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うまく言えないけれど純粋にHSPとしての性質を持っている人は、HSPであることを開示することによって周りから面倒だと思われたり扱いが難しいと思われることも不安に思うから「HSPで繊細なので気を遣ってください」みたいには言えないのではないかな?とも思っていました
そうですね。HSPの方は、”気を遣ってください”なんて強気なこと、絶対言えないです。相手やその場の環境に合わせます。
劣勢は劣勢に過ぎない というのは、やはりそうなんだなと思いました自分はいじめられた経験で ずいぶん歪んでしまいました。でも 「いじめる側にならなくてよかった、いじめられなかったら わからない痛みを知れた」などなど色々 自分を奮い立たせてきましたが普通の人より生きにくいことに沢山ぶつかりつい最近 観念しました「やっぱり 嫌な経験だったな」と。この認識になってから「苦しんでる人を救いたい」とか「きもちをわかってあげたい」とか思い上がりも甚だしい 私には無理だった 現に1人も救ってないや カウンセラーでもないし と 諦めがつきましたそうすると ボロボロな自分に目が向きまずは自分を救わなきゃ と今はこの辺にいますよくなるといいな 自分。と思います
全く同じ状況です笑今は気持ちは整理出来ましたか??
まずは自分を救わなきゃ わかります。
私もHSPに該当する性格ですが、「HSP」というのは自分の取説を知るためのもので、他人に自身の取説通りの扱いを要求するためのものではないというのが私なりの考えです。劣性は劣性でしかないというのは本当に同意で、妙にポジティブな言い方に変えられても当事者にとっては?という感覚でした。「繊細さんは優しい」というのも私には違和感のある説で、むしろ合理的に切り捨てていかないと自分がパンクすることを理解しているので「冷淡」のほうがしっくりきます。
0:14 何回聞いてもおはようございまそって言ってて元気出た
何年も前にHSPという言葉が出始めた頃は書籍を読んで救われたし自分と向き合うきっかけになったので良かったです。ただその後乱用されるようになってからはうんざり。あくまで自分の中で消化する問題であって周りに言いふらしたりするものではないですよね。
私も、HSPという言葉が出始めた頃は、今までの生きづらさの理由がわかってすごく救われたし、環境を変えるきっかけをもらいました。自分がHSPかもって思うのは良いのですが、その後にそれを盾にするのではなく、生き難くなるものを回避する手段であるとして使うものだと思います。
だから私に優しくしてほしい、特別扱いして欲しいという思いはなかったのですが、今それに悩んでいるということを話すために自分はhspかもしれないということを友達に伝えてしまいましたが、今とても反省しています。人に伝えるべきことではなかったなと。
@@pho7422 悩み事として話しただけなら何も問題ないと思いますけど何かに悩んで愚痴をこぼすとか人に相談するとかって普通のことですよ優しさの強要をしたわけじゃないしそれをどう受け取るかは友達の問題です後悔することないと思います
短所は長所の裏返しではなく、短所は短所として受容しなければならないときがある。本当にその通りだと思います
神回!!!HSPというものに対して感じていた違和感の正体が明らかになりました。そして「不運や不幸、劣性なものというのはそのまま受け入れなければならない」という言葉に苦味を感じつつも納得しました。先生の現実主義的な態度にハッとさせられます。
「本当に障害や苦しみというのはその裏には長所があるのか」というところで涙が出ました。ビジネスなんかに使われるような軽々しいものではなく、本当に障害はただ苦しいです。腹が立ちます。真実を言ってくださってありがとうございます。
最近目にしやすい「繊細さん」って言い方がモヤッとくるんですよね。「劣性とか不幸,不運はそのままの存在として受け入れなきゃいけない」というところがしっくりときました。
HSPはあくまでも「ストレス耐性が低いことにより、環境に左右されて適応障害になりやすい人」であり、その環境や原因を特定して対策しないと本当の解決にはつながりませんね。
本当にそう思います私も
とてもいい動画でした。確かに私もHSPという名に自分が当てはまった時、救われる思いがしましたが、それは長く持続するものではなく、受け入れ難い苦しみは何も変わりませんでした。私が益田先生を信頼しているのは、都合のいい、救われる"ようにみえる"こと、それは心を取り扱ったビジネスや宗教や、スピリチュアル業界に対しても感じていましたが、そういうことではなく、この動画ではっきり言ってくださっているようなところです。いつも本当にありがとうございます。
HSPの概念で一番救われたのは、気質だから治ることはないとハッキリ認知できたことですねじゃないと自分の努力とか考え方のせいと思ってしまって苦しんでる人多いと思うのであー体質のせいで過敏に反応が出てるだけだなと認識できるようになって、かなり捉え方が楽になりました
興味深く動画拝見しました。私はHSS型HSPについての本を読んだら、自分に当てはまっていて腑に落ちました。病気ではなくて性質だから、「なるほど。世の中の大多数と私の思考は違っているんだ。少数派として、良い意味で諦めよう」と考えました。・自分のことを大勢に理解してもらう必要はない。大切な人たちが理解してくれたら、少ない人間関係でも十分。・可能であれば、なるべく早く、合わない場所や人からはそっと離れればいい。もし私の考えが人間として劣っていると思う人がいても、それはその人の問題。長年、一生懸命、大多数の思考に寄せようと頑張ってきたけど、疲れ果てて無理だから、開き直りました。「私はHSPだから、〇〇してよ!」なんて言うつもりはないし、そんなふうに言っている人がいたら、引いちゃいます。自分でも「私って厄介な性質だな」と思いつつ、そんな私をありのまま受け入れてくれる夫や友人に感謝しています。
HSPという素質を持つ人がたまたま精神疾患になったら治療すれば良いってだけの話なので、妙に関連させようとする必要はないって感じてます。HSPっていう概念自体にはとても救われた。自分が周りと比べておかしいと思って、自分の性格や態度や行動を変えることでしか社会に順応出来ないと思ってたけど、それだけじゃないと思えた。ある場面では思ってるより鈍感で良いこと、繊細を活かすことを覚えた。HSPは受け身なだけではなく、積極的に情報や刺激を受け取ってしまう要素もある。みんなが気づかないことにも気づいていることはよくある。どちらかと言うとそっちの方が苦しいと思う時がある。人より疲れやすいのは明らかだから。
僕自身がHSPであると言うことに気づくきっかけは「鈍感な世界に生きる敏感な人たち」という本と出合ってからでした。本書を読んで思ったことは、HSPだと他人にそう吹聴して気を遣ってもらうためにそう言うのではなく自分の性質として理解して無理なく社会で生きるにはどうすればいいのか、その能力の活用を考える。これに尽きると思います。現実では自分自身がHSPだと絶対に言えないですし、そうしいたビジネスができている事にも驚いています。
HSP当事者だけど、一番の功罪はHSPを繊細さんと言い換えたことだと思う。元々は体質的に光や音、触覚などセンサーなどの感覚受容器の感度が他の人より高い人のことであって、そういう特性があると閾値も低くなりやすいから他の人と同じ環境にいても思考が過剰に働いたり、刺激過多になって疲れやすかったりするよねーっ話だったのが、繊細さんって言葉から単純に心理的に感じやすく影響を受けやすい人って解釈されだしてから、そこに救いを求めるような人が増えたように思う。HSPはあくまでもsensitiveなのであって、delicateやfragileじゃないのに、繊細という日本語を都合良く解釈してる人が多い気がする。最後の部分の先生の言葉には共感する。ラベリングってある側面からそのことを知るための道しるべになるけど、そのラベルがそのことの全てを指し示すものにはなり得ないから、HSPに限らず、自分を知る為のスタートにするには有益だけど、それを結論やゴールに使うとこじらせるだけになる気がする。
不幸は不幸、劣性なものは劣性と言ってくださった方がとてもありがたいです。幸せが感じられる人、生きることが当たり前な人に、こんな長所があるよ幸せがあるよなんて言われると良いように言いくるめられて反発する気持ち、怒りというか哀しみというか、どうしようもない絶望感を感じます。ないものはないんです。このような話を繰り返し伝えて頂きたいです。
すごく納得しました。自分の生きづらさはHSPのせいかもしれないと思っていたけど、いざ心療内科に行ったら全くそうではありませんでした。簡単に何かの病名がつくわけでもなく、カウンセリングやCBTを通して自分の生き方から見直していく、とんでもなくきつい作業になることを知りました。それでも生きやすくなりたいと願うなら、頑張ってみる価値はあると思います。
なんできつい作業なの?
わたしはアーロン博士の本を読みHSPの特徴に当てはまって救われたというより、生きづらさを受け入れて進む勇気が出ました。なんというか「生きづらい…」ではなく、「生きづれぇぇええうおお」って感じです。笑HSPだから配慮して欲しい、やHSPなので人の心がわかる、は傲慢だなと思います。なぜか「感受性豊か=優しい」という式が日本では強く、また、元々非言語コミュニケーションに長けた文化であることもHSPビジネスを加速させる要因かと思います。感受性の豊かさが必要とされるアーティストやクリエイターなど全員優しいことになってしまいますが、そんなことないですよね。(私はクリエイティブ職ですが、そんなことないです本当に)そもそも何が優しいかは人や場面によって変わりますが一緒くたにされてる感じがあります。。傷ついて誰かに柔らかく自分のことを受け止めてもらいたいとき、HSPカウンセラーの言葉は心地いいのかもしれません。
先生の解説本当にわかりやすいです…!自分の選択は間違ってなかったと安心できました。自分はHSPという概念に出会って、web診断をやってみたら当てはまり、「そうか!私はこれだったんだ!やっとわかった!救われた!」と泣くほど安心しました。そしてその日は一日中HSP関連のネット記事や動画、ツイートをたくさん見て「私は落ちこぼれじゃなかったんだ。同じように感じてる人はたくさんいるんだ。そして、特異な才能のある人間だったんだ。」と先生が言うように自己肯定感が爆上がりしました(笑)しかしそのうち、ほとんどものが有料セミナーとか、有料コンテンツとかへ誘導していることに気が付き「なんか変だな…」と違和感を覚え、よく調べたらそれらのコンテンツで言われてるHSPは本来のHPSという概念の在り方とは違うものだと分かり、HSPビジネスというものが存在することを知りました(笑)ガッカリしましたけど、逆にこんなカンタンに騙されそうになるほど自分は今辛いんだ、救われたいんだと自認することができ、ちゃんとした医者に行く決心が出来ました。わたしのHSPブームは1日で終わりましたけど、医者に行く決心をさせてくれたことには感謝しています(笑)
「ただの劣勢」と言う言葉でむしろ救われた気持ちです。私にとって過敏な感覚は辛いものでしかなく、むしろ長所だよと言われることは苦痛でした😢長所を悪く捉える自分が悪いのかと思ってしまいましたが、そうではなく苦しいものだと理解してもらえたようで救われました。ありがとうございます🙇♀️
リアリストですね。薄ぺらい欺瞞ではなく絶望的であっても真実へと向かおうとすることが重要なのですね。参考になります。
HSPは当人だけでなくて、家族や恋人など周囲も気を使いすぎて疲れてたりします。HSP的な特性を劣性ではなく、強みや能力として捉えて「私は他人の気持ちがわかりすぎるから傷つく。傷つくのは私ではなく、相手の言動のせいだ」という思考になってしまうと、しばし周囲の努力を否定する態度に繋がり、最終的にその人の周りには誰も残らない..ということも起こり得ます。繊細さんの本などでは、HSPは他者を思いやる優しい人とされていますが、どちらかというとHSPを称する人は自分の気持ちに敏感で、相手の顔色をよく見ているので疲れやすく、相手の気持ちや幸せを考える余裕のない人がそれなりにいる印象です。幼少期に虐待等のトラウマがあり、大人の顔色を伺い生き延びるしかなかった人には本当に残酷な話ですが、「他人の顔色を伺う・他人からどう思われるかを気にする」人は気持ちのベクトルが自分に向きがちという点で、結果として優しい行動をすることは多々あるとしても、一旦相手との関係が拗れると、相手に対して心無い対応をしてしまう傾向にあると思います。自分が相手からどのように思われようと、相手に優しくできるのが本当の思いやりです。
特に家族や恋人など関係が長期に渡る場合、些細なことをきっかけに、気まずい関係になることは普通です。ですが、所謂HSPの方々は、そうなった際のリカバリが相手頼みになりがちなのではと思います。なぜなら、自分が相手からどう思われているかの不安でいっぱいで、相手の気持ちを思いやる余力が足りないためです。なので、相手側も譲歩できないとなった場合などは、そのまま関係が破綻してしまう傾向にあると思います。
すごい、、、自分がなんとなく言語化できていなかったモヤモヤが晴れました!
全員筋トレすれば解決
仰ってるような人は正にHSPと称する人であって本当のHSPでは無いと思います。実際のHSPは基本他人軸です。自分の事しか考えていないなどと言う事は有り得ません。常に自分を押し殺す事しか出来ない。なので、そういう自称HSPがたくさん居るのは本当に困りますね。そもそもHSPが「私はHSPなんだから理解してよ、優しくしてよ」などと思うはずも言うはずもないですから。残念な事だなぁと思います。
幼い頃からずっと学校に行けず、人が苦手で原因が分からない不安を持ってる自分にとって「HSP」という物を知った時、得体の知れない不安が枠にハマったようでとてもスッキリしましたが、知った所でただの生まれつきの性質でしか無くて、精神科にかかる事も出来ずに対処法も見つからず、HSPという枠にはめられただけでずっと不安は続いている自分にとって、この動画はとても腑に落ちました、HSPじゃなくてもっと深い所に他の精神病や発達障害が隠れているのかもな〜と思い、ずっと行けずにいた精神科の受診を決めました!
大学で臨床心理を専攻していました。10年前にHSPをテーマに卒論を書こうと思っていたのですが、教授からOKが出ず、結局別のテーマで卒論を書きました。今となっては、何故教授がOKを出してくれなかったのか理解できます。
生きづらさの裏にはなにか特別な才能があるんだ、という思い込みにずーーーっとすがってましたね…今は目が覚めてよかったと本当に思っています。
HSPなる言葉は存在権を得たようで心地良かったです。モヤモヤした劣等感が消え感情として満たされました。でも先生の動画を何度も拝見しているうちに論理的に考える練習、メタ認知を理解し始めました。辛い場面でどう考えたらよいか、苦手な論理によって救われるようになって来ました。確かに自分を知ることは痛いです。もっと楽に生きられるよう自分を再生していきます。ありがとうございます。
ドクターの言語化能力が凄すぎます。HSPの人の生きづらさを受け止めつつ、悪徳ビジネスに巻き込まれないように誘導してくれています。HSPという言葉で救われたと思っている人も多くいるだろうと思います。その中で自分の劣性を認めることができない人も多くいるだろうと思います。確かに宗教のようだなと思います。社会についての知識を得ることの重要さを感じました。
自分も人の顔色への敏感さ、音・光・においなど環境への過敏さに悩みHSPという言葉にすがり、敏感故に人の心に寄り添えると思っていました。実際精神科での診断はうつ、不安障害でした。自分の都合の良いものでなく、しっかり専門医の診断と治療が必要だと改めて思いました。今回の益田先生の動画もとても勉強になりました。
このテーマを取り上げていただいてありがたかったですし、納得のいく内容でした。前半の「HSPだから慮ってくれという主張をする人達がいるがために、精神疾患で本当に困っている人達まで同じように扱ってしまう」というのは、完全同意です。仕事でマネジメントをしている際に合理的配慮を実践していたのですが、要求がエスカレートしていく人がいて、その人が主張していたのが”HSP”でした。その人は益田さんの動画を持ち出して、「私の提案を実行しなければ、あなたは差別しているという事だ」などと、ある意味恫喝してきました(笑)その人は通院していなかったので、私からすると要求を受け入れる理由が無く却下していましたが、同じようなケースで困っている管理職や人事部門の人達は多いのではないかと推察します。クレーマーのような人達の振る舞いによって、通院をして診断書をもらった本当に困っている人達が受けるべき”合理的配慮”を受けにくい状況に陥ってしまう事は避けたいですが、日常業務に忙殺されている管理職が客観的に仕分けをしながら運用していくのは負担が重いよなぁとも思います。
ずっと生きづらさを感じてるなかで、HSPを知り、当てはまる所があるものの対処方法が腑に落ちない所がありました。そのあと、うつ状態になって、初めは適応障害と言われましたがカウンセリングを続けてると、トラウマが原因と言われこの生きづらさは幼少期の環境が大きく影響してる事に納得、腑に落ちました。
HSPビジネスは悪でもHSPという言葉は悪じゃないと思う。社会が精神医学に興味を持ち始めた兆候のように感じます。
HSPと言う言葉が独り歩きしているとは思いますが、やはり名前をつけてもらえたことに安堵した人はたくさんいると思います。「だってだれも助けてくれなかったじゃないか!」です。ただ先生が仰っていることが本質なんだろうと思います。今までさんざん踏み潰されてきた心を、その耳障りのよい言葉に寄り掛かりながら、本質的な治療に取り組む。そんな風にうまく取り入れられないものかと思いました。HSP関連の本でも精神医学から実践的な対処法方などを教えてくれる本などは助けになっています。HSPという言葉の陰で見ないようにしていた部分が理解でき、勉強になりました。ありがとうございました。
学生の頃はHSPに当てはまるような子どもでした。たくさんのトラウマや苦しいことをひとつずつ乗り越えて、気にはなるけど気にしないようにするすべを身につけて生きてきました。誰も助けてくれない。自分は苦しいと思っているうちは苦しいですが、これが何かの役に立つと思い直して、受け入れて、周りにありがとうが言えるようになり、今は元気に生きていきます。環境を変えるのは本当に大事だったんだと思いました。ありがとうございます。
私はHSPという概念を知ったことで、己の弱点や欠点を客観的に理解し、それを踏まえて今後の振る舞い方・生き方・日々の対処法を前向きに考えられるようになりました。そのため、(先生のお考えに反するかもしれませんが)私はHSP概念そのものは悪だとは思っていません。ただ、HSPインフルエンサーの発信する内容・対処法については、あくまで参考程度・ヒント集程度にしかとらえていません。(人によって合う合わないがありますし、自分には当てはまらないこともありますからね)彼らの発信内容を受けて「自分ならこうするかな」「Aという部分は採用。でも、Bの部分については私は別のやり方をしたい」と自分で考えを整理することはありますが。努力である程度なんとかできる弱点・欠点にはしっかり対処しますし、(これはHSPに限らずですが)克服困難な弱点に囚われるより強みを生かしたほうがいい場合については、強みに注目することを優先させます。HSPを理由に甘えたり可能性を放棄したりすることはナンセンスですし、そういう人達がHSPビジネスのカモになるのかもしれませんね。ただ、己のHSPに該当する弱点・欠点をよく理解し、向き合い、うまく付き合うことで、前より主体的に生きやすくなるパターンもありますので(私がそうです)、どんな道具も概念も「使い方・捉え方次第」なのかなと、私は考えます😌素人が精神科の先生に生意気言って申し訳ございませんでした。ただ、こうやって前向きにHSP概念をうまく利用している人間もいるのだということを知っていただけると嬉しいです(^-^)
HSPや「繊細さん」という言葉がメディアで一人歩きするようになってからずっと感じていた違和感や嫌悪感は自覚していたので、益田先生の動画でこうして解説してくださって本当にありがたいです。ネットで見る、いわゆる「ファッションADHD」も同様ですが、「私もそうかも・"生きづらい"のかも」と思わせる人口を増やすことで、生活に支障をきたすレベルで困っている・苦しんでいる人たちのことを矮小化しているように私も思います。私はADHDと診断されて2年ほど経ちますが、ちょうどその頃から「繊細さん」ブームがきていて、それが向かい風のように感じていました。今もそうですが……図書館や本屋で繊細さん系の本を見かけるたびに眉間に皺が寄ってしまいます。一度立ち読みしたら、「そんなんで気が楽になったら苦労しないわ!」とつっこみたくなるような小手先の対処法が羅列されていて笑ってしまいそうでした
凄くよく分かります…そういう本に書いてあるのって「気にしすぎない」「気分転換」みたいな対処法ばかりですよね。それができないから困ってるのに…
HSP・HSCの言葉に救われた人はたくさんいるとは思います。不登校の子供たちがどんどん増えているなかで、我が家もですが苦しんでいる親子にとっては、発達障害よりもだんぜん響きはいいですからね。ただ生きづらさは変わらないし、二次障害の鬱や不安障害になりやすく一生付き合っていくことになる覚悟は持っていないといけないですよね。WISC-Ⅳを受けても凹凸はあるもののはっきりと発達障害の診断はしてもらえず。嗅覚過敏や制服の締め付けがダメだったり、学校に行きたくても行けずにこんなに苦しんでいるのになと思います。発達障害の診断基準がいまいちよくわからないです。
私は、家族機能障害のある家に育ったので(父が怖くて家に居場所がなかった)ので、つねにびくびくし、ご機嫌をうかがう生活を30年してきました。要は、環境、育ちのせいでこんなに敏感なのだと思っています。HSPということばを知った時、自分のことだと即思いました。うれしくも思いました。しかし、最近そんな病名はないということを知って、気になっていました。この動画を見ていろいろな問題を知ることができました。ありがとうございました。
劣性って断言してもらって、カウンター喰らいましたけど、そうですね。確かに劣性かな…。それを認めて、その先ですよね。
「繊細さん」って言葉なんだか嫌いだったんだけど、なんでか考えてみたら「外人さん」とか「お隣さん」みたいに、主体的に捉えず「お互い厄介ごとが起きないように距離をとりたいものですね」という意思を感じるからなのでした。特に身近な人から言われたら残念。
動画内でしか益田先生の事はわかりませんが、先生の人柄が素敵です。とても誠実なのが伝わります。
先生の言ってることは、心が苦しいけど、そうなんだな、と納得します。虐待を受けてきた立場として、劣性や不運や不幸をそのまま受け入れるのはとても苦しいです。ましてや先生のような立場の人にはっきり言われるのはツラいです。ずっと不幸の理由を探して、不運なのは何か意味があったと思いたかった。でも何の意味もなかった。ただ不運だっただけ。この動画で納得して、少し涙が出ました。HSPをビジネスで扱うのは、それを受け入れられずにカモにされる悪循環なんだと思いました。
何もかも腑に落ちる事だらけでした。HSPという言葉を知る前はこの生きづらさは何なんだろうと思いながら生きてきて、HSPというものを知った時、「これだ!」と思いました。ですが、HSPや繊細さんというものが本やメディアで多く取り上げられるようになり、「HSPは才能」「HSPは強み」などという発信を見るたびに違和感と軽く憤りに近い感情になってきました。まさしく「綺麗事でまとめるな」そんな気持ちになりました。病気ではなく生まれ持った気質だから治るものではないという謎の概念に悩まされ、その上才能だの長所だの強みだの言われて、そこを活かせないから苦しんでるのに…と、ずっと釈然としないまま過ごしていました。HSPビジネスのお話も、全くその通りだと思います。HSPの本も何冊か読みましたが、自分の中で腑に落ちる内容のものは一冊もありませんでした。その場しのぎの対処法なんて知っても何の解決にもならないからです。医学的にHSPというものを掘り下げていただいて、初めて腑に落ちました。
増田先生が怒りを感じているのは、HSPの概念に対してというより、その概念を金儲けに利用している事や、そこに巻き込まれている人がいる状況にですかね。HSPは、ただの特性であって治療されるものではないと思います。その特性によって引き起こされた2次障害は治療が必要だと思いますが、HSP自体は病気じゃないです。そういう性質の人がいるんだなと、理解しやすいように示されたもの。まわりも、腫れ物にさわるような対応しなくていいし、当事者も特別意識もたず、淡々と自己理解に励めばいいだけです。
@@かの-k5o 私も全く同感です。ただの性質。私は体質があれば気質もあります。自身HSPですが、ここのコメント見ても、人それぞれご自分に対する受け止め方が違うと言うか。どうか、自分を傷付ける受け止め方はしないで欲しいです。何しろ、過敏なのですから。自分が過敏な人なんだ、と自覚することは問題解決や、安心に繋がると考えています。ただ、最初に知る時の印象がマイナスイメージにならないのが理想かな、と。そして、今回改めて確認出来ました。HSPでない人にHSPの説明はムリ(笑)😆
その2次障害が起きる確率が高いから問題視されてるんでしょ。
精神医学の歴史の中で、HSPというものが医学用語として捉えられてこなかったことには、それなりの理由がある…というのがとても腑に落ちる言葉でした。でも、取っつきやすい情報で「自分はHSPなんでしょうか?」と言う患者さんに、「そんなものは医学用語にない」「病気じゃない」と言うばかりで、症状の本質を上手に説明できない、診られないお医者"様"もいると聞くことも。自分を理解する、というのが、なによりの治療なんだと思いました。とてもいい動画です。
25年程前に、図書館でアーロン博士の著書を読み私の事が書いてある!と感動しHSPなんだ、と理解しましたが人生はそんなに甘いものではなく劣性に向き合わず無理して生きてきた結果、うつ病とパニック障害を併発し18年になります…。過去は変えられませんがもっと早く、10代の頃から精神科に通院する知識があればと思う時があります。今回の動画は心の底から納得のいくものでした。ありがとうございます✨
まさに聞きたかったお話です。そうそう!と思いながら見ました。私自身、HSPという概念を知り、救われた気にもなりました。が、「繊細さん」という表現には少し違和感。そして、その響きからか、それに対する偏見や心無い言葉を目にする機会も増えました。自分自身が心身の状態によって敏感さはだいぶ変わるなぁとも感じていました。「自分はHSPだから…」とコメントする方の中には、悩みの本質はそこじゃないのではと思われる方もちらほら…。そんなさまざまな違和感を、ズバッと斬ってくれるような説明でした。すごいです。
普段の医師業務もある中でこのような活動をして下さってありがとうございます。患者さんやネットの人達からのいろんな意見が浴びせられる中で、このような勇気ある活動を活発に続けることは、決して楽なことではない筈です。命を削って人や社会に貢献される先生の姿勢に胸が熱くなりました。お身体に気をつけてください。
HSPの気質には私自身にも当てはまる特徴がたくさんあり、自分の生きづらさは自分だけの苦しみではなかったのだととても救われたような気持ちになりました。それと同時に、たとえこの気質を表す言葉があっても他人に伝えて理解してもらえる保証ができたわけではなく現状は変わらないという落胆と、「HSPは才能でもある」という内容に全く共感できず、「そんな風に考えを変えれたら私は今こんなに苦しくないはず」と違和感のようなものも感じていました。この動画で益田先生が「物語性」と表した内容がまさにそのことだったので、自分が感じていた違和感は間違いではなかったと思うことができました。ありがとうございます。
私は小学生の頃から生きづらさを感じていました。中学、高校で未遂を経験し、自分で自分を理解したいと思い精神保健を学ぶために精神保健福祉士の資格を取りました。学び、実務を重ねればこそ、精神福祉の支援の責任の重さを感じます。それなのに、浅はかにビジネスのために人の弱みにつけいる人たちがいることを知り強い憤りを感じます。病名がつくことによる免責感に救われる人のこころを利用しているんですね…。この動画が多くのひとの目に触れ、大きくのひとが当たり前に正しい知識を持ってくれるといいなと思いました。
「鈍い人も鋭い人もいて、それは実体験を通して分かりますよね」と仰っていましたが、私はまさにそこが分からないまま生きてきて苦しんでいましたそこでHSPというものを知って、「人って、みんな同じ感覚で生きてるわけじゃないんだ!」とやっと知れましたそれがHSPという言葉に出会って良かったことですずっと自分を神経質な人間だとマイナスに捉えていたけど、単に感覚が鋭いだけなんだな〜と自分に合う環境を選べるようになりましたあとは、子どもの頃に親との関係で深く傷ついていたことも発見できたのも良かったです私も過剰なビジネス風潮が嫌で、自分でその言葉は使わないし、今こうして文字としてHSPと書くのもモヤッとする…
HSPのビジネス臭を感じていたので凄く納得しました。本当に苦しんでいる人を混乱させてしまうような感じでモヤっとします。こんなふうに過敏な自分を当てはめられやすいのがHSPの罠なんだろうなと感じました。自己診断で精神疾患を分類出来るなら医者いらずになりますね。とても危険だと思いました。
お話は分かったのですが、先生がHSP的な人ではないからこそ理解出来ていない部分もあるように感じました。例えば「絶対音感」を持ってる人は確かに存在していて、でもそれって“治療”なんて出来ないですよね?それを長所ととらえて音楽関係の道に進めば確かにいいけど全員がそうなるわけではなく、普通のサラリーマンになったら“劣性”であり邪魔なものになるわけです。当人は自分と向き合い、絶対音感があるなかでどうやって普通の生活をしていくか模索していくしかない。もし薬で感覚を鈍くすることが出来るなら楽になるかもしれないけど、病気ではないので薬は出ないですよね?HSPに当てはまる人の中には、とくに鬱でも不安症でもないので医者にかからない人もいると思います。でも人と違うのはなんとなく感じている。私はHSPを知って良かったと思うし、同時に治療出来るものではないと分かったので自分がどういうふうに生きていくのがいいのかを模索しやすくなったと思います。ただ、確かに「もっと丁寧に扱えよ!」みたいに主張するのは間違ってるとも思います。この動画では悪いビジネスがあることを知れて良かったです。先生もなんとか患者さんに寄り添おうという気持ちを持って下さっているのは分かったのでとても有り難いと思いました。
去年、色々あってメンタルがやられていた時にHSPという言葉に出会いました。自分はHSPじゃないと思っていましたが、調べれば調べるほど自分の状況に当てはまっていたのでHSPと確信しました。そこからHSPと思い込み、不安感や憂鬱な気分が増しました。自分は普通の人に比べて劣っているんだと落ち込みました。しかし、同時に自分はHSPで人より繊細で傷つきやすいから特別扱いしてほしいと思っていたのかな、とモヤモヤしました。一時期、SNSのグループに参加していましたが、HSPを理由に不幸自慢大会?のようなことをして、お互いに慰め合っていました。結論、HSPという言葉に出会う前の方が幸せでだったと思います。幸い、私の場合はお金を失うことはありませんでしたが、もっとリテラシー能力を身につけようと思いました。結局は、HSPという言葉に縋ることで自分の弱さや欠点を肯定し、みんなに特別扱いされたり優しくしてほしいだけだったんですね。私は強い人間になりたいです。
HSPって概念が知られる事で「気にし過ぎだから気にしなくていいのに」から「気になってしまう人」に変わったら自分としては楽。感受性って十人十色と思うからHSPと言われる人同士でも理解し合えるかどうか疑問に思うし、感受性が強いから芸術やカウンセリングができるとは思えないかな絵の素晴らしさを理解して凄く感動したとしても描けと言われたら別問題な感じで。
17:10 プロの方がこれを言ってくれてめちゃくちゃ救われたヤバい。
HSPの人は人の気持ちに気づいてあげられる優しい人とか、SNSに書かれている事にすごく違和感があったので、先生の解説でスッキリしました。私自身、音、匂い、光など人より敏感です。 育った環境も良くなかったのでいろんな意味で生きづらいです。一般的に言われているHSP気質は当てはまると思いますが、そんな単純ではないとずっと思っていました。受け入れられやすい情報ではなく、正しい情報が周知されて欲しいです。
HSPに限らず、当事者だから寄り添えると謳うカウンセラーはいつも胡散臭いなと思ってしまいます。もちろん当事者で良いカウンセラーの人もいると思いますが、当事者であることを売りにしているカウンセラーは自分と同じやり方で他の人の問題も解決できると信じてその方法に固執したり、うまく行かないと患者のせいにし始めたりして本当に危険なことがある気がします…。逆に「助けてあげたい」気持ちが強すぎて患者側が潰れてしまったりとか(経験談)。障害受容、自分を客観的に見て受け入れるってすごく難しいです。自分は大人になってからASDの診断が出たのですが、未だに医師を騙してしまったのではないか、誤診だったのではないかなどと考えてしまいます。障害の一部、たとえばコミュ障な部分が根強くトラウマになっていて、障害が向き合おうとすればするほどトラウマによってどんどん苦しくなってしまうという症例は良くありますか?発達障害+トラウマというテーマでお話も聞いてみたいです!
「劣勢なものは劣勢」とおっしゃっていただき、モヤモヤしていた気分がスッキリしましたね。「こういう短所は実は長所なんです。」と聞いても自分では「そうは言われても•••」と感じていましたので。
発達障害・感覚過敏と診断された後になってからHSPという言葉を知った私は、創造的な仕事がやりたいという願望もあって、HSPだったらいいなあというバイアスに乗せられて幾度かカウンセリングや当事者会に参加した経験があります。そこで行われていたことは「苦しみは一旦置いておいて、隠し続けてきた自分らしさを話しましょう」という具合で、自己紹介の場で助かりたくてここに来たと言ったら「回復を求める論調は程々にしましょう」と言われて、違和感があったのを覚えています。彼らの言葉を借りれば「繊細さんは個性を伸ばせば幸せになれる」はずなのに、実態としては「○○が好き」などと言いあうだけで、一時的には楽になるかもしれませんが、幸せに繋がるものだとは感じませんでした。 益田先生の言う物語性というのは本当に甘美な響きで、まさに言ってほしいことを言ってくれるようでした。別動画でそういうのって信頼できないよねと言っていたことも踏まえて、やはり騙されたがっていたのだと、今では思います。 益田先生の考える「短所は単独で存在し、長所と表裏一体とは限らない」という理論も、腑に落ちます。現実は残酷かもしれませんが、それでも少しでも良くなるように奮闘する医師もいると思えば、それこそが救いなのかもしれません。 長文失礼しました。
先生怒りマークついてる😮
この動画を見て救われたと思う人がいるのか不思議。私の場合、自分が何で苦しいのかに名前があった、それがHSPという感じでした。それのビジネス的な要素には確かに、どうなんかなぁ?という思いがあってそれらには一切関わったことがないけれど。自分の性格がこのようなものだからしんどいのか、という確認が取れただけで心が楽になった人も多いと思う。HSPの才能的部分については、それはどうだろう?という疑念を持っていたので同意します。しかし、HSP的な生きづらさを感じている人たちを今の日本の精神医学界が救ってくれるかというとそうではない現実。だからこそ、そういうビジネスが生まれる素地があると思う。薬を処方して「様子を見ましょう」で終わる医者(実体験)より、高額な費用がかかっても親身に話を聞いてもらえる(のかな?)方に流れる気持ちはわかります。
騙す領域まですすめてしまっているような問題への指摘、本当に助かります。短所は短所、受け止める、踏まえて生きる、といったことに改めてハッとしました。先生の患者さんを想う姿勢、感動しました。🥲
初めてコメントをします。自分はHSPを知り、同じように生きづらさを感じている人が2割もいるんだと安心しました。それから特性を整理することができ、自分にとって苦手な状況、心地いい状況を自覚し、今は環境作りをしようと考えています。転職活動中です。HSPという大雑把な括りに埋もれてしまった医学的疾患に基づく治療を受けたほうが良いのかもしれません。ですが、自分の場合は、精神的負荷は人よりきっと多いですが、社会生活に支障が出ていない(例えば、オフィスなどで人目があると物凄く緊張しストレスとなりどっと疲労するが倒れたり動けなくなる程ではなく、パフォーマンスは落ちるものの業務の成果としては問題がない等)、と捉えています。自己判断なので医療従事者の方が診てどう判断するかは分かりません。もし病院に掛かって疾患が無いと判断されたとき、その受け皿として感覚処理感受性で分類された名前があることは、やはり安心すると思います。ビジネスとして悪い構造に組み込まれるのは本当に問題だと思います。一方で、自分は病院に掛かるべきなのか、息のしやすい環境をどこまで優先させるべきかなど、未だに迷いを抱いてしまいます。
HSPがあたかも医学用語のような広まり方をしているのは自分も気になっているところでした。その上で過剰に察しや気遣いを求める日本社会全体の病も感じていました。日本社会が求めているのは「繊細に気遣ったり察する能力は高いが明るくてメンタルは超タフな人」です(そんな無茶な🤔?!)。その枠にうまく入れなかったり窮屈に感じてる人があまりにも多いということだと思います。要は病気や宗教には忌避感があるけどHSPという曖昧な枠によって自分の中の落としどころをつけてる人が多いと思います。ただ繊細さと同時に鈍感さを併せ持つのがよくあることで、繊細さを主張する人に別の人が鬱憤をためたりみんなが「自分ばかり我慢してる!もっと自分に配慮してほしい」とひしめき合ってる状態です。そして自業自得に見える人や和を乱す人に過剰に攻撃的になったり嘲笑的になったりします。個人的な話だと「普通の枠」で生きることをやめてからすごく楽になったんです。プライベートの時間に無理に人づきあいをしようとしません。社会で良しとされる枠組みに無理して入ろうとしません。ところで人間ひとりひとりは精神科医などが診てくれますが、社会を治療してくれるものはなんなのでしょうか。人によっては政治だと、いや、宗教だ、芸術だと言うと思います。虚礼廃止、欲しいものは欲しいとはっきり要求するを習慣付けたらよくなるでしょうか。社会の病に病名をつけて治してくれるお医者さんがいたらいいなあって思います。日本社会の病に名前をつけるとしたら「気遣いぐるぐる巻き症候群」。結局自分達で自分達の首をしめている状態ですが、みんなの中のわがままで自由な気持ちが悲鳴をあげているんだと思います。「明るさ」が絶対正義とされる社会に不適合を感じて悩んできましたが少しくらい暗くても病んでいても良いと思います。
「あなたは特別です!」・・・これ、危ないキャッチコピーです。
以前から書籍やWeb等、HSPに関して情報収集しすぎて、食傷気味になり、現在は遠ざかっています。とはいえ無視できないほどの過敏体質なので、服薬、行動療法等適切な対処の仕方が必要です。周囲の人に、この生きづらさを理解していただけると本当に嬉しいですね。
不幸は不幸、という言葉がすごく腑に落ちたし刺さるものがありました。わたしもHSPという概念に出会って今までの生きにくさが少しクリアに見えるようになったと感じたり、つらい気持ちが続いて体調も崩れてきたときにうつ病の自己診断を調べてみたり、なにか名前をつけてわかりたいと思ってしまいます。でも定義に満たないグレーゾーンにあるときも苦しいものは苦しいし、素人がそう簡単に解析していけるものではないなぁと思います。この間読んだ本で、青木省三さんの「僕のこころを病名で呼ばないで」の内容に感銘を受けました。個人的に、考えさせられることがたくさんあったのでおすすめです。今もまたちょっとしんどい期間が続いていますがなんとか頑張らなければと思っています…自分の操縦むずかしい
言っておられることに納得しました。腑に落ちました。私も自閉スペクトラム症がありますが、突出した才能なんて一つも無いので、障害があってよかった、って思ったことないです。障害や病気は無いに越したことはないんです…。
正しい情報と、もっと他人にも優しい人達で溢れる世界になってほしいです。
HSPカウンセラーとか怪しいものが、その怪しさに気づかない&しかも苦しんでる人達にビジネスとして広まってる事をモヤモヤしていたので、先生が動画で取り上げて頂いてとても嬉しかったです✨ありがとうございます☺️
HSPが流行した背景には、従来のうつや不安障害までには該当しないけれども、どことなく生きづらさを抱えている人たちにうまくフィットする概念だったからではないでしょうか?ただ、物語性のところはおっしゃる通りで、変な意味付けは不要というか、本当に解決策を探している人にとってはむしろ治療を遅らせることにもなりかねないなと思いました。
私は子どもの時から明るいおてんば娘タイプな反面、感受性が強く、若い頃は生きづらさを抱えていました。「こんなやわな自分がこの世の中生きていけるのだろうか」と。しかし、二十歳前後で親しい人や親の死という辛い体験をなんとか乗り越えたり、自身が親となったことでぶつかる壁を乗り越えるうちに、だんだん強くなってきました。今でも涙もろかったり考えすぎたり、持って生まれた性格により辛さを感じることはあります。でも今は自分だけでなく、人は誰でもそれぞれ何かしらと戦っているのだと理解しているので大丈夫です。重要なのはメタ認知。そして『世の中わからないことだらけ、全てを知ることはできない(でもそれでいい)』と現実を飲み込めることだと思います。私もHSPを初めて知った時はコレは!と思ったけど、なんとなく納得いかないところも多かったので、大変参考になりました。素晴らしい動画をありがとうございました!
HSPという言葉が広まりはじめ、調べてみると自分にめちゃくちゃ当てはまったので自分が持つ性質だったんだな〜と信じてしまっていましたが、この動画を見て目からウロコが落ちました🐟小学生〜大学3年生ぐらいまで人が怖すぎて、、、でも普通に振る舞おうとしてしんどかったな〜。人は人・自分は自分、誰かが怒っているのも誰かの自由、私は自分の良心に従って生きていれば自分を責める必要はない!こんなに沢山の人間がいるんだから、自分と合わない人がいるのなんか当たり前!と自分に言い聞かせているうちに、だいぶハッピーに生きられるようになりました。今は必要以上に周りのことを考え過ぎないようにシャットアウトする脳内機能も完備しています。当時は認知の歪みとかもあったんだろうな〜。また先生の動画を見て勉強させていただきます!
医師の方がこのように発信いただけることの重要性を改めて実感しています。いつもありがとうございます。
長所、短所は独立しているということに、心が楽になったし、自分に向き合い易くなった気がします。ありがとうございました。
みんな簡単なことが好きなので、楽が好きなので、考えることが好きな人があまりいないせいだと思います。
先生は言い難い事を医師として一生懸命伝えて下さっていて、有難いと感じました。
とても良い内容でした☺️
子どもが繊細ちゃんで、子どもの研究の一貫でお話を聞きました。繊細さんという一括りにしてしまうのではなく、他の要素もちゃんと見てやってここを乗り越えていく手助けをしていこうと思います。介護人なので本当の病気や障害を背負った人たちは救いなんかない、というのにはすごく共感しました。
数年前HSPにハマってました。自分なりに心理学の本を読んだりして違和感に気付いて良かったと今は思います。HSP流行るのは、生きづらさにがんのステージみたいな評価が無いことに原因があるんだと思います。ちゃんとした精神科には行きましたが、知的レベルは平均以上だしASD傾向はあっても働けているから『問題ない』と診断され…傷付きました。実際に問題が無いのかどうかは自分でも分かりません。辛さって数値化できないですから。今は、皆無理してるんだから私も無理しなきゃと思ってます。患者さんに合わせて新しいカテゴライズを作るような創造性って話は共感するものがありましたが、実際の精神科は既にある教科書通りの『発達障害っぽさ』を評価して診断書にして認可する作業みたいに思えました。それから外れた中途半端な人間は甘えてるだけなのかなって。なんとなく不安〜とかじゃだめで、本格的に鬱病が悪化しないとだめなんでしょうかね。難しいです。
言葉選びから話し方、説明してくださる内容まで凄く聞きやすかったですし見てて楽しかったです根本的には自分の長所になりやすい部分と短所になりやすい部分両方しっかり向き合っていくことが大事だと思いますのでこれからの人生しっかり考えていきたいです。
劣性を劣性として認める…きっついなあ。(高額なお金を使うんじゃなければ) HSPだと思ってたほうがまだ人生に希望が持てるってくらい厳しい話。実際には医療や福祉は助けてくれないし。
個人的にはこのHSPという分類には感謝しています。お陰で良い意味でコミュニケーションを諦めることができました。今までは誰だって性格が違っても共通認識はあるのだから、少し工夫すれば理解し合えると思い苦慮してきました。でも実際は思考や行動の傾向が違うということが、自分の物差しが他人に全く通用しないことにもつながり、コミュニケーションが成立しないケースも珍しくないと結論付けられて楽になりました。これからも分かり合うことに躍起になることから少しずつ脱却していきたいです。
聴覚過敏で苦痛でしたが、疾病とは別のものと分かったことは重要でした。長所と短所は裏表ではないと始めて聞きました。救われます。
初めてHSPという言葉を知った時、自分の思考癖や過去の失敗の答え合わせができてすごく楽になりました。生き方のヒントも得られました。また、身近な家族や友人に「HSPっていうのがあるんだって」と伝えることによって自分の事を理解してもらえたらなぁと思っていました。だけどコメント欄を見ていると、自分でHSPと言う人はHSPじゃない!という意見も多く、私はただのかまってちゃんだったのかな、本当のHSPは自分で言ったりしないんだなぁ、周りに伝えたのは間違いだったと後悔してしまいました…😢そう考えたらどんどん落ち込んで考え過ぎてしまい、楽になったはずのHSPという言葉がつらく思えてきました。最近見たDaiGoさんの動画でも迷惑な最悪なナルシストがいる、とあって…私はそれに該当するのかと思ったら恥ずかしいやら情けないやら…。生きるって難しいなぁ。人と関わるのが怖くなりました。
劣性は劣性でしかないに深く共感です。感受性豊かな人の方が小さな幸せに気づきやすいとかメリットも言われているけども、生きづらさのデメリットの方がはるかに大きい。最近やたらと○○カウンセラーとか流行っているけど惑わされずにいきたい。
神回ですね。鬱を受け入れずに、副作用で太る薬を辞めたいと思ってましたが、病名にこだわらずしっかり向き合ってくれる今のお医者さんに改めて感謝してます。医療従事者になるためにいい経験をできたから前向いていこうね、切り替えなさいとか言われて、すごく学校の先生に不満を持っていました。前向きに捉えれるに越したことはないですが、人の気持ちに寄り添えれたところで自分の鬱がすぐ治るわけではないので、自分がムッとした理由がわかった気がします。障害を前向きに才能と捉えさせるのではなく、しっかり受け止めて寄り添って治療を支えれる医療従事者になりたいです。
自己分析や内観すること、それはただ一つの作業でしかなくて、自分の価値に直接影響するものではないのだとわかるまでに何年かかっただろうか、と考えながら観ていました。食い物にされたなあ、と思う過去もありますが、きっとそれもまた自分の糧になったよね、とかのんき過ぎるな、私(猛省)生きづらさの原因を個人に課し過ぎてしまっているのが現代なのかな、と思う部分はあります。それと比例して人の苦しみを錬金術のようにする存在も増える。優しくされたいですよね、皆。だけどお金で買う優しさは偽物でしかない。みんな少しずつでも、心から笑える時間があればいいな、って甘ちゃんな私は思う。有意義な動画ありがとうございます。先生も少しは休んでおくれですヾ(。・д・。)
「物語性」は、宗教でもよくありますね。「〜信者だけは終末がきても救われる」「今苦しいのは神からの試練」みたいな。
結構辛辣というか、ハッキリものを言われた感じはしたけどすごく納得した。耳が痛くなったのは多分図星だから。事実を真っ直ぐ伝えてくれるとこちらも頑張ろうという気になる。すごくいい動画
しんどいので、動画は再生せず、概要欄から文字で読みました。文字の方が私は楽なんだなぁというのが新しい発見でした。他にも見たい動画がたくさん溜まっているので、文字の方で少しずつ消化していきたいと思います。文字起こし、大変な作業だとは思いますが、これからも続けていただけるとうれしいです。
この動画を見て、書店に並んでいるhsp関連の本を立ち読みしても一切腑に落ちなかった理由が分かりました。内容が薄い上に「hspは神からのプレゼントです」のようなよく分からないことばかり書かれていました。だったらこんなに辛い思いしてないよと思っていたので、これからは正しい情報なのかを考えていきたいです!
双極症、解離、PTSDの診断を持つ者です。益田先生いつも勉強になる内容をありがとうございます。時折考えるのが、障害の定義とは?ということです。障害についてもHSPについても「概念」や「統計」、疾患マニュアルで定義されている部分が大きいのだとは思うのですが、精神障害の診断はあくまでも、ある程度資本主義が成り立ち民主的側面から見たものなのだろうとも個人的に考えています。社会情勢が大きく変化したり、異なる文化・民族の中では障害が障害と定義づけられない場合もあるのではと。障害の受容をしつつ、学びを深める日々です。資本主義社会で生きていると、最後に自分を救えるのは自分自身だと骨身に沁みます。劣勢である障害というものが、なぜ淘汰されず今まで産まれて生きているのか、何か理由があるのではないかとも考えたりします。とびきり生きやすいとはならない日々ですが、命があり朝を迎えられることに感謝していたいと思います。
短所=才能ではない、それならこんなに苦しんでない、短所は短所として受け入れること、の話のところで涙が止まらなくなりました。今まで、「そういう時あるよね〜私も繊細さんかも」と言われると、「障害と診断されている自分の方が本当に辛いんだ」と思いました。でもそうやって自分を特別視するのは傲慢では、と葛藤していました。益田先生がひどいことを言われているとは感じません。逆に、「自分は本当に苦しいのだ」と思っていいのだと、救われました。
40代半ばです。小学生高学年あたりから、すべからく繊細敏感で困りながら生きています。自分は障害者と健常者のボーダーにいるのではないか?と思っていました。HSPという言葉を知ったのは2年程前で、自分はこれだと思いました。なぜなら、繊細なところがメンタルだけではないからです。HSPは精神面ばかり着目されますが、五感の殆どが病的までいかない程度に人より敏感です。目、耳、皮膚、舌、圧迫などなど。精神面だけは対処方法を自分で習得してきたこともあり、大人になるほど楽になってきました。対象を広げてビジネス化しているというの、めちゃくちゃ納得いきます。なんか4種類くらいHSPの種類がありますけど、それ自体ビジネス化の一つだと思います。カテゴライズして、体系化し、学問化すると稼げますからね。HSPのメリットがあるとすれば、自分が敏感だからこそ、相手の状況を敏感に気付いてあげられる事。例えば「あの人あの角度だと眩しいだろうから、カーテン閉めてあげよう。」とか。自分自身へのメリットはゼロです(笑)
HSPに対して何でみんなこんな怒りや敵意をぶつけてるんだろう?ってHSPの本読んで普通に感動した自分はずっと疑問だったんですけど、HSPビジネスの話聞いてやーっと納得出来ました!物語性だとかカウンセラーとか薬とか僕の読んだHSPの本には載って無かったです。溜まった情報のガス抜きとか感覚の近い人の見つけ方、タスクのこなし方とか自分にドンピシャで役立つ、自分の人生に吸収できそうなものばかりでした。結局、みんな同じ本を読んでいるわけでは無い(なんならネット記事やwebサイト、切り抜き動画でHSPを知った人も多いと思う)から話が噛み合わないっていう最近のネットあるある問題に落ち着くんですよね
「HSPさんは辛いことも多いけど、その分長所もたくさんあるよ。HSPの偉人もたくさんいるよ」というHSP関連の動画やwebサイトを見ても、「長所のプラスより辛いことのマイナスの方が断然多いよな……」と思って辛くなってました…。
安易に「HSPである自分」を受け入れてしまうことによって、せっかく心理学・精神医学によって改善する可能性があるのにフタをしてしまっている人が多いのではないかと心配しています。
劣性は劣性であることを踏まえて生きるという事の重さと大切さを改めて考えました。自分はパニック症状と自律神経の乱れやすさ、感情コントロールの苦手さに自覚がありながら、どうしたらいいのか分からず過ごしていました。繊細・神経質と言われるだけ言われ、理解や肯定はないのが現実です。短所は短所で向き合っていくものであると言ってくれる方がいるとありがたいなと思いました。普通になることはむずかしいので、自分なりに着地点を探して生きたいです。劣性な部分が目立ち社会に出るのも怖いままですが、ぷるぷる震えながらもゆっくり前進していけたらなと思い直しました。自分は人と深く関わるのはだめなんだ、とやけになっていたので、このタイミングで見ることができて良かったです。
うまく言えないけれど純粋にHSPとしての性質を持っている人は、HSPであることを開示することによって周りから面倒だと思われたり扱いが難しいと思われることも不安に思うから「HSPで繊細なので気を遣ってください」みたいには言えないのではないかな?とも思っていました
そうですね。HSPの方は、”気を遣ってください”なんて強気なこと、絶対言えないです。相手やその場の環境に合わせます。
劣勢は劣勢に過ぎない というのは、
やはりそうなんだなと思いました
自分はいじめられた経験で ずいぶん歪んでしまいました。
でも 「いじめる側にならなくてよかった、いじめられなかったら わからない痛みを知れた」などなど
色々 自分を奮い立たせてきましたが
普通の人より生きにくいことに沢山ぶつかり
つい最近 観念しました
「やっぱり 嫌な経験だったな」と。
この認識になってから
「苦しんでる人を救いたい」とか
「きもちをわかってあげたい」とか
思い上がりも甚だしい 私には無理だった 現に1人も救ってないや カウンセラーでもないし と 諦めがつきました
そうすると ボロボロな自分に目が向き
まずは自分を救わなきゃ と
今はこの辺にいます
よくなるといいな 自分。と思います
全く同じ状況です笑今は気持ちは整理出来ましたか??
まずは自分を救わなきゃ わかります。
私もHSPに該当する性格ですが、「HSP」というのは自分の取説を知るためのもので、他人に自身の取説通りの扱いを要求するためのものではないというのが私なりの考えです。劣性は劣性でしかないというのは本当に同意で、妙にポジティブな言い方に変えられても当事者にとっては?という感覚でした。「繊細さんは優しい」というのも私には違和感のある説で、むしろ合理的に切り捨てていかないと自分がパンクすることを理解しているので「冷淡」のほうがしっくりきます。
0:14 何回聞いてもおはようございまそって言ってて元気出た
何年も前にHSPという言葉が出始めた頃は書籍を読んで救われたし自分と向き合うきっかけになったので良かったです。ただその後乱用されるようになってからはうんざり。あくまで自分の中で消化する問題であって周りに言いふらしたりするものではないですよね。
私も、HSPという言葉が出始めた頃は、今までの生きづらさの理由がわかってすごく救われたし、環境を変えるきっかけをもらいました。
自分がHSPかもって思うのは良いのですが、その後にそれを盾にするのではなく、生き難くなるものを回避する手段であるとして使うものだと思います。
だから私に優しくしてほしい、特別扱いして欲しいという思いはなかったのですが、今それに悩んでいるということを話すために自分はhspかもしれないということを友達に伝えてしまいましたが、今とても反省しています。人に伝えるべきことではなかったなと。
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悩み事として話しただけなら何も問題ないと思いますけど
何かに悩んで愚痴をこぼすとか人に相談するとかって普通のことですよ
優しさの強要をしたわけじゃないし
それをどう受け取るかは友達の問題です
後悔することないと思います
短所は長所の裏返しではなく、短所は短所として受容しなければならないときがある。本当にその通りだと思います
神回!!!
HSPというものに対して感じていた違和感の正体が明らかになりました。
そして「不運や不幸、劣性なものというのはそのまま受け入れなければならない」という言葉に苦味を感じつつも納得しました。先生の現実主義的な態度にハッとさせられます。
「本当に障害や苦しみというのはその裏には長所があるのか」というところで涙が出ました。
ビジネスなんかに使われるような軽々しいものではなく、本当に障害はただ苦しいです。
腹が立ちます。
真実を言ってくださってありがとうございます。
最近目にしやすい「繊細さん」って言い方がモヤッとくるんですよね。
「劣性とか不幸,不運はそのままの存在として受け入れなきゃいけない」というところがしっくりときました。
HSPはあくまでも「ストレス耐性が低いことにより、環境に左右されて適応障害になりやすい人」であり、その環境や原因を特定して対策しないと本当の解決にはつながりませんね。
本当にそう思います私も
とてもいい動画でした。確かに私もHSPという名に自分が当てはまった時、救われる思いがしましたが、それは長く持続するものではなく、受け入れ難い苦しみは何も変わりませんでした。私が益田先生を信頼しているのは、都合のいい、救われる"ようにみえる"こと、それは心を取り扱ったビジネスや宗教や、スピリチュアル業界に対しても感じていましたが、そういうことではなく、この動画ではっきり言ってくださっているようなところです。
いつも本当にありがとうございます。
HSPの概念で一番救われたのは、気質だから治ることはないとハッキリ認知できたことですね
じゃないと自分の努力とか考え方のせいと思ってしまって苦しんでる人多いと思うので
あー体質のせいで過敏に反応が出てるだけだなと認識できるようになって、かなり捉え方が楽になりました
興味深く動画拝見しました。
私はHSS型HSPについての本を読んだら、自分に当てはまっていて腑に落ちました。
病気ではなくて性質だから、
「なるほど。世の中の大多数と私の思考は違っているんだ。少数派として、良い意味で諦めよう」と考えました。
・自分のことを大勢に理解してもらう必要はない。
大切な人たちが理解してくれたら、少ない人間関係でも十分。
・可能であれば、なるべく早く、合わない場所や人からはそっと離れればいい。
もし私の考えが人間として劣っていると思う人がいても、それはその人の問題。
長年、一生懸命、大多数の思考に寄せようと頑張ってきたけど、疲れ果てて無理だから、開き直りました。
「私はHSPだから、〇〇してよ!」なんて言うつもりはないし、そんなふうに言っている人がいたら、引いちゃいます。
自分でも「私って厄介な性質だな」と思いつつ、そんな私をありのまま受け入れてくれる夫や友人に感謝しています。
HSPという素質を持つ人がたまたま精神疾患になったら治療すれば良いってだけの話なので、妙に関連させようとする必要はないって感じてます。
HSPっていう概念自体にはとても救われた。自分が周りと比べておかしいと思って、自分の性格や態度や行動を変えることでしか社会に順応出来ないと思ってたけど、それだけじゃないと思えた。
ある場面では思ってるより鈍感で良いこと、繊細を活かすことを覚えた。
HSPは受け身なだけではなく、積極的に情報や刺激を受け取ってしまう要素もある。みんなが気づかないことにも気づいていることはよくある。どちらかと言うとそっちの方が苦しいと思う時がある。人より疲れやすいのは明らかだから。
僕自身がHSPであると言うことに気づくきっかけは「鈍感な世界に生きる敏感な人たち」という本と出合ってからでした。
本書を読んで思ったことは、HSPだと他人にそう吹聴して気を遣ってもらうためにそう言うのではなく
自分の性質として理解して無理なく社会で生きるにはどうすればいいのか、その能力の活用を考える。これに尽きると思います。
現実では自分自身がHSPだと絶対に言えないですし、そうしいたビジネスができている事にも驚いています。
HSP当事者だけど、一番の功罪はHSPを繊細さんと言い換えたことだと思う。
元々は体質的に光や音、触覚などセンサーなどの感覚受容器の感度が他の人より高い人のことであって、そういう特性があると閾値も低くなりやすいから他の人と同じ環境にいても思考が過剰に働いたり、刺激過多になって疲れやすかったりするよねーっ話だったのが、繊細さんって言葉から単純に心理的に感じやすく影響を受けやすい人って解釈されだしてから、そこに救いを求めるような人が増えたように思う。
HSPはあくまでもsensitiveなのであって、delicateやfragileじゃないのに、繊細という日本語を都合良く解釈してる人が多い気がする。
最後の部分の先生の言葉には共感する。
ラベリングってある側面からそのことを知るための道しるべになるけど、そのラベルがそのことの全てを指し示すものにはなり得ないから、HSPに限らず、自分を知る為のスタートにするには有益だけど、それを結論やゴールに使うとこじらせるだけになる気がする。
不幸は不幸、劣性なものは劣性と言ってくださった方がとてもありがたいです。
幸せが感じられる人、生きることが当たり前な人に、こんな長所があるよ幸せがあるよなんて言われると良いように言いくるめられて反発する気持ち、怒りというか哀しみというか、どうしようもない絶望感を感じます。
ないものはないんです。
このような話を繰り返し伝えて頂きたいです。
すごく納得しました。自分の生きづらさはHSPのせいかもしれないと思っていたけど、いざ心療内科に行ったら全くそうではありませんでした。簡単に何かの病名がつくわけでもなく、カウンセリングやCBTを通して自分の生き方から見直していく、とんでもなくきつい作業になることを知りました。それでも生きやすくなりたいと願うなら、頑張ってみる価値はあると思います。
なんできつい作業なの?
わたしはアーロン博士の本を読みHSPの特徴に当てはまって救われたというより、生きづらさを受け入れて進む勇気が出ました。
なんというか「生きづらい…」ではなく、「生きづれぇぇええうおお」って感じです。笑
HSPだから配慮して欲しい、やHSPなので人の心がわかる、は傲慢だなと思います。
なぜか「感受性豊か=優しい」という式が日本では強く、また、元々非言語コミュニケーションに長けた文化であることもHSPビジネスを加速させる要因かと思います。
感受性の豊かさが必要とされるアーティストやクリエイターなど全員優しいことになってしまいますが、そんなことないですよね。
(私はクリエイティブ職ですが、そんなことないです本当に)
そもそも何が優しいかは人や場面によって変わりますが一緒くたにされてる感じがあります。。
傷ついて誰かに柔らかく自分のことを受け止めてもらいたいとき、HSPカウンセラーの言葉は心地いいのかもしれません。
先生の解説本当にわかりやすいです…!自分の選択は間違ってなかったと安心できました。
自分はHSPという概念に出会って、web診断をやってみたら当てはまり、「そうか!私はこれだったんだ!やっとわかった!救われた!」と泣くほど安心しました。
そしてその日は一日中HSP関連のネット記事や動画、ツイートをたくさん見て「私は落ちこぼれじゃなかったんだ。同じように感じてる人はたくさんいるんだ。そして、特異な才能のある人間だったんだ。」と先生が言うように自己肯定感が爆上がりしました(笑)
しかしそのうち、ほとんどものが有料セミナーとか、有料コンテンツとかへ誘導していることに気が付き「なんか変だな…」と違和感を覚え、よく調べたらそれらのコンテンツで言われてるHSPは本来のHPSという概念の在り方とは違うものだと分かり、HSPビジネスというものが存在することを知りました(笑)
ガッカリしましたけど、逆にこんなカンタンに騙されそうになるほど自分は今辛いんだ、救われたいんだと自認することができ、ちゃんとした医者に行く決心が出来ました。
わたしのHSPブームは1日で終わりましたけど、医者に行く決心をさせてくれたことには感謝しています(笑)
「ただの劣勢」と言う言葉でむしろ救われた気持ちです。
私にとって過敏な感覚は辛いものでしかなく、むしろ長所だよと言われることは苦痛でした😢
長所を悪く捉える自分が悪いのかと思ってしまいましたが、そうではなく苦しいものだと理解してもらえたようで救われました。
ありがとうございます🙇♀️
リアリストですね。薄ぺらい欺瞞ではなく絶望的であっても真実へと向かおうとすることが重要なのですね。参考になります。
HSPは当人だけでなくて、家族や恋人など周囲も気を使いすぎて疲れてたりします。HSP的な特性を劣性ではなく、強みや能力として捉えて「私は他人の気持ちがわかりすぎるから傷つく。傷つくのは私ではなく、相手の言動のせいだ」という思考になってしまうと、しばし周囲の努力を否定する態度に繋がり、最終的にその人の周りには誰も残らない..ということも起こり得ます。繊細さんの本などでは、HSPは他者を思いやる優しい人とされていますが、どちらかというとHSPを称する人は自分の気持ちに敏感で、相手の顔色をよく見ているので疲れやすく、相手の気持ちや幸せを考える余裕のない人がそれなりにいる印象です。幼少期に虐待等のトラウマがあり、大人の顔色を伺い生き延びるしかなかった人には本当に残酷な話ですが、「他人の顔色を伺う・他人からどう思われるかを気にする」人は気持ちのベクトルが自分に向きがちという点で、結果として優しい行動をすることは多々あるとしても、一旦相手との関係が拗れると、相手に対して心無い対応をしてしまう傾向にあると思います。自分が相手からどのように思われようと、相手に優しくできるのが本当の思いやりです。
特に家族や恋人など関係が長期に渡る場合、些細なことをきっかけに、気まずい関係になることは普通です。ですが、所謂HSPの方々は、そうなった際のリカバリが相手頼みになりがちなのではと思います。なぜなら、自分が相手からどう思われているかの不安でいっぱいで、相手の気持ちを思いやる余力が足りないためです。なので、相手側も譲歩できないとなった場合などは、そのまま関係が破綻してしまう傾向にあると思います。
すごい、、、
自分がなんとなく言語化できていなかったモヤモヤが晴れました!
全員筋トレすれば解決
仰ってるような人は正にHSPと称する人であって本当のHSPでは無いと思います。実際のHSPは基本他人軸です。自分の事しか考えていないなどと言う事は有り得ません。常に自分を押し殺す事しか出来ない。なので、そういう自称HSPがたくさん居るのは本当に困りますね。そもそもHSPが「私はHSPなんだから理解してよ、優しくしてよ」などと思うはずも言うはずもないですから。
残念な事だなぁと思います。
幼い頃からずっと学校に行けず、人が苦手で原因が分からない不安を持ってる自分にとって「HSP」という物を知った時、得体の知れない不安が枠にハマったようでとてもスッキリしましたが、知った所でただの生まれつきの性質でしか無くて、精神科にかかる事も出来ずに対処法も見つからず、HSPという枠にはめられただけでずっと不安は続いている自分にとって、この動画はとても腑に落ちました、HSPじゃなくてもっと深い所に他の精神病や発達障害が隠れているのかもな〜と思い、ずっと行けずにいた精神科の受診を決めました!
大学で臨床心理を専攻していました。10年前にHSPをテーマに卒論を書こうと思っていたのですが、教授からOKが出ず、結局別のテーマで卒論を書きました。今となっては、何故教授がOKを出してくれなかったのか理解できます。
生きづらさの裏にはなにか特別な才能があるんだ、という思い込みにずーーーっとすがってましたね…
今は目が覚めてよかったと本当に思っています。
HSPなる言葉は存在権を得たようで心地良かったです。モヤモヤした劣等感が消え感情として満たされました。でも先生の動画を何度も拝見しているうちに論理的に考える練習、メタ認知を理解し始めました。辛い場面でどう考えたらよいか、苦手な論理によって救われるようになって来ました。確かに自分を知ることは痛いです。もっと楽に生きられるよう自分を再生していきます。ありがとうございます。
ドクターの言語化能力が凄すぎます。HSPの人の生きづらさを受け止めつつ、悪徳ビジネスに巻き込まれないように誘導してくれています。HSPという言葉で救われたと思っている人も多くいるだろうと思います。その中で自分の劣性を認めることができない人も多くいるだろうと思います。確かに宗教のようだなと思います。社会についての知識を得ることの重要さを感じました。
自分も人の顔色への敏感さ、音・光・においなど環境への過敏さに悩みHSPという言葉にすがり、敏感故に人の心に寄り添えると思っていました。実際精神科での診断はうつ、不安障害でした。自分の都合の良いものでなく、しっかり専門医の診断と治療が必要だと改めて思いました。今回の益田先生の動画もとても勉強になりました。
このテーマを取り上げていただいてありがたかったですし、納得のいく内容でした。
前半の「HSPだから慮ってくれという主張をする人達がいるがために、精神疾患で本当に困っている人達まで同じように扱ってしまう」というのは、完全同意です。
仕事でマネジメントをしている際に合理的配慮を実践していたのですが、要求がエスカレートしていく人がいて、その人が主張していたのが”HSP”でした。
その人は益田さんの動画を持ち出して、「私の提案を実行しなければ、あなたは差別しているという事だ」などと、ある意味恫喝してきました(笑)
その人は通院していなかったので、私からすると要求を受け入れる理由が無く却下していましたが、同じようなケースで困っている管理職や人事部門の人達は多いのではないかと推察します。
クレーマーのような人達の振る舞いによって、通院をして診断書をもらった本当に困っている人達が受けるべき”合理的配慮”を受けにくい状況に陥ってしまう事は避けたいですが、日常業務に忙殺されている管理職が客観的に仕分けをしながら運用していくのは負担が重いよなぁとも思います。
ずっと生きづらさを感じてるなかで、HSPを知り、当てはまる所があるものの
対処方法が腑に落ちない所がありました。
そのあと、うつ状態になって、初めは適応障害と言われましたが
カウンセリングを続けてると、トラウマが原因と言われ
この生きづらさは幼少期の環境が大きく影響してる事に納得、腑に落ちました。
HSPビジネスは悪でもHSPという言葉は悪じゃないと思う。
社会が精神医学に興味を持ち始めた兆候のように感じます。
HSPと言う言葉が独り歩きしているとは思いますが、やはり名前をつけてもらえたことに安堵した人はたくさんいると思います。「だってだれも助けてくれなかったじゃないか!」です。ただ先生が仰っていることが本質なんだろうと思います。今までさんざん踏み潰されてきた心を、その耳障りのよい言葉に寄り掛かりながら、本質的な治療に取り組む。そんな風にうまく取り入れられないものかと思いました。HSP関連の本でも精神医学から実践的な対処法方などを教えてくれる本などは助けになっています。HSPという言葉の陰で見ないようにしていた部分が理解でき、勉強になりました。ありがとうございました。
学生の頃はHSPに当てはまるような子どもでした。たくさんのトラウマや苦しいことをひとつずつ乗り越えて、気にはなるけど気にしないようにするすべを身につけて生きてきました。誰も助けてくれない。自分は苦しいと思っているうちは苦しいですが、これが何かの役に立つと思い直して、受け入れて、周りにありがとうが言えるようになり、今は元気に生きていきます。環境を変えるのは本当に大事だったんだと思いました。ありがとうございます。
私はHSPという概念を知ったことで、己の弱点や欠点を客観的に理解し、それを踏まえて今後の振る舞い方・生き方・日々の対処法を前向きに考えられるようになりました。
そのため、(先生のお考えに反するかもしれませんが)私はHSP概念そのものは悪だとは思っていません。
ただ、HSPインフルエンサーの発信する内容・対処法については、あくまで参考程度・ヒント集程度にしかとらえていません。
(人によって合う合わないがありますし、自分には当てはまらないこともありますからね)
彼らの発信内容を受けて「自分ならこうするかな」「Aという部分は採用。でも、Bの部分については私は別のやり方をしたい」と自分で考えを整理することはありますが。
努力である程度なんとかできる弱点・欠点にはしっかり対処しますし、(これはHSPに限らずですが)克服困難な弱点に囚われるより強みを生かしたほうがいい場合については、強みに注目することを優先させます。
HSPを理由に甘えたり可能性を放棄したりすることはナンセンスですし、そういう人達がHSPビジネスのカモになるのかもしれませんね。
ただ、己のHSPに該当する弱点・欠点をよく理解し、向き合い、うまく付き合うことで、前より主体的に生きやすくなるパターンもありますので(私がそうです)、どんな道具も概念も「使い方・捉え方次第」なのかなと、私は考えます😌
素人が精神科の先生に生意気言って申し訳ございませんでした。
ただ、こうやって前向きにHSP概念をうまく利用している人間もいるのだということを知っていただけると嬉しいです(^-^)
HSPや「繊細さん」という言葉がメディアで一人歩きするようになってからずっと感じていた違和感や嫌悪感は自覚していたので、益田先生の動画でこうして解説してくださって本当にありがたいです。
ネットで見る、いわゆる「ファッションADHD」も同様ですが、「私もそうかも・"生きづらい"のかも」と思わせる人口を増やすことで、生活に支障をきたすレベルで困っている・苦しんでいる人たちのことを矮小化しているように私も思います。
私はADHDと診断されて2年ほど経ちますが、ちょうどその頃から「繊細さん」ブームがきていて、それが向かい風のように感じていました。今もそうですが……図書館や本屋で繊細さん系の本を見かけるたびに眉間に皺が寄ってしまいます。
一度立ち読みしたら、「そんなんで気が楽になったら苦労しないわ!」とつっこみたくなるような小手先の対処法が羅列されていて笑ってしまいそうでした
凄くよく分かります…そういう本に書いてあるのって「気にしすぎない」「気分転換」みたいな対処法ばかりですよね。それができないから困ってるのに…
HSP・HSCの言葉に救われた人はたくさんいるとは思います。不登校の子供たちがどんどん増えているなかで、我が家もですが苦しんでいる親子にとっては、発達障害よりもだんぜん響きはいいですからね。ただ生きづらさは変わらないし、二次障害の鬱や不安障害になりやすく一生付き合っていくことになる覚悟は持っていないといけないですよね。WISC-Ⅳを受けても凹凸はあるもののはっきりと発達障害の診断はしてもらえず。嗅覚過敏や制服の締め付けがダメだったり、学校に行きたくても行けずにこんなに苦しんでいるのになと思います。発達障害の診断基準がいまいちよくわからないです。
私は、家族機能障害のある家に育ったので(父が怖くて家に居場所がなかった)ので、つねにびくびくし、
ご機嫌をうかがう生活を30年してきました。要は、環境、育ちのせいでこんなに敏感
なのだと思っています。HSPということばを知った時、自分のことだと即思いました。うれしくも思いました。しかし、最近そんな病名はないということを知って、気になっていました。この動画を見ていろいろな問題を知ることができました。ありがとうございました。
劣性って断言してもらって、カウンター喰らいましたけど、そうですね。確かに劣性かな…。
それを認めて、その先ですよね。
「繊細さん」って言葉なんだか嫌いだったんだけど、なんでか考えてみたら
「外人さん」とか「お隣さん」みたいに、主体的に捉えず「お互い厄介ごとが起きないように距離をとりたいものですね」という意思を感じるからなのでした。特に身近な人から言われたら残念。
動画内でしか益田先生の事はわかりませんが、先生の人柄が素敵です。とても誠実なのが伝わります。
先生の言ってることは、心が苦しいけど、そうなんだな、と納得します。
虐待を受けてきた立場として、劣性や不運や不幸をそのまま受け入れるのはとても苦しいです。ましてや先生のような立場の人にはっきり言われるのはツラいです。
ずっと不幸の理由を探して、不運なのは何か意味があったと思いたかった。
でも何の意味もなかった。
ただ不運だっただけ。
この動画で納得して、少し涙が出ました。
HSPをビジネスで扱うのは、それを受け入れられずにカモにされる悪循環なんだと思いました。
何もかも腑に落ちる事だらけでした。
HSPという言葉を知る前はこの生きづらさは何なんだろうと思いながら生きてきて、HSPというものを知った時、「これだ!」と思いました。
ですが、HSPや繊細さんというものが本やメディアで多く取り上げられるようになり、「HSPは才能」「HSPは強み」などという発信を見るたびに違和感と軽く憤りに近い感情になってきました。まさしく「綺麗事でまとめるな」そんな気持ちになりました。病気ではなく生まれ持った気質だから治るものではないという謎の概念に悩まされ、その上才能だの長所だの強みだの言われて、そこを活かせないから苦しんでるのに…と、ずっと釈然としないまま過ごしていました。HSPビジネスのお話も、全くその通りだと思います。HSPの本も何冊か読みましたが、自分の中で腑に落ちる内容のものは一冊もありませんでした。その場しのぎの対処法なんて知っても何の解決にもならないからです。医学的にHSPというものを掘り下げていただいて、初めて腑に落ちました。
増田先生が怒りを感じているのは、HSPの概念に対してというより、その概念を金儲けに利用している事や、そこに巻き込まれている人がいる状況にですかね。
HSPは、ただの特性であって治療されるものではないと思います。その特性によって引き起こされた2次障害は治療が必要だと思いますが、HSP自体は病気じゃないです。
そういう性質の人がいるんだなと、理解しやすいように示されたもの。まわりも、腫れ物にさわるような対応しなくていいし、当事者も特別意識もたず、淡々と自己理解に励めばいいだけです。
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私も全く同感です。
ただの性質。
私は体質があれば気質もあります。
自身HSPですが、ここのコメント見ても、人それぞれご自分に対する受け止め方が違うと言うか。
どうか、自分を傷付ける受け止め方はしないで欲しいです。
何しろ、過敏なのですから。
自分が過敏な人なんだ、と自覚することは問題解決や、安心に繋がると考えています。
ただ、最初に知る時の印象がマイナスイメージにならないのが理想かな、と。
そして、今回改めて確認出来ました。
HSPでない人にHSPの説明はムリ(笑)😆
その2次障害が起きる確率が高いから問題視されてるんでしょ。
精神医学の歴史の中で、HSPというものが医学用語として捉えられてこなかったことには、それなりの理由がある…というのがとても腑に落ちる言葉でした。でも、取っつきやすい情報で「自分はHSPなんでしょうか?」と言う患者さんに、「そんなものは医学用語にない」「病気じゃない」と言うばかりで、症状の本質を上手に説明できない、診られないお医者"様"もいると聞くことも。自分を理解する、というのが、なによりの治療なんだと思いました。とてもいい動画です。
25年程前に、図書館でアーロン博士の著書を読み私の事が書いてある!と感動しHSPなんだ、と理解しましたが人生はそんなに甘いものではなく劣性に向き合わず無理して生きてきた結果、うつ病とパニック障害を併発し18年になります…。過去は変えられませんがもっと早く、10代の頃から精神科に通院する知識があればと思う時があります。今回の動画は心の底から納得のいくものでした。ありがとうございます✨
まさに聞きたかったお話です。そうそう!と思いながら見ました。
私自身、HSPという概念を知り、救われた気にもなりました。が、「繊細さん」という表現には少し違和感。そして、その響きからか、それに対する偏見や心無い言葉を目にする機会も増えました。自分自身が心身の状態によって敏感さはだいぶ変わるなぁとも感じていました。「自分はHSPだから…」とコメントする方の中には、悩みの本質はそこじゃないのではと思われる方もちらほら…。
そんなさまざまな違和感を、ズバッと斬ってくれるような説明でした。すごいです。
普段の医師業務もある中でこのような活動をして下さってありがとうございます。
患者さんやネットの人達からのいろんな意見が浴びせられる中で、このような勇気ある活動を活発に続けることは、決して楽なことではない筈です。
命を削って人や社会に貢献される先生の姿勢に胸が熱くなりました。
お身体に気をつけてください。
HSPの気質には私自身にも当てはまる特徴がたくさんあり、自分の生きづらさは自分だけの苦しみではなかったのだととても救われたような気持ちになりました。それと同時に、たとえこの気質を表す言葉があっても他人に伝えて理解してもらえる保証ができたわけではなく現状は変わらないという落胆と、「HSPは才能でもある」という内容に全く共感できず、「そんな風に考えを変えれたら私は今こんなに苦しくないはず」と違和感のようなものも感じていました。
この動画で益田先生が「物語性」と表した内容がまさにそのことだったので、自分が感じていた違和感は間違いではなかったと思うことができました。
ありがとうございます。
私は小学生の頃から生きづらさを感じていました。
中学、高校で未遂を経験し、自分で自分を理解したいと思い精神保健を学ぶために精神保健福祉士の資格を取りました。
学び、実務を重ねればこそ、精神福祉の支援の責任の重さを感じます。
それなのに、浅はかにビジネスのために人の弱みにつけいる人たちがいることを知り強い憤りを感じます。
病名がつくことによる免責感に救われる人のこころを利用しているんですね…。
この動画が多くのひとの目に触れ、大きくのひとが当たり前に正しい知識を持ってくれるといいなと思いました。
「鈍い人も鋭い人もいて、それは実体験を通して分かりますよね」と仰っていましたが、私はまさにそこが分からないまま生きてきて苦しんでいました
そこでHSPというものを知って、「人って、みんな同じ感覚で生きてるわけじゃないんだ!」とやっと知れました
それがHSPという言葉に出会って良かったことです
ずっと自分を神経質な人間だとマイナスに捉えていたけど、単に感覚が鋭いだけなんだな〜と自分に合う環境を選べるようになりました
あとは、子どもの頃に親との関係で深く傷ついていたことも発見できたのも良かったです
私も過剰なビジネス風潮が嫌で、自分でその言葉は使わないし、今こうして文字としてHSPと書くのもモヤッとする…
HSPのビジネス臭を感じていたので凄く納得しました。本当に苦しんでいる人を混乱させてしまうような感じでモヤっとします。こんなふうに過敏な自分を当てはめられやすいのがHSPの罠なんだろうなと感じました。自己診断で精神疾患を分類出来るなら医者いらずになりますね。とても危険だと思いました。
お話は分かったのですが、先生がHSP的な人ではないからこそ理解出来ていない部分もあるように感じました。
例えば「絶対音感」を持ってる人は確かに存在していて、でもそれって“治療”なんて出来ないですよね?
それを長所ととらえて音楽関係の道に進めば確かにいいけど全員がそうなるわけではなく、普通のサラリーマンになったら“劣性”であり邪魔なものになるわけです。
当人は自分と向き合い、絶対音感があるなかでどうやって普通の生活をしていくか模索していくしかない。
もし薬で感覚を鈍くすることが出来るなら楽になるかもしれないけど、病気ではないので薬は出ないですよね?
HSPに当てはまる人の中には、とくに鬱でも不安症でもないので医者にかからない人もいると思います。
でも人と違うのはなんとなく感じている。
私はHSPを知って良かったと思うし、同時に治療出来るものではないと分かったので自分がどういうふうに生きていくのがいいのかを模索しやすくなったと思います。
ただ、確かに「もっと丁寧に扱えよ!」みたいに主張するのは間違ってるとも思います。
この動画では悪いビジネスがあることを知れて良かったです。
先生もなんとか患者さんに寄り添おうという気持ちを持って下さっているのは分かったのでとても有り難いと思いました。
去年、色々あってメンタルがやられていた時にHSPという言葉に出会いました。
自分はHSPじゃないと思っていましたが、調べれば調べるほど自分の状況に当てはまっていたのでHSPと確信しました。
そこからHSPと思い込み、不安感や憂鬱な気分が増しました。自分は普通の人に比べて劣っているんだと落ち込みました。
しかし、同時に自分はHSPで人より繊細で傷つきやすいから特別扱いしてほしいと思っていたのかな、とモヤモヤしました。
一時期、SNSのグループに参加していましたが、HSPを理由に不幸自慢大会?のようなことをして、お互いに慰め合っていました。
結論、HSPという言葉に出会う前の方が幸せでだったと思います。
幸い、私の場合はお金を失うことはありませんでしたが、もっとリテラシー能力を身につけようと思いました。
結局は、HSPという言葉に縋ることで自分の弱さや欠点を肯定し、みんなに特別扱いされたり優しくしてほしいだけだったんですね。
私は強い人間になりたいです。
HSPって概念が知られる事で「気にし過ぎだから気にしなくていいのに」から「気になってしまう人」に変わったら自分としては楽。
感受性って十人十色と思うからHSPと言われる人同士でも理解し合えるかどうか疑問に思うし、感受性が強いから芸術やカウンセリングができるとは思えないかな
絵の素晴らしさを理解して凄く感動したとしても描けと言われたら別問題な感じで。
17:10 プロの方がこれを言ってくれてめちゃくちゃ救われたヤバい。
HSPの人は人の気持ちに気づいてあげられる優しい人とか、SNSに書かれている事にすごく違和感があったので、先生の解説でスッキリしました。
私自身、音、匂い、光など人より敏感です。 育った環境も良くなかったのでいろんな意味で生きづらいです。
一般的に言われているHSP気質は当てはまると思いますが、そんな単純ではないとずっと思っていました。
受け入れられやすい情報ではなく、正しい情報が周知されて欲しいです。
HSPに限らず、当事者だから寄り添えると謳うカウンセラーはいつも胡散臭いなと思ってしまいます。もちろん当事者で良いカウンセラーの人もいると思いますが、当事者であることを売りにしているカウンセラーは自分と同じやり方で他の人の問題も解決できると信じてその方法に固執したり、うまく行かないと患者のせいにし始めたりして本当に危険なことがある気がします…。逆に「助けてあげたい」気持ちが強すぎて患者側が潰れてしまったりとか(経験談)。
障害受容、自分を客観的に見て受け入れるってすごく難しいです。自分は大人になってからASDの診断が出たのですが、未だに医師を騙してしまったのではないか、誤診だったのではないかなどと考えてしまいます。障害の一部、たとえばコミュ障な部分が根強くトラウマになっていて、障害が向き合おうとすればするほどトラウマによってどんどん苦しくなってしまうという症例は良くありますか?発達障害+トラウマというテーマでお話も聞いてみたいです!
「劣勢なものは劣勢」とおっしゃっていただき、モヤモヤしていた気分がスッキリしましたね。「こういう短所は実は長所なんです。」と聞いても自分では「そうは言われても•••」と感じていましたので。
発達障害・感覚過敏と診断された後になってからHSPという言葉を知った私は、創造的な仕事がやりたいという願望もあって、HSPだったらいいなあというバイアスに乗せられて幾度かカウンセリングや当事者会に参加した経験があります。そこで行われていたことは「苦しみは一旦置いておいて、隠し続けてきた自分らしさを話しましょう」という具合で、自己紹介の場で助かりたくてここに来たと言ったら「回復を求める論調は程々にしましょう」と言われて、違和感があったのを覚えています。彼らの言葉を借りれば「繊細さんは個性を伸ばせば幸せになれる」はずなのに、実態としては「○○が好き」などと言いあうだけで、一時的には楽になるかもしれませんが、幸せに繋がるものだとは感じませんでした。 益田先生の言う物語性というのは本当に甘美な響きで、まさに言ってほしいことを言ってくれるようでした。別動画でそういうのって信頼できないよねと言っていたことも踏まえて、やはり騙されたがっていたのだと、今では思います。 益田先生の考える「短所は単独で存在し、長所と表裏一体とは限らない」という理論も、腑に落ちます。現実は残酷かもしれませんが、それでも少しでも良くなるように奮闘する医師もいると思えば、それこそが救いなのかもしれません。 長文失礼しました。
先生怒りマークついてる😮
この動画を見て救われたと思う人がいるのか不思議。私の場合、自分が何で苦しいのかに名前があった、それがHSPという感じでした。
それのビジネス的な要素には確かに、どうなんかなぁ?という思いがあってそれらには一切関わったことがないけれど。自分の性格がこのようなものだからしんどいのか、という確認が取れただけで心が楽になった人も多いと思う。
HSPの才能的部分については、それはどうだろう?という疑念を持っていたので同意します。しかし、HSP的な生きづらさを感じている人たちを今の日本の精神医学界が救ってくれるかというとそうではない現実。だからこそ、そういうビジネスが生まれる素地があると思う。薬を処方して「様子を見ましょう」で終わる医者(実体験)より、高額な費用がかかっても親身に話を聞いてもらえる(のかな?)方に流れる気持ちはわかります。
騙す領域まですすめてしまっているような問題への指摘、本当に助かります。
短所は短所、受け止める、踏まえて生きる、といったことに改めてハッとしました。
先生の患者さんを想う姿勢、感動しました。🥲
初めてコメントをします。
自分はHSPを知り、同じように生きづらさを感じている人が2割もいるんだと安心しました。それから特性を整理することができ、自分にとって苦手な状況、心地いい状況を自覚し、今は環境作りをしようと考えています。転職活動中です。
HSPという大雑把な括りに埋もれてしまった医学的疾患に基づく治療を受けたほうが良いのかもしれません。ですが、自分の場合は、精神的負荷は人よりきっと多いですが、社会生活に支障が出ていない(例えば、オフィスなどで人目があると物凄く緊張しストレスとなりどっと疲労するが倒れたり動けなくなる程ではなく、パフォーマンスは落ちるものの業務の成果としては問題がない等)、と捉えています。自己判断なので医療従事者の方が診てどう判断するかは分かりません。もし病院に掛かって疾患が無いと判断されたとき、その受け皿として感覚処理感受性で分類された名前があることは、やはり安心すると思います。
ビジネスとして悪い構造に組み込まれるのは本当に問題だと思います。一方で、自分は病院に掛かるべきなのか、息のしやすい環境をどこまで優先させるべきかなど、未だに迷いを抱いてしまいます。
HSPがあたかも医学用語のような広まり方をしているのは自分も気になっているところでした。その上で過剰に察しや気遣いを求める日本社会全体の病も感じていました。日本社会が求めているのは「繊細に気遣ったり察する能力は高いが明るくてメンタルは超タフな人」です(そんな無茶な🤔?!)。その枠にうまく入れなかったり窮屈に感じてる人があまりにも多いということだと思います。要は病気や宗教には忌避感があるけどHSPという曖昧な枠によって自分の中の落としどころをつけてる人が多いと思います。ただ繊細さと同時に鈍感さを併せ持つのがよくあることで、繊細さを主張する人に別の人が鬱憤をためたりみんなが「自分ばかり我慢してる!もっと自分に配慮してほしい」とひしめき合ってる状態です。そして自業自得に見える人や和を乱す人に過剰に攻撃的になったり嘲笑的になったりします。
個人的な話だと「普通の枠」で生きることをやめてからすごく楽になったんです。プライベートの時間に無理に人づきあいをしようとしません。社会で良しとされる枠組みに無理して入ろうとしません。
ところで人間ひとりひとりは精神科医などが診てくれますが、社会を治療してくれるものはなんなのでしょうか。人によっては政治だと、いや、宗教だ、芸術だと言うと思います。虚礼廃止、欲しいものは欲しいとはっきり要求するを習慣付けたらよくなるでしょうか。社会の病に病名をつけて治してくれるお医者さんがいたらいいなあって思います。日本社会の病に名前をつけるとしたら「気遣いぐるぐる巻き症候群」。結局自分達で自分達の首をしめている状態ですが、みんなの中のわがままで自由な気持ちが悲鳴をあげているんだと思います。「明るさ」が絶対正義とされる社会に不適合を感じて悩んできましたが少しくらい暗くても病んでいても良いと思います。
「あなたは特別です!」・・・これ、危ないキャッチコピーです。
以前から書籍やWeb等、HSPに関して情報収集しすぎて、食傷気味になり、現在は遠ざかっています。
とはいえ無視できないほどの過敏体質なので、服薬、行動療法等適切な対処の仕方が必要です。
周囲の人に、この生きづらさを理解していただけると本当に嬉しいですね。
不幸は不幸、という言葉がすごく腑に落ちたし刺さるものがありました。
わたしもHSPという概念に出会って今までの生きにくさが少しクリアに見えるようになったと感じたり、つらい気持ちが続いて体調も崩れてきたときにうつ病の自己診断を調べてみたり、なにか名前をつけてわかりたいと思ってしまいます。でも定義に満たないグレーゾーンにあるときも苦しいものは苦しいし、素人がそう簡単に解析していけるものではないなぁと思います。この間読んだ本で、青木省三さんの「僕のこころを病名で呼ばないで」の内容に感銘を受けました。個人的に、考えさせられることがたくさんあったのでおすすめです。
今もまたちょっとしんどい期間が続いていますがなんとか頑張らなければと思っています…自分の操縦むずかしい
言っておられることに納得しました。腑に落ちました。
私も自閉スペクトラム症がありますが、突出した才能なんて一つも無いので、障害があってよかった、って思ったことないです。
障害や病気は無いに越したことはないんです…。
正しい情報と、もっと他人にも優しい人達で溢れる世界になってほしいです。
HSPカウンセラーとか怪しいものが、その怪しさに気づかない&しかも苦しんでる人達にビジネスとして広まってる事をモヤモヤしていたので、先生が動画で取り上げて頂いてとても嬉しかったです✨
ありがとうございます☺️
HSPが流行した背景には、従来のうつや不安障害までには該当しないけれども、どことなく生きづらさを抱えている人たちにうまくフィットする概念だったからではないでしょうか?
ただ、物語性のところはおっしゃる通りで、変な意味付けは不要というか、本当に解決策を探している人にとってはむしろ治療を遅らせることにもなりかねないなと思いました。
私は子どもの時から明るいおてんば娘タイプな反面、感受性が強く、若い頃は生きづらさを抱えていました。「こんなやわな自分がこの世の中生きていけるのだろうか」と。
しかし、二十歳前後で親しい人や親の死という辛い体験をなんとか乗り越えたり、自身が親となったことでぶつかる壁を乗り越えるうちに、だんだん強くなってきました。今でも涙もろかったり考えすぎたり、持って生まれた性格により辛さを感じることはあります。でも今は自分だけでなく、人は誰でもそれぞれ何かしらと戦っているのだと理解しているので大丈夫です。
重要なのはメタ認知。そして『世の中わからないことだらけ、全てを知ることはできない(でもそれでいい)』と現実を飲み込めることだと思います。
私もHSPを初めて知った時はコレは!と思ったけど、なんとなく納得いかないところも多かったので、大変参考になりました。素晴らしい動画をありがとうございました!
HSPという言葉が広まりはじめ、調べてみると自分にめちゃくちゃ当てはまったので自分が持つ性質だったんだな〜と信じてしまっていましたが、この動画を見て目からウロコが落ちました🐟
小学生〜大学3年生ぐらいまで人が怖すぎて、、、でも普通に振る舞おうとしてしんどかったな〜。
人は人・自分は自分、誰かが怒っているのも誰かの自由、私は自分の良心に従って生きていれば自分を責める必要はない!こんなに沢山の人間がいるんだから、自分と合わない人がいるのなんか当たり前!
と自分に言い聞かせているうちに、だいぶハッピーに生きられるようになりました。今は必要以上に周りのことを考え過ぎないようにシャットアウトする脳内機能も完備しています。当時は認知の歪みとかもあったんだろうな〜。
また先生の動画を見て勉強させていただきます!
医師の方がこのように発信いただけることの重要性を改めて実感しています。いつもありがとうございます。
長所、短所は独立しているということに、心が楽になったし、自分に向き合い易くなった気がします。ありがとうございました。
みんな簡単なことが好きなので、楽が好きなので、考えることが好きな人があまりいないせいだと思います。
先生は言い難い事を医師として一生懸命伝えて下さっていて、有難いと感じました。
とても良い内容でした☺️
子どもが繊細ちゃんで、子どもの研究の一貫でお話を聞きました。繊細さんという一括りにしてしまうのではなく、他の要素もちゃんと見てやってここを乗り越えていく手助けをしていこうと思います。介護人なので本当の病気や障害を背負った人たちは救いなんかない、というのにはすごく共感しました。
数年前HSPにハマってました。自分なりに心理学の本を読んだりして違和感に気付いて良かったと今は思います。
HSP流行るのは、生きづらさにがんのステージみたいな評価が無いことに原因があるんだと思います。
ちゃんとした精神科には行きましたが、知的レベルは平均以上だしASD傾向はあっても働けているから『問題ない』と診断され…傷付きました。
実際に問題が無いのかどうかは自分でも分かりません。辛さって数値化できないですから。今は、皆無理してるんだから私も無理しなきゃと思ってます。
患者さんに合わせて新しいカテゴライズを作るような創造性って話は共感するものがありましたが、実際の精神科は既にある教科書通りの『発達障害っぽさ』を評価して診断書にして認可する作業みたいに思えました。それから外れた中途半端な人間は甘えてるだけなのかなって。
なんとなく不安〜とかじゃだめで、本格的に鬱病が悪化しないとだめなんでしょうかね。難しいです。
言葉選びから話し方、説明してくださる内容まで凄く聞きやすかったですし見てて楽しかったです
根本的には自分の長所になりやすい部分と短所になりやすい部分両方しっかり向き合っていくことが大事だと思いますので
これからの人生しっかり考えていきたいです。
劣性を劣性として認める…きっついなあ。
(高額なお金を使うんじゃなければ) HSPだと思ってたほうがまだ人生に希望が持てるってくらい厳しい話。
実際には医療や福祉は助けてくれないし。
個人的にはこのHSPという分類には感謝しています。お陰で良い意味でコミュニケーションを諦めることができました。
今までは誰だって性格が違っても共通認識はあるのだから、少し工夫すれば理解し合えると思い苦慮してきました。
でも実際は思考や行動の傾向が違うということが、自分の物差しが他人に全く通用しないことにもつながり、コミュニケーションが成立しないケースも珍しくないと結論付けられて楽になりました。これからも分かり合うことに躍起になることから少しずつ脱却していきたいです。
聴覚過敏で苦痛でしたが、疾病とは別のものと分かったことは重要でした。長所と短所は裏表ではないと始めて聞きました。
救われます。
初めてHSPという言葉を知った時、自分の思考癖や過去の失敗の答え合わせができてすごく楽になりました。生き方のヒントも得られました。また、身近な家族や友人に「HSPっていうのがあるんだって」と伝えることによって自分の事を理解してもらえたらなぁと思っていました。だけどコメント欄を見ていると、自分でHSPと言う人はHSPじゃない!という意見も多く、私はただのかまってちゃんだったのかな、本当のHSPは自分で言ったりしないんだなぁ、周りに伝えたのは間違いだったと後悔してしまいました…😢そう考えたらどんどん落ち込んで考え過ぎてしまい、楽になったはずのHSPという言葉がつらく思えてきました。最近見たDaiGoさんの動画でも迷惑な最悪なナルシストがいる、とあって…私はそれに該当するのかと思ったら恥ずかしいやら情けないやら…。生きるって難しいなぁ。人と関わるのが怖くなりました。
劣性は劣性でしかないに深く共感です。
感受性豊かな人の方が小さな幸せに気づきやすいとかメリットも言われているけども、生きづらさのデメリットの方がはるかに大きい。
最近やたらと○○カウンセラーとか流行っているけど惑わされずにいきたい。
神回ですね。
鬱を受け入れずに、副作用で太る薬を辞めたいと思ってましたが、病名にこだわらずしっかり向き合ってくれる今のお医者さんに改めて感謝してます。
医療従事者になるためにいい経験をできたから前向いていこうね、切り替えなさいとか言われて、すごく学校の先生に不満を持っていました。
前向きに捉えれるに越したことはないですが、人の気持ちに寄り添えれたところで自分の鬱がすぐ治るわけではないので、自分がムッとした理由がわかった気がします。
障害を前向きに才能と捉えさせるのではなく、しっかり受け止めて寄り添って治療を支えれる医療従事者になりたいです。
自己分析や内観すること、それはただ一つの作業でしかなくて、自分の価値に直接影響するものではないのだとわかるまでに何年かかっただろうか、と考えながら観ていました。
食い物にされたなあ、と思う過去もありますが、きっとそれもまた自分の糧になったよね、とかのんき過ぎるな、私(猛省)
生きづらさの原因を個人に課し過ぎてしまっているのが現代なのかな、と思う部分はあります。それと比例して人の苦しみを錬金術のようにする存在も増える。優しくされたいですよね、皆。だけどお金で買う優しさは偽物でしかない。
みんな少しずつでも、心から笑える時間があればいいな、って甘ちゃんな私は思う。有意義な動画ありがとうございます。先生も少しは休んでおくれですヾ(。・д・。)
「物語性」は、宗教でもよくありますね。「〜信者だけは終末がきても救われる」「今苦しいのは神からの試練」みたいな。
結構辛辣というか、ハッキリものを言われた感じはしたけどすごく納得した。耳が痛くなったのは多分図星だから。事実を真っ直ぐ伝えてくれるとこちらも頑張ろうという気になる。すごくいい動画
しんどいので、動画は再生せず、概要欄から文字で読みました。
文字の方が私は楽なんだなぁというのが新しい発見でした。
他にも見たい動画がたくさん溜まっているので、文字の方で少しずつ消化していきたいと思います。
文字起こし、大変な作業だとは思いますが、これからも続けていただけるとうれしいです。
この動画を見て、書店に並んでいるhsp関連の本を立ち読みしても一切腑に落ちなかった理由が分かりました。内容が薄い上に「hspは神からのプレゼントです」のようなよく分からないことばかり書かれていました。だったらこんなに辛い思いしてないよと思っていたので、これからは正しい情報なのかを考えていきたいです!
双極症、解離、PTSDの診断を持つ者です。
益田先生いつも勉強になる内容をありがとうございます。
時折考えるのが、障害の定義とは?ということです。
障害についてもHSPについても「概念」や「統計」、疾患マニュアルで定義されている部分が大きいのだとは思うのですが、精神障害の診断はあくまでも、ある程度資本主義が成り立ち民主的側面から見たものなのだろうとも個人的に考えています。
社会情勢が大きく変化したり、異なる文化・民族の中では障害が障害と定義づけられない場合もあるのではと。
障害の受容をしつつ、学びを深める日々です。
資本主義社会で生きていると、最後に自分を救えるのは自分自身だと骨身に沁みます。
劣勢である障害というものが、なぜ淘汰されず今まで産まれて生きているのか、何か理由があるのではないかとも考えたりします。
とびきり生きやすいとはならない日々ですが、命があり朝を迎えられることに感謝していたいと思います。
短所=才能ではない、それならこんなに苦しんでない、短所は短所として受け入れること、の話のところで涙が止まらなくなりました。今まで、「そういう時あるよね〜私も繊細さんかも」と言われると、「障害と診断されている自分の方が本当に辛いんだ」と思いました。でもそうやって自分を特別視するのは傲慢では、と葛藤していました。益田先生がひどいことを言われているとは感じません。逆に、「自分は本当に苦しいのだ」と思っていいのだと、救われました。
40代半ばです。小学生高学年あたりから、すべからく繊細敏感で困りながら生きています。
自分は障害者と健常者のボーダーにいるのではないか?と思っていました。
HSPという言葉を知ったのは2年程前で、自分はこれだと思いました。なぜなら、繊細なところがメンタルだけではないからです。
HSPは精神面ばかり着目されますが、五感の殆どが病的までいかない程度に人より敏感です。目、耳、皮膚、舌、圧迫などなど。
精神面だけは対処方法を自分で習得してきたこともあり、大人になるほど楽になってきました。
対象を広げてビジネス化しているというの、めちゃくちゃ納得いきます。
なんか4種類くらいHSPの種類がありますけど、それ自体ビジネス化の一つだと思います。カテゴライズして、体系化し、学問化すると稼げますからね。
HSPのメリットがあるとすれば、自分が敏感だからこそ、相手の状況を敏感に気付いてあげられる事。
例えば「あの人あの角度だと眩しいだろうから、カーテン閉めてあげよう。」とか。
自分自身へのメリットはゼロです(笑)
HSPに対して何でみんなこんな怒りや敵意をぶつけてるんだろう?ってHSPの本読んで普通に感動した自分はずっと疑問だったんですけど、HSPビジネスの話聞いてやーっと納得出来ました!
物語性だとかカウンセラーとか薬とか僕の読んだHSPの本には載って無かったです。溜まった情報のガス抜きとか感覚の近い人の見つけ方、タスクのこなし方とか自分にドンピシャで役立つ、自分の人生に吸収できそうなものばかりでした。
結局、みんな同じ本を読んでいるわけでは無い(なんならネット記事やwebサイト、切り抜き動画でHSPを知った人も多いと思う)から話が噛み合わないっていう最近のネットあるある問題に落ち着くんですよね
「HSPさんは辛いことも多いけど、その分長所もたくさんあるよ。HSPの偉人もたくさんいるよ」というHSP関連の動画やwebサイトを見ても、「長所のプラスより辛いことのマイナスの方が断然多いよな……」と思って辛くなってました…。
安易に「HSPである自分」を受け入れてしまうことによって、せっかく心理学・精神医学によって改善する可能性があるのにフタをしてしまっている人が多いのではないかと心配しています。
劣性は劣性であることを踏まえて生きるという事の重さと大切さを改めて考えました。
自分はパニック症状と自律神経の乱れやすさ、感情コントロールの苦手さに自覚がありながら、どうしたらいいのか分からず過ごしていました。繊細・神経質と言われるだけ言われ、理解や肯定はないのが現実です。短所は短所で向き合っていくものであると言ってくれる方がいるとありがたいなと思いました。普通になることはむずかしいので、自分なりに着地点を探して生きたいです。
劣性な部分が目立ち社会に出るのも怖いままですが、ぷるぷる震えながらもゆっくり前進していけたらなと思い直しました。
自分は人と深く関わるのはだめなんだ、とやけになっていたので、このタイミングで見ることができて良かったです。