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カローラWRC、海外限定の丸目とワイドなバンパーの組み合わせがすごく格好いいんですよね。98の最終戦マーガムの悲劇、マキネンは当然タイトル落としたと思って帰ろうとしていて空港でチャンピオンになった連絡受けてましたね。あと、モヤがヘルメット叩きつけた瞬間はモデルグラフィックスが掲載作例化してました。
日本では市販化されなかったのが残念でしたねモヤのヘルメット投げつけの模型ですが自分も同号のモデルグラフィックス所有しております(^^)/
@@channelKariki顔面だけなら、カリブロッソって名前で日本でも売ってました
@@phoenix-2827 それは知りませんでしたΣ(・□・;)
当時、エプコットのVHSと山海堂のラリーエクスプレスを片手に毎戦追いかけてました。現役最終年から四半世紀も経ったとは、早いものですね。
当時小学生の当方ですがこの時代のマシンが好きですね
@@channelKariki 現行のラリー1もいいですけど、市販車の面影が強い当時のWRカーは浪漫があって自分も好きです。
97年後半2戦にテスト参戦、98年から本格復帰のその時点で、既に内々でワークスとしてのラリー参戦は99年限り、2000年からF1転向が決定事項だった由。対外的な公式表明は99年半ばだったけどね。98年シーズンはボディ側面のイベントご当地カラーリングも話題になった。因みにトヨタがFIAに掛け合って実現した「同一メーカー内エンジン流用と25度後傾搭載可」の恩恵に預かったのがプジョー206WRカー。
オベ・アンダーソンは以前からカローラに2000ccエンジンの搭載モデルを懇願していたけどWRカー規定 になってからようやく念願が叶ったということですね。因みに自分は今も老兵ST205に乗っています。
オベ・アンダーソン氏自身が第一号車完成セレモニー時に「夢が叶った」とスピーチしてました。動画はこちら(15:21あたりからスピーチ)です↓th-cam.com/video/TKDPrUCUp4k/w-d-xo.htmlsi=kbxlNx0CggHAIMTC
カローラWRC、最高ーっ!👊🤩👍✨ちなみにこの丸目の顔は、当時輸出専用モデルになっていたカローラFXのものだったが、後に姉妹車のカリブ「ロッソ」に採用されて国内でも見られるように、、、、、ただ、あんまり似合ってなかったような😅
一応顔つきでは国内モデルにも採用されていたんですね、当時で今で言うGRがあったらなぁ...
僅か2年ちょいのワークス活動とは対象的に、プライベートユーザーが登場後10年ちかくに渡って使用していたのが印象深い「WRカー規定」が1997年から2010年まで大きく変わらなかったのが大きいけど、積極的にラリーカービジネスを展開しようとしていたTTE(トヨタチームヨーロッパ)の努力の賜物か?ちなみに、藤本選手が乗っていた1998年ラリーオーストラリア仕様のミニカーを15年いじょう机の上に飾ってます
自分の知る範囲で10年近くプライベーターで使っていた車両はカローラぐらいしか出てこなかったですね自分は藤本選手のTEIN仕様のプラモデル持ってはいるので、いつか作ろうかなと思っている次第ですw
当時外観だけでも真似た市販バージョン出してくれれば本気で買ったかもしれないけど欧州モデルだったからか結局出なかった。結局同じくらい好きなインプレッサを買ったのでした。
当時のTTE、今でいうGRのようなブランドがあったら市販化も夢ではなかったかもしれないですねインプレッサは当時も今でも自分ではWRCの象徴みたいな感じでした
お買い物FF3ドアハッチバックベース4WDターボが今でも続いてるんよなぁ
GRになって再び黄金期を取り戻しましたね
ラリーXの表紙をみるまで優勝がわからなかった時代でした。
今よりもワークスチームが多かったから読めないところはありましたね😅
@@channelKariki 結果から2週間たったラリーXが最新情報だったのです。笑 それくらいマイナーでした。
セリカで不正なんかやってないで、サッサとカローラに変更していれば良かったのに。
ワークスのTTEはベース車が当時セリカのみだったようで97年のWRカー規定が無かったら参戦終了かもと言われていたそうです
TTEはずっとカローラ辺りの大きさでやりたがってたけど、トヨタの意向でセリカ縛りだったのよ。
@@たけのうちかつひさ なるほど、チームとメーカーの意見がちょっと違っていたんですね
横から失礼TTEはこれ以前からカローラの2L化を望んでいた模様しかしホモロゲ取得の為にベースとなる市販車の量産と販売が必要になりセールス上の観点から下のランクの車に上のランクの車のエンジンを積むのにトヨタ本体が難色を示した為に実現しなかったそういう意味では新規定はTTEの悲願とも言える
今のラリー1、2はグループBみたいでこれはこれでかっこええけどやっぱグループAやWRカー初期やF2キットかー時代が一番かっこええな・・・
WRカーなんで中身はすでに別物でしたけどまだ見た目は今のと比べると市販車に近い外観でしたね
ベースになったカローラハッチバックは、ターボも4WDも無いものの、国内のレビン・トレノと同じ車両形式AE111でテンロクでリッター100馬力を超えたホットモデルで、国内でも欲しい人いたろう思うんだけど、トヨタは国内ガン無視でちょっと残念。
カローラWRC(残り数百メートルの悲劇)TS050(残り3分の悲劇)GRスープラGT500(カローラの悲劇再び)どうして悲劇はいつも目前で起こるのか...トヨタが何をしたというんだ。
それだけ神が非情かつ残酷だという事……
トヨタはチャンピオン目前でという事が多いですよね…ゴール直前ではないですが、94年のル・マンでも首位走行からトラブルで滑り落ちましたし…
他社のクルマパクったり、(wishとか20プリウスはホンダのパクリ具合が酷かった…)今回のダイハツの不正(子会社とはいい…)、OEM供給してもらっておいて(86やスープラ)いいとこだけ取ってってあたかも自分のモノのように扱ってきたバツ何じゃないかと思います…(すいません…トヨタ嫌いです…)
勝利の女神様といろいろ反りが合わないんでしょう。よく有る「性格の不一致」てやつだよ。94年ルマンじゃ普通は壊れる所じゃないシフトリンケージが壊れたし、98年オーストラリアもよもやまさかのコンロッド品質不良だし、2014年だったかのルマンはハイブリッド配線のカプラー不良によるショート……あれ?…単に品質管理の不備?
しかしトヨタの現地EUでの人気度は凄まじいもので、95年欠場が決まった最終戦RACラリーでは観客が半分以下になってしまいました。そこでFIAは非公式にトヨタへ打診します。「チームリーダー(オベ・アンダーソン氏)を最高責任者として一時解雇にするかたちにすれば、翌年ワークス参戦を認める」という提案。だが典型的日本企業であるトヨタ本社はその提案に乗りませんでした。止むなくFIAは、96年シーズンにワークスTTEがサテライトチームへセミワークス的支援を黙認していたということです(TTEは97年は途中参加でしたが、これまた非公式にFIAから開幕参加へ向けてハッパをかけられていたとか)。
詳細な解説ありがとうございます。FIAも観客が減るという危機的状況に焦った故のTTEワークス支援黙認だったんですねファンがいてのモータースポーツですね
藤本吉郎さん セリカだと一本橋に感じた道がカローラでは高速並みに感じた
それだけの違いがあったとは…
スバルのWRカーは97年からじゃね?
ご指摘の通りで、WRカーは97年からの投入でした間違えてすみません。
COROLLAWRCのフロント部分スプリンターカリブ(AE111)の顔になってましたね、(この時のWRCのロゴ今でも好きだね、😊)
カローラWRC、海外限定の丸目とワイドなバンパーの組み合わせがすごく格好いいんですよね。
98の最終戦マーガムの悲劇、マキネンは当然タイトル落としたと思って帰ろうとしていて空港でチャンピオンになった連絡受けてましたね。
あと、モヤがヘルメット叩きつけた瞬間はモデルグラフィックスが掲載作例化してました。
日本では市販化されなかったのが残念でしたね
モヤのヘルメット投げつけの模型ですが
自分も同号のモデルグラフィックス所有
しております(^^)/
@@channelKariki顔面だけなら、カリブロッソって名前で日本でも売ってました
@@phoenix-2827 それは知りませんでしたΣ(・□・;)
当時、エプコットのVHSと山海堂のラリーエクスプレスを片手に毎戦追いかけてました。現役最終年から四半世紀も経ったとは、早いものですね。
当時小学生の当方ですが
この時代のマシンが好きですね
@@channelKariki 現行のラリー1もいいですけど、市販車の面影が強い当時のWRカーは浪漫があって自分も好きです。
97年後半2戦にテスト参戦、98年から本格復帰のその時点で、既に内々でワークスとしてのラリー参戦は99年限り、2000年からF1転向が決定事項だった由。対外的な公式表明は99年半ばだったけどね。98年シーズンはボディ側面のイベントご当地カラーリングも話題になった。
因みにトヨタがFIAに掛け合って実現した「同一メーカー内エンジン流用と25度後傾搭載可」の恩恵に預かったのがプジョー206WRカー。
オベ・アンダーソンは以前からカローラに2000ccエンジンの搭載モデルを懇願していたけどWRカー規定 になってからようやく念願が叶ったということですね。因みに自分は今も老兵ST205に乗っています。
オベ・アンダーソン氏自身が第一号車完成セレモニー時に「夢が叶った」とスピーチしてました。
動画はこちら(15:21あたりからスピーチ)です↓
th-cam.com/video/TKDPrUCUp4k/w-d-xo.htmlsi=kbxlNx0CggHAIMTC
カローラWRC、最高ーっ!👊🤩👍✨
ちなみにこの丸目の顔は、当時輸出専用モデルになっていたカローラFXのものだったが、後に姉妹車のカリブ「ロッソ」に採用されて国内でも見られるように、、、、、ただ、あんまり似合ってなかったような😅
一応顔つきでは国内モデルにも
採用されていたんですね、当時で
今で言うGRがあったらなぁ...
僅か2年ちょいのワークス活動とは対象的に、プライベートユーザーが登場後10年ちかくに渡って使用していたのが印象深い
「WRカー規定」が1997年から2010年まで大きく変わらなかったのが大きいけど、積極的にラリーカービジネスを展開しようとしていたTTE(トヨタチームヨーロッパ)の努力の賜物か?
ちなみに、藤本選手が乗っていた1998年ラリーオーストラリア仕様のミニカーを15年いじょう机の上に飾ってます
自分の知る範囲で10年近くプライベーターで
使っていた車両はカローラぐらいしか
出てこなかったですね
自分は藤本選手のTEIN仕様のプラモデル
持ってはいるので、いつか作ろうかなと
思っている次第ですw
当時外観だけでも真似た市販バージョン出してくれれば本気で買ったかもしれないけど欧州モデルだったからか結局出なかった。
結局同じくらい好きなインプレッサを買ったのでした。
当時のTTE、今でいうGRのようなブランドがあったら
市販化も夢ではなかったかもしれないですね
インプレッサは当時も今でも自分では
WRCの象徴みたいな感じでした
お買い物FF3ドアハッチバックベース4WDターボが今でも続いてるんよなぁ
GRになって再び黄金期を取り戻しましたね
ラリーXの表紙をみるまで優勝がわからなかった時代でした。
今よりもワークスチームが多かったから
読めないところはありましたね😅
@@channelKariki 結果から2週間たったラリーXが最新情報だったのです。笑 それくらいマイナーでした。
セリカで不正なんかやってないで、サッサとカローラに変更していれば良かったのに。
ワークスのTTEはベース車が当時セリカのみだったようで
97年のWRカー規定が無かったら参戦終了かもと言われていたそうです
TTEはずっとカローラ辺りの大きさでやりたがってたけど、トヨタの意向でセリカ縛りだったのよ。
@@たけのうちかつひさ なるほど、チームとメーカーの意見がちょっと違っていたんですね
横から失礼
TTEはこれ以前からカローラの2L化を望んでいた模様
しかしホモロゲ取得の為にベースとなる市販車の量産と販売が必要になり
セールス上の観点から下のランクの車に上のランクの車のエンジンを積むのに
トヨタ本体が難色を示した為に実現しなかった
そういう意味では新規定はTTEの悲願とも言える
今のラリー1、2はグループBみたいでこれはこれでかっこええけど
やっぱグループAやWRカー初期やF2キットかー時代が一番かっこええな・・・
WRカーなんで中身はすでに別物でしたけど
まだ見た目は今のと比べると市販車に近い
外観でしたね
ベースになったカローラハッチバックは、ターボも4WDも無いものの、国内のレビン・トレノと同じ車両形式AE111でテンロクでリッター100馬力を超えたホットモデルで、国内でも欲しい人いたろう思うんだけど、トヨタは国内ガン無視でちょっと残念。
カローラWRC(残り数百メートルの悲劇)
TS050(残り3分の悲劇)
GRスープラGT500(カローラの悲劇再び)
どうして悲劇はいつも目前で起こるのか...トヨタが何をしたというんだ。
それだけ神が非情かつ残酷だという事……
トヨタはチャンピオン目前でという事が多いですよね…ゴール直前ではないですが、94年のル・マンでも首位走行からトラブルで滑り落ちましたし…
他社のクルマパクったり、(wishとか20プリウスはホンダのパクリ具合が酷かった…)今回のダイハツの不正(子会社とはいい…)、OEM供給してもらっておいて(86やスープラ)いいとこだけ取ってってあたかも自分のモノのように扱ってきたバツ何じゃないかと思います…(すいません…トヨタ嫌いです…)
勝利の女神様といろいろ反りが合わないんでしょう。よく有る「性格の不一致」てやつだよ。94年ルマンじゃ普通は壊れる所じゃないシフトリンケージが壊れたし、98年オーストラリアもよもやまさかのコンロッド品質不良だし、2014年だったかのルマンはハイブリッド配線のカプラー不良によるショート……あれ?…単に品質管理の不備?
しかしトヨタの現地EUでの人気度は凄まじいもので、95年欠場が決まった最終戦RACラリーでは観客が半分以下になってしまいました。
そこでFIAは非公式にトヨタへ打診します。
「チームリーダー(オベ・アンダーソン氏)を最高責任者として一時解雇にするかたちにすれば、翌年ワークス参戦を認める」という提案。
だが典型的日本企業であるトヨタ本社はその提案に乗りませんでした。
止むなくFIAは、96年シーズンにワークスTTEがサテライトチームへセミワークス的支援を黙認していたということです(TTEは97年は途中参加でしたが、これまた非公式にFIAから開幕参加へ向けてハッパをかけられていたとか)。
詳細な解説ありがとうございます。
FIAも観客が減るという危機的状況に
焦った故のTTEワークス支援黙認だったんですね
ファンがいてのモータースポーツですね
藤本吉郎さん セリカだと一本橋に感じた道がカローラでは高速並みに感じた
それだけの違いがあったとは…
スバルのWRカーは97年からじゃね?
ご指摘の通りで、WRカーは97年からの投入でした
間違えてすみません。
COROLLAWRCのフロント部分スプリンターカリブ(AE111)の顔になってましたね、(この時のWRCのロゴ今でも好きだね、😊)