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いつも楽しく拝見させていただいております。私がジャズ理論を習っている先生から以前に、料理に例えると曲は素材であり、素材の良さを引き出すのが料理人たる演奏家の腕前だ、といった話を聞き、とても納得したおぼえがあります。今回のお話は、この料理の例えに通じるところがあるのではと思いました。
引き続き素晴らしい動画をありがとうございます。理論の事は考えずに演奏しろと仰る方もいますが、それは守破離があっての事ですね。曲の事を大して学ばずに「離」だけがあるのでは、良い演奏家とは言えないのでしょう。あまり私は音楽理論には詳しくないですが、先人の演奏から学ぶ事もまた理論を学ぶ事になると知り、励みになりました。ありがとうございます。
僕も同様に考えています。ジャズの最終目標は、自分なりに自分の音楽を創っていくことだと思っています。そのためには、先人の実践や知恵を理解し、自分なりに血肉にしていった先に実現できるものだと思っています。
昔からウェスが引き合いに出されますが、彼は類稀な天才ですよね。天才と自分を同列に並べて、ウェスは理論を知らなかったと言うのは随分思い上がった話だと思います。理論とは、自分なりの方法論を芯に持っているのかということと考えれば、ウェスは理論を知っていたと言えますよね。
テーマの目立った音程素材でメロディを作る練習をようやく始めたところです…どんな曲でもまったく同じフレーズが出てきてしまうので
こちら様の演奏動画をいくつか拝見しまして、高い技術力と演奏への情熱をお持ちなんだと感じました。Wes montgomeryの動画をアップしていただいて、わたしのような者がこの時代に日本の片隅でそれを見ることができました。ほんとにTH-camというのは凄いプラットフォームなんだと痛感します。天国で本人もびっくりしているかもしれません。ほんとうに、ありがとうございました。
日本人は理論を絶対的なルールでそっから外れたらダメって人が多いのと、〇〇っぽくやりたいと思う人が多いと思います。で、頭では理解してるけどセンスが追いつかない。ジャズの手法を辿るのも良いけど短いストーリーをどう作るかとかそういうセンスを磨くべきだと思います。沢山ツール持ってても上手く使いこなせなきゃ意味無し。
おー。このウェスの映像面白いです。私も独学でコードの読み書きものすごく苦手ですが、知らない曲でもキーがわかって構造がわかれば知らない曲でも演奏できます(いわゆるスタンダードみたいなやつだけですが)。キーと曲のサイズがわかったらベースラインをバッハの左手として右手をどう考えるか、だけで相当色々できますね。
大学のゼミなんかでも基礎知識の重要性は痛感します。単語や文法だけ勉強しても語学は上達しないけど、そもそも単語や文法が使いこなせなければディベートなんて出来っこないのです。過去には中村勘三郎さんが「型破り」と「形無し」という言葉を用いて似たような事をおっしゃっていましたが、音楽理論も同様の事が言えそうですね。自分と同郷にプロのジャズドラマーがいますが、彼は高校時代はメタルとジャズを掛け持ちしてバリテクドラマーとして名を馳せ、高校卒業と同時にボストンの有名音大に進みました。アメリカのテクニカル系バンドにも音大卒のジャズ畑出身のベーシストやドラマーが沢山いますが、彼らにしてみれば音楽理論も異ジャンルの音楽も自己表現を高めるためのツールでしかないというか、そこを基盤にしてどれだけ自分の表現を高める事が出来るかにしか着目してないような気がします。それは現代のジャズミュージシャン、例えばカマシ・ワシントンやサンダーキャットにも同様の事を感じます。音楽理論の是非という以前に、それが自身の基盤の最低限の構成要素になってるから無い前提がそもそも考えられないというか。逆説的にはそれだけ日本では「なぞるだけの教育」が横行していて、血肉となるまで使いこなすための教育が疎かになっているという事かも知れません。
この音楽が生まれたアメリカでさえ、音楽教育は十分とはいえず、現在第一線で活躍するミュージシャン達は日々研究を続けていますそんな音楽を遠く離れた日本で会得しようと思うなら、彼ら以上の覚悟と努力が必要なことは必然です
ii-Vリックを集めて(それは大事だけど)垂れ流しているだけでは本当に演奏したことにはならない、ということかしら?
Wesさんが「このコードで始まるけど、キーはこれです」と言ってましたが、これは重要なことだとわたしは思います。例えばⅠ→Ⅳ→Ⅴ→ⅠⅡ→Ⅴ→Ⅰこの2つのコード進行を別々に聞いた場合、起承転結をはっきりと表現する3コードパターンを聞き慣れた人は、どちらのコード進行でも、最初のコードのトニックをキーとして認識するのではないかと思われるからです。つまり、Ⅰのキーの曲をⅡから始めた場合、キーはⅡとして認識していたのに、途中でⅠのキーに転調したような錯覚を覚える(ドミナントモーションでⅠに解決しているように感じられる)のではないか。この錯覚は楽曲に浮遊感を与える効果があるかもしれません。あるいは、ⅠのキーのスケールとⅡのキーのスケール(1音平行移動した同じスケール)を同じ楽曲内で、部分的に混ぜ合わせることが可能になるのかもしれません。このとき、Ⅰのキーとしてこの楽曲をコーダルな古典音楽理論で考察すると、Ⅱ→Ⅴ→Ⅰの部分は理論に反することもあり得ると言えます。これらのことは、理論というより、人間の認識が、最初に聞いた音や和音を基準にしたり、前の音から比べて相対音感で楽曲を認識することに由来しています。トニックコード以外からスタートすることなどによる「錯覚」を利用して楽曲を複雑に構成できるということであり、人間がそういった認識を行う生き物である、ということです。そうすると、理論的に禁止された音をわざと出して解決する、こともできるかもしれない。つまり音楽は、聞いた感じが気持ちよければ、理論なんか関係なく、なんでもありなのです。
Ⅰ→Ⅱ、はÇメジャーがDメジャーに転調していると考えられます。さらにⅡ→ⅢでEメジャーに転調して、Ⅲ→ⅣでFに転調しますが、このFがÇメジャーのⅣ度に戻ってきたと解釈できるかなと思います。コード理論は、ドミナントモーションができるメジャースケールとマイナースケールの中で成り立つものではないかとわたしは思っています。メジャースケールはイオニアンモードであり、マイナースケールはエオリアンモードです。一般的なモードでは、ドミナントモーションができないのが普通のことであり、起承転結のない曖昧な雰囲気の楽曲になりますが、神秘的でもあり、教会旋法として知られています。ドリアンモードのスカボローフェアは有名ですね。練習で、Ⅰ音平行移動したメジャーコードを行ったり来たりさせて、その中でアドリブを演奏する、ということができます。このときにドリアンなどのモードを転調(1音並行移動)させて使ったりできます。もしかしたら、気持ちよければ、コーダルな楽曲の中でも部分的に使えるかもしれません。自己責任で試すのもありかなと思います。
音楽は耳で聴いてよければ理論なんていらない。音楽は自由。自由を求めてJAZZを聴く。ところがJAZZは理論だらけの不自由なものだった。許せない!!!!!全てチャーリーパーカーのせいです。彼の方法があまりにも素晴らしすぎてJAZZ理論というものにまでなってしまったせいです!!!!我々がいくら感覚で弾いてもJAZZっぽくならないのは彼の弾き方を知らないからなのです!!!なぜ自由を求めてJAZZを聴き出したのに彼の方法を学ばなければJAZZっぽくならないのでしょうか!!全く不自由です!許せない!なぜBASIC SOUNDだのGUIDE TONEだの気にしなければならないのですか!!ええい面倒くさい!!!そうして今日も巷にはなんちゃってJAZZが自由に演奏される。時は2400年。遂にチャーリーパーカーを超えたなんちゃってJAZZ界のプリンスが現れた!!!!奇跡た!これが自由な音楽なのだ!!!!
メジャーとマイナーの違いは、理論では説明できません。人間がその音程の重なりや並びを聞いたとき明るい印象を受けたり暗い印象を受けたりする、という事実でしかない。テンションを追加したときの印象も、なぜそうなるのか、という説明はできません。どのように聞こえるかを理論で考えてもあまり意味はないわけです。そして楽曲を創発する営みでは、 どのように聞こえるかが意味を持ちます。正しい音楽理論ではこの人間の特性を的確に列記することになろうかと思います。メジャーとマイナー以外に、中間的なスケールやコードが存在していて、それは教会旋法(モード)やセブンスコードなどです。一般化して論理的に音楽を説明するとすれば、ドミナントモーションする起承転結の音楽(メジャーやマイナーのコード理論)を基準にするのではなく、1オクターブを12音に平均分割した音階から任意にスケールの階段を得て、(人間の感覚において)各スケール(階段の形)にどのような共通性や規則性や特例が存在するのかを説明することになろうかと思います。ペンタトニック(5音階)や一般的な7音階スケール以外にも8音階や4音階があり得るわけです。
コードには、転回系のコードというものがあって、ベースの音をコード内の他の音と置き変えます。すると雰囲気が変わったり、メロディやソロパートのラインに合わせてアクセントを添えたりできるのではないかと思います。意識するしないというのは、強く弾く音を選ぶようなアプローチでしょうかね、それは難しいと思いますが、印象を変えることは可能かもしれません。わたしには難しいです。たぶんできませんけど。
いつも楽しく拝見させていただいております。
私がジャズ理論を習っている先生から以前に、料理に例えると曲は素材であり、素材の良さを引き出すのが料理人たる演奏家の腕前だ、といった話を聞き、とても納得したおぼえがあります。
今回のお話は、この料理の例えに通じるところがあるのではと思いました。
引き続き素晴らしい動画をありがとうございます。理論の事は考えずに演奏しろと仰る方もいますが、それは守破離があっての事ですね。曲の事を大して学ばずに「離」だけがあるのでは、良い演奏家とは言えないのでしょう。あまり私は音楽理論には詳しくないですが、先人の演奏から学ぶ事もまた理論を学ぶ事になると知り、励みになりました。ありがとうございます。
僕も同様に考えています。ジャズの最終目標は、自分なりに自分の音楽を創っていくことだと思っています。そのためには、先人の実践や知恵を理解し、自分なりに血肉にしていった先に実現できるものだと思っています。
僕も同様に考えています。ジャズの最終目標は、自分なりに自分の音楽を創っていくことだと思っています。そのためには、先人の実践や知恵を理解し、自分なりに血肉にしていった先に実現できるものだと思っています。
昔からウェスが引き合いに出されますが、彼は類稀な天才ですよね。天才と自分を同列に並べて、ウェスは理論を知らなかったと言うのは随分思い上がった話だと思います。理論とは、自分なりの方法論を芯に持っているのかということと考えれば、ウェスは理論を知っていたと言えますよね。
テーマの目立った音程素材でメロディを作る練習をようやく始めたところです
…どんな曲でもまったく同じフレーズが出てきてしまうので
こちら様の演奏動画をいくつか拝見しまして、高い技術力と演奏への情熱をお持ちなんだと感じました。
Wes montgomeryの動画をアップしていただいて、わたしのような者がこの時代に日本の片隅でそれを見ることができました。ほんとにTH-camというのは凄いプラットフォームなんだと痛感します。天国で本人もびっくりしているかもしれません。
ほんとうに、ありがとうございました。
日本人は理論を絶対的なルールで
そっから外れたらダメって人が多いのと、〇〇っぽくやりたいと思う人が多いと思います。
で、頭では理解してるけど
センスが追いつかない。
ジャズの手法を辿るのも良いけど
短いストーリーをどう作るかとか
そういうセンスを磨くべきだと思います。沢山ツール持ってても
上手く使いこなせなきゃ意味無し。
おー。このウェスの映像面白いです。私も独学でコードの読み書きものすごく苦手ですが、知らない曲でもキーがわかって構造がわかれば知らない曲でも演奏できます(いわゆるスタンダードみたいなやつだけですが)。キーと曲のサイズがわかったらベースラインをバッハの左手として右手をどう考えるか、だけで相当色々できますね。
大学のゼミなんかでも基礎知識の重要性は痛感します。
単語や文法だけ勉強しても語学は上達しないけど、そもそも単語や文法が使いこなせなければディベートなんて出来っこないのです。
過去には中村勘三郎さんが「型破り」と「形無し」という言葉を用いて似たような事をおっしゃっていましたが、音楽理論も同様の事が言えそうですね。
自分と同郷にプロのジャズドラマーがいますが、彼は高校時代はメタルとジャズを掛け持ちしてバリテクドラマーとして名を馳せ、高校卒業と同時にボストンの有名音大に進みました。
アメリカのテクニカル系バンドにも音大卒のジャズ畑出身のベーシストやドラマーが沢山いますが、
彼らにしてみれば音楽理論も異ジャンルの音楽も自己表現を高めるためのツールでしかないというか、
そこを基盤にしてどれだけ自分の表現を高める事が出来るかにしか着目してないような気がします。
それは現代のジャズミュージシャン、例えばカマシ・ワシントンやサンダーキャットにも同様の事を感じます。
音楽理論の是非という以前に、それが自身の基盤の最低限の構成要素になってるから無い前提がそもそも考えられないというか。
逆説的にはそれだけ日本では「なぞるだけの教育」が横行していて、血肉となるまで使いこなすための教育が疎かになっているという事かも知れません。
この音楽が生まれたアメリカでさえ、音楽教育は十分とはいえず、現在第一線で活躍するミュージシャン達は日々研究を続けています
そんな音楽を遠く離れた日本で会得しようと思うなら、彼ら以上の覚悟と努力が必要なことは必然です
ii-Vリックを集めて(それは大事だけど)垂れ流しているだけでは本当に演奏したことにはならない、ということかしら?
Wesさんが「このコードで始まるけど、キーはこれです」と言ってましたが、これは重要なことだとわたしは思います。例えば
Ⅰ→Ⅳ→Ⅴ→Ⅰ
Ⅱ→Ⅴ→Ⅰ
この2つのコード進行を別々に聞いた場合、起承転結をはっきりと表現する3コードパターンを聞き慣れた人は、どちらのコード進行でも、最初のコードのトニックをキーとして認識するのではないかと思われるからです。
つまり、Ⅰのキーの曲をⅡから始めた場合、キーはⅡとして認識していたのに、途中でⅠのキーに転調したような錯覚を覚える(ドミナントモーションでⅠに解決しているように感じられる)のではないか。この錯覚は楽曲に浮遊感を与える効果があるかもしれません。あるいは、ⅠのキーのスケールとⅡのキーのスケール(1音平行移動した同じスケール)を同じ楽曲内で、部分的に混ぜ合わせることが可能になるのかもしれません。このとき、Ⅰのキーとしてこの楽曲をコーダルな古典音楽理論で考察すると、Ⅱ→Ⅴ→Ⅰの部分は理論に反することもあり得ると言えます。
これらのことは、理論というより、人間の認識が、最初に聞いた音や和音を基準にしたり、前の音から比べて相対音感で楽曲を認識することに由来しています。トニックコード以外からスタートすることなどによる「錯覚」を利用して楽曲を複雑に構成できるということであり、人間がそういった認識を行う生き物である、ということです。
そうすると、理論的に禁止された音をわざと出して解決する、こともできるかもしれない。つまり音楽は、聞いた感じが気持ちよければ、理論なんか関係なく、なんでもありなのです。
Ⅰ→Ⅱ、はÇメジャーがDメジャーに転調していると考えられます。さらにⅡ→ⅢでEメジャーに転調して、Ⅲ→ⅣでFに転調しますが、このFがÇメジャーのⅣ度に戻ってきたと解釈できるかなと思います。
コード理論は、ドミナントモーションができるメジャースケールとマイナースケールの中で成り立つものではないかとわたしは思っています。メジャースケールはイオニアンモードであり、マイナースケールはエオリアンモードです。一般的なモードでは、ドミナントモーションができないのが普通のことであり、起承転結のない曖昧な雰囲気の楽曲になりますが、神秘的でもあり、教会旋法として知られています。ドリアンモードのスカボローフェアは有名ですね。
練習で、Ⅰ音平行移動したメジャーコードを行ったり来たりさせて、その中でアドリブを演奏する、ということができます。このときにドリアンなどのモードを転調(1音並行移動)させて使ったりできます。もしかしたら、気持ちよければ、コーダルな楽曲の中でも部分的に使えるかもしれません。自己責任で試すのもありかなと思います。
音楽は耳で聴いてよければ理論なんていらない。音楽は自由。自由を求めてJAZZを聴く。ところがJAZZは理論だらけの不自由なものだった。許せない!!!!!
全てチャーリーパーカーのせいです。彼の方法があまりにも素晴らしすぎてJAZZ理論というものにまでなってしまったせいです!!!!我々がいくら感覚で弾いてもJAZZっぽくならないのは彼の弾き方を知らないからなのです!!!
なぜ自由を求めてJAZZを聴き出したのに彼の方法を学ばなければJAZZっぽくならないのでしょうか!!全く不自由です!許せない!なぜBASIC SOUNDだのGUIDE TONEだの気にしなければならないのですか!!ええい面倒くさい!!!
そうして今日も巷にはなんちゃってJAZZが自由に演奏される。
時は2400年。遂にチャーリーパーカーを超えたなんちゃってJAZZ界のプリンスが現れた!!!!奇跡た!これが自由な音楽なのだ!!!!
メジャーとマイナーの違いは、理論では説明できません。人間がその音程の重なりや並びを聞いたとき明るい印象を受けたり暗い印象を受けたりする、という事実でしかない。テンションを追加したときの印象も、なぜそうなるのか、という説明はできません。どのように聞こえるかを理論で考えてもあまり意味はないわけです。そして楽曲を創発する営みでは、
どのように聞こえるか
が意味を持ちます。正しい音楽理論ではこの人間の特性を的確に列記することになろうかと思います。
メジャーとマイナー以外に、中間的なスケールやコードが存在していて、それは教会旋法(モード)やセブンスコードなどです。
一般化して論理的に音楽を説明するとすれば、ドミナントモーションする起承転結の音楽(メジャーやマイナーのコード理論)を基準にするのではなく、1オクターブを12音に平均分割した音階から任意にスケールの階段を得て、(人間の感覚において)各スケール(階段の形)にどのような共通性や規則性や特例が存在するのかを説明することになろうかと思います。ペンタトニック(5音階)や一般的な7音階スケール以外にも8音階や4音階があり得るわけです。
コードには、転回系のコードというものがあって、ベースの音をコード内の他の音と置き変えます。すると雰囲気が変わったり、メロディやソロパートのラインに合わせてアクセントを添えたりできるのではないかと思います。
意識するしないというのは、強く弾く音を選ぶようなアプローチでしょうかね、それは難しいと思いますが、印象を変えることは可能かもしれません。わたしには難しいです。たぶんできませんけど。