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現役高校生の女子です。小学六年生の時に、ラジオで流れていたこの歌の曲調・歌詞に心打たれたのを今でも鮮明に覚えています。平成や令和という今の時代もとても楽しいですが、昭和時代の事や昭和歌謡を勉強したり曲を聞く度に昭和は本当に素敵な時代だなと感じます。昭和の歌がほんとうに大好きです!
失礼します。私が小学校6年生の時、この曲が世に出ました。と言うことで私はずいぶんな歳のおっさんです😅世代は違っても同じ年頃にこの曲に興味を持ってくれた方がいるのはとてもうれしいです。作詞作曲はユーミンこと荒井(松任谷)由実。どんな人なんだろう?こんな胸に響く曲を創るなんて。と思っていたら同じ年にユーミン自身の「あの日にかえりたい」が大ヒット。こちらもよかったら聴いて下さいね♪気に入ってもらえると思います✨
この曲を聴くと、庄司薫さんという作家の「赤頭巾ちゃん気をつけて」という作品を思い出します。「赤頭巾 - 白鳥の - 黒頭巾 - 青髭」の4部作なので、機会があったらぜひ若い今、読んでみてください。この曲当時の若者の気持ちがちょっとわかるかもしれません。
いい感性してますね(#^.^#)
僕が十七歳の時のヒット曲です自分にとって一番好きな曲ですしユーミンバージョンも同じ位に好きです。
コメント失礼致します。あなたの感性に涙する還暦間近な親父です。ありがとうございます…。
大学4年生でした。正義感に燃えた学生運動は収まり就職の内定を得た秋のことを思いだします。「就職が決まって髪を切ってきた」のではなくて「就職活動をするために髪を切って来たよ」と言い訳をしたことを忘れられません。お互い70歳台に到達しましたが、青春時代の切ない思い出の曲です。
fuck 糞赤野郎 帝國の為に散華した御英霊の怒りの鉄槌、御神罰が下るであろう。赤に付ける薬無し國の為命捧げし益荒男の功忘るな時移れども
ステキなお話伺って、うれしく、おもひます、😂🎉😢😢かしこ🎉
素敵な恋愛だったんですねうらやましいな😂
就職することが決まって髪を切ってきた時、彼女になんて言い訳をしたのか、知りたいです。今なら、就職活動する事は喜ばしいことなのに。時代背景も織り混ぜて知りたいです。
同じくらいの歳ですね早婚で子供育ててましたけど!この歌は詞やメローデイがすきでなんとなくジーンと心に響きました。いつも口ずさんで,最近うたっています。じだいが浮かんで来ますねー✨☺️
64才のおじさんですが、高校生の時によく聞きました。まさに、青春時代の歌です。懐かしさで涙が出ます。
61才のおばさんですが東京で過ごした日々をこの名曲と一緒に懐かしんでいます。何も怖くなかったあの時代🍀
66歳のおばあさんです😂はじめての彼と学校の近くの楽器屋さんでこの曲聴いてました。彼は県外に就職が決まり髪を切ってきました。懐かしさで涙がでます💦
当時、私は16歳。高校生活を満喫してました!私も、就職が決まり、付き合っていた彼❤も決まり。とてもいい時代でした。この曲はそんな時、流れていて、これから大人になるんだ、、と、少し淋しかった。彼とは結婚をして、そして54歳で、亡くなりましかた。私は64歳。孫はもう、17歳と7歳です。
授業を抜け出して二人で出かけた。。。大学生活を象徴するベストシーンで、この歌で一番好きな歌詞です。
もうこんな歌はこれからさき聞くことはないと思う、良き昭和の時代の名曲です、この時代はホントに良かった、
ユーミンの詩と、瀬尾一三のギターアレンジと、ばんばひろふみのボーカルが見事に融合した傑作…
この時代に青春時代を過ごしたものでないと理解できないかもしれないこの楽曲の奥深さ‼️
当時新宿西口の雑居ビルにあった名画座に通っていました300円払って朝から居座りそこで色々な友人と知り合いましたね、昔は良かったなんて親父臭い言い方は好きでは無いけど充実した学生時代を過ごしたなと思っています
ホント良い時代でしたね🎉戻りたいです〜
二十歳から六年付き合って結婚まで考えていたのに、結局別れてしまった彼女が山手教会の幼稚園で働いていた。30年たった今ではいい思い出だけど、この曲と映像を見るとせつなくて仕方なくなる
22歳です。生まれる25年前の曲ですが、ストレートな歌詞、心に響くメロディーでとても好きです!現代には失われたものが、この時代の曲にはある気がします。
昭和生まれの 49歳です!携帯電話なんか、なくても、明るくて、良い時代でしたよ!❤🎉平成以降の歌も好きな曲いっぱい有るけど、歌手の歌の上手さは、昭和の人には勝てないね!!
私もこの時代を生きてきました。私自身は学生運動はしていなかったのですが大学つながりで友人の大学法政大学の中に入っていったときのあの独特の雰囲気が忘れられません早稲田もすごかった…バリケードで校舎の外は殺伐としていて70年代はみんなものすごいエネルギーがありましたね私は追分派出所が爆発されたときそのちょうど反対側の歩道にいてびっくりして駅に急いでいったことを思い出しました。もう50年くらい前になるのですね~この歌はその時代にすぐ戻れる歌です。
いろんなバージョンがあるけど、これが1番心に残ります☺️
しみるしみるズーと心のあおくまで
何で社会主義に行こうとしてたの?
@@hazihika 当時はアメリカがベトナム戦争で衰退して、資本主義というものが疑問視されてた時代なんです。社会主義は更にクソだった訳ですけど。
@@hazihika さん当時第二波の革命の波が来てました。1960年の第一次安保闘争で代々木系と呼ばれる(代々木系とは1920年代に非合法で結成された旧日本共産党の流れをくむ現在の日本共産党が若者を赤化(つまり赤=共産主義に染め上げること)させるために民主青年同盟なる前置組織を置き、各都市の共産党員にオルグ(=細胞)をたくさん作るため(細胞分裂を考えるとわかりやすい)に地下活動で青年層に働かいかけていました。それは1945年敗戦した旧帝国主義がGHQの指導の下、赤化していた人々を特赦し野に放ったからです。雑草が一気に生えるように解放された共産主義者たちは反日、反天皇主義を唱え一瞬で武装闘争に転嫁していきます。それに賛成する人々、血のメーデー事件など激化していきます。GHQは方向を転換、旧内務省所属特別高等警察や旧憲兵出身または、戦犯などで抑圧していた旧右翼団体関係者を募り赤狩りを始めます。日本共産党はだんだん追い詰められ凄まじい武装闘争を開始します。赤軍的な軍事部門を組織します。ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E8%A3%85%E9%97%98%E4%BA%891955年まで闘争が続けられ、公安による徹底的な締め付けで徐々に衰退していきます。民生から参画した人もいたでしょう。日本共産党は方針転換します。(共産党の武装闘争テーゼを採択したのは51共と言います。六全共が開かれ日本共産党は武装闘争から議会政治指導の政党政治思考へ舵を切ります。このとき五全共で採択し戦ってきた闘士が軟弱な党中央を見捨て直接的な暴力行為での社会主義革命を樹立するため全学連を興します。これが六〇年安保の主体となります。その後、六〇年安保は不発、日米同盟が結ばれると低迷していきます。そして一九六七年、激化するベトナム戦争などに反対するもと全学連勢力(主流は共産主義者同盟、通称『Bunt』(ブントと呼ぶ)たちだった。)が息を吹き返します。七〇年安保闘争の始まりです。(ブントはこれを参照☞ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E7%94%A3%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E8%80%85%E5%90%8C%E7%9B%9F)その後は安田攻防戦やその亜流である日本赤軍、連合赤軍事件につながっていくのです。当時各大学はバリケードで封鎖されており、まともな授業は行われていませんでした。(主要な大学)そのような雰囲気の中生きた学生たちは時代の雰囲気の中で生きていたので、おのずと影響を受けていました。染まる染まらないは関係なくその人の持つ完成で別れたと思います。自分も義理の兄が全学連世代の二つ下なので当時の東京の大学で感じた雰囲気はよく覚えているといっていました。考えるに染まる染まらない(義理の兄は染まってない)は本人のかんがえかたであり、バンバンのいちご白書をもう一度に出てくる仮想のセリフだけれどもこの歌詞はものすごくその時代の蹉跌を見事にいい当てていると思います。そう七〇年安保は一般学生にとっては染まってもはしかみたいなもんなんだということを如実に著しています。一九七六年は自分が高校に入った年なんですが、地方の高校でさえもオルグ活動(七〇年安保の闘争員を集めるためのブント系活動家が非合法で募集していたような形跡が見られる文書や書簡集が図書室に残されているのを発見して驚愕したことを覚えています。)の痕跡があったのです。今では考えられないことですが、『昭和とはそのような時代だった。』のです。
本当に70年代を象徴する曲で幼き日を思い出します。あの日に帰りたい気持ちでいっぱいになります。
昭和53年中学を卒業して就職するときラジオでこの歌を聞いてこれから一人で生きていくと思いこの歌が忘れられなくなった思い出の曲です。
昭和を代表する名曲
このオリジナルバージョンが聴きたかった!
オリジナルが最高!
最高!切なくて 切なくて 😢😢
髪をきってもう若くはないと こうして大人に
長く生きてると大切な曲が多くてびっくりします😌
大切な曲、、、素敵な言い方💖
詩的なコメントでとっても素敵です✨
当時大学2年生、時世を反映した歌詞と悲しげなメロディが胸に突き刺さった。荒井由実さんが他に提供した歌ではこれが最高傑作だと思います。
ハイ・ファイ・セットに提供した「卒業写真」もいいですよ。
私は松田聖子さんの「瞳はダイヤモンド」が好きです。
ユーミン自身では薬師丸ひろ子さんに提供した〈woman〉が『オートクチュールの最高傑作』とのことですが、イチゴ白書も同じく最高ですよね🍀
髪をきるのは
髪を切るのは就職が決まってから、ではなく、面接試験にそなえて先にきりました。ここが違うと仲間うちでいつも議論になります。でも制服でもなく、リクルートルックの背広になりましたね。
私は現在63才です。高校生の時に五木寛之の小説を愛読して…その中でも学生運動を軸に書かれた数冊の中のひとつ(変奏曲)になぜかはまり、丁度その頃映画化もされてかなりのエロチックな場面もある作品にも関わらず同級生に付き合ってもらい東京の千石劇場なるところで制服姿で観に行きました。(いちご白書をもう一度)は私の中では(変奏曲)の主題歌なのです。今聴いてもドラマチックで色褪せない作品です。若い若い方々にこういった作品の数々をたくさん聴いて欲しいです。
83歳になったばかりの、正真正銘の昭和の人間だか、ユウミン曲には、感銘と感傷の念に浸ることが出来る。素晴らしい才能と感情を持ち合わせた方なんだなァ〜 と思っている爺さんです
色あせない名曲のひとつ昭和・平成・令和と時代を飛び越えてもいつまでも人の心を映してゆく歌がここにあります
46年前、中学2年生の時に聴いたこのオリジナルがやっぱり一番心に響きます。当時の想い出が鮮やかに蘇ります。懐かしいな~(T_T)
聴き覚えがあるオリジナルが心地いいですね
同級ですね。46年前の昭和50年、私も中2でした。なんだか泣けますね。
36年生まれです。当時この歌の意味が分からずメロディだけに魅入られてました。
当時HBCラジオのベストランキングトップでしたね。ラジオにクギ付けでした。荒井由実さんも聴いたなー 良き時代でした
1960年生まれの私にとってこの曲は名曲です♪
この曲、歌詞が、1970代に青春を送った私にとって、最高です!
私も同じ気持ちです~
ユーミンの最高傑作ですね🎵
昭和の歌は、今でも心の奥底に沢山有ります。昨年還暦を迎えて、平成 令和と時間が過ぎてもあの頃の思い出と共に生きて居ます。
還暦、おめでとうございます~これからも、お元気で、楽しい人生を送って下さい~百歳まで(笑)
昭和50年当時、私はまだ19歳の若者でした。そして今年の12月に長かったサラリマン生活を終えます。この歳になると無性にあの時代が美しく感じられるのはどうしてでしょう。もう二度と戻らない時代をとても恋しく思います。コロナ禍が終息したら当時私がいた街を訪れてみたいと思います。
時代が違う、と言えばそのとうりだけど、平成、令和とやたら字あまり、横文字が多い今の流行り歌にはいまいち着いてはいけなくて、この時代の歌には何故か、感動、ドラマ、哀愁を感じます。
平成生まれだけどあの素晴しい愛をもう一度とこの曲は本当に心に染みる。昭和って心に染みる曲多いなー。本当に素晴らしい時代だったんだなー
そうですよ!昭和は携帯電話…インターネットなくても、十分暮らせてました!明るく楽しかった思い出ばかり!❤🎉
活気があったからねぇ~平成時代は 失われた30年がきつかった
私はこの曲が大ヒットした頃16才でした❗いちご白書と言う映画があったことすら知らなかったです❗でもこの曲は16才なりに心に響きました❗
まさに70年安保の時代の大学生にとっては忘れられない一曲ですね😊
やはりいい歌はいつまでも色褪せないもの。当時は知らなかったが大人になって聴いた時、『もう若く無いさと君に言い訳したね』が切なくて悲しい気持ちになります。
オリジナルバージョンが中々聴けなくて。嬉しいです。本当に嬉しいです❣️シングル版で聞いたあの頃。
そうですよね…ホント切なくなります…。
1970年生まれです。この曲は小学生の頃に聴いたけど、まだまだ子供だったけど、私にはとても好きな曲で、カセットテープが擦切れるほど聴きました。歌詞にしんみり来てしまう、そして、涙が出ます。
同意‼️
知性も感性もゆたか😂❤な早熟な小学生でしたね
青春の大切な記憶が心の奥底を駆け巡る。半世紀以上前の出来事なのに… バンバン、ユーミン、そしていちご白書、戻りたいなあの頃に…人生って意外と短いのかも知れない
当時まだ16才でした、ただただ懐かしく、何故か涙が出ます!
当時は高校3年生でした。受験勉強をしながらラジオから聞こえてきたのがこの曲です。64歳になっても
いつか君といった 映画がまた来る授業を抜け出して 二人で出かけた哀しい場面では 涙ぐんでた素直な横顔が 今も恋しい雨に破れかけた 街角のポスターに過ぎ去った昔が 鮮やかによみがえる君もみるだろうか「いちご白書」を二人だけのメモリー どこかでもう一度僕は無精ヒゲと 髪をのばして学生集会へも 時々出かけた就職が決って 髪を切ってきた時もう若くないさと 君に言い訳したね君もみるだろうか「いちご白書」を二人だけのメモリー どこかでもう一度二人だけのメモリー どこかでもう一度
昭和50年の高校2年の時、この曲と出逢いました。イントロを聴いた瞬間、全身がゾクゾクッとしたのを覚えています。物凄く魂に響く歌だなと思いました。今でもイントロを聴くとゾクッとします。凄く印象的な曲ですね。
出来たら、70年代にタイムスリップして、その時代の空気を感じたい
70年代〜学生運動等など、色々ありましたが〜ホントに良い時代でした🎉
やっぱり原曲のこのバージョンが一番良いよなぁカラオケで歌う時もこのバージョンの音程が自然と出て来る
あの日に帰りたい卒業写真とならぶユーミン超名曲
本当に涙が出てくるくらいに懐かしい。この曲と同じ世代で大学生活をしていたことに誇りを持ってます。60歳代後半になっても、同窓会でカラオケをみんなで歌います。何かしら切ない学生時代でした。
此の曲聴いたのが確か中学時代だったと思うよぉ( =^ω^) 何時もの時に聴いても素晴らしいねぇ😍
うん、おもいっきり泣いた、、もうたまらんわ、、
昭和50年でしたね、この曲がヒットしたのは。中学2年でしたが、今聴くとじわりと涙ぐみます。青春って短いんですね。
40年以上の前の曲だが今聴くと凄くいいね。あの頃は私も若くて未熟だったなぁ。
俺がこの曲を初めて耳にしたのは11歳 小5の時・・イントロだけで鳥肌がたち、ばんばひろふみさんの歌声と奏でるギター🎸が絡み合い、たったの一回、聴いただけで感動の坩堝と化し、心を突き刺した後世に残る、ユーミンの最高傑作の楽曲だと思う✨
「就職が決まって、髪を切ってきた時~」。世代はもっと下ですが、就職活動を始める時に髪をバッサリと切って七三横分けにしました。青春との決別を意識した瞬間でしたね。
歌手のみなさんはどうしてオリジナルから変えて歌うようになるのでしょう?どの曲もオリジナルに勝るものはありませんね。哀愁じみた曲調と歌詞、バンバンの声がマッチして40年以上経った今でも当時の事が思い出されます。
まさに同感です。オリジナルが一番
私もあなたの意見に一票
加齢による声量の衰えと、キーが低くなったのをカバーするため、という側面もあると思います。現在のばんばさんも、このオリジナルのキーでは歌えないと思いますし。
おおよそ同感です。ですが、ちょっと違うかもしれませんが、中村雅俊が桑田佳祐提供の歌を歌うと何故か桑田節になるのがイラっときます。だからオリジナルと同じに歌うとオリジナル風(単にカラオケ)になるからでは無いでしょうか。
@@hiroyaguchi7512 そうですよね、モノマはちょっと違いますよね、私達がカラオケで上手いと言うのはイコール似ているからと言うレベルなんですよ。
来年57歳 この歌を聴いて時代に戻されます。寂しい
オシャレでキラキラしたスキー場で聴く松任谷由実の時代にユーミンを知っていろいろ聴いていったら、荒井由実時代のあの日に帰りたいに出会ってそれだけでも驚きだったのにその後、時代背景とかわからないけど惹かれると思ってたいちご白書が、これまたユーミン作と知っていやどんだけ天才よ…と衝撃を受けたの今も覚えてるばんばさんの優しい声との組み合わせも最高ですね
ユーミンの天才ぶりに、改めて驚きます、学生運動はわからないけど、 髪を切ってくる所、現実へ一歩踏み出す切なさとリアルが胸に迫ります。
素晴らしい✨切ないメロディラインに胸を強く締め付けられます。
まさしくこれです。「学生集会でも」の寸詰まりなところ。私も、賛成です。この歌声を、あの頃は聞いて育ちました。有難うございます。
学生集会なんて、学生運動なんて、愚の骨頂。
寸詰まりな所、いいですよね。
@@user-ui3cw2oo5o そういうアレじゃないから。
でも がいいですね。ノンポリと呼ばれたらしいですね
この曲がヒットした75年には「学生集会」もすでに死語になってましたね。
大学紛争・・・ 青春の挫折・・・ 当時の時代の「空気」を見事に表現したユーミンならではの作品。でも自分の目当ては、芳野藤丸さんの超カッコいいギター・ソロだった。 というか、あのギター・ソロを聞きたいがためにレコードを買った記憶がある。
昔中学の文化祭で通り掛かったいくつか離れた教室の前で急に聞こえて来た曲、初めて聞いた曲だったのに、その場に立ちすくんで号泣してしまった思い出があります。友達を慌てさせたなぁ 何故悲しいのかも分からなかったのに何故か胸が締め付けられて。この曲を聴くと今でもあの瞬間がありありと蘇ります。
私が中学生になるかならない頃の歌です。。懐かしい曲です出来たら大人にならずそのままでいたかった。
今、58才です。中学のとき音楽の自由課題テストで「いちご白書をもう一度」をクラスのみんなの前で弾き語りをしました。
同感です。これが最高ですね。テクニックを使ってビブラートや節回しを入れると当時のあの素朴で純粋な雰囲気が損なわれてしまいイメージが大きく変わってしまいます。どんな歌でもやはりオリジナルバージョンに限ります。消されないことを祈っています。アップありがとうございました。
松任谷由実さんは天才ですね。
@@konoharoy6161 まさに!同じことを思ってました。崩さずに歌ってほしいものです。オリジナルのアレンジを変えるなんてもってのほか!年を重ねて高音が出せなくなった等の事情でキーを変えちゃうのは仕方ないにしても。
激しく同意
オリジナルが一番ですね👍
「激しく同意」って激しくいい!
オリジナルバージョンが何故ないか、でしたが、嬉しいです。やはりこの瀬尾一三のアレンジで、素朴なバンバンの歌い方が一番。
スキャットがせつないよね。
同感です。特に低音を生かしたストリングスアレンジが素敵です。
アップアありがとう大学3年の頃を思い出します大切な1ページです
まさしく同感です、自分自身もあの時代に戻れるストレートな歌い方が聞きたかったんです。まだ素朴だった渋谷駅やパンテオンを思い出します。ありがとうございます。
昭和の名曲ですね。大好きな曲の中のひとつです
まさにこの昭和50年にこの世に来ました。47年前、当時の記憶は全く記憶にない赤子でしたが、両親は確かに!この曲をリアタイで耳にしていたのかと思うと感慨深い🥲名曲は当時を知らなくても、年齢を重ねるたびに奥深いですね🥹
よく昭和の歌謡曲を歳をとられても歌われる歌手の方々がいらっしゃいます。お元気で歌われることはいいことなんですが、どちらかというとレコード、CDなどオリジナルを聞かせてもらったほうが感動します。この「いちご白書をもう一度」も、ばんばさんが歌われてるyoutubeがありますが、やはりバンバン、それもオリジナルの原曲が最高です、涙が出るくらい。
この曲を始めて聞いた時、ユーミンは天才だ!と思いました。あの頃が懐かしい。
素敵な歌は、時代を超えます
高校1年の時によく聴いてた。本当に毎日が楽しかった!あの頃に戻りたいです。
僕は中学2年でした。あの頃に戻りたいですね。みんな同じですよ。
昭和50年ていう時代も良かったんでしょうね。今はねえ、、、
あの頃に戻れないからこそ、その当時の記憶が人によっては宝物でもあり苦く切ない思い出なんですよね・・
☝️これこそ聞きたかった‼️
やはりこの曲は、オリジナルが凄い。この頃のヒット曲では、一番素敵だ!
過ぎ去った昔が、鮮やかによみがえる!いつも涙
まだ近代化都市化に飲みこまれる前人間味があった時代❤ユーミンは見事‼️に時代の、雰囲気を切り取ってくれてる😢メロディ歌詞歌手👨🎤最高😮何回きいてもせつなく懐かしい名曲💓
思い出すと涙がこぼれます。青春の輝く思い出。色褪せない素晴らしい音楽です。
世代ではないですが、あるとき街を歩いていて、流れていた曲でした。なんだこのメロディ、と足が止まった程です。
主人と私の青春時代の、思い出の曲です。昭和の時代が懐かしい!
高校3年でした。好きで好きで仕方なくその人の事を考えない日はありませんでした💕月日が経ち彼の就職が決まりお互い別々の道へ行くことになりこの曲を毎日聞いていました。毎日、泣いていました。切ない思い出が蘇ってきました。あの人は今、どこでなにを?素敵なおじーさんになっているでしょうか?
親父の思い出が詰まった曲で、聴くたびに親父を思い出す。頑固で怖くて、それでもこの歌を録音したくて、当時高価だったラジカセを一生のお願いと言って買ってもらった。いつしか自分の方が大きくなって、親父がどんどん小さく弱々しく見えるようになって…… 親父を乗り越えたら自分を叱ってくれる最後の砦がなくなる気がして尚更反論も喧嘩もできなかった。それも何十年も昔。今は自分が親父の立場。どんな思いを息子は抱いているのだろう。
泣けます❗
女性のスキャットが遠い昔へ引き戻します、若い頃付き合っていた彼女、今何処で何を思っているだろうかと考えてしまいます。生きているとせつない思い出の一つ位あるんですよ。名曲です。
涙が出ます🥲中学生の時、何百回も聴きました。レコードも買いました!憧れてた3年生の先輩が文化祭で、ギター片手に歌ってたのを思い出します…
学生集会にはよくいきました。就職活動始めた頃には母や友人から合否にかかわるからもう止めなさいと言われたのを思い出しますね。懐かしいです。
4:34
バンバンの声って、優しいよねぇ。ばんばさんの歌唱だから、これだけ大ヒットしたんじゃないかしら?
歌詞が秀逸!祖国が懐かしい、、、。(在米43年 69歳)
S50年(1975):京都工芸繊維大学の近くに下宿して近畿予備校(同志社大学の近くの、御所の近くの)に通ってました。地下鉄工事が始まった年です。大好きな曲の一つです。翌年、行きたかった府立医大は不合格(試験会場は近畿予備校)でしたが、久留米大学医学部は合格しました。医師になり40年目。S50年の出町柳は現在より広々として私の大好きなエリアでした。PS護美箱(ゴミバコ)が出町柳に在りました。
心が震えて止まらなくなる歌詞と美しいメロディー。学生運動の頃は、知りませんが、学生運動を、他の場面に移しても、全くに色褪せない名曲ですね。今、高齢者となっている人たちは、涙無くして聞けないのかも?平安時代とて、江戸時代とて、若い人たちの心は、熱く燃えていて、時代や目に映る光景が違えど、ピュアなハートが息衝いていた事でしょう。過去を懐かしみ、未来へと微笑んで生きるパワーをもらわないとね❤
作者が荒井由実さんと知り、本当に驚きました。こんなに心にじぃ〜んと沁みる曲調、若いながら天才だと思いました。
日頃は遠い記憶の彼方にある学生時代を思い返しても、あれは夢だったのか現実だったのか確信を持てないときがあるけど、なつかしい曲を聴くと、あの頃の自分に手が届きそうになるんよなぁ。
何故か桐島聡のニュースを聞いて聴きにきてしまった
イチゴ白書の意味もわからず聞いていた当時、まだ14才でした。毎日ギターに夢中になってカセットテープで耳コピしていたあの頃 懐かしいです。
この曲は高校時代にバンドを組んで文化祭の時に披露した思い出があります、もう45年も前になりますとても懐かしい曲です
この曲を聴くたびに思い出します。それは昭和50年高校3年、当時大好きだった女性と初めて映画を見に行きました。タイトルは『タワーリングインフェルノ』でした。ドキドキしながら女性の手を握った事が今でも鮮明に思い起こされます。叶うならその時に戻ってみたいです。初恋以上の恋でした。その女性の幸せを今も祈っています。茨城県の五霞村に住んでいると・・・
オリジナル音源が音楽として最高峰か、ということは私にはわかりません。しかし、オリジナル音源だからこそ聞いていて蘇ってくるものがある、ということだけは確かです。ですから、どれだけ歌のうまい人がカバーしようと、じいさん、ばあさんにとって、オリジナル音源は「神」なのです。
65歳のおっさんだけどカラオケ行くとかならず歌うよ。いい歌ですね
何故かセーターを思い出す。昔は毛90アクリル10でも高くてさ、もうVANのやつなんて憧れたもんだったなあ。
オリジナルバージョン遂に見つけた\(^o^)/ この歌聴くと中学生時代が昨日のことのように思いだ出す。遠い遠い46年前、中学3年生だったよ。この歌聴くとなぜか涙が出てくるよ。
同世代ですね。昭和50年、中学二年生でした。なぜかそんなに昔に感じないのが不思議です。僕らにとっては学生運動って未知の世界ですが、この曲を聴くと何故か切なくなりますね。
@@jeffreykawate2215 私も中学2年生。いちご白書の意味も知らない子供でした。本当にいい歌ですね。懐かしいです。
@@ashiyubi-genki お互い多感な年頃でしたね。今のように閉塞感や先が見えない時代と違い、スマホもネットもないアナログでしたが、今より明るくて楽しい時代でしたね。当時、文通とか流行ってたのが信じられません 笑 平和でしたね。
全く同感です
@@jeffreykawate2215 この曲は高校3年の時に教室でギターを弾きながら良く歌ってのが懐かしい想い出でになってます。
当時の学生運動を、甘酸っぱい思い出としてまとめ、思想はファションの一部、生活のためには主義主張は簡単に捨てる日本人の柔軟性(無節操)を、美しく歌で喝破したユーミンは天才です。
こういう世相を反映したほろ苦い青春を歌詞にして、それにマッチする切ないメロディにのせるユーミンの傑作ですね。
幼い頃、父の車の中で何回も聞いた。カセットテープに入ってたんだったかな。今でも聞くと、少し特別な思いになる。
この曲はずっと昔から大切にされてきた曲だよ。いちご白書をもう一度は名曲だよ。時代を飛び越えて今も聴けてすごく優しいね。ありがとう。優しさを届けてくれてね。ずっとずっと大切に思っているよ。
70年代という時代を強烈に喚起させる唄だ😤
これを待ってた。
これよ、これ。あー、涙でるー。
オリジナル最高。フェードアウトも哀愁漂うね。
そう女性のスキャット泣かせますね
歳をとるにつれて、大切な曲になるなあすぐ学生の頃に戻れる
穏やかで何憂うことない、いい時代でしたね。もう二度とあんな時代はこないでしょうね、昭和50年。
この曲は小学生の頃、合唱コンクールで他のクラスが歌ってるのを聴いて初めて知りました。小学校五年生だった自分はまだフォークソングやニューミュージックを聴くという習慣が無かっただけに、この曲を聴いた時のインパクトは今も忘れられません。友達のお姉さんにバンバンというグループが歌ってると教えてもらい、レコード店にレコードを買いに行った事を今でも覚えてます。おそらくこの曲から自分がフォークソングやニューミュージックを聴くきっかけになった曲ですね
やっぱり2番の「・・・就職が決まって~ 髪を切ってきた時~ もう若くないさと~ 君に言い訳したね~・・・」この部分が最高だね^^¥ 己の学生時代と青春に別れを告げるシーン。
そうですねこの歌詞がなぜか、情景を思い浮かべる。自由な学生から、規律ある社会へ旅立とうとする切ない気持ちが…。
切ない歌詞ですよね。でも、僕らが就職する頃にはすでにこの歌詞の意味するところがピンこなかった時代でした。確かに僕らの世代も長めの髪をきれいに七三分けにはしましたけど。
この曲を聴くたびに思い出します。初恋の君から「いちご白書」を一緒に観に行こうと言われて、、、突然転校してしまいました。
マジですか!! でも一生の思い出になりますね・・。
現役高校生の女子です。
小学六年生の時に、ラジオで流れていたこの歌の曲調・歌詞に心打たれたのを今でも鮮明に覚えています。平成や令和という今の時代もとても楽しいですが、昭和時代の事や昭和歌謡を勉強したり曲を聞く度に昭和は本当に素敵な時代だなと感じます。昭和の歌がほんとうに大好きです!
失礼します。
私が小学校6年生の時、この曲が世に出ました。と言うことで私はずいぶんな歳のおっさんです😅
世代は違っても同じ年頃にこの曲に興味を持ってくれた方がいるのはとてもうれしいです。
作詞作曲はユーミンこと荒井(松任谷)由実。
どんな人なんだろう?こんな胸に響く曲を創るなんて。と思っていたら同じ年にユーミン自身の「あの日にかえりたい」が大ヒット。
こちらもよかったら聴いて下さいね♪気に入ってもらえると思います✨
この曲を聴くと、庄司薫さんという作家の「赤頭巾ちゃん気をつけて」という作品を思い出します。「赤頭巾 - 白鳥の - 黒頭巾 - 青髭」の4部作なので、機会があったらぜひ若い今、読んでみてください。この曲当時の若者の気持ちがちょっとわかるかもしれません。
いい感性してますね(#^.^#)
僕が十七歳の時のヒット曲です自分にとって一番好きな曲ですしユーミンバージョンも同じ位に好きです。
コメント失礼致します。あなたの感性に涙する還暦間近な親父です。ありがとうございます…
。
大学4年生でした。正義感に燃えた学生運動は収まり就職の内定を得た秋のことを思いだします。「就職が決まって髪を切ってきた」のではなくて「就職活動をするために髪を切って来たよ」と言い訳をしたことを忘れられません。お互い70歳台に到達しましたが、青春時代の切ない思い出の曲です。
fuck 糞赤野郎 帝國の為に散華した御英霊の怒りの鉄槌、御神罰が下るであろう。赤に付ける薬無し
國の為命捧げし益荒男の功忘るな時移れども
ステキなお話伺って、うれしく、おもひます、😂🎉😢😢かしこ🎉
素敵な恋愛だったんですね
うらやましいな😂
就職することが決まって髪を切ってきた時、彼女になんて言い訳をしたのか、知りたいです。今なら、就職活動する事は喜ばしいことなのに。時代背景も織り混ぜて知りたいです。
同じくらいの歳ですね早婚で子供育ててましたけど!この歌は詞やメローデイがすきでなんとなくジーンと心に響きました。いつも口ずさんで,最近うたっています。じだいが浮かんで来ますねー✨☺️
64才のおじさんですが、高校生の時によく聞きました。まさに、青春時代の歌です。懐かしさで涙が出ます。
61才のおばさんですが東京で過ごした日々をこの名曲と一緒に懐かしんでいます。
何も怖くなかったあの時代🍀
66歳のおばあさんです😂
はじめての彼と学校の近くの楽器屋さんでこの曲聴いてました。彼は県外に就職が決まり髪を切ってきました。懐かしさで涙がでます💦
当時、私は16歳。
高校生活を満喫してました!
私も、就職が決まり、付き合っていた彼❤も
決まり。
とてもいい時代でした。
この曲はそんな時、流れていて、これから大人になるんだ、、と、少し淋しかった。
彼とは結婚をして、そして54歳で、亡くなりましかた。
私は64歳。
孫はもう、17歳と7歳です。
授業を抜け出して二人で出かけた。。。大学生活を象徴するベストシーンで、この歌で一番好きな歌詞です。
もうこんな歌はこれからさき聞くことはないと思う、良き昭和の時代の名曲です、この時代はホントに良かった、
ユーミンの詩と、瀬尾一三のギターアレンジと、ばんばひろふみのボーカルが見事に融合した傑作…
この時代に青春時代を過ごしたものでないと理解できないかもしれないこの楽曲の奥深さ‼️
当時新宿西口の雑居ビルにあった名画座に通っていました
300円払って朝から居座りそこで色々な友人と知り合いましたね、昔は良かったなんて親父臭い言い方は好きでは無いけど充実した学生時代を過ごしたなと思っています
ホント良い時代でしたね🎉戻りたいです〜
二十歳から六年付き合って結婚まで考えていたのに、結局別れてしまった彼女が山手教会の幼稚園で働いていた。30年たった今ではいい思い出だけど、この曲と映像を見るとせつなくて仕方なくなる
22歳です。生まれる25年前の曲ですが、ストレートな歌詞、心に響くメロディーでとても好きです!
現代には失われたものが、この時代の曲にはある気がします。
昭和生まれの 49歳です!携帯電話なんか、なくても、明るくて、良い時代でしたよ!❤🎉
平成以降の歌も好きな曲いっぱい有るけど、歌手の歌の上手さは、昭和の人には勝てないね!!
私もこの時代を生きてきました。
私自身は学生運動はしていなかったのですが大学つながりで
友人の大学法政大学の中に入っていったときのあの独特の雰囲気が忘れられません
早稲田もすごかった…バリケードで校舎の外は殺伐としていて
70年代はみんなものすごいエネルギーがありましたね
私は追分派出所が爆発されたときそのちょうど反対側の歩道にいて
びっくりして駅に急いでいったことを思い出しました。
もう50年くらい前になるのですね~
この歌はその時代にすぐ戻れる歌です。
いろんなバージョンがあるけど、これが1番心に残ります☺️
しみるしみるズーと心のあおくまで
何で社会主義に行こうとしてたの?
@@hazihika 当時はアメリカがベトナム戦争で衰退して、資本主義というものが疑問視されてた時代なんです。社会主義は更にクソだった訳ですけど。
@@hazihika さん
当時第二波の革命の波が来てました。1960年の第一次安保闘争で代々木系と呼ばれる(代々木系とは1920年代に非合法で結成された旧日本共産党の流れをくむ現在の日本共産党が若者を赤化(つまり赤=共産主義に染め上げること)させるために民主青年同盟なる前置組織を置き、各都市の共産党員にオルグ(=細胞)をたくさん作るため(細胞分裂を考えるとわかりやすい)に地下活動で青年層に働かいかけていました。それは1945年敗戦した旧帝国主義がGHQの指導の下、赤化していた人々を特赦し野に放ったからです。雑草が一気に生えるように解放された共産主義者たちは反日、反天皇主義を唱え一瞬で武装闘争に転嫁していきます。それに賛成する人々、血のメーデー事件など激化していきます。GHQは方向を転換、旧内務省所属特別高等警察や旧憲兵出身または、戦犯などで抑圧していた旧右翼団体関係者を募り赤狩りを始めます。日本共産党はだんだん追い詰められ凄まじい武装闘争を開始します。赤軍的な軍事部門を組織します。
ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E8%A3%85%E9%97%98%E4%BA%89
1955年まで闘争が続けられ、公安による徹底的な締め付けで徐々に衰退していきます。民生から参画した人もいたでしょう。日本共産党は方針転換します。(共産党の武装闘争テーゼを採択したのは51共と言います。六全共が開かれ日本共産党は武装闘争から議会政治指導の政党政治思考へ舵を切ります。このとき五全共で採択し戦ってきた闘士が軟弱な党中央を見捨て直接的な暴力行為での社会主義革命を樹立するため全学連を興します。これが六〇年安保の主体となります。その後、六〇年安保は不発、日米同盟が結ばれると低迷していきます。そして一九六七年、激化するベトナム戦争などに反対するもと全学連勢力(主流は共産主義者同盟、通称『Bunt』(ブントと呼ぶ)たちだった。)が息を吹き返します。七〇年安保闘争の始まりです。(ブントはこれを参照☞ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E7%94%A3%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E8%80%85%E5%90%8C%E7%9B%9F)その後は安田攻防戦やその亜流である日本赤軍、連合赤軍事件につながっていくのです。
当時各大学はバリケードで封鎖されており、まともな授業は行われていませんでした。(主要な大学)そのような雰囲気の中生きた学生たちは時代の雰囲気の中で生きていたので、おのずと影響を受けていました。染まる染まらないは関係なくその人の持つ完成で別れたと思います。自分も義理の兄が全学連世代の二つ下なので当時の東京の大学で感じた雰囲気はよく覚えているといっていました。考えるに染まる染まらない(義理の兄は染まってない)は本人のかんがえかたであり、バンバンのいちご白書をもう一度に出てくる仮想のセリフだけれどもこの歌詞はものすごくその時代の蹉跌を見事にいい当てていると思います。そう七〇年安保は一般学生にとっては染まってもはしかみたいなもんなんだ
ということを如実に著しています。一九七六年は自分が高校に入った年なんですが、地方の高校でさえもオルグ活動(七〇年安保の闘争員を集めるためのブント系活動家が非合法で募集していたような形跡が見られる文書や書簡集が図書室に残されているのを発見して驚愕したことを覚えています。)の痕跡があったのです。今では考えられないことですが、『昭和とはそのような時代だった。』のです。
本当に70年代を象徴する曲で幼き日を思い出します。
あの日に帰りたい気持ちでいっぱいになります。
昭和53年中学を卒業して就職するときラジオでこの歌を聞いてこれから一人で生きていくと思いこの歌が忘れられなくなった思い出の曲です。
昭和を代表する名曲
このオリジナルバージョンが聴きたかった!
オリジナルが最高!
最高!切なくて 切なくて 😢😢
髪をきってもう若くはないと こうして大人に
長く生きてると
大切な曲が多くてびっくりします😌
大切な曲、、、素敵な言い方💖
詩的なコメントでとっても素敵です✨
当時大学2年生、時世を反映した歌詞と悲しげなメロディが胸に突き刺さった。荒井由実さんが他に提供した歌ではこれが最高傑作だと思います。
ハイ・ファイ・セットに提供した「卒業写真」もいいですよ。
私は松田聖子さんの「瞳はダイヤモンド」が好きです。
ユーミン自身では薬師丸ひろ子さんに提供した〈woman〉が『オートクチュールの最高傑作』とのことですが、イチゴ白書も同じく最高ですよね🍀
髪をきるのは
髪を切るのは就職が決まってから、ではなく、面接試験にそなえて先にきりました。
ここが違うと仲間うちでいつも議論になります。でも制服でもなく、リクルートルックの背広になりましたね。
私は現在63才です。
高校生の時に五木寛之の小説を愛読して…その中でも学生運動を軸に書かれた数冊の中のひとつ(変奏曲)になぜかはまり、丁度その頃映画化もされてかなりのエロチックな場面もある作品にも関わらず同級生に付き合ってもらい東京の千石劇場なるところで制服姿で観に行きました。(いちご白書をもう一度)は私の中では(変奏曲)の主題歌なのです。
今聴いてもドラマチックで色褪せない作品です。若い若い方々にこういった作品の数々をたくさん聴いて欲しいです。
83歳になったばかりの、正真正銘の昭和の人間だか、ユウミン曲には、感銘と感傷の念に浸ることが出来る。
素晴らしい才能と感情を持ち合わせた方なんだなァ〜 と思っている爺さんです
色あせない名曲のひとつ
昭和・平成・令和と時代を飛び越えても
いつまでも人の心を映してゆく歌がここにあります
46年前、中学2年生の時に聴いたこのオリジナルがやっぱり一番心に響きます。当時の想い出が鮮やかに蘇ります。懐かしいな~(T_T)
聴き覚えがあるオリジナルが
心地いいですね
同級ですね。46年前の昭和50年、私も中2でした。なんだか泣けますね。
36年生まれです。当時この歌の意味が分からずメロディだけに魅入られてました。
当時HBCラジオのベストランキングトップでしたね。ラジオにクギ付けでした。荒井由実さんも聴いたなー 良き時代でした
1960年生まれの私にとってこの曲は名曲です♪
この曲、歌詞が、1970代に青春を送った私にとって、最高です!
私も同じ気持ちです~
ユーミンの最高傑作ですね🎵
昭和の歌は、今でも心の奥底に沢山有ります。
昨年還暦を迎えて、平成 令和と時間が過ぎても
あの頃の思い出と共に生きて居ます。
還暦、おめでとうございます~これからも、お元気で、楽しい人生を送って下さい~百歳まで(笑)
昭和50年当時、私はまだ19歳の若者でした。そして今年の12月に長かったサラリマン生活を終えます。この歳になると無性にあの時代が美しく感じられるのはどうしてでしょう。もう二度と戻らない時代をとても恋しく思います。コロナ禍が終息したら当時私がいた街を訪れてみたいと思います。
時代が違う、と言えばそのとうりだけど、平成、令和とやたら字あまり、横文字が多い今の流行り歌にはいまいち着いてはいけなくて、この時代の歌には何故か、感動、ドラマ、哀愁を感じます。
平成生まれだけどあの素晴しい愛をもう一度とこの曲は本当に心に染みる。昭和って心に染みる曲多いなー。本当に素晴らしい時代だったんだなー
そうですよ!昭和は携帯電話…インターネットなくても、十分暮らせてました!明るく楽しかった思い出ばかり!❤🎉
活気があったからねぇ~
平成時代は 失われた30年がきつかった
私はこの曲が大ヒットした頃16才でした❗いちご白書と言う映画があったことすら知らなかったです❗でもこの曲は16才なりに心に響きました❗
まさに70年安保の時代の大学生にとっては忘れられない一曲ですね😊
やはりいい歌はいつまでも色褪せないもの。当時は知らなかったが大人になって聴いた時、『もう若く無いさと君に言い訳したね』が切なくて悲しい気持ちになります。
オリジナルバージョンが中々聴けなくて。嬉しいです。本当に嬉しいです❣️シングル版で聞いたあの頃。
そうですよね…ホント切なくなります…。
1970年生まれです。
この曲は小学生の頃に聴いたけど、まだまだ子供だったけど、私にはとても好きな曲で、カセットテープが擦切れるほど聴きました。
歌詞にしんみり来てしまう、そして、涙が出ます。
同意‼️
知性も感性もゆたか😂❤な早熟な小学生でしたね
青春の大切な記憶が心の奥底を駆け巡る。半世紀以上前の出来事なのに… バンバン、ユーミン、そしていちご白書、戻りたいなあの頃に…人生って意外と短いのかも知れない
当時まだ16才でした、ただただ懐かしく、何故か涙が出ます!
当時は高校3年生でした。受験勉強をしながらラジオから聞こえてきたのがこの曲です。64歳になっても
いつか君といった 映画がまた来る
授業を抜け出して 二人で出かけた
哀しい場面では 涙ぐんでた
素直な横顔が 今も恋しい
雨に破れかけた 街角のポスターに
過ぎ去った昔が 鮮やかによみがえる
君もみるだろうか「いちご白書」を
二人だけのメモリー どこかでもう一度
僕は無精ヒゲと 髪をのばして
学生集会へも 時々出かけた
就職が決って 髪を切ってきた時
もう若くないさと 君に言い訳したね
君もみるだろうか「いちご白書」を
二人だけのメモリー どこかでもう一度
二人だけのメモリー どこかでもう一度
昭和50年の高校2年の時、この曲と出逢いました。イントロを聴いた瞬間、全身がゾクゾクッとしたのを覚えています。物凄く魂に響く歌だなと思いました。
今でもイントロを聴くとゾクッとします。
凄く印象的な曲ですね。
出来たら、70年代にタイムスリップして、その時代の空気を感じたい
70年代〜学生運動等など、色々ありましたが〜ホントに良い時代でした🎉
やっぱり原曲のこのバージョンが一番良いよなぁ
カラオケで歌う時もこのバージョンの音程が自然と出て来る
あの日に帰りたい卒業写真とならぶユーミン超名曲
本当に涙が出てくるくらいに懐かしい。この曲と同じ世代で大学生活をしていたことに誇りを持ってます。60歳代後半になっても、同窓会でカラオケをみんなで歌います。何かしら切ない学生時代でした。
此の曲聴いたのが確か中学時代だったと思うよぉ( =^ω^) 何時もの時に聴いても素晴らしいねぇ😍
うん、おもいっきり泣いた、、
もうたまらんわ、、
昭和50年でしたね、この曲がヒットしたのは。中学2年でしたが、今聴くとじわりと涙ぐみます。青春って短いんですね。
40年以上の前の曲だが今聴くと凄くいいね。
あの頃は私も若くて未熟だったなぁ。
俺がこの曲を初めて耳にしたのは11歳 小5の時・・
イントロだけで鳥肌がたち、ばんばひろふみさんの歌声と奏でるギター🎸が絡み合い、たったの一回、聴いただけで感動の坩堝と化し、心を突き刺した後世に残る、ユーミンの最高傑作の楽曲だと思う✨
「就職が決まって、髪を切ってきた時~」。世代はもっと下ですが、就職活動を始める時に髪をバッサリと切って七三横分けにしました。青春との決別を意識した瞬間でしたね。
歌手のみなさんはどうしてオリジナルから変えて歌うようになるのでしょう?どの曲もオリジナルに勝るものはありませんね。哀愁じみた曲調と歌詞、バンバンの声がマッチして40年以上経った今でも当時の事が思い出されます。
まさに同感です。オリジナルが一番
私もあなたの意見に一票
加齢による声量の衰えと、キーが低くなったのをカバーするため、という側面もあると思います。
現在のばんばさんも、このオリジナルのキーでは歌えないと思いますし。
おおよそ同感です。ですが、ちょっと違うかもしれませんが、中村雅俊が桑田佳祐提供の歌を歌うと何故か桑田節になるのがイラっときます。
だからオリジナルと同じに歌うとオリジナル風(単にカラオケ)になるからでは無いでしょうか。
@@hiroyaguchi7512 そうですよね、モノマはちょっと違いますよね、私達がカラオケで上手いと言うのはイコール似ているからと言うレベルなんですよ。
来年57歳 この歌を聴いて時代に戻されます。寂しい
オシャレでキラキラしたスキー場で聴く松任谷由実の時代にユーミンを知って
いろいろ聴いていったら、荒井由実時代のあの日に帰りたいに出会ってそれだけでも驚きだったのに
その後、時代背景とかわからないけど惹かれると思ってたいちご白書が、これまたユーミン作と知って
いやどんだけ天才よ…と衝撃を受けたの今も覚えてる
ばんばさんの優しい声との組み合わせも最高ですね
ユーミンの天才ぶりに、改めて驚きます、
学生運動はわからないけど、 髪を切ってくる所、現実へ一歩踏み出す切なさとリアルが胸に迫ります。
素晴らしい✨
切ないメロディラインに胸を強く締め付けられます。
まさしくこれです。「学生集会でも」の寸詰まりなところ。私も、賛成です。この歌声を、あの頃は聞いて育ちました。有難うございます。
学生集会なんて、学生運動なんて、愚の骨頂。
寸詰まりな所、いいですよね。
@@user-ui3cw2oo5o そういうアレじゃないから。
でも がいいですね。ノンポリと呼ばれたらしいですね
この曲がヒットした75年には「学生集会」もすでに死語になってましたね。
大学紛争・・・ 青春の挫折・・・ 当時の時代の「空気」を見事に表現したユーミンならではの作品。
でも自分の目当ては、芳野藤丸さんの超カッコいいギター・ソロだった。 というか、あのギター・ソロを聞きたいがためにレコードを買った記憶がある。
昔中学の文化祭で通り掛かったいくつか離れた教室の前で急に聞こえて来た曲、初めて聞いた曲だったのに、その場に立ちすくんで号泣してしまった思い出があります。
友達を慌てさせたなぁ
何故悲しいのかも分からなかったのに何故か胸が締め付けられて。この曲を聴くと今でもあの瞬間がありありと蘇ります。
私が中学生になるかならない頃の歌です。。懐かしい曲です出来たら大人にならずそのままでいたかった。
今、58才です。中学のとき音楽の自由課題テストで「いちご白書をもう一度」をクラスのみんなの前で弾き語りをしました。
同感です。これが最高ですね。テクニックを使ってビブラートや節回しを入れると当時のあの素朴で純粋な雰囲気が損なわれてしまいイメージが大きく変わってしまいます。どんな歌でもやはりオリジナルバージョンに限ります。消されないことを祈っています。アップありがとうございました。
松任谷由実さんは天才ですね。
@@konoharoy6161 まさに!
同じことを思ってました。
崩さずに歌ってほしいものです。
オリジナルのアレンジを変えるなんてもってのほか!
年を重ねて高音が出せなくなった等の事情でキーを変えちゃうのは仕方ないにしても。
激しく同意
オリジナルが一番ですね👍
「激しく同意」って
激しくいい!
オリジナルバージョンが何故ないか、でしたが、嬉しいです。やはりこの瀬尾一三のアレンジで、素朴なバンバンの歌い方が一番。
スキャットがせつないよね。
同感です。特に低音を生かしたストリングスアレンジが素敵です。
アップアありがとう
大学3年の頃を思い出します
大切な1ページです
まさしく同感です、自分自身もあの時代に戻れるストレートな歌い方が聞きたかったんです。まだ素朴だった渋谷駅やパンテオンを思い出します。ありがとうございます。
昭和の名曲ですね。大好きな曲の中のひとつです
まさにこの昭和50年にこの世に来ました。
47年前、当時の記憶は全く記憶にない赤子でしたが、両親は確かに!この曲をリアタイで耳にしていたのかと思うと感慨深い🥲
名曲は当時を知らなくても、年齢を重ねるたびに奥深いですね🥹
よく昭和の歌謡曲を歳をとられても歌われる歌手の方々がいらっしゃいます。お元気で歌われることはいいことなんですが、どちらかというとレコード、CDなどオリジナルを聞かせてもらったほうが感動します。この「いちご白書をもう一度」も、ばんばさんが歌われてるyoutubeがありますが、やはりバンバン、それもオリジナルの原曲が最高です、涙が出るくらい。
この曲を始めて聞いた時、
ユーミンは天才だ!と思いました。あの頃が懐かしい。
素敵な歌は、時代を超えます
高校1年の時によく聴いてた。本当に毎日が楽しかった!あの頃に戻りたいです。
僕は中学2年でした。あの頃に戻りたいですね。みんな同じですよ。
昭和50年ていう時代も良かったんでしょうね。今はねえ、、、
あの頃に戻れないからこそ、その当時の記憶が人によっては宝物でもあり苦く切ない思い出なんですよね・・
☝️これこそ聞きたかった‼️
やはりこの曲は、オリジナルが凄い。この頃のヒット曲では、一番素敵だ!
過ぎ去った昔が、鮮やかによみがえる!いつも涙
まだ近代化都市化に飲みこまれる前人間味があった時代❤ユーミンは見事‼️に時代の、雰囲気を切り取ってくれてる😢メロディ歌詞歌手👨🎤最高😮何回きいてもせつなく懐かしい名曲💓
思い出すと涙がこぼれます。青春の輝く思い出。色褪せない素晴らしい音楽です。
世代ではないですが、あるとき街を歩いていて、流れていた曲でした。なんだこのメロディ、と足が止まった程です。
主人と私の青春時代の、思い出の曲です。昭和の時代が懐かしい!
高校3年でした。好きで好きで仕方なくその人の事を考えない日はありませんでした💕
月日が経ち彼の就職が決まりお互い別々の道へ行くことになりこの曲を毎日聞いていました。
毎日、泣いていました。
切ない思い出が蘇ってきました。あの人は今、どこでなにを?素敵なおじーさんになっているでしょうか?
親父の思い出が詰まった曲で、聴くたびに親父を思い出す。頑固で怖くて、それでもこの歌を録音したくて、当時高価だったラジカセを一生のお願いと言って買ってもらった。いつしか自分の方が大きくなって、親父がどんどん小さく弱々しく見えるようになって…… 親父を乗り越えたら自分を叱ってくれる最後の砦がなくなる気がして尚更反論も喧嘩もできなかった。それも何十年も昔。今は自分が親父の立場。
どんな思いを息子は抱いているのだろう。
泣けます❗
女性のスキャットが遠い昔へ引き戻します、若い頃付き合っていた彼女、今何処で何を思っているだろうかと考えてしまいます。
生きているとせつない思い出の一つ位あるんですよ。
名曲です。
涙が出ます🥲
中学生の時、何百回も聴きました。
レコードも買いました!憧れてた3年生の先輩が文化祭で、ギター片手に歌ってたのを思い出します…
学生集会にはよくいきました。就職活動始めた頃には母や友人から合否にかかわるからもう止めなさいと言われたのを思い出しますね。懐かしいです。
4:34
バンバンの声って、優しいよねぇ。ばんばさんの歌唱だから、これだけ大ヒットしたんじゃないかしら?
歌詞が秀逸!
祖国が懐かしい、、、。
(在米43年 69歳)
S50年(1975):京都工芸繊維大学の近くに下宿して近畿予備校(同志社大学の近くの、御所の近くの)に通ってました。地下鉄工事が始まった年です。大好きな曲の一つです。翌年、行きたかった府立医大は不合格(試験会場は近畿予備校)でしたが、久留米大学医学部は合格しました。医師になり40年目。S50年の出町柳は現在より広々として私の大好きなエリアでした。PS護美箱(ゴミバコ)が出町柳に在りました。
心が震えて止まらなくなる歌詞と美しいメロディー。学生運動の頃は、知りませんが、学生運動を、他の場面に移しても、全くに色褪せない名曲ですね。今、高齢者となっている人たちは、涙無くして聞けないのかも?平安時代とて、江戸時代とて、若い人たちの心は、熱く燃えていて、時代や目に映る光景が違えど、ピュアなハートが息衝いていた事でしょう。過去を懐かしみ、未来へと微笑んで生きるパワーをもらわないとね❤
作者が荒井由実さんと知り、
本当に驚きました。
こんなに心にじぃ〜んと沁みる曲調、若いながら天才だと思いました。
日頃は遠い記憶の彼方にある学生時代を
思い返しても、あれは夢だったのか現実だったのか
確信を持てないときがあるけど、なつかしい曲を
聴くと、あの頃の自分に手が届きそうになるんよなぁ。
何故か桐島聡のニュースを聞いて
聴きにきてしまった
イチゴ白書の意味もわからず聞いていた当時、まだ14
才でした。毎日ギターに夢中になってカセットテープで耳コピしていたあの頃 懐かしいです。
この曲は高校時代にバンドを組んで文化祭の時に披露した思い出があります、もう45年も前になりますとても懐かしい曲です
この曲を聴くたびに思い出します。それは昭和50年高校3年、当時大好きだった女性と初めて映画を見に行きました。タイトルは『タワーリングインフェルノ』でした。ドキドキしながら女性の手を握った事が今でも鮮明に思い起こされます。叶うならその時に戻ってみたいです。初恋以上の恋でした。その女性の幸せを今も祈っています。茨城県の五霞村に住んでいると・・・
オリジナル音源が音楽として最高峰か、ということは私にはわかりません。
しかし、オリジナル音源だからこそ聞いていて蘇ってくるものがある、ということだけは確かです。
ですから、どれだけ歌のうまい人がカバーしようと、じいさん、ばあさんにとって、オリジナル音源は「神」なのです。
65歳のおっさんだけどカラオケ行くとかならず歌うよ。いい歌ですね
何故かセーターを思い出す。昔は毛90
アクリル10でも高くてさ、もうVANのやつ
なんて憧れたもんだったなあ。
オリジナルバージョン遂に見つけた\(^o^)/ この歌聴くと中学生時代が昨日のことのように思いだ出す。
遠い遠い46年前、中学3年生だったよ。この歌聴くとなぜか涙が出てくるよ。
同世代ですね。昭和50年、中学二年生でした。なぜかそんなに昔に感じないのが不思議です。僕らにとっては学生運動って未知の世界ですが、この曲を聴くと何故か切なくなりますね。
@@jeffreykawate2215
私も中学2年生。いちご白書の意味も知らない子供でした。
本当にいい歌ですね。懐かしいです。
@@ashiyubi-genki お互い多感な年頃でしたね。今のように閉塞感や先が見えない時代と違い、スマホもネットもないアナログでしたが、今より明るくて楽しい時代でしたね。当時、文通とか流行ってたのが信じられません 笑 平和でしたね。
全く同感です
@@jeffreykawate2215
この曲は高校3年の時に教室でギターを弾きながら良く歌ってのが懐かしい想い出でになってます。
当時の学生運動を、甘酸っぱい思い出としてまとめ、思想はファションの一部、生活のためには主義主張は簡単に捨てる日本人の柔軟性(無節操)を、美しく歌で喝破したユーミンは天才です。
こういう世相を反映したほろ苦い青春を歌詞にして、それにマッチする切ないメロディにのせるユーミンの傑作ですね。
幼い頃、父の車の中で何回も聞いた。カセットテープに入ってたんだったかな。
今でも聞くと、少し特別な思いになる。
この曲はずっと昔から大切にされてきた曲だよ。いちご白書をもう一度は名曲だよ。時代を飛び越えて今も聴けてすごく優しいね。ありがとう。優しさを届けてくれてね。ずっとずっと大切に思っているよ。
70年代という時代を強烈に喚起させる唄だ😤
これを待ってた。
これよ、これ。あー、涙でるー。
オリジナル最高。フェードアウトも哀愁漂うね。
そう女性のスキャット泣かせますね
歳をとるにつれて、大切な曲になるなあ
すぐ学生の頃に戻れる
穏やかで何憂うことない、いい時代でしたね。もう二度とあんな時代はこないでしょうね、昭和50年。
この曲は小学生の頃、合唱コンクールで他のクラスが歌ってるのを聴いて初めて知りました。
小学校五年生だった自分はまだフォークソングやニューミュージックを聴くという習慣が無かっただけに、この曲を聴いた時のインパクトは今も忘れられません。
友達のお姉さんにバンバンというグループが歌ってると教えてもらい、レコード店にレコードを買いに行った事を今でも覚えてます。
おそらくこの曲から自分がフォークソングやニューミュージックを聴くきっかけになった曲ですね
やっぱり2番の
「・・・就職が決まって~ 髪を切ってきた時~ もう若くないさと~ 君に言い訳したね~・・・」
この部分が最高だね^^¥ 己の学生時代と青春に別れを告げるシーン。
そうですね
この歌詞がなぜか、情景を思い浮かべる。
自由な学生から、規律ある社会へ旅立とうとする切ない気持ちが…。
切ない歌詞ですよね。でも、僕らが就職する頃にはすでにこの歌詞の意味するところがピンこなかった時代でした。確かに僕らの世代も長めの髪をきれいに七三分けにはしましたけど。
この曲を聴くたびに思い出します。
初恋の君から「いちご白書」を一緒に観に行こうと言われて、、、突然転校してしまいました。
マジですか!! でも一生の思い出になりますね・・。