハを避けている様に見えました。
対して左側の3位ハッキネンはシューマッハに寄り添う様に真剣に耳を傾けていた?
シューマッハに対して快く思わないドライバーもいれば、シューマッハに同情するドライバーもいたような感じがします?
ハッキネンはF3時代ではシューマッハとは同期で良きライバル?F1でも同時デビューだった?