ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
大好きな9番を取り上げていただきありがとうございました。一気に視聴させていただきました。ドロマニもイイですね。これからもたくさんアップしてください。楽しみにしています!
フルトヴェングラーのブルックナーは7番を好んで聴いていますが、9番もいいですね。意外と素軽くて飄々とした感じで。某ウノ氏はともかく(笑)、吉田秀和氏の『LP300選』で"参考盤"としてこのフルトヴェングラー盤が選ばれていました。あと吉井亜彦氏・岡本稔氏も高評価を与えていますね。
いつも有難う御座います。私はフルトベングラーを聴いたのもブルックナー第九を聴いたのもこの演奏が初めてで、FMエアチェックしたオープンリールテープを何回も聴いて沼にハマった記念碑的演奏です。この演奏のレコードは当時入手不可能で、ワルター、カラヤン、ヨッフム等の演奏にすがろうと聴きましたが全然満足出来ず、挙げられた4枚組LPが出た時に直ぐに入手し、更に7番9番の2枚組CDが出た時も狂喜して買いました。満足出来ない理由ですが、この番組の中で演奏解釈の違いを説明頂いてなるほどと思いました。やはり近衛秀麿さんがいうようにフルトベングラーの真似は誰も出来ないのでしょう。でもジユリーニ指揮シカゴ響の演奏に出会って、中々良いように聴きました。後で出たウイーンフィルとの演奏では世評は高いもののテンポが弛緩してしまい、いわゆるブルックナーぽい演奏になってしまってフルトベングラー派には面白くない風に変わってしまいました。また楽しい番組お願いします。
コメントありがとうございます。以前「DGのフルトヴェングラー」という内容で動画を公開したことがあったのですが、日本ではグラモフォン系のレコードは再発売のサイクルがかなり長くて、私くしも1980年代中頃、グラモフォン盤は一連のシリーズが出ていたのにほとんど入手することができませんでした。1991年のCD化でようやく聴くことができましたが、これは確かに「不気味なほどの存在感」を聞かせてくれる名演奏でした。今に至るまでこうしたスタイルで演奏されたものはほとんど例がないのではないかとも思えてくる独特なものです。優れた作品であればもちろん様々な解釈が可能だと思いますが、このフルトヴェングラーはその可能性の一端を非常に高い位置で占める素晴らしいものだと思います。今夜21:00より補足を含めた生放送をいたしますので、ぜひおいでください
徳岡様のお話ともども、全て最高です!
いえいえ、もっとわかりやすく、的確に、面白いお話をしたいのですが…
フルトヴェングラーのブルックナー第9は他の方もおっしゃられているように吉田秀和氏がこの曲に論評されている部分でシューリヒトVPOとともに推薦盤として挙げていますね。個人的印象としては、宇野氏の論評とは異なり、フルトヴェングラーとしてはさほどテンポの振幅が激しくなく、例えば49年3月15日の8番程ドロドロしてなくスッキリとした見通しの良い演奏と思います。また、フルトヴェングラー自身確か44年この後に聖フローリアン教会でこの曲を演奏しており、その時の印象が余程強かったのか戦後は実演では1回も振っていませんよね。録音されなかったのがベートーヴェンのミサソレや41年150年祭のモツレクと共に悔やまれる出来事と思います。
このセッションが、当初ブラームスの《第三交響曲》の予定だったとは、このたび初めて知りました。有り難うございます。巨匠の《ブラームスNr3》は、戦後の優れたライヴ二種が発掘されておりますので、もしこの曲目変更が巨匠の気紛れだったならば、大感謝です。私はDGのLP五枚組(2740201)で所持しておりますが、CDでは聴いてないのです。それにしても、フルトヴェングラーのブルックナー解釈の否定的見解は、宇野功芳氏の罪悪が大きいですよね。でも時の審判で、この人が偏愛したマタチッチや朝比奈隆のブルックナー音盤も、今日の評価はさほどではないのでは?ちょっと、脱線いたしました。ベートーヴェンザールは1938年のSPのチャイコフスキー《悲愴》が収録された会場では、なかったでしょうか。このブルックナーがマグネットフォン録音で収録されて、優秀な音質で巨匠の解釈を味わえるのは幸いですね。
ブラームス三番の件は毎週ご紹介していますハフナーによる伝記の中で紹介されています。お勧めします。www.amazon.co.jp/巨匠フルトヴェングラーの生涯-叢書-20世紀の芸術と文学-ヘルベルト-ハフナー/dp/4871985717
徳岡さまに、早速の御丁寧な貴信承り、畏れ入ります。実は最近音楽家に関する著作物は、あまり目を通さなくなっておりまして、情報に関しては疎くなっております(笑)。音楽家やミュージシャンは、その残した音源の中にこそ、総てがあるという考え方に傾斜しているせいも、ございますが‥。
今晩は。
フルトヴェングラーの9番はおっしゃる通り、全体としては生き生きとした、快活な演奏だと思います。しかし、同時に、3楽章冒頭などは他の指揮者と比べてもかなり遅い。この部分については、朝比奈や他の指揮者のテンポでは物足りない。フルトヴェングラーを聴いた後だとやや「溜め」が足りないように感じてしまう。ラストのG.P.の後もそうです。独特の間合い、緊張感、緩急、あるいは遠心力と表現するのがいいのでしょうか。それがこの演奏を際立って魅力的なものにしているように感じます。大戦末期の重苦しい雰囲気の中で生み出されたこの瑞々しい演奏、個人的には「国破れて山河あり」という言葉がぴったりのように思います。この演奏を聴いて私がいつも思い浮かべるのは、故郷の雄大な山々と裾野に広がる山林、田畑の牧歌的な風景です。adagioは故郷に骨を埋めた人々のことが思い浮かびます。「ブル9といえばフルトヴェングラー」というくらいにはこの演奏、私は気に入っていたのですが、今まで世間からの評判がなかなか上がらずヤキモキしてきました。しかしこの番組を通じて、この名演が再評価されれば嬉しい限りです。
第二次対戦中ソ連が大量の録音テープを没収して行ってしまったという話がありますね、後に出て来たのでしょうか?
フルトベングラーはつくづくブルックナーには合わないと思います!さらっとし過ぎています!
大好きな9番を取り上げていただきありがとうございました。一気に視聴させていただきました。
ドロマニもイイですね。これからもたくさんアップしてください。楽しみにしています!
フルトヴェングラーのブルックナーは7番を好んで聴いていますが、9番もいいですね。意外と素軽くて飄々とした感じで。某ウノ氏はともかく(笑)、吉田秀和氏の『LP300選』で"参考盤"としてこのフルトヴェングラー盤が選ばれていました。あと吉井亜彦氏・岡本稔氏も高評価を与えていますね。
いつも有難う御座います。
私はフルトベングラーを聴いたのもブルックナー第九を聴いたのもこの演奏が初めてで、FMエアチェックしたオープンリールテープを何回も聴いて沼にハマった記念碑的演奏です。
この演奏のレコードは当時入手不可能で、ワルター、カラヤン、ヨッフム等の演奏にすがろうと聴きましたが全然満足出来ず、挙げられた4枚組LPが出た時に直ぐに入手し、更に7番9番の2枚組CDが出た時も狂喜して買いました。
満足出来ない理由ですが、この番組の中で演奏解釈の違いを説明頂いてなるほどと思いました。やはり近衛秀麿さんがいうようにフルトベングラーの真似は誰も出来ないのでしょう。でもジユリーニ指揮シカゴ響の演奏に出会って、中々良いように聴きました。後で出たウイーンフィルとの演奏では世評は高いもののテンポが弛緩してしまい、いわゆるブルックナーぽい演奏になってしまってフルトベングラー派には面白くない風に変わってしまいました。
また楽しい番組お願いします。
コメントありがとうございます。以前「DGのフルトヴェングラー」という内容で動画を公開したことがあったのですが、日本ではグラモフォン系のレコードは再発売のサイクルがかなり長くて、私くしも1980年代中頃、グラモフォン盤は一連のシリーズが出ていたのにほとんど入手することができませんでした。1991年のCD化でようやく聴くことができましたが、これは確かに「不気味なほどの存在感」を聞かせてくれる名演奏でした。今に至るまでこうしたスタイルで演奏されたものはほとんど例がないのではないかとも思えてくる独特なものです。優れた作品であればもちろん様々な解釈が可能だと思いますが、このフルトヴェングラーはその可能性の一端を非常に高い位置で占める素晴らしいものだと思います。今夜21:00より補足を含めた生放送をいたしますので、ぜひおいでください
徳岡様のお話ともども、全て最高です!
いえいえ、もっとわかりやすく、的確に、面白いお話をしたいのですが…
フルトヴェングラーのブルックナー第9は他の方もおっしゃられているように吉田秀和氏がこの曲に論評されている部分でシューリヒトVPOとともに推薦盤として挙げていますね。個人的印象としては、宇野氏の論評とは異なり、フルトヴェングラーとしてはさほどテンポの振幅が激しくなく、例えば49年3月15日の8番程ドロドロしてなくスッキリとした見通しの良い演奏と思います。また、フルトヴェングラー自身確か44年この後に聖フローリアン教会でこの曲を演奏しており、その時の印象が余程強かったのか戦後は実演では1回も振っていませんよね。録音されなかったのがベートーヴェンのミサソレや41年150年祭のモツレクと共に悔やまれる出来事と思います。
このセッションが、当初ブラームスの《第三交響曲》の予定だったとは、このたび初めて知りました。有り難うございます。巨匠の《ブラームスNr3》は、戦後の優れたライヴ二種が発掘されておりますので、もしこの曲目変更が巨匠の気紛れだったならば、大感謝です。私はDGのLP五枚組(2740201)で所持しておりますが、CDでは聴いてないのです。それにしても、フルトヴェングラーのブルックナー解釈の否定的見解は、宇野功芳氏の罪悪が大きいですよね。でも時の審判で、この人が偏愛したマタチッチや朝比奈隆のブルックナー音盤も、今日の評価はさほどではないのでは?ちょっと、脱線いたしました。ベートーヴェンザールは1938年のSPのチャイコフスキー《悲愴》が収録された会場では、なかったでしょうか。このブルックナーがマグネットフォン録音で収録されて、優秀な音質で巨匠の解釈を味わえるのは幸いですね。
ブラームス三番の件は毎週ご紹介していますハフナーによる伝記の中で紹介されています。お勧めします。www.amazon.co.jp/巨匠フルトヴェングラーの生涯-叢書-20世紀の芸術と文学-ヘルベルト-ハフナー/dp/4871985717
徳岡さまに、早速の御丁寧な貴信承り、畏れ入ります。実は最近音楽家に関する著作物は、あまり目を通さなくなっておりまして、情報に関しては疎くなっております(笑)。音楽家やミュージシャンは、その残した音源の中にこそ、総てがあるという考え方に傾斜しているせいも、ございますが‥。
今晩は。
フルトヴェングラーの9番はおっしゃる通り、全体としては生き生きとした、快活な演奏だと思います。しかし、同時に、3楽章冒頭などは他の指揮者と比べてもかなり遅い。この部分については、朝比奈や他の指揮者のテンポでは物足りない。フルトヴェングラーを聴いた後だとやや「溜め」が足りないように感じてしまう。ラストのG.P.の後もそうです。独特の間合い、緊張感、緩急、あるいは遠心力と表現するのがいいのでしょうか。それがこの演奏を際立って魅力的なものにしているように感じます。
大戦末期の重苦しい雰囲気の中で生み出されたこの瑞々しい演奏、個人的には「国破れて山河あり」という言葉がぴったりのように思います。この演奏を聴いて私がいつも思い浮かべるのは、故郷の雄大な山々と裾野に広がる山林、田畑の牧歌的な風景です。adagioは故郷に骨を埋めた人々のことが思い浮かびます。
「ブル9といえばフルトヴェングラー」というくらいにはこの演奏、私は気に入っていたのですが、今まで世間からの評判がなかなか上がらずヤキモキしてきました。しかしこの番組を通じて、この名演が再評価されれば嬉しい限りです。
第二次対戦中ソ連が大量の録音テープを没収して行ってしまったという話がありますね、後に出て来たのでしょうか?
フルトベングラーはつくづくブルックナーには合わないと思います!さらっとし過ぎています!