「神の家族の土台」(シリーズ 教会とは)エフェソの信徒への手紙 2:18~22 2024年11月3日 日曜ゴスペルメッセージ 横浜戸塚バプテスト教会 牧師 堀野浩嗣

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  • เผยแพร่เมื่อ 12 พ.ย. 2024
  • 【シリーズ 教会とは?】  「神の家族の土台」  エフェソ2:19~22
    堀野浩嗣 牧師
    従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。
    (エフェソの信徒への手紙2:19~22)
     「家族とは何か?」をテーマしたドラマや小説やアニメを最近よく目にします。「家族の崩壊」という言葉を耳にするようになって時が経ちましたが、その崩れ度合いは最近ひどくなっています。この言葉の背景には、孤独、孤立、疎外、悲嘆、絶望、憎悪、殺意等々があります。個人化、多様化、超少子高齢化を迎えた今日の日本において、改めて「家族とは何か」が問いかけられているのだと思います。家族とはそれ程軟弱なものなのか。家族はなぜこんなにも難しいのか。家族を結びつける絆とは何か。据えるべき土台とは何なのか・・・。
     人が生きる上で拠り所となる共通の土台は不可欠です。私たちはキリストの尊い血潮による贖いによって、すべての人が罪を赦され、キリストと和解した者、父なる神のもとに大胆に近づくことができる者とされました。それゆえ使徒パウロはキリストを一つの土台とする神の家族とされて生きるようにと言っています。聖書は、わたしたちは神の家族であり、使徒や預言者という土台の上に建てられ、そのかなめ石はキリスト・イエス御自身と教えています。旧新約聖書を通して示された神の救いの計画とみ言葉の永遠の約束が私たちの土台であり、永遠に価値あるものです。そして、そのかなめ石は十字架と復活のイエス・キリストです。これほど堅固な土台はなく、これほど確実な人生はありません。
     同時に神の家族のビジョンは「霊なる神の住まいとなる」ことです。神の家族全体がキリストを土台にして歩む時、建物全体はさらに良く組み合わされ、成長し、地の塩、世の光としてキリストの希望と喜びに満ちて溢れ、人々にそれを伝える者とならせていただけるのです。

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