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酷道のひではなく、かなりやばい1つ間違えば一生、家に帰れなくなる道でしたね。あのクソ立派な石碑はせつなすぎます。思い出を共有する人、石碑を知る人が居なくなり見に来る人もいなくなり存在すら忘れられ無に帰る。人ってなんてちっぽけなと哲学的に考えてしまいました。廃村より石碑に人の思念が強く入ってそうで深く考えさせられました(T_T)
いずれあの石碑も崖崩れで埋もれたり、割れたりして、痕跡もなくなっていくんでしょうね。余談ながら、人類のメンテナンスがなくなった後、最も長く存続する人類の痕跡は石板らしいです。プラスチックなどよりも長く残るらしいです。きっとはるか未来、人類以後の知的生命体に見つけ出されて、知的生命体が存在したと気づくきっかけになることでしょう^^。
画面から文字は見えませんが、この村を忘れないこの学校を忘れないというその石碑とは学校敷地入口の左手にある石垣台座上の黒い石碑でしょうか?
@@猪谷歩-p2m さんそうです、学校の運動場の左側(北)にありました。裏に文が刻まれているのですが、角度が悪くて見えにくかったです。写真は撮り忘れました……。
ほんとは、石碑とか残った人の自己満で建てるんですよ。お墓もそうなのかも知れない、だから余計に意味がなくなると虚しくなると書こうとしてやめましたが、書きましたw
@@manabu5771 さんトンネルの上にある奈良県知事の扁額なんか恥ずかしいからやめたらいいのに、とは思いますね(鬼)。ああいう、地域の石碑なんかはまあまあ好きです。林道開通にだれだれさんが私財を投じました、とか。
音楽のセンスが良い
ありがとうございます。
こんなに素敵な回を見落としていたなんて~💦😭
気が向いたら、見逃しも探してみてください(๑╹ω╹๑ )
見てます見てます😃宝物探しみたいでーす😃
ここには 何度も訪れました 平成17年迄郵便局も 営業してましたね 石碑の中に 知人の名前がありました 実家の近くに東の川から引っ越して来てました 北山村の盆踊りをしてました
実家近くに引っ越したということは、東ノ川に移住したということなんですね。わざわざ外から来る人がいたんですね。
隙があると道をいくw
道があると行きたくなるw
学校 めちゃくちゃ でも校庭?らしき広場は草刈りがして有りましたね!神社⛩も有るし手入れに来て居る様ですね
あの広場は校庭でしょうね。手入れするにも、道がひどくて遠いんですよねぇ。
いつも更新楽しみにしてます。切なさの残る動画でした。
コメントありがとうございます。今後も廃村動画をお待ちください。廃村という性格上、あまり明るいものではないですからね。だいたい、せつなくて物悲しいです。
今は普通の家よ❗(笑)小学校時代はお風呂は窯だわ、洗濯機も二層式だよ🎵ハンドルついてた〰️😃懐かしいな❗
二層式は使ったことがあります。今は全自動です。ハンドル付きは母親も知っているようです(笑)
@@niwamaru 蔵もあれば良かったのに❗☺️刀とか高い着物とか色々珍しいのあったみたい(笑)惜しいよねー😞💨
@@藤本桂古 さん刀とか着物いいですね。なんでも鑑定団〜。
蔵は、壊さなきゃ良かったのになー😃(笑)お宝けっこうあったそうよ(笑)でかい農家だったて。
@@藤本桂古 さん蔵の中身も処分したんでしょうねぇ。
懐かしい よく行きましたが今425号線通行止めですね 石碑には知人さんの名前もあります校舎内の落書きは 悲しいです 昭和の終わり後まで林業の人々の飯場もありました
校舎内の落書きはひどいですね。ガラスも割られて、ボロボロになっています。425が通行止めで、直す気もないようなので、今は静かに朽ちていくそんな集落になりました。
こういった廃村を見ると、その村が賑わっていた頃の写真とか見たくなります
コメントとありがとうございます。古い写真はあまりないですねぇ。あっても白黒写真が多く、ネットにはあまり上がりません。探すのも大変です。あと、人の写真なので、動画に使えないのが……。
晩秋の空と日差しが、余計に廃校のもの悲しさを誘いますね・・・
西日の差し込む校舎を見たとき、この写真を使おうと即断しました。もの悲しい感じが増幅されて、訴えてくるものがあると思います。
2005年まで人の営みがあったとは思えない朽ち方ですね。山中の傾斜地に大変な思いをして平地を作り、苦労して建てた家を何代にもわたって補修しながら暮らしていたのと違い、ポンっと建てた家はそれだけ愛着もわかないということでしょうか。それはあの学校も同じなんでしょうね。なまじ立派なだけに侘しさやもの悲しさがひとしおです。一槽式でゴムのローラーのついた洗濯機、小さかった頃家にありました!
そうなんですよね、こういう効率的に作った建物や村はどこか無機質で、愛着が湧きにくい気がします。あるいは、残った人々も、「自分が死ぬまで」というくらいの気持ちだったのかもしれません。自給自足さえ困難な環境で、生活の糧を尾鷲方面に依存しているとなると、あえてこの場所に住む必要はほとんどないわけですし……。うちの母の実家にも、一槽式ローラー付き洗濯機があったそうです(笑)。
久しぶりの廃村動画…!楽しみにしてました。ゆっくり見ます。
視聴ありがとうございます。今回、道中がないので短めですが、学校が見所です。のんびりどうぞ!
明けましておめでとうございます。☺️にわまるさんの、鶏のイラスト可愛い❤️表情が良い。あ、家は東京だけど埼玉寄りだし元農家だから、昔の造りだったわ➰😃立派な蔵も、あったそう。
おー、廃村を回るようになって、古民家もいろいろと調べるようになりました。古い道具とか。奈良県では、北と南で全然作りが違うんですよねー。
立派な石碑があっても、やがて誰もいなくなって忘れられていく。ジーンときました。小学校や公民館など立派な建物が残っていても、そこに人が住んでいた記録や、記憶がないとただの置物。色んな地域でどんどん人がいない村が出来てきて、そこにあった歴史なり風習なりがなくなるのは寂しいですね。いろいろ考えさせられる動画でした。ありがとうございます。
コメントありがとうございます。そうなんです、廃村というのはただ人がいなくなるということではなくて、そこにあった無形の記憶や風習、すべてが再現不可能になるということなんです。動画でできるのは、ただの記録なんです。そこから先を思い描けるように、これからも廃村動画を上げていきたいと思います。
manabuさんのセリフ鳥肌でました。結局、なにもかも諸行無常っすね。
manabuさんのことばが染み入りました。自分自身のことで考えても、祖父母の故郷なんて、定期的に行くことなんてないですからね……離れると、忘れられる。そういうことなんですねぇ。
諸行無常です、あれほどほんと色んな事を考えさせられ虚しく切なくなったことは無いです。空即是色、色即是空
はじめましてー。 にわまるさんの編集と相まって、素敵な旅を拝見しました! またしびれる続編お待ちしてます。
皆んな、我慢して住んでいたんだな、豊かになれば皆んな出て行くな町に住んでる、ヒトは考えられないな
この集落に関していうと、もともと尾鷲方面での出稼ぎが多かったので、水没時にあえてここにとどまる必要を感じなかった人が多かったようです。
私の家は、解体して更地にしました。道路のない場所です。
おお……わざわざ解体するのも大変だったでしょうね。
@@niwamaru 失業してたから、時間はあったから。
wikiを見ると、あの郵便局は2005年まで営業してたんですね。手回し式脱水機が付いた洗濯機などがあったから、もっと昔に離散したのかと思ったけれども。にわまるさんの動画で廃村の建物や道具が残っているのを見ると、そこに暮らした様々な人々の息遣いが感じられるような気がするんですよね。だからこのチャンネルのファンなんです。
ということは、2005年までは誰かしら住んでいたんですね。それから十四年。もっともっと昔に離散したような感じがしますね。なるべく村に寄り添うような動画を作っていきたいです。今後も廃村をよろしくお願いします。
@@niwamaru 7~8年前に東の川集落に行ったとき、人の気配がありました。たぶん、元住民が昔住んでいた家の手入れや神社のお世話のために来ていたのだと思います。直近で私があの集落に行ったのは、3年前だったと思います。今回、にわまるさんの動画を見て軽くショックを受けました。たった3年で集落の荒廃が目に見えて進んでいたからです。とくに、荒れ果てた神社の姿を見て絶句しました。ひょっとすると、お世話をされていた元住民の方がお亡くなりになったのかもしれませんね。僻地に住む同胞たちを厄介者扱いして街に移住するよう仕向けてきたネオリベ指導者共をこのまま放置しておくと、日本はじきになんの魅力もない取るに足りない雑魚国家に成り下がってしまうでしょうね。
@@abarayasoutatu さんそうですね、国道も通行止めが多く、あまり直す気がないようで、時間がかかっています。人の行き来があればもっと短時間で直すのでしょうが……。お世話する人がいなくなると、家屋や寺社はすぐに荒れてきますね。東京だけが栄えて、それとても線香花火の最後の輝きみたいなものなのに、この国の指導者はなぜ何もしないんでしょうね。
@@niwamaru 今の指導者たちは、苦労知らずの二世三世のボンクラばかりですから、現実を直視できないばかりか自分の頭でものを考えるということができません。ですから、若い頃アメリカに留学したり、アメリカ留学組の教授などから刷り込まれたネオリベ的な教義にいつまでたっても忠実なばかりなのです。苦労知らずのボンクラだからネオリベ的なものの考え方に疑問すらもてなかったのでしょうね。ふぅ~と吹けば軽く吹き飛んでしまいそうな下々の営みや痛みはもちろん、そんな人たちこそが社会を支えているという現実を理解できている骨のある人間であったなら、決してネオリベ的なものの考え方には馴染めませから。指導者たちを二世三世のボンクラから骨のある人間に入れ替えることができれば日本は簡単に再浮上しますよ。
立派な公民館や学校まで建て…それでも時の流れには逆らえないのかと、いつもの廃村とはまた違った思いがつのる村でした。学校の敷地内にお墓って珍しいですね。教育に貢献された方だからそこに建てたのか?その方にあやかってそこに学校を建てたのか?どちらにしても、生徒さんたちを日々見守っておられた事でしょう。
あのお墓、漢文調で何か書いてあるんですが、読み取れないんですよね。もしかしたら、ここで亡くなったのではなく、亡くなってからこちらへお墓だけ建てたのかもしれません。今、ここの学校を出た方々はどこにいてはるのでしょうね……。
往時の村の賑わいや、校庭で遊ぶ子供達を連想する。学校が悪のたまり場に成っていたらしいね。悪ガキどもが面白半分に、窓ガラス全部を割ったのでしょう。その後、彼らは”それなり”の人生を送ってるでしょう。
尾鷲側からすると、ちょっと遊びに行きやすい距離だったようで、学校跡はすっかり荒らされてしまっています。今は国道が通行止めなので、来ないと思いますが。
おつかれさまです!まなぶさんと行った廃村がやっときましたね。なんかめっちゃいい動画ですやーん!たこ焼き屋まわってギャーギャー言うてる自分が情けなくなりますやーん(笑)
たこ焼き屋はたこ焼き屋で面白いと思います。五條のたこ焼き屋は行ってみたいです。キャンプツーリングでたこ焼きを作ってみるのも面白いかもしれません。個人的には、バイクの屋台って面白いと思うんですよね。バイクのたこ焼き屋屋台。
待ってました❣️今回の村は随分家屋の数が多いですね。かつては大きな村だったのでしょうか…。鳥居もあり、かなりレトロな雰囲気がなんとも言えない。人さえいればまだまだイケそうなのに、小学校も大きい。でもそれだけに寂しい。割れたガラス窓。廃村なんだ……と、最後は痛感させられる。にわまるさん。お疲れ様でした。
家屋数でいうと10軒くらいですね。廃村としてみると多いほうですが、もしかしたら移住を拒んだのが、ほとんど老人ばかりだったという可能性もありますね。すると、その老人がたが亡くなると自然に廃村に。学校や公民館がやたら立派なのは、ダムの水没保証かもしれません……あのちぐはぐな威容が余計に物悲しく感じさせます。
なんか切ない廃村ですね(T-T)小学校のガラスを全部割るとは…
実は奈良県では有名な廃村なんです。一応、道路があるので、いたずらや肝試しにはちょうどよいんですよね。尾鷲方面のやんちゃな人々の仕業といううわさが……。
お疲れ様でした。立派な公民館と学校はダムの水没補償で建てられたのでしょうか。どれほどの期間使われたものか、古い立派な家の残る廃村とは別の虚しさがありますね。グーグルマップに宮頭神社と西原の神社と出てました。ウォッちずには東ノ川のさらにどん詰まりにお寺のマークがあるw登録者数600超えオメ1000は近い。。。かも
そうですね、多分水没補償ではないかと。正直言うと、建物はあまり面白くないですね、村営住宅……。こういう家って、愛着もわかなくなって、いっそう離散が加速しそうな気がします。どんづまりのお寺マークは薬師堂ですよね。あの道を自分のバイクで奥まで行ける気がしませんww でも、昔は薬師堂のあたりに温泉が湧いたそうです。『東ノ川』という本によると、「いずれは観光資源として期待される」みたいなことが書いてありました。
久しぶりの廃村動画😆待ってました。ワクワクしながら拝見させて頂きました。最後の、にわまるさんの字幕見て、なんか虚しさも淋しさも湧いてきて胸がじーんとしてしまいました。でも、とても良い動画でした😊
manabuさんのつぶやきのおかげですね! 自分では何も思わないようなことでも、他の人と行くと別の感想や見方を学習できて、非常に視野が広がります。言われてみると、子供や孫はお墓参りで来る可能性もありますが、それ以降の人は多分来ませんよね……そして、忘れられていくんですよね……。
秘境に住むからこそ、神社やお寺を必要とするのでしょうか・・・ところでいつもの洗濯機、のところで、にわとり君の目が✨となったのはなぜ(・・?
自分にわかる道具が出てくると嬉しいですよね~。二槽式洗濯機までは自分で使ったこともありますが、一槽式は廃村探訪するまで知らなかったので(母は実家にあるのを知っていたようです)。今の若い子なんか、フイルムのカメラを触ったこともないですからね。いずれその世代が廃村探訪して、謎の機械を発見! とかやるんですよ。
お疲れさまです。何年か前までは、ここに人の営みがあったのですね。子供たちがはしゃぎまわる声とか。街中に住んでいるとそんな場所があるのかと信じられなくなりますが、今後もこういう場所が増えていくのかもしれませんね。ホント、忘れちゃダメなんでしょうけど。。。どうなっていくんでしょうね、この国の未来。。。
電波はありませんが、電機は通っているし、住むだけなら住めます。人が住んでいたら、きっと酷道425号ももう少し整備されて、通行止めも長引かなかったと思うんです。国も会社も末端から切り捨てられ、つぶれていきますからね。末端の泥臭い部分を「非効率」や「無駄」で切っていって生き永らえたとしても、官僚と取締役しかいない国や会社は、存続できないのです。日本は多分、政治家以外みんな死ぬか逃げ出すかして、なくなると思います(笑)。
@@niwamaru 気持ちはわかる気がするけどね土地の生業が成り立たないと若い人も去るばかりで続かないよね山間地の生業の未来について考えてみると良いんじゃないかなバイオマスとか山間養殖魚とか風力発電とか太陽光とか、言うは易く行うは難しかな
酷道のひではなく、かなりやばい1つ間違えば一生、家に帰れなくなる道でしたね。あのクソ立派な石碑はせつなすぎます。思い出を共有する人、石碑を知る人が居なくなり見に来る人もいなくなり存在すら忘れられ無に帰る。人ってなんてちっぽけなと哲学的に考えてしまいました。廃村より石碑に人の思念が強く入ってそうで深く考えさせられました(T_T)
いずれあの石碑も崖崩れで埋もれたり、割れたりして、痕跡もなくなっていくんでしょうね。余談ながら、人類のメンテナンスがなくなった後、最も長く存続する人類の痕跡は石板らしいです。プラスチックなどよりも長く残るらしいです。
きっとはるか未来、人類以後の知的生命体に見つけ出されて、知的生命体が存在したと気づくきっかけになることでしょう^^。
画面から文字は見えませんが、この村を忘れないこの学校を忘れないというその石碑とは学校敷地入口の左手にある石垣台座上の黒い石碑でしょうか?
@@猪谷歩-p2m さん
そうです、学校の運動場の左側(北)にありました。裏に文が刻まれているのですが、角度が悪くて見えにくかったです。写真は撮り忘れました……。
ほんとは、石碑とか残った人の自己満で建てるんですよ。お墓もそうなのかも知れない、だから余計に意味がなくなると虚しくなると書こうとしてやめましたが、書きましたw
@@manabu5771 さん
トンネルの上にある奈良県知事の扁額なんか恥ずかしいからやめたらいいのに、とは思いますね(鬼)。
ああいう、地域の石碑なんかはまあまあ好きです。林道開通にだれだれさんが私財を投じました、とか。
音楽のセンスが良い
ありがとうございます。
こんなに素敵な回を見落としていたなんて~💦😭
気が向いたら、見逃しも探してみてください(๑╹ω╹๑ )
見てます見てます😃宝物探しみたいでーす😃
ここには 何度も訪れました 平成17年迄郵便局も 営業してましたね 石碑の中に 知人の名前がありました 実家の近くに東の川から引っ越して来てました 北山村の盆踊りをしてました
実家近くに引っ越したということは、東ノ川に移住したということなんですね。わざわざ外から来る人がいたんですね。
隙があると道をいくw
道があると行きたくなるw
学校 めちゃくちゃ でも校庭?らしき広場は草刈りがして有りましたね!
神社⛩も有るし手入れに来て居る様ですね
あの広場は校庭でしょうね。手入れするにも、道がひどくて遠いんですよねぇ。
いつも更新楽しみにしてます。
切なさの残る動画でした。
コメントありがとうございます。
今後も廃村動画をお待ちください。
廃村という性格上、あまり明るいものではないですからね。だいたい、せつなくて物悲しいです。
今は普通の家よ❗(笑)小学校時代はお風呂は窯だわ、洗濯機も二層式だよ🎵ハンドルついてた〰️😃懐かしいな❗
二層式は使ったことがあります。今は全自動です。ハンドル付きは母親も知っているようです(笑)
@@niwamaru 蔵もあれば良かったのに❗☺️刀とか高い着物とか色々珍しいのあったみたい(笑)惜しいよねー😞💨
@@藤本桂古 さん
刀とか着物いいですね。
なんでも鑑定団〜。
蔵は、壊さなきゃ良かったのになー😃(笑)お宝けっこうあったそうよ(笑)でかい農家だったて。
@@藤本桂古 さん
蔵の中身も処分したんでしょうねぇ。
懐かしい よく行きましたが今425号線通行止めですね 石碑には知人さんの名前もあります
校舎内の落書きは 悲しいです
昭和の終わり後まで林業の人々の飯場もありました
校舎内の落書きはひどいですね。ガラスも割られて、ボロボロになっています。
425が通行止めで、直す気もないようなので、今は静かに朽ちていくそんな集落になりました。
こういった廃村を見ると、その村が賑わっていた頃の写真とか見たくなります
コメントとありがとうございます。
古い写真はあまりないですねぇ。
あっても白黒写真が多く、ネットにはあまり上がりません。探すのも大変です。あと、人の写真なので、動画に使えないのが……。
晩秋の空と日差しが、余計に廃校のもの悲しさを誘いますね・・・
西日の差し込む校舎を見たとき、この写真を使おうと即断しました。もの悲しい感じが増幅されて、訴えてくるものがあると思います。
2005年まで人の営みがあったとは思えない朽ち方ですね。山中の傾斜地に大変な思いをして平地を作り、苦労して建てた家を何代にもわたって補修しながら暮らしていたのと違い、ポンっと建てた家はそれだけ愛着もわかないということでしょうか。それはあの学校も同じなんでしょうね。なまじ立派なだけに侘しさやもの悲しさがひとしおです。
一槽式でゴムのローラーのついた洗濯機、小さかった頃家にありました!
そうなんですよね、こういう効率的に作った建物や村はどこか無機質で、愛着が湧きにくい気がします。
あるいは、残った人々も、「自分が死ぬまで」というくらいの気持ちだったのかもしれません。自給自足さえ困難な環境で、生活の糧を尾鷲方面に依存しているとなると、あえてこの場所に住む必要はほとんどないわけですし……。
うちの母の実家にも、一槽式ローラー付き洗濯機があったそうです(笑)。
久しぶりの廃村動画…!楽しみにしてました。ゆっくり見ます。
視聴ありがとうございます。
今回、道中がないので短めですが、学校が見所です。のんびりどうぞ!
明けましておめでとうございます。☺️
にわまるさんの、鶏のイラスト可愛い❤️表情が良い。
あ、家は東京だけど埼玉寄りだし元農家だから、昔の造りだったわ➰😃立派な蔵も、あったそう。
おー、廃村を回るようになって、古民家もいろいろと調べるようになりました。古い道具とか。
奈良県では、北と南で全然作りが違うんですよねー。
立派な石碑があっても、やがて誰もいなくなって忘れられていく。
ジーンときました。
小学校や公民館など立派な建物が残っていても、そこに人が住んでいた記録や、記憶がないとただの置物。
色んな地域でどんどん人がいない村が出来てきて、そこにあった歴史なり風習なりがなくなるのは寂しいですね。いろいろ考えさせられる動画でした。
ありがとうございます。
コメントありがとうございます。
そうなんです、廃村というのはただ人がいなくなるということではなくて、そこにあった無形の記憶や風習、すべてが再現不可能になるということなんです。動画でできるのは、ただの記録なんです。そこから先を思い描けるように、これからも廃村動画を上げていきたいと思います。
manabuさんのセリフ鳥肌でました。結局、なにもかも諸行無常っすね。
manabuさんのことばが染み入りました。
自分自身のことで考えても、祖父母の故郷なんて、定期的に行くことなんてないですからね……離れると、忘れられる。そういうことなんですねぇ。
諸行無常です、あれほどほんと色んな事を考えさせられ虚しく切なくなったことは無いです。
空即是色、色即是空
はじめましてー。 にわまるさんの編集と相まって、素敵な旅を拝見しました! またしびれる続編お待ちしてます。
皆んな、我慢して住んでいたんだな、豊かになれば皆んな出て行くな町に住んでる、ヒトは考えられないな
この集落に関していうと、もともと尾鷲方面での出稼ぎが多かったので、水没時にあえてここにとどまる必要を感じなかった人が多かったようです。
私の家は、解体して更地にしました。道路のない場所です。
おお……わざわざ解体するのも大変だったでしょうね。
@@niwamaru 失業してたから、時間はあったから。
wikiを見ると、あの郵便局は2005年まで営業してたんですね。
手回し式脱水機が付いた洗濯機などがあったから、もっと昔に離散したのかと思ったけれども。
にわまるさんの動画で廃村の建物や道具が残っているのを見ると、そこに暮らした様々な人々の息遣いが感じられるような気がするんですよね。
だからこのチャンネルのファンなんです。
ということは、2005年までは誰かしら住んでいたんですね。それから十四年。もっともっと昔に離散したような感じがしますね。
なるべく村に寄り添うような動画を作っていきたいです。今後も廃村をよろしくお願いします。
@@niwamaru 7~8年前に東の川集落に行ったとき、人の気配がありました。
たぶん、元住民が昔住んでいた家の手入れや神社のお世話のために来ていたのだと思います。
直近で私があの集落に行ったのは、3年前だったと思います。
今回、にわまるさんの動画を見て軽くショックを受けました。
たった3年で集落の荒廃が目に見えて進んでいたからです。
とくに、荒れ果てた神社の姿を見て絶句しました。
ひょっとすると、お世話をされていた元住民の方がお亡くなりになったのかもしれませんね。
僻地に住む同胞たちを厄介者扱いして街に移住するよう仕向けてきたネオリベ指導者共をこのまま放置しておくと、日本はじきになんの魅力もない取るに足りない雑魚国家に成り下がってしまうでしょうね。
@@abarayasoutatu さん
そうですね、国道も通行止めが多く、あまり直す気がないようで、時間がかかっています。人の行き来があればもっと短時間で直すのでしょうが……。
お世話する人がいなくなると、家屋や寺社はすぐに荒れてきますね。
東京だけが栄えて、それとても線香花火の最後の輝きみたいなものなのに、この国の指導者はなぜ何もしないんでしょうね。
@@niwamaru 今の指導者たちは、苦労知らずの二世三世のボンクラばかりですから、現実を直視できないばかりか自分の頭でものを考えるということができません。
ですから、若い頃アメリカに留学したり、アメリカ留学組の教授などから刷り込まれたネオリベ的な教義にいつまでたっても忠実なばかりなのです。
苦労知らずのボンクラだからネオリベ的なものの考え方に疑問すらもてなかったのでしょうね。
ふぅ~と吹けば軽く吹き飛んでしまいそうな下々の営みや痛みはもちろん、そんな人たちこそが社会を支えているという現実を理解できている骨のある人間であったなら、決してネオリベ的なものの考え方には馴染めませから。
指導者たちを二世三世のボンクラから骨のある人間に入れ替えることができれば日本は簡単に再浮上しますよ。
立派な公民館や学校まで建て…それでも時の流れには逆らえないのかと、いつもの廃村とはまた違った思いがつのる村でした。
学校の敷地内にお墓って珍しいですね。
教育に貢献された方だからそこに建てたのか?
その方にあやかってそこに学校を建てたのか?
どちらにしても、生徒さんたちを日々見守っておられた事でしょう。
あのお墓、漢文調で何か書いてあるんですが、読み取れないんですよね。もしかしたら、ここで亡くなったのではなく、亡くなってからこちらへお墓だけ建てたのかもしれません。
今、ここの学校を出た方々はどこにいてはるのでしょうね……。
往時の村の賑わいや、校庭で遊ぶ子供達を連想する。
学校が悪のたまり場に成っていたらしいね。
悪ガキどもが面白半分に、窓ガラス全部を割ったのでしょう。
その後、彼らは”それなり”の人生を送ってるでしょう。
尾鷲側からすると、ちょっと遊びに行きやすい距離だったようで、学校跡はすっかり荒らされてしまっています。今は国道が通行止めなので、来ないと思いますが。
おつかれさまです!
まなぶさんと行った廃村がやっときましたね。
なんかめっちゃいい動画ですやーん!
たこ焼き屋まわってギャーギャー言うてる自分が情けなくなりますやーん(笑)
たこ焼き屋はたこ焼き屋で面白いと思います。五條のたこ焼き屋は行ってみたいです。
キャンプツーリングでたこ焼きを作ってみるのも面白いかもしれません。
個人的には、バイクの屋台って面白いと思うんですよね。バイクのたこ焼き屋屋台。
待ってました❣️
今回の村は随分家屋の数が多いですね。
かつては大きな村だったのでしょうか…。
鳥居もあり、かなりレトロな雰囲気がなんとも言えない。
人さえいれば
まだまだイケそうなのに、
小学校も大きい。でもそれだけに寂しい。
割れたガラス窓。
廃村なんだ……と、最後は痛感させられる。
にわまるさん。
お疲れ様でした。
家屋数でいうと10軒くらいですね。廃村としてみると多いほうですが、もしかしたら移住を拒んだのが、ほとんど老人ばかりだったという可能性もありますね。すると、その老人がたが亡くなると自然に廃村に。
学校や公民館がやたら立派なのは、ダムの水没保証かもしれません……あのちぐはぐな威容が余計に物悲しく感じさせます。
なんか切ない廃村ですね(T-T)
小学校のガラスを全部割るとは…
実は奈良県では有名な廃村なんです。一応、道路があるので、いたずらや肝試しにはちょうどよいんですよね。尾鷲方面のやんちゃな人々の仕業といううわさが……。
お疲れ様でした。立派な公民館と学校はダムの水没補償で建てられたのでしょうか。どれほどの期間使われたものか、古い立派な家の残る廃村とは別の虚しさがありますね。グーグルマップに宮頭神社と西原の神社と出てました。ウォッちずには東ノ川のさらにどん詰まりにお寺のマークがあるw登録者数600超えオメ1000は近い。。。かも
そうですね、多分水没補償ではないかと。正直言うと、建物はあまり面白くないですね、村営住宅……。こういう家って、愛着もわかなくなって、いっそう離散が加速しそうな気がします。
どんづまりのお寺マークは薬師堂ですよね。あの道を自分のバイクで奥まで行ける気がしませんww でも、昔は薬師堂のあたりに温泉が湧いたそうです。『東ノ川』という本によると、「いずれは観光資源として期待される」みたいなことが書いてありました。
久しぶりの廃村動画😆待ってました。ワクワクしながら拝見させて頂きました。最後の、にわまるさんの字幕見て、なんか虚しさも淋しさも湧いてきて胸がじーんとしてしまいました。でも、とても良い動画でした😊
manabuさんのつぶやきのおかげですね! 自分では何も思わないようなことでも、他の人と行くと別の感想や見方を学習できて、非常に視野が広がります。
言われてみると、子供や孫はお墓参りで来る可能性もありますが、それ以降の人は多分来ませんよね……そして、忘れられていくんですよね……。
秘境に住むからこそ、神社やお寺を必要とするのでしょうか・・・ところでいつもの洗濯機、のところで、にわとり君の目が✨となったのはなぜ(・・?
自分にわかる道具が出てくると嬉しいですよね~。二槽式洗濯機までは自分で使ったこともありますが、一槽式は廃村探訪するまで知らなかったので(母は実家にあるのを知っていたようです)。
今の若い子なんか、フイルムのカメラを触ったこともないですからね。いずれその世代が廃村探訪して、謎の機械を発見! とかやるんですよ。
お疲れさまです。
何年か前までは、ここに人の営みがあったのですね。
子供たちがはしゃぎまわる声とか。
街中に住んでいるとそんな場所があるのかと信じられなくなりますが、今後もこういう場所が増えていくのかもしれませんね。
ホント、忘れちゃダメなんでしょうけど。。。
どうなっていくんでしょうね、この国の未来。。。
電波はありませんが、電機は通っているし、住むだけなら住めます。人が住んでいたら、きっと酷道425号ももう少し整備されて、通行止めも長引かなかったと思うんです。
国も会社も末端から切り捨てられ、つぶれていきますからね。末端の泥臭い部分を「非効率」や「無駄」で切っていって生き永らえたとしても、官僚と取締役しかいない国や会社は、存続できないのです。日本は多分、政治家以外みんな死ぬか逃げ出すかして、なくなると思います(笑)。
@@niwamaru 気持ちはわかる気がするけどね
土地の生業が成り立たないと若い人も去るばかりで続かないよね
山間地の生業の未来について考えてみると良いんじゃないかな
バイオマスとか山間養殖魚とか風力発電とか太陽光とか、言うは易く行うは難しかな