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コンパクトで角ばった車体にマルティニカラーが良く映える、素晴らしいラリーカーですねそして見た目だけじゃなく強くて速い。市販車のエボルツィオーネも格好いいんだよなあ
94年型のデルタ、今も乗ってます…維持、大変ですけど。
よゐこの有野晋哉がデルタ乗ってたけど故障が多すぎて1年のうち半年以上は工場に入ってるって愛車遍歴で言ってたな〜笑
数年前、僕が高校生の時、いつも通る道にに黒色のランチア・デルタがほぼ毎日停まってた。他の車とは違うカッコよさがありましたね。
今のWRカーはグループBカーより馬力は低いけどコーナリングスピードは完全に上回ってるんだから技術の進化はすごい
1番好きなラリーカーです。家にある88年WRC総集編のVHSが未に見れることが幸せです。
037ラリーは直4➕ミッドシップです。゚(゚´ω`゚)゚。それはさておき、やはりランチアがWRCを盛り上げた立役者であることは紛れもない事実⭐️デルタHFインテグラーレには憧れました✨デルタと言えばアレンとビアシオンの印象が強く残っています👍トイボネンは気の毒でした😭
ラリー037、直列4気筒の間違い。ランチア、世界の自動車メーカーで一番熱いw
5:12 この悲劇の前にもポルトガルラリーでフォードRS200がカーブを曲がりきれずに、ギャラリーの方に突っ込んでしまい死傷者を出すという事故も起きている。更にはツール・ド・コルスでランチア・ラリーに乗っていたアッテリオ・ベッテガが木に激突してしまい、クラッシュして死亡。アルゼンチンラリーでは、アリ・バタネンがプジョー205ターボ16で事故を起こして重傷を負ってしまったのだ。そしてこの動画で語られている事故が決定的になってしまい、殆どのワークスが撤退に追い込まれてしまった。
ランチアデルタHFインテグラーレはマツダのオートザムで販売されていて、キャロルなど共にショールームに並んでました。
グループAの ランチアはマシンも最高だが チーム体制 も最高。マニファクチャラーズポイントを1点でも獲得するため トヨタが2台の所に 4台投入するなどチームの包囲網もすごかった。メカ二ックも超一流。マルティ二ランチアをサポートした FINAランチアも忘れてはいけない。カラーは違えど中身は同一
80年代後半から90年代前半に活躍し、ラリーの王者として君臨した名車がランチャデルタです。そのデルタのラリー仕様に搭載のエンジンをカスタムチューンをしたのが、アバルトの担当でしたね🎵最終デルタのマシンのエンジンチューンナンバーSE50でした🎵まぎれもなくアバルト製作の傑作のラリーマシンでした🎵
92年のカタロニアラリーで開発が中止になり、ランチャは地殻変動が起こりマシンのトラブルが発生しリタイアが増加しましたね🎵そして、翌年、未勝利に終わり、ランチャのラリー活動は撤退されました。
フィアット131アバルトラリーの特集をお願いしたいですね。ラリーカーとしては大のお気に入りなので。
カッコいいですよね(#^.^#)
FIAT 131ラリーのプラモデル、今年の長野ノスタルジックカーフェスティバルで見つけて買いましたよ。それと、タミヤで再生産されました。
@@pastelpureakgjze5791 様知らなかった💦情報ありがとうございます‼️これは探さねば‼️
タミヤでもハセガワでも歴代ランチアのWRCカーをプラモデルで出して欲しいな😭できたらS4欲しい!
S4はBEE MAXから出てますよ。
@@司裕次郎 ありがとうございます😭ちょっと探します😊
グループBマシンはなぜか国内メーカーが出さないんですよね。昔タミヤが205T16を出したぐらいかな。あとフォードRS200が出れば有名どころはだいたい揃うはず。
RS200はBELKITSが開発してるみたいですが、サイトの更新がないですね・・・
みなさんありがとうございます😊復活と販売を願いましょう😊
市販車は日本車の足元にも及ばない信頼性だけど、レースカーは強いしストラダーレもカッコイイのがランチャらしいとも言えた。友達も1年くらいインテグラーレ乗ってたけど、「半年車屋にいるけど、乗れる時の楽しさは良い車」との総評だったなw
デルタ! WRCが好きで、就職後にベース車を買おうと探した思い出😅
Gr.Aのランチアチームの監督はチェザーレ・フィオリオでしたね、のちにスクーデリアフェラーリチームの監督にもなった人。
その後、96年~2000年代にチームはダブルチャンピオンを獲得しました、
高校生の時、ランチア5回目6回目のタイトル争いをかけたトヨタとの戦いを、レーシングオン・オートスポーツって雑誌で真剣に見てたよ。もちろんトヨタが勝つと信じて応援してたけど、結局、最後までラインチアには勝てなかったね。あの時の悔しさを思い出した。
ランチアの撤退理由を考えると、ある意味強すぎるのも考えものだな...ルノーが1度F1を撤退したのも、負けた時ばかりニュースになるのが嫌になったからともいわれているし。
ルノーはF1でタイトル取っても売上げ伸びないという現実あったね
数少ない外国車で運転したことのあるランチャデルタHFインテグラーレ典型的ドッカンターボで運転してても気分が悪くなる凶器的加速力な印象でした
写真でしか見たことなかったデルタの実車を初めて見た時の印象は「小っさ」でしたwエヴォルツィオーネのブリスターフェンダーのイメージで1.2倍くらい大きくイメージしてました。
現代のデルタHFのラリーレプリカマシンって、絶対にスポイラーを90度にして走っている印象。
カンクネンやオリオールの移籍もそうだけどミスターランチャのビアシオンのフォードへの移籍が一番痛かったんじゃ無いかな
20歳の時、知り合いから「デルタHFインテグラーレ」を買わないか?と持ち掛けられた。8バルブでしたが、試乗の感じも良く左ハンでも乗りやすかったです。クラッチは流石に重く、32GT-Rが異常に軽く思える程でした。貧乏学生だったので200万何て無理だったので諦めました。借金してでもあの時買ってれば良かったと後悔してます。だって、今だと8バルブインテグラーレでも200万円で買えませんから😢
デルタ、大好きなラリーカーでした。このクルマの影響で愛車はずっとハッチバック車オンリーですwデルタはFFハッチバック車の元祖たるVWゴルフ同様デザインを手掛けたのはあのジウジアーロさんでした。だから魅力的なのかもですね。それにしてもジウジアーロさんはHFインテグラーレまで魔改造されたデルタのデザインをどう感じたか聞いてみたいですねw
当時 インテルラーレ16V衝動買いしたな 新車でこみこみ550万だった リミッターなくて高速で余裕で200キロ以上出たのを覚えてる
1989年シーズンはランチャデルタインテグラーレが勝ちまくっててトヨタセリカGTFOURを応援してた自分にとっては憎たらしい存在でしたね。
037はアバルト、ランプレディ、ダラーラ、ピニンファリーナ伝説のエンジニア達が作り上げた神話です
過激なグループBの後に台頭したのが日本の市販4WDターボ車ランチャデルタvs日本車の時代がWRCが一番面白かった
わ~ん😭動画見てたらランチアデルタシリーズのミニカーが欲しくなった(何台か紛失💧)と棚の奥に眠っているビデオの(当時のドキュメント映像)を見たくなった💦👍
デルタS4は、0からラリー専用に開発したけれど、勝利が少しでも販売に結びつく様に、外装は既存の4ドアFFのファミリーカーのデルタに似せて作られた。しかし、グループBが突然打ち切られ、デルタS4はWRCに出られなくなったため、『普通のFFのファミリーカー』であるデルタをラリーカーに作り替えて戦う事になった。ぶっちゃけ、1.5リッターノンターボで前輪駆動のボディに、2.0リッターターボと4WDミッションを強引にぶち込んで作った。ある意味、『やっつけ仕事』と言っても良い(笑そんな『やっつけ車』がWRC6連覇を成し遂げてしまったんだから、分からないものだ😂因みに、コレと同じ様な生い立ちのクルマに、パルサーGT-iRが有るが、重量バランスが悪くてラリーは惨敗だった。
昨年イタレリから発売された12分の1キットは買いました。いつか作るぞ。
今はイプシロンがあるからそれでまた暴れてくれないかな…
ツギハギボディにドッカンターボを載せて放熱する為にさらに穴開けてトレッド拡大する為にブリスターフェンダーにしてと…まるで違法建築でも6連覇しちゃう
外見的にも、4枚ドア・ハッチバックでカッコ良い車はコイツだけ。
デルタs4のスペックと車重聞いた時にラリーのあのコースを全開でこんなバケモノに乗って走るって思ったら怖すぎて鳥肌たった
F1ブーム華やかなりしころ、購入しだしたAUTO SPORTS誌のWRC記事はトヨタのサインツ(パパ)とランチャとの対決が華でしたねサインツ推しのサラ今市(現サライネス)さんは今はサインツJrを応援してるのかな?
エボ1に乗っていました。でも市販車は遅くて、マフラー、エアクリ、ブーストアップ、アレも取って、シャコ調も入れました。でもノーマルのR 32の方が早かったです。市販車の販売がランチアの資金になっていったのでしょう!
意外と欧州では市販車だと四駆が売れないからグループAに適応できる車両が無かったんだよな
デルタ79年デビューの車なんか当時のGr.Aツーリングカーで言うとR32GT-Rに魔改造ジャパンで戦ってたって感じだね
ランチアインテグラーレは欲しい車ですが、オイル管理が大変そうで維持費が掛かりますよね(;_;)
HFデルタのホモロゲ取ったあとに熱害対策で販売済みの車(5000台)のバンパーに穴を開けた話しが好きです。
グループBがそのまま続いてグループSが出来てたらどうなったかは見てみたかった
脳内BGM My dear friend,rally (song by高尾直樹) ずーっとボーカルは光吉さんだと思ってた。我が青春のセガラリーのエンディング曲。「イージーレフト!」
マシン以上にワークスチームのマネージメント能力の高さよ
モザイクが掛かった車はどういう物でしょうか?ランチャ以外の車ですか?返って気になります!
ストラトスとは打って変わったスクエアなボディデザインのデルタの活躍は同じグループAのボルボ240の活躍と似たものを感じますね!クーペとは真逆なデルタやボルボが走ると無双状態で速いというのは滅茶苦茶面白かったのをよく覚えています!!でもエボリューションモデルのインテグラーレが出る前のデルタがこんなにも苦労していたのは知りませんでした・・・。いい動画をありがとうございました。
近年イタ車の名をWRCのトップカテゴリーで聞かなくなったのは単純にフィアットグループの経営難が原因だって思ってたけど、勝っても売り上げにつながらないんじゃ撤退もやむなしですねアウディもアメリカのトランザムシリーズやIMSAにクアトロを送り込んで勝ちまくったけどさっぱり売れずに1年で撤退したって聞きましたインテグラ―レはラリー仕様もかっこいいけど、ヒルクライムイベントに出てくるエアロゴツゴツの奴もスパルタンで好き😁
1986年は日本でも萩原光選手が亡くなった年
ランチャデルタHFインテグラーデ16Vエボリツォーネコンペツォーネ…確か最終型の正式名称だった記憶があります。
僕の見方では、アウデイスポーツクワトロS1はグループBカーの中ではマトモな車種だったと思う........
消火器というニトロ
宝くじが当たったら買いたい車と言えばデルタインテグラーレとルノー5ターボ。
今でも時々どノーマルのデルタ見るな
ストラトスって、ラリーで強かったイメージあるけど、よく考えたら他のラリーカーは4ドア4人乗りの『普通のファミリーカー』な訳で、それを相手に一台だけラリー専用に開発した2人乗りの『スーパーカー』で参戦してるんだから、勝てない方がどうかしてる。エンジンだって他は1.8~2.0リッター4気筒なのに、ストラトスだけ2.4リッターV6だし。そもそも、最初からぶっといタイヤ履ける様にボディを作ってあって、他のクルマとは全く違うサイズのタイヤ履いてるし、ある意味、反則技使い放題だった。しかも、他のメーカーが車両を船で輸送してたのに対し、ストラトスはアリタリア航空をスポンサーに付けて、バンバン空輸してたので、準備期間を長く取れて万全の体制でラリーに挑んでいた。しかし、余りにもハイパワー&クイックな運動性で、ターマックに的を絞ったクルマだったから、ダートでは扱い辛くて、ダートが大半のサファリラリーでは一度も勝てなかった。そもそも、レギュレーションを満たす500台弱しか作っておらず、いくらラリーで勝っても、全く車両販売に結び付かず、少しも儲からないので、親会社のフィアットは、『スーパーカー』のストラトスでラリーをするのをやめ、勝てば販売に結びつく『普通のクルマ』のフィアット131でラリーを戦う事にした。
車好きになってすぐの頃だね。車名覚えるのにエラく苦労したね。エヴォって言ったらランサーだろうけど、俺はデルタだったな。
アッカエッフェ インテグラーレ エボルツィオーネ ドゥエ コレツィオーネ エディツィオーネ フィナーレこれを覚えたのか…
竹野内豊の愛車
地元でデルタS4ストラダーレとすれ違った時は目が点になったな
😊インテグラーレ😮😊
グランツで乗ってると異常なトルクとハンドリング性能で笑えるレベル
デルタs4は最強で最恐なオーラを感じるけど、その後のデルタははっきり言って馬力もデザインもダサい。 他の自動車メーカーが撤退して6年間独り勝ちしたと言うから6年間弱い者と戦って勝ったとしか聞こえない。魅力がいっさい感じない👎、まあグループAのラリーカーはおじさん車をちょっといじった仕様だから200馬力そこそこしかないからつまらない物ばかりやけどね😵
コンパクトで角ばった車体にマルティニカラーが良く映える、素晴らしいラリーカーですね
そして見た目だけじゃなく強くて速い。市販車のエボルツィオーネも格好いいんだよなあ
94年型のデルタ、今も乗ってます…維持、大変ですけど。
よゐこの有野晋哉がデルタ乗ってたけど故障が多すぎて1年のうち半年以上は工場に入ってるって愛車遍歴で言ってたな〜笑
数年前、僕が高校生の時、いつも通る道にに黒色のランチア・デルタがほぼ毎日停まってた。他の車とは違うカッコよさがありましたね。
今のWRカーはグループBカーより馬力は低いけどコーナリングスピードは完全に上回ってるんだから技術の進化はすごい
1番好きなラリーカーです。
家にある88年WRC総集編のVHSが未に
見れることが幸せです。
037ラリーは直4➕ミッドシップです。゚(゚´ω`゚)゚。それはさておき、やはりランチアがWRCを盛り上げた立役者であることは紛れもない事実⭐️デルタHFインテグラーレには憧れました✨デルタと言えばアレンとビアシオンの印象が強く残っています👍トイボネンは気の毒でした😭
ラリー037、直列4気筒の間違い。
ランチア、世界の自動車メーカーで一番熱いw
5:12 この悲劇の前にもポルトガルラリーでフォードRS200がカーブを曲がりきれずに、ギャラリーの方に突っ込んでしまい死傷者を出すという事故も起きている。
更にはツール・ド・コルスでランチア・ラリーに乗っていたアッテリオ・ベッテガが木に激突してしまい、クラッシュして死亡。アルゼンチンラリーでは、アリ・バタネンがプジョー205ターボ16で事故を起こして重傷を負ってしまったのだ。
そしてこの動画で語られている事故が決定的になってしまい、殆どのワークスが撤退に追い込まれてしまった。
ランチアデルタHFインテグラーレはマツダのオートザムで販売されていて、キャロルなど共にショールームに並んでました。
グループAの ランチアはマシンも最高だが チーム体制 も最高。マニファクチャラーズポイントを1点でも獲得するため トヨタが2台の所に 4台投入するなどチームの包囲網もすごかった。メカ二ックも超一流。マルティ二ランチアをサポートした FINAランチアも忘れてはいけない。カラーは違えど中身は同一
80年代後半から90年代前半に
活躍し、ラリーの王者として君臨した名車がランチャデルタです。
そのデルタのラリー仕様に搭載の
エンジンをカスタムチューンをしたのが、アバルトの担当でしたね🎵
最終デルタのマシンのエンジンチューンナンバーSE50でした🎵
まぎれもなくアバルト製作の傑作の
ラリーマシンでした🎵
92年のカタロニアラリーで
開発が中止になり、
ランチャは地殻変動が起こり
マシンのトラブルが発生し
リタイアが増加しましたね🎵
そして、翌年、未勝利に終わり、ランチャのラリー活動は撤退されました。
フィアット131アバルトラリーの特集をお願いしたいですね。
ラリーカーとしては大のお気に入りなので。
カッコいいですよね(#^.^#)
FIAT 131ラリーのプラモデル、今年の長野ノスタルジックカーフェスティバルで見つけて買いましたよ。それと、タミヤで再生産されました。
@@pastelpureakgjze5791 様
知らなかった💦
情報ありがとうございます‼️
これは探さねば‼️
タミヤでもハセガワでも歴代ランチアのWRCカーをプラモデルで出して欲しいな😭できたらS4欲しい!
S4はBEE MAXから出てますよ。
@@司裕次郎 ありがとうございます😭
ちょっと探します😊
グループBマシンはなぜか国内メーカーが出さないんですよね。
昔タミヤが205T16を出したぐらいかな。
あとフォードRS200が出れば有名どころはだいたい揃うはず。
RS200はBELKITSが開発してるみたいですが、サイトの更新がないですね・・・
みなさんありがとうございます😊復活と販売を願いましょう😊
市販車は日本車の足元にも及ばない信頼性だけど、レースカーは強いしストラダーレもカッコイイのがランチャらしいとも言えた。友達も1年くらいインテグラーレ乗ってたけど、「半年車屋にいるけど、乗れる時の楽しさは良い車」との総評だったなw
デルタ! WRCが好きで、就職後にベース車を買おうと探した思い出😅
Gr.Aのランチアチームの監督はチェザーレ・フィオリオでしたね、のちにスクーデリアフェラーリチームの監督にもなった人。
その後、96年~2000年代に
チームはダブルチャンピオンを
獲得しました、
高校生の時、ランチア5回目6回目のタイトル争いをかけたトヨタとの戦いを、レーシングオン・オートスポーツって雑誌で真剣に見てたよ。もちろんトヨタが勝つと信じて応援してたけど、結局、最後までラインチアには勝てなかったね。あの時の悔しさを思い出した。
ランチアの撤退理由を考えると、ある意味強すぎるのも考えものだな...ルノーが1度F1を撤退したのも、負けた時ばかりニュースになるのが嫌になったからともいわれているし。
ルノーはF1でタイトル取っても売上げ伸びないという現実あったね
数少ない外国車で運転したことのあるランチャデルタHFインテグラーレ
典型的ドッカンターボで運転してても気分が悪くなる凶器的加速力な印象でした
写真でしか見たことなかったデルタの実車を初めて見た時の印象は「小っさ」でしたw
エヴォルツィオーネのブリスターフェンダーのイメージで1.2倍くらい大きくイメージしてました。
現代のデルタHFのラリーレプリカマシンって、
絶対にスポイラーを90度にして走っている印象。
カンクネンやオリオールの移籍もそうだけどミスターランチャのビアシオンのフォードへの移籍が一番痛かったんじゃ無いかな
20歳の時、知り合いから「デルタHFインテグラーレ」を買わないか?と持ち掛けられた。8バルブでしたが、試乗の感じも良く左ハンでも乗りやすかったです。クラッチは流石に重く、32GT-Rが異常に軽く思える程でした。貧乏学生だったので200万何て無理だったので諦めました。借金してでもあの時買ってれば良かったと後悔してます。だって、今だと8バルブインテグラーレでも200万円で買えませんから😢
デルタ、大好きなラリーカーでした。このクルマの影響で愛車はずっとハッチバック車オンリーですwデルタはFFハッチバック車の元祖たるVWゴルフ同様デザインを手掛けたのはあのジウジアーロさんでした。だから魅力的なのかもですね。それにしてもジウジアーロさんはHFインテグラーレまで魔改造されたデルタのデザインをどう感じたか聞いてみたいですねw
当時 インテルラーレ16V衝動買いしたな 新車でこみこみ550万だった リミッターなくて高速で余裕で200キロ以上出たのを覚えてる
1989年シーズンはランチャデルタインテグラーレが勝ちまくっててトヨタセリカGTFOURを応援してた自分にとっては憎たらしい存在でしたね。
037はアバルト、ランプレディ、ダラーラ、ピニンファリーナ伝説のエンジニア達が作り上げた神話です
過激なグループBの後に台頭したのが日本の市販4WDターボ車
ランチャデルタvs日本車の時代がWRCが一番面白かった
わ~ん😭動画見てたらランチアデルタシリーズのミニカーが欲しくなった(何台か紛失💧)と棚の奥に眠っているビデオの(当時のドキュメント映像)を見たくなった💦👍
デルタS4は、0からラリー専用に開発したけれど、勝利が少しでも販売に結びつく様に、外装は既存の4ドアFFのファミリーカーのデルタに似せて作られた。
しかし、グループBが突然打ち切られ、デルタS4はWRCに出られなくなったため、『普通のFFのファミリーカー』であるデルタをラリーカーに作り替えて戦う事になった。
ぶっちゃけ、1.5リッターノンターボで前輪駆動のボディに、2.0リッターターボと4WDミッションを強引にぶち込んで作った。
ある意味、『やっつけ仕事』と言っても良い(笑
そんな『やっつけ車』がWRC6連覇を成し遂げてしまったんだから、分からないものだ😂
因みに、コレと同じ様な生い立ちのクルマに、
パルサーGT-iRが有るが、重量バランスが悪くてラリーは惨敗だった。
昨年イタレリから発売された12分の1キットは買いました。いつか作るぞ。
今はイプシロンがあるからそれでまた暴れてくれないかな…
ツギハギボディにドッカンターボを載せて放熱する為にさらに穴開けてトレッド拡大する為にブリスターフェンダーにしてと…
まるで違法建築
でも6連覇しちゃう
外見的にも、4枚ドア・ハッチバックでカッコ良い車はコイツだけ。
デルタs4のスペックと車重聞いた時にラリーのあのコースを全開でこんなバケモノに乗って走るって思ったら怖すぎて鳥肌たった
F1ブーム華やかなりしころ、購入しだしたAUTO SPORTS誌のWRC記事はトヨタのサインツ(パパ)と
ランチャとの対決が華でしたね
サインツ推しのサラ今市(現サライネス)さんは今はサインツJrを応援してるのかな?
エボ1に乗っていました。でも市販車は遅くて、マフラー、エアクリ、ブーストアップ、アレも取って、シャコ調も入れました。でもノーマルのR 32の方が早かったです。市販車の販売がランチアの資金になっていったのでしょう!
意外と欧州では市販車だと四駆が売れないからグループAに適応できる車両が無かったんだよな
デルタ79年デビューの車なんか
当時のGr.Aツーリングカーで言うとR32GT-Rに魔改造ジャパンで戦ってたって感じだね
ランチアインテグラーレは欲しい車ですが、オイル管理が大変そうで維持費が掛かりますよね(;_;)
HFデルタのホモロゲ取ったあとに熱害対策で販売済みの車(5000台)のバンパーに穴を開けた話しが好きです。
グループBがそのまま続いてグループSが出来てたらどうなったかは見てみたかった
脳内BGM
My dear friend,rally (song by高尾直樹) ずーっとボーカルは光吉さんだと思ってた。我が青春のセガラリーのエンディング曲。「イージーレフト!」
マシン以上にワークスチームのマネージメント能力の高さよ
モザイクが掛かった車はどういう物でしょうか?ランチャ以外の車ですか?
返って気になります!
ストラトスとは打って変わったスクエアなボディデザインのデルタの活躍は同じグループAのボルボ240の活躍と似たものを感じますね!
クーペとは真逆なデルタやボルボが走ると無双状態で速いというのは滅茶苦茶面白かったのをよく覚えています!!
でもエボリューションモデルのインテグラーレが出る前のデルタがこんなにも苦労していたのは知りませんでした・・・。
いい動画をありがとうございました。
近年イタ車の名をWRCのトップカテゴリーで聞かなくなったのは単純にフィアットグループの経営難が原因だって思ってたけど、勝っても売り上げにつながらないんじゃ撤退もやむなしですね
アウディもアメリカのトランザムシリーズやIMSAにクアトロを送り込んで勝ちまくったけどさっぱり売れずに1年で撤退したって聞きました
インテグラ―レはラリー仕様もかっこいいけど、ヒルクライムイベントに出てくるエアロゴツゴツの奴もスパルタンで好き😁
1986年は日本でも萩原光選手が亡くなった年
ランチャデルタHFインテグラーデ16Vエボリツォーネコンペツォーネ…
確か最終型の正式名称だった記憶があります。
僕の見方では、アウデイスポーツクワトロS1はグループBカーの中では
マトモな車種だったと思う........
消火器というニトロ
宝くじが当たったら買いたい車と言えばデルタインテグラーレとルノー5ターボ。
今でも時々どノーマルのデルタ見るな
ストラトスって、ラリーで強かったイメージあるけど、よく考えたら他のラリーカーは4ドア4人乗りの『普通のファミリーカー』な訳で、
それを相手に一台だけラリー専用に開発した2人乗りの『スーパーカー』で参戦してるんだから、勝てない方がどうかしてる。
エンジンだって他は1.8~2.0リッター4気筒なのに、ストラトスだけ2.4リッターV6だし。
そもそも、最初からぶっといタイヤ履ける様にボディを作ってあって、他のクルマとは全く違うサイズのタイヤ履いてるし、ある意味、反則技使い放題だった。
しかも、他のメーカーが車両を船で輸送してたのに対し、ストラトスはアリタリア航空をスポンサーに付けて、バンバン空輸してたので、準備期間を長く取れて万全の体制でラリーに挑んでいた。
しかし、余りにもハイパワー&クイックな運動性で、ターマックに的を絞ったクルマだったから、ダートでは扱い辛くて、ダートが大半のサファリラリーでは一度も勝てなかった。
そもそも、レギュレーションを満たす500台弱しか作っておらず、いくらラリーで勝っても、全く車両販売に結び付かず、少しも儲からないので、
親会社のフィアットは、『スーパーカー』のストラトスでラリーをするのをやめ、勝てば販売に結びつく『普通のクルマ』のフィアット131でラリーを戦う事にした。
車好きになってすぐの頃だね。
車名覚えるのにエラく苦労したね。
エヴォって言ったらランサーだろうけど、俺はデルタだったな。
アッカエッフェ インテグラーレ エボルツィオーネ ドゥエ コレツィオーネ エディツィオーネ フィナーレ
これを覚えたのか…
竹野内豊の愛車
地元でデルタS4ストラダーレとすれ違った時は目が点になったな
😊インテグラーレ😮😊
グランツで乗ってると異常なトルクとハンドリング性能で笑えるレベル
デルタs4は最強で最恐なオーラを感じるけど、その後のデルタははっきり言って馬力もデザインもダサい。 他の自動車メーカーが撤退して6年間独り勝ちしたと言うから6年間弱い者と戦って勝ったとしか聞こえない。魅力がいっさい感じない👎、まあグループAのラリーカーはおじさん車をちょっといじった仕様だから200馬力そこそこしかないからつまらない物ばかりやけどね😵