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▼9月30日(土)オンラインセミナーはこちらschool.cgs.pics/p/seminar-20230930
👏👏👏👏👏😌良い発言 ありがとう
天武以来、唐が大和王朝の本家ですから、その本家が滅亡して日本の自立が始まった。
祭祀王と統治王がいた前王朝から、唐の支援をうけて皇帝を目指した大和王朝に仁徳天皇のような徳政もなく、民を統治する思想も能力もなかった。都は荒れ果て盗賊の巣窟となった。前王朝の功績を背乗りした新参者の大和王朝は、歴史を改竄した後ろめたい気持ちからのが得られず、怨霊信仰へ成り下がっていった。武士が幕府を開き、権威と権力の分離体制に戻って社会が安定した。
茂木先生シリーズいつも楽しみにしてます!茂木先生に質問してる人もレベル高くて勉強になります🙏
今回もわかりやすい。勉強になります。CGSは識者の一人語りでやっていくとの事だったが、聞き手がおられ方がいいですね。茂木先生もイキイキされて話しやすそう。聞き手のかたが何気に質問されているが、かなりコミュ力のレベルが高い。
何時も良い情報ありがとうございます!
ものすご〜く…よく分かりました。頭の中に言葉がスラスラと入りました(^^)とっても勉強になります。いつもためになる動画をありがとうございます🙏🙇♀️😊
茂木先生のお話はどれも面白いですね、小・中・高の学校の日本史世界史では教わらない切り口で引き込まれます。ありがとうございます。
日本民族とは?が良く解りました。他文化に寛容ながら独自性を生み出す。先生の話を聞いていると,日本人で良かったと感じます。今後も期待しています。
神仏習合をしっかり理解できました。茂木先生、ありがとうございました。❤
茂木先生のお話はテンポ良く、わかりやすく聴きやすくて楽しいです☺️対話形式からの効果も良いのでしょう✨また楽しみにしております😊
知らないことばかりで面白い。
大変勉強になりました。 ただ「外国人排斥」という表現が引っ掛かりました。「外国人は穢れだから入ってくるな」というのではなく外国人による治安の乱れが大いにあり日本国を守るという国防意識を強く抱いたのではないでしょうか
いつも動画をありがとうございます。🙏今回も大変勉強になりました。ケガレとレビ族との関係、また、現代の私達のメンタリティのベースがこの辺にあったようだなどなど本当に面白くて、次のお話が楽しみです!
その土地どち 時代で名前 呼び方が違うだけで役割は同じなんだと思います。穢れは 気が枯れる事。心のさらに奥の 想いの世界が悪の想念になってしまった我欲のままになってしまった人類共通の事だと思います。
平安時代は気温が高かったそうなので、穢れの思想は感染症対策ではないでしょうか?暑いと蚊も増えるし物も腐りやすくなります。外国から未知の病気が入り、すぐ広まりやすいというともあり得ます。
同様に考えます。遣新羅使または遣唐使から流行病(おそらく天然痘)が入ってきて流行していますし、東大寺の大仏も天平の疫病(天然痘)大流行を収める目的での建立ですしね。外国人排斥の高まりも9〜10世紀にかけて新羅やかつての渤海国の地域から海賊が襲来していたからでしょうね。
茂木先生、山岡先生、我家ではモギヤマ二柱コンビと名付け楽しく学ばせていただいております。有難うございます。
ケガレの文化なるほどです。気づけば変わる日本の歴史🇯🇵日々の活動有難う御座います配信感謝致します。
今回も有難うございます。
とても良いお話が聴けました😊色々思い出させて頂けて本当に有り難いです。
井沢元彦先生は日本人の根本原理は穢れ忌避、言霊信仰、怨霊信仰の3つだと昔から仰いますしね。(ただし3原則は井沢先生が勝手に言い始めたのではなく、さらに以前の学者さんだと言うことですけど。)
この時期に外国人が持ち込んだ伝染病と「穢れ」は関係ないでしょうか?外国人排斥につながったと聞いて思いつきました。
とても面白いです。穢れ思想はどうしても旧約聖書のレビ記に通じるところが大きいように感じます。レビ記における穢れとは、罪とは別物として規定されているところが興味深くて、あくまでも神聖な存在としての神を際立たせるための対照的な概念だったという。
茂木先生の講義を楽しく拝聴してます。仏教の本地垂迹説は仏が一神であり多神はその変化であるとの説です。従って仏教は一神論的汎神論であつて、単なる汎神論ではないと思いますが、いががですか?
以前、能登のご大家(文化財になっていました)に見学に行った時、大きな神棚と一体になった仏壇を見ました。昔は 神仏一体の信仰だった、との説明書きがされていました。
茂木先生✨お話ありがとうございます(///∇///)✨
すごく面白いです。ありがとうございます。
宮島に五重塔がある。😄四天王寺に鳥居がある。
茂木先生尊敬してます。
また増えてる、すごいな
拾う文化と狩る文化の境があるのかも?穢を避ける慣習は、天皇を中心のする文化國體の一部でもあるので、保守思想的に重要。歴史の事実、解明したいですね。
1番リスペクトしている祖父 明治生まれ東大卒です。テレビを見ていると馬鹿になると。❔でした。後に洗脳されるという意味だと。主に書物を。旧聖書、日月神示 釈迦の教え 古事記 日本書紀 他。未だ❔と思う思考見解があります。あとは 分裂されていき様々 現カルトが⤴️ 人間は弱い生き者 頼る事もあるかと。天皇も❔で。観てきていませんので。昭和天皇だけは敬意しています。日本人は 欧米化に憧れ 様々文化は受け入れましたね。クリスマス 教会で挙式 他。基本神道だと思っています。話しが外れたかと そして長くなり申し訳ありません。
また超日本史、進化した茂木先生の超日本史、実現してほしいです!
本地垂迹、後から来たのによく浸透しましたね。よっぽど魅力的だったのかな?疑問なのは日本の神は国づくりからだがイエス、マリア以前は何を信仰していたのだろう?
穢れを忌み嫌うこと、差別することは形は違うが日本に限らずどこの民族でもあることだと思うけど。「あいつらは汚い」「あいつらは愚かだ」「あいつらは未開だ」どこでも誰でも持っていておかしくない考え方です。
13:35 穢がいつ起こったか分からないけれどもREV記が・・の件は疑問があります。私見ですが、穢の前に「祟り」があり、例えば奈良時代に藤原四兄弟(不比等の息子達)が天然痘で皆亡くなり、聖武・光明子(藤三娘)が非常に怯えたことが のちに平安の隆盛を極めた藤原氏の一族の根底に受け継がれた。「祟り」はそれ以降も何度も歴史的に出現する。次に「祟り」が訳の分からない気(ムードではない、気中に浮遊するようなもの概念)に変質し→穢が「未知の気」のものと捉えたことが。その初めではないかと感じます。当時の日本の中枢を担う人々(皇室+藤原)がユダヤの聖典を知っていたのか?もし「秦氏」がユダヤ末裔だとしても、そこまで日本国の精神的中枢に入り込めていたのか?甚だ疑問を感じます。。(長文失礼しました。)
日本がアメリカから独立したら、日本6インドと国家連合を組みましょう‼️仏教はヒンズー教とは親戚だし。茂木先生が一神教と多神教が相互乗り入れ可能と言ったロジックをもう少し詳しく聴きたいです。
穢れに関しては茂木先生が以前解説頂いた疫病や流行り病が関係しているのではないでしょうか?
穢れ=気が涸れてなくすもの=死神
茂木さんは移民賛成だもんなぁ俺は反対だな
平安時代ー
穢れ思想と大同二年の出来事が関係ありそうに思えてきました
神道だと日本神話では生理はヤマトタケルが歌にしてたりして特に嫌ってたりはしてないから実は神道とも関係ない やはり仏教かキリスト教なのだろうかな?
秀吉がキリスト教の牧師を追放したのは、外国人が日本人を買い集め、海外に連れていき奴隷として売っていたのが一つの原因。秀吉は牧師に、この奴隷貿易をやめるように指示したが、牧師はそれを止めることができなかった。それで追放された。
武士は川を使った武具を結構使ってた。装飾性の無い革草鞋なんかはその代表だと思う。つまりエタ・非人がいないと(社会が)成り立たなかったと思う。公家や武家の装飾品に使用する毛皮等にも言える。
平安時代の穢れの考え方は、現代人にはわかりにくいですね。源氏物語の評論を読んでいたときに思いました。光源氏は美しく、優秀だからこそ、災いを呼び寄せる。身分が低かったり、職業が下賤だったりすることが、穢れと結びつくだけでなく、優秀だったり、美しかったりすることが、災いを呼び寄せる。桐壺更衣は美しく、美しいがゆえに寵愛を受けて、嫉妬され、嫌がらせを受けて、若くして亡くなります。こうした考え方の根底に、運命についての独特の考え方がある。ピカソはひどい男です。出会う女性すべてを不幸に追いやる。ジャクリーヌが自殺し、マリ=テレーズが自殺し、孫も自殺しています。ケネディ家も、暗殺や事故が続いています。富や名声、才能、容姿の美しさ、そうしたものが災いを呼び寄せるという考え方。穢れや陰陽道、風水には、人を魅了する美しさや才能、力強さが、その人の運命だけでなく、まわりにいる人にも影響を与えて、そうした大きな渦の流れの中から様々な事件が起きて、大洪水に翻弄されるように取り返しのつかない悲劇が起きる。末世思想と結びついたときに、平安貴族の世界観になるのかなと思います。
晴れと穢れ ハレに対してのケガレですね
ケガレを嫌う、で思いだす古代氏族は【忌部氏】です
アジア圏は本地垂迹、真実ではないかと思います。最近世界の歴史、宗教を調べていて同じ答えにたどりつきました。
全能 の 神様 大日如来
大日如来と天照大神とか、豊川稲荷は曹洞宗のお寺だったり、今でも仏教と神道の繋がりを感じることはできますね。浅草神社は浅草寺の隣にありますが、江戸時代までは一緒だったのかもしれません。そんなのが全国にあって、明治に無理やり離されたのかな?
これもGHQの支配政策です。
⛩🦀今後は⛩一つの王でマトメルゾ‥⛩⛩⛩
茂木先生大祓祝詞ですが、伊勢の式年遷宮が600年頃に決定そして式年遷宮の意図は、伊勢の様式、儀式、祭司方法は〈創建時より変えるな〉ですから大祓祝詞は創建時から同じです伊勢神道文書にあります全国統一祝詞が800年代っすね
予想ですが天武天皇が儒教式参拝の神社拝殿に立って礼拝を初めたので〈伊勢は変えるな原初を守れ〉の意味合いもあったかとなので伊勢の神職の神事は、地面に座して行います
道徳観は習合の賜物という気はします
マリア 様 観音様
徳島阿波の国以外ですね。
質問者の話し方を聞いていると、「聞き方」がうるさい、と言うか喋りすぎ!先生の話を引き出して出来るだけ茂木先生に話してもらうようにしてくれないと悪いけど時々イラ💢っとする神谷さんの時はそのストレスがないからやっぱり上手いんだな、と思う
神社は、税を納める場所ですね、米や食べ物、、、寺は役所、、過去帳、が、有ります、、神社は、税務署です
疫病や、巨大化した都市の衛生管理とも、関係あるでしょうね。
仏教 と 神道 は 矛盾 しない
6:50 ハロウィンは祝いませんよ。
今回の分は釈然としませんね😢何がと指摘はできないけど、違和感を強く感じます。う~ん?
秦 氏 は 聖書 に せいつう シテ いた
物部守屋の変で神道 物部宗家を滅ぼしたなら、仏教勢力が神道を排除してもおかしくないですが、神道習合で神道を取り入れていったという事は、ヤマト民族から神道を取り上げたら、民衆を抑えられないという事なのでしょうか?また、神社の建物が赤くなるのは、平安京からでしょうか?秦氏の影響、旧約聖書の影響?
いつも 見させて 頂いて 今 ス
ハロウィンは、耶蘇教と無関係。
水洗便所無しでは暮せないこの人達 車無しでは到底行けないこの人達 此の出たら目至極の物語師が恰も真摯な話し事のように話す事の不可解さ やはり karl marxs 的破壊力で打消しされる運命かも!😢
これが日本人(弥生人)の本来の信仰だよ:山は死霊が住む場所弥谷寺(いやだにじ)。昔から死霊が行くと信じられている弥谷寺のイヤという言葉は、恐れ、慎むという意味で、敬うのウヤ・オヤなどと同義の言葉。徳島県の剣山麓の祖谷山(いややま)のイヤも同じ言葉で、奥深い山村、吉野川上流地方の人は古くは死霊のこもる山というイメージを持っていた。弥谷参り。人が死ぬと死者の霊をこの山に伴っていくのが弥谷参りという。死後七日目、四九日目、ムカワレ(一周忌)、春秋の彼岸の中日、弥谷寺のオミズマツリの日などに、死者の髪の毛と野位牌(のいわい)などを持っていく。三豊郡旧荘内の箱浦(詫間町)では弥谷参りを死後三日目、または七日目に行なうことになっている。七日目の仏事のことを一一夜(ひといちや)という。弥谷参りに偶数で行くというのは、帰りに死者の霊がついてくるのを防ぐためであり、帰りに仁王門の傍の茶店で会食をしてから後を振り向かないで帰ることや、家に帰ってから本膳で会食をするというのは、死霊との食い別れを意味する。墓に設けた棚をこわすのも、死霊が墓に留まるのを嫌がり、再び死霊が家に帰ってくるのを防ぐための風習。死んでから後に何年かたって、彼岸の中日やオミズマツリに弥谷山へ行くのは死霊に再会するためのものであるかもしれないが、死して間もない頃に行なわれる弥谷参りの行事は、明らかに死霊を家から送り出すための行事であった。七十一番の弥谷寺参詣をおもな行事として、四国八十八ケ所寺の中で七十二番の曼荼羅寺、七十三番の出釈迦寺、七十四番甲山寺、七十五番善通寺、七十六番金倉寺、七十七番道隆寺を巡ることが春秋の彼岸の中日に行なわれているが、香川県の西部一帯ではこれを七ケ所巡りと呼んでいる。七か寺の中で弥谷寺参りだけは欠かせないところから見ると、この行事は新仏のあった家では死者の霊を送り出すため、そうでない家では弥谷山にこもっている死霊に会いに行くためのものであった。このような寺々をめぐる風習が、やがては四国八十八ケ所遍路の風習にまで広がっていく一因になったといわれている。埋め墓と弥谷山。弥谷山は死霊のこもる山であるが、それをはっきりと物語っているのは山麓地方から付近一帯に行なわれている墓制がある。今ではそれは両墓制(りょうぼせい)と呼ばれ、死体を埋める埋め墓と死後一年とか二、三年目に建てられる参り墓(石碑)との二つの墓を有する墓制として知られているが、どちらかというとそれはそれほど古くない墓制であった。死者の霊はなんということなしにひとりでに弥谷山に上っていくようになっている。弥谷山には死霊の行く山としての信仰が深く、付近の住民にとってはもちろん四国の霊地を遍歴する者にとっても、どうしても立ち寄らねばならぬ霊場なのだ。haruhenro.blog60.fc2.com/blog-entry-46.html修験道=「生まれかわりの旅」のはじまり出羽三山は、山形県の中央にそびえる羽黒山(414m)・月山(1,984m)・湯殿山(1,504m)の総称であり、月山を主峰とし羽黒山と湯殿山が連なる優美な稜線を誇ります。おおよそ1,400年前、崇峻天皇の御子の蜂子皇子が開山したと言われる羽黒山は、羽黒修験道の行場であり中枢です。修験道とは、自然信仰に仏教や密教が混じり生まれた日本独特の山岳信仰です。羽黒修験道の極意は、羽黒山は現世の幸せを祈る山(現在)、月山は死後の安楽と往生を祈る山(過去)、湯殿山は生まれかわりを祈る山(未来)と見立てることで、生きながら新たな魂として生まれかわることができるという巡礼は江戸時代に庶民の間で、現在・過去・未来を巡る「生まれかわりの旅」(羽黒修験道では「三関三渡の行」と言う。)となって広がりました。羽黒山の秋の峰入り〜「生まれかわりの旅」の原点〜はるか昔から人々は、山は神そのものであり神霊の宿る聖地、新たな生命を育む霊地と考えてきました。山伏がその霊地である山に籠こもるということは、現世の自分を一度葬り母の胎内に宿ることを意味します。山伏たちは自らを死者とみなして白装束をまとい 「あの世」に見立てた山を駈け巡り、難行苦行をして穢を祓い、わが身に山の神霊をいわい込め新たな魂として再び「生」を得てこの世に出峰します。山伏の目的は、即身成仏(生きたまま悟りを開く)するための修行であり、山で得た霊力を用いて生きとし生けるものを救済することです。この擬死再生の儀礼を現在に残す唯一の修行と言われているのが羽黒修験の「秋の峰入り」です。nihonisan-dewasanzan.jp/reborn/
疫病、パンデミックの影響でしょうね。ウイルス=穢れと言うことですよね。
華頂博一氏 日本人は、世界最古のハイブリッダーです。同じですね
合体合体って超合金みたいでちょっと笑いました😊
弁天様 ヒンドゥー の 川 の 神様大黒天 出雲 の オオコノヌシ
6:57他信教???
少子化で、仏教は減少しますが神社はなくなりません、葬式も無く法事もくなります。孤独死の親戚はどうやって探しますか?、日本に住んで居るんですか?神道なら5円玉一つ持っていれば初詣に行けます。
あ…うちにもコトシロヌシさんいた😮
簡単に仏とは亡くなられた方が仏、、、😂
一神教 と 多神教 との 相互 乗り入れ は 可能?
その緩いところが嫌われてると元ですね
取り込み を 行って きた
ひいじーさんは、お坊さんと神主両方やってた。
穢れは疫病と関係しているのでは?
穢れ思想、マルフォイかな
特定 宗教 の 弾圧 は 本来 ありえ ない 国 が 日本
宗教って一つの囲い込みなのでしょうか?今の日本ってけがれてますよね!
後から入って来た仏教を立てた。敬意の表れか?神道には教えがないが、仏教にはあるという事で判り易かったのでは?尤も、仏教が宗教なのかという疑問が、当時なかったのだろうか?如何にして悟るかの方法論であって、何しろ神の概念がないのだから。だから神仏習合ができたのかな、とは思う。一神教はただ一人の絶対神しか認めない。死後は地獄か天国のどちらかしかなく、ゼウスの心の狭さをザビエルに問うた日本の農民は、我々現代人よりも鋭かったと思う。
明治 から 神 仏 分離 と なった
本地垂迹 付け焼き刃のおもいつき なんでも感心すんじゃないよ
いつでも頭のいいヤツがいてそんでいつも騙されるんだね〜あはは➖😅😅😅😅‼️🥸
カトリック も 融通無碍 チャラン ポラン
Wikipediaー神祇伯時代構成崩壊模擬先生
日本人 は なんなのか と いう こと を 考えると 平安時代 から 排他的 な部分 は あった と 言える? の です ね
マリア像を安置しているお寺もあります。
要するに、仏教の神道の神々に対する「背乗り」大陸に感化されると思考や行いも是非も感化される。あんなのを有難がっているあほらしさに気づいた方が良い。
神様も変なもんと合体させられて迷惑してませんかね?w
「国家神道になるときですね」という訳の分からない相槌を聞き手がしているが、聞き手がこういう低レベルな相槌をするとせっかくの茂木先生のご解説にとって迷惑です。
先生の話面白すぎ!聞き手の方がいた方が面白い!日本の神々はバイリンガルですね!
▼9月30日(土)オンラインセミナーはこちら
school.cgs.pics/p/seminar-20230930
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天武以来、唐が大和王朝の本家ですから、その本家が滅亡して日本の自立が始まった。
祭祀王と統治王がいた前王朝から、唐の支援をうけて皇帝を目指した大和王朝に仁徳天皇のような徳政もなく、民を統治する思想も能力もなかった。都は荒れ果て盗賊の巣窟となった。
前王朝の功績を背乗りした新参者の大和王朝は、歴史を改竄した後ろめたい気持ちからのが得られず、怨霊信仰へ成り下がっていった。
武士が幕府を開き、権威と権力の分離体制に戻って社会が安定した。
茂木先生シリーズいつも楽しみにしてます!
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今回もわかりやすい。勉強になります。CGSは識者の一人語りでやっていくとの事だったが、聞き手がおられ方がいいですね。茂木先生もイキイキされて話しやすそう。聞き手のかたが何気に質問されているが、かなりコミュ力のレベルが高い。
何時も良い情報ありがとうございます!
ものすご〜く…よく分かりました。
頭の中に言葉がスラスラと入りました(^^)
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茂木先生のお話はどれも面白いですね、小・中・高の学校の日本史世界史では教わらない切り口で引き込まれます。ありがとうございます。
日本民族とは?が良く解りました。他文化に寛容ながら独自性を生み出す。
先生の話を聞いていると,日本人で良かったと感じます。今後も期待しています。
神仏習合をしっかり理解できました。茂木先生、ありがとうございました。❤
茂木先生のお話はテンポ良く、わかりやすく聴きやすくて楽しいです☺️対話形式からの効果も良いのでしょう✨また楽しみにしております😊
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大変勉強になりました。 ただ「外国人排斥」という表現が引っ掛かりました。「外国人は穢れだから入ってくるな」というのではなく
外国人による治安の乱れが大いにあり日本国を守るという国防意識を強く抱いたのではないでしょうか
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次のお話が楽しみです!
その土地どち 時代で
名前 呼び方が違うだけで役割は同じなんだと思います。
穢れは 気が枯れる事。
心のさらに奥の 想いの世界が悪の想念になってしまった我欲のままになってしまった人類共通の事だと思います。
平安時代は気温が高かったそうなので、穢れの思想は感染症対策ではないでしょうか?
暑いと蚊も増えるし物も腐りやすくなります。
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同様に考えます。
遣新羅使または遣唐使から流行病(おそらく天然痘)が入ってきて流行していますし、東大寺の大仏も天平の疫病(天然痘)大流行を収める目的での建立ですしね。
外国人排斥の高まりも9〜10世紀にかけて新羅やかつての渤海国の地域から海賊が襲来していたからでしょうね。
茂木先生、山岡先生、我家ではモギヤマ二柱コンビと名付け楽しく学ばせていただいております。有難うございます。
ケガレの文化
なるほどです。
気づけば変わる
日本の歴史🇯🇵
日々の活動
有難う御座います
配信感謝致します。
今回も有難うございます。
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井沢元彦先生は日本人の根本原理は穢れ忌避、言霊信仰、怨霊信仰の3つだと昔から仰いますしね。(ただし3原則は井沢先生が勝手に言い始めたのではなく、さらに以前の学者さんだと言うことですけど。)
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茂木先生の講義を楽しく拝聴してます。仏教の本地垂迹説は仏が一神であり多神はその変化であるとの説です。従って仏教は一神論的汎神論であつて、単なる汎神論ではないと思いますが、いががですか?
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茂木先生✨お話ありがとうございます
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茂木先生尊敬してます。
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穢を避ける慣習は、天皇を中心のする文化國體の一部でもあるので、保守思想的に重要。
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本地垂迹、後から来たのによく浸透しましたね。
よっぽど魅力的だったのかな?
疑問なのは日本の神は国づくりからだがイエス、マリア以前は何を信仰していたのだろう?
穢れを忌み嫌うこと、差別することは形は違うが日本に限らずどこの民族でもあることだと思うけど。「あいつらは汚い」「あいつらは愚かだ」「あいつらは未開だ」どこでも誰でも持っていておかしくない考え方です。
13:35 穢がいつ起こったか分からないけれどもREV記が・・の件は疑問があります。
私見ですが、穢の前に「祟り」があり、例えば奈良時代に藤原四兄弟(不比等の息子達)
が天然痘で皆亡くなり、聖武・光明子(藤三娘)が非常に怯えたことが のちに平安の隆盛を
極めた藤原氏の一族の根底に受け継がれた。「祟り」はそれ以降も何度も歴史的に出現する。
次に「祟り」が訳の分からない気(ムードではない、気中に浮遊するようなもの概念)に変質し
→穢が「未知の気」のものと捉えたことが。その初めではないかと感じます。
当時の日本の中枢を担う人々(皇室+藤原)がユダヤの聖典を知っていたのか?
もし「秦氏」がユダヤ末裔だとしても、そこまで日本国の精神的中枢に入り込めていたのか?
甚だ疑問を感じます。。(長文失礼しました。)
日本がアメリカから独立したら、日本6インドと国家連合を組みましょう‼️仏教はヒンズー教とは親戚だし。茂木先生が一神教と多神教が相互乗り入れ可能と言ったロジックをもう少し詳しく聴きたいです。
穢れに関しては
茂木先生が以前解説頂いた
疫病や流行り病が関係しているのではないでしょうか?
穢れ=気が涸れてなくすもの=死神
茂木さんは移民賛成だもんなぁ
俺は反対だな
平安時代ー
穢れ思想と大同二年の出来事が関係ありそうに思えてきました
神道だと日本神話では生理はヤマトタケルが歌にしてたりして特に嫌ってたりはしてないから実は神道とも関係ない
やはり仏教かキリスト教なのだろうかな?
秀吉がキリスト教の牧師を追放したのは、外国人が日本人を買い集め、海外に連れていき奴隷として売っていたのが一つの原因。秀吉は牧師に、この奴隷貿易をやめるように指示したが、牧師はそれを止めることができなかった。それで追放された。
武士は川を使った武具を結構使ってた。
装飾性の無い革草鞋なんかはその代表だと思う。
つまりエタ・非人がいないと(社会が)成り立たなかったと思う。
公家や武家の装飾品に使用する毛皮等にも言える。
平安時代の穢れの考え方は、現代人にはわかりにくいですね。源氏物語の評論を読んでいたときに思いました。光源氏は美しく、優秀だからこそ、災いを呼び寄せる。身分が低かったり、職業が下賤だったりすることが、穢れと結びつくだけでなく、優秀だったり、美しかったりすることが、災いを呼び寄せる。桐壺更衣は美しく、美しいがゆえに寵愛を受けて、嫉妬され、嫌がらせを受けて、若くして亡くなります。こうした考え方の根底に、運命についての独特の考え方がある。ピカソはひどい男です。出会う女性すべてを不幸に追いやる。ジャクリーヌが自殺し、マリ=テレーズが自殺し、孫も自殺しています。ケネディ家も、暗殺や事故が続いています。富や名声、才能、容姿の美しさ、そうしたものが災いを呼び寄せるという考え方。穢れや陰陽道、風水には、人を魅了する美しさや才能、力強さが、その人の運命だけでなく、まわりにいる人にも影響を与えて、そうした大きな渦の流れの中から様々な事件が起きて、大洪水に翻弄されるように取り返しのつかない悲劇が起きる。末世思想と結びついたときに、平安貴族の世界観になるのかなと思います。
晴れと穢れ ハレに対してのケガレですね
ケガレを嫌う、で思いだす古代氏族は【忌部氏】です
アジア圏は本地垂迹、真実ではないかと思います。最近世界の歴史、宗教を調べていて同じ答えにたどりつきました。
全能 の 神様 大日如来
大日如来と天照大神とか、豊川稲荷は曹洞宗のお寺だったり、今でも仏教と神道の繋がりを感じることはできますね。浅草神社は浅草寺の隣にありますが、江戸時代までは一緒だったのかもしれません。そんなのが全国にあって、明治に無理やり離されたのかな?
これもGHQの支配政策です。
⛩🦀今後は⛩一つの王でマトメルゾ‥⛩⛩⛩
茂木先生
大祓祝詞ですが、伊勢の式年遷宮が600年頃に決定
そして式年遷宮の意図は、伊勢の様式、儀式、祭司方法は〈創建時より変えるな〉ですから大祓祝詞は創建時から同じです
伊勢神道文書にあります
全国統一祝詞が800年代っすね
予想ですが
天武天皇が儒教式参拝の神社拝殿に立って礼拝を初めたので
〈伊勢は変えるな原初を守れ〉の意味合いもあったかと
なので伊勢の神職の神事は、地面に座して行います
道徳観は習合の賜物という気はします
マリア 様 観音様
徳島阿波の国以外ですね。
質問者の話し方を聞いていると、「聞き方」がうるさい、と言うか喋りすぎ!
先生の話を引き出して出来るだけ茂木先生に話してもらうようにしてくれないと
悪いけど時々イラ💢っとする
神谷さんの時はそのストレスがないからやっぱり上手いんだな、と思う
神社は、税を納める場所ですね、米や食べ物、、、寺は役所、、過去帳、が、有ります、、神社は、税務署です
疫病や、巨大化した都市の衛生管理とも、関係あるでしょうね。
仏教 と 神道 は 矛盾 しない
6:50 ハロウィンは祝いませんよ。
今回の分は釈然としませんね😢
何がと指摘はできないけど、違和感を強く感じます。う~ん?
秦 氏 は 聖書 に せいつう シテ いた
物部守屋の変で神道 物部宗家を滅ぼしたなら、仏教勢力が神道を排除してもおかしくないですが、神道習合で神道を取り入れていったという事は、ヤマト民族から神道を取り上げたら、民衆を抑えられないという事なのでしょうか?
また、神社の建物が赤くなるのは、平安京からでしょうか?秦氏の影響、旧約聖書の影響?
いつも 見させて 頂いて 今 ス
ハロウィンは、耶蘇教と無関係。
水洗便所無しでは暮せないこの人達 車無しでは到底行けないこの人達 此の出たら目至極の物語師が恰も真摯な話し事のように話す事の不可解さ やはり karl marxs 的破壊力で打消しされる運命かも!😢
これが日本人(弥生人)の本来の信仰だよ:
山は死霊が住む場所
弥谷寺(いやだにじ)。
昔から死霊が行くと信じられている弥谷寺のイヤという言葉は、恐れ、慎むという意味で、敬うのウヤ・オヤなどと同義の言葉。徳島県の剣山麓の祖谷山(いややま)のイヤも同じ言葉で、奥深い山村、吉野川上流地方の人は古くは死霊のこもる山というイメージを持っていた。
弥谷参り。
人が死ぬと死者の霊をこの山に伴っていくのが弥谷参りという。
死後七日目、四九日目、ムカワレ(一周忌)、春秋の彼岸の中日、弥谷寺のオミズマツリの日などに、死者の髪の毛と野位牌(のいわい)などを持っていく。
三豊郡旧荘内の箱浦(詫間町)では弥谷参りを死後三日目、または七日目に行なうことになっている。七日目の仏事のことを一一夜(ひといちや)という。
弥谷参りに偶数で行くというのは、帰りに死者の霊がついてくるのを防ぐためであり、帰りに仁王門の傍の茶店で会食をしてから後を振り向かないで帰ることや、家に帰ってから本膳で会食をするというのは、死霊との食い別れを意味する。
墓に設けた棚をこわすのも、死霊が墓に留まるのを嫌がり、再び死霊が家に帰ってくるのを防ぐための風習。
死んでから後に何年かたって、彼岸の中日やオミズマツリに弥谷山へ行くのは死霊に再会するためのものであるかもしれないが、死して間もない頃に行なわれる弥谷参りの行事は、明らかに死霊を家から送り出すための行事であった。
七十一番の弥谷寺参詣をおもな行事として、四国八十八ケ所寺の中で七十二番の曼荼羅寺、七十三番の出釈迦寺、七十四番甲山寺、七十五番善通寺、七十六番金倉寺、七十七番道隆寺を巡ることが春秋の彼岸の中日に行なわれているが、香川県の西部一帯ではこれを七ケ所巡りと呼んでいる。
七か寺の中で弥谷寺参りだけは欠かせないところから見ると、この行事は新仏のあった家では死者の霊を送り出すため、そうでない家では弥谷山にこもっている死霊に会いに行くためのものであった。
このような寺々をめぐる風習が、やがては四国八十八ケ所遍路の風習にまで広がっていく一因になったといわれている。
埋め墓と弥谷山。
弥谷山は死霊のこもる山であるが、それをはっきりと物語っているのは山麓地方から付近一帯に行なわれている墓制がある。今ではそれは両墓制(りょうぼせい)と呼ばれ、死体を埋める埋め墓と死後一年とか二、三年目に建てられる参り墓(石碑)との二つの墓を有する墓制として知られているが、どちらかというとそれはそれほど古くない墓制であった。
死者の霊はなんということなしにひとりでに弥谷山に上っていくようになっている。弥谷山には死霊の行く山としての信仰が深く、付近の住民にとってはもちろん四国の霊地を遍歴する者にとっても、どうしても立ち寄らねばならぬ霊場なのだ。
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修験道=「生まれかわりの旅」のはじまり
出羽三山は、山形県の中央にそびえる羽黒山(414m)・月山(1,984m)・湯殿山(1,504m)の総称であり、月山を主峰とし羽黒山と湯殿山が連なる優美な稜線を誇ります。
おおよそ1,400年前、崇峻天皇の御子の蜂子皇子が開山したと言われる羽黒山は、羽黒修験道の行場であり中枢です。
修験道とは、自然信仰に仏教や密教が混じり生まれた日本独特の山岳信仰です。
羽黒修験道の極意は、羽黒山は現世の幸せを祈る山(現在)、
月山は死後の安楽と往生を祈る山(過去)、
湯殿山は生まれかわりを祈る山(未来)
と見立てることで、生きながら新たな魂として生まれかわることができるという巡礼は江戸時代に庶民の間で、現在・過去・未来を巡る「生まれかわりの旅」(羽黒修験道では「三関三渡の行」と言う。)となって広がりました。
羽黒山の秋の峰入り〜「生まれかわりの旅」の原点〜
はるか昔から人々は、山は神そのものであり神霊の宿る聖地、新たな生命を育む霊地と考えてきました。
山伏がその霊地である山に籠こもるということは、現世の自分を一度葬り母の胎内に宿ることを意味します。
山伏たちは自らを死者とみなして白装束をまとい 「あの世」に見立てた山を駈け巡り、難行苦行をして穢を祓い、わが身に山の神霊をいわい込め新たな魂として再び「生」を得てこの世に出峰します。
山伏の目的は、即身成仏(生きたまま悟りを開く)するための修行であり、山で得た霊力を用いて生きとし生けるものを救済することです。この擬死再生の儀礼を現在に残す唯一の修行と言われているのが羽黒修験の「秋の峰入り」です。
nihonisan-dewasanzan.jp/reborn/
疫病、パンデミックの影響でしょうね。ウイルス=穢れと言うことですよね。
華頂博一氏 日本人は、世界最古のハイブリッダーです。同じですね
合体合体って超合金みたいでちょっと笑いました😊
弁天様 ヒンドゥー の 川 の 神様
大黒天 出雲 の オオコノヌシ
6:57他信教???
少子化で、仏教は減少しますが神社はなくなりません、葬式も無く法事もくなります。孤独死の親戚はどうやって探しますか?、日本に住んで居るんですか?
神道なら5円玉一つ持っていれば初詣に行けます。
あ…うちにもコトシロヌシさんいた😮
簡単に仏とは亡くなられた方が
仏、、、😂
一神教 と 多神教 との 相互 乗り入れ は 可能?
その緩いところが嫌われてると元ですね
取り込み を 行って きた
ひいじーさんは、お坊さんと神主両方やってた。
穢れは疫病と関係しているのでは?
穢れ思想、マルフォイかな
特定 宗教 の 弾圧 は 本来 ありえ ない 国 が 日本
宗教って一つの囲い込みなのでしょうか?今の日本ってけがれてますよね!
後から入って来た仏教を立てた。敬意の表れか?
神道には教えがないが、仏教にはあるという事で判り易かったのでは?尤も、仏教が宗教なのかという疑問が、当時なかったのだろうか?如何にして悟るかの方法論であって、何しろ神の概念がないのだから。
だから神仏習合ができたのかな、とは思う。一神教はただ一人の絶対神しか認めない。死後は地獄か天国のどちらかしかなく、ゼウスの心の狭さをザビエルに問うた日本の農民は、我々現代人よりも鋭かったと思う。
明治 から 神 仏 分離 と なった
本地垂迹 付け焼き刃のおもいつき なんでも感心すんじゃないよ
いつでも頭のいいヤツがいてそんでいつも騙されるんだね〜あはは➖😅😅😅😅‼️🥸
カトリック も 融通無碍 チャラン ポラン
Wikipediaー神祇伯
時代構成崩壊模擬先生
日本人 は なんなのか と いう こと を 考えると 平安時代 から 排他的 な
部分 は あった と 言える? の です ね
マリア像を安置しているお寺もあります。
要するに、仏教の神道の神々に対する「背乗り」
大陸に感化されると思考や行いも是非も感化される。
あんなのを有難がっているあほらしさに気づいた方が良い。
神様も変なもんと合体させられて迷惑してませんかね?w
「国家神道になるときですね」という訳の分からない相槌を聞き手がしているが、聞き手がこういう低レベルな相槌をするとせっかくの茂木先生のご解説にとって迷惑です。
先生の話面白すぎ!
聞き手の方がいた方が面白い!
日本の神々はバイリンガルですね!