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2人目の方、街中での遺体救出作業の話をしているときの仕草からかなりのストレス抱えてるんだなって感じた。相当辛かったんでしょうね。
価値ある映像ですね、後世に残してください。心にじんときました。youtubeに生まれてはじめてコメントします。TBSさんありがとうございます。
マスコミって嫌だなって思う事もやっぱりあるけど伝えたい、ただ伝えたいっていう気持ちで仕事して下さってる方も沢山いるんだな、すごい仕事だなって思いました。これからも自分の命を大事にしながら頑張って下さい!
I’ll
岩手県民です。あの当時、電気も電波もなく情報がわからない中、懸命に伝える努力をしてくださった方々がいた事に感謝いたします。更に、大変な経験をこの様に伝えていただき、ありがとうございます。
左引けはザこ
彼女高松宮記念新居な五月晴れをを材料にはどうしたら✨
とても重い気持ちで見るのをためらわらましたが、不謹慎で有りますが、勇気を頂きました。コロナで転職し慣れない仕事は大変ですが、命がある。生きて今苦しんでいられるのだ。と、感じます。心からご冥福をお祈りいたします。いい番組でした。
色々な感情のある中、辛いのに思い出しながらお話してくれてありがたい。
今日であれから10年亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り致しますどうか安らかに
ありがとうございます。凄く良い内容ですね。多くの方にみてもらいたい。
街を歩くだけでご遺体に遭遇する状況があったと思うとどれだけ心がえぐられたんだろうか。たまに顔を歪ませながらも貴重なお話をしてくださってありがとうございます。
海外メディアはご遺体を写していましたね。さすがに顔までは写していませんが後ろ姿の泥まみれのご遺体は全身を写していました。これが現実なんだなと思うには辛すぎますね。
僕は消防団で、3月12日に津軽石に出動したけど、まさに歩く度にし遺体って感じだった。あと、 「腹帯」は、「はらおび」じゃなくて「はらたい」だけど、まあいいや!。
人間は本当に怖くなると、興奮したり笑いだしたりします。津波の様子を撮っている時にそんな声色がしました。土地勘の無いところで本当に怖かったのでしょう。本当にお疲れ様です。そして、現在も伝えてくれてありがとうございます。
失うものがあまりにも多すぎた けど10年後先も生きてほしい
亡くなった人の分まで
思い出すだけでも辛いはずなのにカメラの前でそれを話すのはとても勇気のいることだったろうと感じます。話してくださってありがとう。
2人目の人とても勇気のいることだけど、よく話してくれたと思う。
どんなに時間が経過しても言葉に出来ないことってあると思います。彼女も現地にいた被災者です。地獄のような光景を他人事のように話して冷静に冷静に切り分けようとしてるのが伝わってきます。
震災で亡くなられた方達に改めてご冥福をお祈りします。
インタビュー後半の10年たっても震災と向き合えてないってくだり、本当にわかります。26年前 阪神大震災が発生した時、兵庫県のお隣岡山に住んでました。まだ10歳だった私は連日のニュースや新聞の情報でしばらく情緒不安定になりました。高速道路があんなにも簡単に倒れて、ニュースでは死亡者一覧が淡々と読み上げられ、自分より小さな子や同い年位の子がたくさん亡くなってる状況に耐えれなくニュースを見るのを避けました。何年たっても、発生日近くや地震が来る度にフラッシュバックの様に思い出し未だにトラウマです。ですが15年たったあたりからもし震災が起きた時に何を備えて自分なら何をできるか考える様になれました。
二人目の方本当に辛そう。
やはり生の体験談はとてもリアルに聞こますね。私はプレゼンのためオーストラリアのメルボルンへ行くため香港でトランジットしていて昼食を空港で取っていました。香港人から「あなたの国、大変な事になっているよ」とか東京の大学4年の娘から「お父さんいまどこ?生きてる」とメールをくれ心配してくれたことを3/11の2時46分になると思い出します。他界された方々に対して心からご冥福を祈ります。
しみしみと被災された方々、それを見た方々の心の痛みが伝わってきました。この震災、地震をどれだけ忘れてはいけないのか、どのようにこれからこの出来事を生かしていけばいいのかなどが考えさせられました。このような貴重な動画を作成していただいたことを感謝します。
35:40全国民に聞いて欲しい
辛い記憶を引出しながら話すのは本当に辛そうで胸が詰まります。お話頂き有難う御座います。記者の“表現する力”は本当に素晴らしい、だがトークとは別物なのだと思いました。
何度も見ています。個人的には2番目の方のお話が心にズッシリきます。お若いのに大変な経験をされましたね…
報道の仕方は様々だと思いますが、冷静でありながらも人々が必要とする情報を流すのも大事。地震、津波の事実もですが、森岡さんのいうような避難所の様子を写すこともとても大事であったと思います。実際、わたしも報道で二人の知人の安否を確認しました。お母さんだからこそできる報道を続けていただきたいですし、山田をはじめ三陸沿岸にもこれからもずっと来ていただきたいです。
友人が岩手めんこいテレビの制作会社に居て、311当時は安否不明者のリストを3日寝ずに作っていたことを教えてくれました。
この人正気で話せてない。何か話してないこと、話せないことがある顔してる。辛かったんだろうな。
貴重なお話ありがとうございました
森岡氏の視点は、ほかのお二方と違って完全によそ者のそれですね。身内が被災に関わらないからこそ保てる精神状態というか…。決してそれを非難する訳ではなく、修羅場においては時にこうした冷静さも必要なんですね。
地元か地元じゃないか、近くに家族がいるかいないかで精神状態は全く違うでしょうね。
98歳のお婆さんが自殺したって言うことを知ってこれ以上ないよ、死んだことで現実より救われたのかと思うと震災に巻き込まれて死ぬだけではなく他の死ななければいけない人も大勢いたんだなあと思うとなんて言っていいのかわからないです。
こんなこと言うのはよくないかもしれませんが、生きている価値がない人間が私は世の中にいると思っています。違法なことをする、人を傷つける、人を騙す、人を殺す…。そんな人たちがいる中で普通に暮らして生きていた善良な方々が死ななければならなかったと思うとやりきれないです。良い人ほど短命、憎まれっ子世に憚るなどということも言いますが、本当に悔しいです。
悪いことをした人にも親に産んでもらって育てられてきた。暖かい心も残ってるのなら償いながら生きていくただそれだけなのです。生活保護もらっているにも関わらず酒飲むクズもいますその人も母親が居るただそれだけ
関東だけど沿岸部に住んでて、学校に行ってたから震災で家に帰れなくて、親にも3日間会えず家に猫と祖父だけがいて連絡も取れなくて本当に死ぬんだって思ってたな。周りが誰とも連絡取れなかった中お母さんの電話が1回だけ繋がってそれが本当に奇跡だった気がする。なかなか被災地としては注目されなかったけど実は被害凄かったんだよなぁ。
想いは色あせることなく次の世代に引き継がれることを願って多くの人が救われますように・・・・。
あれから10年も経つんですね。この辛さ、怖さ、悔しさを後世に伝えなければならない。
私は震災の1〜3ヶ月前に当時小学生ながら津波の番組を見て興味を持ち、ある程度理解していたので、震災が起きた時はこれは巨大な津波がくると思っていた。たしか番組ではM8クラスで最大12mの津波がくるとシミュレーションされてたと思うが、正にそれと同等の津波がくるかも知れないと思っていたことは我ながらたくましい。
👏👏👏👏👏👏
記帳なお話しを聞かせて頂き噛み締めながらのお話しを聞かせて頂き有り難うございました
一瞬、記帳が解らなかった。あー貴重かあ
2011.3.11ご冥福をお祈りします。安らかにお眠りください。
東日本大震災。私の親戚の方々も沢山お亡くなりになりました。今日で10年。3月11日、2時46分18秒黙祷をしました。
悲しいです(寂)
私の友達(男)がそんなんやらなくても言いじゃんと言ったので思わず声をあげそうになりました。何故そんなことが言えるのでしょうか。先生が居なければ女でも男を殴ってますよ(ノꐦ ◎曲◎)ノ=͟͟͞͞ ⌨(私だけかも)
@@いかくま-h2r じゃああなたは絶対に南海トラフ地震、首都直下地震の被害想定エリアに子供を産み育てないでくださいね
@@いかくま-h2r 私も殴ってるかも(;>_<;)。本当に大勢の方々が亡くなったんだよ?!お母さんとか、家族が居なかったらどうすんの?って言ってしまいそう(笑) 主さんいい人ですね😃
@@qwe-ju3uv え????
被災された方たちは10年たった今でも遺品などを捜索をしているというニュースを見ました。生きていた方達は今もあの日の恐怖とともにいきていらっしゃるんですね。
テレビで見ていました。津波の怖さが良く分かりました。
あらから10年、、、、まだ10年、、、、これからの10年、、、自然を人間の時間で計るなよ忘れちゃいけないことがある思い出せないこともあるでも忘れたいこともある過去も、今も、未来も、つながっているんだよね当り前は当り前じゃないんだ生きるって楽じゃないけどさひとりぼっちはさみしいしさ人とつながっててさ面倒くさい事もあけどさ面倒くさくても笑ってさ生きていればいいことあるしさ、その時はありがとう!感謝をつないでいこうよだからさ生きていこうよこれからもよろしく
線路で、夫婦が津波にながされ、てをつないでいて、てをはなされて、ながされた。
大変だっただろうけど、命あって良かったですね...。
あんな状態に住んでる街がなった直後に東京まで進学の為に出なきゃいけないこの気持ちはすごく辛かったろうな
Kawaesho ne, watashi namida nderu, lots of love from Central Australia
だいたいの意味を訳します。涙が出ます。可哀想です。沢山の愛をオーストラリアより。って事ですかね。一生懸命寄り添ってくださってるので、日本語も横文字で伝えてらっしゃいます。Thank you .
当時まだガラケーでモバゲーとかが流行ってて手当たり次第に東北の人らに応援メール送ってたの思い出した。
これ言ったらダメなのかもしれないけど、この時に新型コロナがなくて本当によかった。
コロナと震災どちらを選んだらいいか……選べないって……どちらも命懸け。
勇気を持って過去と向き合いお話してくださり、ありがとうございました。お話を聞いて、今できることをしようと思えました。防災に備えること。原発に反対する為に、原発を無くしてくれる政党に投票すること。地震と津波は天災だけど、放射能は人災だと当時よく言われていましたが、大人になって意味がわかりました。
3/11は皆覚えているだろうけど、3/9にも大きめの地震があったんだよね。それで関東大震災や南海トラフと共に東北地方でもまた大きな地震が来るという記事が出ていた。3/11の昼休みにその記事を読んでいて、気をつけなきゃなと思っていた矢先に揺れに襲われた。震災を忘れないだけではなく、体験を活かして備えることが大事。
10年立ったんですね。震災と巻き込まれた方たちのことは忘れず、どうか安らかにお眠りください。
プロの記者ですら容易に口にできない、表現できない、整理できない現実があったんですね。言葉のプロが言いよどむ様は印象的です。
改めて。今。真剣に。拝見させて頂きます。
神保記者 37:21~37:28 7秒間の沈黙。被災当日その現場に居た人しか分からない事が一気に蘇ってきたのでしょうか
ありがとう!本当にありがとう!!頑張ろうねっ♪♪
(すごく長文で読みたい人は読んでください)あれから10年。私は愛知県に住んでいて当時小学4年生でした。確か、金曜日だった。愛知県でも震度4ぐらいは出てました。正直いうと、家に帰って母に言われるまでこの東日本大地震の存在を知らなかったのです。何故気づかなかったかというと、地震発生時の金曜日午後2時46分ときは体育館で学年集会が開かれており、恐らくその後も何事もなく集団下校をしました。恐らく、先生達も地震の存在を知っていたと思う。生徒達を不安にしないために伝えなかったと思います。そんな中で今、東北が日本が大変なときに私は呑気に「今週も終わったなー」と思っており、そして家に帰ると母が慌てて、「大丈夫だった!?」と言って私は地震のことに気づいてなくぽかーんとして「大丈夫だけど…??何???」というと母が「地震だよ!!地震!!」そこで初めて気づいた私は「地震!?いつ!いつ起こったの!?」というと母が「午後ぐらいにすごく揺れただから!東北が今やばいことになってるから!!とにかくテレビ早く見て!!」と言って私は何だよーもうーって感じでテレビを見たとき私の目にしたものは、街が津波で流される映像でした。あのときの衝撃は今でも忘れません。「何…これ…本当に…東北なのか…福島や宮城で起きてることなのか…本当に日本で起きていることなのか…」実際は母に聞くと愛知でも強い揺れを感じて家にいた母が立ってられないぐらい揺れた聞いた。父からもお昼休み中の食堂ですごく揺れて社内中がパニック状態だったと言われた。「そんな大変ときに何故、自分は気づかなかっただ。呑気に今日のこと考えてだんだ。」と思った。この後も地震のニュースをずっと見てたのを覚えている。衝撃的な映像だったのを今でも覚えている。大きな家が最も簡単に津波で流される、建物に避難してる人が水面ギリギリで自衛隊に救助される映像だったり、建物の屋上で必死にかき集めたカーテンなどでヘリコプターに向かって「SOS」の文字を作って必死に救助のサインを送っている人を見たり、学校が津波に飲み込まれる映像、必死に山に登って間一髪津波から逃れた映像。本当に見てて、衝撃的で何も出来ない自分を恥じた。同い年で地震や津波に巻き込まれて亡くなった子もいる。それを見て、本当に悔しかった。なんで、まだ未来がある子が犠牲にならないといけないだと思った。なんとか被災地を支援しよう、何か出ることないだろうかと家族で話し合って、募金をしたり、服を送ったりした。自分達で出来ることも限られたのでそれだけでもしっかり東北のためにやった。あれから10年…私は今年で成人を迎えました。自分の夢に向けてもうすぐで社会へ舵を切るということで、期待と少しの不安を感じてます。もし、この地震が起きなければ、犠牲なった同級生も成人してたかもしれないどこかで出会ってたかもしれないそんなことを考えると本当に心を痛める。同じ夢を思ったかもしれない。次、もしそんなことをが起きても日本ために何か支えにならないかと考えて、今、自分は調理師として社会に出ようとしてるそして将来は、自衛隊に入ることや料理で日本の外交を支える。日本ためになんでもいいから料理で支える夢を今は持っている。この自分のスキルを自分のためではなく、人のためにやりたい。そのために、日々頑張ってる。あの日のことは絶対に忘れない。この体験をそのときの記憶にない子供たちに伝えたり、少しでも助けになれるようにするように考えて伝えるのが1人の人しての役目でもあり、使命である。
頑張って下さい。
私も、学校がインフルで学級閉鎖になり、暇になった子達で栄で遊んでたので全く気づきませんでした、その後友人の家に行き、ニュースを見て絶句したのを覚えてます。。。
遠くから 応援しています✨🤗
ありがとう❕どんな夢もあきらめず頑張ってください❕💪🏻✌🏻
テレビ関係者。報道陣が使ってはいけない、やばい!!は、究極の言葉なんですね。凄く伝わりました。
37:44 あなたの取った行動が正しかったと思います。「取材するのが本来の仕事だろ」とは思いません。もしそんなこと言う人が上司にいたら、そんな会社は辞めたほうがいいと思います。もしマスコミの人が↑を聞いたら「素人の外野が、何もわかっていないくせに」とか言うのかもしれませんが、視聴者はそんな写真とか見たいと思っていませんよ。亡くなった人がいて、横に家族がいてすすり泣いている。そんな場面の写真とか映像とかは要りません。こちらが「素人の外野」だからわかっていないのではなく、あなた方が「素人の外野」のニーズを誤解してむやみやたらと不必要なものを撮ろうとしてる、伝えようとしているだけです。原因と結果を逆にしないようにしましょう。
この映像は、未来永劫残してください。切にお願い申し上げます。
そう!人は生きているじゃないよ!生かされているのです!だから、人生に全て感謝の気持ちを持って行きましょう。
ご無事で良かったですね。途方もない災害で町民同士の虐め犯罪もあったのではないかと思います。
森岡記者、一流の記者としての芯が現れてきた最初かもと思います。ご家族も腹を決めてバックアップされたのですね。モリオカは盛岡。岩手に縁ありすぎ。ご活躍をお祈りします。
1:02:30今かえしてますね
たいへんなことが、有りましたが、皆さん頑張って見えます。お互いに、前を見て、わかいのだから、これからです、がんばりましょう。おたがいに。
避難所でのテレビクルーの立ち振る舞いは忘れない
「コンビニの店員」って言うんだ。あと、被災者を「かれら」って言うんだ。友達からの電話とメールが一番感動したことを、今伝えたいんだ。自分の大変さを伝えたいんだ。
10年過ぎて3月12日のTVはもぉ忘れたかのように放送しない。11日近くだけじゃなく知らない子供達の為に日常的に放送してほしい。
日常的な放送はあの時の被災者たちを苦しめると思う
@@rgenesis3426 さんそうかもしれませんね、、配慮が足りなかったと思います。コメント有難うございました。
確かにそういう事も大切だと思います。しかし、知らない子供たちが居たら自分たちも伝えていかなければなりませんね。自分は経験していなくても伝えていくことはできますから
他力本願ではなく、自分で語っていけばいいのだと思いますよ🤔
@@enithing7 さん勿論、子供や孫にことある時話を聞かせてます。が、日常ではつい忘れがちになって、家族がいる有り難さや電気や水に不自由ない生活を報道してくれればいいと思いました。ただ、被災現場は苦しむ方達の心情があるのでそれ以外での映像ない報道は常にしてもいいのではないかな?と思いました。
石巻がんばって!
私は24、5年地域の自治会長をやっているが災害は、何時如何なる時に発生するかを常に意識しており防災訓練は欠かさずやっている。行政は事後、決まって想定外だったと言い訳を聞く😠その様なことが無い様に心掛けねばならないと改めて思う。
震災1週間後、現場を取材しに来た各社の記者をマイクロバスに乗せて大槌町などを案内しました。記者は自分のことしか考えていません。取材時間には限りがあり、効率よく取材してもらうためには時間を決めてマイクロバスに帰ってきてもらわなければならないが、記者は泥だらけになった遺品を撮影したり、スクープ的な画像、映像を撮るのに必死で、集合時間を平気で破ります。また、事故後ちょうど1週間だったので捜索中の自衛官達が橋の上から海に向かって14時46分に黙祷するところを取材していましたが、逆光になるからと向きを変えさせようとしたり、さまざまな文句を自衛隊の人たちに言っていました。とにかくこの一件で私は記者というのは利己的で不真面目、取材と言えば全て許されると思っている連中ばかりだと気づきました。特に悪質だったのはNH軽の記者です。彼らは本当に悪質で人間の心を持っていない最低な人間達です。ここでは詳しく書けませんが本当に酷い。私はあれ以来、このように御涙頂戴編集の番組や動画を全く信用していません。
06:13 見ちゃったんですね・・・人が大波に飲まれてゆくのを。しかもおじいちゃんやおばあちゃん
人間は実際に体験をしないと、想いが伝わらない。渡っもまだまだ勉強が足りないです。
なんか久保田さんの質問が冷たい気がする。辛いことを話すのにとても勇気がいると思うのに簡単に聞くのはやめてほしいし、酷い光景を思い出してしまうからもう少しやんわり聞いてほしいなと思ってしまう
やんわり聞いてしまうと感情が高ぶって泣いてしまうから、敢えて冷たく冷静に質問されているように見えました。
47:05 久保田さんの質問がうまい。後世に残したい記録海外の人にも見てもらえるといいですね。
これが東京で起きたらって考えたくもない。でも必ずないという保証は誰にも出来ない
テレビを見ていて悲惨でしたね~
このインタビュー受けてる方はメディアの方なんですよね?
🙏
🤲🏻
聞き手さん、じょうず。
確かに✨デリケートな内容ですから慎重に質問されてますね☀️
東京ですが、揺れが大きすぎて、変に笑いが止まらなかったのを覚えてます。爆笑に次ぐ爆笑みたいな猫だけを抱えて家族と会ったあと、震えて仕方なかった覚えがあります。
森岡さん個人の話は全く必要ないと言いたいわけでは無いけれど、ぶっちゃけ個人の話ばかりで全然現地の状況が伝えられていないので森岡さん話す必要ある??と感じてしまった😥
現実感がない、凄く冷静だったって仰ってたけど自分の生活の基盤はない地域で、家族や友人もそこには居なくて安全な高台に居て見てたのならそんなものだと思う。やっぱり地元の被災者さんとは全く思い入れが違うもん。
宮城県、船越、岩手現にいた、釜石市にいた。じしん、しょうがくせいがひなんしていた。電柱が倒れた。
無事でなによりです
僕は東日本大震災の記憶は津波って凄く恐ろしいと思いましたね家から車まで波が襲ってくる僕が住んでる所は栃木県なんですよでも余震はきましたねそんときは怖いんだなと感じました停電したりテレビも見れなくて今でも忘れてないですねあの時の記憶は津波って怖いんだなと感じました
😢可愛そう
岡本ルーシー 活躍中!
森岡さん何で出た?よく内容わかりません
やかましいわ
コメ欄思ってたんとちゃう…
東京から報ずるものと現地から伝わるもの。格差?乖離?とにかくかけ離れてる物がありすぎる。映像は都合いい編集をされ、記者がまともに取材したか?って言うもの。毎年この日が来れば各局が特番組むが未だに配慮ない報道が為されてる。言い方悪いが、そりゃあ放送法で騒がれてる局だから致し方無いかなと思う。
感情ではなく状態をもう少し具体的に教えて欲しいですね。避難所の状況など、。
PTSDで語彙力も低下するわな
この人なんで会見したんだろ?立場的に不利だと思うし、仕事優先か?人情優先か?めちゃくちゃ悩んでたと思う、車中で地震来ても実際分かりづらいです。この人勇気ある人だわ。(^ ^)
其の時の。テレビに。「又。地震でしょう。」,は。間違えた言葉です。
ありがとうございます。 気を着けて生きます。
コンビニの、店員店員さんってゆってほしかった
いつ南海トラフが起きるのか分からない😮
ドキュメントみたいなdvdみた感じがあったような?
当時、海外から見て驚愕したのを覚えている。戦争の惨状を見ている様な現実味がない感じだった。これが他国からの攻撃だった場合、陸、海、空のダメージは甚大だろうと想像した。
En español sería bueno
大きな災害が日本の何処かであった時には人って必要以上に避難準備をするもんだが自分の住む場所で警報(赤字表記)ぐらいなら自宅に居た方が不便な避難所に居るより良いだろう、と家に帰ろうとする人がほとんど。例え家に辿り着いたとしても紫の警報が出ていても水域の近くでない住民は避難することは滅多にない。常日頃非常用の物を用意するのは当たり前のことで、それを大事の時に直ぐに出せる(見える)場所に家族全員分揃えて置き、ハザードマップや自治体の避難経路図なども調べておくべき情報です。東日本の時、津波避難用の用具を倉庫に家族分揃えて「ウチは津波の備えは充分だ」と周りに自慢していた家の人が「大津波警報」が発令されていても「此処まで来る訳がない」とタカをくくって被害に遭ったネタの様な本当の話も有りますし。
腹帯=ハラタイですね。懐かしい
そのときのどきゅめんとどらまやってほしい😮
感動する話ですね😂
森岡さん何が言いたいのか分かりにくい(--;)
自分は助かってよかったってことだと思います🤔💭
私もまだまだ勉強が足りないです。
石巻に線路が有り、ひゃくにんぐらいでたきびをし、子供の声と、ラジおのこえがきこえます。さむくて、ゆきがふっていた。れすとらんのひとたちといっしよにいた。ひよりやまが有る。津波で流され自分だけたすが
公民館へ行く。山田町にいた。
電波が入ったら、メールがたくさん入った。
すみません、停電非常時のために「対流ストーブ」の備蓄を。
2人目の方、街中での遺体救出作業の話をしているときの仕草からかなりのストレス抱えてるんだなって感じた。相当辛かったんでしょうね。
価値ある映像ですね、後世に残してください。心にじんときました。youtubeに生まれてはじめてコメントします。
TBSさんありがとうございます。
マスコミって嫌だなって思う事もやっぱりあるけど
伝えたい、ただ伝えたい
っていう気持ちで仕事して下さってる方も沢山いるんだな、すごい仕事だなって思いました。
これからも自分の命を大事にしながら頑張って下さい!
I’ll
I’ll
I’ll
岩手県民です。
あの当時、電気も電波もなく情報がわからない中、懸命に伝える努力をしてくださった方々がいた事に感謝いたします。
更に、大変な経験をこの様に伝えていただき、ありがとうございます。
左引けはザこ
彼女高松宮記念新居な五月晴れをを材料にはどうしたら✨
とても重い気持ちで見るのをためらわらましたが、不謹慎で有りますが、勇気を頂きました。コロナで転職し慣れない仕事は大変ですが、命がある。生きて今苦しんでいられるのだ。と、感じます。心からご冥福をお祈りいたします。いい番組でした。
色々な感情のある中、辛いのに思い出しながらお話してくれてありがたい。
今日であれから10年
亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り致します
どうか安らかに
ありがとうございます。凄く良い内容ですね。多くの方にみてもらいたい。
街を歩くだけでご遺体に遭遇する状況があったと思うと
どれだけ心がえぐられたんだろうか。
たまに顔を歪ませながらも貴重なお話をしてくださってありがとうございます。
海外メディアはご遺体を写していましたね。
さすがに顔までは写していませんが後ろ姿の泥まみれのご遺体は全身を写していました。
これが現実なんだなと思うには辛すぎますね。
僕は消防団で、3月12日に津軽石に出動したけど、まさに歩く度にし遺体って感じだった。あと、 「腹帯」は、「はらおび」じゃなくて「はらたい」だけど、まあいいや!。
人間は本当に怖くなると、興奮したり笑いだしたりします。津波の様子を撮っている時にそんな声色がしました。土地勘の無いところで本当に怖かったのでしょう。本当にお疲れ様です。そして、現在も伝えてくれてありがとうございます。
失うものがあまりにも多すぎた けど10年後先も生きてほしい
亡くなった人の分まで
思い出すだけでも辛いはずなのにカメラの前でそれを話すのはとても勇気のいることだったろうと感じます。
話してくださってありがとう。
2人目の人とても勇気のいることだけど、よく話してくれたと思う。
どんなに時間が経過しても
言葉に出来ないことってあると
思います。
彼女も現地にいた被災者です。
地獄のような光景を
他人事のように話して冷静に冷静に
切り分けようとしてるのが伝わってきます。
震災で亡くなられた方達に改めてご冥福をお祈りします。
インタビュー後半の10年たっても震災と向き合えてないってくだり、本当にわかります。26年前 阪神大震災が発生した時、兵庫県のお隣岡山に住んでました。
まだ10歳だった私は連日のニュースや新聞の情報でしばらく情緒不安定になりました。高速道路があんなにも簡単に倒れて、ニュースでは死亡者一覧が淡々と読み上げられ、自分より小さな子や同い年位の子がたくさん亡くなってる状況に耐えれなくニュースを見るのを避けました。
何年たっても、発生日近くや地震が来る度にフラッシュバックの様に思い出し未だにトラウマです。ですが15年たったあたりからもし震災が起きた時に何を備えて自分なら何をできるか考える様になれました。
二人目の方本当に辛そう。
やはり生の体験談はとてもリアルに聞こますね。私はプレゼンのためオーストラリアのメルボルンへ行くため香港でトランジットしていて昼食を空港で取っていました。香港人から「あなたの国、大変な事になっているよ」とか東京の大学4年の娘から「お父さんいまどこ?生きてる」とメールをくれ心配してくれたことを3/11の2時46分になると思い出します。他界された方々に対して心からご冥福を祈ります。
しみしみと被災された方々、それを見た方々の心の痛みが伝わってきました。この震災、地震をどれだけ忘れてはいけないのか、どのようにこれからこの出来事を生かしていけばいいのかなどが考えさせられました。このような貴重な動画を作成していただいたことを感謝します。
35:40
全国民に聞いて欲しい
辛い記憶を引出しながら話すのは本当に辛そうで胸が詰まります。お話頂き有難う御座います。
記者の“表現する力”は本当に素晴らしい、だがトークとは別物なのだと思いました。
何度も見ています。個人的には2番目の方のお話が心にズッシリきます。
お若いのに大変な経験をされましたね…
報道の仕方は様々だと思いますが、冷静でありながらも人々が必要とする情報を流すのも大事。
地震、津波の事実もですが、森岡さんのいうような避難所の様子を写すこともとても大事であったと思います。実際、わたしも報道で二人の知人の安否を確認しました。
お母さんだからこそできる報道を続けていただきたいですし、山田をはじめ三陸沿岸にもこれからもずっと来ていただきたいです。
友人が岩手めんこいテレビの制作会社に居て、311当時は安否不明者のリストを3日寝ずに作っていたことを教えてくれました。
この人正気で話せてない。何か話してないこと、話せないことがある顔してる。辛かったんだろうな。
貴重なお話ありがとうございました
森岡氏の視点は、ほかのお二方と違って完全によそ者のそれですね。
身内が被災に関わらないからこそ保てる精神状態というか…。
決してそれを非難する訳ではなく、修羅場においては時にこうした冷静さも必要なんですね。
地元か地元じゃないか、近くに家族がいるかいないかで精神状態は全く違うでしょうね。
98歳のお婆さんが自殺したって言うことを知ってこれ以上ないよ、死んだことで現実より救われたのかと思うと震災に巻き込まれて死ぬだけではなく他の死ななければいけない人も大勢いたんだなあと思うとなんて言っていいのかわからないです。
こんなこと言うのはよくないかもしれませんが、生きている価値がない人間が私は世の中にいると思っています。違法なことをする、人を傷つける、人を騙す、人を殺す…。そんな人たちがいる中で普通に暮らして生きていた善良な方々が死ななければならなかったと思うとやりきれないです。良い人ほど短命、憎まれっ子世に憚るなどということも言いますが、本当に悔しいです。
悪いことをした人にも親に産んでもらって育てられてきた。暖かい心も残ってるのなら償いながら生きていくただそれだけなのです。
生活保護もらっているにも関わらず酒飲むクズもいますその人も母親が居るただそれだけ
関東だけど沿岸部に住んでて、学校に行ってたから震災で家に帰れなくて、親にも3日間会えず家に猫と祖父だけがいて連絡も取れなくて本当に死ぬんだって思ってたな。周りが誰とも連絡取れなかった中お母さんの電話が1回だけ繋がってそれが本当に奇跡だった気がする。なかなか被災地としては注目されなかったけど実は被害凄かったんだよなぁ。
想いは色あせることなく
次の世代に引き継がれることを願って
多くの人が救われますように・・・・。
あれから10年も経つんですね。
この辛さ、怖さ、悔しさを後世に伝えなければならない。
私は震災の1〜3ヶ月前に当時小学生ながら津波の番組を見て興味を持ち、ある程度理解していたので、震災が起きた時はこれは巨大な津波がくると思っていた。たしか番組ではM8クラスで最大12mの津波がくるとシミュレーションされてたと思うが、正にそれと同等の津波がくるかも知れないと思っていたことは我ながらたくましい。
👏👏👏👏👏👏
記帳なお話しを聞かせて頂き噛み締めながらのお話しを聞かせて頂き有り難うございました
一瞬、記帳が解らなかった。あー貴重かあ
2011.3.11
ご冥福をお祈りします。
安らかにお眠りください。
東日本大震災。私の親戚の方々も沢山お亡くなりになりました。今日で10年。3月11日、2時46分18秒黙祷をしました。
悲しいです(寂)
私の友達(男)がそんなんやらなくても言いじゃんと言ったので思わず声をあげそうになりました。何故そんなことが言えるのでしょうか。先生が居なければ女でも男を殴ってますよ(ノꐦ ◎曲◎)ノ=͟͟͞͞ ⌨(私だけかも)
@@いかくま-h2r じゃああなたは絶対に南海トラフ地震、首都直下地震の被害想定エリアに子供を産み育てないでくださいね
@@いかくま-h2r 私も殴ってるかも(;>_<;)。本当に大勢の方々が亡くなったんだよ?!お母さんとか、家族が居なかったらどうすんの?って言ってしまいそう(笑) 主さんいい人ですね😃
@@qwe-ju3uv え????
被災された方たちは10年たった今でも遺品などを捜索をしているというニュースを見ました。生きていた方達は今もあの日の恐怖とともにいきていらっしゃるんですね。
テレビで見ていました。津波の怖さが良く分かりました。
あらから10年、、、、
まだ10年、、、、
これからの10年、、、
自然を人間の時間で計るなよ
忘れちゃいけないことがある
思い出せないこともある
でも忘れたいこともある
過去も、今も、未来も、
つながっているんだよね
当り前は当り前じゃないんだ
生きるって楽じゃないけどさ
ひとりぼっちはさみしいしさ
人とつながっててさ
面倒くさい事もあけどさ
面倒くさくても笑ってさ
生きていればいいことあるしさ、その時はありがとう!
感謝をつないでいこうよだからさ生きていこうよ
これからもよろしく
線路で、夫婦が津波にながされ、てをつないでいて、てをはなされて、ながされた。
大変だっただろうけど、命あって良かったですね...。
あんな状態に住んでる街がなった直後に
東京まで進学の為に出なきゃいけない
この気持ちはすごく辛かったろうな
Kawaesho ne, watashi namida nderu, lots of love from Central Australia
だいたいの意味を訳します。
涙が出ます。可哀想です。
沢山の愛をオーストラリアより。
って事ですかね。一生懸命寄り添ってくださってるので、日本語も横文字で伝えてらっしゃいます。
Thank you .
当時まだガラケーでモバゲーとかが流行ってて手当たり次第に東北の人らに応援メール送ってたの思い出した。
これ言ったらダメなのかもしれないけど、この時に新型コロナがなくて本当によかった。
コロナと震災どちらを選んだらいいか……
選べないって……どちらも命懸け。
勇気を持って過去と向き合いお話してくださり、ありがとうございました。
お話を聞いて、今できることをしようと思えました。
防災に備えること。
原発に反対する為に、原発を無くしてくれる政党に投票すること。
地震と津波は天災だけど、放射能は人災だと当時よく言われていましたが、大人になって意味がわかりました。
3/11は皆覚えているだろうけど、3/9にも大きめの地震があったんだよね。
それで関東大震災や南海トラフと共に東北地方でもまた大きな地震が来るという記事が出ていた。
3/11の昼休みにその記事を読んでいて、気をつけなきゃなと思っていた矢先に揺れに襲われた。
震災を忘れないだけではなく、体験を活かして備えることが大事。
10年立ったんですね。震災と巻き込まれた方たちのことは忘れず、どうか安らかにお眠りください。
プロの記者ですら容易に口にできない、表現できない、整理できない現実があったんですね。
言葉のプロが言いよどむ様は印象的です。
改めて。今。
真剣に。
拝見させて頂きます。
神保記者 37:21~37:28 7秒間の沈黙。被災当日その現場に居た人しか分からない事が一気に蘇ってきたのでしょうか
ありがとう!
本当にありがとう!!
頑張ろうねっ♪♪
(すごく長文で読みたい人は読んでください)
あれから10年。
私は愛知県に住んでいて当時小学4年生でした。確か、金曜日だった。
愛知県でも震度4ぐらいは出てました。
正直いうと、家に帰って母に言われるまでこの東日本大地震の存在を知らなかったのです。
何故気づかなかったかというと、地震発生時の金曜日午後2時46分ときは体育館で学年集会が開かれており、恐らくその後も何事もなく集団下校をしました。恐らく、先生達も地震の存在を知っていたと思う。生徒達を不安にしないために伝えなかったと思います。そんな中で今、東北が日本が大変なときに私は呑気に「今週も終わったなー」と思っており、そして家に帰ると母が慌てて、「大丈夫だった!?」と言って私は地震のことに気づいてなくぽかーんとして「大丈夫だけど…??何???」というと母が「地震だよ!!地震!!」そこで初めて気づいた私は「地震!?いつ!いつ起こったの!?」というと母が「午後ぐらいにすごく揺れただから!東北が今やばいことになってるから!!とにかくテレビ早く見て!!」と言って私は何だよーもうーって感じでテレビを見たとき私の目にしたものは、街が津波で流される映像でした。あのときの衝撃は今でも忘れません。「何…これ…本当に…東北なのか…福島や宮城で起きてることなのか…本当に日本で起きていることなのか…」
実際は母に聞くと愛知でも強い揺れを感じて家にいた母が立ってられないぐらい揺れた聞いた。父からもお昼休み中の食堂ですごく揺れて社内中がパニック状態だったと言われた。「そんな大変ときに何故、自分は気づかなかっただ。呑気に今日のこと考えてだんだ。」と思った。
この後も地震のニュースをずっと見てたのを覚えている。衝撃的な映像だったのを今でも覚えている。
大きな家が最も簡単に津波で流される、建物に避難してる人が水面ギリギリで自衛隊に救助される映像だったり、建物の屋上で必死にかき集めたカーテンなどでヘリコプターに向かって「SOS」の文字を作って必死に救助のサインを送っている人を見たり、学校が津波に飲み込まれる映像、必死に山に登って間一髪津波から逃れた映像。本当に見てて、衝撃的で何も出来ない自分を恥じた。
同い年で地震や津波に巻き込まれて亡くなった子もいる。それを見て、本当に悔しかった。なんで、まだ未来がある子が犠牲にならないといけないだと思った。
なんとか被災地を支援しよう、何か出ることないだろうかと家族で話し合って、募金をしたり、服を送ったりした。自分達で出来ることも限られたのでそれだけでもしっかり東北のためにやった。
あれから10年…私は今年で成人を迎えました。自分の夢に向けてもうすぐで社会へ舵を切るということで、期待と少しの不安を感じてます。
もし、この地震が起きなければ、犠牲なった同級生も成人してたかもしれないどこかで出会ってたかもしれないそんなことを考えると本当に心を痛める。同じ夢を思ったかもしれない。
次、もしそんなことをが起きても日本ために何か支えにならないかと考えて、今、自分は調理師として社会に出ようとしてるそして将来は、自衛隊に入ることや料理で日本の外交を支える。日本ためになんでもいいから料理で支える夢を今は持っている。この自分のスキルを自分のためではなく、人のためにやりたい。そのために、日々頑張ってる。
あの日のことは絶対に忘れない。この体験をそのときの記憶にない子供たちに伝えたり、少しでも助けになれるようにするように考えて伝えるのが1人の人しての役目でもあり、使命である。
頑張って下さい。
私も、学校がインフルで学級閉鎖になり、暇になった子達で栄で遊んでたので全く気づきませんでした、その後友人の家に行き、ニュースを見て絶句したのを覚えてます。。。
遠くから 応援しています✨🤗
遠くから 応援しています✨🤗
ありがとう❕どんな夢もあきらめず頑張ってください❕💪🏻✌🏻
テレビ関係者。報道陣が使ってはいけない、やばい!!は、究極の言葉なんですね。凄く伝わりました。
37:44 あなたの取った行動が正しかったと思います。「取材するのが本来の仕事だろ」とは思いません。もしそんなこと言う人が上司にいたら、そんな会社は辞めたほうがいいと思います。
もしマスコミの人が↑を聞いたら「素人の外野が、何もわかっていないくせに」とか言うのかもしれませんが、視聴者はそんな写真とか見たいと思っていませんよ。亡くなった人がいて、横に家族がいてすすり泣いている。そんな場面の写真とか映像とかは要りません。こちらが「素人の外野」だからわかっていないのではなく、あなた方が「素人の外野」のニーズを誤解してむやみやたらと不必要なものを撮ろうとしてる、伝えようとしているだけです。原因と結果を逆にしないようにしましょう。
この映像は、未来永劫残してください。
切にお願い申し上げます。
そう!
人は生きているじゃないよ!
生かされているのです!
だから、人生に全て感謝の気持ちを持って行きましょう。
ご無事で良かったですね。
途方もない災害で町民同士の虐め犯罪もあったのではないかと思います。
森岡記者、一流の記者としての芯が現れてきた最初かもと思います。ご家族も腹を決めてバックアップされたのですね。
モリオカは盛岡。岩手に縁ありすぎ。ご活躍をお祈りします。
1:02:30
今かえしてますね
たいへんなことが、有りましたが、皆さん頑張って見えます。お互いに、前を見て、わかいのだから、これからです、がんばりましょう。おたがいに。
避難所でのテレビクルーの立ち振る舞いは忘れない
「コンビニの店員」って言うんだ。あと、被災者を「かれら」って言うんだ。
友達からの電話とメールが一番感動したことを、今伝えたいんだ。
自分の大変さを伝えたいんだ。
10年過ぎて3月12日のTVはもぉ忘れたかのように放送しない。11日近くだけじゃなく知らない子供達の為に日常的に放送してほしい。
日常的な放送はあの時の被災者たちを苦しめると思う
@@rgenesis3426 さん
そうかもしれませんね、、配慮が足りなかったと思います。
コメント有難うございました。
確かにそういう事も大切だと思います。しかし、知らない子供たちが居たら自分たちも伝えていかなければなりませんね。自分は経験していなくても伝えていくことはできますから
他力本願ではなく、自分で語っていけばいいのだと思いますよ🤔
@@enithing7 さん
勿論、子供や孫にことある時話を聞かせてます。が、日常ではつい忘れがちになって、家族がいる有り難さや電気や水に不自由ない生活を報道してくれればいいと思いました。
ただ、被災現場は苦しむ方達の心情があるのでそれ以外での映像ない報道は常にしてもいいのではないかな?と思いました。
石巻がんばって!
私は24、5年地域の自治会長をやっているが災害は、何時如何なる時に発生するかを常に意識しており防災訓練は欠かさずやっている。行政は事後、決まって想定外だったと言い訳を聞く😠その様なことが無い様に心掛けねばならないと改めて思う。
震災1週間後、現場を取材しに来た各社の記者をマイクロバスに乗せて大槌町などを案内しました。
記者は自分のことしか考えていません。取材時間には限りがあり、効率よく取材してもらうためには時間を決めてマイクロバスに帰ってきてもらわなければならないが、記者は泥だらけになった遺品を撮影したり、スクープ的な画像、映像を撮るのに必死で、集合時間を平気で破ります。
また、事故後ちょうど1週間だったので捜索中の自衛官達が橋の上から海に向かって14時46分に黙祷するところを取材していましたが、逆光になるからと向きを変えさせようとしたり、さまざまな文句を自衛隊の人たちに言っていました。
とにかくこの一件で私は記者というのは利己的で不真面目、取材と言えば全て許されると思っている連中ばかりだと気づきました。
特に悪質だったのはNH軽の記者です。彼らは本当に悪質で人間の心を持っていない最低な人間達です。ここでは詳しく書けませんが本当に酷い。私はあれ以来、このように御涙頂戴編集の番組や動画を全く信用していません。
06:13 見ちゃったんですね・・・人が大波に飲まれてゆくのを。しかもおじいちゃんやおばあちゃん
人間は実際に体験をしないと、想いが伝わらない。渡っもまだまだ勉強が足りないです。
なんか久保田さんの質問が冷たい気がする。辛いことを話すのにとても勇気がいると思うのに簡単に聞くのはやめてほしいし、酷い光景を思い出してしまうからもう少しやんわり聞いてほしいなと思ってしまう
やんわり聞いてしまうと感情が高ぶって泣いてしまうから、敢えて冷たく冷静に質問されているように見えました。
47:05 久保田さんの質問がうまい。
後世に残したい記録
海外の人にも見てもらえるといいですね。
これが東京で起きたらって考えたくもない。でも必ずないという保証は誰にも出来ない
テレビを見ていて悲惨でしたね~
このインタビュー受けてる方はメディアの方なんですよね?
🙏
🤲🏻
聞き手さん、じょうず。
確かに✨デリケートな内容ですから慎重に質問されてますね☀️
東京ですが、揺れが大きすぎて、変に笑いが止まらなかったのを覚えてます。爆笑に次ぐ爆笑みたいな
猫だけを抱えて家族と会ったあと、震えて仕方なかった覚えがあります。
森岡さん個人の話は全く必要ないと言いたいわけでは無いけれど、ぶっちゃけ個人の話ばかりで全然現地の状況が伝えられていないので森岡さん話す必要ある??と感じてしまった😥
現実感がない、凄く冷静だったって仰ってたけど
自分の生活の基盤はない地域で、家族や友人もそこには居なくて安全な高台に居て見てたのならそんなものだと思う。
やっぱり地元の被災者さんとは全く思い入れが違うもん。
宮城県、船越、岩手現にいた、釜石市にいた。じしん、しょうがくせいがひなんしていた。電柱が倒れた。
無事でなによりです
僕は東日本大震災の記憶は津波って凄く恐ろしいと思いましたね家から車まで波が襲ってくる僕が住んでる所は栃木県なんですよでも余震はきましたねそんときは怖いんだなと感じました停電したりテレビも見れなくて今でも忘れてないですねあの時の記憶は津波って怖いんだなと感じました
😢可愛そう
岡本ルーシー 活躍中!
森岡さん何で出た?よく内容わかりません
やかましいわ
コメ欄思ってたんとちゃう…
東京から報ずるものと現地から伝わるもの。格差?乖離?とにかくかけ離れてる物がありすぎる。
映像は都合いい編集をされ、記者がまともに取材したか?って言うもの。毎年この日が来れば各局が特番組むが未だに配慮ない報道が為されてる。言い方悪いが、そりゃあ放送法で騒がれてる局だから致し方無いかなと思う。
感情ではなく状態をもう少し具体的に教えて欲しいですね。
避難所の状況など、。
PTSDで語彙力も低下するわな
この人なんで会見したんだろ?立場的に不利だと思うし、仕事優先か?人情優先か?めちゃくちゃ悩んでたと思う、車中で地震来ても実際分かりづらいです。この人勇気ある人だわ。(^ ^)
其の時の。テレビに。
「又。地震でしょう。」,は。
間違えた言葉です。
ありがとうございます。
気を着けて生きます。
コンビニの、店員
店員さんってゆってほしかった
いつ南海トラフが起きるのか分からない😮
ドキュメントみたいなdvdみた感じがあったような?
当時、海外から見て驚愕したのを覚えている。戦争の惨状を見ている様な現実味がない感じだった。
これが他国からの攻撃だった場合、陸、海、空のダメージは甚大だろうと想像した。
En español sería bueno
大きな災害が日本の何処かであった時には人って必要以上に避難準備をするもんだが
自分の住む場所で警報(赤字表記)ぐらいなら自宅に居た方が不便な避難所に居るより良いだろう、
と家に帰ろうとする人がほとんど。例え家に辿り着いたとしても紫の警報が出ていても水域の近くでない住民は避難することは滅多にない。常日頃非常用の物を用意するのは当たり前のことで、
それを大事の時に直ぐに出せる(見える)場所に家族全員分揃えて置き、ハザードマップや自治体の避難経路図なども調べておくべき情報です。
東日本の時、津波避難用の用具を倉庫に家族分揃えて「ウチは津波の備えは充分だ」と周りに自慢していた家の人が「大津波警報」が発令されていても「此処まで来る訳がない」とタカをくくって被害に遭ったネタの様な本当の話も有りますし。
腹帯=ハラタイですね。懐かしい
そのときのどきゅめんとどらまやってほしい😮
感動する話ですね😂
森岡さん何が言いたいのか分かりにくい(--;)
自分は助かってよかったってことだと思います🤔💭
私もまだまだ勉強が足りないです。
石巻に線路が有り、ひゃくにんぐらいでたきびをし、子供の声と、ラジおのこえがきこえます。さむくて、ゆきがふっていた。れすとらんのひとたちといっしよにいた。ひよりやまが有る。津波で流され自分だけたすが
公民館へ行く。山田町にいた。
電波が入ったら、メールがたくさん入った。
すみません、停電非常時のために「対流ストーブ」の備蓄を。