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「武士が外国軍艦に手も足も出ず無様に負けると支配体制的にヤバいと焦ったのかなぁ?」くらいに思ってたが、なるほど物流崩壊したらたちまち全国で暴動発生確実だからメチャ焦るよなぁ。今まで「風待ち」とか当たり前と思ってたのが「あいつら風なんか無視して何処でも好き勝手に航海出来るらしいで」てなるのも「え? 俺らひょっとせんでもスゲー流行遅れの置いてけぼり?」て焦るわなぁ。
このとき、ペリーが報告書に残したある言葉があって、そこには資料から引用 「実際的および機械的技術において日本人は非常に巧緻を示している日本がひとたび文明世界の過去・現在の技能を有したなら強力なライバルとして機械工業の成功を目指す競争者の一人になるであろう」とまさに、その88年後にアメリカに宣戦布告して太平洋戦争へと歴史は動いて、その前には日清、日露など対外戦争を起こす日本が誕生するペリーはそれを明治維新が起こる1868年明治元年の15年前に予知するそれなりの歴史の偉人だな
めちゃくちゃ良いチャンネルだなこれ。見つけてよかったよ
幕末の遣米使節団が当時最新鋭の工場を見学した際、アメリカ側は「どうせ機械なんて見たことない連中に説明することもないだろ」と高をくくって下級職員に対応させていたけど、日本側から専門的な質問がバンバン出てくるので、慌てて技師長に対応させたのだとか。当時の日本のインテリ達は、機械の実物を見たことがなくても、書籍によって作動原理は完全に理解していたんだよな。こんなことが可能だったのは、文物を通して海外の思想や技術を摂取するのが、千数百年前から日本人の習い性になっていたからだと思う。それこそ天平の頃から。
確かこれ以前に蝦夷地で幕府の部隊はロシアの船と少数の地上部隊にフルボッコにされてたような…。蝦夷地ならまだしも江戸で同じ事やられると思ったら幕府が折れるのも理解できる。
アジア各国の港湾都市では在地領主や政府高官が、東インド会社のような欧米の出先機関からマージンを受け取って港湾使用権や貿易権などを認めていた。そうなると貿易収入はことごとく欧米本国に吸われるし、現地住民は末端労働者としてコキ使われるだけで資本蓄積ができない。領主本人はリッチになるけど、国全体で見ると弱体化に手を貸すことになった。そしてこれが植民地化の第一歩なわけよな。日本は幕府も明治政府も外資主導の貿易を認めなかったのが大きいね。
教科書の江戸初期に載っていた西廻り航路と東回り航路が江戸終盤に重要要素になるとは、名作の伏線回収みたいで凄い
ペリー君って、ど偉い存在感ですね。二百年の差を埋め合わせられたのは奇跡だな、沿岸を抑えられれば、それで終わりか?、ペリー君、いらっしゃる前に、お勉強して来てたらしいんだけれども、井伊直弼君、中々の決断をしたもんだな?、
北海道出身です。函館新政府がプロイセンと契約して、七重村という場所を99年貸すという事態になったこともあるようです(ガルトネル開墾条約事件)。本当にシャレにならない世界線もあり得たんですね。
アメリカより先にロシアが日本に唾付けに来てたんだが、ラクスマンさんは紳士な交渉で日本側の注文を真に受けてはるばる長崎に廻ったり待たされたりしてる内に出遅れた。ペリーはその情報を得て教訓にしたのかどうか知らないが、ガツンと強気に江戸に凸した。
日本より国土と人口が大きい清なのに、ペリー来航以前に既に列強にやられて領土租借や賠償金を強要されていたという情報があり、知識階級の間で知られていたことも、日本が列強の力を見誤ることなく 奇跡的な立ち回りができた理由だと思う。
清より国土が小さい&海洋依存度が高い日本にアヘン戦争クラスの対外戦争が起きたら即再起不可能になってただろうなあ…
@@__-wt1kh様同意です。規模もそうだけど、手段がね。揺さぶりをかけてきたのがイギリスではなく、アメリカだったのがせめてもの幸運でした。
横から失礼します。列強の四すくみ状態で建前上手を出しにくい状態もあったと聞きます。ある意味チャイナの抵抗が日本側に無益な戦いを抑制した(=脅しに屈した)形となり、列強は戦わずして日本から権益を得た形になったのでしょう。この弱腰に対して維新が起こったことは長い目で見れば日本・アジア等の自立(日本は属国状態ですが)に資したというのは間違いないような気がします。
なんだこのチャンネル。面白いな。
当時のアメリカがどのように鎖国時代の日本の情報を仕入れたかは謎ですが、江戸湾の入り口を封鎖して締め上げるという的確な一撃を打てるところに戦巧者アメリカの怖さを感じます
ペリーが来ることとその目的について幕府はオランダから情報掴んでたから、なすすべもなく浦賀停泊を許したわけじゃなさそうだけど。でも実際に圧倒的な海軍力を見せつけられて危機を悟り、御台場建設・海軍伝習所創設等を進めたんでしょう。フェートン号事件の時点で幕府も佐賀藩並みに改革していったら列強入りも数十年早かったかもですね。
最初、バリバリの尊皇攘夷派だった坂本龍馬が勝海舟を斬りに行って、逆に弟子になって帰ってきた。というエピソードがありましたが、その後の二人がしたことを考えると、この動画のようなことを語られたのだろうなあ、なんて思ってしまいました。今回の動画、目からウロコでした!ありがとうございます!
明治って詰まるところ不平等条約の改正のための時代だったわけだけど、江戸幕府が不平等条約を締結しなければもうちょっと楽だったのではという疑問もあった。でも、これを見ると自分でも幕府の立場だったら同じことをしたと思う。そう考えると本当に当時の日本人すごいな。
徳川吉宗は浦賀の重要性に気付いて浦賀奉行を設置している。後に天保の改革で印旛沼の開拓工事で外国軍艦から江戸湾を封鎖された場合印旛沼を利用した水路で江戸の輸送ルートを確保する計画だったが天山の改革の失敗で工事は中止になった。
オランダ風説書で既にカロヴィッツ条約について言及されているなど、幕府はざっくりと情勢を掴んでいたのでしょうがやはり聞くのと現実として目の当たりにするのでは衝撃は桁違いだったんでしょうね。
ペリー艦隊は補給なしでどのくらい日本周辺で活動できたのだろう?
このBGMの頃の軌跡シリーズは良かったなぁ…。軍隊で輜重は大事なのは分かってたつもりだけど、国家運営でも物流って大事なんですねぇ。勉強になりました。
ペリー来航って、ここまでの国難だったのですね。江戸湾の狭い場所が10キロほどなら黒船4隻で封鎖できると。とはいえ幕府も江戸湾に「お台場」を築くことで対抗はしていましたね。第一から第三台場は8ヶ月で完成させたみたいです。だからこそペリーは2回目の来航で品川沖まで侵入したものの、引き返して横浜に上陸せざるを得なかったとか。第五・第六台場と御殿山下台場も1854年内に完成したそうで、鎖国中も西洋の知識や技術は学んでいた成果ですね。
長州藩に関門海峡の封鎖能力があり西回り航路の死命を制していたことも幕末の重要な要素ですね。
ペリー艦隊の来寇、江戸湾(東京湾)奥深くまで侵入を許してしまったことで、幕府もようやく目を覚ました感じですよね。近代海軍の編成、蒸気船の導入、大砲を置くお台場の設置、これらは学校の授業でも習うことだけど、以外と知られていないのが、銚子から利根川と印旛沼と検見川を経由して江戸湾までの流通路の構築とかもやっていた(未完のまま終わったけど)外国船による海上交通への攻撃や江戸湾を封鎖されることの危険性を、当時の幕府も理解していたんだよね。
面白い
泰平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四杯で夜も寝られずこの川柳は一番良くできていると思う。いろいろな言葉がかけられていて、作った人の頭の良さがよくわかる。
ペリーがやってきた一方で、全世界はクリミア戦争に注目していて地球の反対側で行われていたことなんぞ取るに足らなかったというのが結構大きいと思います。おまけにナポレオン戦争から続く西欧列強国内の社会構造の急激な変化に伴う内部抗争激化も大きかったかと。
東回り航路、西回り航路を通商破壊戦+東京湾閉鎖 これは盲点 いかん詰んでる・・・明治陸軍が軍神28㎝砲をこれでもかと整備したもよくわかるお台場の築城もあっという間にできたのが基礎技術の蓄積の甲斐なんだろうなぁ
東の果ての土人の島国を植民地にできないかなーと思ってたら統治機構の人間が存外優秀だったので搾取の条約で済ませた内戦が起きて国力低下するかと思ったらすんなり革命して、王政的なものから民主的っぽい制度にしたのになぜか統制力上がってる幕府の人間も新政府の人間も優秀過ぎて涙出る
こりゃ震え上がって全国の沿岸に「お台場」をつくるわけだ・・・
9:50 小田原とか茂原を使わなくても銚子から利根川江戸川経由で物資輸送はできる(銚子で小型船に積み替えが必要?)だろうけど、それも利根川河口に軍艦1隻でも来たら詰みか…
河川用の小型舟への積み換えによる時間のロス、コスト増加による打撃も相当ですが、房総沖は航海の難所でもありますね。
日本史は日本人と海との関わりの歴史でもある、という観点が面白く非常に参考になります。
今回も面白い考察でした。ありがとうございます。幕府が来航する外国船を長崎へ向かわせようとしたり、横浜を新たに開港地にしたのもいつでも江戸・大阪を封鎖させないようにすることもあったのでしょうね
UPおつかれさまです。今日も楽しく拝見しました。ペリー来航の脅威は艦船による砲撃よりむしろ、船舶の往来を止められる可能性にあったというわけですね。確かに江戸は設立当初から船舶による物資輸送を前提とした街づくりがなされていました。海路からの運河を毛細血管のように張り巡らし、町を拡大するたびに運河を延長することで100万人都市となったわけです。その船が一隻も入れなくなる可能性が当時の幕府の役人達にチラついたとき、その恐怖は如何ばかりのものだったかと思います。次回も期待しています。
太平の眠りを覚ます上喜撰たった四杯で夜も眠れず誰が詠んだか知らないけど、民衆もこの危機感を共有していたことがすごい。やはり飯のこと(物流)が関わると違うのかな。それに引き換え「ただで物が届くと思うなよ」とつぶやいて炎上する現代…
大部分の人間にとっては危機が目の前にあるものじゃないからね当時だって海外の、特に中国や東南アジアで欧米の植民地支配が進んでる事を知識層は知ってたけど、大部分の庶民は知らなかったし他人事だった訳で黒船来航という目に見える形で危機が迫ったから、ようやく目を覚ます事が出来たとも言える(それなら、初めから鎖国なんてせずに東南アジアに進出してればっていう話だけど。既に植民地支配の前段階に当たる居留地は形成されてたし)
参勤交代とかで大名の財政を削るようなことばかりし、自国から外洋に出る必要もなかったので造船技術もそれほど伸びなかった。それがずーと続いていたのだから危機感がなかったんだろうな。だからいきなり江戸に来たので大慌て「オランダからあの船を50隻買えばいい!!」と言い出す老中もいたが蒸気船がどういうものかも知らんかった
地方の人間なので「浦賀沖に黒船が現れた」って単語をただの登場地点だと思っていたが、そっか!海上封鎖できるピンポイントな地点だったんだね!これは目から鱗。
更には、アメリカ側も当然それを知っての上での行動だから…。インテリジェンスの面では、日本は戦国時代が頂点で、それからは坂道を転げ落ちっぱなし。やべぇよやべぇよ。
素人質問なんですけど、黒船ってどこで石炭や水を補給してたんですか?
それで一回の補給でどれくらい東京湾に滞在できたんでしょう?
基本的に当時の世界の海はイギリスが支配していてその『支配』というのは無論物理的(軍事)な意味もあるんですが、当時の船舶燃料である石炭等の補給ポイントを世界各地でおさえていたのもまた大英帝国でした 有名な話かもですがペリーの艦隊って日本へ来るのに太平洋横断ではなく大西洋から世界を半周してやって来た(※)んですがそのルートが『ノーホーク(アメリカ東海岸)』→『セントヘレナ(大西洋)』→『ケープタウン(南アフリカ)』→『セイロン(スリランカ)』→『シンガポール(東南アジア)』→『香港(当時英領)』→『上海(アヘン戦争の結果開港していた)』→『日本』という順番で(無論他にもいろいろ細々と寄ってるとは思いますが🙃)結局ようするにほぼイギリス管轄下の港に寄港することで物資の補給は行っていた(というかアメリカだけでなく当時はだいたいどこの国の船舶もそんなカンジだったらしいです)ということのようです ※これには理由として・当時アメリカは西海岸側(太平洋側)に軍港と言ってよいほどの港湾施設を所有していなかった・パナマ運河実用化前なので東海岸の船舶を物理的に太平洋側に移動させるのが困難であった・当時アメリカには太平洋地域に石炭の補給設備のあてがなかった(これはペリーの開国要求目的の一つでもありますね)等があげられますちなみに今からは想像もつきませんが当時のアメリカ海軍はそれほどの戦力を持っておらず、この少し後の時代の海軍軍人で海洋地政学者のマハンなどはくり返し「(まともな)海軍の設立」を声高に主張していました(^_^;)アメリカ海軍が太平洋を『我が海』とするのは、19世紀後半の海軍近代化とその結果としての米西戦争(1898年)の勝利でスペイン支配下のカリブ海域とフィリピン・グアム等太平洋諸島の獲得、政治工作によるハワイの併合(同じく1898年)、同じく政治工作の結果独立させたパナマにパナマ運河を建設(1914年)したあたりからのようです(その戦略上の意義は主の動画『制海権』『不沈空母』あたりが詳しいかと思います)
その頃出島にオランダ船来てたのかな?その船の装備はどうだったのだろうペリー以前に技術的な差を脅威に感じてはいなかったのかなぁ
西ローマ帝国が滅びた直接の原因は蛮族軍(確か東ゴート王国)がローマを攻めた際に首都を直接攻めずに外港のオスティアを攻略して食糧の搬入を止めたからだと聞いていますが、ペリーはやろうと思えば同じ事をできた訳ですね。ペリーの艦隊がもっとタチの悪い目的での来訪でなかった事が不幸中の幸いでした
9:55 銚子から利根川と隅田川を使って江戸に物資を輸送するルートは、確か当時にもあったはずが。というか房総半島沖は潮流の関係で東(沖)に流されて危険だったから、むしろそっちの方がメインルートだった気が...
醤油の原料輸送に川を使ったことは知っていましたが、遡上していたとは初めて知りました…
江戸期全面通行禁止な鎖国状況みて「あれ、これ黒王理想の暗黒時代なんじゃね?」と思ったの俺だけかな?
香港みたいにならなかったのは日本の努力の賜物だけど、列強本国が南北戦争や普仏戦争やらで日本に目を向けられなくなった運も絡んでそう。ハワイみたいに小笠原はとられてもおかしくないと思う
体感5分で18分持っていかれる動画
ペリー来航の当時のインパクトって今だと東京湾にゴジラ出現したクラスだったんだな…
鎌倉時代から戦国時代まで放置気味だったアイヌ北海道方面だけど江戸時代に入って急に北海道の支配体制を確立させようとしたのもやはりロシアの南下と清の外満州防衛辺りが影響してるんかな?
幕末期、欧米列強に問答無用で戦争吹っかけられなくて本当によかった・・・
ただこの動画の話はあくまでも日本目線の事であって幕末の時期はアメリカも南北戦争が起きたり等で日本に脅しをかけることは出来ても幕府と戦争は出来ない事情があるんだけどね
スイカ割り決死隊・・・
教育という言葉が便利すぎるw明治維新は風雲児たちで読んだだけだが幕府の一部以外のトップはこの事の重要性を理解していないように書かれていましたね。
黒船来航においても技術格差、特に文明の発展段階を画するほどの技術力の違いがいかに大きかったかを知りました。しかし技術も使い方を誤ると自滅したりするので政策も大事、また政策実現には人的資源の向上が必要ですが、今や淘汰による向上は難しく私なんか辛いので 😅、安価・安全な健康(精神・社会的含む)水準の向上技術による世界貢献が、国々の盛衰を分けるのかも……なんてことまで考えてしまうくらい、ためになる動画でした 🌈。
江戸湾を封鎖されたら物流が詰む、だけでもかなり制海権の重要性がわかりますね。流石です。
ありがとうございます!
「風雲児たち」というマンガでは、東海道の海岸近くの道の沖に軍艦を張り付けて、東海道の物流を止めるという作戦が書かれていました。こちら作戦の実効性はどうでしょう。
海軍力を陸軍力で代替出来ないは攻勢の利そのものだな
蒸気機関の実用化や航行技術の発展によって海の役割が180度変わったんだろうな…特に蒸気機関が1番デカい気がする。
そう思うと勝海舟ってやっぱ化け物
勝海舟より勝海舟の義弟で師で有る佐久間象山はペリー来航後に開国する場所を横浜に着目した眼力は凄く開国して直ぐに条約を簡単に結ばずに幕府から使節を派遣すべきの案など現在の人から見たら凄い先見の目が有ると思わせる。
タイミング良く、アメリカで南北戦争、その後北部アメリカの疲弊でアジアへの関心が減少した。これがなかったらアメリカどう動いていたか心配ですね。
当時ヤバい英米蘭独(普)露仏がいましたから...
日露戦争の第二艦隊の苦労がよくわかった・・・今頃
江戸時代や明治初期ですと、東廻りは危険な犬吠埼を避け、大半は千葉の銚子や茨城の那珂湊で利根川・霞ヶ浦水系を利用した河川交通に切り替えます。利根川を利用した水運はコロネット作戦で九十九里浜に上陸した米軍も使う予定でした。その時の米軍は総武本線を破壊してるので鉄路が使えなくなります。ちなみに、利根川水系の利権を巡り、千葉氏・後北条氏・鹿島神宮・香取神宮連合Vs佐竹氏が戦国時代争ってます。最終的には、千葉氏・後北条氏・鹿島神宮・香取神宮連合が勝ちますが、すぐに、徳川氏に利権が移ります。東京湾の制海権は千葉氏・後北条氏Vs里見氏で、ドンパチしてます。最終的には千葉氏・後北条氏になりますが、すぐに、徳川氏に制海権が移ってます。
4隻に出来る事を恐れたわけではなく、その背景にある圧倒的な国力の差に震え上がった
そういえば、横須賀には今でも米海軍の基地がありますね。
これを戦訓に明治以降に浦賀水道周囲に放題や海堡を充実させた訳ですね
参考図書とかってありますか?
相変わらず素晴らしい考察
相手は自分のことを攻撃できるのに、自分からは攻撃できない。こんなの相手から好き勝手言われて、交渉になるわけないですねぇ!おや?ところで現在でも、どこかの国ではそういう状況なような・・・
確かに。輸送が今みたいに整備された道路や大型貨物、鉄道もない時代。船舶輸送しかないもんな。物資輸送には一旦、海に出るけど、その海路への出入口を艦船による軍事力で抑えられた上にその肝心な海軍力で敵わなかったら、物流は滞り餓死するだけ。。。幕府は嫌でも交渉するしか無かったってことだな。しかし、今もこの点は変わってないな。世界中で。特にエネルギー政策に関して。
「たつた四杯で夜も寝られず」の「しはい」は、「支配」でもあったということですかね。
安全な長距離から大火力を一方的に叩き込む、という近代戦術の基本がいかに大事かという事案
日本、江戸時代って海運立国として内航には著しい発達をしてますよね…。千石舟が大量に往き来してますだけに、湾口を塞がれたら、乾上がりますだけに、危機感凄かったでしょうね…。菜の花の沖や、紀伊国屋のお話し、海産の漁民活動、日本の生命線として恐ろしい…。
まぁ日本の武士なら乗り込んで船を乗っ取るとかやりそうですけどね
この頃の欧米と日本の銃器性能差考えたら、乗り込んだそばから撃たれて、それこそ「七面鳥撃ち」と世界から笑いものにされるのがいいオチかと、事実その後の戊辰戦争で使用された銃はすべて基本欧米製か、それのコピーですから。
ペリー艦隊自体の補給はどうしていたんだろう。
お台場は砲台だって聞いたけど、お台場だけじゃ全然足りないんだね
あと、海軍による陸軍の機動性が比較にならないほど大きいのもありますよね。列強と本当にこじれて大義名分を与え存分の本気を出されたたら、数ヶ月で艦隊が世界中から集まり下手をすると数千の大藩の軍事力でも全く勝負にならない重武装軍が、数日で博多江戸大阪を移動し、海岸のどこからでも襲ってこれる状態になる。(実際幕末幕府の直轄戦力も船舶機動始めてますね。)要地に大軍は集められてもこんなん対応できるわけがない、いずれ食い破られ清のように蚕食され、江戸京都も失陥していくのは間違いない。でも、阿部正弘はじめ、既得権益と儀礼でがんじがらめのはずの政府高官達が、初動からそれを良く把握して相克し、動いたなと思うんですよ。他のアジア系王朝国家と比べて、当時の日本側高官、最高指揮官が意外と平均的な活力や能力が高いのもポイントかと思います。自己の安穏な生活の維持や,利益のために売国に走った裏切り者がほぼ全く居ないんですよね、悪くて限界を悟らされて隠棲と言う感じ。260年も続いてる独裁国家で上層部の腐敗が比較的少なく、有為の人材がきちんと出てくるシステムは有史以来一統を守ってきたがゆえの国民性なのか、家康が過去の政権をよく研究して組み立てた結果なのか。なんにせよ、殆どの最高指揮官が船舶機動の速度を身を以て体験してますからね。(でももしかして家斉体制だったらヤバかったのかな)
実際には英露仏独の列強と条約結ぶとグレートゲームに巻き込まれ敵対国に因縁付けられるから、新興国のアメリカを選んだ英露の海上からの脅威で開国を模索してた。
これまた興味深い内容でした。ペリー以前にも北海道や対馬、そして離島にちょっかい出されたのに動きが鈍かったのは、やはり危機感の程度だったんでしょうね。さすが江戸湾口を押さえられたらどうななるか、頑迷な幕府高官でも理解できたという事でしょうか。まあ理解しきれていなかったから維新を迎える事となったんでしょうけど。
人口の多い中国を牽制するには海上航路に影響力を維持し続ける事その為のクアッドって事かな。
現在もシーレーンが封鎖されたら…同じ様な事が起こるね。
4:07 確かに迂闊に薩摩に上陸したら生きて帰ってこれないでしょうねw
おっしゃるとおりなんでしょうが、ペリーは日本のアキレス腱が江戸だと誰に教わったんだろう?鎖国中は地図や航路の情報とか秘密だったと思うけど、・・・オランダか?
消去法でオランダぐらいしかないでしょうね。
間違いなくオランダでしょう、幕府に出す風説書も、オランダに都合悪い情報は消して出してた
当時の日本の舟は木造船、アメリカの舟は蒸気機関搭載の鋼鉄の舟、これじゃ勝てないね。薩摩の島津斉彬は中国、清がイギリスと戦ってフルボッコにされたのを知って、幕府に意見具申しても意見を無視されたから、薩摩が倒幕思想に傾いたのも納得出来る。
浸透襲撃さんに出会えて良かった
江戸時代の東廻海運は、利根川東遷で千葉の方から江戸に荷物を入れていたのでは?
利根川の内陸航路は?
きたきたきたきた 今週末はザクザクな有力者達の新作動画出土ぶりだぜえ
朝一に投稿…おつですよ!!
わかりやすく、そして面白い動画をいつもありがとうございます。楽しく勉強できます。
何となくで制海権は大事だと考えてましたが輸送路補給路と考えた時、自分の考えはまだまだ甘かったという認識になりました。基礎があって初めて状況を考察できる様になるのですね。
背景キツい立地だと思ったが、動画の趣旨的に沿岸都市が必要だったのね。わたしなら初期位置にワシントン立ててアルテミス神殿狙いそう。
ペリー(アメリカ)は列強 後発組で早く戦果を上げたかったから、直接乗り込んだだけって話も有るらしいけどね…で、日本側はその事件で防衛の穴と、現体制の限界を知ったっていう偶然に近い展開だと、個人的には思うけどなんにせよ、日本を目覚め(覚醒)させてくれて、ありがとう!
マシュー・C・ペリー個人も英雄と名高い兄のオリバー・H・ペリーへの対抗心で焦っていたとか言われます
チラッと出したがまたかなりの大物の名前が出たなマハンなんて
ホントいつも勉強になります。もっと広がっても良いと思う。
いつも思うが、このchは歴史への新しい視点を「面白おかしく(ここがミソ)」教えてくれる。
まぁ、ペリー側としても戦闘は避けたかったろうな。補給ないし。
基礎体力あったから急激な変革にも、対応できた。翻って今の日本は・・・?大丈夫だろうか?
教育.....う、頭が。
幕府もアヘン戦争を受けて海軍力の増強に舵を切ったんだけど、肝心の石炭が日本では取れないですからね。これは中国も同じだけど。
満州の日本海沿岸付近に石炭の産地なかったけ?当時ってまだ発見されてない?
満州の炭鉱は20世紀に入ってから開発された物ですね。当時世界の石炭の生産はほとんどイギリスで、日本にいたっては明治初期でもイギリスの100分の1とかそんなもんだったはず。
石炭は日本である程度は出ていましたから石油よずっとましですよ
当時の日本とアメリカって確かそこまで国力変わらなかったよな幕府がしっかり欧州の軍艦買って技術育ててればこうはならなかったんだろうなあ金で技術は買えるけど、技術を国有化するには時間がかかるだろうしてか江戸時代の和船って結構西洋船の特徴を取り込んだししてたんだけど、貿易の窓口であるはずの幕府が知らないわけないのに何してたんだろ
ヒント・『大船建造の禁』(なお江戸中期国内物流の発展とともに商船の分野で効果が薄れていった模様
今日も学びがありました。いやぁ毎回内容がありがたい!
利根川と江戸川経由っていうのは実際どうなんでしょうね
重要な通行路で関宿や銚子はその意味で要の場所だったと認識してますが、船の移動性を考慮した時に、東京湾侵入を超えるほどの意味は持たないような気がします。。。
そういえば近隣の村人が小舟を使って黒船内に薄い本を投げ入れたのでペリーが幕府に対して「えっちなのはいけないとおもいます!><」と抗議する珍事件があった気がするけど…考え方によっては、あれが黒船に対する恐喝行動になったのかもしれないあんなのでも、こちら側が黒船に対して何も出来ないわけじゃないって証明になるからなーw
利根川まで回り込んで水運……ダメか
いいプラモもあると思うが、決定版が欲しい🐬日本の歴史に必ず出てくるものさ👍
「武士が外国軍艦に手も足も出ず無様に負けると支配体制的にヤバいと焦ったのかなぁ?」くらいに思ってたが、なるほど物流崩壊したらたちまち全国で暴動発生確実だからメチャ焦るよなぁ。
今まで「風待ち」とか当たり前と思ってたのが「あいつら風なんか無視して何処でも好き勝手に航海出来るらしいで」てなるのも「え? 俺らひょっとせんでもスゲー流行遅れの置いてけぼり?」て焦るわなぁ。
このとき、ペリーが報告書に残した
ある言葉があって、そこには
資料から引用
「実際的および機械的技術において
日本人は非常に巧緻を示している
日本がひとたび文明世界の過去・現在の技能を有したなら強力なライバルとして機械工業の成功を目指す
競争者の一人になるであろう」と
まさに、その88年後にアメリカに
宣戦布告して太平洋戦争へと歴史は
動いて、その前には日清、日露など
対外戦争を起こす日本が誕生する
ペリーはそれを明治維新が起こる
1868年明治元年の15年前に予知する
それなりの歴史の偉人だな
めちゃくちゃ良いチャンネルだなこれ。見つけてよかったよ
幕末の遣米使節団が当時最新鋭の工場を見学した際、アメリカ側は「どうせ機械なんて見たことない連中に説明することもないだろ」と高をくくって下級職員に対応させていたけど、日本側から専門的な質問がバンバン出てくるので、慌てて技師長に対応させたのだとか。当時の日本のインテリ達は、機械の実物を見たことがなくても、書籍によって作動原理は完全に理解していたんだよな。
こんなことが可能だったのは、文物を通して海外の思想や技術を摂取するのが、千数百年前から日本人の習い性になっていたからだと思う。それこそ天平の頃から。
確かこれ以前に蝦夷地で幕府の部隊はロシアの船と少数の地上部隊にフルボッコにされてたような…。
蝦夷地ならまだしも江戸で同じ事やられると思ったら幕府が折れるのも理解できる。
アジア各国の港湾都市では在地領主や政府高官が、東インド会社のような欧米の出先機関からマージンを受け取って港湾使用権や貿易権などを認めていた。そうなると貿易収入はことごとく欧米本国に吸われるし、現地住民は末端労働者としてコキ使われるだけで資本蓄積ができない。領主本人はリッチになるけど、国全体で見ると弱体化に手を貸すことになった。そしてこれが植民地化の第一歩なわけよな。日本は幕府も明治政府も外資主導の貿易を認めなかったのが大きいね。
教科書の江戸初期に載っていた西廻り航路と東回り航路が江戸終盤に重要要素になるとは、名作の伏線回収みたいで凄い
ペリー君って、ど偉い存在感ですね。二百年の差を埋め合わせられたのは奇跡だな、沿岸を抑えられれば、それで終わりか?、ペリー君、いらっしゃる前に、お勉強して来てたらしいんだけれども、井伊直弼君、中々の決断をしたもんだな?、
北海道出身です。
函館新政府がプロイセンと契約して、七重村という場所を99年貸すという事態になったこともあるようです(ガルトネル開墾条約事件)。
本当にシャレにならない世界線もあり得たんですね。
アメリカより先にロシアが日本に唾付けに来てたんだが、ラクスマンさんは紳士な交渉で日本側の注文を真に受けてはるばる長崎に廻ったり待たされたりしてる内に出遅れた。ペリーはその情報を得て教訓にしたのかどうか知らないが、ガツンと強気に江戸に凸した。
日本より国土と人口が大きい清なのに、ペリー来航以前に既に列強にやられて領土租借や賠償金を強要されていたという情報があり、知識階級の間で知られていたことも、日本が列強の力を見誤ることなく 奇跡的な立ち回りができた理由だと思う。
清より国土が小さい&海洋依存度が高い日本に
アヘン戦争クラスの対外戦争が起きたら即再起不可能になってただろうなあ…
@@__-wt1kh様
同意です。
規模もそうだけど、手段がね。
揺さぶりをかけてきたのがイギリスではなく、アメリカだったのがせめてもの幸運でした。
横から失礼します。
列強の四すくみ状態で建前上手を出しにくい状態もあったと聞きます。
ある意味チャイナの抵抗が日本側に無益な戦いを抑制した(=脅しに屈した)形となり、列強は戦わずして日本から権益を得た形になったのでしょう。
この弱腰に対して維新が起こったことは長い目で見れば日本・アジア等の自立(日本は属国状態ですが)に資したというのは間違いないような気がします。
なんだこのチャンネル。面白いな。
当時のアメリカがどのように鎖国時代の日本の情報を仕入れたかは謎ですが、江戸湾の入り口を封鎖して締め上げるという的確な一撃を打てるところに戦巧者アメリカの怖さを感じます
ペリーが来ることとその目的について幕府はオランダから情報掴んでたから、なすすべもなく浦賀停泊を許したわけじゃなさそうだけど。
でも実際に圧倒的な海軍力を見せつけられて危機を悟り、御台場建設・海軍伝習所創設等を進めたんでしょう。
フェートン号事件の時点で幕府も佐賀藩並みに改革していったら列強入りも数十年早かったかもですね。
最初、バリバリの尊皇攘夷派だった坂本龍馬が勝海舟を斬りに行って、逆に弟子になって帰ってきた。というエピソードがありましたが、その後の二人がしたことを考えると、この動画のようなことを語られたのだろうなあ、なんて思ってしまいました。
今回の動画、目からウロコでした!
ありがとうございます!
明治って詰まるところ不平等条約の改正のための時代だったわけだけど、江戸幕府が不平等条約を締結しなければもうちょっと楽だったのではという疑問もあった。
でも、これを見ると自分でも幕府の立場だったら同じことをしたと思う。
そう考えると本当に当時の日本人すごいな。
徳川吉宗は浦賀の重要性に気付いて浦賀奉行を設置している。後に天保の改革で印旛沼の開拓工事で外国軍艦から江戸湾を封鎖された場合印旛沼を利用した水路で江戸の輸送ルートを確保する計画だったが天山の改革の失敗で工事は中止になった。
オランダ風説書で既にカロヴィッツ条約について言及されているなど、幕府はざっくりと情勢を掴んでいたのでしょうがやはり聞くのと現実として目の当たりにするのでは衝撃は桁違いだったんでしょうね。
ペリー艦隊は補給なしでどのくらい日本周辺で活動できたのだろう?
このBGMの頃の軌跡シリーズは良かったなぁ…。
軍隊で輜重は大事なのは分かってたつもりだけど、国家運営でも物流って大事なんですねぇ。
勉強になりました。
ペリー来航って、ここまでの国難だったのですね。江戸湾の狭い場所が10キロほどなら黒船4隻で封鎖できると。
とはいえ幕府も江戸湾に「お台場」を築くことで対抗はしていましたね。第一から第三台場は8ヶ月で完成させたみたいです。
だからこそペリーは2回目の来航で品川沖まで侵入したものの、引き返して横浜に上陸せざるを得なかったとか。
第五・第六台場と御殿山下台場も1854年内に完成したそうで、鎖国中も西洋の知識や技術は学んでいた成果ですね。
長州藩に関門海峡の封鎖能力があり西回り航路の死命を制していたことも幕末の重要な要素ですね。
ペリー艦隊の来寇、江戸湾(東京湾)奥深くまで侵入を許してしまったことで、幕府もようやく目を覚ました感じですよね。
近代海軍の編成、蒸気船の導入、大砲を置くお台場の設置、これらは学校の授業でも習うことだけど、以外と知られていないのが、銚子から利根川と印旛沼と検見川を経由して江戸湾までの流通路の構築とかもやっていた(未完のまま終わったけど)
外国船による海上交通への攻撃や江戸湾を封鎖されることの危険性を、当時の幕府も理解していたんだよね。
面白い
泰平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四杯で夜も寝られず
この川柳は一番良くできていると思う。いろいろな言葉がかけられていて、作った人の頭の良さがよくわかる。
ペリーがやってきた一方で、全世界はクリミア戦争に注目していて地球の反対側で行われていたことなんぞ取るに足らなかったというのが結構大きいと思います。
おまけにナポレオン戦争から続く西欧列強国内の社会構造の急激な変化に伴う内部抗争激化も大きかったかと。
東回り航路、西回り航路を通商破壊戦+東京湾閉鎖
これは盲点 いかん詰んでる・・・
明治陸軍が軍神28㎝砲をこれでもかと整備したもよくわかる
お台場の築城もあっという間にできたのが基礎技術の蓄積の甲斐なんだろうなぁ
東の果ての土人の島国を植民地にできないかなーと思ってたら統治機構の人間が存外優秀だったので搾取の条約で済ませた
内戦が起きて国力低下するかと思ったらすんなり革命して、王政的なものから民主的っぽい制度にしたのになぜか統制力上がってる
幕府の人間も新政府の人間も優秀過ぎて涙出る
こりゃ震え上がって全国の沿岸に「お台場」をつくるわけだ・・・
9:50 小田原とか茂原を使わなくても銚子から利根川江戸川経由で物資輸送はできる(銚子で小型船に積み替えが必要?)だろうけど、それも利根川河口に軍艦1隻でも来たら詰みか…
河川用の小型舟への積み換えによる時間のロス、コスト増加による打撃も相当ですが、房総沖は航海の難所でもありますね。
日本史は日本人と海との関わりの歴史でもある、という観点が面白く非常に参考になります。
今回も面白い考察でした。ありがとうございます。
幕府が来航する外国船を長崎へ向かわせようとしたり、横浜を新たに開港地にしたのも
いつでも江戸・大阪を封鎖させないようにすることもあったのでしょうね
UPおつかれさまです。今日も楽しく拝見しました。
ペリー来航の脅威は艦船による砲撃よりむしろ、船舶の往来を止められる可能性にあったというわけですね。
確かに江戸は設立当初から船舶による物資輸送を前提とした街づくりがなされていました。
海路からの運河を毛細血管のように張り巡らし、町を拡大するたびに運河を延長することで100万人都市となったわけです。
その船が一隻も入れなくなる可能性が当時の幕府の役人達にチラついたとき、その恐怖は如何ばかりのものだったかと思います。
次回も期待しています。
太平の眠りを覚ます上喜撰たった四杯で夜も眠れず
誰が詠んだか知らないけど、民衆もこの危機感を共有していたことがすごい。
やはり飯のこと(物流)が関わると違うのかな。
それに引き換え「ただで物が届くと思うなよ」とつぶやいて炎上する現代…
大部分の人間にとっては危機が目の前にあるものじゃないからね
当時だって海外の、特に中国や東南アジアで欧米の植民地支配が進んでる事を知識層は知ってたけど、大部分の庶民は知らなかったし他人事だった訳で
黒船来航という目に見える形で危機が迫ったから、ようやく目を覚ます事が出来たとも言える
(それなら、初めから鎖国なんてせずに東南アジアに進出してればっていう話だけど。既に植民地支配の前段階に当たる居留地は形成されてたし)
参勤交代とかで大名の財政を削るようなことばかりし、自国から外洋に出る必要もなかったので造船技術もそれほど伸びなかった。それがずーと続いていたのだから危機感がなかったんだろうな。だからいきなり江戸に来たので大慌て「オランダからあの船を50隻買えばいい!!」と言い出す老中もいたが蒸気船がどういうものかも知らんかった
地方の人間なので「浦賀沖に黒船が現れた」って単語を
ただの登場地点だと思っていたが、そっか!海上封鎖できる
ピンポイントな地点だったんだね!これは目から鱗。
更には、アメリカ側も当然それを知っての上での行動だから…。
インテリジェンスの面では、日本は戦国時代が頂点で、それからは坂道を転げ落ちっぱなし。
やべぇよやべぇよ。
素人質問なんですけど、黒船ってどこで石炭や水を補給してたんですか?
それで一回の補給でどれくらい東京湾に滞在できたんでしょう?
基本的に当時の世界の海はイギリスが支配していて
その『支配』というのは無論物理的(軍事)な意味もあるんですが、当時の船舶燃料である石炭等の補給ポイントを世界各地でおさえていたのもまた大英帝国でした
有名な話かもですがペリーの艦隊って日本へ来るのに太平洋横断ではなく大西洋から世界を半周してやって来た(※)んですが
そのルートが『ノーホーク(アメリカ東海岸)』→『セントヘレナ(大西洋)』→『ケープタウン(南アフリカ)』→『セイロン(スリランカ)』→『シンガポール(東南アジア)』→『香港(当時英領)』→『上海(アヘン戦争の結果開港していた)』→『日本』
という順番で(無論他にもいろいろ細々と寄ってるとは思いますが🙃)
結局ようするにほぼイギリス管轄下の港に寄港することで物資の補給は行っていた(というかアメリカだけでなく当時はだいたいどこの国の船舶もそんなカンジだったらしいです)ということのようです
※これには理由として
・当時アメリカは西海岸側(太平洋側)に軍港と言ってよいほどの港湾施設を所有していなかった
・パナマ運河実用化前なので東海岸の船舶を物理的に太平洋側に移動させるのが困難であった
・当時アメリカには太平洋地域に石炭の補給設備のあてがなかった(これはペリーの開国要求目的の一つでもありますね)
等があげられます
ちなみに今からは想像もつきませんが当時のアメリカ海軍はそれほどの戦力を持っておらず、この少し後の時代の海軍軍人で海洋地政学者のマハンなどはくり返し「(まともな)海軍の設立」を声高に主張していました(^_^;)
アメリカ海軍が太平洋を『我が海』とするのは、19世紀後半の海軍近代化とその結果としての米西戦争(1898年)の勝利でスペイン支配下のカリブ海域とフィリピン・グアム等太平洋諸島の獲得、政治工作によるハワイの併合(同じく1898年)、同じく政治工作の結果独立させたパナマにパナマ運河を建設(1914年)したあたりからのようです(その戦略上の意義は主の動画『制海権』『不沈空母』あたりが詳しいかと思います)
その頃出島にオランダ船来てたのかな?
その船の装備はどうだったのだろう
ペリー以前に
技術的な差を脅威に感じてはいなかったのかなぁ
西ローマ帝国が滅びた直接の原因は蛮族軍(確か東ゴート王国)がローマを攻めた際に首都を直接攻めずに外港のオスティアを攻略して食糧の搬入を止めたからだと聞いていますが、ペリーはやろうと思えば同じ事をできた訳ですね。ペリーの艦隊がもっとタチの悪い目的での来訪でなかった事が不幸中の幸いでした
9:55 銚子から利根川と隅田川を使って江戸に物資を輸送するルートは、確か当時にもあったはずが。というか房総半島沖は潮流の関係で東(沖)に流されて危険だったから、むしろそっちの方がメインルートだった気が...
醤油の原料輸送に川を使ったことは知っていましたが、遡上していたとは初めて知りました…
江戸期全面通行禁止な鎖国状況みて「あれ、これ黒王理想の暗黒時代なんじゃね?」と
思ったの俺だけかな?
香港みたいにならなかったのは日本の努力の賜物だけど、
列強本国が南北戦争や普仏戦争やらで日本に目を向けられなくなった運も絡んでそう。
ハワイみたいに小笠原はとられてもおかしくないと思う
体感5分で18分持っていかれる動画
ペリー来航の当時のインパクトって今だと東京湾にゴジラ出現したクラスだったんだな…
鎌倉時代から戦国時代まで放置気味だったアイヌ北海道方面だけど
江戸時代に入って急に北海道の支配体制を確立させようとしたのも
やはりロシアの南下と清の外満州防衛辺りが影響してるんかな?
幕末期、欧米列強に問答無用で戦争吹っかけられなくて本当によかった・・・
ただこの動画の話はあくまでも日本目線の事であって
幕末の時期はアメリカも南北戦争が起きたり等で
日本に脅しをかけることは出来ても幕府と戦争は出来ない事情があるんだけどね
スイカ割り決死隊・・・
教育という言葉が便利すぎるw明治維新は風雲児たちで読んだだけだが幕府の一部以外のトップはこの事の重要性を理解していないように書かれていましたね。
黒船来航においても技術格差、特に文明の発展段階を画するほどの技術力の違いがいかに大きかったかを知りました。
しかし技術も使い方を誤ると自滅したりするので政策も大事、また政策実現には人的資源の向上が必要ですが、
今や淘汰による向上は難しく私なんか辛いので 😅、安価・安全な健康(精神・社会的含む)水準の向上技術による
世界貢献が、国々の盛衰を分けるのかも……なんてことまで考えてしまうくらい、ためになる動画でした 🌈。
江戸湾を封鎖されたら物流が詰む、だけでもかなり制海権の重要性がわかりますね。流石です。
ありがとうございます!
「風雲児たち」というマンガでは、東海道の海岸近くの道の沖に軍艦を張り付けて、東海道の物流を止めるという作戦が書かれていました。こちら作戦の実効性はどうでしょう。
海軍力を陸軍力で代替出来ないは攻勢の利そのものだな
蒸気機関の実用化や航行技術の発展によって海の役割が180度変わったんだろうな…特に蒸気機関が1番デカい気がする。
そう思うと勝海舟ってやっぱ化け物
勝海舟より勝海舟の義弟で師で有る佐久間象山はペリー来航後に開国する場所を横浜に着目した眼力は凄く開国して直ぐに条約を簡単に結ばずに幕府から使節を派遣すべきの案など現在の人から見たら凄い先見の目が有ると思わせる。
タイミング良く、アメリカで南北戦争、その後北部アメリカの疲弊でアジアへの関心が減少した。これがなかったらアメリカどう動いていたか心配ですね。
当時ヤバい英米蘭独(普)露仏がいましたから...
日露戦争の第二艦隊の苦労がよくわかった・・・今頃
江戸時代や明治初期ですと、東廻りは危険な犬吠埼を避け、大半は千葉の銚子や茨城の那珂湊で利根川・霞ヶ浦水系を利用した河川交通に切り替えます。
利根川を利用した水運はコロネット作戦で九十九里浜に上陸した米軍も使う予定でした。その時の米軍は総武本線を破壊してるので鉄路が使えなくなります。
ちなみに、利根川水系の利権を巡り、千葉氏・後北条氏・鹿島神宮・香取神宮連合Vs佐竹氏が戦国時代争ってます。最終的には、千葉氏・後北条氏・鹿島神宮・香取神宮連合が勝ちますが、すぐに、徳川氏に利権が移ります。
東京湾の制海権は千葉氏・後北条氏Vs里見氏で、ドンパチしてます。最終的には千葉氏・後北条氏になりますが、すぐに、徳川氏に制海権が移ってます。
4隻に出来る事を恐れたわけではなく、その背景にある圧倒的な国力の差に震え上がった
そういえば、横須賀には今でも米海軍の基地がありますね。
これを戦訓に明治以降に浦賀水道周囲に放題や海堡を充実させた訳ですね
参考図書とかってありますか?
相変わらず素晴らしい考察
相手は自分のことを攻撃できるのに、自分からは攻撃できない。こんなの相手から好き勝手言われて、交渉になるわけないですねぇ!
おや?ところで現在でも、どこかの国ではそういう状況なような・・・
確かに。輸送が今みたいに整備された道路や大型貨物、鉄道もない時代。
船舶輸送しかないもんな。物資輸送には一旦、海に出るけど、その海路への出入口を艦船による
軍事力で抑えられた上にその肝心な海軍力で敵わなかったら、物流は滞り餓死するだけ。。。
幕府は嫌でも交渉するしか無かったってことだな。しかし、今もこの点は変わってないな。世界中で。
特にエネルギー政策に関して。
「たつた四杯で夜も寝られず」の「しはい」は、「支配」でもあったということですかね。
安全な長距離から大火力を一方的に叩き込む、という近代戦術の基本がいかに大事かという事案
日本、江戸時代って海運立国として内航には著しい発達をしてますよね…。
千石舟が大量に往き来してますだけに、湾口を塞がれたら、乾上がりますだけに、危機感凄かったでしょうね…。
菜の花の沖や、紀伊国屋のお話し、海産の漁民活動、日本の生命線として恐ろしい…。
まぁ日本の武士なら乗り込んで船を乗っ取るとかやりそうですけどね
この頃の欧米と日本の銃器性能差考えたら、乗り込んだそばから撃たれて、それこそ「七面鳥撃ち」と世界から笑いものにされるのがいいオチかと、事実その後の戊辰戦争で使用された銃はすべて基本欧米製か、それのコピーですから。
ペリー艦隊自体の補給はどうしていたんだろう。
お台場は砲台だって聞いたけど、お台場だけじゃ全然足りないんだね
あと、海軍による陸軍の機動性が比較にならないほど大きいのもありますよね。
列強と本当にこじれて大義名分を与え存分の本気を出されたたら、数ヶ月で艦隊が世界中から集まり下手をすると数千の大藩の軍事力でも全く勝負にならない重武装軍が、
数日で博多江戸大阪を移動し、海岸のどこからでも襲ってこれる状態になる。
(実際幕末幕府の直轄戦力も船舶機動始めてますね。)
要地に大軍は集められてもこんなん対応できるわけがない、いずれ食い破られ清のように蚕食され、江戸京都も失陥していくのは間違いない。
でも、阿部正弘はじめ、既得権益と儀礼でがんじがらめのはずの政府高官達が、初動からそれを良く把握して相克し、動いたなと思うんですよ。
他のアジア系王朝国家と比べて、当時の日本側高官、最高指揮官が意外と平均的な活力や能力が高いのもポイントかと思います。
自己の安穏な生活の維持や,利益のために売国に走った裏切り者がほぼ全く居ないんですよね、悪くて限界を悟らされて隠棲と言う感じ。
260年も続いてる独裁国家で上層部の腐敗が比較的少なく、有為の人材がきちんと出てくるシステムは有史以来一統を守ってきたがゆえの国民性なのか、
家康が過去の政権をよく研究して組み立てた結果なのか。
なんにせよ、殆どの最高指揮官が船舶機動の速度を身を以て体験してますからね。
(でももしかして家斉体制だったらヤバかったのかな)
実際には英露仏独の列強と条約結ぶとグレートゲームに巻き込まれ敵対国に因縁付けられるから、新興国のアメリカを選んだ
英露の海上からの脅威で開国を模索してた。
これまた興味深い内容でした。ペリー以前にも北海道や対馬、そして離島にちょっかい出されたのに動きが鈍かったのは、やはり危機感の程度だったんでしょうね。さすが江戸湾口を押さえられたらどうななるか、頑迷な幕府高官でも理解できたという事でしょうか。まあ理解しきれていなかったから維新を迎える事となったんでしょうけど。
人口の多い中国を牽制するには海上航路に影響力を維持し続ける事
その為のクアッドって事かな。
現在もシーレーンが封鎖されたら…同じ様な事が起こるね。
4:07 確かに迂闊に薩摩に上陸したら生きて帰ってこれないでしょうねw
おっしゃるとおりなんでしょうが、ペリーは日本のアキレス腱が江戸だと誰に教わったんだろう?鎖国中は地図や航路の情報とか秘密だったと思うけど、・・・オランダか?
消去法でオランダぐらいしかないでしょうね。
間違いなくオランダでしょう、幕府に出す風説書も、オランダに都合悪い情報は消して出してた
当時の日本の舟は木造船、アメリカの舟は蒸気機関搭載の鋼鉄の舟、これじゃ勝てないね。薩摩の島津斉彬は中国、清がイギリスと戦ってフルボッコにされたのを知って、幕府に意見具申しても意見を無視されたから、薩摩が倒幕思想に傾いたのも納得出来る。
浸透襲撃さんに出会えて良かった
江戸時代の東廻海運は、利根川東遷で千葉の方から江戸に荷物を入れていたのでは?
利根川の内陸航路は?
きたきたきたきた
今週末はザクザクな有力者達の新作動画出土ぶりだぜえ
朝一に投稿…
おつですよ!!
わかりやすく、そして面白い動画をいつもありがとうございます。
楽しく勉強できます。
何となくで制海権は大事だと考えてましたが輸送路補給路と考えた時、自分の考えはまだまだ甘かったという認識になりました。
基礎があって初めて状況を考察できる様になるのですね。
背景キツい立地だと思ったが、動画の趣旨的に沿岸都市が必要だったのね。
わたしなら初期位置にワシントン立ててアルテミス神殿狙いそう。
ペリー(アメリカ)は列強 後発組で早く戦果を上げたかったから、直接乗り込んだだけって話も有るらしいけどね…
で、日本側はその事件で防衛の穴と、現体制の限界を知ったっていう偶然に近い展開だと、個人的には思うけど
なんにせよ、日本を目覚め(覚醒)させてくれて、ありがとう!
マシュー・C・ペリー個人も英雄と名高い兄のオリバー・H・ペリーへの対抗心で焦っていたとか言われます
チラッと出したがまたかなりの大物の名前が出たなマハンなんて
ホントいつも勉強になります。
もっと広がっても良いと思う。
いつも思うが、このchは歴史への新しい視点を「面白おかしく(ここがミソ)」教えてくれる。
まぁ、ペリー側としても戦闘は避けたかったろうな。補給ないし。
基礎体力あったから急激な変革にも、対応できた。
翻って今の日本は・・・?
大丈夫だろうか?
教育.....う、頭が。
幕府もアヘン戦争を受けて海軍力の増強に舵を切ったんだけど、肝心の石炭が日本では取れないですからね。これは中国も同じだけど。
満州の日本海沿岸付近に石炭の産地なかったけ?
当時ってまだ発見されてない?
満州の炭鉱は20世紀に入ってから開発された物ですね。当時世界の石炭の生産はほとんどイギリスで、日本にいたっては明治初期でもイギリスの100分の1とかそんなもんだったはず。
石炭は日本である程度は出ていましたから石油よずっとましですよ
当時の日本とアメリカって確かそこまで国力変わらなかったよな
幕府がしっかり欧州の軍艦買って技術育ててればこうはならなかったんだろうなあ
金で技術は買えるけど、技術を国有化するには時間がかかるだろうし
てか江戸時代の和船って結構西洋船の特徴を取り込んだししてたんだけど、貿易の窓口であるはずの幕府が知らないわけないのに何してたんだろ
ヒント・『大船建造の禁』(なお江戸中期国内物流の発展とともに商船の分野で効果が薄れていった模様
今日も学びがありました。いやぁ毎回内容がありがたい!
利根川と江戸川経由っていうのは実際どうなんでしょうね
重要な通行路で関宿や銚子はその意味で要の場所だったと認識してますが、船の移動性を考慮した時に、東京湾侵入を超えるほどの意味は持たないような気がします。。。
そういえば近隣の村人が小舟を使って黒船内に薄い本を投げ入れたので
ペリーが幕府に対して「えっちなのはいけないとおもいます!><」
と抗議する珍事件があった気がするけど…
考え方によっては、あれが黒船に対する恐喝行動になったのかもしれない
あんなのでも、こちら側が黒船に対して何も出来ないわけじゃないって証明になるからなーw
利根川まで回り込んで水運……ダメか
いいプラモもあると思うが、決定版が欲しい🐬日本の歴史に必ず出てくるものさ👍