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貴重な画像ありがとうございました。後世に伝えていくフイルムですね。
昭和初期母親の実家は地主で当主が亡くなった時、棺を4方鳥居が立つ輿にのせられて共同墓地に運ばれ代々の墓に土葬で埋められたそうです、地主のみが輿が許され、小作人は荷車で運ばれ雑居墓に埋葬され穴を掘った時に先人の大腿骨が出て来るがあったと語り草の様に言われたそうです、現在は火葬され、区画整理され墓碑も立てられて居るそうです
私の故郷は、鄙びた漁村ですが、70年代に火葬が導入された後も、骨箱を運ぶという形で野辺送りの風習が長く残りました。長男の私は、祖父母と父の位牌を持ちました。葬儀屋というものはなく、親戚はもちろん、近所の人や知人まで動員して、自宅で葬儀を執り行いました。しかし近年、過疎化と高齢化が進んだことから、葬儀の担い手の確保が厳しくなり、町の葬儀会館を使うようになりました。葬儀そのものも簡素化していき、いつしか野辺送りも消えましたんですよね。だから、こうして映像として残された記録を見て昔を思い出し、胸が熱くなりました。
ありがとうございます。そのような思いで観ていただけてうれしいです。死者供養のありようが時代でどんどん変わっていきますが、岩手の場合、盆供養など民俗芸能が生きています。
昔の葬儀葬祭は凄い参列者で物々しいですね・・・ 現在は、家族葬が増えて簡素化されてしまいました。
昔は皆、何をするにも「共同体」という意識が現在よりも遥かに強かったんだな。令和の今じゃ身内だけの少人数の家族葬が主流になろうとしている。
着物に帽子と下駄映画の中でしか見たことがありませんでしたすごく貴重で尊い記録だと思います✨🎞️
母方の実家では祖父の時、火葬場までは普通にマイクロバス移動ですが、お骨になったあとに自宅で葬儀をしその日のうちに墓地に納骨をします。その墓地まで行くのにこの動画のように親族、参列者が各々何を持つか役割があり龍や花、お供え物や御飾りを持って列をなして歩いて行きます。納骨したあとにお茶碗を割って線香を供えて終了です。岩手県の北部の田舎です。逮夜で部屋いっぱいの大きな数珠を皆で回したこともあります。これはビックリしました。因みに30年程前の曾祖母の時は土葬でした。白装束を着た男の人(叔父たち孫世代)が棺を担いで参列者が行列をなして墓地まで行った事だけよく覚えています。
nameさんの記憶はとても貴重ですね。なかなか葬儀などは映像記録や写真に残されないので個々人の記憶が頼りです。ぜひ文章にまとめて地域の資料館などに収めてほしいですね。民俗学にとって葬送儀礼は大切なジャンルです。地域の特色を表していますので大変興味があります。ありがとうございました。
10年前の祖父の時とあまり変わらない葬列の仕様に驚き思わずコメントさせていただきました。曾祖母の時のことは7才くらいの記憶なので機会があったら母と話して聞いてみたいと思います。こちらこそ貴重な動画を拝見させていただきありがとうございました。
@@name2074 ありがとうございました
@@name2074数珠を回したって隠し念仏のことですかね、?
いまみたいな葬儀屋さんではなくてご近所さん、親戚一同での生活の営みの中で、冠婚葬祭を行う時代がみて取れますね。
参列者の感じから、とても由緒あるご家庭の方で、高い地位の方だったのでしょうか。昔は自宅でやりましたし、家の前の道も通れなくなったり「〇〇さんちでお葬式やってたよ」と子供が言うと大人たちが「え?!」と驚いて急いで見にいく、なんてシーンもありましたね・・・貴重な映像を有難うございました。
違う動画で「十四山村のお葬儀 昭和12年」ってありました。この様な桶の場合、火葬場へ行くまで遺体は、長年過ごして来た家の方向を向いて火葬場まで行くそうですね。また、葬列に並ぶ人の順番も決まってたとか...
前半の「犬神家的な雰囲気」ここに映っている方々のほぼ全員がもう鬼籍に入っているのかと思うと・・・
凄い参列者に驚いた。死者への畏敬と追悼がこんなに偉大だった時代はもう来ない?50年ほど前に亡父のお棺を担いだのは23歳だった。
コレはよっぽど偉い人か名のある人の葬儀だったんでしょうかね
なつかしいですね。ありがとうございます。
座棺ですね。最近は座棺を焼ける炉もめっきり少なくなりました。
ここに映っている人もこのように見送られたのですね
質素になさっていますが、大分県豊後高田市近隣の葬儀の際の造花によく似ていました。花輪と呼ばれるお供えの小型なモノも見ることが出来ましたし、蓮の見事な姿も見覚えが御座いました。昨今ではそのような造花を使う事はコロナ禍もあり、メッキリ少なくなりましたけど。
その昔、葬列の順番も取り決めがあったらしいですね血縁とか役割何をするかとかのルールがあったらしいいまは霊柩車で火葬場まで、親族が乗用車やマイクロでついていくのが形ですよねこちらでは出棺の際の茶碗割りもしなくなりました
0:50 最近っぽい火葬場もあったんですね
民俗学において非常に価値の高い映像ですね。地元の博物館か大学に寄贈すれば喜ばれると思います。
1:40 座棺だな。
座棺とは座っていらっしゃることですか。
私の祖父の時もそうでしたが、多分「体育座り」のような姿勢だったと思います。昔のお風呂のような棺桶でした。その時は中1でした。
昔は家長の言う事が優先でした。たから三日三晩「葬式宴会」でしたね。何の為の葬式だったのか、嫌で嫌で仕方なかった( -᷄ _ -᷅ )💭今は家族葬でゆっくり故人を見送れます...🐌
昔は土葬で野犬等が掘り起こした後見た事有りますよ.小さいお椀のごはんとか饅頭が散らばっててね.学校の近くに墓場が有ったので近道して帰る時に暗く成ってだと怖くて駄目でしたよ卒塔婆が何本か有って
この頃は未だ土葬の習慣が有ったんじゃ無いでしょうか土が盛り上がってて周りに装飾品が置いて有り白い花の形のたくさん置いて有るんですよね.茶碗に飯が山の状態で其処に何か指してるのが普通だった様ですよ
5分頃に火葬場が出てきます。
❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️
私が小学校4年の時に曾祖母が9月23にお彼岸の中日に90で亡くなった。私が始めてみた曾祖母の亡骸を始めてみた時に曾祖母笑ってた顔で寝ているとても脳溢血でなってない普通に寝てる曾祖母の顔がいまでも覚えています。
貴重な映像。仏式葬送がデフォルトとなった現代、日本文化を後世に残す意味でも、この映像は保存されるべき。
これも仏式の葬送のようですが・・・葬列が省略された現在の式場式の葬儀と比べて、というのが正確かと・・・
仏式葬送儀礼ですね。昭和の初めまで、座棺があったんですね。
ご認識みたいですよ。私は昭和30年に祖父、35年に祖母、41年に父を土葬の為、座棺を親族4人で山の中腹の墓地迄担いで葬送しました。昭和の初めまでなら戦前までとなりますよ。
まるで天皇崩御の様ですよ歩くのが皆さん早いね
それはね、確か昔の映像だからかもしれないです。少し早く再生されるらしく、今みたいな性能は当時にはなかったので…(分かりにくいですねこの説明)
ボクは初めての葬儀参加は昭和54年1月 4歳の時 婆ちゃんの葬儀でした‼️偶然にも高校の時なくなった爺ちゃんは婆ちゃんと同じ命日でした‼️
関係ないですが、婆ちゃん死んで今年で40年です。生きてる姿は2回しか覚えてません。しかも、なぜか色褪せて記憶に残ってます…不思議ですね〜
アキアカネ 私の祖母と祖父は1日違いで亡くなりました。
Tekashiをかし 私のひーひーじーさんとひーひーばーさんもばーさんが大晦日に死んでじーさんが二日後の2日に死にました
貴重な画像ありがとうございました。後世に伝えていくフイルムですね。
昭和初期母親の実家は地主で当主が亡くなった時、棺を4方鳥居が立つ輿にのせられて共同墓地に運ばれ代々の墓に土葬で埋められたそうです、地主のみが輿が許され、小作人は荷車で運ばれ雑居墓に埋葬され穴を掘った時に先人の大腿骨が出て来るがあったと語り草の様に言われたそうです、現在は火葬され、区画整理され墓碑も立てられて居るそうです
私の故郷は、鄙びた漁村ですが、70年代に火葬が導入された後も、骨箱を運ぶという形で野辺送りの風習が長く残りました。長男の私は、祖父母と父の位牌を持ちました。葬儀屋というものはなく、親戚はもちろん、近所の人や知人まで動員して、自宅で葬儀を執り行いました。しかし近年、過疎化と高齢化が進んだことから、葬儀の担い手の確保が厳しくなり、町の葬儀会館を使うようになりました。葬儀そのものも簡素化していき、いつしか野辺送りも消えましたんですよね。だから、こうして映像として残された記録を見て昔を思い出し、胸が熱くなりました。
ありがとうございます。そのような思いで観ていただけてうれしいです。死者供養のありようが時代でどんどん変わっていきますが、岩手の場合、盆供養など民俗芸能が生きています。
昔の葬儀葬祭は凄い参列者で物々しいですね・・・
現在は、家族葬が増えて簡素化されてしまいました。
昔は皆、何をするにも「共同体」という意識が現在よりも遥かに強かったんだな。令和の今じゃ身内だけの少人数の家族葬が主流になろうとしている。
着物に帽子と下駄
映画の中でしか見たことがありませんでした
すごく貴重で尊い記録だと思います✨🎞️
母方の実家では祖父の時、火葬場までは普通にマイクロバス移動ですが、お骨になったあとに自宅で葬儀をしその日のうちに墓地に納骨をします。その墓地まで行くのにこの動画のように親族、参列者が各々何を持つか役割があり龍や花、お供え物や御飾りを持って列をなして歩いて行きます。
納骨したあとにお茶碗を割って線香を供えて終了です。
岩手県の北部の田舎です。逮夜で部屋いっぱいの大きな数珠を皆で回したこともあります。これはビックリしました。
因みに30年程前の曾祖母の時は土葬でした。白装束を着た男の人(叔父たち孫世代)が棺を担いで参列者が行列をなして墓地まで行った事だけよく覚えています。
nameさんの記憶はとても貴重ですね。なかなか葬儀などは映像記録や写真に残されないので個々人の記憶が頼りです。ぜひ文章にまとめて地域の資料館などに収めてほしいですね。民俗学にとって葬送儀礼は大切なジャンルです。地域の特色を表していますので大変興味があります。ありがとうございました。
10年前の祖父の時とあまり変わらない葬列の仕様に驚き思わずコメントさせていただきました。
曾祖母の時のことは7才くらいの記憶なので機会があったら母と話して聞いてみたいと思います。
こちらこそ貴重な動画を拝見させていただきありがとうございました。
@@name2074 ありがとうございました
@@name2074数珠を回したって隠し念仏のことですかね、?
いまみたいな葬儀屋さんではなくて
ご近所さん、親戚一同での生活の営みの中で、冠婚葬祭を行う時代がみて取れますね。
参列者の感じから、とても由緒あるご家庭の方で、
高い地位の方だったのでしょうか。
昔は自宅でやりましたし、家の前の道も通れなくなったり
「〇〇さんちでお葬式やってたよ」と子供が言うと
大人たちが「え?!」と驚いて急いで見にいく、なんてシーンもありましたね・・・
貴重な映像を有難うございました。
違う動画で「十四山村のお葬儀 昭和12年」ってありました。この様な桶の場合、火葬場へ行くまで遺体は、長年過ごして来た家の方向を向いて火葬場まで行くそうですね。また、葬列に並ぶ人の順番も決まってたとか...
前半の「犬神家的な雰囲気」
ここに映っている方々のほぼ全員が
もう鬼籍に入っているのかと思うと・・・
凄い参列者に驚いた。
死者への畏敬と追悼がこんなに偉大だった時代はもう来ない?
50年ほど前に亡父のお棺を担いだのは23歳だった。
コレはよっぽど偉い人か名のある人の葬儀だったんでしょうかね
なつかしいですね。ありがとうございます。
座棺ですね。
最近は座棺を焼ける炉もめっきり少なくなりました。
ここに映っている人もこのように見送られたのですね
質素になさっていますが、大分県豊後高田市近隣の葬儀の際の造花によく似ていました。花輪と呼ばれるお供えの小型なモノも見ることが出来ましたし、蓮の見事な姿も見覚えが御座いました。
昨今ではそのような造花を使う事はコロナ禍もあり、メッキリ少なくなりましたけど。
その昔、葬列の順番も取り決めがあったらしいですね
血縁とか役割何をするかとかのルールがあったらしい
いまは霊柩車で火葬場まで、親族が乗用車やマイクロでついていくのが形ですよね
こちらでは出棺の際の茶碗割りもしなくなりました
0:50 最近っぽい火葬場もあったんですね
民俗学において非常に価値の高い映像ですね。
地元の博物館か大学に寄贈すれば喜ばれると思います。
1:40 座棺だな。
座棺とは座っていらっしゃることですか。
私の祖父の時もそうでしたが、多分「体育座り」のような姿勢だったと思います。
昔のお風呂のような棺桶でした。その時は中1でした。
昔は家長の言う事が優先でした。たから三日三晩「葬式宴会」でしたね。何の為の葬式だったのか、嫌で嫌で仕方なかった( -᷄ _ -᷅ )💭
今は家族葬でゆっくり故人を見送れます...🐌
昔は土葬で野犬等が掘り起こした後見た事有りますよ.小さいお椀のごはんとか饅頭が散らばっててね.学校の近くに墓場が有ったので近道して帰る時に暗く成ってだと怖くて駄目でしたよ卒塔婆が何本か有って
この頃は未だ土葬の習慣が有ったんじゃ無いでしょうか土が盛り上がってて周りに装飾品が置いて有り白い花の形のたくさん置いて有るんですよね.茶碗に飯が山の状態で其処に何か指してるのが普通だった様ですよ
5分頃に火葬場が出てきます。
❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️
私が小学校4年の時に
曾祖母が9月23にお彼岸の中日に90で亡くなった。
私が始めてみた曾祖母の亡骸を
始めてみた時に曾祖母
笑ってた顔で寝ている
とても脳溢血でなってない
普通に寝てる曾祖母の顔がいまでも覚えています。
貴重な映像。
仏式葬送がデフォルトとなった現代、日本文化を後世に残す意味でも、この映像は保存されるべき。
これも仏式の葬送のようですが・・・葬列が省略された現在の式場式の葬儀と比べて、というのが正確かと・・・
仏式葬送儀礼ですね。
昭和の初めまで、座棺があったんですね。
ご認識みたいですよ。私は昭和30年に祖父、35年に祖母、41年に父を土葬の為、座棺を親族4人で山の中腹の墓地迄担いで葬送しました。昭和の初めまでなら戦前までとなりますよ。
まるで天皇崩御の様ですよ歩くのが皆さん早いね
それはね、確か昔の映像だからかもしれないです。少し早く再生されるらしく、今みたいな性能は当時にはなかったので…(分かりにくいですねこの説明)
ボクは初めての葬儀参加は昭和54年1月 4歳の時 婆ちゃんの葬儀でした‼️偶然にも高校の時なくなった爺ちゃんは婆ちゃんと同じ命日でした‼️
関係ないですが、婆ちゃん死んで今年で40年です。生きてる姿は2回しか覚えてません。しかも、なぜか色褪せて記憶に残ってます…不思議ですね〜
アキアカネ 私の祖母と祖父は1日違いで亡くなりました。
Tekashiをかし 私のひーひーじーさんとひーひーばーさんもばーさんが大晦日に死んでじーさんが二日後の2日に死にました