ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
高校三年生の頃に夜中に泣きながら中継を観てました。放送の前のスポーツニュースでセナが事故の一報があり、ただ事ではないと思いました。せめて生きていて欲しかったです。でも、中継で医師から、『前頭部頭蓋骨陥没骨折、脳に激しい損傷が有る。』と聞いて絶望しました。モータースポーツは簡単に人が死んでしまう速度で走ってます。安全になってきても、死と隣合わせなのは今も同じです。レースファンとしては事故は仕方がないけど、せめて誰の生命も亡くならないで欲しいと願います。角田くん応援してます!!
完全に物語でいう主人公。そして常に誰よりも境界線ギリギリの世界で戦っていたような人だった。この史上最高のF1ドライバーの活躍をリアルタイムで目の当たりにできた自分は本当に幸せ者だと思う。もちろん、セナと同じ時代を戦った他のF1ドライバー達もずっと脳裏に焼き付いている。あの頃のF1、ありがとう。セナ、ありがとう。
この事故はなきながらみていた悲しくて、この後20年間F1が見れなかった今でもセナの配信があると自然に涙が出てしまう
同感です、今もF1は見れません、自分の中でF1は、なくなってしまいました。ラッツエンバーガー選手も日本F3000から好きでしたし、本当に最悪の5月1日でした。
私も同じ。亡くなった日から1週間は仕事休んでた
仕事中にニュースで聞いて仕事手につかなかったの覚えてる
私も未だにF1を見れません・・・。
その1年前の5/1のWGPで若井伸之がヘレスで亡くなったなので、わたしは2年連続で5/1が悲しい日になったマンセルファンではありましたが、91の鈴鹿でセナをたたえるマンセル好敵手ではありました
記録は超えられてしまった。でも記憶の中のセナは、永遠にF1最高のドライバー。
私がアイルトン・セナの姿を見ることができた最も感動的な瞬間は、1988年の鈴鹿日本グランプリで、セナが日本国民に向けて演説し、授賞式の後、国民に向けて演説し、ファンから日の丸を受け取り、それを広げたときだった。日本のサポートに感謝の気持ちを込めて、皆さんに…
大人になっていましたが、本当に涙を流して泣きました。翌日、会社を休みました😰。三宅アナウンサーと今宮さんが泣きながら報告しているシーンを覚えています。••F1ドライバーはこんな状況でも中止にせず、レースは続しましたね、片山右京選手が確か、6位に入賞しました。
オーストリア国旗をコクピットに忍ばせてレースをしていたのは初めて知った。本当にラッツェンバーガーの死を悼んでいたんだな…
色々確執はあったとしてもあのF1黄金時代を盛り上げてきたドライバーの一人。セナが活躍していた時代、フジテレビ深夜のF1実況番組、生ダラ(バラエティー番組)、HONDA車のCMなどリアルタイムで拝見できたことは今となっては懐かしい思い出。HONDA車を購入したのもセナの影響でした。毎年5月1日の命日はセナをより一層思い出します。この様にセナを取り上げてくださって有難うございます。
セナがサンマリノでの走行中のオンボードカメラ映像の中にプロストに向けて「アラン、君が居なくて寂しいよ」って言ってたの聞いてグッときた。
この時会話は中盤までは説明口調なのに後半はさみしげな声でしたね。
プロストの気持ちを考えると私たちには想像出来ないですよねセナとプロストの関係は言わずもがなであるけど、フリー走行中のサプライズの無線で「君が居なくて寂しいよ。」と声をかけられた矢先の事故。
悲しみが込み上げてくる😢
「Up主さん“セナの事故原因は既に判明して居ますよね=英国BBCが特番を組み、その検証結果が公式に認められて居ますよ。」事故理由=セナのコーナーリングスピードがメカニックとの“セッティングスピードを超えてしまい、ダウンフォースにより車体の底部虐殺路面と接触し反動で前輪が浮き上がりハンドルを切るも前輪が路面と接地して居ない為に、そのままクラッシュしてしまった。「セナの天才的才能が想定速度を上回る速度でのコーナーリングを可能にしてしまった悲劇的な事故です。」”この英国BBCで放映された特番が日本で放映又はTH-cam等々で見つかるか?は分かりません“(私は在英なので視聴出来ました。)
まさに二度と出ない天才ですね。記憶に残るドライバーでした。
セナが存命ならば、もう60歳を超えている、というのを聞いて時代の流れを感じます。
存命なら日本グランプリに招待されてイベントとかに出てくれていたと思う。往年のファンも大喜びで盛り上がっただろうに本当に残念でならない。
鈴木亜久里様と同い年の1960年産まれですね。
セナといいシューマッハといい、今でも元気だったらレジェンドドライバーとして日本グランプリでイベントに何度も来てくれて盛り上がっただろうに。本当に残念でならない。
僕の影響で母もセナのファンになり夜中に一緒にTVを観て応援していました、確かTVの放送が始まる前にセナの事故が報じられて母と一緒に まさかって言っていたと思います、気分屋だったり、ワガママな所もあったけど大好きなドライバーでした。もうじき命日ですね、改めて最高のドライバーでした。
ステアリングシャフトは長さを変更したのではなく、シャフトが足に当たってペダル操作に支障があった為、セナの指示でシャフトの一部を切断し、数ミリ細いシャフトを溶接して繋いでました。事故の直後にステアリングシャフトは溶接部から折損している事が確認されていますが、タンブレロを走行中に金属疲労で溶接部が折損したのか、それともクラッシュが原因で折損したのかは公表されていません。又、事故ではコンクリートウォールに激突してアームごと引きちぎれたフロントタイヤがセナの頭部に直撃しており、この時アームがヘルメットを貫通して脳を損傷したことが死因とされてます。
この日は、朝早く故郷に出発する為、早く寝ようと録画していたんだけど何故かそのまま観入っていたんです。そしたら事故になってしまい感情を抑えながらの三宅さん達のレポートが忘れられません。セナを観るために鈴鹿に行こうね!と娘と話していた夢も叶わぬまま…でした。F1に興味を持ったのがたまたま1978年?映画館で観たヴィルヌーブさん達を観たとからでした。その後放映も始まり釘付けだった頃を思い出します。セナちゃん…いつまでも永遠に私のなかでは、セナちゃんです。
リアルでTV中継を観ていました😭 あの瞬間確かに自分の中で何かが変わってしまいました💦💦あれだけ大好きだったF1 日本GPも観に行くほどだったのに それ以来二度とF1を観ることが無くなりました観る気がしなくなったのです F1と同じくらい大好きだったセナ 部屋にはセナのポスター天才と呼ばれながらも新たな天才のシューマッハの出現に世代交代の焦りも感じていたセナが必死に頑張っている姿を応援していました クラッシュ後のコックピットで微動だにしなヘルメット 脳震盪であってくれ‼‼どうか動け‼‼何度念じたかわかりません😭 そして解説の今宮さんも川井さんもみんな泣いていました😭😭 まさに音速の貴公子 バブルの頃の日本にF1を知らしめたのも彼の大きな功績でした まさにF1フィーバーでしたそんな過熱も彼の死とともにやがて冷め 愚かな自分も若気の至りで無茶な走りをしていましたがあの日からは口癖のように「あのセナでも死ぬんだから」なんて言いながらスピードを出すことが無くなりましたそんな自分ももう還暦が過ぎ💦 あのシューマッハも💦 本当に人生は何が起こるかわからないものですあの往年の名F1ドライバージャッキー・スチュワートが「私は、1滴の血も流さずレースを引退できることを誇りに思う」そんな言葉を残しましたが本当にそうかもしれませんね🙏安全が最高のテクニック そんなことを教えてくれたセナそしてあのセナをも超えたシューマッハ 元気な頃の姿は今もそのままこの胸に🙏 どうかお二人のご冥福とご回復をお祈りいたします🙏🙏 ありがとうアイルトン❣
セナ様…当時リアルタイムで観てました…辛くて、辛くて…泣いたのを今でも覚えています。
私はセナが居たからF1をテレビ前で見ていました。記憶に残るレースは、モナコGPでマンセルとの一騎打ちでセナが優勝したレース。2人とも凄かったのを覚えてます。余りスピードが出るコースはシケインを作って速度を抑えて欲しいですね。セナにありがとうと言いたいです。
あのレースはめっちゃつまらなかったモナコはコース真ん中走れば徐行してても勝てる
一応、事故を受けてイモラ・サーキットはタンブレロやヴィルヌーヴといった高速コーナーがシケインに改修された上で、2011年にF1開催が可能なサーキットになってますね
前年にインディから転向してきたマイケル・アンドレッティの「F1は肩から上がむき出しになっていて怖い」という発言にF1関係者もファンも笑っていたら翌年これそして95年にはコクピットサイドが肩までになり96年には頭部廻りの保護を目的としたサイドプロテクター導入となりましたね
セナはそれでもあの事故では亡くなったやろうけどね
インディーやCARTはだ円コースでウォールヒットしても60Gがかかってもドライバーが生きている。あの頃F1は速かった。しかし横からの衝撃には非常に弱いのはジャックビルヌーブのマシーンは真っ二つになってる。
セナの方がクルマのセッティングとかには理詰めで、プロストが早めにサーキットを後にしていたのに対し、セナはクラッチの調整とか夜までメカニックと必死にやっていた。燃費に関しても、ホンダエンジンを使っていた4人のドライバーの中で、一番燃費が良くかつ速いドライバーだった。熱いハートで早く走っていたわけでは無い。プロストが「プロフェッサー」と呼ばれる評価を受けていたのは、レースの流れを読んでポイントをとる術が優れていたところ。どちらかと言えば勝負師なのはプロスト。
プロストは自らの経験則に基づいてレースを展開するドライバーで、1988年のシーズンでも前年までマクラーレンに搭載されていたポルシェエンジンの限界とされる回転数までしかアクセルを踏まなかったらしいホンダの後藤治氏(当時)がウチのエンジンはそのくらいじゃ壊れないからもっと踏み込めと言ってもかなり渋ったというエピソードもあるセナのが天才肌で感覚で乗りこなすドライバーというイメージは、シーズンオフに長期バカンスを取ってテストをしなかったりとか開発に非協力的にも見えた姿勢も影響してると思う実際にはシーズン中の改善とかについては誰よりも熱心で時間の消費も厭わなかったので、ホンダのエンジニアの中にはただでさえ少ない睡眠時間確保のためにできるだけ彼とのエンカウントを避けていた人もいたとの事
この事故当時、私は小学生でした。でも、私はセナよりもラッツェンバーガーの事故死の方がショックでした。ラッツェンバーガーはF1デビュー前、1990年から1993年まで全日本F3000選手権や全日本ツーリングカー選手権に参戦していたので、セナよりも馴染みがありました。
最も尊敬する史上最強のドライバーです。永遠にセナは自分の心の中で生きています。
最速かもしれないけど最強は、アラン・プロストでしょ
セナの死に関しては皆さんと同じ気持ちです。あと印象的だったのは、2000年イタリアGPで優勝したシューマッハがセナの優勝数に並び、その気持ちを聞かれた際に泣き出してしまったこと。あの皇帝と言われたシューマッハでさえセナの背中を追い続けていたのかと思い、つい貰い泣きしてしまいました。
すぐ後ろからコースアウトを目にしてるからね
シューマッハーは子供の頃にセナの走りを観てF1ドライバーを目指す様になったそうです。そんな憧れのヒーローと一緒にコースを走れる様になったと思った矢先に目の前でそのヒーローの最期を目撃したんだから、いろいろ想う所が有ったでしょうね。しかし憧れのヒーローの黒い面まで真似するのはやり過ぎだったなぁ。元々シューミーもそういう性分だったのかも知れんけど。そう言えば同様にセナファンを公言してるハミルトンもいろいろ言われてるよね。そのくらい勝利への執着が無いとトップドライバーで居続けられないって事なのかな?
あのインタビューは忘れられません。質問に応えようとして言葉に詰まり「sorry」と言ってまぶたを抑え泣き出したシューマッハ。隣にいたハッキネンが肩を抱いてくれたのも感動しました。
ステアリングシャフトの破損が原因。溶接部分が欠けたのでしょう。セナほどのレーサーがあんなミスをする訳がない!
セナが亡くなってからは、セナが居た時代とセナが居ない時代…に完全に分断してしてしまいましたね…。セナ有りきでエフワンを見てたので軸になるレーサーが居なくなった……って感じですね。シューマッハやハッキネンやヒル……印象的なドライバーは沢山居てもセナ以上のレーサーは自分の中では未だ現れていませんね……。カート時代からエフワンまで常に有名でしたしね…。最も天才に近い存在…ですね。
ラッツェンさんの事も忘れないでね!日本のレースでも活躍してた人なのよ😢
同年ルマンのトヨタ94CVの屋根にも、本来乗る筈だった彼の名前が一緒に並べて書かれてましたね。
ミーハーセナ様ブームには辟易していてあまり好きじゃなかったが、まさかセナが事故死するとは夢にも思わなかった。あの夜は、深夜にも関わらず友人を叩き起こして知らせたが男泣きしていた。ここが、セナの凄いところ。あの喪失感は一体なんだったのか。未だにセナのいたところは真空状態です。何年たっても色褪せない。スターとは言え赤の他人。あんな人は見たことがない。
既にどなたかに書き込まれてるかもしれませんが、もう一つアクシデントが。ピットロード内で、タイヤ交換してコースへ戻ろうと走っていた車両から、ピット内でタイヤが外れてメカニックに当たって結構大きな怪我をされてます。これにより、次のモナコGPからピットロードでの速度制限が設けられました。ちなみに、それまでF1ではピットロードでの速度制限はありませんでした。アメリカのインディーでは、その以前からピットロードでの速度制限が設けられましたが。。。(2023.04.19 21:54 JST)
あの事故は今でも忘れん。
94年セナは3戦連続PPブラジルは単独スピン、リタイア岡山はスタート直後にハッキネンに突つかれてスピン、リタイアそして運命のサンマリノてかラッツェンバーガーのクラッシュ紹介の1枚目の飛んでる画像はバリチェロ。F1関係者の多くがセナの国葬に行ったので当時のFIA会長マックス・モズレーはセナの国葬には行かずラッツェンバーガーの葬儀に行ったという逸話もある。
セナは84年にトールマンからF1デビューを果たしたが、その当時トールマンのメカニックをしていた津川さんのエピソードで、「アイルトンはデビュー当時はあまり体力はなかった」、さらにそのF1デビュー戦の予選で同郷のネルソン・ピケに対して「あいつは俺のアタックを邪魔しやがった」とも言っていた。それと何年の事か忘れたが、デトロイトGPの予選終了後セナは「コースの一部のコンクリートの壁が少し動いていてタイムをロスした」とチームに訴えた。もちろんチームはそんなはずあり得ないと断言したもののセナは納得はせず、チームはその壁を見に行った。チームはなんとその壁が数cm動いていたのだ。原因は誰かが壁に接触していたんだ。これも何年か忘れたが、モナコGPの予選でタイムに納得がいかず、チームに「タイヤのアライメントを数cm変えてくれ!0.3秒はタイムアップする」と言った。セナは本当にタイムアップしてみせたのだ。
ラッツエンバーガーにアイルトンセナ。フジテレビのサンマリノGPの中継(レースは録画)のオープニングからしばらくして、今宮さん川井ちゃん三宅アナウンサーの悲痛なライブ画像が届いたのを今でも忘れません。いつもはビデオ録画するのですが、何のはずみか、放送時間にリアルで見ていたんですよね。テレビの前で、ただただ涙を流していたことを思い出します。
翌日の19時から追悼番組があり深夜にも追悼番組がありこの中でレースを放送されてました。見れなかった地域もあったと思います。
セナとベルガーのコンビは最高でした😢
タンブレロコーナーで外壁に衝突し、外れたフロントタイヤに付いていたサスペンションアームが不運な事にシールドとヘルメットの隙間からセナの頭部を直撃、実際はレース成立のため無理やり生かされたがほぼ即死状態だった。母にセナが死んだと聞かされても信じられずビデオを見て絶望したのを覚えている。
当時フジテレビのF1中継で見てました!緊急ニューステロップが出た瞬間に絶望的な気分になったのを覚えてます!セナがクラッシュしたとき、実況の三宅アナが「イモラはセナにも牙をむいた~!」って言ってましたね。
実際にはセナが徹底的に論理的に考えるタイプ、プロストが感性で走るタイプって記事を見た記憶があります。カメラ越しに見える車の挙動や、当時フジの実況やイメージ付けで動画のようなイメージを持ちますが。どちらのドライバーもすごい才能です。
その通りですね‼️
当時、関東に出張に行ってた親父から聞かされた時は信じられんくてNHKの臨時ニュースで初めて知り、フジテレビの中継で現実を知らされる形となった。前年の鈴鹿で見たのが生でセナを見たのが最後になってしまった・・・私はプロストファンでしたが、セナ有ってのプロストの活躍だと思ってます。
F1マシンの運転って繊細なんですね。
セナとマクレーは正直似ていて超悲しい。セナとマクレーの後継者はフェルスタッペンやロバンペラは超長生きするでしょうしセナやマクレーの分も生きてセナやマクレーを超えて更に還暦超えてもレースしています。セナとマクレーは無念過ぎて悲しみが非常に大きすぎる。
5月1日...またこの日がやってくるんですね😢1994年当日もそうですが、29年経った今でも、イモラの事故を思い出すと涙が止まりません😭
当時、看護学校にて、セナの死にたいしてほとんどの人がなみだながら授業をうけていたのは忘れられない。
セナの直接の死因は折れたサスペンションがヘルメットを突き抜け回復できないほどのダメージを脳に与えたというのが今の定説になっているようで、アクティブサスの不具合とかハンドルの支柱が折れてマシンのコントロールができなくなってウォールに激突したとか裁判になってウィリアムズと争った時期もありました。まぁー今のF1の安全性を見直したきっかけであったのは間違いないです。ラッツェンバーガーとセナの死は無駄ではなかった。
あのGP中の複数の事故をきっかけに、マシン各部の強度だけでなくサーキット自体の安全性にも大幅な見直しが入りましたね。でもセナの事故車体は長年イタリア警察に押収されてる間に腐食が進んで、結局ステアリングの強度疑惑は解明不可能になった。
日本(フジテレビ)はセナを神聖化して持ち上げていたね。プロストファンとしては、当時のフジテレビ(特に古舘)は許せなかったな。セナは確かに速かったけど、誰よりも我が儘で自己中だった。自分はセナの事が好きにはなれなかったけど、サンマリノGPの事故を見た時には残念でならなかった。この事故以来、F1に熱中する事はなくなった。
プロフェッサーってプロレスでは悪役レスラーのリングネームに多いんですよね、古舘がソコに目を付けた可能性は大いにあります。
確かに確執はあったけど、事レースに関するチーム内での情報交換は、二人そろって真剣にミーティングしていたそうです。なんやかんや言っても、プロフェッショナルでしたね。
アクティブサスペンションとか規制されずにいたらセナはこんな事にならないと思いました 足回りとか安全性がある所は規制しない方が良いと思います 今でも激突してタイヤが転がっているシーンが目に焼き付いています コックピットの中でセナのメットがガクッと下に下がった いくら早すぎてマシンだから規制して良い所悪い所があると思います FIAにも責任あり
セナの生まれ故郷サンパウロでの葬儀が国葬で行われたのは正直驚いたけどそれだけブラジル国民にとってセナが偉大な英雄である事を再認識しました。
セナの国葬がTVニュースで放送された時、一緒に観ていたF1に興味が無いと思われる年配の人が、セナの棺を担いでいる軍人さんが泣いていると言ったを覚えている。
セナってキャリアでシーズンベストな車に乗れたのは1988-1989年だけなんだよね。1989年もチームとして10勝はしたけどあまりいい車じゃなかったみたいだし。やっと最強のウィリアムズに乗れたと思ったらハイテク禁止でナーバスな挙動の車であんな事に…。
編集お疲れ様です😆🎵🎵アイルトン・セナの事故○によって自分のF-1は終わりました(泣)あの頃は二十歳くらいでしたね(泣)テレビのライブでその時の映像を観てました‼️事故った時はスゴいショックでした(泣)友達みんな自分も含めそれからF-1に興味を失くしました🥺それくらい アイルトン・セナとF-1が好きだったんだなぁと思います‼️だって その頃はF-1ごっことか流行ってたし……あの日はブラジルだけではなく世界中のアイルトン・セナファンが泣いた日だと思います‼️それくらいショックな出来事でした(泣)あれから もう30年になるんですね…そろそろ5月1日ですね🥺アイルトン・セナ がいた頃のF-1は楽しかった❗️ありがとう✨ずっとご冥福をお祈りしてます‼️
93年の日本GPでデビューしたエディ・アーバインの走りが気にくわなくてレース後、セナはアーバインに激怒👊😡💢して殴ったとか殴らなかったとか。
相手ピットまで出向いてマジでグーパンチかましたそうです。それでアーバインも「セナに殴られた暴れん坊」て一躍有名になった(笑)でもセナだってそれ以前は中継カメラに写らない所で強引に割り込んだり幅寄せで威嚇したりで、ドライバーの間では評判悪かったらしい。新人なのに傲岸不遜な走りのシューマッハーに面と向かって諭した時も、他のドライバーは(お前が言うか?)だったとか。
確か、亡くなる数時間前のフリー走行中に、解説者をしていたプロストがウィリアムズのピットを訪れた。フランクウィリアムズだったのかな?今日はサプライズだよと言って、プロストを紹介し、セナに無線であいさつをした。セナは「やあアラン!色々あったけど楽しかったよ」みたいな無線でのやり取りを当時映像で見たことがある。この後、悲しい出来事になりますが、救われた気がしました。
アラン、君が居ないと寂しいよ。
私は今でも一番尊敬している人はセナです。彼は亡くなったのでは無く神になったのだと思っています。
私は神に選ばれ、呼ばれていったと思っています
セナの大ファンで日本GP(鈴鹿サーキット)には毎年行っていた。あの事故に関しては、目を疑ってしまった。その後にセナの訃報を聞き涙したのを覚えている。それ以来、F1は見なくなってしまった。そう云う悪い思い出がある。鈴鹿サーキットでセナの追悼が行われて足を運んだなっと今でも思い出される。
追悼で開かれたセナ展行きました。池袋だったかな?その時のステッカーをまだ持ってますね。当日のイモラグランプリ中継では、冷静な今宮さんが嗚咽を漏らして泣いていたのが印象的でした
いわゆるトラクションコントロールシステムも、細かくオンオフを繰り返す意味では一緒ですね。
是非、シューマッハがセナの記録に並んだ時の涙の会見を解説して欲しい✌
TVで事故現場に突っ込んで行くセナのマシンを観ていたけど、まるっきりコントロール出来なくて真っ直ぐ壁に激闘した...あの時、瞬間にこれは駄目だと感じた...その後は覚えていない...
タンプレロでは左にステアリングを切ってる途中で急にタイヤが右を向きコンクリートウォールへ。その瞬間が訪れるまでブレーキとシフトダウンで車速を落とそうと格闘していたデータが残っていたはず。
本当に、衝撃受けました…😢
セナが事故にあった日、朝から、旦那と釣りに友人夫婦といってて、ラジオから「セナが怪我」と流れ、骨折くらいならいいなとハラハラしながら帰宅して、3時のフジテレビのワイドショーで、泣き崩れました。セナの死が信じられなくて、鈴鹿のホンダの展示や、写真、ビデオみたけど、信じられなかったです。それからは、F1に興味なくなりました。私の青春でした。
あれからF1にはあまり興味は湧かなかったけど、マシンだけでなくコースに問題があったように感じました。コンクリートウォールでなくエスケープゾーンを広くとったりでマシンの安全性だけでなくコースにも配慮してほしいと感じたレースでした。
川が邪魔でエスケープゾーンが制限されてたそうです。
同意。タンブレロコーナーはベルガーが事故った時点で危ないと思っていた。ピケも事故っていたしね。
シャフトが足に当たったのでは無く最初D型のステアリングが付いていてセナが好きな丸型のステアリングを付ける為シャフトの一部を凹ませて対応した所が折れてしまった様ですよ。
中嶋悟の引退し、セナが亡くなった…僕のF−1熱は失せました
セナならブラジル大統領にも成れただろうと言われて居ましたね。
少年ジャンプがきっかけでセナが大好きになり、大スターのまま亡くなった…今でも自分の大スターのまま。セナが愛したホンダ。だからこれからもホンダ車に乗り続ける。亡くなった時のルノーには絶対乗らない。
セナとミハエルのTwitterの不毛な舌戦を見たかった
初めて中継を見たレースが89鈴鹿。セナプロがバチバチにやりあっていて、一気に引き込まれた。今にして思えばとても幸せなことだったのだと思う。そして悪夢のイモラからもうすぐ29年。いまだに自分の中で彼を超えるドライバーに出会っていない。
セナは祖国ブラジルに困窮者支援も行なっていたそうです。亡くなった後は正式に財団が設立されたようです。
この事故から10年後の、2004年サンマリノGPのシューマッハの走りはそれまでとは違う走りでした。1994年のセナと追うシューマッハ2004年のシューマッハと追うアロンソ。1994年のセナと同じくP.P取ったシューマッハはそのまま一位チェッカー。セナの死を間近で見ていたシューマッハにとって、2004年サンマリノGPは、とても重要なレースだったんだと思いました。
ゆっくりの原稿が上手い。ストレスなく視聴できる。
1994年岡山県美作のパシフィックグランプリTIサーキットでセナを見たのが最期でした。あれ以来、サーキット行っていません。最高の時代でした。残念でなりません。イモラでの観客負傷の後、レース中止すべきでした。
あの日はショックで寝られなかった!😫
セナは気難しい人間やったのにベルガーと仲良かったのが意外やった
確かに気難しい印象が強いですが、とんねるずとカートレースを楽しんでいたように、子供のような無邪気な面もある魅力的な人でしたね。
それは、ベルガーの人柄もあるでしょう。あの人、超我儘とっちゃん坊やのマンセルとさえ上手くやれてたみたいですし。(苦笑)
セナは2007年生まれの僕から見れば伝説の人。リアルタイムで見られた全てのおじさんが羨ましい
セナの日本でのレースを毎年全部見に行ってましたが、まさしく神でしてね。もうセナみたいな、カリスマ性のあるレーサーは出てこないでしょう。
リアルタイムで見ないほうが幸せさ。失望感が半端ないほど襲ってくるぞ
わかる。父親が泣きながら話してくれたことを思い出します。リアルタイムで見たかった。
衝突直後はまだ動いてる様子だったからなんとか無事であって欲しいと思った。しかし願いも虚しくセナは逝ってしまった。確かブラジルでサッカーの試合の最中に訃報が入り、試合中断されて追悼が始まったのをニュースでやってた。
94年型のセナのロスマンズカラーのヘルメット無いそうですねもし出てきてなんでも鑑定団に出したら一億円位付くかもしれません普通レースの時はピットにスペアのヘルメット有ると思うのですが事故のゴタゴタで無いそうです、セナ家には有るかもしれませんが棺の上に置かれたヘルメットもマルボロ仕様だったし。
アイルトン・セナは天才です。ただ天才は努力により培われています。1994年に亡くなりましたが、私達の心にその姿は焼き付いてます。
親の財力のおかげ。金がなければどうにもならない
セナ足って、わたしの知る限り、1500馬力のF1を5馬力単位でコントロールできる足捌きの事だと思っていました😊
ネルソン・ピケは予選だけど2000馬力超えて居たとか。
音速の貴公子という異名が120%当てはまる人でした。その走り、ルックスからも王者というよりは、貴公子がしっくり来てましたな。
もしセナがマクラーレンに残ってたのならまだまだ黄金期を築いてまだご健在なセナを見れたと考えると涙が出てくるなき😢
「セナ足」は加速時に細かなトルク変動の波を作ってタイヤのグリップを最大限使い切る為のテクニックですね。特に89年のホンダV12NA以降は有効だったと思います。でもシングルプレーンクランクのV8ならエンジン自体がトルクの波作ってくれるから、必要性薄れるかな? プロストは長年ターボエンジンで育ったドライバーなので、ブーストの効き具合とタイヤグリップの限界を確かめながらジワッとアクセル踏む走り方が身に付いていたでしょう。
私はこの放送も知りませんでしたが何かに動かされるように普段余り見なくなったTVのスイッチを入れました、次の瞬間、外国サーキット、事故だ人が亡くなってるあれセナだ何も音声が無いどこかのサーキットだけが映されたままなのにたまに自分こんな能力あり運命なのでしょうミハエルに勝つには限界超えないと勝てない超えた先には何が有るってセナには分かってた走り出したらもう自分でも止められない事も悪条件がレースをキャンセルしろと教えてる事もシャフトのニコイチ、ケツのホース抜け、電子制御感電、熱暴走開けて行っても曲がってくれない目線も最後の最後ま出口を見てイン側に頭振って捻じ曲げて凄まじい闘志あんだけ下回り擦れてシャフトって溶接でいいの?カーズって感電しないの?攻めると予期せぬ動きって電動じゃないの?雷って避雷針とか無視して人に落ちたりするけど何とかって車の事故って被るんだ車は機械だ半導体熱暴走は何でする?そりゃ怖くて怯える予期せぬ動きされたら
赤の他人の死であれほど悲しくショックだったことは今のところ無い。
タンブレロは89年にベルガーが炎上したコーナーだったかな。あの時何かしらの手を打ってたらと、当時思った記憶が。
セナが亡くなってから、それでも見てたけどだんだん遠ざかっていったな。
自分の誕生日(ゴールデンウィーク中単身赴任中の父にタミヤのプラモデルのマクラーレンを貰った。中1ながら知識も無しにボンドを使い親戚のにぃちゃんからスプレー塗装と水転写デカールの貼り方を教えたてもらった。 今もそのプラモデルはあるけど、触ると風化して触るとサスペンションアームが折れるかも…と思うと大分時間経ったんだなぁとおもう。
確かこの時のサンマリノでは、セナのクラッシュ後も大きな事故が相次いだような?
セナの死はシューマッハの総合成績にもかなり影響を与えてるだろうね まあ今では遅いけど サンマリノは中止にするべきだったね観客とか考えるとできないんだろうけど
忘れもしません!あれはバイクで横浜から阿蘇までツーリングに向かっていた時、大分の湯布院あたりの食堂でご飯を食べてた時、テレビからこの訃報が流れて来て、思わず、うそ?!😱と叫んだことを、わたしは忘れません、それほど好きな選手でした。
セナ君君の事は忘れないから大丈夫です
真の一流とは天才が努力した結果だと思う残念な事に凡人がいくら努力しても,天才が努力したら超える事は不可能であるセナは努力の人だった.雨天のコース走行を練習するため,大量の水をコースに撒いて繰り返し練習した事は有名もちろんF1レーサーは皆天才だと思う.でもセナは他の誰よりも努力していたと思う.もちろん負けず嫌いで,それこそどんな手を使っても勝つという人だったと思う.だからこそ努力したのだ個人的には・・・アイルトンセナはハンサムだと思う・・・ハンサムでF1レーサーで伝説的な英雄・・・居るんだねこんな人・・・羨ましいを通り越すよ・・・宇宙人とか天使とかに等しい・・・神に嫉妬する人は稀だろう・・・
マン島TTは亡くなったライダーに敬意を表したくなるが、F1はルール自体に疑問が多い為なんとも言えない気持ちになる。
FIAは人気回復のためのレギュレーション変更多すぎブリジストンミシュランにそっぽ向かれて当然!今度の変更もF1ファンはどう思っているんだろう……
この事故は後に調査委員会が設立されて原因が動画にもある通り、ステアリングコラム破損と結論づけられたんですけど、その委員会の座長マウロ・フォルギエリが言っていることがあるんです。椅子の座りステアリングを持つ仕草をしながら、「もし君が車を運転していて、それが何かおかしい!普通じゃないと感じたらどうする?」「そう!車を止めるだろ!」とインタビューアーに問いかけています。つまりコラムは、いきなり何の前触れもなく破損したのでなく徐々に壊れていった。車載映像でもそれが見て取れます。ステアリングを握る、あのセナがそれに気がつかないわけがありません。しかしマシンを止めリタイアしてしまえば追ってくるシューマッハにまた負ける。開幕二連続DNFのセナに対し、シューは二連勝。チャンプを獲る為には、これ以上負けるわけにはいかない。自分もセナは好きでした。あの時、例えチャンプになれなくてもマシンを止めて欲しかったなと思うんです。
なんか今のレースって車がハイテク過ぎて、マニュアルに沿った運転で車の性能をより引き出した人が勝ってる印象。実際は違うかもだけど、そういう風にしか見えない。セナとプロスト、セナとマンセルみたいなバチバチの人間臭いバトルがないというか。動画でも出てきた、勝つためならなんでもするストイックさとか、人間ドラマも面白かったな。一方的に速かった時代のウィリアムズルノーのマンセルをレースゲームみたいに無理矢理ブロックして勝ったりもしてましたね。
見てました。搬送されるまでがとても長く感じ、遅い、何やってんの早く!と思ってました。ショックでした。
またこの時期が来たな。死因に関して諸説あるけど折れたサスペンションが脳を貫いたとあるけどコンクリートウォールにヘルメットぶつかった跡あったので脳挫傷で死んだと個人的には思ってる。ラッツェンバーガーが亡くなった時点でレース中止してればセナは死ななかったかも知れない。
この時の中継を見ていたが今宮が泣きながらセナの死を語っていたその日以来F1を観ていない
ワーウィックを拒否せずに、チームメイトとして迎え入れて、タイマンで叩き潰す戦いをしてほしかった。今でもそう思っています。
こういっては何だがセナは死神と契約してしまったんだと思う。90年の鈴鹿の1コーナー、あの接触は下手をすればプロストを殺しかねなかった。それからはF1を見る度にセナの身に何事も無ければ良いが…と思って見ていたけれど…。
あの事故を日本のケーサツカンが見たら「接触」じゃなくて「後続車の無謀な速度超過による追突」て調書に書くと思うな。
セナのクラッシュはリアルタイムで見ていました。若きシューマッハが世代交代にチャレンジしセナが焦っているのはアリアリとわかりました。セナの後方にピタっと付けたシューマッハのオンボードカメラからセナがタンブレロコーナーからまっすぐコースアウトしていく姿に思わず「やった!」と感じた瞬間でした。まさかこのままセナが帰らぬ人となるとは思いもよらず自己嫌悪に陥ることとなりました。やっと この年になり思いを馳せることが出来ました。
セナの死因はFW16のサスペンションの欠陥(容量不足)によるものだと思います。ドライバーの顔に向けて取り付けられていて、路面の凹凸のある高速タンブレロコーナーでの強い入力により右フロントサスペンションのキャパシティを超えロッドが抜けてフロントカウル・ヘルメットを貫通して頭部に刺さったんだと思います。車載動画を見るとコンクリートウォールに向かう直前に何かを避けようと左に頭を傾けているのが分かります。事故後のヘリコプターによる空撮映像に右フロントサスペンションの破損とフロントカウルに丸い穴が開いているのが確認できます。ルノーは事故直後に早々とマシンに欠陥は無かったと責任逃れの発言をしていましたね。
高校三年生の頃に夜中に泣きながら中継を観てました。放送の前のスポーツニュースでセナが事故の一報があり、ただ事ではないと思いました。せめて生きていて欲しかったです。でも、中継で医師から、『前頭部頭蓋骨陥没骨折、脳に激しい損傷が有る。』と聞いて絶望しました。モータースポーツは簡単に人が死んでしまう速度で走ってます。安全になってきても、死と隣合わせなのは今も同じです。レースファンとしては事故は仕方がないけど、せめて誰の生命も亡くならないで欲しいと願います。角田くん応援してます!!
完全に物語でいう主人公。
そして常に誰よりも境界線ギリギリの世界で戦っていたような人だった。
この史上最高のF1ドライバーの活躍をリアルタイムで目の当たりにできた自分は本当に幸せ者だと思う。
もちろん、セナと同じ時代を戦った他のF1ドライバー達もずっと脳裏に焼き付いている。
あの頃のF1、ありがとう。セナ、ありがとう。
この事故はなきながらみていた
悲しくて、この後20年間F1が見れなかった
今でもセナの配信があると自然に涙が出てしまう
同感です、今もF1は見れません、自分の中でF1は、なくなってしまいました。
ラッツエンバーガー選手も日本F3000から好きでしたし、本当に最悪の5月1日でした。
私も同じ。亡くなった日から1週間は仕事休んでた
仕事中にニュースで聞いて仕事手につかなかったの覚えてる
私も未だにF1を見れません・・・。
その1年前の5/1のWGPで若井伸之がヘレスで亡くなった
なので、わたしは2年連続で5/1が悲しい日になった
マンセルファンではありましたが、91の鈴鹿でセナをたたえるマンセル
好敵手ではありました
記録は超えられてしまった。
でも記憶の中のセナは、永遠にF1最高のドライバー。
私がアイルトン・セナの姿を見ることができた最も感動的な瞬間は、1988年の鈴鹿日本グランプリで、セナが日本国民に向けて演説し、授賞式の後、国民に向けて演説し、ファンから日の丸を受け取り、それを広げたときだった。日本のサポートに感謝の気持ちを込めて、皆さんに…
大人になっていましたが、本当に涙を流して泣きました。翌日、会社を休みました😰。
三宅アナウンサーと今宮さんが泣きながら報告しているシーンを覚えています。
••F1ドライバーはこんな状況でも中止にせず、レースは続しましたね、片山右京選手が確か、6位に入賞しました。
オーストリア国旗をコクピットに忍ばせてレースをしていたのは初めて知った。
本当にラッツェンバーガーの死を悼んでいたんだな…
色々確執はあったとしてもあのF1黄金時代を盛り上げてきたドライバーの一人。
セナが活躍していた時代、フジテレビ深夜のF1実況番組、生ダラ(バラエティー番組)、HONDA車のCMなどリアルタイムで拝見できたことは今となっては懐かしい思い出。HONDA車を購入したのもセナの影響でした。
毎年5月1日の命日はセナをより一層思い出します。この様にセナを取り上げてくださって有難うございます。
セナがサンマリノでの走行中のオンボードカメラ映像の中にプロストに向けて「アラン、君が居なくて寂しいよ」って言ってたの聞いてグッときた。
この時会話は中盤までは説明口調なのに後半はさみしげな声でしたね。
プロストの気持ちを考えると私たちには想像出来ないですよね
セナとプロストの関係は言わずもがなであるけど、フリー走行中のサプライズの無線で「君が居なくて寂しいよ。」と声をかけられた矢先の事故。
悲しみが込み上げてくる😢
「Up主さん“セナの事故原因は既に判明して居ますよね=英国BBCが特番を組み、その検証結果が公式に認められて居ますよ。」
事故理由=セナのコーナーリングスピードがメカニックとの“セッティングスピードを超えてしまい、ダウンフォースにより車体の底部虐殺路面と接触し反動で前輪が浮き上がりハンドルを切るも前輪が路面と接地して居ない為に、そのままクラッシュしてしまった。
「セナの天才的才能が想定速度を上回る速度でのコーナーリングを可能にしてしまった悲劇的な事故です。」
”この英国BBCで放映された特番が日本で放映又はTH-cam等々で見つかるか?は分かりません“
(私は在英なので視聴出来ました。)
まさに二度と出ない天才ですね。
記憶に残るドライバーでした。
セナが存命ならば、もう60歳を超えている、というのを聞いて時代の流れを感じます。
存命なら日本グランプリに招待されてイベントとかに出てくれていたと思う。
往年のファンも大喜びで盛り上がっただろうに本当に残念でならない。
鈴木亜久里様と同い年の1960年産まれですね。
セナといいシューマッハといい、今でも元気だったらレジェンドドライバーとして
日本グランプリでイベントに何度も来てくれて盛り上がっただろうに。
本当に残念でならない。
僕の影響で母もセナのファンになり夜中に一緒にTVを観て応援していました、確かTVの放送が始まる前にセナの事故が報じられて母と一緒に まさかって言っていたと思います、気分屋だったり、ワガママな所もあったけど大好きなドライバーでした。もうじき命日ですね、改めて最高のドライバーでした。
ステアリングシャフトは長さを変更したのではなく、シャフトが足に当たってペダル操作に支障があった為、セナの指示でシャフトの一部を切断し、数ミリ細いシャフトを溶接して繋いでました。
事故の直後にステアリングシャフトは溶接部から折損している事が確認されていますが、タンブレロを走行中に金属疲労で溶接部が折損したのか、それともクラッシュが原因で折損したのかは公表されていません。
又、事故ではコンクリートウォールに激突してアームごと引きちぎれたフロントタイヤがセナの頭部に直撃しており、この時アームがヘルメットを貫通して脳を損傷したことが死因とされてます。
この日は、朝早く故郷に出発する為、早く寝ようと録画していたんだけど何故かそのまま観入っていたんです。そしたら事故になってしまい感情を抑えながらの三宅さん達のレポートが忘れられません。
セナを観るために鈴鹿に行こうね!と娘と話していた夢も叶わぬまま…でした。F1に興味を持ったのがたまたま1978年?映画館で観たヴィルヌーブさん達を観たとからでした。その後放映も始まり
釘付けだった頃を思い出します。
セナちゃん…いつまでも永遠に
私のなかでは、セナちゃんです。
リアルでTV中継を観ていました😭 あの瞬間確かに自分の中で何かが変わってしまいました💦💦
あれだけ大好きだったF1 日本GPも観に行くほどだったのに それ以来二度とF1を観ることが無くなりました
観る気がしなくなったのです F1と同じくらい大好きだったセナ 部屋にはセナのポスター
天才と呼ばれながらも新たな天才のシューマッハの出現に世代交代の焦りも感じていたセナが必死に頑張っている姿を応援していました クラッシュ後のコックピットで微動だにしなヘルメット 脳震盪であってくれ‼‼どうか動け‼‼
何度念じたかわかりません😭 そして解説の今宮さんも川井さんもみんな泣いていました😭😭
まさに音速の貴公子 バブルの頃の日本にF1を知らしめたのも彼の大きな功績でした まさにF1フィーバーでした
そんな過熱も彼の死とともにやがて冷め 愚かな自分も若気の至りで無茶な走りをしていましたが
あの日からは口癖のように「あのセナでも死ぬんだから」なんて言いながらスピードを出すことが無くなりました
そんな自分ももう還暦が過ぎ💦 あのシューマッハも💦 本当に人生は何が起こるかわからないものです
あの往年の名F1ドライバージャッキー・スチュワートが「私は、1滴の血も流さずレースを引退できることを誇りに思う」
そんな言葉を残しましたが本当にそうかもしれませんね🙏安全が最高のテクニック そんなことを教えてくれたセナ
そしてあのセナをも超えたシューマッハ 元気な頃の姿は今もそのままこの胸に🙏
どうかお二人のご冥福とご回復をお祈りいたします🙏🙏 ありがとうアイルトン❣
セナ様…当時リアルタイムで観てました…辛くて、辛くて…泣いたのを今でも覚えています。
私はセナが居たからF1をテレビ前で見ていました。記憶に残るレースは、モナコGPでマンセルとの一騎打ちでセナが優勝したレース。2人とも凄かったのを覚えてます。
余りスピードが出るコースはシケインを作って速度を抑えて欲しいですね。
セナにありがとうと言いたいです。
あのレースはめっちゃつまらなかった
モナコはコース真ん中走れば徐行してても勝てる
一応、事故を受けてイモラ・サーキットはタンブレロやヴィルヌーヴといった高速コーナーがシケインに改修された上で、2011年にF1開催が可能なサーキットになってますね
前年にインディから転向してきたマイケル・アンドレッティの「F1は肩から上がむき出しになっていて怖い」という発言にF1関係者もファンも笑っていたら翌年これ
そして95年にはコクピットサイドが肩までになり96年には頭部廻りの保護を目的としたサイドプロテクター導入となりましたね
セナはそれでもあの事故では亡くなったやろうけどね
インディーやCARTはだ円コースでウォールヒットしても60Gがかかってもドライバーが生きている。あの頃F1は速かった。しかし横からの衝撃には非常に弱いのはジャックビルヌーブのマシーンは真っ二つになってる。
セナの方がクルマのセッティングとかには理詰めで、プロストが早めにサーキットを後にしていたのに対し、セナはクラッチの調整とか夜までメカニックと必死にやっていた。燃費に関しても、ホンダエンジンを使っていた4人のドライバーの中で、一番燃費が良くかつ速いドライバーだった。熱いハートで早く走っていたわけでは無い。
プロストが「プロフェッサー」と呼ばれる評価を受けていたのは、レースの流れを読んでポイントをとる術が優れていたところ。どちらかと言えば勝負師なのはプロスト。
プロストは自らの経験則に基づいてレースを展開するドライバーで、1988年のシーズンでも前年までマクラーレンに搭載されていたポルシェエンジンの限界とされる回転数までしかアクセルを踏まなかったらしい
ホンダの後藤治氏(当時)がウチのエンジンはそのくらいじゃ壊れないからもっと踏み込めと言ってもかなり渋ったというエピソードもある
セナのが天才肌で感覚で乗りこなすドライバーというイメージは、シーズンオフに長期バカンスを取ってテストをしなかったりとか開発に非協力的にも見えた姿勢も影響してると思う
実際にはシーズン中の改善とかについては誰よりも熱心で時間の消費も厭わなかったので、ホンダのエンジニアの中にはただでさえ少ない睡眠時間確保のためにできるだけ彼とのエンカウントを避けていた人もいたとの事
この事故当時、私は小学生でした。
でも、私はセナよりもラッツェンバーガーの事故死の方がショックでした。
ラッツェンバーガーはF1デビュー前、1990年から1993年まで全日本F3000選手権や全日本ツーリングカー選手権に参戦していたので、セナよりも馴染みがありました。
最も尊敬する史上最強の
ドライバーです。
永遠にセナは自分の心の中で
生きています。
最速かもしれないけど
最強は、アラン・プロストでしょ
セナの死に関しては皆さんと同じ気持ちです。
あと印象的だったのは、2000年イタリアGPで優勝したシューマッハがセナの優勝数に並び、その気持ちを聞かれた際に泣き出してしまったこと。
あの皇帝と言われたシューマッハでさえセナの背中を追い続けていたのかと思い、つい貰い泣きしてしまいました。
すぐ後ろからコースアウトを目にしてるからね
シューマッハーは子供の頃にセナの走りを観てF1ドライバーを目指す様になったそうです。
そんな憧れのヒーローと一緒にコースを走れる様になったと思った矢先に目の前でそのヒーローの最期を目撃したんだから、いろいろ想う所が有ったでしょうね。
しかし憧れのヒーローの黒い面まで真似するのはやり過ぎだったなぁ。元々シューミーもそういう性分だったのかも知れんけど。そう言えば同様にセナファンを公言してるハミルトンもいろいろ言われてるよね。そのくらい勝利への執着が無いとトップドライバーで居続けられないって事なのかな?
あのインタビューは忘れられません。質問に応えようとして言葉に詰まり「sorry」と言ってまぶたを抑え泣き出したシューマッハ。隣にいたハッキネンが肩を抱いてくれたのも感動しました。
ステアリングシャフトの破損が原因。溶接部分が欠けたのでしょう。
セナほどのレーサーがあんなミスをする訳がない!
セナが亡くなってからは、セナが居た時代とセナが居ない時代…に完全に分断してしてしまいましたね…。セナ有りきでエフワンを見てたので軸になるレーサーが居なくなった……って感じですね。シューマッハやハッキネンやヒル……印象的なドライバーは沢山居てもセナ以上のレーサーは自分の中では未だ現れていませんね……。カート時代からエフワンまで常に有名でしたしね…。最も天才に近い存在…ですね。
ラッツェンさんの事も忘れないでね!
日本のレースでも活躍してた人なのよ😢
同年ルマンのトヨタ94CVの屋根にも、本来乗る筈だった彼の名前が一緒に並べて書かれてましたね。
ミーハーセナ様ブームには辟易していてあまり好きじゃなかったが、まさかセナが事故死するとは夢にも思わなかった。
あの夜は、深夜にも関わらず友人を叩き起こして知らせたが男泣きしていた。
ここが、セナの凄いところ。
あの喪失感は一体なんだったのか。
未だにセナのいたところは真空状態です。
何年たっても色褪せない。
スターとは言え赤の他人。あんな人は見たことがない。
既にどなたかに書き込まれてるかもしれませんが、もう一つアクシデントが。
ピットロード内で、タイヤ交換してコースへ戻ろうと走っていた車両から、ピット内でタイヤが外れてメカニックに当たって結構大きな怪我をされてます。
これにより、次のモナコGPからピットロードでの速度制限が設けられました。ちなみに、それまでF1ではピットロードでの速度制限はありませんでした。
アメリカのインディーでは、その以前からピットロードでの速度制限が設けられましたが。。。
(2023.04.19 21:54 JST)
あの事故は今でも忘れん。
94年セナは3戦連続PP
ブラジルは単独スピン、リタイア
岡山はスタート直後にハッキネンに突つかれてスピン、リタイア
そして運命のサンマリノ
てかラッツェンバーガーのクラッシュ紹介の1枚目の飛んでる画像はバリチェロ。
F1関係者の多くがセナの国葬に行ったので当時のFIA会長マックス・モズレーはセナの国葬には行かずラッツェンバーガーの葬儀に行ったという逸話もある。
セナは84年にトールマンからF1デビューを果たしたが、その当時トールマンのメカニックをしていた津川さんのエピソードで、「アイルトンはデビュー当時はあまり体力はなかった」、さらにそのF1デビュー戦の予選で同郷のネルソン・ピケに対して「あいつは俺のアタックを邪魔しやがった」とも言っていた。
それと何年の事か忘れたが、デトロイトGPの予選終了後セナは「コースの一部のコンクリートの壁が少し動いていてタイムをロスした」とチームに訴えた。もちろんチームはそんなはずあり得ないと断言したもののセナは納得はせず、チームはその壁を見に行った。チームはなんとその壁が数cm動いていたのだ。原因は誰かが壁に接触していたんだ。
これも何年か忘れたが、モナコGPの予選でタイムに納得がいかず、チームに「タイヤのアライメントを数cm変えてくれ!0.3秒はタイムアップする」と言った。セナは本当にタイムアップしてみせたのだ。
ラッツエンバーガーにアイルトンセナ。
フジテレビのサンマリノGPの中継(レースは録画)のオープニングからしばらくして、
今宮さん川井ちゃん三宅アナウンサーの悲痛なライブ画像が届いたのを今でも忘れません。
いつもはビデオ録画するのですが、何のはずみか、放送時間にリアルで見ていたんですよね。
テレビの前で、ただただ涙を流していたことを思い出します。
翌日の19時から追悼番組があり深夜にも追悼番組がありこの中でレースを放送されてました。見れなかった地域もあったと思います。
セナとベルガーのコンビは最高でした😢
タンブレロコーナーで外壁に衝突し、外れたフロントタイヤに付いていたサスペンションアームが不運な事にシールドとヘルメットの隙間からセナの頭部を直撃、
実際はレース成立のため無理やり生かされたがほぼ即死状態だった。
母にセナが死んだと聞かされても信じられずビデオを見て絶望したのを覚えている。
当時フジテレビのF1中継で見てました!緊急ニューステロップが出た瞬間に絶望的な気分になったのを覚えてます!
セナがクラッシュしたとき、実況の三宅アナが「イモラはセナにも牙をむいた~!」って言ってましたね。
実際にはセナが徹底的に論理的に考えるタイプ、プロストが感性で走るタイプって記事を見た記憶があります。
カメラ越しに見える車の挙動や、当時フジの実況やイメージ付けで動画のようなイメージを持ちますが。
どちらのドライバーもすごい才能です。
その通りですね‼️
当時、関東に出張に行ってた親父から聞かされた時は信じられんくてNHKの臨時ニュースで初めて知り、フジテレビの中継で現実を知らされる形となった。
前年の鈴鹿で見たのが生でセナを見たのが最後になってしまった・・・
私はプロストファンでしたが、セナ有ってのプロストの活躍だと思ってます。
F1マシンの運転って繊細なんですね。
セナとマクレーは正直似ていて超悲しい。セナとマクレーの後継者はフェルスタッペンやロバンペラは超長生きするでしょうしセナやマクレーの分も生きてセナやマクレーを超えて更に還暦超えてもレースしています。セナとマクレーは無念過ぎて悲しみが非常に大きすぎる。
5月1日...
またこの日がやってくるんですね😢
1994年当日もそうですが、29年経った今でも、イモラの事故を思い出すと涙が止まりません😭
当時、看護学校にて、
セナの死にたいしてほとんどの人がなみだながら
授業をうけていたのは
忘れられない。
セナの直接の死因は折れたサスペンションがヘルメットを突き抜け回復できないほどのダメージを脳に与えたというのが今の定説になっているようで、アクティブサスの不具合とかハンドルの支柱が折れてマシンのコントロールができなくなってウォールに激突したとか裁判になってウィリアムズと争った時期もありました。
まぁー今のF1の安全性を見直したきっかけであったのは間違いないです。
ラッツェンバーガーとセナの死は無駄ではなかった。
あのGP中の複数の事故をきっかけに、マシン各部の強度だけでなくサーキット自体の安全性にも大幅な見直しが入りましたね。
でもセナの事故車体は長年イタリア警察に押収されてる間に腐食が進んで、結局ステアリングの強度疑惑は解明不可能になった。
日本(フジテレビ)はセナを神聖化して持ち上げていたね。
プロストファンとしては、当時のフジテレビ(特に古舘)は許せなかったな。
セナは確かに速かったけど、誰よりも我が儘で自己中だった。
自分はセナの事が好きにはなれなかったけど、サンマリノGPの事故を見た時には残念でならなかった。
この事故以来、F1に熱中する事はなくなった。
プロフェッサーってプロレスでは悪役レスラーのリングネームに多いんですよね、古舘がソコに目を付けた可能性は大いにあります。
確かに確執はあったけど、事レースに関するチーム内での情報交換は、二人そろって真剣にミーティングしていたそうです。
なんやかんや言っても、プロフェッショナルでしたね。
アクティブサスペンションとか規制されずにいたらセナはこんな事にならないと思いました
足回りとか安全性がある所は規制しない方が良いと思います
今でも激突してタイヤが転がっているシーンが目に焼き付いています コックピットの中でセナのメットがガクッと下に下がった
いくら早すぎてマシンだから規制して良い所悪い所があると思います FIAにも責任あり
セナの生まれ故郷サンパウロでの葬儀が国葬で行われたのは正直驚いたけどそれだけブラジル国民にとってセナが偉大な英雄である事を再認識しました。
セナの国葬がTVニュースで放送された時、一緒に観ていたF1に興味が無いと思われる年配の人が、セナの棺を担いでいる軍人さんが泣いていると言ったを覚えている。
セナってキャリアでシーズンベストな車に乗れたのは1988-1989年だけなんだよね。1989年もチームとして10勝はしたけどあまりいい車じゃなかったみたいだし。
やっと最強のウィリアムズに乗れたと思ったらハイテク禁止でナーバスな挙動の車であんな事に…。
編集お疲れ様です😆🎵🎵
アイルトン・セナの事故○によって自分のF-1は終わりました(泣)
あの頃は二十歳くらいでしたね(泣)
テレビのライブでその時の映像を観てました‼️
事故った時はスゴいショックでした(泣)
友達みんな自分も含めそれからF-1に興味を失くしました🥺
それくらい アイルトン・セナとF-1が好きだったんだなぁと思います‼️
だって その頃はF-1ごっことか流行ってたし……
あの日はブラジルだけではなく世界中のアイルトン・セナファンが泣いた日だと思います‼️
それくらいショックな出来事でした(泣)
あれから もう30年になるんですね…
そろそろ5月1日ですね🥺
アイルトン・セナ がいた頃のF-1は楽しかった❗️
ありがとう✨ずっとご冥福をお祈りしてます‼️
93年の日本GPでデビューしたエディ・アーバインの走りが気にくわなくてレース後、セナはアーバインに激怒👊😡💢して殴ったとか殴らなかったとか。
相手ピットまで出向いてマジでグーパンチかましたそうです。それでアーバインも「セナに殴られた暴れん坊」て一躍有名になった(笑)
でもセナだってそれ以前は中継カメラに写らない所で強引に割り込んだり幅寄せで威嚇したりで、ドライバーの間では評判悪かったらしい。新人なのに傲岸不遜な走りのシューマッハーに面と向かって諭した時も、他のドライバーは(お前が言うか?)だったとか。
確か、亡くなる数時間前のフリー走行中に、解説者をしていたプロストがウィリアムズのピットを訪れた。フランクウィリアムズだったのかな?今日はサプライズだよと言って、プロストを紹介し、セナに無線であいさつをした。セナは「やあアラン!色々あったけど楽しかったよ」みたいな無線でのやり取りを当時映像で見たことがある。この後、悲しい出来事になりますが、救われた気がしました。
アラン、君が居ないと寂しいよ。
私は今でも一番尊敬している人はセナです。彼は亡くなったのでは無く神になったのだと思っています。
私は神に選ばれ、呼ばれていったと思っています
セナの大ファンで日本GP(鈴鹿サーキット)には毎年行っていた。
あの事故に関しては、目を疑ってしまった。その後にセナの訃報を聞き涙したのを覚えている。
それ以来、F1は見なくなってしまった。そう云う悪い思い出がある。
鈴鹿サーキットでセナの追悼が行われて足を運んだなっと今でも思い出される。
追悼で開かれたセナ展行きました。
池袋だったかな?
その時のステッカーをまだ持ってますね。
当日のイモラグランプリ中継では、冷静な今宮さんが嗚咽を漏らして泣いていたのが印象的でした
いわゆるトラクションコントロールシステムも、細かくオンオフを繰り返す意味では一緒ですね。
是非、シューマッハがセナの記録に並んだ時の涙の会見を解説して欲しい✌
TVで事故現場に突っ込んで行くセナのマシンを観ていたけど、まるっきりコントロール出来なくて真っ直ぐ壁に激闘した...
あの時、瞬間にこれは駄目だと感じた...
その後は覚えていない...
タンプレロでは左にステアリングを切ってる途中で急にタイヤが右を向きコンクリートウォールへ。その瞬間が訪れるまでブレーキとシフトダウンで車速を落とそうと格闘していたデータが残っていたはず。
本当に、衝撃受けました…😢
セナが事故にあった日、朝から、旦那と釣りに友人夫婦といってて、ラジオから「セナが怪我」と流れ、骨折くらいならいいなとハラハラしながら帰宅して、3時のフジテレビのワイドショーで、泣き崩れました。セナの死が信じられなくて、鈴鹿のホンダの展示や、写真、ビデオみたけど、信じられなかったです。それからは、F1に興味なくなりました。私の青春でした。
あれからF1にはあまり興味は湧かなかったけど、マシンだけでなくコースに問題があったように感じました。
コンクリートウォールでなくエスケープゾーンを広くとったりでマシンの安全性だけでなくコースにも配慮してほしいと感じたレースでした。
川が邪魔でエスケープゾーンが制限されてたそうです。
同意。
タンブレロコーナーはベルガーが事故った時点で危ないと思っていた。
ピケも事故っていたしね。
シャフトが足に当たったのでは無く最初D型のステアリングが付いていてセナが好きな丸型のステアリングを付ける為シャフトの一部を凹ませて対応した所が折れてしまった様ですよ。
中嶋悟の引退し、セナが亡くなった…
僕のF−1熱は失せました
セナならブラジル大統領にも成れただろうと言われて居ましたね。
少年ジャンプがきっかけでセナが大好きになり、大スターのまま亡くなった…今でも自分の大スターのまま。
セナが愛したホンダ。だからこれからもホンダ車に乗り続ける。亡くなった時のルノーには絶対乗らない。
セナとミハエルのTwitterの不毛な舌戦を見たかった
初めて中継を見たレースが89鈴鹿。セナプロがバチバチにやりあっていて、一気に引き込まれた。今にして思えばとても幸せなことだったのだと思う。
そして悪夢のイモラからもうすぐ29年。
いまだに自分の中で彼を超えるドライバーに出会っていない。
セナは祖国ブラジルに困窮者支援も行なっていたそうです。亡くなった後は正式に財団が設立されたようです。
この事故から10年後の、2004年サンマリノGPのシューマッハの走りはそれまでとは違う走りでした。
1994年のセナと追うシューマッハ
2004年のシューマッハと追うアロンソ。
1994年のセナと同じくP.P取ったシューマッハはそのまま一位チェッカー。
セナの死を間近で見ていたシューマッハにとって、2004年サンマリノGPは、とても重要なレースだったんだと思いました。
ゆっくりの原稿が上手い。ストレスなく視聴できる。
1994年岡山県美作のパシフィックグランプリTIサーキットでセナを見たのが最期でした。あれ以来、サーキット行っていません。最高の時代でした。残念でなりません。イモラでの観客負傷の後、レース中止すべきでした。
あの日はショックで寝られなかった!😫
セナは気難しい人間やったのにベルガーと仲良かったのが意外やった
確かに気難しい印象が強いですが、とんねるずとカートレースを楽しんでいたように、子供のような無邪気な面もある魅力的な人でしたね。
それは、ベルガーの人柄もあるでしょう。あの人、超我儘とっちゃん坊やのマンセルとさえ上手くやれてたみたいですし。(苦笑)
セナは2007年生まれの僕から見れば伝説の人。リアルタイムで見られた全てのおじさんが羨ましい
セナの日本でのレースを毎年全部見に行ってましたが、
まさしく神でしてね。
もうセナみたいな、カリスマ性のあるレーサーは出てこないでしょう。
リアルタイムで見ないほうが幸せさ。失望感が半端ないほど襲ってくるぞ
わかる。父親が泣きながら話してくれたことを思い出します。リアルタイムで見たかった。
衝突直後はまだ動いてる様子だったからなんとか無事であって欲しいと思った。しかし願いも虚しくセナは逝ってしまった。確かブラジルでサッカーの試合の最中に訃報が入り、試合中断されて追悼が始まったのをニュースでやってた。
94年型のセナのロスマンズカラーのヘルメット無いそうですね
もし出てきてなんでも鑑定団に出したら一億円位付くかもしれません普通レースの時はピットにスペアのヘルメット有ると思うのですが事故のゴタゴタで無いそうです、セナ家には有るかもしれませんが棺の上に置かれたヘルメットもマルボロ仕様だったし。
アイルトン・セナは天才です。ただ天才は努力により培われています。1994年に亡くなりましたが、私達の心にその姿は焼き付いてます。
親の財力のおかげ。
金がなければどうにもならない
セナ足って、わたしの知る限り、1500馬力のF1を5馬力単位でコントロールできる足捌きの事だと思っていました😊
ネルソン・ピケは予選だけど2000馬力超えて居たとか。
音速の貴公子という異名が120%当てはまる人でした。
その走り、ルックスからも王者というよりは、貴公子がしっくり来てましたな。
もしセナがマクラーレンに残ってたのならまだまだ黄金期を築いてまだご健在なセナを見れたと考えると涙が出てくるなき😢
「Up主さん“セナの事故原因は既に判明して居ますよね=英国BBCが特番を組み、その検証結果が公式に認められて居ますよ。」
事故理由=セナのコーナーリングスピードがメカニックとの“セッティングスピードを超えてしまい、ダウンフォースにより車体の底部虐殺路面と接触し反動で前輪が浮き上がりハンドルを切るも前輪が路面と接地して居ない為に、そのままクラッシュしてしまった。
「セナの天才的才能が想定速度を上回る速度でのコーナーリングを可能にしてしまった悲劇的な事故です。」
”この英国BBCで放映された特番が日本で放映又はTH-cam等々で見つかるか?は分かりません“
(私は在英なので視聴出来ました。)
「セナ足」は加速時に細かなトルク変動の波を作ってタイヤのグリップを最大限使い切る為のテクニックですね。特に89年のホンダV12NA以降は有効だったと思います。でもシングルプレーンクランクのV8ならエンジン自体がトルクの波作ってくれるから、必要性薄れるかな? プロストは長年ターボエンジンで育ったドライバーなので、ブーストの効き具合とタイヤグリップの限界を確かめながらジワッとアクセル踏む走り方が身に付いていたでしょう。
私はこの放送も知りませんでしたが何かに動かされるように普段余り見なくなったTVの
スイッチを入れました、次の瞬間、外国サーキット、事故だ人が亡くなってるあれセナだ
何も音声が無いどこかのサーキットだけが映されたままなのにたまに自分こんな能力あり
運命なのでしょうミハエルに勝つには限界超えないと勝てない超えた先には何が有るって
セナには分かってた走り出したらもう自分でも止められない事も悪条件がレースをキャンセルしろと教えてる事もシャフトのニコイチ、ケツのホース抜け、電子制御感電、熱暴走
開けて行っても曲がってくれない目線も最後の最後ま出口を見てイン側に頭振って捻じ曲げて凄まじい闘志あんだけ下回り擦れてシャフトって溶接でいいの?カーズって感電しないの?攻めると予期せぬ動きって電動じゃないの?雷って避雷針とか無視して人に落ちたりするけど何とかって車の事故って被るんだ車は機械だ半導体熱暴走は何でする?そりゃ
怖くて怯える予期せぬ動きされたら
赤の他人の死であれほど悲しくショックだったことは今のところ無い。
タンブレロは89年にベルガーが炎上したコーナーだったかな。
あの時何かしらの手を打ってたらと、当時思った記憶が。
セナが亡くなってから、それでも見てたけどだんだん遠ざかっていったな。
自分の誕生日(ゴールデンウィーク中単身赴任中の父にタミヤのプラモデルのマクラーレンを貰った。中1ながら知識も無しにボンドを使い親戚のにぃちゃんからスプレー塗装と水転写デカールの貼り方を教えたてもらった。
今もそのプラモデルはあるけど、触ると風化して触るとサスペンションアームが折れるかも…と思うと大分時間経ったんだなぁとおもう。
確かこの時のサンマリノでは、セナのクラッシュ後も大きな事故が相次いだような?
セナの死はシューマッハの総合成績にもかなり影響を与えてるだろうね まあ今では遅いけど サンマリノは中止にするべきだったね観客とか考えるとできないんだろうけど
忘れもしません!あれはバイクで横浜から阿蘇までツーリングに向かっていた時、大分の湯布院あたりの食堂でご飯を食べてた時、テレビからこの訃報が流れて来て、思わず、うそ?!😱と叫んだことを、わたしは忘れません、それほど好きな選手でした。
セナ君君の事は忘れないから大丈夫です
真の一流とは天才が努力した結果だと思う
残念な事に凡人がいくら努力しても,天才が努力したら超える事は不可能である
セナは努力の人だった.雨天のコース走行を練習するため,大量の水をコースに撒いて繰り返し練習した事は有名
もちろんF1レーサーは皆天才だと思う.でもセナは他の誰よりも努力していたと思う.もちろん負けず嫌いで,それこそどんな手を使っても勝つという人だったと思う.だからこそ努力したのだ
個人的には・・・アイルトンセナはハンサムだと思う・・・ハンサムでF1レーサーで伝説的な英雄・・・居るんだねこんな人・・・羨ましいを通り越すよ・・・宇宙人とか天使とかに等しい・・・神に嫉妬する人は稀だろう・・・
マン島TTは亡くなったライダーに敬意を表したくなるが、F1はルール自体に疑問が多い為なんとも言えない気持ちになる。
FIAは人気回復のためのレギュレーション変更多すぎブリジストンミシュランにそっぽ向かれて当然!今度の変更もF1ファンはどう思っているんだろう……
この事故は後に調査委員会が設立されて原因が動画にもある通り、ステアリングコラム破損と結論づけられたんですけど、その委員会の座長マウロ・フォルギエリが言っていることがあるんです。
椅子の座りステアリングを持つ仕草をしながら、「もし君が車を運転していて、それが何かおかしい!普通じゃないと感じたらどうする?」「そう!車を止めるだろ!」とインタビューアーに問いかけています。
つまりコラムは、いきなり何の前触れもなく破損したのでなく徐々に壊れていった。車載映像でもそれが見て取れます。
ステアリングを握る、あのセナがそれに気がつかないわけがありません。
しかしマシンを止めリタイアしてしまえば追ってくるシューマッハにまた負ける。開幕二連続DNFのセナに対し、シューは二連勝。
チャンプを獲る為には、これ以上負けるわけにはいかない。
自分もセナは好きでした。あの時、例えチャンプになれなくてもマシンを止めて欲しかったなと思うんです。
なんか今のレースって車がハイテク過ぎて、マニュアルに沿った運転で車の性能をより引き出した人が勝ってる印象。
実際は違うかもだけど、そういう風にしか見えない。
セナとプロスト、セナとマンセルみたいなバチバチの人間臭いバトルがないというか。
動画でも出てきた、勝つためならなんでもするストイックさとか、人間ドラマも面白かったな。
一方的に速かった時代のウィリアムズルノーのマンセルをレースゲームみたいに無理矢理ブロックして勝ったりもしてましたね。
見てました。搬送されるまでがとても長く感じ、遅い、何やってんの早く!と思ってました。ショックでした。
またこの時期が来たな。
死因に関して諸説あるけど折れたサスペンションが脳を貫いたとあるけどコンクリートウォールにヘルメットぶつかった跡あったので脳挫傷で死んだと個人的には思ってる。
ラッツェンバーガーが亡くなった時点でレース中止してればセナは死ななかったかも知れない。
この時の中継を見ていたが今宮が泣きながらセナの死を語っていた
その日以来F1を観ていない
ワーウィックを拒否せずに、チームメイトとして迎え入れて、タイマンで叩き潰す戦いをしてほしかった。
今でもそう思っています。
こういっては何だがセナは死神と契約してしまったんだと思う。90年の鈴鹿の1コーナー、あの接触は下手をすればプロストを殺しかねなかった。それからはF1を見る度にセナの身に何事も無ければ良いが…と思って見ていたけれど…。
あの事故を日本のケーサツカンが見たら「接触」じゃなくて「後続車の無謀な速度超過による追突」て調書に書くと思うな。
セナのクラッシュはリアルタイムで見ていました。
若きシューマッハが世代交代にチャレンジしセナが焦っているのはアリアリとわかりました。
セナの後方にピタっと付けたシューマッハのオンボードカメラからセナがタンブレロコーナーからまっすぐコースアウトしていく姿に思わず「やった!」と感じた瞬間でした。
まさかこのままセナが帰らぬ人となるとは思いもよらず自己嫌悪に陥ることとなりました。
やっと この年になり思いを馳せることが出来ました。
セナの死因はFW16のサスペンションの欠陥(容量不足)によるものだと思います。
ドライバーの顔に向けて取り付けられていて、路面の凹凸のある高速タンブレロコーナーでの強い入力により
右フロントサスペンションのキャパシティを超えロッドが抜けてフロントカウル・ヘルメットを貫通して頭部に刺さったんだと思います。
車載動画を見るとコンクリートウォールに向かう直前に何かを避けようと左に頭を傾けているのが分かります。
事故後のヘリコプターによる空撮映像に右フロントサスペンションの破損とフロントカウルに丸い穴が開いているのが確認できます。
ルノーは事故直後に早々とマシンに欠陥は無かったと責任逃れの発言をしていましたね。