『清少納言と枕草子』栄光と零落 本当にただの陽キャ?
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- เผยแพร่เมื่อ 26 เม.ย. 2024
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枕草子 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫) amzn.to/3SuGUm5
新訂 枕草子 上 現代語訳付き (角川ソフィア文庫) amzn.to/3TrZ20g
新訂 枕草子 下 現代語訳付き (角川ソフィア文庫) amzn.to/3TD7lWW
新版 紫式部日記 全訳注 (講談社学術文庫) amzn.to/3uHlN8h
清少納言(人物叢書)
amzn.to/3QoIeGF
藤原道長 (人物叢書 新装版)
amzn.to/3Ic7X0v
増補版 藤原道長の権力と欲望 紫式部の時代 (文春新書) amzn.to/4b0bZpe
一条天皇 (人物叢書)
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「空気が読めない」のではなく、「空気を読んだ上であえて読んでないかのような言動をする」という評が一番しっくりくる感じがします。
定子のサロンは清少納言以外にも学識の高い女房が多くいたそうですが、香炉峰の雪やくらげの骨の話が出た際に、清少納言のようにとっさに機転を利かせて行動できた者は少なかったでしょう。そこが、定子と清少納言の最良のコンビ誕生の理由だと思います。一度実家に戻ってしまった清少納言に、山吹の花びらひとひらと”言はで思ふぞ”という言葉を送った定子は、さすがだと感じます。この言葉は、口に出さずに思う気持ちは言葉で語る想いよりずっと勝っている、という意味をもつ和歌の一部を抜き出しているそうで、何も言わないあなただが、その気持ちは分かっている、という意味になるそうです。当時山吹色を染めるには、クチナシの実を使ったそうで、そこからクチナシ=口無しの意味も含んでいるそうです。こんな素敵な心のこもった文をもらった清少納言は感激して、定子のもとに戻らないわけには行かなかったはずです。二人のかけがえのない関係が窺えるエピソードだと思います。
紫式部は学者を、清少納言は歌人を父に持っていたのも、家風の差違として自ずと二人の気質の違いを生んだと思います。二人は実際に会っていないので、思い切った批判もできたのでしょう。ただ作家同士なので、お互いの持ち味の良さは、意外と誰よりも認めていたように私には感じられます。
清少納言の百人一首が、ホワイトボードの方で、鶏の虚音となっていますが、鳥の空音だと思います。
沖方丁さんの花とゆめという清少納言を主人公にした小説を読んでいるのですが、枕草子のエピソードもふんだんに盛り込まれていて、読むほどに清少納言推しになりました。ワカメのお話しは笑っちゃいました。
昔NHKで内田春菊さん画のマンガで読む枕草子って放送されてたけど…
面白かったなぁ〜
また、やってくれないかしらね…NHKさん❤
高校の時「中納言参りたまいて」(クラゲの骨の話)を授業でやったのですが、何を言っているのか真意もよくわからず、先生や虎の巻の解説もあやふや。でも妙に気になっていたところ、この段は、暗に道長批判をしている、という研究が出ていたことがわかり、枕草子を改めて読み直しました。
古典も文献の発見や最新の研究で、解釈が変わっていくのが「いとをかし」ですね。
このやり取りも中国の古典をふまえているらしいです。
自分は、隆家は結構できる男だよ?でも自分がしっくりくる官職になかなかたどり着けない、と暗に隆家自身が本音をだしていたのかも(貴族社会での自分の違和感)と最近は思います。大河ドラマの影響でしょうか。実際、のちに彼は太宰府ですごい活躍をしますが…
『香炉峰』のエピソードはクオリティの高さを感じる傑作ですね。
人物像の印象は「こうだ」と決定付けられる物ではない(見る目が違うとそれぞれの印象や感情で日記に残される)のが面白いところですね😊本当のところは誰にも分からないのが真実。それは今の世もそうですよね~
いつか清少納言の大河が出来たらいいなぁと思います。
枕草子、本当に面白いですよね。現在に生きてたら有名ブロガーだの、コメンテーターになったのかな?
紫式部と清少納言がそれぞれお互いの女御に使えていたらどうなっていたでしょうか?
解説、いつもありがとうございます。清少納言の人となり、そしてその一生を簡潔にわかりやすくまとめて頂き、とても良かったです。清少納言は本当に定子のことが好きだったんですね。定子にもっと長生きしてもらえたら、続・枕草子も出ていたかも知れません。晩年は、読んでもらう相手がいなくなったから書かなくなってしまったのかなあ。
今回の動画には、本当に共感し、ちょっと感動しちゃいました😢
権力に押し潰されない、創作の力…確かにその通りですね。
私は藤原宣孝についての記述は悪口ではなく、「こんな人もいるんだねー、人間って面白いよねー」といった、人間に対する可笑しみの気持ちを綴っているだけじゃないかと思っているので、紫式部日記には道長に慮ってわざと悪しざまに書いている、という意見に賛成です!
枕草子も源氏物語も、権力に潰されず、よく生き残った名作だと思います。源氏物語なぞ、フテほどと言われて潰されそうな内容ですし。
同感です。
創作物が人の心を動かす力を語られていて、引き込まれました。
清少納言と紫式部どちらサイドから大河ドラマを描いても良さそうですよね
そのうち清少納言サイドから改めて描いてもらえないかな
正直清少納言は魅力的だけど大河は紫式部で正解だと思う、、
中関白家の栄華が短かったが故に活発に活動した時期が短かったし、仕えた陣営にそこまでの魅力と歴史がないから紫式部ほど大河としてらそこまで深い内容は出来なかった気がする
読物としては源氏物語より枕草子の方が好きなんですけどね😂
いつも楽しく勉強させていただいてます。
武士道さんは、後世に残る解説者に成るでしょう⁉️😊
今日もありがとうございます!名古屋トークライブ、楽しみにしています😊
紫式部が清少納言をめちゃくちゃに言ってるのは、旦那(藤原宣孝)を枕草子にあまり良くないように書かれたからという話もありますね。
実際の文を読むと清少納言は別に悪く言ってないです。
多少おちょくるような意味合いはあったかもしれませんが。
これは解釈によると思います。
そういう書き込みをする人は枕草子を読んでないと思う。全体的には好意的。とんでもない派手な格好をした甲斐あって国司になれた、とオチもついてます。
私は、読んでないから、このTH-camを見ています。
夜をこめて、鳥の空音は謀るとも、よに逢坂の関は許さじ、心かしこき関守侍り…漢字当てるとこうかしら?何か賢い人だったんだなぁと思う。
いつもありがとうございます🙇
風邪、お大事になさってください🙇
いつもありがとうございます😊
清少納言にとっては
定子様限定の鍵アカブログが
流出してしまって焦ったでしょうね😅
紫式部としては、
敵陣営の女房を立場上褒める訳にはいかないでしょうし…。
ウイカの目つきやキャラが、得意顔で調子コイてるキャラと一致してる🎉
千年も前の板の間と光堂を今も残しているなんて、人間の奥ゆかしさを感じる。
明らかに清少納言の方が主人公向きのキャラクターですよね。貴族の日記にも面白い女と書かれてますし。オリジナルの展開を考えなくても面白いエピソードが豊富。逢坂の関の和歌に行成が返した酷い一首も紹介して欲しかった。あれを許してくれる清少納言は心が広いw 紫式部には酷く書かれてますが一方和泉式部とは仲がよかったというのが意外ですね。二人とも個性が強いので。研究者によると”あなたってホントにもてるのね~” ”あなたの方こそモテモテでしょ~”というガールズトーク的な文のやりとりをしているそうで(恋愛に縁のなかった)紫式部が知ったらストレスが天元突破しそうですw
最高に相性の良い主に仕えられたのに、
他の面で運が無かったということでしょうかね。
晩年の解釈は
ボブ・ディランのライク・ア・ローリング・ストーン女の、
意外な解釈に思えました。
葛城の神というと今の夜行性の若者たちみんなそうですかね?
書き散らして云々は紫式部の常套句ですね。後世に、紫式部のことを厳しく批評した女房はいたのかしら?
クラゲの骨の一件は、清少納言のセンスというより、「僕が言ったことにして」って言った隆家のセンスを評価したいです。
清少納言は自己アピール術に長けていた様で、清少納言と行成斉信や元夫とのやりとりは面白く、当意即妙な定子サロンが光り輝いていたことが察せられます。まばゆいけれど長続きしない一瞬の煌めきでしたね。
くらげの骨。ヨーロッパだと魔女の秘薬の材料になってそうw
猫の足音みたいにw
清少納言、兄の致信が殺されたり(居合わせた説もあったり)、過酷な人生よな…
「清少納言」の発音の仕方、チャゲ&飛鳥の『SAY YES』が「セイ・ィエス」か「セイエス」と同じパターンかな⁉️🤔
29:20月の輪は父の元輔ではなく、夫藤原棟世の方の山荘だと言われています。お父さんがもってた山荘は桂の方です。
「元輔集」「能宣集」などの詞書より父の元輔が桂、夫の棟世が「月の輪」と呼ばれた地にそれぞれ山荘を所有していたことがわかっています(月の輪が現在どこに当たるのかは不明)。
お父さん所有の山荘のあった桂もどちらにしろ出家したり隠棲したりする庵があったり、山荘だったり、今も昔もちょっと洛中に比べると都心からは離れた静か目な所という扱いの所です。
月の輪が元輔のものである説は
清少納言(人物叢書)amzn.to/3QoIeGF
から取りました。『難後拾遺』による推定レベルとのことですし、古い本なので間違っていたら失礼しました
SAY!!
SHOW !
@@syuukinnryokou2000
now go on!
大河にするなら、定子と清少納言を中心に据えたほうが面白かったかも。
たし蟹
今後の彰子と紫式部との描き方に期待ですかね
ワカメのくだり、違くない?
セイ・ショウナゴンの読み方…歴オタ警察を恐れすぎ?
普通でいいと思います
紫式部日記を読むと、彼女の性格が…疑われる。今なら、嫌な女になると思います。