商売上手なあかりちゃんと茜ちゃん

แชร์
ฝัง
  • เผยแพร่เมื่อ 16 ก.ย. 2024
  • ごめんなさい!サムネ詐欺です!
    こちら、落語「蝦蟇の油」より、蝦蟇の油売りの口上をあかりちゃんと茜ちゃんにしゃべって貰っているだけです!
    「使用素材」
    てけひろ様より「紲星あかり フリー立ち絵ver1.0」
    ユメのオワリ様より「琴葉茜立ち絵」
    みんちりえ様より背景「喫茶店」
    min-chi.materi...
    いらすとや様より各種フリー画像
    などの素材を御使用させて頂いております。
    この場を借りて、深く感謝いたします。
    ありがとうございました。
    #voiceroid
    #紲星あかり
    #琴葉茜
    #落語

ความคิดเห็น • 3

  • @4141milktea
    @4141milktea หลายเดือนก่อน +1

    1:41 「はる~~~↑↑か」
    2:16 「とろ~~~↓~↑リ」
    この2言の発音が好きすぎてな・・?
    繰り返し聞いているといつの間にかガマの油が手の中にあったんじゃ

    • @tyabatakemarimo
      @tyabatakemarimo  หลายเดือนก่อน +1

      あかりちゃん+茜ちゃん「「お買い上げありがとうございます!」やで!」

  • @tyabatakemarimo
    @tyabatakemarimo  หลายเดือนก่อน +2

    高評価、チャンネル登録、コメント頂けると作者が喜び小躍りします。
    以下、口上です。
    さあ!御用とお急ぎでない方はゆっくりとお聞きなさい。
    遠目山越し笠のうち物の文色(あいろ)と理方(りかた)がわからぬ。
    山寺の鐘はごうごうとして鳴るといえども童子一人来たり、
    鐘に撞木(しゅもく)を当てざれば鐘が鳴るやら撞木が鳴るやらとんとその理方が分からぬ道理。
    だがしかしお立合い。
    手前持ち出したる棗(なつめ)の中には一寸八分、唐子発条(からこぜんまい)の人形。
    人形の細工人は数多あまた有ると雖(いえど)も、京都にては守随(しゅずい)、
    大阪表(おおさかおもて)にておいては竹田縫之助(たけだぬいのすけ)、
    近江(おうみ)の大條(だいじょう)藤原朝臣(ふじわらのあそん)、
    手前持ち出したるは近江が津守細工(つもりざいく)。
    咽喉(のんど)にはハイ八枚の歯車を仕掛け、
    背中には十二枚の小鉤(こはぜ)を仕掛け大道に棗(なつめ)を据すえ置く時は。
    天の光と地の湿(しめ)りを受け、陰陽合体致したる時、棗の蓋をパッと取る。
    ツカツカ進むが、虎の小走り虎走り、
    雀の独楽(こまどり)、独楽(こま)返えし、
    孔雀、霊鳥の舞。
    人形の芸当は、十二通りある。
    だがしかしお立合い。
    放り銭、投げ銭はおよしなさい。
    手前、大道に未熟なる渡世(とせい)をいたすといえど、憚(はばか)りながら天下の町人。
    放り銭、投げ銭、はもらわぬ。
    しからば、なにを稼業にいたすというに、手前年来売り広める、
    蝦蟾酥(ひきせんそ)四六のがまの油だ。
    そういうガマは俺の家の縁の下や、流しの下にもいると言った御仁もあるが、
    それはおたま蛙、ヒキ蛙といって、薬力と効能の足しにはならん。
    手前持ち出だしたるは四六のガマ。四六、五六はどこでわかる。
    前足の指が四本、後足が六本、これを名づけて四六のガマだ。
    このガマの棲める所は、これからはる~か北にあたる。
    筑波山の麓において、おんばこという露草を食らう。このガマの油を獲るには五月に八月に十月、
    これを名づけて五八十(ごはっそう)は四六のガマの油だ。
    これをとるには四方には鏡を立て、下に金網を敷き、その中にガマを追い込む。
    ガマはおのれの姿が鏡に映るので、おのれの姿をみておのれと驚き、
    たら~り、たらりと油汗を流す。
    これを下の金網にてすき取り、柳の小枝をもって、三七二十一日の間、
    とろ~リ、とろりと煮つめたるがこのガマの油だ。
    赤いは辰砂、椰子の油、テレメンテエカにマンテエカ、
    金創には切り傷、効能は、出痔、イボ痔、はしり痔、横根(よこね)、雁瘡(がんがさ)、
    その他、腫れ物一切に持ちいて効く。いつもは一貝で百文であるが、
    今日はお披露目ため小貝を添え、二貝で百文だ、お立ち合い。
    がまの油の効能はそればかりかというにまだある。切れ物の切れ味を止めるの神の如く。
    手前持ち出だしたるは、鈍刀たりと言えど、先が切れぬ半ばが切れぬ元が切れぬ、
    などという物ではない。さあ、お目の前にて抜いてごらんに入れる、抜けば玉散る氷の刃、
    お目の前にて白紙を一枚切って御覧にいれる。
    一枚の紙が二枚になり、二枚の紙が四枚、四枚が八枚、八枚が十六枚、十六枚が三十二枚になり、
    春は三月落花の形。
    比良の暮雪は雪降りの形。
    かほどに切れる業物(わざもの)でも差裏差表へガマの油を塗る時は白紙一枚容易に切れぬ。
    さあ、お立合い、この通り、切れ味はぴたりと止まり、白紙一枚容易に切れぬ。
    この通り、叩いて切れぬ、引いても切れぬ。
    先ほどの御仁のように、面の皮が千枚貼りだから切れぬのであろうなどという口の悪い御仁がある。
    さあ、腕を試して御覧にいれる、御覧の通り叩いて切れぬ、引いても切れぬ。
    拭き取る時はどうかというに、鉄の一寸板も真っ二つ。
    ちょっと触ったばかりでも、このくらいは切れる。
    こんな傷は何の造作もない、ガマの油を一つけつける時は、
    痛みが去って血はぴたりと止まる
    なんと、お立合い。