[旅気分]的山大島(長崎県)/寄港地・棚田・捕鯨で栄えた島
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- เผยแพร่เมื่อ 5 ก.พ. 2025
- 大島は平戸市の北屋久10kmの玄界灘に浮かぶ。的山(あづち)大島と呼ばれ、農業漁業の島である。「肥前風土記」には「大家島」と記され、古くから海上交通の要衝として知られ、遣唐使船も寄港している。的山湾は倭寇の中継地としての役割を果たし、海賊ヶ浦という地名も残る。大島の領主大島氏は、貞応3年(1224年)から寛永6年(1629年)までの405年間もこの島を統治していた。
現在、島では米を生産し、斜面を利用した棚田が多くみられる。島には大きく3つの集落がある。海上交通の要衝として栄えた的山(あづち)集落、捕鯨からはじまり水産業で栄えた神浦(こうのうら)集落、棚田の中に形成された大根坂集落。神浦は、国重伝にも指定され、江戸時代から昭和初期にかけての町家が建ち並んでいる。深く入り込んだ港は2本の川の河口に別れ、町並みも双方に形成されている。木板の割合が高い切妻平入りの家並み。地形に沿って丁寧に湾曲し、シークエンスを味わうことのできる町並みである。
集落町並みWalker
www.shurakumach...
Another wonder video, Walker. Thank you very much.
Thank you for your comment 😊
It looks like that time has stopped since Edo period.
Since remote islands have undergone little change in response to motorization, it seems that such scenery will remain. Thank you for watching 😊
@@walkerwalkaroundjapan To me, those sceneries are bringing me back the nostalgia. Thanks a million for uploading.
小さな島で棚田が多いと思って地図を見たら標高200m程度の山しかないのに、標高150mあたりにため池がごろごろ。これで棚田の水を確保しているんですね!
かつての反映の歴史を感じさせる街並みですね。
あまり耕作放棄地も見当たらないのですが、後継者はいるんでしょうかねえ・・・
海の近い棚田ならお米は美味しそうですが。。。コメが取れて魚が美味しくて。。。
何かこじんまりして安定した産業があれば言う事なしですが。。。
コメントありがとうございます😊
確かに、山の上には溜池がたくさんありますね。棚田の面積広いですから納得です。唐津周辺の島にも豊かな町並みのある島がありますが、そちらに近い感じがします。