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ベルガーのいたずら好きの性格に引っ張られてセナもいたずらし始めたエピソード好き。
お疲れ様です。やっぱり、紺にオーストリアのメット、カッコいい!! &イケメン
後年、ベルガー自身が「89年のタンブレロ以降、それまで出来ていたことが出来なくなってしまった。」また、「高速で周回遅れをパスするために草地にタイヤを落としてでも抜いてだけど、本当の痛みを知ったから必要以上のリスクは背負わないことにした。」と語っていましたね。それまでイケイケで怖いもの知らずだったが、本当の恐怖を知ったベルガーさんでした。
1987年の鈴鹿の翌日、国際電話でエンツォ・フェラーリに勝利報告したんですよね、ベルガー。それが「最後に勝利報告したドライバー」になってしまった。そして翌年、エンツォ逝去のモンツァで優勝&フェラーリ1-2フィニッシュ。1992年、ホンダ最後のアデレイドでも優勝。まさしく記憶に残る勝利を上げるドライバーでした。
フジテレビでベルガー勝った時に流れる曲、Tachyonがカッコいいこと。フェラーリを2度復活させ、第二期ホンダへ最後の勝利を届け、引退が囁かれ出した晩年ドイツグランプリに完全勝利。キャリアの重要な局面で勝利を掻っ攫う姿は千両役者でしたね。
エンツォ・フェラーリと会話が出来た、最後のドライバー。彼(ベルガー)はエンツォを、そしてフェラーリを心から愛せたドライバーだったのかもしれない。何時だって、熱ハートを持っていたいよね。
ベルガーはラウダと同郷だけど中身はジェームズ・ハントというね😅…それにしてもセナとのコンビはまるでマンガのキャラクターのようでナイーブで天才的な主人公セナと女好きで細かい事はどうでもいいじゃん!っていうベルガーはF1劇場の主役に相応しかった。
いたずらに関してはロン・デニスとセナが共謀して、財布を中身ごとドリルで穴を空けられ、ボルト留めされた状態でホテルに届けられるという逆襲を受けてますね。
ベルガーさんがエンジニアの話を聞いてない事件に関しては、次以降に出てくるMP4/7でトラコンを導入した時、ベルガーさんは走り出してすぐピットに戻ってきて「ダメだ!エンジンがミスファイアを起こしている!」とホンダのエンジニアさんに真顔で話し、結局トラコンを切って走らせたら期限が治ったエピソードがありますね。
87年の終盤の日本GPとオーストラリアGPの2連勝と88年のイタリアモンツァでの1-2フィニッシュの印象が強いです。87年の日本GPの優勝は私がベルガー大好きになったきっかけです。
懐かしい、当時深夜放送を眠い目擦って観てたなぁ。ビデオ(死語?)撮ってるのに、つい観ちゃうんだよね。
1989年からF1を見始めましたテレビ中継で解説の津川さんが「バーガー」(英語読みですよね)と呼んでいたのを覚えています
最初「バーカ」って聞こえた記憶が…😵💫あんまりだぜ哲ちゃん!と思ったかな。
'91はベルガーが…と思って観てました。
セナとベルガーってよく喋ってたような記憶があります。セナがチームメイトで一番信頼して認めてたドライバーだったのかな。ベルガーもセナを認めてNo.2を受け入れたのかもしれませんね。
悪く言えば、セナからすれば数戦で自分より速い事はあっても、シーズン通してのライバルにはならんだろっていう安心感もあったかもしれませんねプロストのときのようなピリピリ感をほとんど感じなかった(ベルガーの人柄もあったかもしれませんが)ことが信頼感の要因ではないでしょうかまあ、あんだけイタズラしまくってるのにみんなから好かれているのは、ベルガーの人徳が相当なものだっていうのはあるでしょうね
イタズラ好きでスケベなオーストリア人 F-1ドライバーだったが、やる時はやる男だった
あるF1専門雑誌(GPカーストーリー)でベルガーのインタビューコメントに全てのチームメイトとは上手くやってきたのだけれども?ベネトン時代のテオ・ファビとフェラーリのアルボレートとも仲が悪いわけでは無かったけれども、このイタリア人ドライバー2人は不機嫌で不愛想だった、と言っていました?特にアルボレートはマシンセッティングに関して「俺がやろうとするのと全く正 10:10 反対の事をする?」「何故か?俺は不機嫌なイタリア人とばかりコンビを組まされる?」とボヤいていたのが面白いでした。おそらくアルボレートもファビも自分の地位立場ポジション(エースNo.1ドライバー)を脅かすくらいに速いベルガーが現れたから焦りを感じたに違い無い?
セナのパスポートの写真をヌードの女性に張り替えたってのもあったなぁ
1986年シーズンはプロスト、ピケ、マンセル、セナ、ロズベルグの5人が「ギャングオブ5」構成メンバーでしたが、1987年シーズンはプロスト、ピケ、マンセル、セナ、ベルガーの5人が「新ギャングオブ5」構成メンバーに変わりましたね‼️ベルガーは1989年フェラーリでマンセルと、1990年~1992年マクラーレンでセナとコンビ組みましたが、プロストやピケとは結局コンビを組む事無かったでしたね‼️
1990年シーズンが最もベルガーらしいシーズンでしたね。アメリカ、メキシコではPPを獲得してセナを時々凌駕しながら、モナコやスペイン、日本で大ポカ。印象的だったのは、ウェットでスタートしたカナダGP。セミウェットだったセナに対して、ベルガーは晴れを見込んでのドライセッティング。見事にセッティングのギャンブルに勝ったのに、スタートで痛恨のフライング→1分ペナルティー。本当に愛すべきヤツ、それがベルガー。
自分は20代男性ですが、小中学生時代、おじさんからF1のビデオ借りてたな。マンセル(90年ポルトガル)はすごかった。
これは貴重な20代のF1ファン様。ようこそお越しくださいました。ありがとうございます!90年ポルトガルのマンセルさんとはいいですね~。
お疲れさまです。マンセルさんとの確執の話を聞くと1990年シーズンのイモラでの幅寄せやメキシコでの強引な追い越し、ハンガリーでの接触からの共倒れも妙に納得いってしまいますwとは言えメキシコでの表彰台でマンセルさんがプロストさんとベルガーさんの手を持って讃えたシーンを見るとわだかまりは消えたのかなと思いましたね。
もっとストイックに取り組んでいたらより高成績をあげられると思って観てましたが、「レースを楽しみ、レースの前日の夜も楽しむ♪」のが彼らしいスタイルだったんでしょうね(^^)。
オーストリア人F1ドライバーって何故か不慮の事故で亡くなる人や生死を彷徨う大事故で重傷なるかた多いですよね😢片目を失明したマルコ、事故死したリント、コイニク、ラッツェンバーガー、火傷おったラウダ、ベルガー、、モナコでクラッシュしたベンドリンガー等😢
ワニ園の話はあらかじめワニの居ない沼を用意してて、そこにロンを突き落としたんじゃなかったかな?
イモラのタンブレロはピケも大きいクラッシュを経験してましたね。ベルガーもあのクラッシュでよく命が助かったと思います。 同じ場所でセナとは運命を分けましたね。セナも何のかんの助かるんじゃないか、とは思ってたんですが。
毎度です。タンブレロはベルガーさんの事故を受けて改修提案があったんですけどね~。裏に川があるとかでとん挫しているんですよね。しっかり改修されていればセナ様も事故もなかったかもしれないと思うと...
お疲れ様さまです。ベルガーとレイトンハウスが好きでした。こちらにもワタシと同じ人、沢山いらしてる気がします😅確かセナが自慢のアタッシュケースを自慢した刹那に、ヘリから放り落としたんですよねw。車をねじ伏せて走る感じが大好きでした!1990メキシコ、マンセルとのバトル何度も見ましたよ。ベルガーはタイヤに厳しいんですよねー。序盤にリードするけど、結局、予想通りズルズルとペースを落として抜かれていくんですよね😂。でも大好きでした。2019年でしたか、オーストリアで表彰台に上げてもらった田辺さんにトロフィーを持って来たのはベルガーでしたね!元ベルガーエンジニアの田辺さん。表彰台で元担当ドライバーからトロフィーを受け取る。本当に感動的で、感慨深く、涙が出ましたよ😢。
優勝する実力があるのに未勝利ドライバーシリーズも見たいですね。ブランドル、ワーウィック、ヨハンソン等々😊
ガサツなところもありますが、やる時はやる❗️ベルガー最高‼️セナみたいなドライバーはもう現れないとかよく聞きますが、ベルガーのような記憶に残る結果が出せるドライバーも現れないと感じます。
いたずらの為だけに腐った魚をわざわざ用意する情熱をレースにも注いでいれば。まあそれでいてポールリカールまでセナと予選でほぼ互角だったのは凄い
ごもっとも。
フェラーリでは「第二のニキ・ラウダ」と母国の偉大な先輩の名前を頂戴していたのに、マクラーレンに行った途端「車掌」やら「助演男優賞」やら、随分散々な事態に...これに限らずですが、古舘さんの評価はクセがすごい。
あはは。そうでしたね~。古館さんの実況好きでした~。
あっ!ちなみにレガはラウダをフェラーリに引っ張った張本人で、メルツァリオはエンツォ御大が速い車を用意出来なかった事を謝罪するようなコメントを発した事があったので二人の名前を上げました
ラウダがエンツォ・フェラーリ御大と大喧嘩してフェラーリを去った原因が、レガッツオー二をチームから追い出してカルロス・ロイテマンをチームメイトに迎えた事だったと聞きましたが?チームを去ろうとするラウダにエンツォ・フェラーリが白紙の小切手を渡して「好きなだけ欲しい金額を書き込め?」と強気で命令して引き留めたけれども、ラウダは全く応じず小切手をエンツォに突き返して「あなたのいるチームで走りたくない?」と捨てゼリフ吐いて去ったそうですね?さすがラウダですね?更にエピソード有ってフェラーリ辞めてイタリアからラウダが去る時に、飛行場のイタリア人管制官がラウダに離陸許可を与え無い嫌がらせをしたそうですが、ラウダは管制官に「来年アルファロメオのエンジンを積むブラバムに行くからイタリアとの縁は切れていない」と告げると管制官は快く離陸許可を与えて無事にラウダは飛び去って行ったとか?洒落シャレていますよね?
下降線というわけではありませんが、人気のある脇役になってきた時期ですね。たまーに勝つし、人気はあるけれども主役にはなれなかったドライバー。フェラーリのセミオートマからまたマニュアルに戻り、シートもようやく合わせられた91年は、頻繁にオーバーレブしてエンジンを壊していましたね。繊細なシフトダウンのセナに対して、鈴鹿のシケインは、なんと6→4→2速と強引にダウンしていました(笑)130Rを6速で突っ込むのは、それを補って余りある魅力はありました。マクラーレンに入ってからはセナがあまりにも偉大すぎて、古舘の「運転手はセナ、車掌はベルガー」「セナの助演男優賞」「セナの影法師」「今年はベルガーここにありを見せたい!人間が良すぎるぞ!」は、ベルガーファンにはたまったものではないにせよ、言い得て妙でした。当時はネットなど存在せず、意見を書く場など、せいぜいが雑誌のハガキが採用された時くらいしかないしですね(笑)
毎度です♪レースではセナのナンバー2的な立ち位置ながらもプライベートでは子分のセナを引き連れてのイタズラ三昧でしたね😂後、ベルガーといえば無類の女性好き❤彼曰く、一晩に5人はイケたそうです。女性の方、申し訳ございません😅
お疲れ様です。ベルガーさんのマクラーレン移籍後の初のテストでMP4/5Bの感想を訊かれてエンジンについては饒舌だったのが、シャーシについては変に口ごもっていたのが印象的でしたwそういえばGP CAR STORYの次号はMP4/5B特集ですね。
おっGP CAR STORYなんと!次回はMP4/5Bですか?!買わねば
いろんな意味でセナと組んだのがターニングポイントだったと思います。才能にあぐらをかかずストイックにやっていれば とよく言われますがテキトーなのがベルガーのいいところでもありますしね 笑
ストイックなベルガーなんて、ベルガーじゃないですねwF1界の高田純次w
@@鈴木光-n9oですよね〜
当時からドライバーとしてのベルガーさんは大好きでしたが、イタズラのエピソードを当時聞いて『うわぁ笑えないや。かなりイカれてるな』『何と酷いことを…。こりゃイタズラの域を超えてるよ』とかなり引いてしまったことは内緒です。
この88年に一勝挙げたのは、ベルガーだった。確か総帥のエんツォ・フェラーリの死去した年でしたね。アルボレートには不運な年でしたね。MP4/6Bまで、マクラーレンはマシンの車体製造法が古いままだったのは痛いですよね。ベルガーは結局、キャリアとしてのマクラーレン入りは無駄だったような気がする。
毎度です‼この頃のベルガーさんは入賞するかリタイアするかみたいなモヤモヤするレースをしていたのが印象深いです。その原因は未成熟なセミATだったり、身体とあわないコクピットだったり、繊細なホンダエンジンだったりと様々でしたけど・・・それでもセナとうまくやれた、というだけでベルガーさんの人となりが見えてきますよね😆😆😆あとineさんとこのチャンネルの常連さんには釈迦に説法ですが、最後のワニ園でのイタズラはあらかじめワニを退去させていたことを付け加えておきます。
ベルガーは背の低いドライバーに対して相当負けず嫌いでした、MP4/6はイギリスGPのコメントがマシン知識が無いを否定出来ました。オーバーレブの原因はベルガーの体格と居住性の悪さもあるんじゃないかと、RA121E自体もオーバーレブに弱かった後はセナを基準にしてプロストもエンジン特性が合わなかった気も。コメントでセナよりもベルガーの方がエンジン特性は理解して居る気もしますが、ミスファイヤはベルガーはフォーミュラフォード辺りでして居た気もします。後は、フジテレビ中継と川井一仁さんの4コマ漫画以外にベルガー本人の自伝を知らないファン層は居るんだなと思います。
フェラーリと同じ色にして並べたらどうなんだろ⁉️と33年モヤモヤしてます(笑)MP4/4を色変えしてスバルコローニ❔みたいな。プロストさん乗り間違えしたりしないかな(笑)MP4/6のベルガー車載映像見るときシフトダウンでオーバーレブ気味のRA121Eサウンドが個人的には大好きでした‼️あの壊れそうな回転数の音がゾクゾクします。
89年の事故以降速さにやや陰りが見えてしまったのが残念でした…ターボ車の挙動からNAに変わって好みと食い違ってしまったからかもしれませんが
毎度です。そうなんですよ。分岐点は89年だと私も思っています。あそこから勢いがなくなった気がしてました!
ベルガーもセナから悪戯の報復として財布に穴を開けられたって話を聞いた事があったような笑
楽しく拝見しました。187懐かしい!多分に昭和の比喩(失礼)ですが、底が抜けるまでアクセルを踏む、というスタイルだったんだと思います。むしろマンちゃんより過激だったかと。タンブレロまでは
この頃のマシンって、今と比べると格段に信頼性が低いので、ドライビングスタイルによっては・・・みたいのは多々ありましたね。そう考えると同じマシン(エンジン)のセナは、めちゃくちゃ速いのにマシンには優しい、ってやっぱりセナというドライバーは別格だったのかと改めて感じてしまいます。ところでベルガーの武勇伝(いたずら)は当時も色々聞きましたが、いたずらの範疇を超えすぎやろ!って思わず引いてしうこともしばしば・・・。
どーもです。1987年と1988年の2年間先輩ミケーレ・アルボレートのチームメイトだった後輩ベルガー。1987年はアルボレートがフェラーリのエースNo.1ドライバーでしたが、1988年はベルガーがエースに昇格しましたね?まだエンツォ・フェラー御大が存命だったのでアルボレートも安心してレースに集中出来ました?
記録より記憶ネタでフェラーリドライバーと言えばジル以上のドライバーは居ないのでは?レガツォーニ、メルツァリオもお忘れなく!
唯一マクラーレンが全滅した88年モンッツアだね。
動画をありがとうございます。ドライバーとしてベルガーさんを見た場合、ほぼ同じスタイルだったにも関わらずほぼどのマシンもキャリアの中で上手く有効にドライブしていたのではないでしょうか?ただ、最後のベネトンについてはチーム事情などで、てこずっていた印象ではありますが・・・。いかがでしょうか?
毎度です。確かにうまいこと順応していた感じはありましたね~。
悪戯好きで人の話を聞かないなんて子供がそのまま大人になったようなキャラでしたね。ギヤボックスを痛めるようなシフト飛ばしなんかするとエンジニアから大目玉食らいそうですが、ベルガーだから許せる感じですかね。次回の動画も楽しみにしてます。
お疲れ様です。90年のベルガーは2位2回&3位5回&4位3回&5位1回で入賞11回ですよ😅
やっちまいました。ご指摘ありがとうございます!
どうもこんばんわっす🎶。マクラーレン・ホンダ時代ではセナにとって史上最強のセカンドドライバーと同時にベネトンとフェラーリをそれぞれ2回在籍したドライバー…ですなぁ…。ベネトン時代においては1986年においてはファビ以上に素早さを見せつけて、1987年からエンツォからご指名でフェラーリ入りを果たしたのは言うまでもないけど…、1994年のイモラにおいては親友だったセナだけではなく後輩のラッツェンバーガーさんが落命した事を踏まえると…ベルガーいや全世界のレーサーやモータースポーツファンにとっては悲しい出来事でしたからね…。
毎度です。フェラーリではフェラーリを2度復活させたドライバーと言われてましたよね~。
セミオートマ搭載マシン。先見のねんはあったんだけどな。
お疲れ様です🍵ピケやマンセルのようなキャラクターではなく別の方向性で際立っていたベルガーさんでしたね。先日のine様のベネトンシリーズでコメントされていた方がいらっしゃいましたが、ベルガーさんはセットアップ能力が他のドライバーに比べて不十分なタイプなので、メカニックには扱いずらいタイプのドライバーでしたね。88年のフェラーリ187/88はエースのサポートも出来るし自力優勝だって出来るドライバーだったのに89年の扱いはちょっと不憫でしたね。(セカンドドライバーでチームに忠誠をしていたのに…)90年からのマクラーレン入りは、ある意味で良かったのかも知れませんね。因みにホンダコレクションホールにある動態保存のMP4/6はベルガー車ですが、ホンダのワガママでセナ車にしてあります。(みんな知ってる常識かも?)
毎度です。そうなんですよね~。セットアップ、開発能力には注力していないな~と私も思ってました。セナと一緒になってそこに気が付いたみたいな感じでしたかね~。
音が良か。
ベルガーのいたずら好きの性格に引っ張られてセナもいたずらし始めたエピソード好き。
お疲れ様です。
やっぱり、紺にオーストリアのメット、カッコいい!! &イケメン
後年、ベルガー自身が「89年のタンブレロ以降、それまで出来ていたことが出来なくなってしまった。」また、「高速で周回遅れをパスするために草地にタイヤを落としてでも抜いてだけど、本当の痛みを知ったから必要以上のリスクは背負わないことにした。」と語っていましたね。
それまでイケイケで怖いもの知らずだったが、本当の恐怖を知ったベルガーさんでした。
1987年の鈴鹿の翌日、国際電話でエンツォ・フェラーリに勝利報告したんですよね、ベルガー。
それが「最後に勝利報告したドライバー」になってしまった。
そして翌年、エンツォ逝去のモンツァで優勝&フェラーリ1-2フィニッシュ。
1992年、ホンダ最後のアデレイドでも優勝。
まさしく記憶に残る勝利を上げるドライバーでした。
フジテレビでベルガー勝った時に流れる曲、Tachyonがカッコいいこと。
フェラーリを2度復活させ、第二期ホンダへ最後の勝利を届け、引退が囁かれ出した晩年ドイツグランプリに完全勝利。キャリアの重要な局面で勝利を掻っ攫う姿は千両役者でしたね。
エンツォ・フェラーリと会話が出来た、最後のドライバー。
彼(ベルガー)はエンツォを、そしてフェラーリを心から愛せたドライバーだったのかもしれない。何時だって、熱ハートを持っていたいよね。
ベルガーはラウダと同郷だけど中身はジェームズ・ハントというね😅…
それにしてもセナとのコンビはまるでマンガのキャラクターのようでナイーブで天才的な主人公セナと女好きで細かい事はどうでもいいじゃん!っていうベルガーはF1劇場の主役に相応しかった。
いたずらに関してはロン・デニスとセナが共謀して、財布を中身ごとドリルで穴を空けられ、ボルト留めされた状態でホテルに届けられるという逆襲を受けてますね。
ベルガーさんがエンジニアの話を聞いてない事件に関しては、次以降に出てくるMP4/7でトラコンを導入した時、ベルガーさんは走り出してすぐピットに戻ってきて「ダメだ!エンジンがミスファイアを起こしている!」とホンダのエンジニアさんに真顔で話し、結局トラコンを切って走らせたら期限が治ったエピソードがありますね。
87年の終盤の日本GPとオーストラリアGPの2連勝と88年のイタリアモンツァでの1-2フィニッシュの印象が強いです。
87年の日本GPの優勝は私がベルガー大好きになったきっかけです。
懐かしい、当時深夜放送を眠い目擦って観てたなぁ。
ビデオ(死語?)撮ってるのに、つい観ちゃうんだよね。
1989年からF1を見始めました
テレビ中継で解説の津川さんが「バーガー」(英語読みですよね)と呼んでいたのを覚えています
最初「バーカ」って聞こえた記憶が…😵💫あんまりだぜ哲ちゃん!と思ったかな。
'91はベルガーが…と思って観てました。
セナとベルガーってよく喋ってたような記憶があります。
セナがチームメイトで一番信頼して認めてたドライバーだったのかな。
ベルガーもセナを認めてNo.2を受け入れたのかもしれませんね。
悪く言えば、セナからすれば数戦で自分より速い事はあっても、シーズン通してのライバルにはならんだろっていう安心感もあったかもしれませんね
プロストのときのようなピリピリ感をほとんど感じなかった(ベルガーの人柄もあったかもしれませんが)ことが信頼感の要因ではないでしょうか
まあ、あんだけイタズラしまくってるのにみんなから好かれているのは、ベルガーの人徳が相当なものだっていうのはあるでしょうね
イタズラ好きでスケベなオーストリア人
F-1ドライバーだったが、やる時はやる男だった
あるF1専門雑誌(GPカーストーリー)でベルガーのインタビューコメントに全てのチームメイトとは上手くやってきたのだけれども?
ベネトン時代のテオ・ファビとフェラーリのアルボレートとも仲が悪いわけでは無かったけれども、このイタリア人ドライバー2人は不機嫌で不愛想だった、
と言っていました?
特にアルボレートはマシンセッティングに関して「俺がやろうとするのと全く正 10:10 反対の事をする?」
「何故か?俺は不機嫌なイタリア人とばかりコンビを組まされる?」
とボヤいていたのが面白いでした。
おそらくアルボレートもファビも
自分の地位立場ポジション(エースNo.1ドライバー)を脅かすくらいに速いベルガーが現れたから焦りを感じたに違い無い?
セナのパスポートの写真をヌードの女性に張り替えたってのもあったなぁ
1986年シーズンは
プロスト、ピケ、マンセル、セナ、ロズベルグの5人が「ギャングオブ5」構成メンバーでしたが、
1987年シーズンは
プロスト、ピケ、マンセル、セナ、ベルガーの5人が「新ギャングオブ5」構成メンバーに変わりましたね‼️
ベルガーは1989年フェラーリでマンセルと、1990年~1992年マクラーレンでセナとコンビ組みましたが、
プロストやピケとは結局コンビを組む事無かったでしたね‼️
1990年シーズンが最もベルガーらしいシーズンでしたね。アメリカ、メキシコではPPを獲得してセナを時々凌駕しながら、モナコやスペイン、日本で大ポカ。印象的だったのは、ウェットでスタートしたカナダGP。セミウェットだったセナに対して、ベルガーは晴れを見込んでのドライセッティング。見事にセッティングのギャンブルに勝ったのに、スタートで痛恨のフライング→1分ペナルティー。本当に愛すべきヤツ、それがベルガー。
自分は20代男性ですが、小中学生時代、おじさんからF1のビデオ借りてたな。マンセル(90年ポルトガル)はすごかった。
これは貴重な20代のF1ファン様。ようこそお越しくださいました。ありがとうございます!90年ポルトガルのマンセルさんとはいいですね~。
お疲れさまです。マンセルさんとの確執の話を聞くと1990年シーズンのイモラでの幅寄せやメキシコでの強引な追い越し、ハンガリーでの接触からの共倒れも妙に納得いってしまいますwとは言えメキシコでの表彰台でマンセルさんがプロストさんとベルガーさんの手を持って讃えたシーンを見るとわだかまりは消えたのかなと思いましたね。
もっとストイックに取り組んでいたらより高成績をあげられると思って観てましたが、「レースを楽しみ、レースの前日の夜も楽しむ♪」のが彼らしいスタイルだったんでしょうね(^^)。
オーストリア人F1ドライバーって何故か不慮の事故で亡くなる人や生死を彷徨う大事故で重傷なるかた多いですよね😢片目を失明したマルコ、事故死したリント、コイニク、ラッツェンバーガー、火傷おったラウダ、ベルガー、、モナコでクラッシュしたベンドリンガー等😢
ワニ園の話はあらかじめワニの居ない沼を用意してて、そこにロンを突き落としたんじゃなかったかな?
イモラのタンブレロはピケも大きいクラッシュを経験してましたね。ベルガーもあのクラッシュでよく命が助かったと思います。 同じ場所でセナとは運命を分けましたね。セナも何のかんの助かるんじゃないか、とは思ってたんですが。
毎度です。タンブレロはベルガーさんの事故を受けて改修提案があったんですけどね~。裏に川があるとかでとん挫しているんですよね。しっかり改修されていればセナ様も事故もなかったかもしれないと思うと...
お疲れ様さまです。
ベルガーとレイトンハウスが好きでした。こちらにもワタシと同じ人、沢山いらしてる気がします😅
確かセナが自慢のアタッシュケースを自慢した刹那に、ヘリから放り落としたんですよねw。
車をねじ伏せて走る感じが大好きでした!1990メキシコ、マンセルとのバトル何度も見ましたよ。
ベルガーはタイヤに厳しいんですよねー。序盤にリードするけど、結局、予想通りズルズルとペースを落として抜かれていくんですよね😂。でも大好きでした。
2019年でしたか、オーストリアで表彰台に上げてもらった田辺さんにトロフィーを持って来たのはベルガーでしたね!元ベルガーエンジニアの田辺さん。表彰台で元担当ドライバーからトロフィーを受け取る。
本当に感動的で、感慨深く、涙が出ましたよ😢。
優勝する実力があるのに未勝利ドライバーシリーズも見たいですね。
ブランドル、ワーウィック、ヨハンソン等々😊
ガサツなところもありますが、やる時はやる❗️ベルガー最高‼️セナみたいなドライバーはもう現れないとかよく聞きますが、ベルガーのような記憶に残る結果が出せるドライバーも現れないと感じます。
いたずらの為だけに腐った魚をわざわざ用意する情熱をレースにも注いでいれば。まあそれでいてポールリカールまでセナと予選でほぼ互角だったのは凄い
ごもっとも。
フェラーリでは「第二のニキ・ラウダ」と母国の偉大な先輩の名前を頂戴していたのに、マクラーレンに行った途端「車掌」やら「助演男優賞」やら、随分散々な事態に...これに限らずですが、古舘さんの評価はクセがすごい。
あはは。そうでしたね~。古館さんの実況好きでした~。
あっ!ちなみにレガはラウダをフェラーリに引っ張った張本人で、メルツァリオはエンツォ御大が速い車を用意出来なかった事を謝罪するようなコメントを発した事があったので二人の名前を上げました
ラウダがエンツォ・フェラーリ御大と大喧嘩してフェラーリを去った原因が、
レガッツオー二をチームから追い出してカルロス・ロイテマンをチームメイトに迎えた事だったと聞きましたが?
チームを去ろうとするラウダにエンツォ・フェラーリが白紙の小切手を渡して「好きなだけ欲しい金額を書き込め?」と強気で命令して引き留めたけれども、
ラウダは全く応じず小切手をエンツォに突き返して「あなたのいるチームで走りたくない?」と捨てゼリフ吐いて去ったそうですね?
さすがラウダですね?
更にエピソード有ってフェラーリ辞めてイタリアからラウダが去る時に、
飛行場のイタリア人管制官がラウダに離陸許可を与
え無い嫌がらせをしたそうですが、ラウダは管制官に「来年アルファロメオのエンジンを積むブラバムに行くからイタリアとの縁は切れていない」と告げると管制官は快く離陸許可を与えて無事にラウダは飛び去って行ったとか?
洒落シャレていますよね?
下降線というわけではありませんが、人気のある脇役になってきた時期ですね。
たまーに勝つし、人気はあるけれども主役にはなれなかったドライバー。
フェラーリのセミオートマからまたマニュアルに戻り、シートもようやく合わせられた91年は、頻繁にオーバーレブしてエンジンを壊していましたね。
繊細なシフトダウンのセナに対して、鈴鹿のシケインは、なんと6→4→2速と強引にダウンしていました(笑)
130Rを6速で突っ込むのは、それを補って余りある魅力はありました。
マクラーレンに入ってからはセナがあまりにも偉大すぎて、古舘の「運転手はセナ、車掌はベルガー」「セナの助演男優賞」「セナの影法師」「今年はベルガーここにありを見せたい!人間が良すぎるぞ!」は、ベルガーファンにはたまったものではないにせよ、言い得て妙でした。
当時はネットなど存在せず、意見を書く場など、せいぜいが雑誌のハガキが採用された時くらいしかないしですね(笑)
毎度です♪
レースではセナのナンバー2的な立ち位置ながらもプライベートでは子分のセナを引き連れてのイタズラ三昧でしたね😂
後、ベルガーといえば無類の女性好き❤彼曰く、一晩に5人はイケたそうです。女性の方、申し訳ございません😅
お疲れ様です。
ベルガーさんのマクラーレン移籍後の初のテストでMP4/5Bの感想を訊かれてエンジンについては饒舌だったのが、シャーシについては変に口ごもっていたのが印象的でしたw
そういえばGP CAR STORYの次号はMP4/5B特集ですね。
おっGP CAR STORYなんと!次回はMP4/5Bですか?!買わねば
いろんな意味でセナと組んだのがターニングポイントだったと思います。才能にあぐらをかかずストイックにやっていれば とよく言われますがテキトーなのがベルガーのいいところでもありますしね 笑
ストイックなベルガーなんて、ベルガーじゃないですねw
F1界の高田純次w
@@鈴木光-n9o
ですよね〜
当時からドライバーとしてのベルガーさんは大好きでしたが、イタズラのエピソードを当時聞いて
『うわぁ笑えないや。かなりイカれてるな』
『何と酷いことを…。こりゃイタズラの域を超えてるよ』
とかなり引いてしまったことは内緒です。
この88年に一勝挙げたのは、ベルガーだった。確か総帥のエんツォ・フェラーリの死去した年でしたね。アルボレートには不運な年でしたね。MP4/6Bまで、マクラーレンはマシンの車体製造法が古いままだったのは痛いですよね。ベルガーは結局、キャリアとしてのマクラーレン入りは無駄だったような気がする。
毎度です‼
この頃のベルガーさんは入賞するかリタイアするかみたいなモヤモヤするレースをしていたのが印象深いです。
その原因は未成熟なセミATだったり、身体とあわないコクピットだったり、繊細なホンダエンジンだったりと様々でしたけど・・・
それでもセナとうまくやれた、というだけでベルガーさんの人となりが見えてきますよね😆😆😆
あとineさんとこのチャンネルの常連さんには釈迦に説法ですが、最後のワニ園でのイタズラはあらかじめワニを退去させていたことを付け加えておきます。
ベルガーは背の低いドライバーに対して相当負けず嫌いでした、MP4/6はイギリスGPのコメントがマシン知識が無いを否定出来ました。
オーバーレブの原因はベルガーの体格と居住性の悪さもあるんじゃないかと、RA121E自体もオーバーレブに弱かった後はセナを基準にしてプロストもエンジン特性が合わなかった気も。
コメントでセナよりもベルガーの方がエンジン特性は理解して居る気もしますが、ミスファイヤはベルガーはフォーミュラフォード辺りでして居た気もします。
後は、フジテレビ中継と川井一仁さんの4コマ漫画以外にベルガー本人の自伝を知らないファン層は居るんだなと思います。
フェラーリと同じ色にして並べたらどうなんだろ⁉️と33年モヤモヤしてます(笑)
MP4/4を色変えしてスバルコローニ❔みたいな。
プロストさん乗り間違えしたりしないかな(笑)
MP4/6のベルガー車載映像見るときシフトダウンでオーバーレブ気味のRA121Eサウンドが個人的には大好きでした‼️
あの壊れそうな回転数の音がゾクゾクします。
89年の事故以降速さにやや陰りが見えてしまったのが残念でした…
ターボ車の挙動からNAに変わって好みと食い違ってしまったからかもしれませんが
毎度です。そうなんですよ。分岐点は89年だと私も思っています。あそこから勢いがなくなった気がしてました!
ベルガーもセナから悪戯の報復として財布に穴を開けられたって話を聞いた事があったような笑
楽しく拝見しました。187懐かしい!
多分に昭和の比喩(失礼)ですが、底が抜けるまでアクセルを踏む、というスタイルだったんだと思います。むしろマンちゃんより過激だったかと。タンブレロまでは
この頃のマシンって、今と比べると格段に信頼性が低いので、ドライビングスタイルによっては・・・みたいのは多々ありましたね。そう考えると同じマシン(エンジン)のセナは、めちゃくちゃ速いのにマシンには優しい、ってやっぱりセナというドライバーは別格だったのかと改めて感じてしまいます。
ところでベルガーの武勇伝(いたずら)は当時も色々聞きましたが、いたずらの範疇を超えすぎやろ!って思わず引いてしうこともしばしば・・・。
どーもです。
1987年と1988年の2年間
先輩ミケーレ・アルボレートのチームメイトだった後輩ベルガー。
1987年はアルボレートがフェラーリのエースNo.1ドライバーでしたが、1988年はベルガーがエースに昇格しましたね?
まだエンツォ・フェラー御大が存命だったのでアルボレートも安心してレースに集中出来ました?
記録より記憶ネタでフェラーリドライバーと言えばジル以上のドライバーは居ないのでは?レガツォーニ、メルツァリオもお忘れなく!
唯一マクラーレンが全滅した88年モンッツアだね。
動画をありがとうございます。
ドライバーとしてベルガーさんを見た場合、ほぼ同じスタイルだったにも関わらず
ほぼどのマシンもキャリアの中で上手く有効にドライブしていたのではないでしょうか?ただ、最後のベネトンについてはチーム事情などで、てこずっていた印象ではありますが・・・。いかがでしょうか?
毎度です。確かにうまいこと順応していた感じはありましたね~。
悪戯好きで人の話を聞かないなんて子供がそのまま大人になったようなキャラでしたね。ギヤボックスを痛めるようなシフト飛ばしなんかするとエンジニアから大目玉食らいそうですが、ベルガーだから許せる感じですかね。次回の動画も楽しみにしてます。
お疲れ様です。
90年のベルガーは2位2回&3位5回&4位3回&5位1回で入賞11回ですよ😅
やっちまいました。ご指摘ありがとうございます!
どうもこんばんわっす🎶。
マクラーレン・ホンダ時代ではセナにとって史上最強のセカンドドライバーと同時にベネトンとフェラーリをそれぞれ2回在籍したドライバー…ですなぁ…。
ベネトン時代においては1986年においてはファビ以上に素早さを見せつけて、1987年からエンツォからご指名でフェラーリ入りを果たしたのは言うまでもないけど…、1994年のイモラにおいては親友だったセナだけではなく後輩のラッツェンバーガーさんが落命した事を踏まえると…ベルガーいや全世界のレーサーやモータースポーツファンにとっては悲しい出来事でしたからね…。
毎度です。フェラーリではフェラーリを2度復活させたドライバーと言われてましたよね~。
セミオートマ搭載マシン。先見のねんはあったんだけどな。
お疲れ様です🍵
ピケやマンセルのようなキャラクターではなく別の方向性で際立っていたベルガーさんでしたね。
先日のine様のベネトンシリーズでコメントされていた方がいらっしゃいましたが、ベルガーさんはセットアップ能力が他のドライバーに比べて不十分なタイプなので、メカニックには扱いずらいタイプのドライバーでしたね。
88年のフェラーリ187/88はエースのサポートも出来るし自力優勝だって出来るドライバーだったのに89年の扱いはちょっと不憫でしたね。(セカンドドライバーでチームに忠誠をしていたのに…)
90年からのマクラーレン入りは、ある意味で良かったのかも知れませんね。
因みにホンダコレクションホールにある動態保存のMP4/6はベルガー車ですが、ホンダのワガママでセナ車にしてあります。(みんな知ってる常識かも?)
毎度です。そうなんですよね~。セットアップ、開発能力には注力していないな~と私も思ってました。セナと一緒になってそこに気が付いたみたいな感じでしたかね~。
音が良か。